« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »

2011年11月の記事

2011年11月27日 (日)

大阪知事・市長ダブル選挙で、大阪維新の会の松井候補と橋下徹前大阪府知事が当選

今日(2011年11月27日)は、大阪府知事・市長のダブル選挙の投票日。大阪都構想を実現するため大阪府知事を辞職して大阪市長選に立候補。府知事が辞職したことに伴い、知事選もあわせて行われることになり、橋下氏の母体である「大阪維新の会」から幹事長の松井一郎氏が立候補した。

通常は、独自候補を立てる共産党まで市長選立候補を見送って、現・平松市長の支持に回ったが、既成政党は橋下市長阻止に動いたが、結局、選挙は「維新の会」の2人のダブル当選に終った。

10年後、20年後になって過去を振り返った時、おそらく、この選挙が日本の地方自治制度の転換点にあるのではないかと思う。

現在の日本の地方自治制度は、国(総務省)を都道府県を管理し、(都道府)県が県下の市町村を管理するという枠組みになっている。しかし、その中で、政令指定都市は、都道府県並みの権限がある。
大阪府下でも、政令指定都市となっている大阪市と堺市は、いわば、大阪府と同格。大阪府は、府下で府庁がある大阪市が自らの管理下にないという奇妙な関係になっている。

大阪府と大阪市の二重行政問題は、むしろ、都道府県と県庁所在地がある政令指定都市の問題だろう。
これだけの選挙結果となると、国も何らかの制度改革を考えざるをえなくなるだろう。

3月の東日本大震災は、自然からの戦後日本の制度への一撃になった。年末を控えた、この選挙結果は、大阪府民からの戦後日本の仕組みを変えてくれとの、現在の政治へ強烈なメッセージだろう。

これから、何が変り、何が変らないのか、しばらくは大阪から目が離せない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月23日 (水)

第37期棋王戦挑戦者決定トーナメント本戦準決勝で、郷田真隆九段が中川大輔八段を破り、本戦決勝進出を決める

四強が出揃った第37期棋王戦の挑戦者決定トーナメント。(2011年)11月14日には、準決勝の第1局として広瀬章人七段と糸谷哲郎五段が対戦。後手の広瀬七段が四間飛車に構え、やや劣勢だった将棋を押し切って、本戦決勝進出を決めた。糸谷五段は敗者復活戦に回った。

残る準決勝は、昨日(2011年11月22日)、郷田真隆九段と中川大輔八段が相まみえた。
モバイル中継が行われているので、仕事の合間に進み具合を確認し、終盤は帰りの電車の中で確認した。

振り駒で、中川八段の先手。戦型は相掛かりから、郷田九段が腰掛銀に構える。先手中川九段は端攻めで郷田玉に攻めかかったところで、郷田九段は手抜きをして、一気に中川陣を攻めた。やや無理筋にも思われたが、駒損よりもスピードで中川玉を追い詰めるが、あと1枚攻め駒が足りないようにも見えた。
中川八段は、やりかけだった端攻めを敢行、郷田玉を1筋に引き出し、自陣を攻めていた郷田九段の角の両方をにらんだ王手角取りの飛車打ちを見せたが、感想戦のコメントではこの手が敗着とのことで、押さえ込んだいた端は温存し、自陣の守りに持ち駒の銀を打って守りを固めていれば、先手勝勢だったとのこと。
中川八段は、自玉を守るために攻めの足がかりを使ったことで、郷田玉の危険度が下がり、結果的に自玉の危機を招くことになった。
そこからは、郷田九段の攻めが冴え、詰めろの連続で詰み筋に持ち込み、中川八段は無念の投了となった。郷田九段は本戦決勝で挑戦者決定二番勝負進出をかけ広瀬七段と対戦する。一方の中川八段は敗者復活戦の準決勝で糸谷五段と戦う。

本戦決勝の郷田vs広瀬戦、敗者復活戦準決勝の中川vs糸谷戦はともに12月2日に行われる。

郷田九段の棋王位挑戦まであと勝ち星2つ。2009年の第67期名人戦七番勝負以来のタイトル挑戦、2001年の第72期棋聖戦以来のタイトル獲得を実現させてほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月20日 (日)

福岡ソフトバンクホークス、念願の日本シリーズ優勝、日本一をつかむ

2011年のプロ野球日本シリーズは、中日ドラゴンズと福岡ソフトバンクホークスというセパ両リーグのレギュラーシーズン優勝チームが、クライマックスシリーズも勝ち抜き、相まみえることとなった。

ソフトバンクは、前のダイエーホークス時代の2003年に日本一になったあとは、2004年からの7年間、レギュラーシーズン1位が3回、3位が3回とプレーオフ、クライマックスシリーズに駒を進めながら、あと1歩のところで、日本シリーズ進出を阻まれてきた。

