2021年1月11日 (月)

大学ラグビー 天理大学 初の日本一

 今日の第57回全国大学ラグビーフットボール選手権大会決勝で天理大学が早稲田大学を55-28で破り、初めての大学ラグビー日本一の栄冠を手にした。これまで大会の歴史の中で、優勝の栄冠を手にした大学は9校。10行めに天理大学が名を連ねることになった。

 

思えば、平成20年代の大学ラグビーは、帝京大学の独壇場だった。2009(平成21)年の第46回全国大学ラグビーフットボール選手権大会決勝は、帝京大学と東海大学の顔合わせとなり、前年度の決勝戦で早稲田大学に敗れて準優勝だった帝京大学が14-13で東海大学を破り、初優勝の栄冠を手にした。そこから2017(平成29)年の第54回大会まで前人未踏の9連覇を成し遂げた。
 2019年のラグビーワールドカップ日本大会の日本代表にも、中村亮土、流大、坂手淳史、松田力也など9連覇中の帝京大学出身者が多い。当時の帝京大学の力は大学の中では図抜けていて、チームとしての目標も、大学日本一にとどまらず、日本選手権でトップリーグ所属チームを倒すことを目標にしていた。
 当時の帝京大学は他校と比べフィジカルの強さに加え、従来の上意下達・上級生絶対の日本の体育会系文化とは一線を画し、寮での雑用は上級生が行い下級生には大学生活や寮生活に早く慣れさせるといった独自の教育方針も話題になった。
 帝京大学の強さは他大学とは別格で、帝京の時代が永遠に続くようにも思われたが、かつて大学ラグビーで覇を唱えた早稲田大学や明治大学もその間に改革に取り組んだに違いない。2017(平成29)年度の第54回大会決勝は帝京大学vs明治大学で戦われ、帝京21-明治20という1点差で帝京が辛勝した。
 
 その翌年2018(平成30)年度の第55回大学選手権の準決勝で帝京の10連覇の夢を阻んだのは早稲田でも明治でもなく関西の雄天理大学、29-7というスコアで完勝だった。(帝京3連覇目の第48回大会の決勝は帝京大学対天理大学で、天理12-帝京15で天理は準優勝に終わっている)
 その後、決勝に駒を進めた天理は、対抗戦グループ4位から出場し準決勝で宿敵早稲田を撃破した明治大学の前に17対22で涙を飲んだ。明治は22年ぶりの大学日本一だった。

 

 2019年(平成31・令和元)年度では、準決勝で早稲田大学と対戦。明治への雪辱に燃える早稲田の齋藤直人・岸岡智樹のゲームメイクの前に14-52と大敗した。その早稲田は決勝で明治に雪辱を果たし、11年ぶりの大学日本一となった。

 

 2020(令和2)年度の今年、その天理大学が準決勝で明治(15-41)、決勝で早稲田(28-55)を破った。メンバーを見れば、SH藤原忍・SO松永拓朗は、2年前の帝京撃破の時からスタメン。昨年の早稲田のSH齋藤直人・SO岸岡智樹も2年生からスタメンだった。
 9連覇の帝京打倒を目標に各大学が強化を進めた結果、各大学のレベルが上がり、実力が拮抗する中、大学ラグビーでも経験値やチームとしての熟成といったものが、より重要になってきたのかも知れない。
 
 大学ラグビーが群雄割拠となり、どこが優勝してもおかしくないような状況になることが、日本のラグビー全体の底上げにつながり、2023年のワールドカップでの日本代表の活躍を支えることになるだろう。

 

 今年で主力の多くが卒業する天理大学がどの程度力を維持できるか、ここのところ決勝から遠ざかるかつての覇者帝京大学の復活はあるのか、名門早稲田・明治はどうするのか、来年の大学ラグビーも楽しみだ。

 

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2015年9月22日 (火)

ラグビーワールドカップ2015で、日本が過去2回優勝の南アフリカを破る

世間ではほとんど注目を浴びていなかったことが、ある日を境に突然もマスコミがこぞって取り上げ、一気にに時の人やチームになることがある。スポーツの世界では特に。

2006年のトリノ五輪の女子フィギアスケートで優勝した荒川静香、2008年の北京五輪のフェンシングで銀メダルを獲った太田雄貴など。最近では、4年前の2011年サッカー女子ワールドカップで日本代表が優勝した時がそうだ。ドイツで行われたこの大会の前、世間では女子サッカーはほとんど見向きもされていなかったし、代表チームが日本をいつ出発したか関係者以外は誰も知らなかっただろう。それが、あれよあれよと勝ち進み、準々決勝でドイツを延長の末破って準決勝に進出を決めたあたりから、日本の中でもフィーバーが始まり、「なべしこジャパン」という中で広く知られるようになった。
延長の末米国をPK戦で破り、金メダルを獲得した彼女たちの帰国を、日本中が大フィーバーで迎えたのは、記憶に新しい。

先週9月18日からイギリスで始まった第8回ラグビーワールドカップ。翌19日に行われた予選Bプールの初戦で日本代表チームが過去2回の優勝を誇る強豪南アフリカ代表を34対32にで破り、日本ラグビーの歴史を塗り替えたと新聞テレビで大々的に報じられた。日本国内だけでなく、海外メディアでも番狂わせを意味するGIANT KILLINGやUPSETという単語が目につく。

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(日本ラグビーフットボール協会HPより)

