2007年1月23日 (火)

河合隼雄文化庁長官、退任

今朝の朝日新聞に河合隼雄文化庁長官が任期満了で退任するとの記事が出ていた(その後記事を再確認したところ、1月17日に任期が満了に退任したとの記事の内容だった)。昨年8月に脳梗塞で倒れてからもう少しで半年になる。

記事は、河合隼雄長官が、初代の今日出海、三浦朱門に次ぐ3人目の文化人出身の長官であること、奇しくも3人の就任か17年毎であることなどには触れられているものの、脳梗塞で倒れたことには一切触れておらず、河合ファンが最も知りたいその後の容態についても何のコメントもなかった。(インターネットのニュースを検索したところ、病気療養中の状態には変化はない模様だ)

折しも、今日は世界遺産への推薦候補が、文化庁から発表され文化庁が注目を集めた一日だった。
富士山、富岡製糸場、長崎の教会群、飛鳥・藤原の歴史遺産の4つが候補に残ったとのこと。

昨年秋には、文部官僚から後任の文化庁長官が選任され、行政上は既に過去の人だが、河合隼雄長官なら、この4案件の候補選定について、どうコメントしたか、聞いてみたいと思うのは私だけではないだろう。

お元気になられることを祈るばかりである。

追記:本日の記事は出張先の大阪のホテルから携帯電話で投稿しています。事実誤認等があれば、後日修正します。

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2006年12月21日 (木)

2007年3月、PASMOスタート、Suicaと相互利用も

首都圏の地下鉄・私鉄で相互利用可能なパスネットを運用している各社で、来年2007年3月18日(日)から、JR東日本が導入している「Suica」と同じ非接触ICチップFeliCaの技術を利用したICカード乗車券「PASMO」(パスモ)が導入されることについて、正式発表があった。併せて、「Suica」との相互乗り入れも同時に実施するとのことで、来春からは、、「Suica」か「PASMO」のどちらかを持っていて、事前に券売機等で金額をチャージしておけば、首都圏の鉄道ネットワークは、1枚のカードで自由に乗り降りができるようになる。「PASMO」は「Suica」同様電子マネーとしても利用可能で、電子マネーとしても「Suica」と相互乗り入れをするとのことで、「PASMO」=私鉄版「Suica」といえる。

これまでは、鉄道での移動の際には、財布に「Suica」とパスネットを両方入れ、乗る線によって使い分けをしていたが、その手間が省けるようになる。

すでに、「Suica」とクレジットカード、銀行のキャシュカードが一体化した物もあり、そのうちプラスチックカード1枚あれば、大概の用事は片付くようになるだろう。あるいは、それがカードでなく携帯電話になる可能性もあり、しばらくはこの小口決済マーケットから目が離せない。

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2006年11月 1日 (水)

河合隼雄文化庁長官、休職

昨日(10月31日)の朝日新聞の夕刊で

政府は、31日、病気療養中の河合隼雄文化庁長官の後任に近藤信司文部科学審議官をあてる人事を閣議決定した、11月1日付けで発令し、河合長官は同日付けで休職(中略)。
河合長官は(中略)、今年8月、奈良県の自宅で脳梗塞で倒れ、入院を続けている。

とニュースが伝えられていた。改めて、インターネットで他社のニュースも検索してみると、

日経(NIKKEI NET)では
「病気休職中の河合隼雄文化庁長官は定員外となるが、長官職にはとどまる。」とあり、

読売(YOMIURI ONLINE)では
「当面は休職扱いとすることにした。河合氏の任期は来年1月17日まで。」と伝えている。

さらに読売では

伊吹文部科学相は31日の記者会見で、交代の理由を、「長官の健康がなかなか回復せず、11月に文化庁で多くの行事もあるためだ」と説明した。

との文部科学大臣のコメントも伝えている。

本人に意識があって、当面、職務復帰不可能ということであれば、その時点で自発的に辞職ということになるのだろうが、倒れた途端意識不明なので、文部科学省としても、一方的に職を解くというわけにもいかず、任期満了までは、定員外という形で長官職に留まるということになったのだろう。

