2009年8月13日 (木)

「ふみの日」の切手の題材が「百人一首」だった

今日、たまたま家の近くの郵便局に立ち寄ったら、最近発行された記念切手や特殊切手が並んでいる中に、7月23日に発行された「ふみの日」の切手があった。この間、競技かるたをテーマにした漫画「ちはやふる」について書いたが、今年の「ふみの日」の切手は百人一首が題材だった。百首の中から五首を選び、江戸時代の金色の光琳かるたのデザインを基に切手化し、はがき用の50円切手と封書用の80円切手が作られていた。

Fuminohohi1 Fuminohi2

7月23日は、文月(ふみつき)の23(ふみ)の日ということで、昭和54年(1979年)に旧郵政省は手紙離れに歯止めをかけようと考えたのか、「ふみの日」の機会の手紙を書くように毎年キャンペーンを始めた。そして毎年、ふみの日時点のはがき料金と封書料金の「ふみの日」切手を発行してきた。

小学生時代に切手収集を趣味にし、手紙を書くことも嫌いではなかった私は、趣味としての切手収集をやめたあとも、手紙を出すときは、いつでもどこでも手に入る味気ない普通切手よりも、少し大きめでデザインも凝っている記念切手を貼るようにしていた。「ふみの日」の切手のデザインも毎年気をつけてみていたが、この10年ほどは、電子メール中心の世の中になって、年賀状と懸賞応募以外、手紙やはがきを書くことがほとんどなくなってしまったこと、旧郵政省・総務省、郵政公社、郵便事業会社との変革の中で、切手作りのスタンスも切手という媒体を通じて日本の文化や自然を紹介するといった方向から、売れれば何でもいいと方向へ変化したように思え、あまり切手に関心もなくなっていた。

そんな中で、郵便局で見た「百人一首」をテーマにした「ふみの日」の切手は、「ちはやふる」を読んだあとでもあり、妙に新鮮な感じがした。

よく調べると、「ふみの日」の切手で「百人一首」を取り上げたのは、2006年からで今年で4年目になるようだ。毎年、春・夏・秋・冬・恋の5首をを取り上げ切手にするということのようだが、「源氏物語1000年」の昨年は源氏物語にちなむ5人の歌を取り上げたとのこと。

郵政公社・郵便事業会社もなかなか気の利いたことをすると思ったが、とはいえ、この「ふみの日」の切手を見て、手紙を書こうという人が増えるかと言えば、それのは難しいだろう。単純計算すれば、毎年5首ずつ切手にしても、20年間「百人一首」で「ふみの日」の切手を出し続けることができることのなるが、「ふみの日」の企画そのものが2025年まで続くかどうかは別問題かもしれない。

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2009年6月25日 (木)

お酒に弱くなった

このところ、飲み会が続いた。

先週金曜日(6月19日)が、昔出向していた官庁の当時の課長を囲む会。20年以上前の仲間が集まり、昔話に花が咲く。この時は、ビールに加えて、冷酒。日本酒の冷酒は効く。翌日の土曜日は一日、頭がボーッとしていた。

昨日(6月24日)は、高校時代の同級生数名で集まる。近々、東京地区の同窓会支部の総会があり、我々の代の出欠状況の確認。1年上が16名、1年下が30名以上という出席予定に対し、我が学年は10名に満たないとのことで、私も、勧誘の手伝いをすることに。親しいメンバーだったこと、ちょうど、朝の激しい雨が一転午後から晴れて蒸し暑くなり、ビールがおいしく感じられたこと、おまけに途中で将棋の名人戦で応援する郷田九段が早々に投了して羽生名人の防衛が決まったことがわかりやけ酒の混じり、ビール・酎ハイと杯が進む。
今日は、職場で朝からやはり朝から体調が今ひとつ。なんとか、一日の仕事を終える。

しかし、スケジュールのいたずらで、今日も飲み会。各界の諸先輩との勉強会で、昨日ほど深酒はせず、ビールだけに、勧められた焼酎のお湯割りはお断りし、途中からはウーロン茶と多少コントロールしたが、さてどうだろうか。

50代が目前になり、明らかにお酒には弱くなった。「楽しいお酒も、ほどほどにしておかないと」と自戒した1週間だった。

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2009年1月24日 (土)

ようやく仕事上のプロジェクトが一段落

昨日(2009年1月23日)の午後、一昨年の秋から始まり足かけ3年にわたった仕事の報告を終え、公私(こうし)の「公」の面でようやく一段落した。

ある種のプロジェクトのようなもので、昨年の秋には君も主要メンバーの一人と言われてから、実際にプロジェクトが明確な形になるまで、半年。昨年6~7月に最初の仕事の山があり、その後、昨年の10月から本格化し、12月前半が最後の仕上げ、昨年暮れからはプロジェクト全体のまとめということで、かなり忙しかった。
このプロジェクトの専念できるならまだいいのだが、同時並行して日常業務を行いながらだったので、なかなか余裕をもって仕事ができていなかった。
おまけに昨年暮れになって、田舎で一人暮らしをしていた母親が体調を崩し、急遽、一時的に同居をするということになり、公私の「私」の面でも考えて結論を出さなければならない話が増え、なおさら余裕がなくなっていた。

その分、このブログの内容には明らかにしわ寄せが来ていて、その日の内に更新が出来ずに翌日2日分書いたり、内容も書きやすい「将棋」の話が多くなっていた。勇んで次の目標に掲げた「社会保険労務士」試験の勉強も完全に頓挫していた。

しかし、それも昨日の報告で私の役目は一段落。あとは、報告書を製本して、関係部署の送るなど事務的なことだけで、頭を使う仕事は昨日で終わりだ。

ブログの方は、先日1000タイトルを迎え、総アクセス数も39万を超え、今月末が来月早々には40万アクセスを達成する見込みで、来月26日には2006年2月26日にこのブログを書き始めてから丸3年となり、4年目に入る。いろいろな意味で節目を迎えることになる。仕事が一段落したのを機に、初心に返ってブログに向かいと思う。

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2009年1月22日 (木)

中国に旅立つ後輩を送り、韓国料理を堪能

今日は、かつて同じ職場だった会社の若い後輩が海外赴任が内定したということで、送別会。場所は六本木の韓国料理の店。

当時の上司や同僚、後輩と久しぶりに顔を合わせて、飲み語り、あっという間の3時間だった。

海外赴任する後輩の行き先は、中国の上海。おそらく、今もっとも刺激的な場所かも知れない。奥さんも、たまたま知り合った留学生に紹介してもらった中国の人なのだが、奥さんのおばあさんはもとは日本の中国残留孤児だという。こういう若者が、また時代を変えて行くのだろう。

我々、中年世代も負けてはいられない。「自分に出来ることは何か?」考えなければいいけないと、韓国風すきやきを食べながら思った一夜だった。

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2009年1月19日 (月)

昨日で1000タイトル達成、なぜ最近「将棋」のことばかり書くのかについて

昨日(2009年1月18日)書いた「将棋の第58期王将戦七番勝負始まる、第1局は羽生善治王将が深浦康市王位を退ける」の記事の累計が、このブログを2006年2月26日に書き始めてからちょうど1000タイトルとなった。

2008年12月20日から22日の3日間、やむを得ず休んだが、その3日間を除けば、2007年1月1日からは毎日1タイトル以上の記事を書いてきた。書き出した当初は、「中年クライシス」をテーマにかかげ、ずいぶんとそのテーマを意識した記事を書いてきたが、最近は読んだ本の話と将棋の話と、自分の近況報告のようなものが中心になってきてしまった。

「中年クライシス(中年期の危機)」をあえて、テーマとして選ぶことが少なくなったのは、自分自身がその時期を過ぎてしまったからかも知れない。書き始めた2006年2月は45歳、約3年たった現在、48歳となり、50歳の大台はもうすぐそこである。「中年クライシス」の次ぎに、親の介護や子どもの受験・成人という「50代の現実」が否応なくやって来るという感じである。
「中年クライシス」を書く機会が減ったもう一つの理由は、河合隼雄さんが亡くなったことだろう。河合隼雄さんは中年期の危機をテーマに古今の文学作品を読み解いたその名も『中年クライシス』(現在、朝日文庫に収録)という著作があるくらいである。私は、河合隼雄さんの著作で中年クライシスという概念を知り、周防正行監督の映画『shall weダンス』で役所広司の演じる中年サラリーマンに、中年クライシスの現実(もちろん映画の中の虚構だが)を見た。

結局のところ、結論めいたことがあるとすれば、現在の自分は過去の自分の数々の選択の結果だし、将来の自分の姿を変えたければ、現在の自分の一つ一つの選択を変えることからしか変えることはできないということだろう。

私が最近、子どもの頃、夢中になりいつしか指さなくなってしまった「将棋」の世界に再び目を向けて、プロ棋士の生き様に注目しているのは、彼らが生業(なりわい)としている「将棋」というものが、まさにお互いの一手一手を選択しながら戦う競技だからなのだと思う。その一手を選択したのは、他の誰でもない自分自身であるということ、勝っても負けても、その選択の結果は自分自身で引き受けるしかないという冷徹な現実を常に抱えているからである。
一握りの天才・神童たちが集まり、さらにその中から選りすぐられた少数の者だけがプロになる。しかし、その少数の天才たちの間でも、優勝劣敗のルールは分け隔てなく働き、トップ棋士としてタイトルを争い、タイトルホルダーとなれるのはほんの一握りである。強靱な精神力なくしては、生きぬいていくことさえ、難しい世界なのではないかと思う。
棋士達が将棋について語る言葉に中に、何か見つけられればと思っている。

1000タイトルまで読んで下さった方、ありがとうございます。これから2000タイトルに向けて、書き始めます。

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2009年1月13日 (火)

社会保険労務士の2回めの通信教育教材が届いて、思うこと

昨年11月に、今年の目標として社会保険労務士の受験を決め、通信教育に申し込んだことは書いたが、2度目の教材が先週金曜日に職場に届いた。
残りのテキストの大部分と、通信課題が4回のうちの2回分。

年末年始の母親の腰痛騒動以来、実家への帰省、実家の大掃除、我が家に連れてきて、我が家で受け入れるための我が家の大掃除、通院とこの1ヵ月弱、ほとんど社会保険労務士の勉強はもちろん、興味のある本を読むことも出来ていないし、ブログの更新も遅れがち。
そろそろ、自分のペースを取り戻して、いろいろな事を再開したいと考えている。

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2009年1月 6日 (火)

2009年職場復帰初日

今日(2009年1月5日)から、職場復帰。年明け初めての出勤なので、同僚に会うといつもの「おはようございます」ではなく、「明けましておめでとうございます」と挨拶。幸い、ロッカーで今の職場の長と一緒になったので、そこで新年の挨拶をすませる。
自席につき、直属の上司にも新年の挨拶をする。同じチームの同僚のうち2人は今日まで正月休みなので、新年の挨拶はこれで終わり。

これまでの長い会社生活の中で、どうしてもなじめないのが、職場をくまなく周り、全員に新年の挨拶をするという慣習である。血液型がB型でマイペースな天の邪鬼なのかもしれないが、同じ職場でいつも顔を合わせているのだから、新年だからと言って、そこまでしなくてもいいじゃないかとつい思ってしまう。

これで、1年の中で、最も居心地の悪い朝をクリアしたので、明日からは平常心で仕事に臨もう。

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2009年1月 4日 (日)

年末年始休みもついに終了

2008年12月27日(土)から今日2009年1月4日(日)までの9日間の年末年始の休みもとうとう今日で終わり。

田舎から一時的に呼び寄せた母親への対応に追われた9日間だった。母を受け入れるスペースを確保するためのスペース作りのために、家から歩いて5分ほどのところに2畳ほどのトランクルームを借り、この数年間家の中にたまり続けた不要品を捨て、本を売り、家族それぞれが使う部屋を替え、歩くのもままならない母を病院に連れて行き、レントゲンとMRIを撮ってもらい診察を受けた。市役所で車イスを借りた。年賀状は1月2日に本格的な準備をし、3日に出した。
幸い、腰痛や足の痛みで歩くのもままならなかった母は、療養の効果があったのか、昨日あたりから回復の兆しをみせ始め、今日は、足腰の痛みはほとんど引いたという。強引に東京に連れてきた甲斐はあった。