遅ればせながら、NHKBSの再放送で試合開始から終了までの80分をじっくり見た。まず、開始直後、相手の反則で得たペナルティーゴール(PG)をフルバック五郎丸が決めて3点先取のスタート。日本は体格で上回る相手に果敢タックルし、自由にボールを回させない。その後、PG1本失敗後トライ・1ゴールを返され、3-7となって流れが変わるかと心配するが、まったく物怖じすることなく、ドライビングモールからキャプテンリーチがトライを奪い、五郎丸がゴールも決めて10-7と逆転。直後にトライを奪われたが、相手キッカーがゴールを外し、10-12の僅差で前半を終えた。
後半も開始早々、相手反則からのPGを五郎丸が決めて、13-12と再びリード。それもつかの間、相手FWの突進を許し、ゴールも決まって13-19。後半開始直後の6点差のところが一つのポイントだったろう。ここで、次の得点を南アフリカが取っていればゲームがどうなっていたかはわからないが、相手の反則によるPGを五郎丸が確実に決め、16-19、19-19と追いついた。その後、PGを取り合って19-22、22-22と南アフリカがリードすれば日本が追いつくという展開が続き、残り20分。
しかし、南アフリカも強い。後半21分、FWの突進でトライ。ゴールも決めて、22-29。このゲームで初めて1トライ・1ゴールの7点の差が開いた。ここが2つめのポイントだったろう。しかし、日本は正攻法の素早くボールを回し、一歩でも前に進むという基本を徹底し、何度も相手に倒されながらも拠点から展開し、最後はフルバックの五郎丸が走り込んでトライ(後半28分)。自らゴールも決め、三度(みたび)追いついた。
振り払っても、振り払っても追いすがる日本チームに、南アフリカは何を感じただろうか?

後半32分、日本の陣地深くで日本の反則に、南アフリカはペナルティーキックを選択。PGによる3点を加えて、29-32とリードした。前半ではキックせずにトライを狙い回してきたのではないかと思うが、日本の基本に忠実な守りとあきめない攻めの姿勢に、南アフリカも積極策はとれなかった。
ここが3つめのポイントだろう。ここで南アフリカのリードが1トライで逆転可能な3点差にとどまったことで、日本は諦めずに攻め続けることになる。

残り5分を過ぎると、日本が南アフリカを攻め、ゴールラインぎりぎりで南アフリカが耐える時間が続く。38分、南アフリカは日本の攻めに対応しきれず反則で10分間の選手退場というペナルティー。
日本はPGによる2点で同点引き分けの選択をせず、攻め続ける。40分を過ぎても攻めは途切れず、42分に途中交代で入ったヘスケスが各選手がつないで来たボールを相手選手のタックルで外に押し出されながらも、ゴール左隅にダウンボールしてトライ。後半は開始当初のPGでの1点リード以外、追いつくのがやっとだった日本代表だが、最後の最後で34-32と逆転した。すでに40分を回り日本のゴールキックで試合終了は確実で、日本ラグビー史上、それどころか世界のラグビーの歴史にも記録されるであろう戦いの決着がついた。

この日本-南アフリカ戦は、一ラグビーファンとして観戦して、大変見応えのあるおもしろい試合だった。両チームとも、多少の反則はあったが、ラフプレーやアンフェアなプレー、ノッコンも数回と凡ミスもほとんどなく、キック合戦になることもなく、お互いがボールを回す、タックルをするという正攻法で堂々と戦った。これには、それぞれのチームの選手が紳士であったこと、審判のジャッジもどこまでアドバンテージを見るかも含め的確だったのだろう。

今回の日本代表の目標は予選プールで2位以内として、ベスト8に駒を進めることである。明日23日には第2戦となるスコットランド戦、 10月3日にはサモア戦、同11日には米国戦を控えている。この4チームの中で2位以内に入って初めて、本来の目標達成となる。4チームの中で、最もランキングの高い南アフリカの勝ち、勝ち点4を得たことはベスト8に向け、最高のスタートを切ったといえる。残る3戦であと2勝は必要だろう。
ここまで来たら、ベスト8に進んでもらいたい。

日本ラグビーフットボール協会のレビュー

https://www.rugby-japan.jp/2015/09/20/rwc2015_sa_review/

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2012年8月26日 (日)

2012年ロンドンオリンピック、日本女子バレー銅メダルの快挙をたたえる

ロンドンオリンピックでの選手達の活躍に日本中の人たちが一喜一憂した2012年の夏も終ろうとしている。
ロンドンオリンピックで日本選手団のメダル獲得数は、8年前のアテネのオリンピック37個を上回る38個。お家芸と言われる柔道が総じて不振の中、競泳陣が戦後最多の11個のメダルを獲得したほか、女子レスリングでの3つの金メダル、またサッカー女子のなでしこジャパンの銀メダルを筆頭に女子の団体競技でのメダル獲得が目立った。

ワールドカップ金メダルに続き金メダルを目指したサッカーのなでしこジャパンや、福原愛・石川佳純・平野早矢香のトリオで団体戦のメダルを狙いそれを実現させた卓球に比べ、五輪前にはマスコミなどでもメダル候補にあげられることのなかった女子バレーの銅メダル獲得は特筆すべきものだろう。

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1964年の東京オリンピックと1976年のモントリオールオリンピックで金メダルの栄冠に輝いた日本の女子バレーも、メダルは1984年のロサンゼルスオリンピックでの銅メダルが最後。2000年のシドニーオリンピックでは最終予選で敗退し出場さえかなわなかった。

シドニー予選敗退の危機的な状況の中、女子バレーの監督を引き受けたのが、もと新日鉄堺でセッターを務めた柳本晶一。2004年の「アテネオリンピック出場・メダル獲得」を掲げ、全日本メンバーから外れていたベテランの吉原知子をキャプテンで呼び戻し、若手の栗原恵、大山加奈、木村沙織の抜擢など選手も大幅に入れ替えた柳本ジャパンは最終予選を突破しアテネ出場を果たした。しかし、本大会では実力を十分に発揮しきれないまま、準々決勝で中国に0-3で敗れ5位に終った(中国は決勝まで進み金メダル獲得)。
同じ柳本監督の指揮で臨んだ2008年の北京オリンピックも、予選A組4位で決勝トーナメントに進出したが、準々決勝でB組1位のブラジルと対戦し、やはり0-3で敗れ5位(この大会も日本が敗れたブラジルが金メダルを獲得した)。

