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2021年5月の記事

2021年5月22日 (土)

北条早雲(伊勢新九郎盛時)を描く『新九郎、奔る!』(ゆうきまさみ、小学館)

 主人公伊勢新九郎盛時は、後に小田原で戦国大名として名をなした北条早雲。足利八代将軍義政の時代に室町幕府政所の執事として権勢を誇った伊勢貞親の甥にあたり、父盛定は伊勢家の庶流だが、貞親の妹を妻とし、貞親の義弟となり、貞親の片腕として活躍する。その盛定の側室が生んだ次男が新九郎である。
 世継ぎの生まれない義政が僧職にあった弟義視を将軍の後継にと還俗をさせたが、その後、義政に長男が生まれ義視の立場が微妙になっている時期から物語は始まる。
 将軍義政の側近として権力を振るう伊勢貞親は権謀術数にたけるが、行き過ぎて自らの地位を危うくすることもある。義兄と行動を共にする新九郎の父盛定も、それに巻き込まれざるを得ない。そのような京都で山名宗全と細川勝元のそれぞれの旗頭にした応仁の乱が始まる。盛定が申次を務める駿河守護今川義忠の上洛では、姉の伊都が見初められ、その後、今川義忠に輿入れする。

 ストーリーの大枠は近年の研究に基づいているが、新九郎が山名宗全や細川勝元とも関わる場面が作られる。まだ若い新九郎が父盛定の名代として、領地である備中国荏原に赴き、領地の経営にもあたる。荏原郷を東西で二分して治める同族との確執もある中、地元の様々な課題と取り組む。また、現代の世相を反映するように、京都で天然痘や麻疹の流行、備中では水害に見舞われる苦労することも描かれる。
 現在、刊行済の全7巻では、領地経営に取り組む新九郎の姿までだが、今後、成長とともに姉の嫁ぎ先である駿河今川家とどのように関わり、伊豆そして、相模へのどう展開していくか楽しみだ。
 一般向けに書かれたとはいえ、前回紹介した『戦乱と政変の室町時代』、『応仁の乱』『享徳の乱』などで活字を追うだけでは、すんなり頭に入らなかった三管領四職の各家の家督争いの人間関係などが、漫画の中で特徴を持ったキャラクターとして描かれるとイメージしやすくなる。
 この漫画をみつつ、作者ゆうきまさみが「『新九郎、奔る!』の第一歩は、この本を手にとった瞬間に始まりました」と帯に推薦文を書いている『戦国北条五代』(黒田基機著、星海社新書)を読んでいる。
  

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2021年5月16日 (日)

『戦乱と政変の室町時代』(渡邊大門編、柏書房)を読み終わる

日本史好きだが、室町時代はどうしてもなじみが薄い。高校の日本史の教科書で、政治だけ追いかけていくと鎌倉時代末から南北朝の後醍醐天皇と足利尊氏の争い。南北朝の統一を成し遂げ盤石の室町幕府を作り上げたようなに見える足利義満の時代は、明との勘合貿易そして金閣寺の印象ばかり残る。その後、くじ引きで将軍になった義教は嘉吉の乱で赤松氏に殺害され、将軍の権威は一気に失墜したと思う。その後、義政は政治に関心をなくしたように見え、応仁の乱が始まるが、なぜ、天皇も、将軍もいる政治の中心京都で町中を戦火に巻き込む応仁の乱が起きて、あれほど長く続いたのかも納得できる説明はない。戦国時代に入ると、足利将軍は織田信長に顔色をうかがう存在になってしまう。
本当に、義満の権力は盤石だったのか、将軍の義教がなぜ部下の武将に殺されなければならないのか、前後のつながりや歴史がそのように動いた必然性がよくわからないまま進んでいく。むしろ室町時代は金閣寺や銀閣寺、連歌などの文化、土倉などの経済面の記述の印象が強い。

そのような学校での歴史教育のわからなさもあってだろう、しばらく前には呉座勇一の『応仁の乱』(中公新書)がベストセラーになり話題になった。私自身は、応仁の乱の少し前に関東で始まった享徳の乱を取り上げ峰岸純夫の『享徳の乱 中世東国の三戦争戦争』(講談社現代選書メチエ)が室町期の関東で何が起きていたのか、知識の空白を埋めてくれた気がした。しかし、それでも、まだ室町時代全体は繋がらなかった。思えば、足利尊氏、直義の兄弟が争う「観応の擾乱」から始まり、一族内の複雑な利害関係が絡む室町時代だからこそ、それぞれの乱、政変がなぜ起き、どう決着したのか?それで乱や政変の首謀者に正義はあり、敗者の敗北はやむを得なかったのか?そのあたりの説明がないとなかなか納得できない。