いずれにしても、容態に変化はなく、病状は回復していないということだろう。ただただ、健康を回復されることを祈るばかりである。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職  

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2006年10月27日 (金)

日本ハムファイターズ、日本シリーズも札幌で胴上げ

日本ハムファイターズが、札幌ドームで中日ドラゴンズに3連勝し、私が応援する福岡ソフトバンクホークスを破ったパ・リーグのプレーオフに続き、本拠地札幌で胴上げを実現した。

初戦こそ、中日のエース川上憲伸に破れたものの、第2戦を八木で取り返したあと、札幌に戻ってからは、球場全体がファイターズのファンで埋め尽くされる中、まさに我が家に帰った感じで伸び伸びとプレーし、今日の第5戦も1点リードされていたものの、見ていて負けるようには見えなかった。

セギノールの2ランホームランで逆転した後、8回裏には、稲葉が中日の息の根を止めるダメ押しの2ランホームラン。試合は、ほぼここで決まった感じで、あとは、現役最後の試合となる新庄の引退セレモニーであった。打席の入り、涙流す新庄。さらに、9回表のセンターの守備についても新庄の涙は止まらない。最終打者の打ったボールがレフトを守る森本のグラブに収まり、ゲームセット、日本一が決まった時、森本はセンターの新庄に駆け寄り抱き合っていた。そして、極めつけは、チームで最初に胴上げされたことだろう。

大リーグから戻り、北海道の日本ハムに入って3年。自らの宣言通り満員となった札幌ドームでの日本一を決めた日本シリーズ第5戦が現役最後の試合となり、そこで胴上げまでされるのだから、やはり大した選手だと思う。

我がひいきのソフトバンクホークスの王監督のオーラも、今年ばかりは新庄選手にかなわなかったと言うことだろう。
しかし、来年こそは、沢村賞投手となったエース斎藤和巳を中心にした強力な投手陣と出戻り小久保(多分)を加えた打撃陣で、福岡ソフトバンクホークスに優勝してもらいたい。

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2006年9月 5日 (火)

気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2

今朝の日本経済新聞に脳梗塞で倒れ入院中の河合隼雄文化庁長官の主治医が4日(昨日)、河合長官の容態につき発表したとの記事が出ていた。
「小康状態を保ち、生命の危機的状況はほぼ脱した」とのコメントの一方、依然として「意識は回復しておらず重篤な状態」とある。

昨日は、小坂憲次文部科学大臣が高松塚古墳の視察し、河合長官の家族に面会したこともあり、容態の発表があっったのかも知れない。

まだ、意識不明ということだ。この世とあの世との境で、さまよっているということだろうか。

河合長官の最近の本に『大人の友情』(朝日新聞社、2005年)がある。

大人の友情

その中に、白洲正子さんから聞いた話がのっている。

 白洲さんが晩年病気で瀕死の状態になられた。親族一同が危篤と思って見守る中で、白洲さんは「大丈夫、大丈夫」と言われたらしい。一同、変な気がしたが、幸いにも奇跡的に治って元気になった。
 その後、お会いしたら、「私、死にかけたのよ」と話をして下さった。ふと気がつくと自分は一人で山道を歩いていた。ところが、桜の花が満開で、それが散りはじめ、その花吹雪のなかを、これなら一人でゆける、というので「大丈夫、大丈夫」と言ったらしい。そのとき、このようにして一人でちゃんとあちらにゆけるのだから大丈夫という気があったようだ。このような話であった。
 この話に私は深く心を打たれたし、さすがに白洲さんらしいなと感じた。
(河合隼雄著『大人の友情』朝日新聞社、85~86ページ)