2大会指揮を執った柳本監督は退任し、2008年12月にロンドンオリンピックにむけた新生全日本女子の指揮を任されたのが真鍋政義監督。
攻撃陣で新たな選手の登用、発売間もないipadを使ってデータ分析に基づく采配を行い、2010年の世界バレー(世界選手権)ではベスト4に進み、3位決定戦で3-2でアメリカを破り銅メダルを獲得し、日本女子バレー復活ののろしを上げた。
ここまでは、順風満帆の真鍋ジャパン。目論むのは、ロンドンオリンピックの前年2011年のワールドカップで3位以内に入り世界最終予選を待たずに出場権を決めること。日本は大会後半でブラジルやアメリカといった強豪に勝利したが、大会開始直後に中国に2-3で敗れたことが響き、中国と同じ8勝3敗ながら勝ち点で中国を下回り4位。オリンピック出場を決められなかった。

2012年5月のロンドンオリンピックの世界最終予選兼アジア最終予選では、8チームで世界枠3・アジア枠1を争った。大会前、真鍋監督は1位通過を目指すと宣言したが、結果は連勝を続けていた韓国に敗れるなど4勝3敗に終わりロシア(7戦全勝)、韓国(5勝2敗)、セルビア(5勝2敗)に次ぐ全体の4位、5位には同じアジアのタイが4勝3敗で並び、辛くもセット率の差でアジア1位での出場を決めるにとどまった。

2010年の世界バレーでの銅メダル獲得が華々しかっただけに、ワールドカップ、世界最終予選での戦いぶりは、素人目には、全日本の土壇場でのひ弱さやチーム力の伸び悩みを感じさせ、「真鍋ジャパンは世界バレーがピーク」というのが、ロンドンオリンピック前の大方の見方だったのではないかと思う。
ロンドンオリンピックのチーム編成では、アテネ、北京では主力選手としてチームを支えた栗原恵が選出されなかった。

ロンドンオリンピックでは、12ヵ国を6チームに分け、日本は予選A組。ロシア、イタリア、イギリス、ドミニカ、アルジェリアとのリーグ戦に臨んだ。結果は、1位ロシア(5勝)、イタリア(4勝1敗、2位)に敗れ、3勝2敗でA組3位で準々決勝に進んだ。(4位はドミニカ)
予選B組は、1位アメリカ(5勝)、2位中国(3勝2敗、勝点9)、3位韓国(2勝3敗、勝点8)、4位ブラジル(3勝2敗、勝点7)と混戦。
この結果、準々決勝は試合順に日本(A3)vs中国(B2)、ロシア(A組1位)vsブラジル(B組4位)、アメリカ(B1)vsドミニカ(A4)、イタリア(A2)vs韓国(B3)の組み合わせとなった。
順当にいけば、予選での成績が上位のチームが勝つところだが、準々決勝は波乱が続いた。

まずは日本が宿敵中国を相手に、
第1セット日本28-中国26
第2セット日本23-中国25
第3セット日本25-中国23
第4セット日本23-中国25
第5セット日本18-中国16
と激戦を繰りひろげた。どのセットも2点差。総得点も日本117点対中国115点とどちらが勝ってもおかしくない均衡したゲームだった。

この試合は中継を見ていのたが、第5セットは心配で見ていられなかった。14対13で一度はマッチポイントを握ったが、中国も譲らない。その後、中国にマッチポイントを握られる場面もあったが、木村・江畑の活躍でしのぎ、16対16となったところで、真鍋監督はピンチサーバーで控えのセッター中道を起用。
この采配が見事に当たり、中道のサーブが中国を崩す。中国からの返球をキャプテン荒木絵里香がダイレクトで打ち返し、17対16。さらに次の中道のサーブを中国選手がそらし、2人目の選手はなんとさわろうと足を出すが、ボールの飛んだ先は日本のコートの遙か外。最後は中道の2本のサーブが粘る中国にとどめを刺した。これまで、オリンピックでは中国に勝てなかった日本が大きな壁を乗り越えて、ベスト4に進んだ。この中国戦の勝利でメダルに大きく近づいた。

その後の試合では、ブラジルがロシアに3-2で勝ち、韓国がイタリアに3-1で勝ちと、どちらもB組の下位チームが勝って、A組の上位2チームが姿を消した。最後のアメリカvsドミニカ戦はアメリカが順当に勝って、準決勝に進んだ。
(日本にとっては予選リーグで完敗したロシアとイタリアが敗れたこは、メダル獲得の可能性を高めただろう)

準決勝はアメリカ対韓国、日本対ブラジル。どちらも、3-0でアメリカとブラジルが勝って、決勝はアメリア対ブラジル、3位決定戦は日本対韓国の組み合わせとなった。

日本の最後の試合は、銅メダルをかけてアジアのライバル韓国との戦い。真鍋監督は、これまで活躍してきた江畑を下げ、韓国戦では江畑より結果を残していた迫田を起用した。
第1セット25-22。日本が出だし4連続ポイントでリードを奪うが、韓国が追い着く展開。韓国がセットを取ってもおかしくない展開ではあったが、韓国のミスにも救われて、最後は日本が突き放した。
第2セットも、第1セット同様日本がスタートダッシュ5連続ポイントで韓国をリードし、一時は8-1と大きくリード。しかし韓国も徐々に差を詰め、最後にはジュースまで持ち込むが、24対24から迫田が決め、韓国のミスも出てこのセットも26-24で日本が取った。
第3セットは、最初から一進一退で、むしろ韓国が若干リードで進む展開。日本も離れずについていき、2回めのテクニカルタイムアウトの時点では16-15と日本がポイントを取ってタイムアウトに入った。直後、大友愛のサービスエースが出るなどしたが、韓国も離れない。20点を超えたあとは、日本の攻撃がリードを広げ韓国を振り切り、見れば3-0で日本が銅メダルを決めた。
終ってみれば、江畑に代えて起用した迫田が23本のスパイクを決める大活躍で、真鍋采配がずばりと当たった3位決定戦だった。