我が家の不要品を捨て、各自が使う部屋を替え、年末に大掃除をするというもの、母を呼ぶ前から家族の中では予定していたことではあったが、必要に迫られたことで、より真剣になったと思う。

もう、明日から仕事。年末にやり残した仕事を早々に片付けないといけない。親の介護も中年世代にとっては、必ずどこかで直面する問題であり、このブログの本来のテーマであった「中年クライシス」の一端をなすものかも知れない。

回復が本格化したことは、介護してきた側としては、効果が出たということでよろこぶべきことだが、一人で生活できる程度まで回復した時に、また田舎での一人暮らしに戻るのか、このまま我が家で同居を続けるのか、母本人も迎えた側の私と妻も判断を迫られることになる。簡単に解決する話ではなく、今後、ずっと悩み続けて行かなくではならない問題なのだろう。今年の課題の一つは、「親との同居及び介護」ということなのかもしれない。

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2009年1月 3日 (土)

ようやく2009年の年賀状を書き終わる

混乱が続いていた我が家もようやく少し落ち着きを取り戻し、今日になってようやく2009年の年賀状の本格的準備に入った。
昨日まで2009年の年賀状を送っていただいた方を、年賀状ソフトの名簿でチェックし、昨日までに作っいた年賀状のデザインを裏面に、住所を表面に印刷する。その数約200名。ちょうど、印刷し終わった頃に、今日の年賀状の配達が届いた。今日、いただいた方も名簿でチェックして宛名を印刷し、さらに恩師、かつての上司・先輩で義理を欠くわkwにはいかない方をリストアップして印刷。夫婦合計で300枚を超えたと思う。
午後からは印刷済みの年賀状に、2人で「ひとことコメント」を書き入れる。夕食後も書き続け、ようやく仕上がった。なんとか、1月3日のうちに投函を終えた。先方に届くのは、5日か6日だろう。なんとか松の内に間に合ったかなというところだ。

しかし、気がつけば、12月27日(土)から9日間の正月休みも、残すところあと1日。まだまだ、詰み上がった本の山はなくならない。明日どこまで出来るか、結局、大して休めないまま、正月休みが終わりそうだ。

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2009年1月 2日 (金)

2009年の初おみくじは「大吉」

東京の2008年の年末、2009年の年始はお天気に恵まれた。気象庁のホームページで確認すると昼(6時~18時)の天気概況は12月27日(土)から1月1日(木)までの6日間「快晴」が続き、夜(18時~翌日6時)も、12月29日と1月1日が「晴」で、残りの日は「快晴」だった。最低気温は1度台の日もあり、夜になるとさすがに冷え込むが、最高気温温は10度を上回っており、昼間、ひなたで日差しを浴びると結構暖かい。大掃除をするには、絶好の天候に恵まれたことになる。日本海側は、雪が降ったところも多いので、太平洋側が恵まれたと考えるべきだろう。

昼過ぎ、日差しが暖かい頃を見計らって、まだ足が痛んで外出には車イスを使う母を連れ、歩いて10分ほどの地元の小さな神社で初詣。二礼二拍手一礼でお参りを済ませ、おみくじの自動販売機に100円を入れ、おみくじを引いた。
結果は「八十六番大吉」。ここのおみくじは、漢詩形式になっている。

花発応陽台(はなひらいてようだいにおうず)
車行進宝材(しゃこうほうざいをすすむ)
執文朝帝殿(ぶんをとってていでんにちょうす)
走馬听声雷(うまをはしらしめてこえをきけばらいなり)

花の見事なる花のうでなのけっこうなるとそうおうのするなり
かづかづの宝ものをくるまにつみて進みゆくけしきなり
さいちにより上司にめしいだされかかえられるなり
馬を走らせ出動する威勢の盛んなることは雷のどどろくごとしと

ずいぶんと威勢のよい内容で、本当にこの通りなれば言うことなしだが、やはり神様もたしなめることも忘れてはいなくて

「このみくじにあたる人は、出家、学者、官吏などおおいに仕合せよし、あまりによすぎてくらい負けすべし、物事つつしみ深くして、うちわにすれば立身出世あるべし、神仏にいのり正直にすべし」

よいことがあっても調子に乗るなということだろう。おみくじの内容に負けない1年にしたいものだ。

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2009年1月 1日 (木)

2009年元旦の計と、積まれゆく本と年賀状、収拾つかぬ中年の時間

2009年を迎えた。昨年(2008年)9月15日の米国大手投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻以来、全く世界が変わってしまったと以前にも書いたが、身近なことで、それを実感したのが、ガソリンの値段。車の燃料計の表示がかなり減っていたので、年末にガソリンを入れた。値段は1リットル93円。同じスタンドで、2~3ヵ月前に給油したときには、1リットル160円ぐらい払った記憶があるので、驚くべき値下がりだ。石油の値上がりが取り沙汰される前の水準に戻ったことになる。日本にガソリンの小売価格には、相当程度がガソリン税が含まれているので、ガソリン税を除いたガソリン本来の価格は暴落ともいっていい水準だろう。投機マネーの流入で石油価格が高騰を続けたため、我が世の春を謳歌していた産油国も急に懐がさびしくなったに違いない。オイル・バブルも崩壊したのだ。

世界が激動している中で、我が家も一人暮らしをしていた母を、しばらく面倒をみることになって、家の大掃除と模様替えを迫られ、年末・年始関係ない混乱はまだ続いている。私と妻が使うことになった部屋に、家中の私の蔵書が持ち込まれ、うずたかく積まれていく。自分でも、何冊本があるのかわからない。これを、これから家に残す本、年末に借りたトランクルームに移す本、ブックオフに売りに行く本、捨てる本の4種類に選別しなければならないが、正直途方に暮れている。

歌人の松村由利子さんが『短歌研究』2009年1月号に4回目の30首連載を発表しているが、その中に
「畳の上にどんどん本積まれゆく収拾つかぬ中年の時間」
という一首があり、まるで自分のことを詠まれているようで、思わず苦笑してしまった。

途方に暮れていても何も始まらないので、時間をかけて収拾していくしかないのだが、こちらは1枚も出していないのに、数百枚の年賀状をいただいた。積まれゆく本より先に、この年賀状の返事を書かなければならない。混沌とした本の収拾は、もうしばらく先になりそうである。

そんな中で、家族の宣言した「1年の計」は、社会保険労務士試験の勉強を始めることと、将棋のアマチュア二段を取ること。とりあえずこの公私の2つの目標を軸に、2009年の中年の時間をスタートさせることにしたい。

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2008年12月31日 (水)

大晦日に2008年を振り返える

年賀状の書けないまま大晦日を迎えて、それでもまだ家の大掃除は終わらず、ようやく3人の子どもの部屋とリビングを片付けた。結局、最後に残ったのは私の本とパソコン関係のソフトと周辺機器、デジカメで撮りためた写真を納めたMOなどで、各部屋に散りばめて何とか収まっていた私のモノが一気にあぶり出されて、最後の一部屋に積まれている。結局、私のモノの処分にはほとんど手をつけられないまま、越年することになった。

改めて、去年の年末年始は何をしていたかとブログを読み返すと、実家に里帰りし、30日はレコード大賞、31日は紅白歌合戦を見ていたことを書いている。今年は、リビングをなんとか片付けて、紅白には間に合ったが、去年のんびりとしていたことを思うとあわただしい。

今年(2008年)の元旦には、初詣で引いたおみくじに、
「充実した運気強く、すべてにフル回転の状態となり評価を高める好機です。責任ある仕事に携わる機会も多く、細部に注意を怠らないことです。大きな目標を掲げ、一歩一歩前進するときです。健康に注意しましょう。」
と書かれていたことを書いている。

いざ、1年を終わって振り返ってみると、それなりに当たっているような気がする。
仕事の面では、それなりに充実して過ごせ、そこそこの評価は得たように思う。しかし、その過程では、細部の確認を怠ったことで、手戻りになり結局余計に時間がかかってしまったということがあった。
大きな目標という点は、目先の事に右往左往するのではなく、5年先・10年先の自分をイメージして、そのために今年何をしようかという気持ちで過ごした1年だった。
仕事の関係では、現在の携わっている監査の仕事の延長線上にある公認不正検査士(CFE)試験に合格したことは、一歩前進といえる。
また、趣味の部分になるが、将棋で「初段」資格をクリアしたのも、今年の成果である。小学生・中学生時代に、多少かじった将棋を、改めて始めたのは、人と指して勝ちたいというよりも、将棋のある局面での「次の一手」のような問題を考えることが、仕事にも、日常生活にも役に立つように思うからだ。ある局面を見た時、その場で相手玉を詰みにで出来なくても、数手先にこんな局面になっていれば詰みだというイメージを描き、そのイメージに向かって障害をひとつひとつ除いていく、あるいは一手づつ準備をしていく。その、最終ゴールをイメージした上で、それに向けた現在の最善手を考えればいいのだということに、遅ればせながら気がついて、その結果「初段」のレベルをクリアできたように思う。
健康面では、一時期、昔患った十二指腸潰瘍の跡が軽い炎症を起こし、最終的にはピロリ菌の除去治療をすることになった。

振り返って考えてみれば、将来を見据えた繋ぎの1年としては、充実して過ごせた1年だったと思う。来年2009年には、一歩一歩の前進の先の話として、何か成果を出せる1年にしたい。

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2008年12月30日 (火)

年賀状を書けずに迎える2008年の年末

我が家では、例年年賀状書きは、12月20日過ぎになってバタバタと進めるのだが、今年はちょうどその時期に、母を上京させるため帰省したこと、その後の都内での通院、家の大掃除と続き、ほとんど年賀状の準備が進められないまま年末を迎えている。

年賀状のデザインは、長女が生まれてからは、家族全員の写真と決め20年近くそれで通している。最初の頃は、写真店と写真付きポストカードを頼んでいたが、パソコンとプリンターの進化で、自作できるようになってからはインクジェットハガキに自分で印刷している。

ということで年賀状の準備は、年賀ハガキの購入、1年間の転居・転職通知、12月に受け取る喪中ハガキで住所録の更新と今年出してはいけない人のチェックと家族全員の予定を合わせての写真撮影とその写真を基にした、年賀状デザインの作成ということになるが、今のところ終わっているのは、ハガキの購入と家の近くの公園での写真撮影だけ。
住所録の更新もまだなら、写真をレイアウトしてデザインを考える作業も終っていない。

しかし家の大掃除と部屋の入れ替え道半ばであり、年賀状は年明けにいただいたものから返事を書き、松の内に書き上げて出すしかない状態になってしまった。とりあえず、プリンターのインクだけは年内にスペアを買い込み、インク切れに備えている。

しなるべきタイミングで年賀状を書いて出せるということは、当たり前のことのようだが、1年が大過なく無事に終わったということなのだなと、改めて実感している。
世の中では今年を表す漢字が「変」となった2008年。9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻からまったく世界が変わってしまった感があるが、私にとっては、最後の最後で激動した2008年も残すところあと1日となった。

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2008年12月29日 (月)

2008年暮れの大掃除、処分できない本の山

年末になって急に母が上京し、療養もかねてしばらく我が家にいることになり、4LDKの家の使い方を変えることにして、子どもたちも学校が冬休みになったタイミングに合わせて、家の大掃除を始めた。