ぜひ、ここで語られている白洲正子さんのように意識を回復し、あの世の入り口の話でも、我々に笑い飛ばすように語ってほしいものだ。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 1日 (金)

『明恵 夢を生きる』を読み始める

河合隼雄文化庁長官のその後の容態はどうなっているのだろうか?特に、新しいニュースもないようである。

私は、河合長官の著書は、かなり読んでいるが、このほぼ20年積ん読になったままの著書がある。『明恵 夢を生きる』(京都松柏社発行)である。奥書を見ると、1987年4月発行で、私の手元にあるのは、1987年7月第3刷である。ほぼそのタイミングで購入しているはずだ。それから、19年が過ぎ20年目に入る。それ以後、新刊で出た著書もずいぶん読んでいるが、なぜかこの本は何度か手に取るが、挫折してしまう。

鎌倉時代の高僧明恵(みょうえ)は、自らの夢を綴った『夢記』を生涯を通して記しており、それを河合隼雄氏が心理学者、夢分析者の立場から語るもので、非常に興味深いテーマなのだが、なぜか進まない。

どちらかと言えば心理学の専門書的な位置づけで出されたこの著書は、その後、広く読まれ、1995年には「講談社+α文庫」の河合作品の1冊に加えられている。思い切って、そちらを買って読むことにした。文庫版のまえがきには、「文庫版出版にあたりふりがなをふやすことになり、…」とある。単行本の方を、なかなか読み進めなかったのは、ふりがなが少なくページ全体から堅い印象を感じていたからかも知れない。今度こそは、読み終わろう。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年8月31日 (木)

停電と地震

先日、東京では大停電があったばかりだが、今日また、通勤途中で停電に遭遇した。地下鉄で職場の最寄り駅まであと2駅というところで、停電で停車とのアナウンス。時計を見ると8時10分。待っていても、いつ動き出すかわからないので、その駅でおり、まだ暑さの残る夏の朝、残りの距離を職場まで歩いた。25分ほど歩き、今回は始業5分前に着いた。

やれやれと思っていると、夕方になって今度は地震。最初、ゆらゆらと来て、次にグラッと来た。東京は震度3とのことらしい。

明日9月1日は、防災の日。1923(大正12)年には関東大震災が起きている。大震災など二度と起きて欲しくないが、まさかの時に備えて、一度、休日を使って、職場から自宅まで歩いてどれくらいかかるのか、シミュレーションをしておく必要があるかも知れない。

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2006年8月24日 (木)

気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態

先週、8月17日(木)に河合隼雄文化庁長官が、奈良の自宅で脳梗塞で倒れたとのニュースが流れた。肺炎を併発し、重体。翌日には、小康状態との報道が続いたが、その後は、何も伝えられず、気がかりだ。

私は高校生の頃から心理学に興味があり、ずいぶん本も読んだが、一番多かったのは、河合長官の著作である。軽妙な語り口で、読むものを惹きつけてやまない。
河合氏は最初から心理学者を志していたわけではなく、京大の数学科を出て一時は高校の数学の教師をしている。その後、京大大学院で心理学を学び、米国留学の後、スイスのユング研究所で学んでいる。日本に戻り、京大で教鞭をとるかたわら、心理療法家として臨床治療も行い、その経験が著作の中にも反映されている。

私が、好きな本は何冊かあるが、特に、印象に残っているものに、『大人になることのむずかしさ』(河合隼雄著、岩波書店、1983年、1996年に新装版として再版)という著書がある。

大人になることのむずかしさ―青年期の問題 (子どもと教育)

これは、岩波の”子どもと教育を考える”というシリーズの1冊として出版された。教育書として出されたせいもあり、その後も、文庫化されたこともない地味な本であるが、私にはいつも読み返す一節がある。「職業の選択」という見出しの付いた一節である。