8年めの今年ようやく、レギュラーシーズンを制し、クライマックスシリーズでも2位の西武ライオンズを3タテで下し、文句なしの成績で日本シリーズ進出を決めた。

しかし、福岡ヤフードームでの第1戦、第2戦とも1対1で延長となり10回表抑えの馬原が中日に打たれ、2試合とも1対2で敗れ、まさかの2連敗スタート。この時には、誰もが、ナゴヤドームでの中日の胴上げを予想したに違いない。

シリーズの分岐点はいくつかあると思うが、ナゴヤでの初戦第3戦でソフトバンクが勝ったあとの第4戦の6回裏。ソフトバンクは2対1でリードしていたが、先発ホールトンが、中日の3番森野、4番ブランコに連打を浴び、さらに5番の和田が四球で、ノーアウト満塁。絶体絶命のピンチ。そこでリリーフとして登板した中継ぎの森福が、後続の3人を三振、レフトフライ、ショートゴロと完璧に抑え、試合もそのまま2対1で終了した。もしあそこで、同点や逆転ということになっていれば、、ソフトバンクが勝利を手中にできたかはわからない。あの試合にソフトバンクが落としていれば、シリーズの行方もどうなっていたかはわからない。

第5戦はソフトバンクが5対0で勝ち、福岡に戻った第6戦は中日が2対1で勝った。

そして迎えた今日の第7戦。お互い、なかなか点が取れない展開は今日も変らず、ソフトバンクが3回に無死満塁で川崎が押し出しの四球の1点のみ。4回は二死一塁、二塁で捕手山崎のタイムリーの1点のみ。
しかし、その後5回、6回は中日投手陣に抑えられ、まだ安心できない。
7回から、もう1点もやれない中日は抑えのエース浅尾を投入。しかし、ソフトバンクは一死後、四球選んだ川崎を送りバントで二塁に進め、次の内川がタイムリーヒットで3点目。勝利を大きく引き寄せた。

7回までエース杉内で中日を零封していたソフトバンクは、8回からファルケンボーグを投入。8回を3人で抑えたが、9回先頭打者井端にピッチャー強襲打を肘に受けて降板というハプニングもあったが、その後、森野、摂津というこのシリーズで活躍した投手2名を投入して9回を零点に抑え、日本一を手にした。

01

福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト
http://www.softbankhawks.co.jp/index2.php

この2003年以降のホークスの無念を、ファンの一人として眺め続けてきたので、ようやく念願が叶ったというところだ。

福岡ソフトバンクホークス、優勝バンザイ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月12日 (土)

第70期A級順位戦5回戦第2局、郷田真隆九段が持将棋・指し直しの末4連勝の谷川浩司九段を破る

森内俊之名人への挑戦者を決める第70期のA級順位戦も4回戦までが終了。羽生善治二冠(王位・棋聖)、谷川浩司九段の2人の永世名人が4連勝とスタートダッシュしたのを、3勝1敗で渡辺明竜王(王座)が追う展開。一方で、実力者の丸山忠久九段と久保利明二冠(棋王・王将)が4連敗とつまづくという展開になっている。
私が応援する郷田真隆九段は、三浦弘行八段、佐藤康光九段、屋敷伸之九段と並び2勝2敗。高橋道雄九段が1勝3敗という展開になっている。

5回戦第1局は、今期初A級の屋敷九段と久保二冠の対局。A級は成績下位2名が降級のため、昇級者はこれまでのA級棋士8名のうち2名を上回る成績を残す必要がある。屋敷九段は。現在4連敗の久保二冠に勝ち3勝2敗。当面の敵をたたくことで、残留に向けて大きな1勝をあげただけでなく、挑戦者レースにも踏みとどまった。

5回戦第2局(2011年11月10日)は、郷田九段が4連勝の谷川九段に挑む。谷川九段は、過去2年4連勝のスタートながら5戦目で黒星を喫し、前々期(68期)は5勝4敗、前期(69期)は4勝5敗に終っている。郷田九段にとっては、名人挑戦権をたぐり寄せるためにも、羽生二冠とともにトップを併走する谷川九段の連勝にストップをかけたいところ。

対局は双方の意地がぶつかり合うすさまじい戦いになった。先手谷川九段の▲7四歩に対し、△8四歩と飛車先を突く。今期のA級1回戦で渡辺竜王に惨敗してから封印してきた手の復活である。駒組みは、郷田九段の後手番の際のテーマでる角換わり腰掛け銀先後同型に進む。その後の展開で郷田九段が試した手は、谷川九段の応手に切り返された形となり、谷川九段が優勢との評価になった。その後、劣勢を意識する郷田九段は攻め合いに活路を求めた。その後も谷川九段優勢だったが、谷川九段の攻めに疑問手が出て、郷田玉を寄せきれず、双方入玉の持将棋となり、午前2時10分から先後を入れ替えて指し直しとなった。

指し直し局は、後手谷川九段のゴキゲン中飛車に対し、郷田九段が▲3七銀、▲4六銀と繰り出す超速▲4六銀戦法で対抗。激しい戦いとなったが、郷田九段が攻め勝って、貴重な3勝めをあげた。