もともと、母の上京がなくても、子どもたちの使う部屋を成長度合いに合わせて替えるため年末には、部屋の模様替えをしようという話はしていたのだが、少ない部屋の一つを母専用にすることになったため、当初の予定を変更。残りの3部屋を親子5人でシェアすることになった。
もう今の家を買って、7年半。引っ越してきた時、小学校卒業間近だった長女は二十歳になった。昨年暮れは、里帰りしたこともあって、本格的な年末の大掃除はせずじまい。また、私が札幌の単身赴任から戻って3年半。子どもの成長と私の読書で、家の中の物は増えるばかり。どんどん、家の中に3段ボックスなど収納家具が増えるばかり。家がモノであふれていた。
母に1部屋を確保するためには、とにかくあふれ始めたモノの行き場が必要である。そのため、昨日の記事に書いた2畳のレンタルボックスを借りたが、それだけで賄えるものではない。とにかく、いらないものを捨てるしかなく、この3日ほど不要品を選別してゴミ袋に詰め、捨てる作業の繰り返し。本来のゴミ収集は終わっていたものの、市の清掃課に電話したところ、持ち込みなら今日まで受け付けてくれるということで、我が家の自家用車は今日はゴミ運搬車と化した。

しかし、簡単に捨てられないのが本である。毎週、最低でも1冊、多いときは3冊くらい本を買っているので、月10冊ぐらいのペースで本が増えていく。
一部は、読み終わったところで、ブックオフに売りに行くが、手元に残して置きたいという本も多く、結局、家にある本の量は増えるばかりだ。

どうやって、本の総量を増やさないか、2008年も解決策を見いだせないまま年を越すことになった。

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2008年12月28日 (日)

トランクルームを借りる

先週、同居含みで故郷で暮らしていた母親を上京させた。5年半前に一緒に暮らしていた祖母が亡くなり、それ以降私が育った家で一人暮らしをしていたが、足の調子がよくないとのことで、とりあえず年末年始は東京にある私の家で療養を兼ねて過ごすことにして、東京まで連れてきた。

しかし、問題は住む場所である。もちろん、私の家に泊まることになるが、4LDKの2階建てに現在家族5人で暮らしていて、今でも手狭なところに、多少からだの動きが不自由な年寄りが加わることになる。今後の回復次第では、そのまま同居もあり得るので、この際、家の部屋割りを見直して、母の部屋を確保しなくてはならなくなった。

しかし、この際、この数年間で家の中で増えたものを、年末の大掃除を兼ねて、見直しをし、捨てられるものは捨てるというのが大原則だが、それだけでは間に合わないので、急遽、トランクルームを借りることにした。幸い、我が家から車で3分、歩いて5分ほどのところに、地面にコンテナを並べた形の「トランクルーム」が今年の秋口にできたところだった。

とりあえず、そこで床面積にして2畳ほどの広さのスペースを借りた。パイプ式の棚を中に作り、雛祭りや端午の節句の時の飾り兜など、年に1度しか使わないようなもの、時季はずれの衣類、普段読まないが捨てられない本などが、トランクルーム行きの候補である。

引っ越したつもりで、荷物を減らしのが一番だが、なんとか2畳のトランクルームのスペースも活用し、まともな生活をしたいものだと思っている。

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2008年12月24日 (水)

ブログ3日間の臨時休業について

このブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」は2006年2月26日から書き始め、2007年1月1日からは、毎日書き続けてきたが、2008年12月20日(土)から22日(月)までの3日間書けないままに終わってしまった。
これまでも、その日のうちに書けずに翌日午前0時以降に前日分を書いたり、翌日が土日の場合は翌日の午後書いたりということもあったが、とにかく最低でも1日1編の記事を書くことを続けてきた。

今回、3日間休まざるをえなかったのは、田舎にいる母親が体調不良となり、22日(月)に仕事を休み、20 日(土)夕方から、2泊3日で帰省し、実家の掃除をした上で、母親をいったん東京に連れてくることになったからである。我が実家には、パソコンもなければ、インターネット接続環境もない。昨年の年末年始に帰省した際は、携帯電話のメールで投稿する「モブログ」という仕組みを利用してなんとか、毎日投稿を続けたが、今回は事情が事情だけに、投稿する余裕もなく、我が家に帰った昨日ようやく3日ぶりに記事が書けた。

日付を遡って、3日分無理して書くことも考えたが、3日分となるとさすがに不自然なので、今回は臨時休業とすることにした。2年間毎日連続という記録が目前だったので、残念ではあるが、内容が伴っていなければ、意味ないので、無理はしないことにした。

また、心機一転、あたらめて書き続けていくことにしたい。

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2008年12月14日 (日)

眼鏡(メガネ)を新調する

先週、ようやく冬のボーナスが出る。ボーナスを当て込んでクレジットで買い物をしていた代金の精算も終わり、ほっと一息というところである。

ボーナスが出たら、買おうと思っていたのが、眼鏡(メガネ)。最近、夜、車を運転すると信号や、ライトが滲んで見えて、運転していても疲れる。そろそろ新しいものに買えないと、危ないと思っていた。

自宅近くの私鉄の駅のショッピングセンターの中に出店しているメガネのチェーン店に行き、フレームを選び、検眼をし直してもらい、レンズをあわせ、できあがるまで30分ほど待つ。バブル崩壊後のデフレの中でいろいろな物の値段が下がったが、メガネもその一つだろう。
私がメガネをかけだしたのは、大学に入ったあとかれこれ30年近くになるが、メガネをかけるようになって、視力の低下にあわせ、何回もメガネを作り直したが、フレームとレンズをあわせ3万円というが一般的なメガネの相場だったように思う。

今や、フレームとレンズをあわせ、特別の贅沢をしなければ1万円でおつりがきてしまう。私の買った店も、税込みで5250円、7350円、9450円という組み合わせで、かつてのことを思うと信じられない水準である。
さっそく、帰りの車の運転では、さっそく新しいメガネをかけてみたところ、滲みが消えて、信号や対向車のライトも輪郭がくっきり見えた。

逆に新しいメガネをかけると、古いメガネでよく運転していたなと思う。

日常生活全般も、時には古いメガネをかけ替えて、新しい視点で見直すことが必要なのだろうと思う。

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2008年11月13日 (木)

「朋遠方より来る有り、 亦楽しからずや (有朋自遠方来 不亦楽)」、富山の友来る

今日は、10年ほど前の富山に勤務していた頃にお世話になったMさん出張でが上京され、飯田橋で飲んだ。論語の「朋遠方より来る有り、 亦楽しからずや」との言葉を思い出した。

私が富山に赴任したのは1995年12月、2000年10月に東京に戻るまで4年10ヵ月を富山で過ごした。
人口100万人の富山県のほぼ中央に位置する富山市、海に出るには車で30分、山(立山)の登山口まで車で1時間という自然に恵まれた環境だった。温泉も県内至る所に湧き出ていて、銭湯が温泉だった。季節感にもあふれていて、2週間毎に季節が変わるのが、全身で感じられた。日本の四季を感じさせてくれる場所だった。

Mさんは、その私の約5年の富山生活の中で、取引先の関係者の中で最も親しくなった人である。私が課長代理で富山に赴任した時、彼も最も大切な取引先の課長代理で、その後栄転して、直接の関係がいったん途切れたが、私が富山の支店で課長に昇進したら、しばらくして相手も当方との窓口の課長に戻ってきた。
その間、プライベートでも家族ぐるみのつきあいになり、一緒にスキーにいったり、キャンプに行ったりと、私はMさんを通じて富山という地域そのものを知った

富山から戻って8年。その間、彼と会ったのは、1回だけであり、この7年ぐらいは会っていない。年賀状のやりとりだけはしているが、本当に久しぶりだった。しかし、Mさんは当時と全く変わることなく、あっという間に3時間が過ぎた。

いつか、もう一度富山を訪ねたいものだと思う。

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2008年8月27日 (水)

ブログを始めて2年半、記事は850タイトルに

昨日(2008年8月26日)で、このブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」を書き始めて2年半が経過した。
記事の数も、昨日の「将棋第67期A級順位戦2回戦終了、2連勝は郷田真隆九段、丸山忠久九段の2人」で850タイトルになった。アクセス総数は28万8千件余で10月頃には30万件に届くのではないかと思う。

最近は、将棋の記事が多くて、将棋に関心がなくて、このブログを読んでいただいているい方には申し訳ないと思う。
しかし、私にとっては、プロの将棋界という究極の実力主義の世界で、頭脳明晰なトップ棋士たちがどのような生き様を示すかは、大変興味のあるところだ。
特に、この数年なりを潜めていた第一人者の羽生善治二冠が、同世代のライバルである森内俊之九段から名人位を、佐藤康光棋王から棋聖位というそれぞれ、防衛を続けてきたタイトルを奪い一気に四冠となり、再び7タイトル全冠制覇をうかがう勢い現在の状況は目が離せない。
何が羽生名人を変えたのか?森内、佐藤というライバルたちはそれにどう立ち向かうのか。そこに、私が贔屓にしているこれも同世代の郷田真隆九段はどう絡んでいくのか。これからも、追いかけていきたい。

一方、この10月には48歳になる。「中年期の危機」から、そろそろ次のステージを目指す時期なのではないかという気もしている。そのような目で見たとき、役に立つような本や情報があれば、どんどん紹介していきたいと思う。

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2008年8月15日 (金)

明日から2008年の夏休み

今年の夏の休暇は18日(月)から22日(金)の5日間。前後の土・日もあわせると9日である。

今日までの3日間は、多くの人がお盆休みということで、朝の通勤電車も座れた。しかし、体力が衰えたのか、この暑さのなか、月曜日から金曜日まで連続5日間、出勤するだけで、参ったというのが、正直なところ。

6月以降、8月10日過ぎまで、公私ともに結構忙しかったので、この9日間で、骨休めをして充電をしておきたい。

来週後半は、昨年同様南房総へ小旅行をして気分転換をし、週の前半はその旅行の準備と10月に受ける予定の公認不正検査士試験の勉強をしようと思う。
『将棋世界』の編集部から「初段コース」の卒業証も、一昨日届いたので、締め切りにならないうちに、二段コースへの第1回の応募もするつもりだ。

予定はともかく、気分的にはゆっくり過ごしたい。

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2008年7月 4日 (金)

同窓会での宮崎美子のフィギアを巡る顛末

今日は、年に1回の高校の同窓会の東京地区の総会。今年から、同級生のS君が、会の菊企画に関わり司会の大役を務めるということで、同級生9人が応援に駆けつけた。

年に1回の東京地区の総会の目的の一つが、今春、大学に入学したばかりの卒業生を招待し、東京になじんでもらうという意味があるのだが、これまでは、年配の先輩諸氏と大学生の世代の隔たりは大きく、2極分化してしまっていたらしい。(とはいえ、私も東京に10年以上住んでいながら、今回が初参加なので偉そうなことは言える立場ではないが…)

ひょうなことから、東京支部の幹部と接することになったS君は、持ち前の企画力・行動力を遺憾なく発揮し、数々の企画を提案。その多くが採用され、ならば司会も君がという話になって、初参加ながら司会の大役を任されることになった。

そんな事情があって参加した東京地区の総会だが、会場でのんびりビールなど飲んでいると、突然、名前を呼ばれる。顔を上げると、高校・大学と同じ陸上部に在籍した、1年後輩のM君であった。陸上競技を題材にした佐藤多佳子の青春小説『一瞬の風になれ』をまだ読んでいないというので、これだけ陸上のことをよくわかって書かれた小説はないと改めて強く勧める。

会の進行も進み、今日の企画の目玉、オークションが始まる。同窓生の中の著名なタレントから、数々のグッズの提供を受け、オークションで参加者に買ってもらい、東京地区の同窓会の運営費の足しにしようという企画だ。
最初はウイスキーやブランデーなどのお酒類、ゴルフのドライバーやパターなども出品されている。さらに、ゴジラやウルトラマンなどのフィギアが登場する。
同窓会の財務の責任者である某先輩が、これは1000円でどう、こちらは2000円と声をかけ、最初に手をあげた人が落札である。