今回の参加12チームで総当たりのリーグ戦を行ったら、果たして日本が3位になっていたかはわからない。準々決勝で敗れたロシア、イタリア、中国を含めて、7チームはどこがメダルを獲得してもおかしくなかっただろう。それだけ、チーム力は拮抗していたと思う。

オリンピックという4年に1度の大会にあわせて調整できるか、大会での予選のグループ分けでどちらに入るか決勝トーナメントの組み合わせがどうなるか、大会に入ってからの選手個々の調子、それを総合したチームの調子、団結力。また、その対戦相手の状況を分析するスタッフの力。今回、日本チームは、それらの全てがうまく組み合わさって、銅メダルに手が届いたように思う。

2年前の世界選手権での銅メダルの経験を下敷きに、その後の2年間の紆余曲折も無駄にせず、このロンドンオリンピックの銅メダルにつなげた真鍋ジャパンに栄光あれ。

真鍋ジャパンの軌跡をたどりたい方には、以下の本がオススメ。

・世界バレー銅メダル獲得後に出版された真鍋監督の著書

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2011年11月20日 (日)

福岡ソフトバンクホークス、念願の日本シリーズ優勝、日本一をつかむ

2011年のプロ野球日本シリーズは、中日ドラゴンズと福岡ソフトバンクホークスというセパ両リーグのレギュラーシーズン優勝チームが、クライマックスシリーズも勝ち抜き、相まみえることとなった。

ソフトバンクは、前のダイエーホークス時代の2003年に日本一になったあとは、2004年からの7年間、レギュラーシーズン1位が3回、3位が3回とプレーオフ、クライマックスシリーズに駒を進めながら、あと1歩のところで、日本シリーズ進出を阻まれてきた。

8年めの今年ようやく、レギュラーシーズンを制し、クライマックスシリーズでも2位の西武ライオンズを3タテで下し、文句なしの成績で日本シリーズ進出を決めた。

しかし、福岡ヤフードームでの第1戦、第2戦とも1対1で延長となり10回表抑えの馬原が中日に打たれ、2試合とも1対2で敗れ、まさかの2連敗スタート。この時には、誰もが、ナゴヤドームでの中日の胴上げを予想したに違いない。

シリーズの分岐点はいくつかあると思うが、ナゴヤでの初戦第3戦でソフトバンクが勝ったあとの第4戦の6回裏。ソフトバンクは2対1でリードしていたが、先発ホールトンが、中日の3番森野、4番ブランコに連打を浴び、さらに5番の和田が四球で、ノーアウト満塁。絶体絶命のピンチ。そこでリリーフとして登板した中継ぎの森福が、後続の3人を三振、レフトフライ、ショートゴロと完璧に抑え、試合もそのまま2対1で終了した。もしあそこで、同点や逆転ということになっていれば、、ソフトバンクが勝利を手中にできたかはわからない。あの試合にソフトバンクが落としていれば、シリーズの行方もどうなっていたかはわからない。

第5戦はソフトバンクが5対0で勝ち、福岡に戻った第6戦は中日が2対1で勝った。

そして迎えた今日の第7戦。お互い、なかなか点が取れない展開は今日も変らず、ソフトバンクが3回に無死満塁で川崎が押し出しの四球の1点のみ。4回は二死一塁、二塁で捕手山崎のタイムリーの1点のみ。
しかし、その後5回、6回は中日投手陣に抑えられ、まだ安心できない。
7回から、もう1点もやれない中日は抑えのエース浅尾を投入。しかし、ソフトバンクは一死後、四球選んだ川崎を送りバントで二塁に進め、次の内川がタイムリーヒットで3点目。勝利を大きく引き寄せた。

7回までエース杉内で中日を零封していたソフトバンクは、8回からファルケンボーグを投入。8回を3人で抑えたが、9回先頭打者井端にピッチャー強襲打を肘に受けて降板というハプニングもあったが、その後、森野、摂津というこのシリーズで活躍した投手2名を投入して9回を零点に抑え、日本一を手にした。

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福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト
http://www.softbankhawks.co.jp/index2.php

この2003年以降のホークスの無念を、ファンの一人として眺め続けてきたので、ようやく念願が叶ったというところだ。

福岡ソフトバンクホークス、優勝バンザイ。

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2011年8月 8日 (月)

おくればせながら、なでしこジャパンのワールドカップ優勝の足跡をふりかえる

2011年の日本の10大ニュースを考えた時、まずトップに来るのが、東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原発の事故であることは間違いないと思うが、スポーツの分野では「なでしこジャパン(女子サッカー日本代表)のワールドカップ優勝」が必ず選ばれ、おそらくトップになるだろう。

しかし、日本では、そもそも今年女子サッカーのワールドカップが開かれることもどれだけの人が知っていたのかわからないし、彼女たちがいつ開催国ドイツに向けて出発しかたさえ知らなかったと思う。それほど、「なでしこ」への関心は薄かったし、期待もされていなかったように思う。