職業の選択や配偶者の選択においては、思いがけない偶然性が伴う時がある。職業や配偶者は、その人にとっての人生の一大事であるのに、偶然によって決めるなど、まったく馬鹿げているように思われるが、実際はその結果が上々であることも少なくないのである。(中略)
このことは、人生の不思議さといってしまえばそれまでだが、職業や配偶者の選択のような、あまりに重大なことになると、人間の意志や思考のみに頼っていては、あまりよい結果をもたらさないことを示しているのかも知れない。(中略)
深い必然性をもったものほど、人間の目には一見偶然に見えるといってもよく、そのような偶然を生かしてゆく心の余裕をもつことが、職業選択の場合にも必要であろう。もっとも、偶然を生かすことと、偶然に振り回されることは似て非なるものであることは、いうまでもないことである。一所懸命に行為してゆくにしろ、どこかに偶然がはいりこんでくるゆとりを残しておくことは、大人であるための条件のひとつといっていいだろう。
(河合隼雄著『大人になることのむずかしさ』岩波書店、168~169ページ)

「深い必然性をもったものほど、一見偶然に見える」との考えは、いつも、私の頭のどこかにある。いつも、「ただいま現在、こうしてあることの偶然を、どうやって次に生かしていけるだろうか?」と考えてきたように思う。
サラリーマンの仕事は、異動という自分の意志では、どうにもならないものによって左右される。新たな職場で、どんな仕事をし、社内外で誰と巡りあうかも、偶然の産物であろう。しかし、これまで、偶然に振り回されずに、なんとかやってこられたのは、この一節のおかげである。

河合長官には、なんとか回復してもらい、再び、現代の日本人に語りかけてほしい。 

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年8月21日 (月)

早稲田実業の優勝と王監督

夏の高校野球、決勝の再試合は、4対3で、早稲田実業が3連覇を狙った駒大苫小牧を破り、初優勝を勝ち取った。(朝日新聞のニュースはこちら
4対1とリードされていた駒大苫小牧が、最終の9回表に2ランホームランで1点差まで追い上げ、「もしや」と思わせたところは、さすがである。そして、駒大苫小牧の最終打者が、エースで主将の田中。決勝2試合、計24イニングの死闘の締めくくりが、早稲田実業・斎藤、駒大苫小牧田中の対決で、最後は、斎藤が渾身の1球で、ライバル田中を空振り3振にうちとりゲームセット。最後まで、絵になる試合だった。
(新聞社にとっても、TV局にとっても、ドラマのあるメディア・イベントなったといえるだろう。)

今年は、春の王ジャパンのWBC優勝といい、野球の当たり年かもしれない。また、それは、王貞治の1年なのかもしれない。早実の斎藤投手はインタビューで「王先輩や荒木(大輔)先輩もできなかった、夏の大会の優勝ができてうれしい」と言い、一方、病床の王監督は、昨日こそ「球史に残るいい試合。両校ともお見事」と両校の健闘を讃えるコメントを出したが、今日は「斎藤投手の熱投の一言に尽きる」と後輩の力投を讃えていた。

あとは、プロ野球。セ・リーグは、中日の独走で面白みはないが、パ・リーグは、西武とソフトバンクの首位攻防が続く。2年連続してペナントレースで1位に輝きながら、プレーオフで勝ち上がってきたチームに敗れた王・ホークス、今年は、雪辱を果たせるだろうか。ソフトバンク・ホークスがパ・リーグで雪辱し、日本シリーズも制することのなれば、まさに「王貞治の1年」になる。これからは、パ・リーグ、ソフトバンク・ホークスの戦いぶりから目が離せない。

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2006年8月20日 (日)

駒大苫小牧対早稲田実業、譲らず再試合

今日は、夏の高校野球決勝。3連覇を狙う北海道の駒大苫小牧と初優勝を目指す早稲田実業。結局、1対1のまま、延長15回で決まらず、引き分け再試合となった。

決勝での引き分け再試合は、37年振りというから、1969(昭和44)年夏の松山商業(愛媛)対三沢(青森)以来のことだ。当時、小学生だった私は、夢中になって高校野球のTV中継を見ていた。この時、決勝で敗れた三沢のエース太田幸司は、甘いマスクもあって、一躍、日本中の人気者になった。