オークション品の中に、30年近く前に女優の宮崎美子のデビューとなったミノルタの一眼レフカメラのコマーシャルフィルムに出演した時のポーズ(ジーパンを脱いで水着姿になる)のフィギア(宮崎美子デビュー20周年の2000年頃に制作されたらしい。一時、宮崎美子のファンだったこともある私は「宮崎美子」と聞いたときには一瞬考えたが、「フィギア」と聞いて、手をあげるのをやめた。(写真集だったら多分応札しただろう。昔、彼女のグラビアが載った『GORO』を買った記憶がある)。果敢にも、応札したのは、先ほど私に声をかけてきた後輩のM君であった。

しかし、そのM君が2次会に行ってから、冷静になったのか、「これは。やっぱり、家に持って帰れない。誰かもらってくれませんか」と困った顔をする。窮地に陥った後輩を助けるのは先輩のつとめと思い、引き取ることにした。
金曜日深夜の混雑する電車の中、結構大きな箱を、周りに迷惑がられながら、家まで持って帰ってきた。さて、家族になんと言われるのかわからないが、「人助けをしたのだ」と説明しようと思っている。

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2008年6月30日 (月)

ちぐはぐな一日、チケット予約の顛末と電車の網棚おいた荷物を忘れる

6月の月末を迎え、1年の半分が終わるという今日は、ずいぶんとちぐはぐな一日だった。

先日このブログで申し込みをしたと書いた西荻での西島三重子のコンサート。インターネットを通じて予約したのだが、26日の予約なのに先方からの確認メールが全く帰って来ない。その返信メールに代金の支払先等が書いてあるはずなので、まったく先に進まない。コンサートは今週末なのに…。
昼休みに予約の受付団体に電話をすると、確かに予約は受け付けたが、確認メールが送信不能で戻ってきたという。先方も困っていたらしい。メールアドレスを確認すると、スペルが間違っていたらしい。一緒に申し込んだ、27日のライブの方はすぐ返事がきたので、そんなはずはないと思いながらも、ネット上の予約受付は先週で締め切りになっており、再度の申し込みも出来ない。先方の担当者は、コンサート会場になる施設に電話してもらえば、コンサート当日に代金とチケット受け渡しが可能との回答。

そう言われて、コンサート会場となる施設に電話すると、コンサート当日のチケット受け渡しはできない。今日中に現金書留で代金を送るか、西荻の会場か、他のチケットを扱う区の出張所まで買いに来てくれと言う。
最近は、現金書留が本当に着くのかどうか郵便配達の仕組みは昔ほど信用できないし、買いに行きたいのはやまやまだが、販売時間は午後7時までという。ちょっと仕事が立て込むと間に合わない。
受付団体で言われた話と違うと粘ると、電話口の担当者の女性が、「ならば、今回は、特別に私個人の責任で代金を立て替えて、当日、受け取れるようにする」と言い出した。
しかし、組織としての対応でなく、あくまでも個人として融通を効かせるというものであり、担当者個人にそこまで迷惑はかけられない。午後7時までに買いに行く覚悟で、いったん電話を切った。

しかし、どうも釈然としない。最初に電話した受付団体に、もう一度、電話をして、「会場側からは、当日のチケットと現金交換は受け付けない」と言われたことを話す。
こちらが、メールアドレスを間違ったとしても、予約はいったん受け付けられており、この団体ももう少し考えてくれてもいいはずだと思いながら、「なんとかなりませんかね~」と問いかけると、上司と相談するといった若い女性は、「郵便局で代金+送料の振り込みを行い、振込受付票をファックスしてくれれば、受付団体の方から、会場にチケットを送り、当日受け取れるようにする」という。
もともと、代金と送料は郵便振替で送るはずだったので、妥協案としては納得できる回答だと思った。
それから、郵便局で代金を振り込み、振込の受付票を、コンビニからファックスして、再度、受付団体に電話。ファックスが届いたことを確認して、なんとか一件落着。

なんとも、ちぐはぐな話で1時間ほど時間がかかってしまった。

しかし、こんな日は、すんなり一日が終わらない。10月に行われるある試験を受けることになって、数日前から参考資料をかなりに分量コピーしていた。7月になるのを区切りに本格的に勉強を開始しようと、今日からそのコピーを2回か3回にわけ家に持って帰ることにした。いつもの鞄に加え、紙袋を一つ。
帰り、天気もよくなったので、日本橋から竹橋まで歩く。途中、書店に寄ったりして少し油を売ったが、乗換駅で急行に乗る。我が家の最寄り駅手前で急行から各駅停車に乗り換えるというのが、いつもの帰宅経路だ。
夕方の急行はいつも人が多い。鞄は肩からしょい、紙袋は手に提げる。最初の駅で、少しすいてつり革につかまれるようになったので、紙袋の方をいったん網棚に上げる。
手が空いたので、鞄から週末に買った上橋菜穂子著の守り人・旅人シリーズの軽装版の最新刊『蒼路の旅人』を読み始めるとすっかり、上橋ワールドの住人になってしまった。次の駅で乗り換えた各駅停車を家の最寄り駅で降りようとした時、私が持っていたのは鞄だけだった。
時すでに遅し。紙袋は、急行の網棚に載ったまま、終点の駅に向かっていた。

最寄り駅の事務所を訪ね、駅員に乗り換えた急行に忘れ物をしたと説明。見つかったら、電話をしてもらうよう頼んで、いったん家に帰る。
30分ほどして電話がかかる。紙袋は誰かに盗られることなく、終点まで到着したらしい。結局、終点駅まで往復2時間弱かけて紙袋を取りに行った。ちぐはくな一日らしい、締めくくりになってしまった。

忘れ物をしたと駅員に説明したとき、いま乗ってきたのはどこ行きの各駅停車?その前の急行はどこ行きだった?立て続けに聞かれたが、今日に限って、どちらも記憶が定かでない。いつもは、気にしているのに…。本を読んでいたせいか、それとも疲れていたのか、電車に乗っている時から、どこか心ここにあらずで、上の空だった。
モノをなくしたり、忘れる時というのは、こんな時なのだろう。二つ持った荷物の一つだけを網棚の乗せるのは危険だ。

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2008年3月26日 (水)

夜桜散策

今日は、夜、友人4名と東京駅近くで飲み会。6時半のスタートだっが、メンバーの一人、紅一点の女性が仕事で遅くなり、1時間以上遅れてしまった。
一方で、メンバーの一人は大阪からの日帰り出張で、9時の新幹線に乗らなければならない。1次会は9時前にいったんお開き。

幹事役の某君が、残った4人で2次会に行こうを誘う。八重洲界隈で飲むのだろうと思っていたら、地下鉄の改札をくぐる。

3駅先にいいところがあるからと、着いていくだけ。降りた駅は「九段下」駅。ふと、「千鳥ヶ淵で桜を見ようとでもいうの?」
「(ほぼ)正解。靖国神社に屋台が出ているはずなので、そこで飲もう。屋台が閉まっていたら、千鳥ヶ淵に行こう。」

東京のこの数日の暖かさで、数日前から桜が咲き始めている。
夜9時を回り、靖国神社に屋台はすべて店じまいしていたので、靖国神社の境内に咲く桜を横目に「千鳥ヶ淵」に向かう。
江戸城のお濠の両岸の桜が咲く、東京でも一二を争う桜の名所「千鳥ヶ淵」。頭上に幾重にも桜の枝が重なり、お濠を挟んだ対岸にも、水面におおいかぶさるように桜が枝を伸ばしている。花の咲き具合は、七分から八部咲きというところ。この週末が見頃のピークだろう。
すでに、暗い中で、座り込んで花見しているグループもあった。

なかなか「粋」な夜桜散策だった。

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2008年2月27日 (水)

「栄枯盛衰・前途洋洋」の2周年とindoor-mamaさんの話

昨日(2008年2月26日)が、このブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」を始めて2周年だった。昨日、よほどそのことを記事にしようかと考えたのだが、いまひとつ気の利いたことが書ける気がせず、一昨日の続きになる将棋の郷田九段の記事を書いた。最後に、おかげさまで今日で2周年と締めくくればよかったのだが、昨日は書いているうちに異様に眠気が襲ってきて、記事らしい体裁に仕上げるのが精一杯で、ココログのサーバーに送信してすぐ眠ってしまった。

今日になって気がつくと、時々、お互いのブログにコメントなどを書いているindoor-mamaさんからお祝いのコメントをいただいていた。どうやら、私が2周年の記事をアップしたら、コメントしようと待っていていただいたようで、節目の時は、それらしい記事を書くべきだったと後悔したが、あとの祭りだった。

indoor-mamaさんは「今日は何の日?徒然日記」というブログを運営されている。私が2006年9月30日と10月1日にかけて、『偽りの大化の改新』(中村修著、講談社現代新書)を読んで、3回に分けてブログを書き、indoor-mamaさんのブログの中の大化の改新についての記事にトラックバックしたのが、おつきあいの始まりである。「今日は何の日?徒然日記」も、2006年2月から始まっていて、つい先日2周年を迎えた。

私もこの1年余、1日1件以上記事を書くことを目標に書いているが、indoor-mamaさんは毎日、過去のその日にあった歴史上の出来事について書いて、それが2年以上続いている。こちらは、思いつくままだが、indoor-mamaさんの方は、きちんとしたフレームワークがあるので、その条件を満たす出来事を探し出し、さらに一定レベル以上の水準の内容を書き続けるは、相当大変ではないかと思う。その話題の広さと中身の濃さが、さらに記事とともに紙面(?)を飾るイラストも質が高い。その質の高さが評価されてだろう、最近は1日1000アクセスを超える日も多いようだ。

私も早く1日1000アクセスが普通という水準になりたいものだと、励みにさせていただいている。

歴史好きの方で、まだご覧になっていない方は、ぜひ一度訪ねてみるとよいと思う。リンクはこちらへ→。「今日は何の日?徒然日記

なお、私のブログのリンク集の中の「京阪奈ぶらり散歩」もindoor-mamaさん運営のホームページである。

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2008年2月16日 (土)

自堕落な一日

今日は、朝1時間ほどウォーキングをした以外は、家から外に出ることもなく、穴熊生活。
先週は、今週は最近にしては珍しく週2回飲みに行き、来週も2回予定がはいっているので、今日は少し休養しておかないという思いと、昨日のブログで書いたように、外に出ても寒いばかりで、その気にならずということで、何か特別な事をするでもなく過ごしてしまった。

昨日、ブログの以前の記事にいただいたコメントへの返事を書き、この2週間ほどのこのブログの記事を読み直し、誤字脱字の多さに愕然とする。
さらに、去年の今頃は、どんなことを考えていただろうかと、去年の1月、2月のブログの記事を読んでいるうちに、あっという間に一日が終わってしまった。

体重も増えたに違いないと思うが、寒い時は、無理に減量しようとしても、体の方は本能的に脂肪を貯めこもうとするはずなので、あまり無理をしてもいけないだろうという気もする。この時期は、なんとか現状を維持し、暖かくなったら運動量を増やし、減量を目指す方が現実的だろうと考えたりも…。

結局、客観的にみれば自堕落な一日であった。

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2008年1月30日 (水)

勧め上手な人

今日は、月1回定例開催されている飲み会。メンバーは、上場企業の役員の方も多く、なぜ自分がこの会のメンバーになれたのか不思議なのだが、皆さん、最初から役員だったわけではなく、現場の実務家であった人たちが、いつの間にかそれぞれの会社で認められ、いつの間にか役員になっている。
役員になったという点では「勝ち組」なのだが、自分は偉いんだとひけらかす人は一人もおらず、皆が周りのメンバーの話をよく聞き、周りのメンバーが興味を持つような話をする。

いつも、安くておいしい店が会場で、いつも飲み過ぎ、食べ過ぎてしまい、この会の翌日は、体重が1kgは確実に増えるのが難点だが、それ以上に参加して得られるメリットの方が大きいので、よほどの事がない限り参加している。最近で欠席したのは、CIA試験の前日に会が催された時ぐらいである。

