『なぜあの人はあやまちを認めないのか』を読み始める
2009年3月新刊の『なぜあの人はあやまちを認めないのか』(河出書房新社)という本を読み始めた。
著者はキャロル・ダヴリスとエリオット・アロンソンという米国の2人の社会心理学者。サブタイトルには「言い訳と自己正当化の心理学」とあり、原題は「Mistakes Were Made」となっている。
本の帯には、「日常的な出来事から、夫婦間に言い争い、政治家の言動、嘘の記憶や冤罪まで-----誰もが陥りがちな自己正当化の心理メカニズムを、豊富な実例を交えながら平易に解説。」とある。
最初に、吉祥寺に出かけた時に、書店で見つけた時には2200円という本体価格に気になりながらもパスしたのだが、やはり気になっていて、その後職場に帰りに寄った書店の心理学のコーナーで探すも見つからず、先週末家の近くの書店で見つけた時には、即購入した。
日常生活の中で、本当はこんなことしたくないのだがと自分の主義主張に合わないことをせざるを得ない時、自分の中で、なにがしかの言い訳をして正当化してしまうことは、ままあることではないだろうか。
現在、母と一時同居していると、この母が自分は気がついていないうちに、自己正当化をしていることに気がつく。たとえば、周りからは、「健康のために少し歩いた方が良い」と言われていたのだが、本人はあまり歩くことが好きではない。結局、自ら積極的に歩くことはなかった。その際の彼女の言い訳は「私は扁平足だから・・・、(歩きたくてもすぐ疲れて歩けない)」である。確かに扁平足(へんぺいそく、足の裏にほとんど「土踏まず」がない)なので、長距離を歩き続けると「土踏まず」がある人に比べて疲れるのだろうが、一歩も歩けないと言うわけではない。
母の話は、本人だけの問題であるが、人に迷惑をかける自己正当化もある。昨年、勉強して資格を取得した公認不正検査士(CFE)の必修の知識として、「不正のトライアングル」という考え方がある。不正が行われる時には、そこに「動機」「機会」「正当化」の3つが揃っているというものである。例えば、職場で「現金の横領」という不正が起きたケースを調べてみると、横領を行った犯人は、「子供の教育費のため生活資金が不足していた」(動機)、「職場で現金を取り扱える立場にいた」(機会)、「横領するのではなく一時的に借りるだけ」(正当化)という3つが揃っているというものである。
まだ読み始めたばかりだが、身の回りの些細なことから、犯罪にいたるまでどこでも自己正当化は行われていることがわかる。やっかいなのは、自己正当化という形で、自分自身を欺いていることに自分も気がついていないということである。
本の帯に載っていたウォール・ストリート・ジャーナルのコメント「おもしろくて、ためになって、これは自分のことじゃないかと気づいて、ぞっとする」が本書にふさわしい評価のような気がする。
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