2009年4月13日 (月)

『なぜあの人はあやまちを認めないのか』を読み始める

2009年3月新刊の『なぜあの人はあやまちを認めないのか』(河出書房新社)という本を読み始めた。

著者はキャロル・ダヴリスとエリオット・アロンソンという米国の2人の社会心理学者。サブタイトルには「言い訳と自己正当化の心理学」とあり、原題は「Mistakes Were Made」となっている。
本の帯には、「日常的な出来事から、夫婦間に言い争い、政治家の言動、嘘の記憶や冤罪まで-----誰もが陥りがちな自己正当化の心理メカニズムを、豊富な実例を交えながら平易に解説。」とある。
最初に、吉祥寺に出かけた時に、書店で見つけた時には2200円という本体価格に気になりながらもパスしたのだが、やはり気になっていて、その後職場に帰りに寄った書店の心理学のコーナーで探すも見つからず、先週末家の近くの書店で見つけた時には、即購入した。

日常生活の中で、本当はこんなことしたくないのだがと自分の主義主張に合わないことをせざるを得ない時、自分の中で、なにがしかの言い訳をして正当化してしまうことは、ままあることではないだろうか。

現在、母と一時同居していると、この母が自分は気がついていないうちに、自己正当化をしていることに気がつく。たとえば、周りからは、「健康のために少し歩いた方が良い」と言われていたのだが、本人はあまり歩くことが好きではない。結局、自ら積極的に歩くことはなかった。その際の彼女の言い訳は「私は扁平足だから・・・、(歩きたくてもすぐ疲れて歩けない)」である。確かに扁平足(へんぺいそく、足の裏にほとんど「土踏まず」がない)なので、長距離を歩き続けると「土踏まず」がある人に比べて疲れるのだろうが、一歩も歩けないと言うわけではない。

母の話は、本人だけの問題であるが、人に迷惑をかける自己正当化もある。昨年、勉強して資格を取得した公認不正検査士(CFE)の必修の知識として、「不正のトライアングル」という考え方がある。不正が行われる時には、そこに「動機」「機会」「正当化」の3つが揃っているというものである。例えば、職場で「現金の横領」という不正が起きたケースを調べてみると、横領を行った犯人は、「子供の教育費のため生活資金が不足していた」(動機)、「職場で現金を取り扱える立場にいた」(機会)、「横領するのではなく一時的に借りるだけ」(正当化)という3つが揃っているというものである。

まだ読み始めたばかりだが、身の回りの些細なことから、犯罪にいたるまでどこでも自己正当化は行われていることがわかる。やっかいなのは、自己正当化という形で、自分自身を欺いていることに自分も気がついていないということである。
本の帯に載っていたウォール・ストリート・ジャーナルのコメント「おもしろくて、ためになって、これは自分のことじゃないかと気づいて、ぞっとする」が本書にふさわしい評価のような気がする。

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2007年11月 6日 (火)

年齢の法則・その2-47歳の意味を考える

47歳になって1ヵ月余り。自分にとってのこれからの1年のあり方を考えている。

今日の記事のタイトルを「年齢の法則・その2」としたのは、1年前、46歳を迎えた時に、『年齢の法則』ということで記事を書いたからだ。昨年の記事はこちら

私の記事のネタ元は、このブログでも以前何回か取り上げた『こころを癒すと、カラダが癒される』という本である。


心の病が、体の病に結びついているという内容で、体にトラブルのある時は、自分の深層心理からのメッセージであり、トラブルの生じる体の部位によって、それぞれ隠された意味があるというもので、病気やけがと心の病の対応の説明がメインである。
なぜ、そのような対応関係なのか、そのことについての合理的な根拠は示されないので、「まゆつば」の感じがしないわけではないのだが、私自身が札幌単身赴任中に、朝凍結路面で転倒し、左肩の骨折をした時の私の抱えていた問題と、この本の説明があまりにピッタリ一致する(詳細は2006年3月1日の『厄年の後の本当の災難』をご参照)ので、インチキ臭いとも言い切れず、むしろ何かの節目には、開いてい読むようにしている。

昨年の『年齢の法則』でも書いたが、この本の中に、年齢の数字の意味について解説している章がある。昨年の繰り返しになるが、該当箇所を引用してみる。

年齢の意味
 来るべき年に、あなたはどんなチャレンジに直面するのでしょうか。その年のあなたのプロセス全般に流れている力学的な法則は何でしょう。ある年齢で起きた出来事にはどんな意味があったのでしょうか。
 年齢は、その年の個人的なプロセスの手がかりを与えると同時に、過去に起きた出来事についても何らかの洞察を与えてくれます。あなたが、今人生のどの辺にいるのか、またその1年で癒さなければならない事柄は何なのかを示してくれる指標なのです。
(『こころを癒すと、カラダが癒される』146ページ)

年齢を表す数字の意味として、今の私に関係する部分を紹介しておくと、

[4]
4は慢性的な問題を癒しながら、人生に新しい土台を築く時という意味です。この年のチャレンジは障害を突き抜ける道を探し、人生を築く礎石としてそれを使うということです。
[5]
5は変容のシンボルです。人生に変容をもたらすチャンスがあり、新しい生き方を始める年です。この年のチャレンジは、変化に伴う独特の居心地の悪さにあります。変容とは、一度受け止めさえすれば、底抜けの楽しさとユーモアをもたらしてくれます。
[6]
6は成熟、ハート、そして感情的な勇気を表します。この年には、人々に自分自身を与えることに専念することが求められます。また、家族のダイナミックスや深い感情を扱う年であるかもしれません。この年のチャレンジは、深い感情や家族のテーマにはまってしまい、成熟することに対し消極的になることです。
[7]
7は、心の奥深くを静かに見る瞑想の時を示し、それを通して新しいレベルの真実を発見するという意味です。成熟した7は春の訪れであり、そこでは幸せがいっせいに開花するのです。7をめぐるチャレンジは、真実の方向を自分に探させ、幸せのなることを自分に許すということに関係しています。
(『こころを癒すと、カラダが癒される』152~153ページ)

44歳の時、札幌での単身赴任中に凍結路面で転倒し、左肩骨折、手術で3週間入院。「4」が2つ重なった44歳は、人生の転機だった。
45歳で東京に戻り、いわば一から出直し。新たなチャレンジとして、働きながら勉強もして、いくつかの資格を取った。

46歳のうち「6」は、人々に自分を与えることに専念する、家族のダイナミックスを扱うと書かれている。昨年、46歳を迎えた時は、3人に子供がそろって受験・進学をすることが、家族のダイナミックスであり、それを親としてどうサポートするかといったところが、テーマなのだろうと考えていたが、実際はその程度に留まらなかった。このブログでは、これまで書いていないが、大学に進学し「花の女子大生」を謳歌していると思っていた長女が、大学に不適応になり、休学してしまった。これは、まだ解決していない。家族の深い感情問題であろう。
一方、職場では、新しく転入してきた人に対して、現在の職場に業務内容を教える仕事をすることになった。これは、考えようによっては、「人々に自分自身を与える」ということだったのかも知れない。

そして47歳。「7」は深く考えることを求めており、その先には、何かいいことがありそうな書かれ方である。
年齢を見るときは、4と7を足した数字「11」も意味を持ってくくることになっている。「11」の意味は次のように書かれている。

[11]
11はリーダーシップを表す。緊急事態をあなたが現れ出るという状態に変えることを意味するマスターナンバー。この年のチャレンジはすべて、他の人の助けを求める声に反応することで簡単に抜けることができる。
(『こころを癒すと、カラダが癒される』161ページ)

何かいいことがあるためには、深く考えるだけでなく、他人の求めに応じてリーダーシップを発揮する必要があるということらしい。

この2年ほど、勉強していたことを役立てることを求められるということかも知れない。何が来ても、驚かないように備えておきたい。

しかし、私以外にも今年47歳を迎える人はたくさんいるので、全員にこの話が当てはまるのかは、何ともよくわからないところではある。
組織で仕事をしている人にとっては、年齢から言って、年相応の考え方やリーダーシップを求められることはあるのかも知れないと思う。
同輩諸氏にヒントになることがあれば、幸いだと思う。

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2006年12月10日 (日)

1万歩ウオーキング、途切れる

9月24日に歩数計(万歩計)を購入、翌日から1日の歩数を計測するようになり、以来、休日も何かと歩く機会を作り、毎日1万歩以上歩いてきたが、とうとう昨日(12月9日)で、途切れた。

土・日は、朝、妻と最寄りの私鉄の駅まで、片道30分弱、往復で1時間ほど歩き、6000歩~7000歩確保するのだが、昨日は朝から寒く霧雨模様だった事に加え、最近、パート先の都合で、土曜日の出勤増えてきて、昨日はその出勤日ということもあり、家の近隣を15分ほど歩いただけだった。その後、日中も冷たい雨は降り続いたし、来週、仕事の関係でちょっとした試験を受けなければならず、その勉強もしなければならず、結局、家の中で1階と2階を往復しするだけ。夜の11時過ぎで、やっと3500歩という状況だった。

外を見ると雨がやんでいたので、それでも少しでも歩こうと、よく行くレンタルビデオショップまで歩いたが、それでも片道15分。往復で30分、+3000歩程度で、昨日は6500歩で終わってしまった。

ウオーキング減量作戦のきっかけになった『医師がすすめるウオーキング』(泉嗣彦著、集英社新書)」では、1週間の中で、合計7万歩歩くことを目標にすれば良いということを書いているので、昨日の不足分は今日、明日くらいでカバーしておきたい。

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2006年12月 2日 (土)

ウオーキング減量作戦途中経過、11月は足踏み

9月の半ばに思い立って、始めたウオーキング減量作戦。順調に減量は進み、11月の上旬には67kg台を3日連続で記録したことまでは書いたが、11月のひと月間を通して見ると、結果的には横ばいだった。

歩く方は、引き続き毎日最低10,000歩は確保し、多い日は16,000歩以上歩いた日もある。しかし、体重の方は、上旬の文化の日を含めた3連休の最終日の5日(日)に子ども達の希望もあり、家の近くのできた回転寿司店に食事に行き、子ども達のペースにつられて食べ過ぎてしまったこと、さらに翌6日(月)には、飲み会があり、どうしてもカロリー過多になってしまったことで、2日間で1kg以上増えてしまった。11月は、その増えた体重を11月の初めの水準に戻すので精一杯だった。結局記録を見ると、11月1日が68.3kg、1ヵ月後の12月1日も同じ68.3kgである。残念無念。

忘年会シーズンで、外での飲み会が多くなりがちな12月、なんとか食べ過ぎないようにしてせめて67kg台には、戻しておきたい。

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2006年11月11日 (土)

毎晩眠ることの意味、『「普通がいい」という病』から

先週、『「普通がいい」という病』(泉谷閑示著、講談社現代新書)を読んだ。講談社現代新書の10月の新刊書のうちの1冊である。著者は、1962年、秋田県生まれの精神科医の先生。本に書かれた経歴を読む限り、雑誌などの記事は書いているようだが、本格的な著作はこれが初めてのようだ。

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

書かれていることの底流にある著者の思いを私なりに要約すれば、
『私たちは、人と違うことをおそれ、普通であること=多数派であろうとして、多数派の価値観に知らず知らずに洗脳され、「自分で感じ、自分で考える」ということをいつしかやめてしまい、自分らしさを失っている。これまで、疑うことなく信じていた常識を疑い、もう一度、「自分で感じ、自分で考える」生き方を取り戻そう』
といったことになると思う。

このブログを書き始めた頃に取り上げた『生きる意味』(上田紀行著、岩波新書)とも通じる部分とも通じる部分がある。

この中で、著者が不眠を題材に「眠り」について語った部分が印象に残ったので、少し詳しく書いておきたい。

不眠とは、どの病態においても起こりうるとてもポピュラーな症状です。しかし、「眠らない」と「眠れない」の違いは何か、また不眠とはいったいどんなメッセージを運んできているのかといったことについては、あまり考えられてきていません。(中略)この不眠が告げるメッセージは何でしょうか。
これは、長い間私には謎でしたが、ふと、「毎晩眠るということは、毎晩死ぬことである」と思い至って、やっと解読の糸口がつかめてきたのです。そう考えてみると、「不眠とは死ぬに死ねない状態である」ということになる。「死ぬに死ねない」というのは、幕を下ろす気になれないということであり、「今日という日を生きたという手応えがない」という未練があることを示しているのです。
このように考えるようになってから、クライアントにも自分自身にも、一日の最後に眠れない場合には、「ほんの少しでもよいから、自分らしい時間を過ごすように」と勧めるようになりました。
(『「普通がいい」という病』223~224ページ)

「毎晩眠るということは、毎晩死ぬことである」という一文に「なるほど」と納得してしまった。自分らしい一日を過ごしたからこそ、心地よい疲れを感じ、心おきなく眠れるのかも知れない。食事の時、この話を家族にしたら、妻と長女も妙に納得していた。これからも、毎晩、自然と眠たくなるように、一日一日を自分らしく過ごすことを心がけよう。

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2006年11月10日 (金)

セルフ・エフィカシー(自己効力感)