しかし、同じ会に参加しても、飲み過ぎる度合いがずいぶんと違う。改めて考えると、飲み過ぎた時というのは、必ずとなりに勧め上手な人がいるのだ。自分が飲むことより、人のグラスが空いていないか常に気にしている気配りの人が。
今日は、昨年暮れにお腹の手術をして、禁酒中の人と隣あわせたので、飲み過ぎる日になった。

頭の方も、意識朦朧で、睡魔と戦いながらパソコンを叩いているというのが現実なので、今日は、ここで終わりにさせていただきます。

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2008年1月 6日 (日)

昨年(2007年)の目標の総括

私のこの年末年始の休みは、2007年12月29日(土)から始まり、2008年1月4日(金)の年休を含めて今日、2008年1月6日(日)まで9日間の休み。そのうち、12月30日(日)から1月4日(金)までは里帰りしていたので、我が家での休みは昨日、今日の2日間。

改めて、昨年(2007年)の元旦に立てた2007年の目標を振り返ってみた。
2007年1月1日の記事:「1年の計は元旦にあり、今年の目標は・・・」

立てた目標は次の4つだった。

(1)仕事では、自分の現在の職場の活性化
(2)家庭では、3人の子の進学と寝起きの悪い長女・長男に早起きをさせる
(3)個人としては、ブログの記事を編集してホームページを作る
(4)2007年元旦の時点で70.3kgになっていた体重の減量

それぞれ、○、△、×で自己評価してみると

(1)の職場の活性化については、昨年の1月から転入者向けのガイダンスの講師を務めるなど、自分にできることはやって来た。雰囲気も少しずつ変化していると思う。まあ、「○」でいいのではないかと思う。

(2)の子どもの進学と長女・長男の早起きは、進学は予定通りだったが、早起きはまったく実現できずむしろ悪化している。「△」だろう。

(3)ホームページの作成は未実現。その代わりとして、索引に代わりとして、カテゴリー毎のリンク集として「アーカイブ栄枯盛衰・前途洋洋」というブログを作ったが、「アーカイブ:将棋」については、記事が多く全く更新できていない。これは「×」だろう。将棋の記事をどう整理するかは、再検討したいと思っている。

(4)減量については、元旦に目標を立てたことさえ忘れていたが、結果的には元旦の70kg台の体重が年末には63kg台まで落ちたので、これは「◎」でいいと思っている。しかし、年末年始の休みの間、どうしても食べ過ぎてしまい、かなり2~3kgリバウンドしている。新年を迎え、新規まき直しである。

2008年の目標は、元旦にこのブログにも書いた「初詣のおみくじ」の通りになるように、この1年をおくるということである。

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2008年1月 1日 (火)

年男の初詣のおみくじ

今日から2008年。1960年生まれの私は誕生日が来れば48歳。干支で言えばねずみ年の年男である。

年末年始に帰省したわが実家と同じ市内には全国でも初詣の人出で十指に入る神社がある。
長男が一度元旦の明け方の初詣に行きたいと言い出したので二人で初詣に出かけた。

私も元旦の明け方の初詣は久しぶり。やはり、元旦の明け方は人が多い。ラッシュアワーのような人混みの中、30分ほど歩いてようやく参拝できた。

参拝が終わったあと、これからの1年を占う意味でおみくじを引いてみた。

結果は「吉」。
「運勢」には次のように書かれていた。
「充実した運気強く、すべてにフル回転の状態となり評価を高める好機です。責任ある仕事に携わる機会も多く、細部に注意を怠らないこです。大きな目標を掲げ、一歩一歩前進するときです。健康に注意しましょう。」
自分の現状にピッタリの内容なので驚いた。
これまで2年ほど、仕事の面では、目の前の仕事をキチンと一生懸命やるということに加え、いろいろな資格を取ったり、人に教えることもやったりと自分なりに付加価値をつけるように工夫してきた。
その結果か、4月からはこれまでとは少し違った仕事をやることになりそうなのだ。
そういう目で、このおみくじを見直すと、これからの1年、「こうありたい」、むしろ「こうあらねばならない」ということが書かれているような気がする。

この1年を充実させ結果が伴うものにしていくために「細部に注意」と「健康に注意」がポイントになるということだろう。
この二つを肝に銘じ、今年の大晦日には今日のおみくじ通りの1年だったと振り返れるようにしたい。
これが、私の2008年元旦の1年の計である。

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2007年10月10日 (水)

「飲んだら座るな」の話・その2

今日は、久しぶりに南麻布を会場にした定例の飲み会。楽しいメンバーに、おいしい料理でついお酒も進む。減量中であることは、気になっているものの、今日ばかりはやむを得ないということで、すっかり酔っぱらってしまった。

3ヵ月ほど前に、結婚式の帰り、ほろ酔い加減でJRに乗って、ついうとうとし乗換駅で気がついて、あわてて降りたまではよかったものの、足の間に置いていた引き出物を忘れて、いったん家まで帰ったものの、やはり引き出物を忘れたままでは申し訳ないと思い、幸い届けられていたので、出直して忘れ物を取りに行ったことがあった。そのことを「飲んだら座るな」というタイトルで、ブログにも書いた。

今日は、自分でも危ないなと思いつつも、酔っぱらっていて立っているのも辛く、自宅の最寄り駅までの私鉄の各駅停車に乗った際には、空いた席があったので、つい座ってた。途中までは、意識があり、うっかり終点まで乗り過ごしたら大変だなどと考えていたのだが、やはり睡魔には勝てず、気がついたらちょうど自分が降りる駅を出発したところだった。

当然、次の駅ではすぐ降り、上り電車に乗り換えて、なんとか事なきを得たが、結構、夜も遅かったので、本当に終点まで乗り過ごしていたらと思うと、ぞっとした。やはり、「飲んだら座るな」である。結局、家に帰ったあとも、すぐ寝てしまい、このブログの更新も日付が変わったあと書く羽目になってしまった。

飲み過ぎには、気をつけなくては…。

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2007年8月22日 (水)

パレスサイドビルのジャズが流れる喫茶店

減量のため、仕事の帰りに、職場のある日本橋から東京メトロ東西線の竹橋駅まで2駅歩いていることは何回かこのブログにも書いてきた。
最初の頃は、気象庁の前の出入口から地下に潜っていたが、最近は歩数を稼ぐことと、多少寄り道の楽しみもあって、反対側の出入口になるパレスサイドビルまで歩いている。

パレスサイドビルの1階と地下1階には飲食店や書店、文具店などが軒を連ねており、また立派なトイレもあり、30分ほど歩いて来た後に、ひと休みするには格好の場所である。

毎日新聞社の本社があることもあり、1階にある書店にはマスコミ関係や時事関係の書籍が充実していることは前にも書いた。時々寄って、本を買っている。

パレスサイドビルそのものは、竣工後40周年ということらしいので、内装などは決して現代的とは言えないが、さりとてどことなくすすけて古くさいという感じでもない。

最近の楽しみは喫茶店である。ビル自体に、相当数の人が働いているし、また地下鉄の駅に直結していて多くの人が乗り降りするので、1階と地下1階にも5つか6つの喫茶店があると思う。

私が気に入っているのは、あるコーヒーチェーンの店である。そのチェーンの店は、パレスサイドビルだけではないのだが、特に、パレスサイドビルの店は雰囲気が良いような気がする。
天井が高く、椅子も余裕を持って配置してある。店内にはBGMとしてジャズが流れていて、そこで椅子に腰掛けコーヒーを飲むと、くつろげる。「同じチェーンでも、この店はジャズをかけて、特別だな…」などとぼんやりと考える。
30分歩いて来て、コーヒー飲んでいては、減量の点では効果半減(砂糖を入れるので)なのだが、続けていくためにはささやかな楽しみも必要だと、自分で納得している。

先日、早朝出勤の際、日本橋にある同じチェーンの店に入った。日本橋の店は、同じチェーンだが、所狭しと言わんばかりに、椅子が並べられ、客も多く落ち着かない。
その店で、コーヒーを飲んだのは2度目なのだが、改めて耳をすませると、その店でもジャズが流れていた。前回来た時は、人の多さと喧噪で、くつろぐ余裕もなく、音楽も耳に入らなかったと言うことだろう。

同じチェーンの店でも、立地とレイアウトで、こうも雰囲気が違うものかと驚いた。

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2007年8月21日 (火)

終わりの見えない東京の暑さ

昨日、南房総への小旅行から帰ってきて、今日は旅行で汚れた衣類の洗濯など使ったものの後始末を終え、残る「夏休み」を有効に過ごす計画を立てようと目論んでいたが、相変わらずの暑さと小旅行でずっと車を運転していた疲れもあって、思うようにはかどらない。

なんとか、最近、のび放題で暑苦しくなっていた髪を切りに、床屋に行くことだけは果たした。

東京は、今日も34℃を超える暑さで、もうすぐ二十四節気の「処暑」だというのに、この暑さはいつまで続くのだろうか。明日は、もう少しましな1日にしたいところだ。

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2007年7月16日 (月)

「飲んだら座るな」の話

今日は、北陸で仕事をしていた頃に部下だった人の結婚式の披露宴に呼ばれる。
場所は、品川にほど近い御殿山にある「ホテルラフォーレ東京」。洒落たレストランを貸し切っての昼食を食べながらのレストランウエディング。仲人はなく、新郎自らマイクをもって挨拶していた。

コース料理にお酒が、ビール、乾杯のシャンパン、白ワイン、赤ワインと順に出てくる。出されたものは、空けないと申し訳ないと思い、つい飲んでしまう。午後2時過ぎの帰るころには、ほろ酔い気分だった。

品川駅から山手線の渋谷・新宿方面に乗る。幸い座れたので、膝の上にセカンドバックを置き、足の間に式場でもらった引き出物の袋を置く。そして、昨日もらった『ゲドを読む。』を開く。しかし、数ページ読むと眠くなる。本は、バックに戻す。新宿に着き、新大久保を過ぎた。「次で降りなければ…」と思った次の瞬間には、睡魔に襲われていた。
気が付くと、電車のドアが開いている。発車の合図の音がする。「ここは…?」と考える間もなく、自分が降りるべき高田馬場と気が付く。マズイ、閉まる前に降りなくては…とあわてて降りた。何とか、間に合ってほっと一息。

「せっかくだから、本屋の寄ろう」と、一度駅を出て、仕事の帰りに良く寄る書店に行く。特に、何かを買う当てがあるわけではないが、ぶらぶらする。結局、何も買わずに出る。
では、家に帰ろうと私鉄のホームで電車を待っている時に、荷物が少ないことに気が付いた。セカンドバックしかない。引き出物は…?
情けないことに、あわてて降りた時に、電車の中に置き忘れてきていた。

その場で、JRのホームまで戻り、問い合わせをする元気はなく、一度家まで帰り、JR東日本のホームページで調べて[JR東日本テレフォンセンター]に電話をしたら、落とし物として届けられていた。池袋駅にあるとのことで、結局、また池袋まで出直すことになった。

ほろ酔い加減の時に、電車で座るのはリスクが大きいことは、わかっているのだが、席が空いていればつい座りたくなる。
これまで、家の最寄り駅を一つか二つ乗り過ごしたのが、最悪のケースで、あまり大きな失敗はしていないが、いつ寝込んでしまい終点まで連れて行かれるとも限らない。
「飲んだら乗るな」ならぬ「飲んだら座るな」を改めて実感した1日だった。

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2007年7月10日 (火)

「下手な考え休むに似たり」は誤用?

