母の介護に振り回された5ヵ月間
昨年(2008年)暮れまで、約2年間毎日更新を続けていたこのブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」も、今年に入ってからは更新も途切れがちだった。以前は、読んだ本の感想、受験してきた様々な資格試験、心理学をメインにしたメンタル面について様々な雑感、気候や気象の話、そして将棋の話題、などなんとか1日1テーマを見つけて書き続けていたのだが、最近は将棋の話題だけに偏っていた。
これは、ブログを書いている私自身に、毎日ブログを書くだけの、時間的余裕と精神的余裕がなくなったことによる。
昨年の12月半ば、実家で一人暮らしをしていた私の母親が、腰が痛くて動けないと、私の妻に電話をしてきた。たまたま、介護福祉士試験を目前に控え、試験勉強の追い込みのため仕事を休む予定にしていた妻は、九州の私の実家に向かった。母の様子を見た妻は、このまま一人暮らしを続けるのは無理と判断して、私を呼び、2人で母を東京まで連れてきた。それが、昨年(2008年)の12月23日。母の寝起きのための部屋を確保するため、年末年始は大掃除と家の全体の模様替え。年賀状を書けたのは、年始に入り1月3日だった。
腰痛の原因は脊柱管狭窄症にともなう椎間板ヘルニア。整形外科の医者の診断は、安静にして痛みが引くのをまつしかないとのこと。2週間ほど安静していたところ、痛みはほぼ引いた。
しかし、たまたま我が家のあった血圧計で血圧を測ってみたところ、上が200を超えることも。今度は、同じ病院の循環器科のかかることになった。血液検査では、コレステロールも高い。どうも、実家では3食きちんと食事を摂っていたとは思われず、おなかがすくと袋菓子などを食べていたようだ。コレステロールも血圧も高いとは、危険は兆候。下手をすると血管が詰まって脳梗塞や心筋梗塞を起こすかもしれない。
母には、ネット検索で見つけた、塩分1食2g、熱量も300カロリー台という冷凍のカロリーコントロール食を食べさせ、食後のデザートやおやつのお菓子は極力控えさせ、少しでも体を動かすよう我が家の周りを5分でも10分でもいいので参加するように勧めた。降圧剤と合わせ、食事のコントロールと運動を1ヵ月ほど続けると、上も150~160くらいまで下がるようになり、4月頃には上が140を切り、正常値の範囲に収まるようになった。
そのカロリーコントロールの最中には、たまたま外食したときに食べたムール貝に当たったのか、激しい下痢と脱水症状を起こし、点滴のため、仕事から帰ったあと救急外来に連れて行ったこともあった。
我々から見ると、まだ体調が万全とは言い難かったが、本人は早く自分の家に帰りたいと言う。確かに我が家に居る時は、体調がある程度戻った後も、昼間でもベッドに横になり寝ていることが多く、たまに新聞を読んだり、テレビを見たり、雑誌を読んだりしているが、それほど集中している訳でもない。我が家の周りに、知り合いがいるわけでもない。これでは、「ボケ」てしまうと思い、私は5月の半ばに会社を3日ほど休み、妻と2人で九州の実家に母を連れて帰った。
しかし、現在の状況のままで、一人暮らしにもどれば、いずれ昨年暮れと同じように、体調を崩すのは明らかである。介護保険制度を利用して、週2回ホームヘルパーに来てもらうことにして、とりあえず実家での母の一人暮らしが再開されることになった。
以上が、この5ヵ月間の母の介護を巡る顛末の要約である。
就職して家を出るまで、22年間一緒に暮らしたはずなのだが、今回久しぶりに一緒に暮らしてみて、自分自身、自分の母親のことを理解していなかったことを痛感した。
そして、自分の家族を抱えながら、年老いた親と同居することが、想像以上に困難を極めるものであることも、思わずにはいられなかった。
また、介護保険制度は、介護されるお年寄りのための制度であるとともに、介護する側の家族のための制度であることも、実感した数ヵ月だった。
次回以降の記事で、気が向けば、もう少し立ち入ったことについて書くことになるかもしれない。もし続きが書かれない時には、この話題について書くだけのゆとりがまだ持てていないと思っていただければと思う。
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