『好きにやっても評価される人、我慢しても評価されない人』(小杉俊哉著、PHP研究所発行)を読んだ。

サラリーマン稼業を長くやっていると、「評価」というようなタイトルの本があると、つい気になってしまう。著者は、1958年生まれで、NEC入社後、米国でMBAを取得、その後、コンサルティングファームを経て、数社で人事部長などを経験したのち、現在は人事関係のコンサルタントをしている。
本の内容自体は、「会社にどう評価されるかばかり気にしていないで、自分で自分を評価して、自分が満足できる人生にしよう」というメッセージが、著者自らの体験も織り交ぜ書かれているものだ。何回か、一緒に働いている人を上司という立場で、評価をしたこともあるので、上司はどういう人を評価するのかといった点は、そうだろうなと思う点は多々あった。まだ、上司に仕える立場で、評価される経験しかない人は、読んでみるといいかもしれない。

この本の中で、私にとって、目新しかった言葉が、今日ののタイトルにも上げたセルフ・エフィカシーという言葉である。英語で、Self-Efficacy、自己効力感と訳されるようだ。

セルフ・エフィカシーとは自己効力感ともいいます。よくこれを「自信」のことだと思っている人がいますが、セルフ・エフィカシーは自信ではありません。やったことのない課題を前にして、たとえ自信はなくても「まあ、なんとかできるだろう」と思える心の状態のことです。自分に対する信頼感といってもいいでしょう。(中略)いまのような、過去のやり方が通用しない、何が正解かわからない時代には、経験があることはうまくできるけど、未知の状態に置かれると手も足も出ないという人の価値は限りなく低くなるのは仕方のないことです。一方で、想定外のことが起こって、上司が頭を抱えているとき、臆せずその状況に立ち向かえる部下がいれば、必然的にその人のところに仕事が集中するようになるでしょう。
(『好きにやっても評価される人、我慢しても評価されない人』204ページ)

たしかに、これまでの自分の経験を振り返っても、「これは難しくてもうダメだ」とあきらめた途端に、思考停止状態になり、何もできなくなってしまう。自ら、可能性の扉を閉ざしていたのだろう。
先の道筋が見えなくても、「まあ、なんとかなるさ」と思ってあきらめずに考えていると、ふとひらめくことがあって、それがきっかけとなって、先に進む糸口が見つかることが多かったように思う。

来週は、いよいよ、公認内部監査人(CIA)の試験。過去の問題もほとんど公開されておらず、まさに、未知の状態で、まったく自信はなく、ただ「なんとかなるだろう」と思いながら、準備をしている状況だ。セルフ・エフィカシーだけを拠り所に、試験本番に臨むしかない。「最後まで、あきらめない」

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2006年11月 5日 (日)

ウオーキング減量作戦経過報告、67kg台へ

10月中旬から下旬にかけて、68kg台前半で足踏みしていた体重は、11月に入り、3連休初日の3日(金)の文化の日の朝の計量で67.8kgを記録、昨日4日(土)も67.8kg、今朝はさらに67.7kgと3日連続で、67kg台後半をキープしている。

昨日は、ずっと家にいて、15日・16日の試験の準備をしていたので、1日動くことがなかったので、運動は朝のウオーキングだけで、夕食後の歩行歩数は約7000歩。それから、近くのレンタルショップまで、歩いてDVDとCDを借りに行き、何とか1万歩を確保した。

67kg台まで戻って、ようやく1年前の水準というところだろう。年内に何とか65kg台まで持って行ければと思っている。

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2006年11月 1日 (水)

河合隼雄文化庁長官、休職

昨日(10月31日)の朝日新聞の夕刊で

政府は、31日、病気療養中の河合隼雄文化庁長官の後任に近藤信司文部科学審議官をあてる人事を閣議決定した、11月1日付けで発令し、河合長官は同日付けで休職(中略)。
河合長官は(中略)、今年8月、奈良県の自宅で脳梗塞で倒れ、入院を続けている。

とニュースが伝えられていた。改めて、インターネットで他社のニュースも検索してみると、

日経(NIKKEI NET)では
「病気休職中の河合隼雄文化庁長官は定員外となるが、長官職にはとどまる。」とあり、

読売(YOMIURI ONLINE)では
「当面は休職扱いとすることにした。河合氏の任期は来年1月17日まで。」と伝えている。

さらに読売では

伊吹文部科学相は31日の記者会見で、交代の理由を、「長官の健康がなかなか回復せず、11月に文化庁で多くの行事もあるためだ」と説明した。

との文部科学大臣のコメントも伝えている。

本人に意識があって、当面、職務復帰不可能ということであれば、その時点で自発的に辞職ということになるのだろうが、倒れた途端意識不明なので、文部科学省としても、一方的に職を解くというわけにもいかず、任期満了までは、定員外という形で長官職に留まるということになったのだろう。

いずれにしても、容態に変化はなく、病状は回復していないということだろう。ただただ、健康を回復されることを祈るばかりである。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職  

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2006年10月31日 (火)

ウオーキング減量作戦、10月経過報告

先日、減量がようやく▲3kgを達成したとの記事を書いたが、10月、1ヶ月間の報告を簡単に。

10月1日の朝の計量では、体重は69.4kg。その後、12日に68.9kgと久々に68kg台を記録、17日はブログでも書いたように68.5kgまで進む。その後、68kg台前半のゾーンで一進一退を繰り返しながら、25日は67.9kg、昨日(30日)には68.0kgを記録したが、昨日の夜、久々に外でお酒を飲んだせいで、若干戻りがあり今朝は68.3kgだった。それでも、月初から見れば▲1.1kgの減量を確保。今後も毎月▲1kgは達成したいところだ。

この間、記録を会社に歩数計を着けて行くのを忘れた1日を除き、30日間1日1万歩の目標はクリアした。多い日には17000歩以上歩いたこともある。一方、29日(日)は、ずっと家にいて出歩くことが少なく、夜になっても8000歩台だったので、寝る前に家の近くを10分ほど歩き回って、なんとか数字を確保したこともある。

実感としては、67kg台定着は目前という感じなのだが、いつ完全に68kg台から抜けだすことができるか、ここ数日が勝負だろう。さて11月1日は何kgからスタートすることになるのか、明朝の計量が楽しみである。

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2006年10月23日 (月)

『病気にならない生き方』読了後の食生活の変化

10月の上旬に『病気にならない生き方』を読んでから、妻の賛同と協力も得て、少し食生活を変えてみた。

①始めたこと
・朝、起きた後に、水(ミネラルウオーター)を500cc程度飲む
・ご飯を白米から雑穀入りに変えた
・煮豆(黒豆)を必ず食べるようにした
・蛋白源は、魚を多めに

②やめたこと
・牛乳、ヨーグルト、緑茶はいっさい飲食せず
・コーヒーも、特別な理由がなければ飲まない
・肉類も、なるべく少なくする

合わせて、食生活ではないが、平日の朝、
・6時頃から家の近所を10分ほど歩く、
・6時半からラジオ体操をする
の2つを始めた。

一度に生活を変えたので、何が要因になっているのか、よくわからないが、従来、便秘気味になることがよくあったのが、すっかり影を潜めてしまった。気のせいか、最近は食べたものの消化のスピードが以前より速くなっているように思う。ミラクル・エンザイムという酵素の原型のようなものが本当にあるのかどうかはわからないが、作者であるドクター新谷が勧める食生活は、私の体にはあっていたようだ。

食生活の変化の好影響は、継続中の減量にも現れてきていて、体重も昨日(22日)の朝の計量では、68.1kgまで減ってきた。68kg台前半のレベルに定着してきた感じなので、今月中には、一気に67kg台突入を目指したい。

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2006年10月17日 (火)

ウオーキング減量作戦、3kgの壁に到達

札幌の思い出は折りに触れて書くとして、今日は、減量のその後の経過について。先週は週半ばの12日(木)から、13日(金)・14日(土)と3日連続して朝の計量で68.9kgを記録、ようやく68kg台も定着してきたと安心して土曜日に少し油断して食べ過ぎたのと、ウオーキングもギリギリ1万歩と少なかったこともあって、15日(日)の朝には、一気に69.8kgまで逆戻りしてしまった。

これはまずいと、日曜日は意識して歩き、食べる量も控えたところ、23日(月)の朝には500g減って69.3kg。月曜日は、職場の中での移動も多く、また昼食のカロリーを抑えめにした効果も出たのか、今朝(24日)は一気に68.5kgまで体重が落ちた。ここのところ、68.9kgが一つの壁になていたので、ようやくそれが突破できた。
また、今回の減量を思い立ち、真剣に取り組み始めたのが9月の中旬で、その時ピークの体重が手元の記録では71.5kg(9月12日)だったので、ようやく、最初の目標である3kg減量に達したことになる。

体重の減り方も、波があって、いくら頑張ってもなかなか減らない時期があるかと思えば、今朝のように一気に1kg近く減ることもある。こういう一気に壁を乗り越えるブレイクスルーがあると、ヤル気もでて、減量に弾みがついていく。

これで弾みをつけて、4kg、5kgと減らしていきたい。しかし、そう決意した矢先、今日は夕方、職場で飲み会に誘われた。飲み食いとも控えたつもりだが、さて明日の朝の計量でどうでるだろうか。自己管理力が問われるところだ。

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2006年10月13日 (金)

ウオーキング減量作戦の応援団

友人からメールをもらった。彼も、最近になって万歩計を着けて、歩数を計り始めたとのこと。私のブログの記事も読んでくれているようで、「お互い少しずつ頑張ろう」とのコメントももらった。

私の現状は、というと、3連休前に68.9kgと久しぶりの68kg台を記録したと書いたが、連休の最終日に家族で外食したこともあって、再び69kg台半ばまで戻ってしまった。それを昨日までの平日の3日間で、極力歩いて戻し、今朝はなんとか再び68.9kg。明日の朝、どういう数字になるだろうか。再び、週末で増えないように、気を付けなくてはならない。

メールをもらった友人に負けないように、頑張らなくては。減量作戦の最初の一里塚である▲3kgの壁を早く突破したい。

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2006年10月 7日 (土)

ウオーキング減量作戦のその後・その2

今朝の体重測定で、久しぶりの68kg台である68.9kgを記録。何ヶ月ぶりだろうか。朝、着替えた後の着衣の状態で計っても70.3kgで、ピーク時、裸で71kg台半ばまであったったことを思えば、明らかに減ってきた。

いくら減量のためとはいえ、食事の時に出されたものを残すということが、できない性分なので、カロリーの取りすぎになりがちだ。減量が長続きするかどうかは、1日100gでもいいから減っていることが目に見えて、わかることである。ウオーキングで、少しでもエネルギー消費をすることは大事だが、この2週間ほどの計測では、1万5000歩歩いても消費カロリーは400カロリー程度である。やはり、食べ物で取るエネルギーの量をコントロールすることも重要だ。

職場の食堂は、定食と麺類しかメニューがなく、カロリー調整のためか、麺類のほうでもメインの麺の他に、定食と同じ食材を使うコロッケや餃子が付いたりして、結局、麺も定食もカロリーに大した差がなくなってしまうのだ。先週からは、配膳してもらう時に、自分で多すぎると思った時は、食堂の人に、最初から皿に盛らないように頼んで、自分なりに調整することにした。これなら、残さなくてよい。

先週の金曜日からは、本社での仕事が始まった。本社の食堂はメニューも多く、高カロリーから低カロリーまで選べるので、500カロリー台の定食を選び、そこにワカメの酢の物を付けることにしている。今月は、あと2週間本社で仕事なので、その間にいっきに68kg台半ばまでもっていき、それを維持しながら、さらに67kg台を目指したい。

その前に、まず、この3連休で暴飲暴食を控え、少なくとも今朝の68.9kgを維持しなくては…。

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2006年10月 6日 (金)

年齢の法則

10月に入って、ひとつ年をとり、46歳になった。

このブログでも、何回か紹介している『こころを癒すと、カラダが癒される』(チャック・スペザーノ&ジェニー・ティスハースト著、伊藤由紀子訳、株式会社ヴォイス)の中に「年齢の法則」という章がある。

チャック・スペザーノ博士のこころを癒すと、カラダが癒される

年齢の意味
 来るべき年に、あなたはどんなチャレンジに直面するのでしょうか。その年のあなたのプロセス全般に流れている力学的な法則は何でしょう。ある年齢で起きた出来事にはどんな意味があったのでしょうか。
 年齢は、その年の個人的なプロセスの手がかりを与えると同時に、過去に起きた出来事についても何らかの洞察を与えてくれます。あなたが、今人生のどの辺にいるのか、またその1年で癒さなければならない事柄は何なのかを示してくれる指標なのです。
(『こころを癒すと、カラダが癒される』146ページ)

年齢を表す数字にはそれぞれ、意味があるという。例えば、今の自分の年齢に関わるところを見てみると

[4]
4は慢性的な問題を癒しながら、人生に新しい土台を築く時という意味です。この年のチャレンジは障害を突き抜ける道を探し、人生を築く礎石としてそれを使うということです。
[5]
5は変容のシンボルです。人生に変容をもたらすチャンスがあり、新しい生き方を始める年です。この年のチャレンジは、変化に伴う独特の居心地の悪さにあります。変容とは、一度受け止めさえすれば、底抜けの楽しさとユーモアをもたらしてくれます。
[6]

6は成熟、ハート、そして感情的な勇気を表します。この年には、人々に自分自身を与えることに専念することが求められます。また、家族のダイナミックスや深い感情を扱う年であるかもしれません。この年のチャレンジは、深い感情や家族のテーマにはまってしまい、成熟することに対し消極的になることです。

40代は、いわば「人生の新たな土台を築く10年」ということになろう。「4」が重なる44歳では、自分の場合、単身赴任先で転倒して肩を骨折し、3週間入院するという大きな事件があった。
昨年10月、45歳で、東京に戻り新しい職場となり、まさに新しいチャレンジの1年だった。