今日は、職場からそう遅くもなく帰ってきたのだが、夕食のあと、しばらくパソコンの前に座って、モニターをにらみ考えていたが、なかなかこれと言って、書くことが思い浮かばない。

いったん、パソコンから離れてしばらく横になっていたら、本当に寝入ってしまい、気が付いたところで、ますます焦っている。

最近、読んだ本のネタもないし。将棋のネタも記事にするには中途半端だし。改めて、新規分野の開拓なくしては、「ブログの旬はせいぜい2年」という、かつて取り上げた説を、打破できないような気がする。

そう思うと「下手な考え休むに似たり」という言葉が思い浮かび、気になって、グーグルで検索してみた。

トップに登場した「金田一春彦に捧ぐ」ということわざを集めたサイトには次のように書かれていた。

『下手の考え休むに似たり』
下手な人(名案が浮かぶ筈のない人)がいくら考えても、時間を浪費するばかりでなんの効果もないということ。元々は、碁や将棋の対戦で、長考している者を嘲(あざけ)って言ったものらしい。
★この場合の「下手」は「下手な者」の意味。「下手な考え休むに似たり」の「な」は誤用。「下手な考え休むに如かず」との混同かといわれる。

「下手な考え休むに似たり」は誤用とのこと。そう言えば、そんな話を聞いたこともあるような気もするが、それさえ不確かだ。

現在、このサイトは引っ越しをして「くろご式ことわざ辞典」としてより充実したサイトになっており、そこにも同様の記述がされている。

これで、とりあえず、今日の題材にはなったかなと一安心し、寝ることにする。

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2007年6月21日 (木)

書きかけの記事が消えた

すでに夜の12時を回ろうとしているところで、書きかけていたブログの記事が消えてしましった。

本当は、今日読み終わった藤原正彦著『若き数学者のアメリカ』を読み終わった感想を半分以上書き、あとは仕上げというところで、ブログ用投稿用に使っている「ホームページ・ビルダー11」で未投稿記事として保存したはずだったのだが、書き継ごうとして未投稿記事リストから呼び出そうとしたら、未投稿記事フォルダには何も保存されていなかった。ショック…。

今日は、将棋の順位戦でA級の谷川浩司九段×木村一基八段戦、B級1組の渡辺明竜王×井上慶太八段戦がニフティの名人戦棋譜速報でネット中継されていて、経過を気にしながら記事の下書きを書きいていた。途中友人から届いたメールの返事も書きながらと、二重三重のながら作業になっていたので、ブログの記事は書きかけで保存したはずだったのだけれど、うまくいかない時はいかないものである。

藤原先生の本の感想は、改めてかかせていただくことにする。お訪ねいただいた方、申し訳ありません。

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2007年4月30日 (月)

今日も大掃除、生活の新陳代謝と考える

今日も、昨日に引き続き、部屋の入れ替えと大掃除。

何とか、大きなものの入れ替えは終わり、何とか新しいスペースで生活する態勢の土台だけは出来たと言うところだろうか。

昨日は衣替えを兼ね、もう着なくなった服を処分したが、今日は家族総出で、ブックオフに売りに行ってもいいと思える本を選ぶ。大きめの買い物カゴ、4つ分ぐらいの量になり、冊数も100冊以上。買い取り値も6000円以上だった。

限られたスペースである以上、定期的に本を売ったり、モノを捨てるのはやむを得ないことだろう。私の両親は昭和ヒトケタ世代で、戦争中のモノのない時代に育ったので、特に母はモノを捨てられない。私もモノを捨てることに、罪悪感を感じるので、比較的、モノは大事に使う方だと思う。

しかし、放っておくと、モノはたまり、人の生活を浸食してくる。自分が買ったモノに縛られるようになる。発想が、今持っているAというモノを活用するために、さらにBを買うということで、どんどんモノは増えていく。Aを買っていなければ、決して買おうと思わなかったBを買うと言うことになると、もう本末転倒である。

一方、今年の春のように、3人の子どもが一斉に進学すると、要・不要の基準が一気に変わる。今まで、必要だったものが不要になり、新たに必要になるものが出てくる。学校が替わるということで、モノの要・不要が端的に表れるが、これは我々の日常生活の中でも、ままある事だろう。
物事がひと区切り付いた時、これまでの生活を見直し、新しい生活にあったモノの要・不要の判断を行う必要がある。

そう思うと、捨てるということは、新しい何かを受け取って行くためには必要なのかもしれない。古いモノを捨てて、開いたスペースに新しいモノを入れておくことは、言わば「生活の新陳代謝」。そう思うと、捨てることも、時には必要なのだといく気になってくる。

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2007年4月29日 (日)

今日は「昭和の日」、我が家では部屋の大移動

以前にも、このブログで書いたことがあるが、今年から4月29日は「昭和の日」、5月4日が「みどりの日」という国民の祝日になっている。一昨年に法律は成立してようで、今年のカレンダーには、そう印刷してある。
「昭和の日」の由来は、もちろん昭和天皇の誕生日だからで、4月29日が新たに「昭和の日」となったので、従来4月29日であった「みどりの日」が5月4日の移動になったということのようだ。

我が家では、このゴールデンウィークは、部屋の大移動をすることになった。これまで、2階に部屋が3つあり、一番大きなな部屋に長女と次女、中くらいの部屋に長男、一番小さな部屋を私のパソコン部屋に使っていたが、3人の子がそれぞれ進学したことに伴い、大幅に入れ替えることになった。
既に、これまで娘2人がいた部屋に私と長男が移り、中の部屋に長女、小の部屋に次女が移るというこで話はまとまっていたが、実際の移動は、簡単には進まない。

長女と長男の机入れ替えだけは、春休みに終わっていたが、残りは、結局、家族が揃うゴールデンウィークに作業をするということになり、昨日から進めている。
ほぼ、3年間今の間取りで、生活していたので、その間に増えたモノを整理し処分しないことには、動くに動けない。
結局、昨日は、衣類の整理と移動で終わり、今日は、机上の整理とパソコンの移動だけで終わってしまった。明日、ある程度目処をつけて、GWの後半は通常の生活に復帰しないと、GW明けに学校の試験の試験がある次女、5月16日には公認内部監査人(CIA)の試験がある私は、少々辛い。

しかし、大掃除をするたびに思うが、常日頃の整理整頓を怠ると、こういう機会に大変な思いをすることになる。いかに普段、無駄なモノをたくさん買い込んでいるか、こういう時に、痛感する。本であれば、ブックオフに売りに行けるが、無駄な衣類は捨てるしかない。衣類は、まだゴミの収集日に出せば無料で回収してくれるが、電機製品などは、捨てるにもお金がかかるご時世である。結局、買うときによく考えて、ゴミになるようなモノは買わないということが、一番大事なことなのだと改めて思う。思うだけで、なかなか実践できないのが、情けないが…。

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2007年1月 4日 (木)

「ホームページ・ビルダー11」でのブログ作成

年末にアマゾンに注文していたホームページ作成ソフト「ホームページ・ビルダー11」(以下HB11)が昨日届いた。

この記事は、そのHB11で書いている。昨年の11月使っていた「マイ・ブログ」は、ココログの管理ページと似たような様式で、入力専用のフォームに記事を書き連ねていき、ココログのサーバーへ投稿する。違いは、自分のパソコンのインストールされたソフト上に書いているのか、ココログが提供しているAPSである管理ページに書いているかである。
「マイ・ブログ」の利用で、ココログの管理ページで書いていた時によくやった、より正確な記事を書くため、インターネットの別のサイトで情報を確認しようと、うっかり他のサイトに移った途端、(保存していない場合)書きかけの記事が全部消えてなくなる悲劇は回避できる。
しかし、無味乾燥な四角い枠の中に書いているだけなので、ブログにどのような形で表示されるかは、投稿するまでわからない。

一方、HB11は、ブログのページのデータを取得して、入力画面の色やデザインもブログの表示画面と同様の体裁になっているので、投稿したあとの表示のイメージもつかみやすい。
また、過去にブログの管理ページから投稿した記事のデータを一括取得できるのも便利だ。私がこれまで、書いてきた200余の記事も、1分程度でココログのサーバーから入手できた。
(「マイ・ブログ」は、1回の操作で取得できるのは、1回分の記事だけなので、記事が200あれば、200回操作が必要で、気が遠くなる。)

ブログ関係の機能は、前バージョンから特に変化はないようなので、この機能だけが使いたい人は、低価格の入手できるなら前バージョンの「ホームページ・ビルダー10」でも、十分だろう。

今年は、このHB11を武器に、より多くの人に読んでもらえる内容の伴った記事を一つでも多く書いていきたい。

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2007年1月 2日 (火)

『男の復権』(池内ひろ美著)を読んで

年末に『男の復権』(池内ひろ美著、ダイヤモンド社)を読んだ。サブタイトルは、”女は男を尊敬したい”とある。職場の近くの書店で、昼休みに見つけ、奥書に1961年生まれとあるのを見て、自分と同世代の女性が、男のあり方をどう見ているのかを知りたくて、購入した。

著者の池内ひろ美さんは、1997年に、「東京家族ラボ」という組織?を主宰し、家族の問題についての相談に応じており、特に、夫婦の問題、離婚相談等を手がけている。自身、22歳で結婚し32歳で離婚、37歳で再婚している。(ホームページ、ブログのプロフィールによる)

第1章が「大人の男になるための十箇条」、第2章が「後悔しないための女の選び方五箇条」となっている。第1章では、大人の女から見た尊敬できる「大人の男」像が語られる。一方、そのためには、一生の伴侶となる妻にどんな女性を選ぶかで、男の人生も大きく変わっていくということで、女を選ぶ時に気をつけることが語られる。見方を変えれば、女から見た「大人の女」像であろう。

「大人の男になるための十箇条」は、

第1条、男の立ち姿は美しくあってほしい
第2条、コミュニケーションに媚びないで
第3条、しっかり大地を踏みしめて歩け
第4条、返事とお辞儀を正しくしよう
第5条、やっぱりお洒落ででいてほしい
第6条、ちょいモテおやじに憧れるな
第7条、「ありがとう」と言える男になれ
第8条、目指すのは優しさより親切であれ
第9条、父親を尊敬する男であれ
第10条、男なら正義を背負って生きよう 

「後悔しないための女の選び方五箇条」は、

まず、「悪妻は百年の不作」と述べた上で
第1条、笑顔のかわいい女を選べ
第2条、言葉づかいのいい女を選べ
第3条、センスのいい女を選べ
第4条、はたらく女を選べ
第5条、母親と似た女を選べ
の5箇条をあげ、
最後に「女の落とし方」という一文で締めくくっている。

全てを紹介すると、終わらなくなってしまうので、私が特に印象に残っている部分を選んで紹介することにしたい。

男の方では、「第8条、目指すのは優しさより親切であれ」から

(女性が求める「優しい人」が、えてして「私だけに」優しい人であるとの前置きに続き)優しさを渡したり受け取ったりする作業は、とても主観的であるがゆえに奇妙な思いこみを呼びやすい性質があると知っておこう。主観的で独りよがりの優しさより、求められるのは、客観的に親切であること。親切を行うのは、優しさよりも少し高度である。そこには、相手に対する想像力が必要だ。相手が今、何を欲しているのか想像してキャッチする能力が不可欠だ。(中略)その人の価値観がどこにあるのか。その人の五感は何を欲しているか。(中略)多くの「かもしれない」可能性を想像したうえで、相手の望むものを渡してあげることができるのが親切な大人である。(『男の復権』23~24ページより)

女の方では、「第4条、はたらく女を選べ」から

はたらく女というのは、なにも外へ出て仕事をする女という意味ではない。(中略)家の外であっても中であってもはたらく女がいい。気働きと表現を変えたらわかりやすいだろうか。(彼女が気働きのできる女性かどうかを見極める例として、バーベキュー大会を開くことにした際の彼女の反応・発言を幾通りか例示し、彼女の反応や発言の意味を考え、受け止めることを求めた上で、)何かを行うときには、必ず「役割」がある。なんらかの役割を引き受ける人は他の場面でも異なる役割を引き受けることができる。(中略)何も役割を引き受けない女というのは、家族になったとき、「妻」や「母」といった新たな役割を引き受けることのできない女である。彼女はそういう人だと認識しよう。(後略)(『男の復権』44~46ページより)