この『戦乱と政変の室町時代』は、鎌倉末、南北朝、室町初期と続く「観応の擾乱」から始まり、「明徳の乱」「応永の乱」「上杉禅秀の乱」「永享の乱」「結城合戦」「嘉吉の乱」「禁闕の変」「享徳の乱」「長禄の変」「応仁・文明の乱」「明応の政変」と12の乱、政変を取り上げ12人の歴史学者がそれぞれの事件を綴る。高校の日本史の教科書では、脚注で終わってしまっているような、あるいは脚注にも取り上げられていないようなものあるが、多くの乱、政変は、それ以前の乱や政変に必ずしも正義はなく、首謀者の権力欲や私怨で起き、敗者の側も納得していないので残党が新たな戦いを起こったりしている。

室町幕府は、足利将軍が君臨するが管領をつとめる細川、斯波、畠山の三管領、侍所の長官をつとめる赤松、一色、山名、京極の四職などの各家が守護大名として各国を治めるが、将軍は常にどこかの一族が強大な勢力になるのを避けるため、常に各家の家督争いなどにつけこみ、陰に陽にどちらかの肩をもち、もう一方の力をそぐ。さらに、将軍家の分家で関東に駐在する将軍の名代である鎌倉公方とも時間の経過とともに、反目し、関東管領(上杉家)に鎌倉公方の監視の役目も負わせ、肩入れする。関東は、鎌倉公方と関東管領が利根川を挟み、東西に分かれて対峙する。鎌倉公方が、鎌倉から古河(こが)に移り古河公方と呼ばれるのも、鎌倉が管領側の支配地域となり帰還できなかったことも大きい。鎌倉公方が幕府と反目し、古河に移る中、京都側が伊豆に堀越(ほりごえ)公方を据えるのも、本来の鎌倉公方は堀越公方と言わんがためであろう。

呉座勇一の『応仁の乱』で、当時の政治情勢が複雑に入り組み、簡単に理解しようとすること自体が無理な話であることがなんとなくわかり、峰岸純夫の『享徳の乱』で、教科書にほとんど書かれない室町時代の関東でも、鎌倉公方を頂点とする主従関係の中で、有力な家でも主従の争いなど様々な興亡があり、その最後を締めくくるように登場するのが後北条氏である。室町将軍の側近だった伊勢家の出身といわれる伊勢新九郎宗瑞(北条早雲)。鎌倉時代に将軍を支える執権だった北条氏にあやかるべく、二代目北条氏綱の時に北条を名乗ったということらしい。
その二冊を読んでもまだ細切れだった室町時代の政治の流れが本書を読んで、大きな流れはつかめた気がする。

室町時代をもう少し理解したいと思う、歴史ファンにはお勧めの1冊だと思う。

 

 

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2021年5月 3日 (月)

「藤原定家『明月記』の世界」(岩波新書、村井康彦著)を読み終わる

久しぶりに、読んだ本の感想を書こうと思う。藤原定家は、学校では、百人一首の選者として、古典の時間に習うが、では、歴史の時間軸では、どの時代に生きた人なのか、自分の中では、きちんと位置づけることができていなかった。
 そんな思いこともあって、岩波新書でこの「藤原定家『明月記』の世界」が発刊され、書店に並んだ時、すぐ買ったが、しばらく積ん読になっていた。
 
 NHKBSの歴史番組「英雄たちの選択」の正月スペシャル「百人一首~藤原定家 三十一文字の革命~」の再放送を見て、藤原定家が承久の乱を起こした後鳥羽上皇の命で「新古今和歌集」の編纂を任されたこと、和歌で鎌倉幕府三代将軍源実朝とも交流があったことを知った。
 
 昨年に続き、新型コロナの感染拡大で、GW前に3回目の緊急事態宣言の出た東京では、旅行もままならず、近場の公園に散歩に行くのがせいぜい。何か本でも読むかと思って、積ん読本の中で目についたのが、この「藤原定家『明月記』の世界」だった。

 読んでみて、『明月記』が1162年生まれの定家が1180年から1235年までの56年間を書き綴った膨大な個人の日記であり、定家の父藤原俊成、定家本人、子の藤原為家の三代にわたる記録になっていること、56年の日記の中では散逸した部分もあること、定家の末裔が冷泉家として現在も健在であることなど、恥ずかしながら初めて知った。