予選リーグが始まって2連勝し、決勝トーナメント進出が決まって、ようやくマスコミにも注目され出したように思うが、その矢先3戦目にイングランドに敗れ、予選B組2位となり決勝トーナメント初戦に優勝候補のドイツと戦うことになって、やはりここまでかと思った人も多かったに違いない。(少なくとも、私はそうだった)
いつも試合の中継が明け方だったこともあって、その後も結果は朝のニュースで聞くだけ。勝ったことのなかったドイツに途中出場の丸山の決勝ゴールで勝ってワールドカップ初のベスト4、メダルのかかる準決勝スウェーデン戦では初スタメンの川澄の2ゴールで快勝して銀メダル以上が確定と、あれよあれよというまに決勝という舞台に勝ち進んでいった。

難敵ドイツにとどめをさした丸山のゴールをゴールラインギリギリの浅い角度から蹴りこんでドイツゴールのサイドネットを揺らす技ありのシュートだった。
また、スウェーデンに戦意を喪失させたに違いない3点目、キーパーが前に飛び出したところを狙った川澄の弧を描くシュートがゴールに吸い込まれるシーンは、お見事というほかなかった。

結局、日本時間の7月18日(月)午前3時からの試合も、18日が海の日で休みということをすっかり忘れていて、月曜日の明け方だから仕事を考えると無理だなと、いつも通りに寝てしまった。18日の朝起きて気がついたが、既に遅い。おそるおそるTVをつけてみると、どうやら日本が勝ったらしい。
NHKのニュースで見ると、90分の本戦、30分の延長戦ともどちらも先制され、終了間際に追いついて、PK戦を制しての勝利だった。
ここでも、残り10分を切ったところでの宮間の同点ゴール、延長戦でも先制されこちらは残り3分で、宮間のCKをキャプテン澤が右足アウトサイドであわせた劇的な同点シュートで追いついた。
2度の復活ののち、PK戦では逆を突かれたかに見えたアメリカの1人目の選手のシュート、GK海掘は左に横っ飛びしている体の上を抜けて行きそうなボールにかろうじて右足を反応させ空中でボールをはじきとばした。

こうして思い出しながら書いていても、いずれも絵になるドラマチックなシーンばかりだった。

話は、先週の半ば8月4日(木)のこと。大阪に出張していた私は、一緒に出張した同僚と飲みに行って部屋に戻ると、テレビをつけたまま寝てしまった。たしかNHKのBS1でニュースを見ていたのではないかと思う。10時頃部屋に戻り、シャワーを浴びて着替えて、ニュースを見ているうちに寝入ってしまったのだ。
ふと気がつくと、時計は5日(金)の午前1時を指している。つけたままのTVからは、なでしこジャパン対ドイツ戦の再放送が始まるという。思わず、試合終了まで見てしまった。
ニュースでは、丸山の決勝ゴールばかりが放送されたが、改めて試合開始から終了までを通しで見ると、選手交代での監督の采配、直接得点はしていないものの、個々の選手の動きも見ることができた。
また、丸山がゴールを決めて1対0とリードしてから、10分以上ドイツの猛攻を凌いでの勝利だったことも分かった。

翌日、翌々日と準決勝、決勝が同じ時間帯に再放送されるということで、頑張って起きてその2試合も見た。
準決勝のスウェーデン戦で初スタメンで2点を取り、一気にシンデレラ・ガールとなった川澄がその後、途中交代していること。2点のリードを保って、最終盤を迎えた時、監督はこれまで出場機会のなかった2選手を出場させるなど、細かい気配りをしていることがうかがえた。
試合運び、試合内容を見る限り、対戦相手としてはドイツの方が日本にとっては厳しい相手で、スウェーデンはチーム力からするとドイツには及ばないようにも見えた。

決勝のアメリカ戦は、勝つという結果がわかった上で見ていたので、それほどでもなかったが、結果がわかっていても、「はらはら、ドキドキ」の展開で、当日リアルタイムで見ていたらさぞ心臓に悪かったに違いない。
日本が、延長での澤の奇跡的な同点ゴールで追いついた後に、何とか延長戦のうちのカタをつけてしまおうというアメリカの反撃に対し、ディフェンスの岩清水が止めようとしてレッドカードで退場。ペナルティエリアのわずかに外からのフリーキックをなんとか凌いで、PK戦に持ち込んだことを知った。

3戦をすべて見て、改めて分かったことは得点を上げスポットライトを浴びた選手以外の選手の動きも見逃せないということだ。左右の両サイドバック、近賀、鮫島の2人の前線へ切り込んでくる動きは男子サッカーの長友を思わせるし、澤と2人で中盤を守った坂口の冷静なパス回しは、何度も解説者が褒めていた。

今回の優勝は、何度も絶体絶命のピンチに見舞われながら、佐々木監督、キャプテン澤のもと、チーム「なでしこ」として乗り切り、つかんだ栄冠だと思う。

FIFAの2011年女子ワールドカップの全試合ハイライト
http://www.fifa.com/womensworldcup/highlights/video/index.html

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2011年 8/18号 [雑誌]
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2011年 8/18号 [雑誌]

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2011年1月30日 (日)

サッカーアジアカップ、日本代表、耐え抜いて優勝をつかみ取る

日本時間で今日(2011年1月30日)の未明に行われたサッカーアジアカップの決勝。日本は延長戦の末、難敵オーストラリアを1対0で破って、優勝の栄冠を手にした。

YOUTUBEにアップされている決勝戦ハイライト

決勝トーナメントに入ってからは、準々決勝のカタール戦も、準決勝の韓国戦も、たまたま当日飲み会があって、TV中継を見るつもりでいながら、ちょっと横になったら朝まで寝入ってしまい、結果を翌朝のTVニュースで見て知った。どちらもタフなゲームだった。
予選でも格下のヨルダンに引き分けるなど、苦しんだ日本チーム。さらに、松井がけがで途中からリタイア。よくぞ、決勝まで勝ち残ったというのが正直な感想だ。

対するオーストラリアは、準決勝のウズベキスタン戦は6対0と圧勝。さらに、決勝までの5試合でわずか失点1。日本は、若きエース香川も韓国戦での骨折で決勝を前に離脱。楽観できる材料はほとんどない中、決勝を迎えた。