著者は、男に対しても、女に対しても、厳しい眼差しを向けている。見た目のカッコよさでなく、中身のカッコよさ・素晴らしさで勝負できる大人の男(そして女)が増えて欲しいというメッセージであろう。私の拙い要約では、うまく全体像が伝えきれないが、この一文を読んで、多少なりとも関心を持たれた方(特に40代)には、男女問わず一読をお勧めしたい。

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2007年1月 1日 (月)

1年の計は元旦にあり、今年の目標は…

今日から2007年。高校受験を控える娘がいるため、今年は、特に出かける予定もなく、家で過ごす。昨年末は、結局、遅れ遅れになってしまった年賀状作りを29日にやっと終える。昨日の大晦日は、やり残していた和室の障子の張り替えや、普段あまり目が届かない壁の高いところや天井のすす払いなどで1日が終わった。

年頭にあたり、月並みだが「1年の計は元旦にあり」ということで、今年の抱負を整理しておきたい。

仕事では、今の自分の職場を少しでも活性化していきたい。どこの会社にも、完璧な職場などないと思うし、社会全体の風潮でもあるかも知れないが、今の職場にはどこか「給料並の仕事さえしていればいい」「自分さえ良ければいい」という雰囲気が漂っているような気がする。働いている人、それぞれが、いい意味での緊張感を持って、日々働いている職場にしたい。特別な権限を持っているわけではないので、個人でできることには、限界もあるが、これまで学んできたものを活かして、何ができるのか、自分なりに考えながらやっていきたい。

家庭では、転機を迎えた我が家族が上手く、新しい生活になじんでいけることが最大の課題だ。3年おきに、3人の子が生まれたが、それぞれ成長し、今年の春に長女が大学進学(昨年AO入試で進学先は決定済)、次女の高校受験、長男の中学進学が一度に重なる。次女は公立高校第一志望、長男は地元の公立中学に進学させる。ということで、3人同時に上級学校へ進学するとはいえ、我が家のこの春の最大の関心事は、次女の受験の正否である。私自身がサポートできることは、限られるが、なんとか家族全体でサポートし、次女自身の第一志望に合格をさせてやりたい。受験の苦労は、次女だけだが、4月以降、新しい環境になじんでいかなければいけないのは、3人に共通の問題である。特に、これまでの親の躾けが至らなかったこともあり、特に長女と長男は、朝きちんと起きられない。なんとか、朝、定時に起きる習慣をつけることを、今年こそは実現させたい。

仕事・家族を離れた個人としては、ホームページを立ち上げたい。ブログを書き始めて2月下旬で丸1年。記事も200以上になっている。その関心事や読んだ本などについて書き連ねてきた。ココログでは、記事の内容に応じたカテゴリ分けができるが、毎日、統一された一定の基準で区分できているかというと自信がない。また、これまでに書いた200余の記事は全て、ココログのサービスを行うニフティのサーバーの中に保存されている。万が一、ニフティのサーバーが壊れたら、全部消えてなくなってしまう。そのリスクを回避する意味でも、ココログのサーバーから、これまでの全記事をダウンロードし、テーマ毎にを統一感を持って再編集し、改めてプロバイダーのホームページ用のスペースにアップロードして、ホームページを作りたい。
現在、使っているブログ管理用ソフト「マイ・ブログ」は、新たに記事を作成する時、過去の記事の1つを選んで、ダウンロードし再編集することはできるが、過去の記事を一括してダウンロードすることは、できない。ホーム・ページ作成ソフト定番「ホームページ・ビルダー」は、一括ダウンロード機能があるようなので、その機能を使いたくて最新版の「ホームページ・ビルダー11」を注文した。

もう一つ、忘れてないけないのは、ウオーキング減量作戦の継続である。11月時点で、足踏み状態になっていることを一度書いたが、お恥ずかしながら12月は、忘年会シーズンでもあり、通常より外で飲み食いする機会も多く、大晦日の朝は69.3kg、今朝、元旦はなんと70.3kgと当面の目標の65kgから遠のくばかり。改めて、2007年こそ、減量を実現させたい。

以上、4つが、ささやかながら、今年の年頭にあったての私の「1年の計」である。

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2006年12月30日 (土)

将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる

2006年の将棋界を揺るがした伝統のタイトル「名人戦」の主催新聞社の移管問題。3月に、将棋連盟が毎日新聞社に対して第66期以降のと名人戦主催契約の継続をしないことを通知したことを契機に、毎日新聞社の自らの紙面で将棋連盟を非難するキャンペーン を開始したこともあって、将棋連盟と毎日の関係も悪化した。しかし、8月の棋士総会で、毎日単独主催案が否決されたことを受け、将棋連盟の米長会長は、毎日と朝日に対して両社での共催を提案した。毎日側は、これまで落ち度なく名人戦を主催してきたのに、突如、契約継続せずとの通知を受け、顔に泥を塗られるに等しい仕打ちをされたことを考えれば、拒否するだろうという大方の見方に反し、9月に共催案を受諾した。その後、具体的な内容について、連盟と毎日、朝日の間で交渉が続けられていたが、27日にまとまり、28日の新聞紙上で発表された。

主な内容は、
①名人戦の契約金は3億6000万円(両社で各1億8000万円、なお毎日単独開催時の契約金額は3億3400万円)で期間5年
②両社は実行委員会を組織して運営にあたり、棋譜(対局での指し手の記録)はウェブも含め両社が独占的に掲載
③毎日がスポーツニッポンと共催で行っている7大タイトル戦の一つ「王将戦」は、従来通り継続(契約金7800万円は変更なし)
④朝日が主催している準タイトル戦の「朝日オープン選手権」(1億3480万円)は契約金が8000万円の棋戦に衣替え
⑤さらに将棋普及のための協力金として両社で年1億1200万円を5年間、連盟に対して支払う

一時、将棋連盟は4億円以上の契約金を提示しているとの報道も見たような気がするが、さすがにそれは、両社が難色を示したのだろう。

今回の騒動の背景には、将棋連盟の収支状況の悪化ということがある。前々期は赤字であったという。細かい収入と費用の内訳は知る由もないが、連盟の運営を行う理事会のメンバーは、全員現役ないし引退した棋士が行っている。彼らは。将棋のプロではあっても、経営のプロではない。その中で、現在の米長邦雄会長は、数少ない経営感覚を持った棋士であろう。現役時代、史上最年長で名人になった時、1年間主催者である新聞社の新聞の販売増に努めるのは当然と言い、全国の販売店を回るということを行った。将棋界が、その勝負を関心を持って見つめるファンのおかげで成り立っていること、そのファンに対して将棋界の情報を伝える媒体として新聞は欠かせないものであること、それらのことが、よくよくわかっていたからこその行動であろう。

しかし、かつて将棋盤を挟んで将棋を指して遊んでいた少年たちは、いまやTVゲームやインターネットに多くの時間を割いている。少年時代に、将棋に親しまなかった人が、成人して将棋ファンになるとは思えない。将棋ファンは明らかに減っているだろう。さらに、バブル崩壊後の長引く不況の中で、多くの企業が、ファンが減って相対的にPR効果が減少した将棋の棋戦のスポンサーを降り、これまで親しまれていた棋戦のいくつかが廃止された。将棋界を支える最大のスポンサーである新聞・テレビ業界とて、インターンネットの出現で、そのあり方が根底から問われている。

結果的に見れば、今回の解決策は、連盟と2社にとって、三方一両損的な妥協案であるが、見方を変えれば、時代の必然だったのかも知れないという気もする。いまや、伝統ある名人戦という大タイトル戦は1新聞社で支えるには重すぎ、スポンサーの側から見れば費用対効果の点で折り合わない。連盟の側から見れば、より多くのファンに名人戦とその予選であり、棋士の生活の中心である順位戦をより多くの人に伝え、減り続けるファンを引き留め、少しでも増やすべくPRしていくには、全国紙2社の力が必要だったということではないのだろうか。将棋連盟としては、今後5年間、両社から支払われる1億円余の普及協力金を有効に使えるかどうかであろう。また、以前にも書いたが、現役の棋士たちが、ファンが手に汗握るような名勝負を繰り広げ、1人でも多くの人にプロの将棋の勝負の世界を知ってもらうことであろう。

*将棋に関する記事
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる

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2006年12月29日 (金)

父の冬休み

私の職場はカレンダー通りであれば、年末年始の休みは年末30日・31日、年始は三が日の5連休である。しかし、お客さんと直接、接する現場ではないので、今日と1月の4、5日は休みをもらい、今日から1月8日までの11連休をもらうことにした。ちょっとした「父の冬休み」である。

今年は、ずいぶん、たくさん資格試験を受けた1年だった。いずれも、仕事に関係していて、このブログでもいくつか書いたが、ブログを始める前の2月の中旬に受けたのを皮切りに7月、10月、11月、12月と1年に5回受けた。10月の金融内部監査士と11月の公認内部監査人(CIA)は、このブログでも書いた通りだ。まだ、結果の出ていないCIAを除き、なんとか合格でできているのも、ありがたい。人には、スケジュール面で無理があるのでは、とも言われることもあったが、それぞれに重複する部分もあり、まとめて一気に勉強した方が効率いいはずと考えて、やって来た。結果的には、ほぼ目論見通りになった。

今年は、これからの新しい10年のスタートの年で、これからの10年の基礎固めとして、なんとかいいスタートきれたと思う。来年は、まだ残っているいくつかの試験を受けつつ、今年取得した資格を結果・成果に結びつけていく1年にしていきたいと思う。

今年の試験疲れを癒し、来年への英気を養う「父の冬休み」にしたい。 

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2006年12月26日 (火)

「定期入れ」紛失騒動

昨日の朝、いつも通りに家を出て、最寄り駅に向かう。改札口で、背広の胸ポケットから定期券を出そうとすると、いつもそこにあるはずの「定期入れ」がない。少し、あわてていたので、家に忘れてきたらしい。しかたなく、券売機まで戻り、1000円のパスネットを買った。

きっと、土日に出かけた時に来ていた服のポケットか、休みの日に身につけているウエスト・ポーチに入れたままだろうとさして気にもしていなかった。昨日の夜は、忘年会で少し、お酒を飲んだこともあって、「定期入れ」を探すことなど、すっかり忘れて、寝てしまった。

今朝、家を出る前、改めて探す。なんと、見つからないではないか。週末の来ていたダウンジャケットのポケットにも、ウエスト・ポーチにも入っていない。会社に持って行く鞄の中にも見あたらない。

「困った…」。見当たらなくなった「定期入れ」には、定期券の他に、Suicaカード、使いかけのパスネットといったJR・私鉄の何にでも乗れるように備えた一揃えを入れているだけでなく、運転免許証、会社のIDカード(本社ビルの入館証兼用)、電子マネー「Edy」カードとして使っているANAのクレジットカード1枚も一緒に入れてあった。

しかし、出勤間際にいつまでも、いつまでも家で定期入れを探しているわけにもいかないので、家を出る。今朝は、雨。かなり強めに降っている。いつもなら歩くところだが、捜し物で、家を出るのが少し遅れたこともあり、傘を片手に自転車に乗る。駅で、また1000円のパスネットを買い、電車に乗った。

さすがに、今日は、どこでなくしたのか考える。先週金曜日は、定期券の家まで帰ってきたので、確かにあったはずだ。

では、土曜日は?1日を振り返る。車に乗って、こわれかけた洗濯機の買い替えに行ったり、散髪に行ったりと、結構出歩いている。どこかで、気がつかないうちに落としたか?そうだ、夜、家の近くの「ゲオ」までウオーキングを兼ねて歩き、前から借りたいと思っていた一青窈のベストアルバム『BESTYO』を借りたのだ。あのとき、ANAカードのEdyで払っている。

では、なくしたとすれば日曜日。日曜日は、市会議員選挙の投票日で、妻と2人投票に行き、その足で、通勤で乗る路線とは別の線の最寄り駅までウオーキングし、駅前でコーヒーを飲み、昼食の材料の買い物をした。夜は、車で出かけ、家族で外食した後、スーパーで買い物をして帰ってきた。しかし、朝、家を出る前に、車の中をざっと見たが見あたらなかった。