そして46歳。たしかに、この1年で家族の境遇は大きく変化する。計算したわけではないのだが、3人の子供が3年毎に生まれたこともあり、今高3(長女)、中3(次女)、小6(長男)のそれぞれが、今の学校を卒業し、次のステップへ進むことになる。これから1年は、3人がなんとか自分なりの次のステージを見つけて、一歩踏み出し、その新しい環境に慣れてもらわなくてはならない。その過程で、父親の役目も求められると言うことだろう。

『こころを癒すと、カラダが癒される』という本は、特に根拠が示されず結論だけが書かれているので、時に「まゆつば」もののように感じることもあるのだが、不思議と自分のことについては、当たっていることも多く、何かあると開いて見ている。

「人々に自分自身を与えることに専念する」というほど大げさではないが、明日は、次女が志望する高校の説明会に付き合うことになっている。

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2006年10月 4日 (水)

ウオーキング減量作戦のその後

最近、以前より仕事が忙しくなって、家に帰って来て、夕食を食べると、ブログに向かって書き出す前に眠たくなって、ひと休みと思いふとんに横になったら最後、目覚めたら翌朝ということが、何日か続いてしまった。

歩数計(万歩計)をつけて1日の歩数を計りだして10日ほど。今のところ、1日1万歩の目標はクリアしている。仕事のある日は、通勤の行き帰り、職場の中での移動などで9000歩程度は歩いているようで、起床後に家の周りを10分程度散歩する(約1000歩)、会社の帰りに最寄り駅の日本橋でなく2駅先の竹橋まで歩く(+2000歩程度)などのちょっとした工夫で、あまり無理をせずに1万歩は歩けるようになった。むしろ、会社のある日は、体に少し負荷をかけエネルギーを消費するという意味では、1万5000歩を目標にした方が効果がありそうだ。(ちなみに今日は、朝の散歩と帰りの竹橋までの歩きを行って現在約1万4400歩である。)

問題は、むしろ休日で、この間の日曜日は、早朝ウオーキングで、近くの私鉄の駅まで片道30分弱を往復したものの、あとは家にいたこともあって、夕方、妻の買い物に付き合ってスーパーの中を歩き回ってようやく、ギリギリで1万歩を確保した。

問題の体重の方は、9月末の職場に打ち上げでの飲み食いも何とか乗り越え、69kg台は維持しているものの、69kg台のレンジの中で、推移しており、今朝も69.4kgだった。前回、10kg減量した時も、最初の3kgを減らすのが大変で、3kg減った後は、順調に減りだした覚えがある。ここが、踏ん張りどころだろう。
1日100gでもいいから減らすこと、その小さな積み重ねしかない。

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2006年9月27日 (水)

メンタルヘルス・マネジメント検定試験開始の意味を考える

先週土曜日、新宿紀伊国屋書店の本店に行った際、『メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキスト』(大阪商工会議所編、中央経済社)という本が目に入った。テキストは、Ⅰ種マスターコース、Ⅱ種ラインケアコース、Ⅲ種セルフケアコースの3種類に分かれている。

テキストを手にとってパラパラとめくってみると、職場での働く人の「心の健康管理(メンタルヘルス・マネジメント)」についての検定試験を、大阪商工会議所の主催で行うということらしい。
Ⅰ種は会社のメンタルヘルス対策を担当する人事部労務担当者・管理者や経営者向け、Ⅱ種は職場で部下を持つ管理職向け、Ⅲ種は自らのメンタルヘルスについて学ぶ一般社員・新入社員向けとのことで、とりあえず、Ⅱ種ラインケアコースのテキストを買ってきた。

これまであまりなじみがなかったので、改めて調べてみると、新しく開発された検定試験とのことで、今年(2006年)の10月8日(日)が第1回の試験らしい。(大阪商工会議所の検定の説明はこちら

「公式テキスト発行にあたって」と題したテキストのまえがきには、次のように書かれている。

産業界にとどまらず社会全体において、働く人たちの「心の健康管理(メンタルヘルス・マネジメント)」への関心が高まっています。成果主義の導入、人員削減による労働負担の増大など、労働者を取り巻く環境はストレスを増長しやすいものとなり、心の病による休職や離職、自殺の増加が深刻な社会問題となっているからです。心の病を予防するには、個々人が正しい知識を携えて自他のストレスに対処することがきわめて重要です。また、雇用する企業においても、社会的責任の履行、人的資源の活性化、労働生産性の維持・向上のためには、メンタルヘルス対策を適正に講じる必要があります。
(『メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキストⅡ種ラインケアコース』大阪商工会議所編、中央経済社発行 ページⅰより)

商工会議所は経営者サイドの立場から、企業防衛的な視点で、この検定を企画したとは思うけれど、背景はどうあれ、半ば公的機関とも言える商工会議所の検定に職場での心のケアという問題が取り上げられたということは、大きな一歩ではないかと考えている。

私自身は、心の問題を一つのテーマとして昔から関心をもっていたし、自分が上司となって部下を持つ身になった時には、心の問題ということをいつも意識してきたつもりだ。
しかし、職場の上司や同僚で心の問題を真剣に考えている人はあまりいなかったように思う。
ノルマや成果主義に縛られる上司が、自分の部署の実績が思うように上がらないと、成績の悪い担当者を「なぜできないのだ」と罵倒したり、「契約が取れるまで帰ってくるな」的な圧力をかけることがあたり前のように行われる職場もあった。私には、仕事の名を借りた、職場における単なる「社会人いじめ」にしか見えなかった。

高度成長時代は、日本経済のパイ全体が拡大を続けていたので、サボっている営業担当者は叱り、気が弱く尻込みしている営業担当者は「尻を叩いて」営業活動を行わせ、顧客との接触頻度を増やせば、拡大するパイのどこかにかじりつけただろう。結果として実績が上がれば、上司は自分の指導の結果と満足し、叱られたり・尻を叩かれた担当者の側も、相応の評価をされれば、さほどストレスを溜めることもなかったのではないかと思う。

しかし、マイナス成長・低成長の時代となった現在では、ただ上司が叱咤激励、罵倒と尻叩きだけをしていても、増えないパイのどこかにかじりつける確率はきわめて低い。上司はますますイライラし、実績も上がらず罵倒されるだけの担当者は、ストレスが溜まる一方である。

問題はそれが、職場の中だけで完結しないことだ。職場でストレスを溜めた父・夫は、家庭に帰り、妻や子どもにイライラをぶつけ、ストレスを解消する。あるいは、子どもに自分のような思いはさせまいと、子どもの思いはそっちのけで、子どもの教育にエネルギーを注ぐ。結果、父や夫が溜め込んだストレスは、家庭で通じて妻や子どもに波及し、それが妻の精神の不安定や、子どもの学校でのいじめという形で、マイナスの連鎖として広がっているような気がして仕方がない。(『子育てハッピーアドバイス』の3冊の中にも、仕事でイライラしている父が、子どものことで妻を叱り、妻が子どもに対し「あなたのせいでお父さん叱られた」と怒るという事例が、悪い例として紹介されていた)

この検定試験が社会的に認知され、多くの企業の経営者、人事部、各職場の管理者に浸透していけば、上に述べたような社会全体に蔓延するマイナスのスパイラルの発生源が少しは減る方向に向かうのではないかと期待している。

10月の試験の申込は9月1日までだったようだ。第2回はⅡ種・Ⅲ種のみだが、来年3月の実施のようだ。秋に控える各種資格試験の受験が終わったら、Ⅱ種の受験を検討しようと考えている。

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2006年9月17日 (日)

突然の腰痛

今日になって、腰痛に悩まされている。この3連休、昨日、おとといと家族と車で出かける事が多く、ずっと座っている時間が長かったせいだろうか、背中を伸ばすと腰のあたり痛みが走る。

体のトラブルで思い出すのは、肩の骨折の時に、見事に当時の自分の状態を言い当てていた『こころを癒すと、カラダが癒される』(チャック・スペザーノ&ジェニー・ティスハート著、伊藤由紀子訳、VOICE発行)である。

この本で、腰にトラブルのある時の精神状態を調べてみると、

[腰]Hips
 腰は胴体と下肢をつなぐ股関節を形成しています。腰の問題は変化への怖れを表しています。変化への欲求はあるのですが、その一方で、まだ変化への怖れも感じています。(中略)「および腰になる」「腰が引ける」「話の腰を折る」などと言います。
 右の腰に支障がある時は、キャリア面で何か変わるようもとめられています。左の腰であれば、人間関係で、変化を求められています。
(チャック・スペザーノ&ジェニー・ティスハート著『こころを癒すと、カラダが癒される』202ページ)

と書かれている。

今日痛んだのは、左右の区別なく腰全般についてなので、キャリア面なのか人間菅関係によるものなのか、よくわからないが、どちらも思い当たる節が無いわけでもなく、しばらく、注意しておく必要があるかも知れない。

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2006年9月13日 (水)

3度目の正直?今度こその減量宣言

このブログで、何回か減量宣言をしたものの、体重が減るどころか増える一方なのは、先日も書いたばかりだ。しかし、体重が増えて、健康にマイナスはあれ、プラスになることなどない。

先週の日曜日、小6の長男と一緒に、久しぶりに市のスポーツセンターのプールに泳ぎに行った時のことだ。
肩のリハビリと減量のため、今回も500m泳いだ。休憩時間にプールサイドに座り、柔軟体操と思い、中学・高校の陸上部時代からいつもやっているように、プールサイドに座り足を伸ばし、上体を倒して手を伸ばし、つま先を触ろうとしたが、その時、衝撃的な事実に直面した。お腹に溜まった脂肪の塊がじゃまをして、つま先まで手の指先が届かないのだ。未だ、かつて経験したことのない屈辱。これは、ただの中年太りでなないか。

月曜日の夜は、昔の上司と飲み会があり、更に体重は増加。71kgを突き抜け、72kgに届く勢いだ。このままでは、ピークの73kgどころか、ピークを更新し、75kg→80kgと増える一方である。身長170cmに足りない自分の体重80kgの姿など想像するだけでおぞましい。

減量できるかどうかは極めて簡単な算数だ。「摂取カロリー」-「消費カロリー」=プラスであれば体重増。マイナスであれば体重減である。現状、摂取カロリーを極端に調節することは、食べ物に対して以前より意志薄弱になっているので、全く期待できない。ならば、消費カロリーを増やすしかない。

日中デスクワークで、外出することも少ないので、あとは通勤で工夫するしかない。8月14日の首都圏大停電のあと、8月31日にも通勤に使っている地下鉄東西線が停電でストップし、いつも「日本橋」で降りるところを、電車が停車した2駅前の「竹橋」で降りて職場まで歩いた。その時、思ったほど時間がかからなかったこともあり、昨日、思い立って、帰り道「竹橋」まで歩いてみた。

職場から日本橋まで歩くと7分程度、日本橋-竹橋間が地下鉄で4分。計10分程度。職場から竹橋まで歩くと、地下鉄ルートよりのショートカットする形になることもあって、所用時間25分前後だ。15分余計に時間がかかる程度なら、大した負担にもならない。歩く経路には、日本橋三越、日本銀行、大手町のオフィス街と目先も変わり、気象庁が締めくくりだ。

今朝はその甲斐あってか、1kg近く体重が落ちていたので、いい気になって、今日も小雨の中、竹橋まで歩いた。さて、思惑通り、減量が進むかどうか。上手くいけば、節目節目で、このブログでも報告したい。もし、なしのつぶてであれば、次なる4度目の減量宣言が出たときに、思い出して大笑いしていただければと思う。

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2006年9月12日 (火)

香山リカ女史が語る「偶然の出会い」のとらえ方

香山リカ著『14歳の心理学』(中経の文庫、中経出版)を読んだ。サラリーマン向けのビジネス書などでなじみがある中経出版が文庫に進出し、最初に世に送り出した10冊のうちの1冊である。

14歳の心理学 (中経の文庫)

著者は、以前も書いた通り「我らの世代論~すべては努力と実力次第?」4月9日・記、自分と同じ1960年生まれということで親近感もあり、また精神医学の先生で、河合隼雄とは違った切り口で心(こころ)の問題を扱っているので、著作は何冊か読んでいる。
生意気にも読者として注文をつけるとすれば、個々の評論にはなかなか切れ味鋭いものがあるのに、1冊の本としてまとめられたものを読むと、「結局何を一番訴えたかたのかな~?」と論旨がハッキリしないような感じを受けることがあるのが残念だというところぐらいだ。

今回は、益田リミさんの4コママンガを要所要所にちりばめて、お父さん向けの「子(思春期の娘)育てハッピーアドバイス」を狙っているなと思われる作りだ。
内容は、『子育てハッピーアドバイス』ほど、ソフトな感じはなく、特に第4章の”「生きづらさととなりあわせで心を襲う”と第5章の”子の「現実感」をもっと深く知る」の2章は、若者を襲う離人症(生きている現実感を感じられない)ことから起きている自殺や事件を取り上げていて、ここまで来てしまったら救いようがあるのだろうかと暗澹たる気持ちになる。

暗澹たる気持ちになったお父さんへは、(おそらく、そこまでひどくなる前に)「娘を信じ、ひとりの人間として尊重する」「娘とうまくやりたければ、まず妻とコミュニケーションを(とること)」という処方箋が書かれている。

私が、一番なるほどと思ったのは、第3章で、「偶然の出会い」というものについて語った部分だ。10年くらい前の北欧でのフェリーの沈没事故の際、ある男女が「生きて帰れたら結婚しよう」と約束し、二人とも救出され、相手の消息を調べ、結婚に至った話を紹介した後で、次のように説明している。

