赤﨑正和監督の映画「ちづる」の劇場公開を見て、母久美さんの本『ちづる』を読んで考えたこと
一昨日(2011年10月29日)から、ドキュメンタリー映画「ちづる」の劇場公開、東京の東中野と横浜で始まった。
リンク:映画「ちづる」公式サイト
赤﨑監督のブログ:あにきにっき
我が家は東中野まで30分ほどなので、監督の舞台挨拶もあるという初日の初回上映(11時開始)を目指して出かけた。前売券は、前日、仕事の帰りに購入。上映開始の30分前には劇場に着いたが、すでに列が出来ている。前売券の有無にかかわらず、並んで受け付けしなければならないらしい。地下2階の受付にたどりつき、私と妻の券に押された番号は77番と78番。そのまま、劇場に入ると、100名程度の席はほとんど埋まっていて、横並びの席はほとんどなく3列目、4列目の中央付近に縦並びに空席があったので、そこに分かれて座った。
映画「ちづる」は、立教大学の学生だった赤﨑正和さんが卒業制作として、自分の妹で自閉症のちづるさんの日常を撮影したドキュメンタリー映画だ。79分の映画には、ちづるさんとお母さんの久美さん、そして正和さんの3名しか登場しない。赤﨑家の日常を映した家族の映画だ。
今年(2011年)1月に立教大学の新座キャンパスで上映会を実施したところ、取材に来ていたマスコミに取り上げられ、さらに3月には同じ立教大学の池袋キャンパスでも上映会が行われた。私は、この3月の上映会に行ったが、その時点で既に東中野と横浜での劇場公開も決まっていた。
この映画の制作を指導した立教大学の池谷先生の勧めもあり、劇場公開にあわせ、母久美さんも、ちづるさんが生まれてからの子育てを語った本『ちづる-娘と私の「幸せ」な人生』を上梓した。
私はお母さんの久美さんと高校3年の時、同じクラスだった。
その縁もあって、3月の上映会で一足先に映画を見てはいたが、その時は、同級生の長男が撮った映画を通じて、自閉症の子を育てることの大変さ、それに立ち向かう久美さんの強さを垣間見させてもらったという認識だった。
今回の劇場公開版を改めて見て、長男である赤﨑監督と池谷先生の挨拶を聞き、母久美さんの本を読んで、初めてこの映画の持つ深い意味を理解できたように思う。
この映画は、自閉症の妹ちづるさんを持つ兄正和さんが、卒業制作を手掛ける大学3年になるまで、自分の中で言葉に出来ず、悶々としていた思いをなんとか表現しようとした結果生まれたものだと思う。
彼は、障害者を「シンショー」と差別する風潮に憤りながらも、自分の妹が自閉症であることを人に語ることができない。また、そうできない自分を責めている。しかし、その思いを誰に相談することもできない。
他人に対し、自分の妹のことを隠すということは、人に対して常にどこかで嘘をついているということであり、人と接すること自体がおっくうになっていたに違いない。
3月の上映会で自作について語る正和監督は、口下手で、頼りなげだったが、彼にとって、人と接したり人と語ることそのものが辛いことであり、それを続けていくうちに、無口になっていったのだと思う。
どこの家庭でも、第一子は、弟や妹生まれると、それまで自分一人に注がれていた親の愛が半分、あるいはそれ以下になる。それに寂しい思いを感じながらも、兄だから姉だからと我慢をすることを求められる。まして、正和監督の妹ちづるさんは自閉症。両親の関心は妹に向かわざるを得ない。
妹の姿をみれば、それもやむを得ないと考える一方で、もう少し自分にも関心を持ってほしいという思いもあっただろう。
そこに交通事故での父の不慮の死が加わる。高校を卒業し、浪人中だった正和さんは、父親と口げんかをしたまま関係を改善できずにいた。父親と本当の意味で向き合うことがないまま、父親という最も身近な彼の理解者を失なったのだ。なくなった父の正幸さんも、息子の正和さんに語りかけたいことが山ほどあっただろう。
母久美さんの本によれば、父が亡くなったあとも、正和さんは「昼まで寝て、だらだらした生活は相変わらず、・・・」と書かれているし、大学の進学したあとの正和さんは「実家に帰ってきても、部屋で寝ているか、携帯やipodをいじるだけ」だったと書かれている。無気力な大学生の典型のようなその姿は、決して彼の本当の姿ではなかったと思う。
3月の上映会から今回の劇場公開まで7ヵ月余。その間、正和さんは社会福祉法人に就職した。舞台挨拶で、自らの気持ちを言葉を選びながらもはっきりと語る彼の姿は、3月の上映会とは別人のようだった。
この変化には、3つの要素があるように思う。
一つは、映画の制作指導をした大学の池谷先生の存在。舞台挨拶で、制作過程での正和さんとの葛藤を語る池谷監督は、亡き父正幸さんに代り、正和さんの思いを正面から受けとめ、彼の撮影した映像の中に普遍的な家族の姿を見いだし、劇場公開に導いた。
二つめは、母久美さんとの関係の変化。この映画の撮る過程で、母子は妹のちづるさんについて改めて語りあう。また、母の久美さんは、この映画の制作・公開の過程で、正和さんが子どもの頃に負った心の傷を知ったと書いている。妹の存在を素直に語れなかった自分の姿を母に伝えることができたことは彼の負担を少し軽くしたのではないかと思う。
三つめは、映画「ちづる」が世に出て、知られるようになって、彼の撮った映像に対して、多くの人が語った感想や批評。その中には、彼と同じように、兄弟姉妹に障害者を抱える「兄弟児」も多くいた。1月に朝日新聞の「ひと」欄で彼を紹介する記事を書いた記者もお兄さんが自閉症だったという(母久美さんは、この記事は「息子の心にぴったりと寄り添っている」と書いている)。
この映画について多くの人が語る言葉の中に、正和さんは自分が今まで言葉に出来ずにいた思いに、ふさわしい言葉をひとつひとつ見つけていったのではないかと思う。語る言葉を見つけたことで、自分の思いが整理でき、自信を持って語れるようになったのではないだろうか。
自分の子どもが抱える思いを親がどこまで理解できているか?これは、どこの家庭・家族も抱えている普遍的な問題だ。親は「親の心子知らず」と嘆き、子どもは「親は自分のことなんかちっとも分かってくれていない」と不満を漏らす。
正和さんはそれを映像という形で、見える形に表し、母に伝え、父の代役ともいえる指導教官に伝えた。
映画の映像の中での主役は妹のちづるさんとそれに向き合う母久美さんであり、二人の存在感なくしてこの映画は成り立たないが、それでも私はこの映像は、監督である正和さんの心の叫びだと思う。
私自身が第一子の長男という立場もあってか、正和さん寄りの見方になっているかも知れない。
おそらく、この映画は、それぞれの立場で、いろいろな見方、受けとめ方がある映画だと思う。なるべく多くの人に見てもらい、自分の家族について、考える切っかけになればと思う。
(2014年7月追記)DVD化されまた。
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