駒大苫小牧は、3連覇の偉業目前。それも、昨年の夏は優勝のあと、野球部長の暴力沙汰が表面化し、高野連は優勝を取り消すべきではないかという議論もあったように記憶しているし、地元では、優勝パレードが取りやめになったはずだ。さらに、また、春の選抜大会では卒業直後の野球部員が飲酒・喫煙で補導され、決定していた出場を辞退している。それでも、南北海道予選を勝ち抜き、今回の本大会でも、準々決勝まではいずれも逆転勝ち、準決勝の智辯和歌山戦も勝ち、3年連続で決勝に駒を進めた。決まっていた選抜大会の出場辞退となった時点で、選手のモチベーションは大きく低下し、本大会の出場もおぼつかないと思うのだが、選手を再び奮い立たせた指導者達の力も相当だろうと思う。

一方、早稲田実業には、手術をしたソフトバンクの王貞治監督のOBとしての応援(生徒たちにも優勝で王監督を励ましたいという気持ち)という、ふだんにはない特別な精神的な支えがあり、それが選手を一層奮い立たせているようにも見える。

どちらが勝っても、昨日の記事に書いたメディア・イベントとしては、記事の材料に事欠かないドラマに満ちている。

不祥事にもめげずに3連覇を成し遂げる駒大苫小牧か、王先輩を励ますための夏の初優勝を勝ち取る早実か、観客である我々がよりどちらのドラマを見たいと思うか、観客のオーラがより強い方が、明日の優勝を勝ち取るような気がする。

個人的には、おそらく今後当分達成されることはないであろう3連覇を見てみたい気がするけれど…。

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2006年8月19日 (土)

ヨロンとセロン

積ん読になっていた『メディア社会』(佐藤卓己著、岩波新書)を読んだ。

メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

著者は1960年生まれで、メディア史・大衆文化論を教える京大の大学院の助教授だ。サブタイトルに「現代を読み解く視点」とあり、帯には「<歴史>から問うニュースの読み方、50のテーマで考える実践的メディア論!」とある。自分と同じ1960年生まれということと、これまでの歴史をふまえた新聞、テレビ、各種ネットビジネス等のメディアのあり方の議論がおもしろそうで、購入した。

第1話が”「メディア」は広告媒体である”という当たり前であるが、ふだん、意識することが少なくなっているメディアの本質論から始まり、第14話の”メディア・イベントの誕生”では、夏の全国高校野球大会について

そもそも、全国高等学校野球大会(戦前の正式名称は全国中等学校優勝野球大会)は、第一次大戦中の1915年、大阪朝日新聞社主催で開始された。(中略)
今では伝統ある夏の風物詩だが、そもそもは新聞社が夏休みの「記事枯れ」に対応して紙面を維持するために企画されたメディア・イベントである。自ら主催し、観客を動員し、取材し、それを批評する。関連記事はいくらでも量産することができる。甲子園大会はそうしたニュース製造機であった。(佐藤卓己著『メディア社会』岩波新書、63~64ページ)

と、原点を辿る議論がされていて興味深い。我々が、目にし、耳にするニュースも、本来、広告媒体であるメディアによって時には作られ、取捨選択された結果のものであるということだろう。しかし、そのメディアが、それを読み、見る人に大きな影響を与える。時として、人々が欲するであろうものを、先回りして用意し、世の中の流れを作っていく。