偶然の出会いを経験しやすい体質って、たしかにあるのでしょう。
 では、どうすれば偶然出会いを起こしやすくなるのか。先ほどお話ししたフェリー事故の場合、後から研究者が分析したところによると、命が助かるかどうかの分かれ目は 「集中力」と「パニックの起こしにくさ」だったそうです。「船が座礁したぞ!」と聞いて、(中略)「座礁といっても沈没までにかなり時間があるぞ。その間になるべく逃げやすい出口を探して、救命胴衣を着けて…」と冷静に集中して考えることができた人は、命が助かった。「結婚しよう!」と叫び、その後、助かったふたりも、おそらく飛び抜けて集中力があり、すぐにパニックにならない冷静さをもっていたのでしょう。だからこそ、精神が研ぎ澄まされてた状態で、「この人こそ、生涯のパートナーだ!」と出会いまでキャッチすることもできたのです。
(中略)
 つまり、出会いは「あーあ、どこかにステキな出会い、ないかなぁ」と思っているうちは、なかなか訪れない。(中略)「なんとか沈没する船から助かりたい!」と(中略)強い決意を持ち、その目的のために集中して考えたり動いたりしていると、思わぬ出会いが飛び込んでくるものなのです。飛び込んでくるというよりは、精神の集中によってセンサーの感度が上がっているので、自分で「この人は大切だ!」と出会いがよくみえてくる、というほうが正確かもしれませんが。
(中略)
出会いは求めるものではなく、気づくもの。そして、そのために必要なのは、出会い以外の何かを求める集中力とエネルギーです。
(香山リカ著『14歳の心理学』中経の文庫、101~104ページ)

しばらく前に書いた「気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態」(8月24日・記)の中で取り上げた河合長官の「深い必然性をもったものほど、一見偶然に見える」との命題の答えを、香山リカ女史は教えてくれたような気がする。
あることに集中し、精神の感度が上がっている時は、普通なら見過ごしてしまう出会いに活性化された潜在意識が反応し、自分でも選択したという自覚がないうちに、人生における大きな選択をしているのだろう。そう考えると、納得がいく。

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2006年9月 8日 (金)

90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

河合隼雄著『縦糸横糸』(新潮文庫)を読み終わる。1996年5月から2003年5月まで、月1回産経新聞大阪版に連載されたコラム72回分をまとめて本のしたもので、単行本は2003年7月に発行され、この9月に新潮文庫に加わった。

縦糸横糸 (新潮文庫)

その時々の世間での出来事をテーマに河合隼雄が持論を語っている。振り返って見れば、90年代後半からこの本がまとめられた2003年までは、日本経済の長引く不振で、日本社会全体が暗くすさんでいた時期でもあり、バブル崩壊後の失われた10年(15年)の社会史にもなっている。72話の多くが、小学生や中学生といった少年・少女が起こした事件をテーマにしている。

しかし、河合氏は常に、事件の背景にある真の原因を探ろうとする。それは、子供を暴発に追い詰める、家庭であり、社会であり、それらの構成員である大人一人ひとりである。大人自身が、自分十分見つめておらず、自分に自信がもてていない。信頼できる人間関係が築けない。家庭が、憩いの場とならない。それが、子供を追い詰めている。

そんな大人の姿を描いた一節がある。『「今、ここ」の自分への不満』とサブタイトルがついたコラムで、関西の私鉄で混雑時の社内での携帯電話の電源を切るように呼びかけ始めたことを取りあげたものだ。

いつどこから電波という風が吹いてくるかわからないのを、いつも待ち受けている姿勢で、何かにほんとうに集中できるはずがない。というよりは、何かに集中するのが怖いので、それを避けるために常に外からのはたらきかけを気にしている、というのが現代人の姿ではないだろうか。
 外からのはたらきかけを待つというと何かに心を配っているようだがさにあらず、ひとたび携帯のベルが鳴ると周囲を全く無視して話しはじめる。他人の迷惑などお構いなしである。そこには極端な自己中心性が認められる。
◆空しい枝の絡み合い
 常に外とのつながりを求め自己中心的である姿は、自己に深く沈潜することによって他とのつながりを見出してゆく姿とはまったくの対極をなしている。現代人の特徴としての人間関係の希薄さ、まずさは、その根本に自分の内面とのつながりの無さということにある。(中略)自分の内界と切れてしまっているので、何とかして外とのつながりによってそれを補償しようとするのである。
 このような姿は、たとえてみると、根から切れた沢山の木が、お互いに枝を絡み合わせることによって、やっと立っているのに似ている。辛うじて倒れずに居るが、やがてはかれてしまうことだろう。この空しい枝の絡み合いをネットワークなどと呼んでいるのである。
 (中略)携帯電話禁止週間などというものがあったりすると、もう少し人間が自分の内面もこめて、互いに向き合うことをするようになるだろう。
(河合隼雄著『縦糸横糸』新潮文庫、243~244ページ)

時々、こうしてブログを書いていると、妻から「ブログばかり書いて、私や子供たちのことはほったらかし」と怒られる。根のない木にはなっていないつもりだけれど、そう言われれば、ブログに向かう時間が増えた分、家族と向き合う時間は減っているかも知れない。うまくバランスを取ることを考えなくてはいけないと少々反省している。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 7日 (木)

『明恵 夢を生きる』を読み終わる

昨日、『明恵 夢を生きる』(河合隼雄著、講談社+α文庫)を読み終わった。明恵という僧侶の精神性の高さに驚嘆するばかりである。

明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)

私は、昔から歴史好きだったこともあって、大学受験の際の共通1次試験も、日本史・世界史という組み合わせで臨んだ。大学時代、社会人のなってからも、歴史関係の新書はずいぶん読んできた方だが、正直なところ、20年間積ん読になっていた京都松柏社版の『明恵 夢を生きる』でしか、「明恵」の名前を見ることはなかった。

試しに、高校時代に使った日本史教科書の定番である山川出版社の赤い表紙の「詳説日本史新版」開いてみる。「鎌倉新仏教の誕生」のサブタイトルで法然、親鸞、日蓮、一遍らが語れたあと最後に、次のように書かれている。

これにたいし、旧仏教諸宗は、いぜんとして大きな力をもっていたので、新仏教を弾圧して、自己の宗勢をまもろうとし、その反面では反省と改革をすすめた。法相宗の貞慶(解脱)、華厳宗の高弁(明恵)、律宗の叡尊らは戒律の尊重を説き、奈良仏教の復興に努力した。叡尊の弟子忍性(良観)は貧民救済・施療などの社会事業につくした。
(井上光貞・笠原一男・児玉幸多『詳説日本史新版』昭和53年、106~107ページ)

その後も、書店等で新しい山川の『詳説日本史』の教科書を見つけるたびに買いたして、他にも、1991年版、1999年版、2003年版が手元にあるが、旧仏教側が新仏教を弾圧したという記述がなくなっている程度で、明恵が奈良仏教(南都仏教)の復興に尽くしたということ以外は書かれていない。

しかし、現実の明恵は、自分の夢を丹念に記録して自分なりの解釈も加えている。年齢を加え経験が増すとともに、夢の内容が変化していく。最後は、自分の中に菩薩が入ってくるという夢を見る。一人の人間の生き方として見ると実に潔いし、年々成長し、その思想の深まりが、如実に夢に反映される様子は「すごい」というしかない。

おそらく、約20年の間、この本を開いても読み進めなかったのは、本の中から、明恵がおまえにはまだ早いと囁いていたのだろう。今の自分でも、十分読みこなせたとは思えないが、なんとか読み通すことができた。

機会があれば、戦前、広く日本人に読まれたと言われる『明恵上人伝記』にも挑戦してみたい。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 6日 (水)

昔減量できたのに、今痩せられない理由

このブログで、何回か、減量宣言をしているが、体重は全然減らない。むしろ、着実に増え続けている。5月頃は、68kg台だったと思うが、今や71kgラインを巡る攻防だ。一時、ピークの73kgから63kgまで、約1年で10kg減量したことが自慢だったが、札幌に単身赴任していた1年で+2kg、札幌から戻ってからの11ヵ月で+6kgと10kg減量のうちの8割リバウンドしてしまった。

何故、以前のように減量できないのか?減量できた頃に比べて意志薄弱になったとしか言いようがないのだが、では、なぜ意志薄弱になってしまったのか。

減量が進んでいた頃、会社の合併で職場環境が大きく変わり、自分も暗中模索だった。今までと違うのはわかっているし、自分自身も変わっていかなければいけないのだが、どうすればいいのか、なかなか見えてこない。

今思えば、とにかく今まで自分の中に澱(おり)のように溜まったものを吐き出していかなければ、どうしようもないと思っていたのだろう。吐き出して、自分の中に新しい空間を作り出さなければ、外から新しいものを受け入れ、吸収することもできない。潜在意識で、切実に感じていたからだろう。苦もなく、減量ができた。

今、全くダメなのは、仕事で、新しく学ぶことが多く、それがそれなりに面白いこともあって、吸収することばかりで、外に捨てるものがない。これからも、しばらくは学ばなければならない。減量に臨む自分を巡る環境の変化が影響して、減量どころか増量が一方的に進むのではないか、と考えている。

もちろん、決してそれに甘んじるつもりはなく、何とかして減量したいと思っているが、外部から多く吸収しなくてはいけない中で、減量を進めるのは、想像以上に苦労を要することなのかも知れない。

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2006年9月 5日 (火)

気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2

今朝の日本経済新聞に脳梗塞で倒れ入院中の河合隼雄文化庁長官の主治医が4日(昨日)、河合長官の容態につき発表したとの記事が出ていた。
「小康状態を保ち、生命の危機的状況はほぼ脱した」とのコメントの一方、依然として「意識は回復しておらず重篤な状態」とある。

昨日は、小坂憲次文部科学大臣が高松塚古墳の視察し、河合長官の家族に面会したこともあり、容態の発表があっったのかも知れない。

まだ、意識不明ということだ。この世とあの世との境で、さまよっているということだろうか。

河合長官の最近の本に『大人の友情』(朝日新聞社、2005年)がある。

大人の友情

その中に、白洲正子さんから聞いた話がのっている。

 白洲さんが晩年病気で瀕死の状態になられた。親族一同が危篤と思って見守る中で、白洲さんは「大丈夫、大丈夫」と言われたらしい。一同、変な気がしたが、幸いにも奇跡的に治って元気になった。
 その後、お会いしたら、「私、死にかけたのよ」と話をして下さった。ふと気がつくと自分は一人で山道を歩いていた。ところが、桜の花が満開で、それが散りはじめ、その花吹雪のなかを、これなら一人でゆける、というので「大丈夫、大丈夫」と言ったらしい。そのとき、このようにして一人でちゃんとあちらにゆけるのだから大丈夫という気があったようだ。このような話であった。
 この話に私は深く心を打たれたし、さすがに白洲さんらしいなと感じた。
(河合隼雄著『大人の友情』朝日新聞社、85~86ページ)

ぜひ、ここで語られている白洲正子さんのように意識を回復し、あの世の入り口の話でも、我々に笑い飛ばすように語ってほしいものだ。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 4日 (月)

教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』

高校3年生の長女が先週末『子育てハッピーアドバイス』『子育てハッピーアドバイス2』(いずれも、明橋大二著、イラスト太田知子、1万年堂出版)の2冊を学校の図書館から借りてきた。「おもしろそうだし、イラストが可愛かったから…」との長女の弁。

子育てハッピーアドバイス

子育てハッピーアドバイス 2

著者の明橋大二さんは、1959年生まれの精神科医で、スクールカウンセラーもやっている。子育てに悩む若い母親向けに、明橋先生の語りを太田さんの可愛いイラスト・マンガを交えて伝える。1冊1時間もあれば、読めてしまう。

しかし、内容は濃い。2冊を通じて、明橋先生が強調するのは、子供の自分に対する信頼感(自己評価)を高めること。幼い時に、親がしっかり子供の甘えを受け止め、話を良く聞いてあげて、子供の自己評価・自己肯定感が育ってこそ、「しつけ」も、「勉強」も身につくと説いている。親が何をやれば子供の自己評価が高まり、何をやれば自己評価を低めることになるのか、日常によくあるケースがいくつも取り上げられている。親がよかれと思ってやっていることが、逆効果というケースがなんと多いことか。自分でも、反省させられることが多かった。
また、子育ての責任が母親ひとりに集中しがちで、母親自身に余裕がなくなっているケースが多いので、父親や周りの人々が母親をサポートすることも重要と強調している。

折しも、我が家では、夏休み明けの妻が、中3の次女の成績が伸びない、小6の長男はちっとも言うことを聞かないということで、「自分の子育てが間違っていたのではないか?」と真剣に悩み始め、私が「そんなことはない」となだめても全く効果がなく「中年クライシス」状態だった。家族全員で、この2冊を読んで「これってウチでもあるよね」とみんなで納得している。妻も、自分が客観視できて、少しは楽になったのではないかと思う。

きちんとしつけなきゃならない、と思って、子育てが負担になり、イライラしていると思ったら、いったん、しつけなんて、もうヤ~タと放棄して、肩の荷を下ろして、深呼吸してください。

そのほうが、よほど子供の将来のためにいい、ということもあるのです。
(明橋大二著『子育てハッピーアドバイス』1万年堂出版、116ページ)

この本は、今子育てに悪戦苦闘する若い親とっては、子育てのバイブルになるだろう。すでに子供が大きくなった私のような中年世代の親にも、自分の子育てを振り返り見直し、やり残したことがあれば、今からでもできることは試した方が、より良い親子関係作れるかも知れないという点で必読書だと思う。

