2006年6月 3日 (土)

ファンタジー全盛の中で考えること(3)-「善」と「悪」の戦い?

前々回前回と『魔法ファンタジーの世界』から、長々と引用させてもらったが、私が最近、子供たちが見ているアニメを見ていて、感じていたこととすごく近い気がしたからだ。

最近、子供たちの間で流行っているアニメは、我々が住んでいる現実世界とは、違うルールで動いている別の世界での話が多くなっているような気がする。

それが、いわゆるこれまでファンタジーと呼ばれてきた範疇に入るものなのかどうかは何とも言えないが、別の世界は、霊界であったり、未来社会らしきところであったり、いずれにせよ、現実世界とは違うルールで動いており、しばしば魔法や超能力のようなものがまかり通り、闇の世界の支配者や絶対悪のような存在がいる。

一方、主人公には、常人にはない超人的な能力や霊力が潜在している。悪役に窮地に追い詰められた主人公は、最後は、潜在的に持つ超能力や霊力で、窮地を脱するし、それはしばしば、相手を殲滅し殺戮という形で終わる。見ていて、何の得るところも無いし、楽しくもない。

作者は、心を病んでいるのではないか?自分の中の、不安やいらだちを、そのような形で漫画として表現しているだけではないか?それを喜んで読むファンがいて、それがアニメとなり更に多くに見られるようになる。どこか、間違っていないか?
我が家では、TVゲームは買っていないので、ゲームの世界の話はわからないが、似たりよったりだろう。

著者は言う。

そもそも、なぜこれほど恐ろしいもの、グロテスクなもの、血みどろなものが求められるようになったのだろう。ここでは、その謎にまで踏み込んでいく余裕はないが、現在の魔法ファンタジーがそういう需要にも支えられたものだということは、気にかけておかねばならない。魔法ファンタジーによくある「善」と「悪」の戦い、「光」と「闇」の戦いとはいう構図には、たしかに人間の暴力への欲求、だれかを痛めつけることへの欲求を、野放図に解き放ってしまいかねない恐ろしさがあるのだ。(同書98ページ)

優れた良質のファンタジーは、そのようなものではないはずだ。ファンタジーという枠組みだけを借りた、単なる俗悪なファンタジーもどきがはびこっていないか?リアリズムの作品であれば、到底受け入れられないものが、蔓延していないか?自分の身の回りをもう一度、見直す必要があると思う。何を読み、何を見るべきか(あるいは見るべきでないか)、親として子供たちに対しても、語りかける必要があるだろう。

ちなみに、『魔法ファンタジーの世界』という本では、私がとりあげたような話題は、そのほんの一部であって、その大部分は、優れた良質なファンタジーについての評論であり、特にそのルーツである、ヨーロッパ各地の伝説や神話について語っている部分は一読の価値があると思うので、念のため。

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ファンタジー全盛の中で考えること(2)-「正義」だと信じるあやうさ

前回、リアリズムの世界が制約があって書けないことも、ファンタジーであれば書けてしまうというところまで書いたかが、これによって新天地が開かれたのが、冒険物語であると著者は語る。

19世紀の冒険物語は基本的にリアリズムで、ヴェルヌの空想科学小説が異色だが、20世紀に入ってこのジャンルが急速に衰退した理由ははっきりしている。その理由のひとつは、主人公の行く手をはばむ敵として、人食い人種、インディアン、敵国の人間などを気楽に使えなくなったことであり、もうひとつは、(中略)交通手段、通信手段が便利になりすぎて、「ジャングルの中で行方不明」といった状況がリアリティを感じさせにくくなったということだ。(『魔法ファンタジーの世界』68ページ)

(中略)新天地の可能性が明らかになるにつれて、以前ならリアリズムの冒険物語作家になったはずの人たちが、大挙してファンタジーの世界になだれこんでくることになった。(同書69ページ)

ここで、問題が生じて来る。

リアリズムの冒険物語における敵は、どんなに凶悪でも人間は人間だし、ライオンや大蛇の場合は危険なだけで悪とは言えないわけだが、ファンタジーにおける敵は、場合によってはもっとおそろしい「絶対悪」になることもある。「絶対悪」が相手なら、それを倒すためにどんな手段を使ってもいいじゃないか、ということになりかねない。(同書69ページ)