結局、前後半90分で決着がつかず延長戦へ。さらに延長前半も双方0対0で延長戦後半最後の15分を迎えた。

延長後半4分過ぎ、左サイドをドリブルで駆け上がった長友が、相手に競り勝ち、ゴール前にセンタリング。腰より少し高めのボールがオーストラリアゴール前に上がった。
再三、オーストラリアゴールを脅かした岡崎が長友の近くにいたこともあり、オーストラリアの守備陣は、岡崎のマークに注意が向いているようだった。
その裏で、長友のボールを待っていたのは、延長前半から前田に代えて投入された背番号19の李忠成。フリーでキーパーと対する形になった李は右足を軸に体を右に傾けて、空中を飛んでくる長友のボールをダイレクトに左足でボレーキック。朝のTVニュースの説明では、まるでサッカーアニメに出てくるような見事なシュートと言われた、矢のようなシュートがオーストラリアゴールの左上に突きささり、ゴールネットを揺らした。ゴールキーパーも呆然と見送るしかないような鮮やかなシュートだった。

その後、残り1分のオーストラリアの攻撃に、岡崎がボールを取りに走った際、手にボールが当たり、ハンドの反則。ゴール目前でオーストラリアのフリーキックとなった。日本は、ほとんどの選手が壁となって並ぶ。フリーキックのボールは壁に当たり、こぼれ、ゴール前に両国の選手が入り乱れたが、最後は日本が大きく左にクリア。同時に試合終了の笛がなった。

この試合をヒーローは間違いなく最後に決勝ゴールを決めた李だろうが、その前に延長含め120分、総じてオーストラリアの攻撃に押され気味な中、ゴールキーパー川島のファインセーブ、スーパーセーブが光った。

また、試合の流れを見たザッケローニ監督に采配も見事で、まず、前半、オーストラリアに主導権を握られ、日本らしい攻めができていないのを見て取ると、攻撃の藤本を下げ、守備に背の高い岩政を投入。そして、守備の長友を前に上げ、攻撃に投入した。
その結果、長友が左サイドから攻撃に参加する流ができ、自陣ゴール前ではオーストラリアの高さに対応できるようになり、押される一方だった試合の流れが少し変った。
そして、延長開始直後、攻撃のトップにいた前田を下げ、予選初戦のヨルダン戦以来の出場となる李を投入。
その2つの選手交代の采配が、最後に決勝点という形で結実した。

ザッケローニ・ジャパンのサッカーは見ていて面白い。これからのチームの成長が楽しみだ。

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2010年11月14日 (日)

2010世界バレー女子3位決定戦で、日本はアメリカを3‐2で破り銅メダル獲得。32年ぶりの快挙。

2010年10月29日から、日本を舞台に始まった世界バレー(バレーボール世界選手権)の女子大会。24ヵ国の代表チームが、第1次ラウンド・第2次ラウンドを経て12チームに絞り込まれ、決勝ラウンドを迎えた。各チームは第2次ラウンドまでの成績で、決勝トーナメント、5~8位決定トーナメント、9~12位決定トーナメントに分かれて戦う。

日本は第2次ラウンドでプールE2位となり、昨日(2010/11/13)の準決勝でプールF1位となった現在世界ランキング1位のブラジルと対戦。2セット先取し、決勝進出・銀メダル以上確定かと思わせたが、ブラジルの底力に一歩及ばずセットカウント2-3で惜しくも敗れた。

今日(2010/11/14)は、同じく昨日の準決勝でロシアに1-3で敗れたアメリカとの3位決定戦。銅メダルがかかる。すでに決勝トーナメント進出で世界選手権で28年ぶりのベスト4以上が確定しているが、さらにメダル獲得となれば32年ぶりである。なんとか、勝手ほしい。

7時からの放映開始に、テレビの前にかじりつく。心配されるのは、体力。昨日、フルセットの戦ったうえ、第2セットは35-33というスコアは世界バレー史上最長という厳しい戦いからまだ1日である。どのチームも同条件とはいえ、昨日ロシアと4セットしか戦ったいないアメリカのほうが消耗が少ないに違いない。

銅メダルがかかるアメリカ戦の第1セット、日本は18-25で失う。第2セットもアメリカリードで試合の中盤まで進む。2セット連取されると、ちょっと辛い。ここまで、日本躍進の立役者だった江畑幸子のスパイクがブロックに止められ、レシーブに拾われる。エース木村沙織のスパイクも決まらず、相手のサーブが続くいやな展開。
ここで、ベンチの真鍋監督は、江畑がサーブに回ったところで、昨日のブラジル戦でサーブやレシーブで活躍を見せた石田瑞穂をピンチサーバーで投入。その石田がレシーブでアメリカのスパイクを拾い、バックアタックまで決めた。ここで、日本チームの沈滞していたムードに変化が出て、離されかけていたアメリカに追いすがる。ベンチも前衛に回っても石田を使い続け、セッター竹下も石田を積極的に使う。昨日のブラジル戦で初めてベンチ入りした石田はデータがほとんどなく、結果的にアメリカをかく乱することに成功したようだ。13-13と追いつき、その後は20点すぎまでラリーが続いたが、最後は日本が25-23でセットを取った。石田の投入が流れを変えた。

第3セットは15点まで一進一退が続いたが、その後アメリカが抜け出して、アメリカ25-22で取り返した。日本はあとがなくなった。
第4セットは、今大会センタープレヤーでブロックで好成績を上げてきた井上香織に代えて、キャプテンの荒木絵里香を投入。荒木のクイック、サービスエース等活躍もあり、終始リードを保ったまま25-19で日本が取って、セットカウント2-2で第5セットの15点勝負に持ち込まれた。