*『子育てハッピーアドバイス』関連記事
9月4日:教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』
9月10日:『子育てハッピーアドバイス3』発売

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2006年9月 1日 (金)

『明恵 夢を生きる』を読み始める

河合隼雄文化庁長官のその後の容態はどうなっているのだろうか?特に、新しいニュースもないようである。

私は、河合長官の著書は、かなり読んでいるが、このほぼ20年積ん読になったままの著書がある。『明恵 夢を生きる』(京都松柏社発行)である。奥書を見ると、1987年4月発行で、私の手元にあるのは、1987年7月第3刷である。ほぼそのタイミングで購入しているはずだ。それから、19年が過ぎ20年目に入る。それ以後、新刊で出た著書もずいぶん読んでいるが、なぜかこの本は何度か手に取るが、挫折してしまう。

鎌倉時代の高僧明恵(みょうえ)は、自らの夢を綴った『夢記』を生涯を通して記しており、それを河合隼雄氏が心理学者、夢分析者の立場から語るもので、非常に興味深いテーマなのだが、なぜか進まない。

どちらかと言えば心理学の専門書的な位置づけで出されたこの著書は、その後、広く読まれ、1995年には「講談社+α文庫」の河合作品の1冊に加えられている。思い切って、そちらを買って読むことにした。文庫版のまえがきには、「文庫版出版にあたりふりがなをふやすことになり、…」とある。単行本の方を、なかなか読み進めなかったのは、ふりがなが少なくページ全体から堅い印象を感じていたからかも知れない。今度こそは、読み終わろう。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年8月24日 (木)

気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態

先週、8月17日(木)に河合隼雄文化庁長官が、奈良の自宅で脳梗塞で倒れたとのニュースが流れた。肺炎を併発し、重体。翌日には、小康状態との報道が続いたが、その後は、何も伝えられず、気がかりだ。

私は高校生の頃から心理学に興味があり、ずいぶん本も読んだが、一番多かったのは、河合長官の著作である。軽妙な語り口で、読むものを惹きつけてやまない。
河合氏は最初から心理学者を志していたわけではなく、京大の数学科を出て一時は高校の数学の教師をしている。その後、京大大学院で心理学を学び、米国留学の後、スイスのユング研究所で学んでいる。日本に戻り、京大で教鞭をとるかたわら、心理療法家として臨床治療も行い、その経験が著作の中にも反映されている。

私が、好きな本は何冊かあるが、特に、印象に残っているものに、『大人になることのむずかしさ』(河合隼雄著、岩波書店、1983年、1996年に新装版として再版)という著書がある。

大人になることのむずかしさ―青年期の問題 (子どもと教育)

これは、岩波の”子どもと教育を考える”というシリーズの1冊として出版された。教育書として出されたせいもあり、その後も、文庫化されたこともない地味な本であるが、私にはいつも読み返す一節がある。「職業の選択」という見出しの付いた一節である。

職業の選択や配偶者の選択においては、思いがけない偶然性が伴う時がある。職業や配偶者は、その人にとっての人生の一大事であるのに、偶然によって決めるなど、まったく馬鹿げているように思われるが、実際はその結果が上々であることも少なくないのである。(中略)
このことは、人生の不思議さといってしまえばそれまでだが、職業や配偶者の選択のような、あまりに重大なことになると、人間の意志や思考のみに頼っていては、あまりよい結果をもたらさないことを示しているのかも知れない。(中略)
深い必然性をもったものほど、人間の目には一見偶然に見えるといってもよく、そのような偶然を生かしてゆく心の余裕をもつことが、職業選択の場合にも必要であろう。もっとも、偶然を生かすことと、偶然に振り回されることは似て非なるものであることは、いうまでもないことである。一所懸命に行為してゆくにしろ、どこかに偶然がはいりこんでくるゆとりを残しておくことは、大人であるための条件のひとつといっていいだろう。
(河合隼雄著『大人になることのむずかしさ』岩波書店、168~169ページ)

「深い必然性をもったものほど、一見偶然に見える」との考えは、いつも、私の頭のどこかにある。いつも、「ただいま現在、こうしてあることの偶然を、どうやって次に生かしていけるだろうか?」と考えてきたように思う。
サラリーマンの仕事は、異動という自分の意志では、どうにもならないものによって左右される。新たな職場で、どんな仕事をし、社内外で誰と巡りあうかも、偶然の産物であろう。しかし、これまで、偶然に振り回されずに、なんとかやってこられたのは、この一節のおかげである。

河合長官には、なんとか回復してもらい、再び、現代の日本人に語りかけてほしい。 

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年7月30日 (日)

人生の四季 、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

先日から読んでいた『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)の原題は”THE SEASONS OF MEN`S LIFE”で、日本で最初に出版された時は、「人生の四季」というタイトルだったそうだ。文庫化する際、改題したそうだ。前のタイトルだと、老人の回顧録のようにも聞こえる。

その『ライフサイクルの心理学』の下巻を、昨日ようやく読み終わった。1970年前後の米国の4つの職業(生物学者、小説家、企業の管理職、労働者)の40代の男性10人ずつ計40人のそれまでの人生を丹念に面接調査で聞き出し、そこに共通にサイクルを見いだし、仮説を提示している。

本書の本来のテーマ自体は、まさに、このブログのテーマそのもので、じっくり、数回に分けて書きたいと思うが、この本の最後の方で書かれていた事が、印象的だったので、まずそれを書きたい。

「原始の時代からの長い人類の歴史の中で見れば、家庭というものは、狩猟が中心の時代に、次の世代が自ら狩猟に出て獲物を得て、自活できるようになるまで期間、最も効率的に次の世代を育てるためのシステムであった。20才前後に成人し、自ら生活できるようになるまでが、子育ての期間である。原始の時代には、病気、飢え等で、成人までに亡くなるものもいる。親の世代も、子供が巣立っていく40才の頃には既に衰え、死んでいく者も多かった。
40才以降の中年の時期を、人間が生きるようになったのは、歴史的に見れば、ごく最近の事なので、中年以降のうまい過ごし方は、まだ確立されていないし、それは、更に1000年~2000年という単位でしか、根付いていかないのではないか。」というような趣旨の事が書いてあった。
河合隼雄氏の『対話する人間』にも、似たような話があったが、あの時は、日本の戦国時代が人生50年という話であった。今回は、一気に遡って何十万年という単位の話である。

そう考えれば、我々個々人が悩むのも当然だし、ここで考えた何がしかが、次世代へ引き継がれ、1000年~2000年先の人間の生き方に多少でも役に立てば、それも悪くないかなと思ったりした。

*追記(2006年11月23日)
タイトルを当初の「人生の四季」から「人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月24日 (月)

「うつ」の話

NHKで「女性のうつ」についての番組があった。

育児による「うつ」、働き過ぎのよる「うつ」、妻の「うつ」を何とか支えようとするうち夫も「うつ」になってしまったケースも取り上げられていた。

今、読んでいる『ライフサイクルの心理学』では、年齢に応じて、それぞれの時期に解決しなければならない課題、身につけておかなければならない課題があって、それがタイミングに応じて、上手くクリアされていかないと、一見、順調に行っているように見えても、数年後には破綻をきたし、結局は、未解決の課題を解決することを迫られた例がいくつも出てくる。そのためには、自分の行動や考え方を修正し、生き方を変えていかなければならないが、簡単ではない。

「うつ」の場合も、「性格が几帳面で真面目な人がなりやすい」という一般論よりも、それぞれの個々人が、その時期に解決すべき課題をクリアしないままに、それに気がつかずに、次に進もうとしたことで、「潜在意識」の方が、それに対して「NO」という答えを突きつけたのが、「うつ」と考えることもできるのではないかという気がした。

『ライフサイクルの心理学』はようやく、上巻が読み終わったところで、下巻がいよいよ本論の40~45才の「中年への過渡期」「人生半ばの過渡期」の解説である。読み終わったところで、エッセンスだけでも紹介したい。

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2006年7月19日 (水)

本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』

5月の初めに、このブログで、『働くひとのためのキャリア・デザイン』(金井壽宏著、PHP新書)の紹介をしたが、その中で、取り上げられ、大きく影響を与えたと思われる著作が『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)である。

読みたいと思っていろいろな書店に行くたびに探していたのだが、ほとんど書店に在庫がなく、唯一、新宿の紀伊国屋本店だけ、上下2冊組の上巻だけ置いてあった。しかし、新刊コーナーにあるものの本自体が汚かったし、上下揃わなければ意味がないと、その時は買わずじまいだった。

その後も、見つからないので、半ばあきらめていたところ、6月下旬に掘り出し物が見つかる白金高輪の古書店に寄った時に、ひょっとしたらと探したところ、若干、ページが折られたりしているところはあるものの、新刊並に状態の良い上下2冊組を発見。価格も新刊で買えば上下2冊で2100円のところ、1102円とほぼ半額の値付けに、文句はなく、即購入した。
その時点で、少し読みかけたが、その後「ゲド戦記」シリーズを買って読み始めたので、「ゲド戦記」が終わるまで、小休止していたが、ほぼ1ヵ月ぶりに読み始めた。

読み物というよりは、心理学の報告書のような内容で、1968年から1971年にかけて米国エール大学で、当時40代の男性40人への面接調査をもとにして書かれたもので、人の成長は、少年期から青年期で終わるのではなく、成人して以降も、いくつかの節目を経ながら、成長が続いているという仮説を提示したものだ。
中でも、17才から45才までを大きく成人前期、40才から65才までを中年期とし、両方が重なる40才から45才までを中年期への過渡期ととらえ、17才から22才までの成人への過渡期と並んで、人生の転換期ととらえている。
現在では、生涯発達心理学という分野として研究が進められおり、本書自身は既に、この分野の古典とも呼べる存在のようだ。

久々に、ブログのテーマに沿った本格的な著作に挑戦だ。聞きかじり、読みかじりの自分にどこまで、解き明かせるかわからないが、自ら生きて来た45年とも照らしあわせながら読み、良い表現やフレーズがあれば、おいおい紹介していきたい。

年齢的には、そろそろ、中年期への過渡期が終わり、安定した中年期を迎えてもいい頃なのだが、相変わらず、のたうち回っているような気がする。著者レビンソンによれば、各期の始まりや終わりは、標準で示されたものに対して、前後2年程度の違いはあるようなので、まだ、しばらくのたうち回るのかもしれない。

*追記(2006年8月30日)
タイトルを当初の「本格派に挑戦」から「本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月16日 (日)

ゲド戦記別巻『ゲド戦記外伝』

ゲド戦記の別巻『ゲド戦記外伝』を、今日、ようやく読み終わった。

この別巻は、外伝というタイトルが示す通り、第1巻『影との戦い』から第5巻『アースシーの風』までのメイン・ストーリーに対して、アースシーの世界の過去から第5巻の直前の現在までを舞台にした5つのサブ・ストーリーと著者自身によるアースシー解説からなっている。

サブ・ストーリーとはいうものの、第1話の『カワウソ』は、ゲドが学んだロークの魔法学院がいかにして作られたのかが語られているし、第3話の『地の骨』はケドの故郷ゴント島での師であったオジオンがいかにして大地震を防いだのか、その真実を伝えている。第5話の『トンボ』は、ゲドが去った後のロークの魔法学院(女人禁制)に、自分が何者かを確かめるために、男装して入ろうとした女性の話であるが、このトンボと呼ばれる女性は、第5巻の『アースシーの風』で重要な役割を果たす。
米国で発表された際には、第5巻の前に、この別巻が発表されたようで、むしろ第4巻『帰還』までに細かく語られなかった部分を語り、第5巻につなぐ位置づけにあり、これから読む人は、この別巻を読んでから、第5巻『アースシーの風』を読んだ方が、より楽しめるだろう。

第1巻『影との戦い』を読み始めて、ほぼ1ヵ月。ようやく読み終わった。第5巻が終わったところでも書いたが、一度通読しただけでは、まだとても全体像がつかめた気がしない。あと2回くらい、読み通して始めてわかるような気がする。

スタジオジブリの映画の公開が間近に迫ったこともあり、ゲド戦記シリーズの解説本も出ているようだ。そういうものも、参考にしながら、作者の書こうとしたものについて考えることにしたい。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』(本編)
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年7月 9日 (日)

ゲド戦記第5巻『アースシーの風』

ゲド戦記第5巻『アースシーの風』を昨日読み終わった。

第4巻『帰還』で、魔術師としての力を失ったケドは故郷のゴント島に戻り、第2巻『こわれた腕環』でカルガド帝国の墓所から救い出したテナーと結婚し、テナーが引き取って育てている娘テルーとともに、ゲドの恩師であるオジオンの家で暮らし始める。第4巻では、最後に、ゲドとテナーの危機をテルーが救うことになる。

『アースシーの風』では、『帰還』からさらに年月がたち、老年となったゲドのところに、ハンノキという男のまじない師が訪ねて来るところから始まる。テナーとテルーは、第3巻『さいはての島へ』で、ゲドと生死をともにした後、王となったレバンネン(アレン)から呼ばれ王の住むハブナー島へ出かけている。
ハンノキは、死に別れた妻ユリに呼ばれて夢の中で、黄泉の国の石垣を乗り越えてあちらの世界に行きそうになる。どうしたら、夢を見なくなるか、ゲドに尋ねに来たのだ。ゲドは、動物を飼い自分の近くに置けば、夢を見なくなるかもしれないと考え、ハンノキに一匹の子猫をもらってやる。しかし、自分のところでは、これ以上なにもしてやれないと、レバンネン王の手紙を託け、ハブナーに行くように勧める。