この本で、最も興味深かったのは、第25話の”憲法をめぐる「ヨロン」と「セロン」”の中で取り上げられている、ヨロンとセロンの違いである。漢字で書けば、どちらも「世論」であり、恥ずかしながら、この年(現在45歳)になるまで、「世論」と書いて、なぜ、「ヨロン」と読んだり「セロン」と読んだりするのか、その違いについて深く考えたことはなかった。本書によれば、「ヨロン」は正しくは「輿論」と書き、「セロン」は「世論」と書く。

今日ではほとんど忘却されているが、輿論(よろん)と世論(せろん)は戦前までは別の言葉だった。輿論とは「五箇条の御誓文」(1868年)の「広く会議を興し、万機公論に決すべし」にも連なる尊重すべき公論であり、世論とは「軍人勅諭(1882年)の「世論に惑わず、政治に拘わらず」にある通りその暴走を阻止すべき私情であった。戦後、当用漢字公布によって「輿」の字が新聞で使えなくなったため、苦肉に策として「世論」と書いて「ヨロン」と読む慣行が生まれた。『「毎日」の三世紀 別巻』(2002年)は、次のように説明している。

「世論を「よろん」と読むようになったのは、戦後民主主義が背景にある。従来、「世論」は戦時中、「世論(せろん)に惑わず」などと流言飛語か俗論のような言葉とし使われていた。これに対して、「輿論」は「輿論に基づく民主政治」など建設的なニュアンスがあった。」
(佐藤卓己著『メディア社会』岩波新書、119ページ)

「毎日の三世紀 別巻」の説明は、戦後民主主義の下、民衆の言葉「世論」が「輿論(ヨロン)」の意味をも吸収し、見識を備えた公論を成すようになったと読める。しかし、「輿論」という漢字が当用漢字から消え使われなくなって60余年、「世論」は戦前の流言飛語・俗論に逆戻りし、「輿論(よろん)」という言葉は、その概念さえ忘れられている。

メディア・イベントに惑わされず、自分の頭で考えることを、一人一人が心がけないと、「世論(せろん)に惑わされる」時代が続く事になるだろう。せめて、自分の子供にだけは、そのことをキチンと教えたいと思う。

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2006年8月15日 (火)

首都圏大規模停電その後

昨日の首都圏の大規模停電の真相や、どこで何が起きたのかなど、新聞やテレビでいろいろ語られている。

直接の原因は、旧江戸川の浚渫工事を請け負った茨城の建設会社の浚渫船のクレーンが、東京電力の高圧電線に接触したことで間違いないようだ。建設会社の会長と社長が謝罪の記者会見をしていた。以前も、クレーン船が電線と接触したことがあり、川を航行する時には、クレーンを上げないという内規があったのに、事故を起こしたクレーン船は、その内規を守っていなかったということだから、クレーン船の作業責任者はもちろん、ルールを徹底できていない経営陣も当然責任を問われるだろう。

しかし、この作業自体は、大手ゼネコンが受注し、事故を起こした会社は孫請けということだから、元請けのゼネコン、さらに元請けと孫請けの間の会社も、管理責任を問われるのではないだろうか?

一方、電力会社に全く責任はなかったのか?そもそも、クレーン船が引っかかるようなところに、電線を張っていることのリスク管理は十分できていたのか?(新聞には、海上保安庁と協議してあの高さに決めたという報道があった。)そのあたりも議論になるのでは、ないかと思う。

また、停電の被害を受けた企業等の側も、まさかの時の備えが従来のもので良かったのかという議論も出てくるだろう。十分な電力供給を受けられなかった時に備えた、自家発電装置の整備・増強なども議論になってくるだろう。

大した被害が出なかったことを不幸中の幸いと思い、今回の期せずして経験することになった大規模災害の予行演習を、今後に役立ててもらいたいものだ。

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2006年7月31日 (月)

関東もようやく梅雨明け

昨日(7月30日)、中国地方から関東地方まで、ようやく梅雨が明けた(気象庁:「平成18年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)」)。