 50年を超える期間の膨大な日記を、250ページほどの新書の中で語るのは大変だったと思う。著者は、歌聖としての定家より、宮仕えの中で一喜一憂する定家、子を持つ親としての定家など、現代の我々でも共感するような人間くさい部分にスポットを当てている。
 定家が、極めて自己中心的であったっこと、母親が違う二人の息子のうち、年長で長男にあたる光家には極めて冷淡な対応をし、三男にあたる為家には期待をかけ親バカぶりを隠さないところには驚いた。「英雄たちの選択」で描かれた定家像とは違う人間定家が描かれていた。
 歴史上、名を残した人物が必ずしも人間的に優れていたとは限らないということだろう。むしろ、自己中心的で自分の和歌に対する自信があったからこそ、歌聖と呼ばれるほどの業績を残せたのかも知れない。定家は、時代の変わり目である激動の時代に、80歳まで生きている。

 

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2021年5月 2日 (日)

2年連続「緊急事態宣言」でGWを迎える東京、東京2020は中止するしかない

 新型コロナウイルスの感染拡大が収まらない。2020年4月、ウイルスの正体もよくわからない中での緊急事態宣言。不安な中、自粛という名の実質的なロックダウン。なんとか、感染拡大にブレーキがかかると5月25日に緊急事態宣言は解除され、まるで全てが解決したように、打撃を受けた旅行業や飲食業を支援する「Go TOキャンペーン」が始まる。しかし、夏前から再び感染者が増え始め、第2派といわれる。「Go TOトラベル」も「Go TOイート」も国が補助金を出して、感染を全国に拡大しただけだった。将来の歴史家から「希に見る愚策」と評価されるに違いない。
 当然、「Go TOトラベル」も「Go TOイート」も中断。夏から秋へは比較的感染者は小康状態を保ったが、徐々に気温が下がり始める晩秋の頃から、再び増加。12月半ばからは、忘年会シーズンも重なってか、感染者は急上昇。大晦日には東京都の感染者が1000人の大台を突破した。2021年1月7日首都圏の一都三県に再び緊急事態宣言。
 結局、東京の1日の感染者が100人を切る日を迎えることがないまま、3月21日に二度目の緊急事態宣言は終了した。緊急事態終了の時点で、東京都の感染者数(7日間移動平均)は既に反転増加傾向を示し始めていた。4月12日、東京都の23区と6市が緊急事態宣言の前段階である「まん延防止等重点措置」の対象となったが感染者の増加は抑えることはできず、大型連休(ゴールデンウィーク)を目前にした4月25日に東京都は三度目の緊急事態宣言の対象となった。
 昨年との違いは、大阪府や兵庫県で、感染力が強いとされる新型コロナウイルスの変異株が急速に拡大し、大阪府では連日東京を上回る感染者数が続き、地域医療がパンク状態になっていることだ。東京でも変異株の比率は上昇しており、感染者数が減少に転じなければ、いずれは大阪と同じことになるだろう。三度目の緊急事態宣言の期限は5月11日だが、現在の状況では短くても昨年同様の5月下旬まで延長せざるを得ないだろう。
 結局、輸入されたワクチンの接種が行き渡り、日本国民が集団免疫を得るまで、状況に変化はないだろう。感染者は既に日本全国に広がっているということだろう。人と人の接触が増えれば感染者は増加し、緊急事態宣言等で接触が減れば感染者も減少することことを繰り返している。
 ワクチンの接種は4月29日現在で、医療従事者の50%にとどまっている。高齢者の接種はこれからが本番だし、一般の市民はいつ接種できるのかさっぱりわからない。オリンピックの開催時期までに、せめて国民の半数は接種を終えるぐらいになっていなくては、外国選手も参加する国際スポーツ大会の開催は難しいだろう。少なくとも、国や東京都は、感染者や医療の逼迫度、ワクチンの接種率がどの程度であれば、開催可能と考えているか、明確に示すべきだと思う。それが示せないなら、1年延期した東京オリンピック(東京2020)は中止するしかないと思う。白血病からの驚異的な回復で出場権を手にした池江璃花子選手など、大会の開催を信じて練習に励む選手たちには申し訳ないが、オリンピックの開催期間中に、感染者が日に日に増加して、東京の医療がパンクしては元も子もない。

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