一方、ハブナーでは、レバンネン王が西の海で竜が暴れ出したことに心を痛め、その対策を考えるための相談相手として、テナーとテルー(テヌハー)を呼んでいたのだ。そこに、和平交渉していたカルガド帝国から、使節団がやって来て、カルガドの王女を王妃とすることが和平の条件と言い残し、王女を置いて国に戻ってしまう。王女は、ハブナーの言葉が全くわからず、レバンネン王はカルガドに対し怒りと憎しみさえ抱く。さらに、西方で暴れていた竜がハブナー島の西岸にまで飛来し、畑を荒らしたりと暴れ出す。

今回もゲドは導入部で登場するだけで、話はレバンネン王とテナーを中心に語られる。最初は、無関係に見えたハンノキが亡くなった妻に夢の中で呼ばれることと、西方で竜が暴れていることが、実は関係があることが、だんだんと明らかになっていく。

今回は、生と死というものが大きなテーマとしてあって、西洋的な幽霊・霊魂的なものと、仏教的な輪廻転生というものが対比されている。また、言葉、民族・国といったものも、テーマとしてあり、重層的な話に仕上がっている。

とりあえず、外伝を除いたメインストリーの5冊を読み終わった訳だが、ひと言では言い表せない深みがある。あと、2~3回読み直して、細かい表現、登場人物の整理等を行う必要があるだろう。まちがいなく、一読の価値ありである。

別巻『ゲド戦記外伝』まで、読み終わったところで、改めて考えてみたい。

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2006年7月 5日 (水)

ゲド戦記第4巻『帰還』

ゲド戦記4巻『帰還』を昨晩、読み終わる。

話は、第3巻の『さいはての島へ』の直後から始まるが、主に語られるのは、第2巻の『こわれた腕輪』でゲドの墓所の大巫女から救出されたテナーのその後である。テナーは、ケドとともにゲドの故郷のゴント島に戻り、ケドの師である魔法使いのオジオンのもとに預けられるが、結局、テナーはオジオンから離れ、一人の女としての生きる道を選ぶ。農園主と結婚し、二人の子の母となる。夫はすでになくなり、子ども達も成人して巣立って、1人でくらしていた彼女は、虐待されやけどを負ったテナーという少女を預かって育て始めている。
そこに、かつて自分の世話をしてくれたオジオンが危篤だという知らせが入り、自分の農園を離れ、テナーをつれてオジオンを訪ねるために旅立つところから、話は始まる。

主人公はテナーであろう。途中から、『さいはての島へ』で、乱れた世の中を正すために、全ての力を使い果たし、ぼろぼろになって故郷に帰ってきたゲドが登場するが、常にテナーの目から語られる。亡くなったオジオンの家で、テナーはゲドを看病するが、ゲドは再びテナーのもとを離れていく。

中年となったテナーが、自分とは何かを模索する話で、女性の中年の危機を扱っている話のように思える。途中までは、まさしく中年テナーの物語であるが、最後に物語はファンタジーとして急展開する。(そこは読んでのお楽しみ)

おそらく、第5巻の『アースシーの風』で、これまでの物語を集大成する展開になりそうである。

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2006年7月 3日 (月)

妻のひとこと

昨日は、夕方、近くのショッピングセンターまで、妻と買い物に行った。妻も、パートやらパン教室やらと平日は何かと出ていることが多いこと、加えて、免許証は持っているものの東京では車の運転はしたくないという理由で、よほどの事がない限り妻は車を動かさないので、食料品などの買い物は、週末に私が車を出し、運転手兼荷物持ちとして、1週間分まとめて買いに行くというのが、我が家の日常になっている。

買い物の途中、ショッピングセンターの中の書店でしばらく本を見て帰って来たのだが、帰りの車の中で、妻が、先日離婚した森昌子の話を始めた。書店で、森昌子の本を立ち読みしていたらしい。「 森昌子は森進一と結婚したあと、2人で良く話をしたらしい。自分は夫のことを理解しているし、夫は自分のことを理解してくれていると思って、彼女は、良き妻、良き母であろうと努めてきた。しかし、結局、森進一は森進一自身のことが一番大事で、自分(森昌子)のことは全然理解してくれていなかったとわかって、離婚に踏み切ることになったらしい」というのが、妻が話した森昌子の話である。

そして、「私たち(妻と私)も、よく話して理解しているつもりだけど、これから先、森昌子のように感じるようなことがあるのだろうか?」という趣旨の事を問われた。

なかなか、難しい質問だ。私自身は、一生懸命、彼女を理解しようとしているつもりだが、全てわかっているかと問われると自信はない。 それには、2つの理由があって、一つめは、きっと彼女自身が気づいていない自分というものがあるはずで、そのうち、本人が気がついていなくて、夫の私から見える部分もあるとは思うが、大部分は、私からも見えないだろう。
二つめは、私が自分の事を中年クライシスと位置づけているように、私の目から見ると、妻も、彼女なりの転機にあるようで、彼女自身が変わろうと模索している最中のように見える。「空の巣症候群」という言葉があるようで、子どもが巣立ったあとの女性の喪失感をいうらしい。まだ、長女は高3、次女が中3、長男が小6と、まだ3人が成人するには間があるが、長男が中学生ともなれば、いつまでも「かわいい坊や」という訳にもいかず、子どもが手から離れたあとの喪失感の予感はあるようだ。パートの仕事、パン教室や料理教室に通って、自らに投資することに熱心なのも、その漠然とした不安が後押ししているようにも見える。転機のこの数年間の模索の中で、妻が何を見つけるのか、いくらそばにいるとはいえ、よく見ておかないと、見逃してしまうかもしれない。

2つの理由と書いた、あるいは2つは繋がっているのかもしれない。模索の中で、自らも気がつかなかった潜在意識の中に潜んでいる何かを見つけ出すのかもしれない。その発見を手助けできるのか、見逃してしまうかで、案外、私の見られ方も変わるのかもしれない。

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2006年6月30日 (金)

ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』を読み終わる。

第3巻では、ゲドはローク島の魔法学院の大賢人となっている。しかし、アースシーの周辺部では、魔法が使われなくなり、ものの名前が忘れられ、人々は無気力になっている。世界の均衡にほころびが生じている。ゲドは、それを伝えに来たエンラッド国の王子アレンとともに、世界のほころびを生じさせている原因を突き止める旅に出る。アースシー世界の海を何日も航海し、南へ、西へと彷徨う。どこの島でも、魔法は忘れられ、人々は自分の幸せのみを求め、魂をなくし、死んだようになっている。最後に、さいはての島セリダーで、その原因を作り出していた敵をみつけ、対決する。

今回、語られるテーマは「生と死」であるが、同時に青年アレンの成長の物語でもあり、それを支えるゲドとアレンの関係は、親子を象徴しているようにも読める。ゲドは、旅の途上では、アレンに対し、決して多くを語らない。アレンは、時として、疑心暗鬼になりながら、自分で懸命に考え、答えを見いだしていく。
このあたりは、子育てにおいて、親が簡単に答えを教えてしまうのではなく、子どもが自ら学んで行くことを、我慢して見守ることの大切さを教えているようにも思える。
読む人の、年齢、経験や立場によって、幾通りもの読み方ができそうで、ひと言では到底語りきれない。

スタジオジブリのアニメ映画『ゲド戦記』は、この3巻がベースになるようだ。
均衡を失ったアースシー世界の人々の姿は、今の過去の日本人の美徳を忘れ、自分で考え、判断することを忘れ、自分さえ良ければいいという、現在の日本人の姿にそのまま重なるようにも読めて、アメリカで1972年に書かれたものでありながら、そのまま、今の日本人への問いかけにもなっていると思う。制作者側にも、それを問いかけたいという思いもあるようだ。
読み手の経験と感性で、いかようにも読める、深みのある作品を、映像化し、ひとつのイメージを作り上げてしまうことについての、賛否は当然あるとは思うが、映画にならなければ、ゲド戦記の世界にふれることのなかった多くの人々が、これを機会に、原作の世界に足を踏み入れることになれば、そのプラス効果の方が、より大きいと思う。1ヵ月後に、公開される映画の方も楽しみである。

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2006年6月26日 (月)

ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』

ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』を読み終わる。

今回は、まず、ゲドの物語世界であるアースシーの中にあるカルガド帝国の大巫女「アルハ」が登場する。彼女は、先代の大巫女が亡くなった日に生まれたことから、大巫女の生まれ変わりとして、両親から引き離され、その本来の記憶は闇の世界の生き物に生け贄として捧げられ、”喰らわれし者”となり、闇の世界に仕える大巫女として育てられる。大巫女は墓守であり、彼女の住む館の地下には、墓所の地下迷宮があり、その奥まで立ち入るのが許されているのは、大巫女だけである。
物語の前半は、アルハの日常の生活が淡々と語られ、ゲドはなかなか出てこない。物語の半ばにさしかかる頃に、ようやくケドらしき人物が登場する。彼女の地下迷宮への闖入者として。話は、常に、アルハの目から語られ、最初はゲドらしき人物は第三者でしかない。
彼女は、その怪しい男を迷宮の中に閉じこめ、葬り去ろうとするが、一方で、この闖入者に無関心ではいられないし、結局、悪者として葬り去ることもできない。
ついに、迷宮を支配する大巫女として、闖入者に声をかけ、ここから物語はアルハだけの話から、アルハとゲドの物語への変わっていく。ゲドは、「テナー」というアルハの本当の名前を知っていて、彼女に本当の名前で呼びかける。そこから、彼女が少しずつ自らに目覚めていくが、その間、数々の危機や試練が待っている。

この第2巻『こわれた腕輪』も、第1巻『闇との戦い』に劣らず、深淵だ。第1巻が、ゲドという青年の自己発見の物語とすれば、第2巻はアルハという少女の自己発見の物語である。見方によっては、現代版「眠れる森の美女(いばら姫)」とも思える。少女から女性へという成長の中で、少女(王女)を眠りから解放する王子の役目をゲドが担っているようにも思う。

また、少女の成長という側面だけでなく、本来の自分を亡くし、闇に”喰らわれし者”となって、生きている人間への警鐘の物語にも読める。(ものには、そのものがもつ本当の名前があるというのが、1・2巻を通じたテーマのひとつである。)

さらに、第2巻では、アルハ(テナー)のゲドへの信頼ということが、特にゲドの口から語られる。ゲドも全知全能の魔法使いではなく、アルハの支え、アルハが信頼してくれたからこそ、魔法使いとしての力を発揮できたと語る。

おそらく、全6巻を全て読み終わって初めて見えることが、たくさんあるのだと思う。今日から、第3巻『さいはての島へ』を読み始めることにしよう。

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2006年6月24日 (土)

「団塊の世代」論の自分なりの総括

昨日、ある会に参加するために麻布へ行った。地下鉄の白金高輪駅で降りて、桜田通りを少し歩くと、小ぎれいな古本屋がある。麻布での会は、月に1回程度あるのだが、いつも前を通り過ぎていたのだが、先月、ちょと探したい本があって、足を止め、店内に入り棚を丹念に探すと見つかった。

その時探していたのは、しばらく前に関心を持って読んでいた世代論で、団塊の世代を取り上げた『団塊の世代とは何だったのか』(由紀草一著、洋泉社新書)だった。出版から2年あまり経っていて、私がふだん行くいくつかの書店の新書コーナーでは、置いてあるところはなく、ネットでわざわざ注文するほどでもないと思って、そのままになっていたのだ。著者はポスト団塊とも言える1954年生まれの高校の先生で、読んでみると、かなり辛口の団塊批判になっている。カバーの折り返しには、次のように書かれている。

過剰意味づけ、うるさい、自分の主張を押しつける、せっかち、リーダーシップなし、責任を取らない、被害者意識ばかり、…
いまや団塊世代をバッシングする言葉は何らかの緊張感なしに垂れ流されている。
しかし、誰にそう言い切れる資格があるのか?
純粋戦後世代第一号たるこの世代を論じることは、とりもなおさずこの国の戦後が無意識に追求してきたものを論じることに他ならない。
好悪の感情でなく、自分を論じるように、この世代を論じ切ることは、じつに戦後を、身勝手に正当化するだけのろくでもない代物にするか生きる根拠とするか、の分かれ目である。

私がここしばらく、世代論を読んできた結果の、団塊の世代についての自分なりの考えをまとめると、団塊の世代の大多数の人々は、青年期、中年期の不安や危機を、自らの心の内に向け考えることをせずに、その数の力に任せた、外向けの大衆行動の中で、解消してきたのではないかということである。
大学卒業間際の「自分は社会に出て何をするのか?」という課題には全共闘運動による体制批判で、中年期の「自分はこのままでいいのか?このまま人生を終えていくのか?」というミドル・エイジ・クライシスの時期には、バブル経済期の「買うから上がる、上がるから買う」という思考停止の中で、それを推進する現場の担い手の中心として、どちらも「みんなで渡れば怖くない」という数の論理で推し進めてきたのではないか。(「みんなで渡れば怖くない」の言葉をツービート時代に世に流行らせたビートたけしも、1947年生まれの団塊世代である)