関東甲信地方では、平年より10日遅い梅雨明け。心配していた梅雨明けが8月までずれ込む事態は回避できた。今回の豪雨の原因となった複雑な大気の流れは、気象庁のホームページに説明がある。(気象庁:「平成18年7月15日以降の大雨に関連する大気の流れについて」
東から張り出す太平洋高気圧の周辺部に、西から湿った暖気流が流れ込み、その暖気流の上に、北方から寒気が流れ込み、梅雨前線が作られ、活発に活動した。さらに、太平洋高気圧が強力だったため、高気圧の壁で前線が動けず停滞、結果として豪雨を招くことになったようだ。

ということは、梅雨明け後は、強力な太平洋高気圧の影響で、一気に暑い夏になるということになりそうだ。

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2006年7月27日 (木)

関東の梅雨明けはいつ?

東京も、昨日・今日は、長雨からようやく解放されたと思ったら、一転、蒸し暑い日に逆戻り。当然、長袖のワイシャツから半袖に替え、ノーネクタイで出勤している。

気象庁のホームページによれば、九州と四国はようやく昨日(7月26日)が梅雨明けだったようだ。

九州南部は平年の梅雨明けが7月13日ごろ、昨年が7月15日ごろなのに対して、今年は26日と10日以上遅れている。九州北部、四国も一週間以上遅れている。九州北部、四国は梅雨入りも平年より数日遅かったが、九州南部は梅雨入りも平年より3日早く、結局2ヵ月梅雨だったことになる。

特に7月の中旬からの梅雨末期の大雨は記録的で、「平成18年7月豪雨」と名付けられたそうだ。(参照気象庁HP:「平成18年7月豪雨」)
『NHK気象・災害ハンドブック』によれば、大雨は多量の雨を示し、豪雨は「災害をも含んだ空間的・時間的なまとまりをもった現象に使用されている」とある)
特に、熊本、宮崎、鹿児島んが県境を接するえびの高原近辺が多く、宮崎県えびの市、鹿児島県大口市では15日から24日の10日間で1000mmを超える雨量だった。

関東甲信越の梅雨明けは、平年では7月20日ごろだが、すでに一週間経過。平年では、九州南部の梅雨明けの1週間後が関東甲信越の梅雨明けなので、ひょっとすると、過去あまり聞いたことのない8月の梅雨明けもあるかもしれない。

冬が豪雪で、夏には豪雨。日本の気候は、いつになったら平年並に戻るのだろう?

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2006年7月25日 (火)

Edyを使う

仕事で、非接触型ICチップを調べたせいもあって、最近、電子マネーに関心がある。

Suicaは、以前からJRに乗る時に使っていたが、ライバルのEdyについては、コンビニなどで、わざわざ現金を払ってチャージしてもらうのも、おかしな気がして、Edyがセットされたクレジットカードは持っていたものの、使ったことがなかった。

しかし、調べてみると、「プロント」にはEdyにチャージできる機械があるということで、出勤途上にあるプロントにより、とりあえず1000円チャージしてみた。

あとは、コンビニなどで買い物をする時、レジでEdyマークのところに、カードをかざせば、チャリンという電子音(作られた音という点では、デジカメの電子シャッター音と同じだ)がして代金が引かれる。財布から小銭を出さなくていいのは、便利だ。

次の関心は、「おサイフケータイ」である。携帯電話に非接触ICチップを搭載し、SuicaやEdyのアプリケーションをダウンロードして使う。ドコモは、ほとんどの新型端末が「おサイフケータイ」対応なのだが、私の使っているauは「おサイフケータイ」対応機種が少ない。もうしばらく、今の端末を使い、auで対応端末の品揃えが増えたら、「おサイフケータイ」に機種変更しようと考えている。

プラスチックカードからケータイ端末へ、決済ビジネスのツールも本当に移り変わっていくのか、興味津々というところだ。

関連記事:7月2日「カード」から「ケータイ」へ

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2006年6月27日 (火)

