2009年5月24日 (日)

母の介護に振り回された5ヵ月間

昨年(2008年)暮れまで、約2年間毎日更新を続けていたこのブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」も、今年に入ってからは更新も途切れがちだった。以前は、読んだ本の感想、受験してきた様々な資格試験、心理学をメインにしたメンタル面について様々な雑感、気候や気象の話、そして将棋の話題、などなんとか1日1テーマを見つけて書き続けていたのだが、最近は将棋の話題だけに偏っていた。

これは、ブログを書いている私自身に、毎日ブログを書くだけの、時間的余裕と精神的余裕がなくなったことによる。

昨年の12月半ば、実家で一人暮らしをしていた私の母親が、腰が痛くて動けないと、私の妻に電話をしてきた。たまたま、介護福祉士試験を目前に控え、試験勉強の追い込みのため仕事を休む予定にしていた妻は、九州の私の実家に向かった。母の様子を見た妻は、このまま一人暮らしを続けるのは無理と判断して、私を呼び、2人で母を東京まで連れてきた。それが、昨年(2008年)の12月23日。母の寝起きのための部屋を確保するため、年末年始は大掃除と家の全体の模様替え。年賀状を書けたのは、年始に入り1月3日だった。

腰痛の原因は脊柱管狭窄症にともなう椎間板ヘルニア。整形外科の医者の診断は、安静にして痛みが引くのをまつしかないとのこと。2週間ほど安静していたところ、痛みはほぼ引いた。
しかし、たまたま我が家のあった血圧計で血圧を測ってみたところ、上が200を超えることも。今度は、同じ病院の循環器科のかかることになった。血液検査では、コレステロールも高い。どうも、実家では3食きちんと食事を摂っていたとは思われず、おなかがすくと袋菓子などを食べていたようだ。コレステロールも血圧も高いとは、危険は兆候。下手をすると血管が詰まって脳梗塞や心筋梗塞を起こすかもしれない。
母には、ネット検索で見つけた、塩分1食2g、熱量も300カロリー台という冷凍のカロリーコントロール食を食べさせ、食後のデザートやおやつのお菓子は極力控えさせ、少しでも体を動かすよう我が家の周りを5分でも10分でもいいので参加するように勧めた。降圧剤と合わせ、食事のコントロールと運動を1ヵ月ほど続けると、上も150~160くらいまで下がるようになり、4月頃には上が140を切り、正常値の範囲に収まるようになった。

そのカロリーコントロールの最中には、たまたま外食したときに食べたムール貝に当たったのか、激しい下痢と脱水症状を起こし、点滴のため、仕事から帰ったあと救急外来に連れて行ったこともあった。

我々から見ると、まだ体調が万全とは言い難かったが、本人は早く自分の家に帰りたいと言う。確かに我が家に居る時は、体調がある程度戻った後も、昼間でもベッドに横になり寝ていることが多く、たまに新聞を読んだり、テレビを見たり、雑誌を読んだりしているが、それほど集中している訳でもない。我が家の周りに、知り合いがいるわけでもない。これでは、「ボケ」てしまうと思い、私は5月の半ばに会社を3日ほど休み、妻と2人で九州の実家に母を連れて帰った。

しかし、現在の状況のままで、一人暮らしにもどれば、いずれ昨年暮れと同じように、体調を崩すのは明らかである。介護保険制度を利用して、週2回ホームヘルパーに来てもらうことにして、とりあえず実家での母の一人暮らしが再開されることになった。

以上が、この5ヵ月間の母の介護を巡る顛末の要約である。

就職して家を出るまで、22年間一緒に暮らしたはずなのだが、今回久しぶりに一緒に暮らしてみて、自分自身、自分の母親のことを理解していなかったことを痛感した。
そして、自分の家族を抱えながら、年老いた親と同居することが、想像以上に困難を極めるものであることも、思わずにはいられなかった。
また、介護保険制度は、介護されるお年寄りのための制度であるとともに、介護する側の家族のための制度であることも、実感した数ヵ月だった。