私は、団塊の世代は、好き勝手なことをやって責任を取らず、そのツケを次世代の我々に残したと考えてきた。確かに、あまたの団塊批判はそのような論調が中心である。

しかし、最近、そうやって団塊世代を批判しても、自分自身にとって何のプラスにもならないような気がしてきた。

いくつか理由があるが、まず第一は団塊の世代が、前後の世代に比べて人口が極めて多いのは、彼らの世代の責任ではないこと。その直接の原因は、日本という国が戦争を行い、多くの人を戦場に送り、死なせてしまったこと。そして、運良く生き残った人々が、戦後、自らの愛情欲求を満たすべく、パートナーを求め、愛情を確かめ合った結果として、団塊の世代が誕生した訳で、その時代に生まれたのは、彼らの責任ではない。

第二に、いくら他の世代が団塊批判をやったところで、すでに60年近く生きてきた人たちの思考パターンが急に変わるわけでもなく、バッシングや批判は、それを語る人の自己満足にしか過ぎないこと。もちろん、納得できない面はあるが、それを所与のものとして、考えざるを得ないこと。

第三に、団塊の世代のマイナス面ばかりをあげつらっているが、周りの世代も団塊世代にただ乗りしてきた部分もあること。日本がオイルショック等を経ながらも、ある時期まで経済成長が維持できたのも、マス消費世代としての彼らの存在があったからだろう。そういった目に見えないプラス面を評価しないのは一方的過ぎる。

上記の引用文でも書かれているように、この世代を論じることは自らもその一員であった「この国の戦後が無意識に追求してきたものを論じること」であり、それは、とりもなおさず、自分の歩いて来た道を論じること通じるのだと思う。

我々の世代に必要なのは、批判することではなく、団塊世代が依然として社会のマスを占める存在としてある中で、それを前提に、これからの社会あり方や個人の生き方を考えることではないか、一人ひとりがそれを考えていかない限り、社会は、世の中は良くならないのではないかということである。

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2006年6月22日 (木)

『影との戦い』

ゲド戦記第1巻『影との戦い』を読み終わった。この本の主題は、かなり哲学的で、児童文学というには、少々レベルが高いと思う。

魔術師の素養を持つ、少年ケドは魔法学院で、自らの尊大さやねたみから、自分に力を過信し、死者の霊を呼び出し、それとともに死者の国から、彼を狙う影を、現世に呼び込んでしまう。その影は、彼を追いかけ、彼を虜にしようとする。ケドは、逃げ続けるが、影は執拗に追いかけてくる。彼は、少年時代に自分を育ててくれた故郷の恩師のもとに帰り、そこで、その影に向かい合い、今度は自ら影を追いかけることを決心する。

おとといの記事で取り上げた、「訳者あとがき」に書いてある通り、自我の影の部分を自らに取り込み、統合する過程を描いた作品といえるだろう。まさに、青年期の課題である本当の自分を知るということを、象徴的に描いた作品だと思う。

以前、同時代ライブラリー版の『影との戦い』を読んだ時も、おぼろげに感じ、今回も読んでいて感じたことだが、この作品は、読んでいて、どこか無機質で、透明で、乾いた印象を受ける。どうしてだろうと考えて見ると、他の児童文学とは違い、主人公であるゲドを筆頭に、登場人物の発言や会話が少ないような気がした。主人公の行動を、著者が淡々と記録しているのだ。

明日に悩む大学生や、中年世代にお勧めだと思う。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』(本編)

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年6月20日 (火)

ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』

先日、岩波新書の『魔法ファンタジーの世界』(脇明子著)を題材に、記事を書いたが、その中で、何回も取り上げられていたのが、魔法ファンタジーの代表作ともいえるル=グウィンの「ゲド戦記」シリーズ。来月(2006年7月)には、スタジオジブリのアニメ映画が公開される。

前から一度、全作読んでみようかと思っていながら、進んでいなかったので、岩波書店から読みやすく廉価なソフトカバー版が発売されたこともあり、6冊セットで購入。今日から読み始めた。

ゲド戦記 全6冊セット

ゲド戦記の第1巻『影との戦い』(清水真砂子訳)が翻訳され、児童書として岩波書店のハードカバーとして発売されたのが1976年(原作の米国での発表は1968年)で、今年でちょうど30年になる。1992年には第1巻の『影との戦い』が、大人向けの文庫である岩波同時代ライブラリーから発売され、99年には物語コレクションと称して大人を意識した装丁にして大判のソフトカバーで再刊され、さらに映画化を受け、今回は言わば全世代対応でサイズも小型化したソフトカバー版で、装いも新たに登場している。

当初、シリーズは1972年に第3巻『さいはての島へ』の原作が米国で発表され、1977年に日本で翻訳されて以降、長らく全3巻であったが、原作者ル=グウィンは、第3巻発表から18年経た1990年に第4巻『帰還』の原作を発表し、主人公ゲドの青年から壮年、老年までを5冊で描き、6冊目はゲド戦記の世界アースシーを舞台とする5つの物語を『外伝』としてまとめている。

実は、私は、第1巻の『影との戦い』が同時代ライブラリーから出た時に、読んだのだが、当然、その後の巻も同時代ライブラリーから文庫として出されるのだろうと思っている内に、結局、文庫は出ないまま終わり、私の「ゲド戦記」経験も1巻止まりになっていた。

今回のソフトカバー版からは省かれているが、同時代ライブラリー版の巻末には1976年発行時時の「訳者あとがき」が再録され、さらに同時代ライブラリー版のあとがきも追加されている。

76年時の「訳者あとがき」には次のように書かれている。

アメリカの作家で、すぐれた批評家としても知られるエリノア・キャメロンは、この『影との戦い』を論ずるにあたって、心理学者ユングの説をひき、ゲドを苦しめた”影”はふだんは意識されずにある私たちの負の部分であり、私たちの内にあって、私たちをそそのかせて悪を行わせるもの、本能的で、残酷で、反道徳的なもの、言いかえれば、私たちのうちにひそむ獣性ともいうべきものではないかといいました。
もちろん、これはひとつの解釈にすぎませんが、たしかに人は誰も、自我に目覚め、己の内なる深淵をのぞきこんだその日から、負の部分である影との戦いを始めます。それは、否定しようにも否定しえない自分の影の存在を認め、それから目をそむけるのではなく、しかと目を見開いてその影と向かいあおうとする戦いであり、さらにその影を己の中にとりこんで、光の部分だけでなくこの影の部分にもよき発露の道を与えてやろうとする戦いです。困難な戦いですが、おそらくはそれを戦いぬいて初めて私たちの内なる平衡は保たれ、全き人間になることができるのでしょう。
こう考えていきますと、この『影との戦い』は私たちひとりひとりの内なる世界を、その心の成長を象徴的に描いた作品ということができるかと思います。(岩波同時代ライブラリー版『影との戦い』325~326ページ)

このシリーズが、いったん3巻の大賢人となった壮年ケドの活躍で終わったはずのものが、18年を経て90年代の米国で、老年・晩年のゲドが書き継がれたということは、90年代の米国で、ミドル・エイジ・クライシスが問題になっていた事と無関係ではないように思う。ゲドの一生の中で何が描かれ、何が語られるのか、じっくり読むことにしたい。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』(本編)
6月22日:『影との戦い』

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2006年6月18日 (日)

自分らしく生きること、自己実現

前回に続き、海原純子著『こころの格差社会』(角川oneテーマ21)を題材に考えてみる。

『他人に振り回されてへとへとになったとき読む本』(青春出版社、2003年)は、女性を読者層に想定した、自分らしい生き方をテーマにしたものだったが、その後、この3年ほど、内面的な成長・充実といったことは十分議論されることはなく、人から見た基準での「勝ち組・負け組」論が横行していること、ベストセラーとなった『下流社会』(三浦展著、集英社新書)の中で、「自分らしく生きる」ということが、「自分の世界に閉じこもり、上昇努力を放棄した下流の人々の行動パターン」のような形で否定的に書かれていることもあって、この本では、本当の意味での「自分らしく生きること、自己実現」とは、何かを改めて問いかけている。

『下流社会』では、上流と言われる人が、内面的に充実しているのかどうかは、全く議論されていない。上流とは、高学歴、高所得とのイメージであり、世間的でいう成功者であり、勝ち組である。『下流社会』の著者の意図は、彼の言う「自分らしく生きる」ことに逃げこみ、階層上昇のための努力を放棄し下流に甘んじる人々に対して、「本当にそれでいいのか?」と警鐘を鳴らすことにあったと思うが、「下流=負け組」との受け取られ方をされ、一般には、「勝ち組・負け組」議論を助長した本と思われている。

私も、自分の子どもに、「自分らしく生きる、自分の好きなことを見つける」ということを強調するあまり、社会で生きていく基本を身につけるために、学校ではきちんと勉強し、成績が少しでも上がるよう地道に努力するということの大切さを教えることが疎かになっていたのではないかと、『下流社会』を読んで、少々反省した。

『こころの格差社会』の中で、著者は、自分らしく生きること・自己実現というものは、本来そのようなレベルのものではないと説く。著者は「マズローの欲求レベル」を引き合いに、人間の欲求レベルを説明する。

1.「生理的欲求」-最も基本的な欲求、ものを食べる、排泄する、性欲など
2.「安全欲求」-安全な住まい、マイホームがほしいなど
3.「愛と所属の欲求」-愛し愛され、家族を持ち、よりどころを持ちたい
4.「社会承認欲求」-社会の中で職業を持ち、認められたい
5.「自己実現欲求」-自分らしい固有の人生を送りたい

4.の社会的承認欲求までが、自分の外側に向かって求める条件、5の自己実現欲求は、自分の内側に潜むものを実現しようという願い、まさに自分らしく生きるということである。

今回、この本を読んで、自分の中で整理できたことがあった。本当の意味での「自分らしさ」を求めるようになるまには、時間がかかるということである。著者は次のように語る。

自己実現欲求というのはその前段階の4つの欲求、「生理的欲求」「安全欲求」「愛と所属の欲求」「社会承認欲求」が満たされた上でないと生まれないもので、自己実現欲求が生じたにしても、それを満たすために行動するには、前の4段階をクリアしていないと土台がぐらついたものになる。(中略)
「自分らしく生きる」というのは、まず条件として、「生理的欲求が満たされていて、住む場所があり、平和で、社会参加し、家族や、家族がいなくても愛する人や動物がいることが必要なのである。
この段階までをクリアするのにはある程度時間がかかる。(中略)だからまずは、この社会的承認欲求までを満たすべく努力するのは間違いではないだろう。
今の日本の多くの人々が行き詰まって満足感がないのは、各々立場や環境は異なっても、みなが全員ベクトルを外側にむけつづけ「個人のなりうるもの」を達成していないからである。ベクトルを外にむけ、外的条件を求めつづけるから不満が起きているのである。(『こころの格差社会』171~172ページ)

「社会的承認欲求」が満たされて初めて、「自分らしく生きる・自己実現」ということが、問われてくるということを考えれば、それには程遠い子どもをつかまえて、「自分の好きなことをみつけ、自分らしく生きる」ことを求めることが、性急過ぎたことがわかる。
(もちろん、子どもにも、自分が何をしている時が楽しく、何が好きなのかを考えさせることは、無駄なことではないと思うが、その前に、規則正しい生活が送れ、社会的常識を身につけ、自分ひとりでも生けていける力を養うことの方が、より重要だろう。)

「中年の危機」(ミドル・エイジ・クライシス)は、ある程度「社会承認欲求」が満たされているからこそ、生じてくる問題なのだろう。

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2006年6月17日 (土)

夫在宅ストレス

おととい、海原純子著『こころの格差社会』(角川oneテーマ21)を読み終わった。著者は、心療内科医。以前から、臨床体験などをもとに、周りに振り回されずに自分らしく生きることをテーマにした『他人に振り回されてへとへとになったとき読む本』(青春出版社、2003年)などを多くの著作を世に出している。

この本は、「自分らしく生きるとは、自己実現とは何か」をテーマに書かれており、それについては、改めて書くとして、今日は、この本の中で著者が引用していた詩が大変おもしろかったので、少々長くなるが、孫引きして、紹介したい。

「夫の定年後」
作者:ジュディス・ヴィオースト(アメリカ)

わたしが掃除を終えると、
夫はほこりが残っている箇所を指摘する。
わたしが炊事をしていると、
夫は味付けの失敗に目を光らせる。
わたしが植木に水をやっていると、
夫はそばで指導する。
ありがたく思え、と夫は言う。
ありがたすぎて熱が出そう。

わたしが食事のあとフロスを怠ると、
夫は蔑みの目で見る。
わたしが500グラムでも体重を増やすと、
夫は警告を発する。
わたしが猫背で歩くと、
夫は背筋をぴんと伸ばせとたしなめる。
せめておれがいっしょのときは、と夫は言う。
今じゃ、四六時中いっしょにいるじゃない。

わたしが本を読んでいると、
夫は話しかけてくる。
わたしが、電話で友だちと話していると、
夫は横でしゃべる。
わたしがスーパーに買い物に行くと、
夫は必ずついてくる。
ひとりじゃ不便だろう、と夫は言う。
ふたりじゃもっと不便よ。

わたしが眉毛を整えていると、
夫は隣に座る。
わたしが髪をブローしていると、
夫はとなりに立つ。
わたしが足の爪を切っていると、
夫は爪を切りたがる。
”苦楽をともにする”って、
そういうことじゃないと思うんだけど。

わたしが一秒一秒をどう過ごしているか、
夫は常に観察している。
わたしが服にどれだけお金をかけているか、
夫は把握している。
定年がくる前、わたしは夫に、
何か趣味を持ちなさいと勧めた。
だからって、なにも
妻を趣味にすることは内ないじゃないの。
(『晩恋』菜畑めぶき訳・ランダムハウス講談社)
(『こころの格差社会』151~154ページ)

会社人間として生きてきた夫が、「社員」というアイデンティティーを失うと、他に「自分」というものが見つけられないのに対し、子育てを終えた妻は、ひとあし先に、失った「いい母」というアイデンティティーの穴を埋めるため、いい妻、いい母以外の自分を見つけ始めている。その精神面での夫と妻のギャップの中で、家にいて何もしない夫を前にして、妻が抱えることになるのが、「夫在宅ストレス」ということらしい。

このような夫にはならないよう、今からいろいろ考えておかなくては…。

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2006年6月 8日 (木)

愚痴りたい女、解決したい男

結婚して20年近くになるが、未だに夫婦の会話の中で、うまく噛み合わないことがある。
だいたいにおいて、妻が自分の身の回りのことに様々な不満があって、愚痴を言い出すのが始まりだ。
話かけられた私は、つい職場での思考パターンで「妻はその不満な状況・状態を何とか改善・解決していたいと思って、私に意見を求めているのだろう」と考え、「こうしたらどうだろう?」、「ああすれば、良いのではないか」となり、テンションが上がってくると「こうするべきだ!」と断定口調になってくる。
そうすると、妻の方は、「ただ、私は話をきいてもらえれば、それでよかったのに」と、多少しらけ気味になってくる。だったら、最初からそう言ってくれればいいのに、と思うのは私だけだろうか?