海の霧

今日は、平日休暇を取った。午前中、都心まで出て、会合に出たあと、昼過ぎに自宅に戻る。リビングでテレビをつけると、各地の天気を伝えていて、北海道では霧に包まれる釧路市の幣舞橋(ぬさまいばし)の映像が登場していた。

北海道では、何度か霧に遭遇した。最初は海の霧だ。
去年(2005年)の5月29日、桜で有名な日高地方の静内二十間道路に向かった。静内町は競走馬の産地としても、有名で、昨年、吉永小百合の主演映画として話題になった『北の零年』も静内が舞台だった。
札幌から道央自動車道で、南に下り、苫小牧東ICで日高自動車道に乗る。シシャモで有名な鵡川で自動車道は終わり、あとは、海沿いの国道235号線を走った。地図を見るとわかるが、国道235号線は、途中から海岸線を沿うように走っている。静内に向かっては、右手に太平洋、左手は至るところの日高の馬牧場を見ながら車を走らせる。

Photo_1晴れていて、気温も暑すぎず寒すぎず、快適なドライブと喜んでいたら、静内の隣町の新冠に近づいたところで、突然、海から霧が湧いてきた。海の方から、陸に向けてあとからあとから、霧が湧き出してきて、瞬く間に道路を覆っていった。最初はうっすらだったが、どんどん濃くなっていく。視界も、どんどん悪くなる。車のスピードも落とさざるを得ない。とりあえず、いったん新冠(にいかっぷ)の道の駅で休む。(写真は道の駅で。銅像の馬はハイセイコー、写真の後方の建物は霧に霞んでいる。)
霧はすぐ収まる気配もないので、残り5~6kmということもあり、再び出発。程なく、静内の町に着いたので事なきを得たが、もっと手前で霧に遭遇していたら、行くのをあきらめていただろう。
二十間道路は、町中から少し山手に上がったところだったので、霧もそこまでは追いかけてこず、ゆっくり見物はできたが、桜の方は盛りは過ぎかなり散り始めていて、一部は葉桜になっていた。
帰りは、安全を考えて、少し遠回りだったが、途中まで山間部の道を走った。帰り、鵡川の道の駅「四季の館」で、ひと休みしていたら、こちらにも霧が迫ってきた。霧から逃れるように、札幌に向かったのを思い出す。

先日、紹介した『楽しい気象観察図鑑』(武田康男〔文・写真〕、草思社)には、

海でも、親潮(北海道の東側から房総沖にかけて北から南に流れる寒流)などが流れる冷たい海では、空気が冷やされて霧が発生しやすくなります。海で発生する霧は範囲が広く、視界が悪くなるので、船の航行にはたいへん危険です。(以下略、同書15ページ)

とある。急に冷たい親潮が、沿岸付近まで流れて来たのだろうか。天気も悪くなかったので、暖められていた海上の湿った空気が、急に寒流で冷やされ、海から霧が湧き出したように見えたのだろう。やはり、自然の力は侮れない。

余談だが、まっったく別件で検索をしている最中に、『楽しい気象観察図鑑』の作者の武田康男さんのインタビュー記事をみつけた。経歴を見て、自分と同じ1960年生まれということで、さらに親近感を覚えた。「SKYPAGE」というホームページの写真も素晴らしい。

二度目の北海道の霧体験は、また改めて書くことにしたい。

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2006年6月12日 (月)

残念、日本完敗

先ほど終わったワールドカップ予選、残念ながら、日本はオーストラリアに1-3で完敗。
前半は1-0リードで折り返したが、後半、追いつかれてから、浮き足だった感じで、あっという間に逆転され、同点に追いつきたいロスタイムに更に1点取られてしまった。
再三、ゴールキーパーの川口のファインセーブに救われていた面があったので、実質はもう少し差があったかもしれない。選手には、あとの2試合腐らずに、納得できる試合をして欲しい。

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