15点で決着がつく第5セットはスタートダッシュが肝心。日本ベンチは、いい流れを切らないよう途中出場の石田と荒木を第5セットもそのまま使う。昨日のブラジル戦では、第5セットリードを許し、そのまま押し切られた。3-3までは、一進一退が続いたが、そこから、日本が抜け出して、2~3点のリードを保ちながら試合が進む。いったん、10-8まで詰められるが、そこから5点連取。3位を決め、悲願のメダル(銅)を獲得した。

Getphotojapanusa

真鍋監督の前任者である柳本監督率いる全日本女子がアテネオリンピックに出場を決めた世界最終予選の頃から、再びバレーボールファンとして、全日本女子チームを見続けてきた。
今回の真鍋ジャパンの世界バレーチームは、まずレシーブがうまくなって、簡単に点を取られなくなった。また、セット終盤になって少し点差が離れていても簡単にあきらめないし、ジュースなどの競った場面でも精神的に強くなった。
それを支えるのは、セッターでチームの要である竹下佳江だ。今回の大会をテレビ観戦していて、普通ではとてもスパイクが打てるようなトスは上がらないと思うような場所にボールがとんでいっても、とにかう打てる球を上げる、オーバーハンドであれアンダーハンドであれとにかくスパイクできるトスを上げる。それを木村や江畑が決め、何回ピンチを乗り切ったことだろう。

さらに、選手層が厚くなった。1年前のワールドグランプリで活躍した坂下麻衣子やプリンセスと呼ばれる狩野舞子も今回の14名のメンバーに選ばれていない。
新メンバーとして加わった江畑幸子が大会を通じて活躍し、第1次ラウンド・2次ランドではその江畑不調の時には迫田さおりが活躍をした。また、その決勝ラウンドではサーブのうまさが買われてベンチ入りした石田瑞穂が江畑の代役として銅メダル獲得へ貴重な働きをした。
また、センタープレイヤーも、柳本ジャパンでは杉山祥子と荒木絵里香だったが、真鍋ジャパンではクイック・ブロック井上香織が活躍し、さらに今回は今まであまり名前を聞くことがなかった山口舞がレギュラーとなってそのうまさで相手チームを翻弄している。さらに、アテネオリンピックの全日本代表として柳本ジャパンのオリンピック出場に貢献した山本愛(旧姓大友)愛が全日本に復帰。荒木はキャプテンでありながら、控えに回ることも多くなっている。竹下は、また一段とセッターとしてのスキルを高めたのではないだろうか。

今日の試合の勝利は、連戦でレギュラーメンバーが疲れる中、控えに回っていた石田や荒木を効果的に投入することで、チームのムード、攻め手を変え、総力戦で勝ち取ったチーム全体の勝利と言えるだろう。

興奮さめやらぬ夜になった。真鍋ジャパンの次なる目標は、オリンピックでのメダル獲得だろう。世界各国からも、よりマークされのは確実だが、現在のチーム力に磨きをかけ、さらにレベルアップしてオリンピックでもメダルを取ってほしいものだ。

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2010年6月30日 (水)

2010ワールドカップ南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦、日本代表はパラグアイ相手に0対0と善戦するもPK戦で敗れベスト8進出ならず

家に帰ったのは午後8時半過ぎ。9時から遅めの夕食を食べ、11時まで1時間ほど仮眠をして、ワールドカップの決勝トーナメント1回戦日本対パラグアイ戦に備えた。

予定通り11時少し前には目が覚めて、TVの中継を見つめる。前半0対0。後半も0対0。日本の守備はデンマーク戦と変わらず、相手に得点を与えない。しかし、パラグアイも守備は手堅い。ボールの支配率は6対4でパラグアイが上回り、日本も簡単にチャンスを作らせてもらえない。特に、中盤でいったんキープしたボールを相手に奪われることも多く、余計に日本の守備の時間が増えた。お互いチャンスは何回かあったが、得点には至らないまま延長戦を迎えた。

結局、延長戦でもお互い点を取ることはできず、決着はPK戦に持ち込まれた。コイントスの結果、パラグアイが先に蹴ることに。キーパー川島のファインセーブを期待したが、相手もプロ、外さない。
日本は、1人目遠藤、2人目長谷部は決めたが、3人目駒野がクロスバーに当てる失敗。4人目本田は決めたが、4人目を終えて、4対3。
パラグアイの5人目のキックもゴールに吸い込まれ、日本の2010年ワールドカップは終った。

しかし、これが今の日本チームの実力なのだろう。PK戦までもつれ込む互角の戦いをしたことで、決勝トーナメント進出がフロックでないことは示せたが、ベスト8、ベスト4へと進んでいくには、足りない何かがあるということなのだろう。

今回の代表チームは、もてる力を十二分に発揮したと思う。アウエイでの予選リーグ2勝、ベスト16進出は、日本サッカーの歴史に新しいページを書き加えたことは間違いない。残された更なる高みへの夢と希望は4年後に戦う選手たちに託すことになる。

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2010年6月24日 (木)

サッカー日本代表がデンマークを破り、2010ワールドカップ決勝トーナメント進出を決める

今日は、早朝3時15分に目覚まし時計をセットした。
3時30分キックオフのワールドカップの予選リーグE組の日本対デンマーク戦を見るためだ。1勝1敗どうしの対戦だが、得失点差(日本は0、デンマークは-1)で上回る日本は、勝てばもちろん、引き分けでも決勝トーナメント進出、ベスト16が決まる。

起きられたのは3時40分。スコアはまだ0対0。
それから10分もたたない前半17分、カメルーン戦の勝利の立役者本田がフリーキックを相手ゴールの左隅に叩き込んだ。待望の先制点。起きてて良かった。