そんなことを考えていたら、最近読んだ集英社新書の5月の新刊『大人のための幸せレッスン』(志村季世恵著、サブタイトル「自分を幸せにする31の方法」)の中で、幸せレッスン12として「<悪口>と<問題解決>を区別する」という一文に出会った。

セラピストである著者のところには、様々な人が訪れる。レッスン12で登場するTさんは、少々うつ病ぎみ。伝統ある旧家の本家の嫁として、姑、小姑と同居し、しきたりや体面ばかりが重んじられる生活の中でストレスも多い。自分のうつの解決のヒントを求めて通院しているはずなのに、来院すると、夫ををけなし、姑や義姉妹をののしるばかりで、本来の問題解決について考える前に、カウンセリングが終わってしまうことが続く。そこで著者は、自らの経験の託して問いかける。

「私もね、ときどき自分の心の中の悲しみや苦しみを、誰かにわかってもらいたいときがある。解決の糸口やアドバイスが欲しいのではなくて、愚痴に付き合ってほしいと思うことがあるから。あなたも、そういうのと同じで、ご主人に嫁として頑張っていることをねぎらってもらったり、愚痴に耳を傾けてほしかったのではないかなって思って」(『大人のための幸せレッスン』84ページ)

その言葉に泣き出してしまったTさんは、

「カウンセリングを受けていても、自分の気持ちを見つめるよりも、主人への、<苦情や悪口>を聞いてもらいたいって、そう思っていました」(同書85ページ)

と語り、自分の心の動きに気づいていく。著者は、<苦情や悪口>モードと<問題解決>モードを区別し、人に話すときも、自分がどちらのモードなのか明らかにすることを勧める。

なぜなら、この二つのモードは向かっている方向がまったく異なるからです。<苦情や悪口>モードは自分をわかってほしいほうに向いている。これは解決とは違う方向です。この二つのモードに同時に入ろうとすると、どちらにも進めずに苦しむことになるのです。(同書88ページ)

実は、この本は、最近少々疲れ気味の妻にと思って買ってきたのだが、大学受験を控えた長女の方が先に読んで気に入り、ならばと私が読み、2人で妻に勧め、現在、妻が読んでいるところだ。

これから、妻に「ねえねえ、きいてよ」と声をかけられたら、こちらも、お互いの時間を無駄にしないためにも、「愚痴を聞いて欲しいだけ」なのか「問題の解決策を考えて欲しい」のか事前に確認するようにしよう。

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2006年3月22日 (水)

家族における全体と個人

昨日、春分の日は、WBCの決勝を見終わったあと、上京している母と我が家族を連れて、叔母(母の妹)の家に行った。つい最近、戸建ての家を売り、新築マンションに住み替えたばかりだ。新居のお披露目もかねて、お招きに預かり、食事をご馳走になった。ただ、もっぱら、母と叔母のおしゃべりが中心で、3人の我が家の子ども達にとっては、退屈だったようだ。

家に帰ったのは、夜の9時過ぎで、作文の宿題があったことを思い出した、中2の次女は、突然、「私は行きたくなかった。私の貴重な休日を返せ!この間も、お墓参りで、休みが潰れたじゃないか!」と泣きわめき出した。大荒れだ。
親としても、連日、社交儀礼に連れ出した弱みもあり、なるべく、刺激しないように、なだめるのだが、なかなか、怒りは収まらないようで、30分ほど吠えていた。

今、我が家の5人の価値観は大きく変わりつつある。高2の長女は、すでにGoig mywayで、自分の世界を確立しつつある。中2の次女は、もとより自己主張が強かったが、今はいわば子供と大人の間で、さらに扱いが難しい時期だ。一方、まだ小5の長男は、最近急に背が伸びて姉たちと変わらなくなったが、まだ、親にも甘えたいし、家族で一緒に何かをするということに、けっこうこだわりを持っている。

家族も一つのチームであり、社会の中で最小単位の組織であり団体だと思っている。家族のために何かする、ということを意識させることも必要ということで、家族での団体行動を強いることもあるが、一方で、子供達が家族に依存してしまい、個人として独立できないのも困る。その舵取りは、父親の役目だが、いつも試行錯誤の連続だ。最後は、自分を信じて子供達と向き合うしかないと思っている。
(次女は、30分ほど叫び続けたら、ストレス発散が終わったのか、おとなしくなった)

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2006年3月17日 (金)

母の上京に、同居の現実を思う

今日の夕方、母が我が家にやって来た。前回、来たのは、4年半ほど前で、今の家を買った直後だった。

とにかく、よくしゃべる。しゃべり疲れないのだろうかと、こちらが思うほど、途切れることがない。昨日まで行っていた妹の家族の話、福岡にいる弟の家族、親戚の話、自分が子どもだったころの話(戦争中で、疎開の経験がある)、私が子どもだった頃の話。
私の子どもたちは、しばらくいると聞き役が面倒になって自分の部屋にこもってしまう。聞き役は、もっぱら妻の引き受けてくれている。おばあちゃん子だった妻は、年寄りの相手が苦にならないらしい(あるいは、我慢しているかもしれないが…)。介護ヘルパー2級の資格を取って、我が家の近くのお年寄り相手のデイケア施設にパートに通っているほどだ。

しかし、それにしても、母はどうして、切れ間なくしゃべり続けるのだろうか。無愛想だった父にあまり聞いてもらえなかった代償を今求めようとしているのだろうか。きっと、何か満たされないものを埋めようとしているのだと思うが、核心のところはよく分からない。

もし、同居することになれば、この果てしなく続くおしゃべりの相手を誰かしなくてはならない。聞き役になる妻の方は、聞いている間、何もできない。しゃべっている母の方は、自分が相手の時間を拘束し、無駄に消費させていることに気がつかない。
おそらく、こんな日常の小さなすれ違いをどう埋めていくのかが、親との同居で現実に向き合わなくではならない課題なのだろう。自分の母親とはいえ、前途洋洋ならぬ前途多難だ。

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2006年3月 7日 (火)

『中年クライシス』

ブログのサブタイトルに使ったこの言葉は、私の好きな作家の一人河合隼雄が1993年に書いた本の題名である。

河合隼雄氏は、臨床心理学者で心理療法家。作家というよりは、心理学の先生だが、数々の文学作品を、心理学的に分析した読み物を多く出している。長らく、京大の教授だったが、現在は文化庁長官を務めている。

「中年というのは、最も意気盛んで安定期に見えて、実は、職場、家族などの多様な問題に直面して、心の危機をはらんだ時期である」というのが、心理学から見た中年の位置付けである。その中年の心の危機を、日本の文学作品から解き明かしたのが、『中年クライシス』という本である。

生まれて、学校に行き、就職し、結婚する。30代は、仕事や子育てに追われるうちに過ぎていく。職場でのゴールも見え始め、子どもも育ち、育児の負担が減ってきたと思い、ふと立ち止まると40代になっている。「自分はこれから、どうすればいいのか?」そこに、中年の心の危機が生じる。人生50年といわれた時代は、考える間もなく、死がやってきたが、人生80年の現在では、その問いに答えを見つけないまま、生き続けることは困難である。そんな中で、中年期の病気や事故は、次の新しい展開への踏み台としての意味も持っているという。

自分の昨年の骨折・入院というのも、一度、立ち止まって、今後を考えろということだったのかもしれないと、最近になって思う。
一方、私の妻も、末っ子が小5になり、昔ほど手がかからなくなって、しきりと、「自分の人生を、子育てと家の片付けだけで終わらせたくない。これから死ぬまで、もっといろいろなことがやりたい。若い頃、もっと勉強しておけば良かった。」と悔やんでいる。(喫茶店計画も、そんな彼女の将来の模索の中から出てきたものだ)

中年の心の危機の時に、支えになるのが、家族であり、仲間だろう。特に、夫婦は、その際の最も当てにしたいパートナーである。92年に書かかれた『対話する人間』という本の中で、その様子が時代劇のチャンバラに例えられている。中年までは、周りを取り囲む多くの敵(仕事や子育て)に立ち向かうため、夫婦は背中合わせで協力してきたが、いざ敵がいなくなった時、向かい合ってみると、自分のパートナーはこんな奴だったのかということになる。そこから、夫婦の対話という、困難な大事業が始まる。
40代になって、高校の同級生のホームページができ、同窓会も年に数回催されるようになった。これも、中年クライシスを、昔の親しい仲間で、助け合って乗り越えようという、多くの人の潜在的な意識の現れではないかと考えている。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職  

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2006年3月 6日 (月)

春一番とお水取り

今日は、関東地方にようやく春一番が吹いたそうだ。昨年よりも11日遅いという。ようやく梅の花もほころび始め、茶褐色だった木々に彩りを添えている。

今日は、我が家の18回目の結婚記念日だ。新婚旅行で奈良と伊勢・志摩を巡った。ちょうど、奈良では、東大寺二月堂のお水取りの時期で、夜、東大寺まで火の粉を浴びに行ったのを思い出す。

なぜ、妻と結婚したのか。当時の私は、誰かに話を聞いてもらいたくて仕方なかった。彼女が、私の話を、一番おもしろがってきいてくれた。しかし、自分のことを話すのに夢中で、相手の話はあまり聞いたいなかったのかもしれない。その年の年末には長女が生まれ、なれない東京での社宅暮らしに子育てのストレスも重なったのか、過換気症候群になって救急車で病院に運ばれたこともあった。

最近は、日曜日の朝、子ども達が起き出す前に、2人で近くの駅まで片道30分の散歩をしている。駅前の喫茶店でコーヒーを飲んで、帰りも30分歩く。歩きながら、私が聞き役になるように心がけている。

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2006年3月 1日 (水)

厄年の後の本当の災難

去年の今頃、私は北海道の病院のベッドで横になっていた。四字熟語のところで書いた通り、骨折で入院していたのだ。東京では3月に入れば、春間近で、「もうすぐ春ですね」というところだが、北海道には、まだ冬将軍が居座っていた。

40歳を過ぎ、厄年を迎えると、周りからは気をつけろと言われる。(特に、口うるさく言うのは、すでに厄年を終えたた先輩諸氏である)。曰く、「厄除けのお払いを受けた方が良い」「厄年に家は買わない方がよい」。
他人は好きなことを言うが、その結果について責任を負う訳ではない。所詮、他人は無責任な評論家なのだと、思っている私は、諸般の事情を勘案した上で、厄年に家を買った。結局、前厄・本厄・後厄と、大過なく過ぎた。

ところが、44歳になったところで、北海道に転勤、単身赴任。それから、4ヶ月したところで、転倒・骨折。レアケースだったことから、最初は医者も、明確な診断ができず、実際の転倒(骨折)から、手術まで約1ヶ月かかってしまった。そして、手術から約3週間の入院。手術・入院は、幼稚園の時期に、扁桃腺の手術をして以来。まして、骨折など、生まれて初めてである。きっと、自分にとって何か大きな意味があるに違いないと、ベッドに寝ながら考えていたが、入院期間中に、何かを悟ることはなかった。

退院から半年近くたち8月も終わる頃、1冊の本を見つけた。『こころを癒すと、カラダが癒される』(チャック・スペザーノ他著、VOICE)。この本の著者は、病気や怪我は、潜在意識の中でで処理しきれない問題が、体を通じて、表に現れたものだという。病気や怪我の種類、それが体のどこで発生したかで、何が問題になっているかわかるというのだ。
またしても、「本当か?」と思いつつも、調べてみる。「骨の問題は人生の枠組みに関して葛藤や困難がある…。」「肩に問題がある時、感情面で背負うには大きすぎる、重すぎるものを背負っているのかもしれない…、右肩に問題があれば、キャリアやビジネスに関係したこと…。」
当時、私はある支店のNo.2のポストいた。しかし、合併会社でもあり、支店の雰囲気にはなじめてはいなかった。精神的には相当なストレスだった。もちろん、好んで転んで骨折したわけではない。体の方が、休息を求めていたということなのだろうか…?

大学卒業まで22年。就職に当たり、いろいろ悩むことも多く、自分なりに心の整理をつけて社会人になった。それから22年。社会人としての転機を迎えているということだろう。次の22年を生きる哲学を見つけなくてないけない。簡単ではないと思うが…。

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