第70期A級順位戦:谷川九段vs郷田九段戦:持将棋局

第70期A級順位戦:谷川九段vs郷田九段戦:指し直し局

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年11月 7日 (月)

赤﨑正和監督の映画「ちづる」の劇場公開を見て、母久美さんの本『ちづる』を読んで考えたこと(2)~劇場公開までのもう一つのドラマ

『ちづる 娘と私の「幸せ」な人生』(赤﨑久美著、新評論)を読み終わった。前回のブログで映画の感想を書く際、まず第3章を読んだが、改めて第1章から通読した。映画「ちづる」を見て、この本を読むといろいろなことを考えさせられる。

ちづる- 娘と私の「幸せ」な人生
ちづる- 娘と私の「幸せ」な人生

著者の赤﨑久美さんとは高校3年の時同じクラスだった。大学卒業後は特に接する機会もなかったが、2002年の秋に再会。以後、同窓会などで年1~2回顔を合わせる機会があったが、2006年にご主人が亡くなってからは同窓会に出てもらうのも難しくなった。
娘のちづるさんにも一度だけ会ったことがある。映画の中の姿そのままの不思議な魅力をもっていた。初対面の私がいると緊張させるのではないかと、一瞬、身構えたが、そんな私の緊張などお構いなしのちづるさんの奔放な姿に、一気に肩の力が抜けたのを思い出す。

兄正和さんの撮影した映画「ちづる」と母久美さんの書いた本『ちづる』は、二つが対になり赤﨑家の物語として、自閉症という障害を世の中に広く知らしめる役割も負うことになるだろう。

「よくわからないのでなんとなく怖い、なるべく近づかないようにしよう。」そんなところから、社会での区別・差別が始まっていくのだろう。
久美さんは、本の中でこう書いている。

「今、私たちが障害児の娘と一緒でも、まずまず幸せに暮らしていられるのは、何十年も前、公然と知恵遅れの人たちが差別されていたころから、障害児をもった親たちが子どもたちのために社会を変えようと努力してきてきてくれたおかげなのだから。」 (『ちづる』37ページ)

しかし、結果的に社会を変える可能性を秘めた一石となったとはいえ、障害を持つ自分の子を画面に登場させ、その子と葛藤する自らの姿をも多くの人の目にさらすことは、母久美さんには、本や映画のパンフレットでは書ききれない深い苦悩があったに違いない。

本を読む限り、その背中を押したのは、1月24日の朝日新聞「ひと」欄に正和さんを紹介する記事を書いた川上裕央記者の存在だろう。そこには、映像にはならなかったもう一つのドラマがあった。

自らも自閉症の兄を持つ「兄弟児」であった川上記者は、映画「ちづる」が最初にマスコミに取り上げられた1月7日の東京新聞を記事を読み、1月に行われた立大新座キャンパスでの上映会に参加、正和さんを取材し「ひと」欄の記事を書いた。
横須賀支局勤務の川上記者が、担当地域とは思われない新座まで出かけ上映会を見て、取材をして記事を書いたというところに記者の並々ならぬ思いを感じる。

Photo

本で紹介されている川上記者の手紙の一節には、次のように書かれている。

「障害者のいる家族は、父母の視点から語られることはあっても、正和さんや私のような兄弟姉妹から視点から描かれることはありませんでした。幼心に親もまた兄弟姉妹が抱く悩みや問題をすべて理解することはできないと感じていました。家族のことで誰にも話せずにいる子どもたちに、映画や正和さんの存在は大きな励みになると思っています。紙面で映画をご紹介することで、物理的に見られない人にも正和さんの思いをわずかでもお伝えしたい。それが今回記事にさせて頂いた一番の理由です。(中略)この映画に出会い、記事として皆さんにお知らせできたこと、私にとっても一生の宝物になりました。私の母も涙を流して読んでくれました。本当にありがとうございました。」(『ちづる』231ページ)

正和さんの思いが、川上記者の思いと交わった時点で、映画「ちずる」は赤﨑家の物語から、障害者を抱える兄弟の物語へもと変化した。

最後の締めくくりとしては、映画のパンフレットに久美さんが書いた「出演者からみた「ちづる」」という文章の最後の一節がふさわしいだろう。この文章は、本『ちづる』の第3章の「○息子が映画を作った」とも重なる部分が多いが、この部分は本にはない。

「息子が映画監督になるのが夢だったように、千鶴は女優になるのが夢だった。ふたりとも、その途方もない夢をこの映画で叶えたことになり、母として感無量なのである。」(映画「ちづる」パンフレット9ページ)

母久美さんは、映画「ちづる」の中では、撮影される出演者の側、映画公開までのプロセスにおいても受け身の立場であるが、この最後の一文を読むと、全ては彼女の深謀遠慮の結果なのではないかという気さえしてくる。母は強しである。

(2014年7月追記)DVD化されました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年10月 | トップページ | 2011年12月 »