そこから、また10分余りたった前半30分。日本は再びフリーキックのチャンス。蹴るのは今回も本田、と誰もが思う中、本田の隣に立っていた遠藤が走り出し、ボールを蹴った。相手の壁をよけるようにボールは弧を描き、先ほどとは反対のゴール右隅に吸い込まれた。絶好の追加点。

今大会フリーキックを直接決めたのは韓国選手の1本だけだったらしいのだが、日本選手が一気に2本も決めてしまった。

後半に入ると、後がないデンマークは、交代枠3名を早めに投入、キーパー以外全員攻撃のパワープレーに。日本は自陣で守備に回る時間が増える。相手の鋭いシュートがゴールのサイドバーに弾かれて命拾いする場面もあった。

なんとか、しのいでいたが、ペナルティエリアで反則を取られて、相手にペナルティーキックのチャンスを与えてしまう。後半36分、PKのキックそのものは、日本の守護神川島が反応して弾き返したが、こぼれ球にキッカーのトマソンがすぐ反応し、1点を奪われてしまった。これで2対1。ただ、トマソンがゴールに蹴りこむ際、ボールを阻止しようと倒れ込んだ川島をよけようとしたためか、左足を痛めたようで、足を引きずるのが、TVの画面からもはっきりわかった。逆転勝利のためには、11名のフル稼動が欠かせないデンマークにとって、犠牲の大きな1点でもあった。

デンマークが攻め主体で前がかりになれば、隙もできる。試合終了まで残り5分を切った後半42分、本田が左サイドから相手ゴール目前まで攻め込む。自らシュートかと思った瞬間、ゴール前に詰めていた岡崎にパス。本田をマークしていた、相手ディフェンダーとキーパーは、完全に振られて、ノーマークの岡崎が左足で方向を変えたボールは、ゴールの左隅に転がっていった。1点差としていた相手の戦意を喪失させるダメ押しの3点目。

後半45分を終え、ロスタイムは4分。その4分が10分にも思えたが、最後の2分間は、日本が相手ゴール前でボールをキープしながら時間を使い、最後は本田がシュート。外れたが、それからほどなくして、試合終了の笛がなった。予選リーググループE、2勝1敗(勝ち点6)の2位で堂々の決勝トーナメント進出だ。日本の技と堅い守りが目立った試合だった。2本のフリーキックによる得点は、今後対戦するチームに日本のセットプレー恐るべしとの印象を植付けたに違いない。

しかし、ワールドカップ前、韓国とのテストマッチに惨敗した姿を見た時、誰が、この決勝トーナメント進出を予想しただろうか。これまでの実績にとらわれず、その時の選手のコンディションを見て、非情とも思われるほどの選手の入れ替えをした岡田監督。あれだけかみ合っていなかったチームが、堅い守りと少ないチャンスを確実にものにする試合巧者に変身し、さらに一戦一戦成長している。やはり、監督の采配の妙というべきだろう。事前の練習試合はいくら負けても関係ない。本番のワールドカップで結果を残すこと、そう念じ続け、選手にも語り続けたに違いないが、この結果に一番安堵しているのは、岡田監督その人であろう。

また、改めて思うのは、第2戦でのオランダ戦での失点を最小の1点に抑えたことである。後半、1点失ったあと、少なくとも2回決定的なピンチがあった。1回は川島のファインセーブ、2回めも川島が弾いたボールがあわやゴールインするかという瀬戸際で中沢、闘利王が蹴り出した。あそこで、あと1点取られて0対2になっていれば、日本とデンマークの得失点差は同じ-1となり、そうなると、総得点で順位を決めるため、2点のデンマークと1点の日本の立場は入れ替わっていた。オランダ戦を0対1で終えたことは、もちろん、デンマーク対カメルーン戦次第ではあったが、結果的には、引分けと同じ重みがあった。「負けていても、負けるとわかっていても最後まで気を抜くな」というリーグ戦の教訓だろう。今日の試合で、引分けでも決勝トーナメント進出というアドバンテージをどちらのチームがもっているかで、監督の戦略・戦術、試合に臨む際の選手たちの余裕に影響したはずである。

決勝トーナメント1回戦の相手がグループF1位のパラグアイ。いまの岡田ジャパンなら、日本サッカーの歴史を塗り替える、決勝トーナメントでの勝利も期待したくなる。

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2010年6月15日 (火)

2010ワールドカップ南アフリカ大会、日本代表がカメルーンを1対0で破り、勝ち点3のスタート

2010年6月14日の深夜からのワールドカップの日本代表の初戦カメルーン戦、どうせ負けるだろうと期待はしていなかったものの、職場でも話題になっており、一応、見ておこうと見始めた。
双方、堅守で先取点を奪われないようにしようと慎重な試合運びが続く中、前半39分右サイドから松井大輔が、相手の守備を一人かわしてセンタリング、ゴール前に守るカメルーンの選手3人の裏に回り込んだ本田圭佑が、そのボールをうまく足下に落とし、左サイドからシュートを蹴りこんだ。
サッカーの教科書に出てきそうなサイド攻撃からの1点だった。

その後、後半は、カメルーンの猛攻を何とかかわし1対0で勝利。4回目のワールドカップ出場で初めて、海外での勝利を上げた。

事前の韓国との調整試合に完敗するなど、一時は岡田監督の采配、攻撃陣の決定力不足がマスコミで酷評されたが、本番の大舞台で勝利することが、目標。まず、大会での重要な初戦に向けてのチームをあげての調整が成功したということだろう。事前の壮行試合や練習試合でいくら勝っても、本番で負けてしまっては意味がない。何が一番大事なことか選手もスタッフもよくわかっているということかもしれない。

あまり明るいニュースがない日本の中で、「はやぶさ」の帰還とワールドカップ初勝利が、日本人が元気になれる話題として、明日のテレビを賑わすことになるだろう。

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