一方、著者の懸念は以下の通りだ。

最近、ひとつ気になっていることがある。それは、最近のファンタジー的な読み物、アニメ、ゲームの類に、「しかえし」や「こらしめ」の欲望を魔法で満たすというものが、目立って増えているように思えることだ。それらが歓迎されているのだとしたら、「しかえし」や「こらしめ」の欲望に共感をいだく読者が増えているということになる。 たしかに、「しかえし」や「こらしめ」は、主人公や自分が善で相手が悪であることに何の疑問も持たなければ、すかっと気分のいいものではある。しかし、そんな気分の良さに身をゆだねているのは、とても危なっかしいことではないだろうか。(同書39-40ページ)

自分が正義の側にいると信じることの恐ろしさは、悪の側にいる物をどんなに厳しく処罰してもかまわないように思えてしまうことだ。(中略)最近の子供たちに人気のあるアニメ、ゲーム読み物などのなかには、殺すことも含んだ血なまぐさい「こらしめ」が、ふんだんに盛り込まれていいるようで、その恐ろしさは言語に絶する。(同書96、98ページ)

我々自身、日常の生活の中で、自分の方が正しい、正義であると思い、相手を「こらしめる」ことを正当化していないか。物事は、何事も二面性があり、絶対的な正義も、絶対悪も本当は、存在しないのではないだろうか?そんなことを考えさせられた。(長くなったので、更に次回へ)

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ファンタジー全盛の中で考えること(1)-何でもありの世界

岩波新書の新赤版が1000点を突破したとのことで、赤版に変化はないもののカバーのデザインや装丁がリニューアルされ、4月、5月は例月より多く新刊が10冊ずつ出版された。そのうちの1冊に脇明子著『魔法ファンタジーの世界』がある。著者は、大学教授として比較文学を研究する一方、翻訳家として数々の児童文学を翻訳している。

トールキンの「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」やC.S.ルイスのナルニア国ものがたりの第1巻『ライオンと魔女』が映画化されヒットをしており、さらにスタジオジブリもル=グウィンの「ケド戦記」をアニメ映画化するなど世を上げてファンタジーブームの中で、岩波書店もなかなか商魂たくましいなと思いつつも、ファンジーにも昔から興味はあるので、さっそく読んでみた。

「指輪物語」、「ナルニア国ものがたり」、「ゲド戦記」などにたびたびふれている(何故か「ハリー・ポッター」については、まったくふれられていない)のは当然だが、そのことよりも、私が最も関心を持ち、共感したのは、著者が、現在のファンタジーブームに懸念を示している部分だ。

著者は、ゲームやアニメでファンタジー全盛の中で、児童文学でのファンタジーの名作は必ずしも、子供たちに届きにくくなっているのではないか、読まれても十分理解されていないのではないかと懸念している。ファンタジーに対比されるものは、リアリズム作品。これは、現実の世界を舞台したものである。著者曰く

リアリズムの場合は、設定に矛盾がなく、出来事の筋がきちんと通っていること、登場人物の言動にリアルな一貫性があることが、いい作品の最低条件だ。それを満たしていないダイジェストや、ご都合主義のライトノベルの類が、読むに値しない本であることは、かんたんに説明できる。物語の世界や人物たちにリアルな一貫性がないと、思考力を働かせて理解していくことができないし、想像力もうまく働いてくれないのだ。(『魔法ファンタジーの世界』4ページ)

まったく、その通りだろう。これは、なにも児童文学に限らず、小説も含め、現実世界を舞台にした作品全般に言えることだろう。一方、ファンタジーについては、

ところが、ファンタジーはそうはいかない。現実にありえないことを書いてこそファンタジーだから、矛盾はどうしたって避けられないし、矛盾が少なければ少ないほどいい作品だとも決められない。(同書5ページ)

結果として、何がいいファンタジーかという尺度がないことが、著者の感性ではいいと思っても、論理的に説明できないもどかしさ、ジレンマを抱えているようにみえる。

また、現実にありえないことを書くのがファンタジーということを逆手に取ると、リアリズムの世界で書こうとすると数々の制約があって書けないことも、ファンタジーでは書けてしまうことになる。著者のもどかしさと懸念も、そのことと不可分に結びついている。(以下、長くなるので次回へ)

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