次回以降の記事で、気が向けば、もう少し立ち入ったことについて書くことになるかもしれない。もし続きが書かれない時には、この話題について書くだけのゆとりがまだ持てていないと思っていただければと思う。

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2009年2月15日:自分の時間の優先順位、母子同居の現実

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2009年2月15日 (日)

自分の時間の優先順位、母子同居の現実

最近、このブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」も、昨年の年末に3年近く続けていた、毎日更新が途切れて以降、すっかり更新の頻度が落ちてしまった。更新しても、将棋の記事ばかりで、私が書く将棋以外の記事に関心があって読んでいただいている方には申し訳ないと思っている。

年末以降この1ヵ月半の最大の変化は、私の母との同居である。私の母は、昭和一桁生まれで、70歳代後半となりいわゆる「後期高齢者」に属する。それでも、昨年の年末までは、私が育った実家で、1人暮らしをしていた。私の父は昭和の終わりに、50歳代後半で亡くなっており、私の妹と弟が結婚や就職で家を出てからは、母は義母(父の母、私の祖母)と2人暮らしだった。その祖母も数年の入院生活の後、5年ほど前に亡くなり、その後、母は一人暮らしをしていた。

昨年年末、腰が痛くて動けないとの妻あてに連絡があった。たまたま、1月にある介護福祉士の資格試験をまとめてやろうと1週間ほど仕事を休むことにしていた妻は、急遽、私の実家に飛んだ。私も週末には、追っかけ実家に向かい、とりあえず腰痛が治るまでの間、東京の我が家で面倒を見ることにして、東京に連れて来た。
とはいえ、5人家族が暮らす4LDKの我が家は、子ども3人が成長した今となっては、あと1人家族を迎えるには決して広くはない。今まで、子ども1人に1部屋与えていたが、娘2人は1部屋で我慢してもらい、大掃除をして、いらない物を相当捨て、さらに2畳ほどのトランクルームを借りて、捨てきれないものを移し、4LDKの一部屋を母の部屋として確保した。年末の1週間ほどは、大掃除と我が家の大幅レイアウト変更に費やし、なんとか年内にようやく最低限の間取りができた。
年末の書く予定だった年賀状を書く時間はなく、年始にいただいた年賀状に返事を出すだけで精一杯だった。

年明けから本格的に始まった、一時的な私の母と私の家族5人の同居生活。私自身、結婚してから20年、何度か里帰りはしたが、大学卒業とともに会社の独身寮に入って以降、母と一つ屋根の下で、日常生活をともにするのは26年ぶりのことである。気がつけば、私自身が、私が家を出た頃の母と大差ない年齢になっている。

腰痛の方は、何とか1ヵ月ほどで痛みが引いたが、何気なく我が家で計った血圧が上が200前後、下が100前後といつ何が起こっても不思議ではない値を示し、病院通いはやめられず、同じ病院の中で、整形外科から循環器科に移ることになった。

これまでの経緯をざっと書けば、こんなところで、夫婦2人・子ども3人の5人の日常生活は、突然の闖入者である私の母に大きな影響をうけることとなった。腰痛や高血圧という母が抱える問題へ対応、母を迎えたことで、私自身を含む私の家族と母の間に生じる様々な軋轢への対処に時間を割かざるを得なくなった。必然的にブログを書くための時間の確保は難しくなり、ブログの更新が途絶えがちとなり、書けても裏付けの事実の確認が容易な将棋の記事だけというのが、この1ヵ月ほどの私の状況だ。

老いた親の世話をどうするのか、親の介護という避けては通れない問題が、とうとうやって来たということだろう。多分、これは、我々の世代にとって、自分自身の内面の問題である「中年期の危機(中年クライシス)」の次に、否応なく直面しなければならい問題なのだろう。親が老いたということは、自らもとうとう「老い」の入り口に立ったということだろう。
これからも、私自身の現実の問題として、このテーマをブログに書くことになると思う。

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