満員電車に揺られながら、頭のなかで2日間の行動をプレイバックしてみたが、あの時になくしたのではと思い当たるところは、なかった。これ以上、考えても思い出せそうにもないので、この件に関してはいったん思考を停止。家に帰ってから、必死で探すしかないと諦めた。

職場で仕事をしていてもどことなく、落ち着かない。見つからないとなると、①カード会社へクレジットカードの使用停止をかけ再発行の依頼②警察へ免許証の紛失の届けと再発行の依頼、③会社へはIDカードと定期券の紛失の届けとIDカード再発行の依頼、を行う必要がある。考えただけでも気が滅入る。おまけに、定期券はまだ4ヵ月残っていて、その分は当然自己負担せざるを得ないし、Suicaとパスネットは諦めざるを得ない。改めて、何でも1ヵ所にまとめておくことのリスクを痛感した。

職場での仕事も、半日が過ぎ昼食の時間。朝、雨に濡れたせいか、少し寒気がして、喉も痛いような気がする。食事が終わったら、風邪薬でも飲もう。食堂から、席に戻り、鞄の中にいつも入れている飲み薬や目薬、ハンドクリームなど入れている小さな巾着袋を取り出す。風邪薬を出そうと袋を明けると、なんと!その中から薬と一緒に「定期入れ」が出てきた。手品でも見ているようだった。未だに、いつどうやって巾着の中に定期入れをいれたのか思い出せない。昨日の忘年会で、若年性アルツハイマーが話題になっていた。人ごとと笑っていられないかも知れない。

見つかったのは幸運というしかない。風邪薬を飲もうと思わなければ、巾着袋をしばらく空けないままで、いろいろなところへ、紛失届けや再発行の届けを出したまも知れない。まとめて持つ事のリスクはいやというほど痛感したので、風邪薬を飲んだ後、雨の中だったが、会社の近くの文房具屋に行き、新しいパスケースを買い、とりあえず電車関係の定期券・Suica・パスネットのセットと、運転免許証、会社のIDカード、クレジットカードは2つに分けて持つことにした。ささやかなリスク軽減策である。

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2006年12月24日 (日)

ちょっと息抜き:「BligDing」というGameはいかが?

私が書いた河合隼雄さんの記事を一度転載してくれた「子育て応援なび はーぷるふぃんがー」というブログがあるのだが、そこで紹介されていたゲーム。彼女(「はーぷるふぃんがー」さん)も、別のブログで見つけ、転載したとのこと。私も、はまってしまい、もとのサイト(BlingJam)まで行って、コードを入手してきた。

ルールは簡単で、縦横で2つ以上隣あう同じマークをクリックして消していくというもの。定期的に最下段に新しい行が加わって来る。消すのが遅れ、どこかの列が天井に達したところで、ゲームオーバーになる。

やって見ると結構はまってしまう。ご来訪された方、一度お試しあれ。


Cool Stuff at BlingJam.com

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2006年12月23日 (土)

第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠

おととい(2006年12月21日)、現在、将棋界の最高の棋戦と位置づけられている竜王戦(主催・読売新聞社)が幕を閉じた。一作年、現在の森内俊之名人から竜王位を奪取し弱冠22才の渡辺明竜王。挑戦者は、名人戦を除く、今年度のこれまでのタイトル戦にことごとく登場している佐藤康光棋聖(35才)。残る棋王戦、王将戦も挑戦者決定戦に駒を進めており、年間対局数の多さは群を抜いている。

しかし、自らタイトルホルダーである棋聖位こそ3連勝で挑戦者鈴木大介八段を退けたものの、王位戦はフルセットの末、王座戦では3タテで羽生善治3冠に敗れ、今回の竜王戦を迎えた。佐藤棋聖としては、竜王位を奪い2冠を持つことで、同世代の羽生3冠、森内名人・棋王と並び、名実ともに3強の一角を占めることを示す絶好のチャンスであった。10月10・11日のサンフランシスコでの初戦、10月31日・11月1日の富山・宇奈月での第2戦と連勝し、4連勝で渡辺竜王を一蹴するかに見えたが、他棋戦でも勝ち進むハードスケジュールが応えたのか、その後渡辺の逆襲にあい3連敗。6戦目のカド番を注文を付けた勝負でものにして、3勝3敗で12月20日からの最終戦に持ち込んだものの、最後は力尽きたのか、タイトル奪還には一歩及ばなかった。

一方、受けて立った渡辺明竜王は、竜王戦開始直前の『将棋世界』11月号でのインタビューで、その時点で、挑戦者決定戦に名乗りを上げていた、佐藤棋聖、丸山忠久九段(元名人)のどちらが挑戦者になったとしても、「世論(中立なファンの9割)は、挑戦者が勝つと思っているでしょう。でも、そうはならないと思います。」という趣旨のコメントし、将棋世界の編集者はそれをとらえ、このインタビュー記事に「私は下馬評を裏切るだろう」という刺激的なタイトルを付けた。結果的に、その自らの予言通りタイトル防衛を果たしたのだから、大したものである。

渡辺竜王は3強のうち、森内現名人から竜王位を奪取し、佐藤棋聖の挑戦を退けた。残るは、将棋界のスパースター羽生善治三冠である。羽生三冠には2003年に王座戦で一度挑戦し、3勝2敗で退けられている。タイトル戦で、羽生三冠に一矢を報いることができてこそ、羽生三冠の後継者、将棋界の次代のリーダーといえるだろう。これからの、羽生対渡辺の激闘が楽しみである。(個人的には、贔屓にしている郷田真隆九段にも、再度タイトルホルダーとなって、渡辺竜王を撃破してもらいたい。)

お詫び:当初、本ブログのタイトルを「第18期竜王戦」としていましたが、正しくは「第19期」でした。お詫びして訂正します。ご指摘下さったエバグリンさんありがとうございました。(2007年1月6日記)

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる

*上記記事を含め、このブログの将棋に関する記事の一覧はこちら→アーカイブ:将棋

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2006年12月22日 (金)

「冬至」の日の朝寝坊

今日は「冬至」。今年最後の二十四節気になる。一年で一番夜の時間が長い一日である。先週あたりから、明け方6時頃でも、暗く寒かった。なかなか、起きられず、朝のウオーキングもとぎれがち。そうしていたら、とうとう、今朝は、朝寝坊をしてしまった。

いつもは、6時には起きるのを目標にして、目覚まし時計もかけている。15分ほどウオーキングをして、余裕があれば6時半からのラジオ体操をし、その後、着替えて、6時50分くらいには朝食を食べ始め、7時15分には自転車で家を出て、23分頃には駅近くの駐輪場に自転車を止め、25分には駅に着き、7時27分の準急に乗るというのが、私の朝の理想的なスケジュールである。

しかし、今朝は5時頃一度トイレに起きたものの、まだ早いともう一度、寝床に入ったのが運の尽き。ねぼけまなこの妻が、隣のふとんで意識朦朧としながら、「ずいぶん遅くない?」と呟いているのに気がついて飛び起きたところ、時計は既に7時40分を過ぎていた。職場まではDoor to Doorで1時間余、始業は8時40分なので、すでに遅刻確定である。あわてて、顔を洗い、髭を剃って、着替え家を飛び出したが、すでに8時を回っていた。おまけに、昨日から私の自転車はパンク。次女の自転車を借り、駐輪場では代車の認定をしてもらわなくてはならず、余計な時間がかかる。結局、職場にたどり衝いたのは、9時15分頃だった。

これまで、停電や事故で電車が遅れて遅刻したことは何度かあるが、朝寝坊をして遅刻をしたのは、20年振りくらいではないだろうか。記憶にあるのは、まだ独身で、福岡勤務のころ。前日、飲み過ぎで、独身寮で目覚めた時は、その当時は、通勤時間は30分で、8時に出れば十分間に合うような場所に寮があったが、起きたのは8時半頃で、あわてて大通りまで出て、タクシーを拾ったが、9時を少し過ぎてしまった。 その後、朝寝坊で遅刻した記憶はない。

なんとも、情けない話である。明日からは、心機一転、早起きを心がけなくては。

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2006年12月21日 (木)

2007年3月、PASMOスタート、Suicaと相互利用も

首都圏の地下鉄・私鉄で相互利用可能なパスネットを運用している各社で、来年2007年3月18日(日)から、JR東日本が導入している「Suica」と同じ非接触ICチップFeliCaの技術を利用したICカード乗車券「PASMO」(パスモ)が導入されることについて、正式発表があった。併せて、「Suica」との相互乗り入れも同時に実施するとのことで、来春からは、、「Suica」か「PASMO」のどちらかを持っていて、事前に券売機等で金額をチャージしておけば、首都圏の鉄道ネットワークは、1枚のカードで自由に乗り降りができるようになる。「PASMO」は「Suica」同様電子マネーとしても利用可能で、電子マネーとしても「Suica」と相互乗り入れをするとのことで、「PASMO」=私鉄版「Suica」といえる。

これまでは、鉄道での移動の際には、財布に「Suica」とパスネットを両方入れ、乗る線によって使い分けをしていたが、その手間が省けるようになる。

すでに、「Suica」とクレジットカード、銀行のキャシュカードが一体化した物もあり、そのうちプラスチックカード1枚あれば、大概の用事は片付くようになるだろう。あるいは、それがカードでなく携帯電話になる可能性もあり、しばらくはこの小口決済マーケットから目が離せない。

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2006年12月20日 (水)

作家高橋克彦の半生を語る『開封 高橋克彦』

今月の講談社文庫の新刊で『開封 高橋克彦』(道又 力著)という一風変わった本が出た。15年間、高橋克彦の秘書をつとめた著者が書いた、高橋氏の全作品の解説と生まれから作家デビューするまでの半生の伝記の2部構成になっている。

東北の岩手・盛岡を本拠に活動する高橋克彦氏の小説のうちは、主に東北出身の歴史上の人物・事件を取り上げた『風の陣』(奈良時代の橘奈良麻呂の乱、藤原仲麻呂の乱を生きた丸子嶋足)、『火怨』(蝦夷反乱の首領アテルイ)、『炎立つ』(前九年・後三年の役から奥州藤原氏)、『天を衝く』(秀吉に反旗を翻した九戸正実)という古代から近世までの一連の東北シリーズと元寇の時の鎌倉幕府の執権北条時宗を取り上げた『時宗』を読んでいるので、その人となりには興味があった。

第2部の小伝を読むと高校時代演劇部に属し、戯曲を書いていたこと。 実家は医院で、医者を継ぐつもりで、医学部入学のため浪人生活を続けていたが、文学や演劇への関心が強く、なかなか勉強に身が入らず、見かねた弟が、医学部を受験し医者を継ぐことになり、本人は4年浪人の末、早大商学部に進学したこと。作家デビューのきっかけとなった江戸川乱歩賞受賞作の『写楽殺人事件』は、地元の新聞記者だった中津文彦氏が『黄金流砂』で乱歩賞を受賞したことがきっかけで、過去の受賞作と選考委員の選考評を全て読み、傾向分析した上で、次回は自分が乱歩賞を取ると家族や友人に宣言して、本当に翌年、受賞したことなど数々のエピソードがちりばめられている。

また、弟の親しい友人(不慮の事故で亡くなった)の霊に何回も遭遇したり、自分やよその老婆の生霊にあったりと、霊感の強い人であるエピソードも載せられている。

最初に第2部の伝記を読み、第1部の作品解説に戻って読んでいるが、歴史物だけでなく、SF、ホラー、サスペンス、伝奇物とその作品は幅広い。まだまだ、面白そうな作品が多いので、解説を参考にもう少し高橋克彦の世界にも浸ってみることにしたい。

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2006年12月19日 (火)

気象庁ファンクラブ「地球ウォチャーズ」(気象友の会)の話

「地球ウォチャーズ」-気象友の会-という会がある。パンフレットでは、

「気象・海洋・地震・火山」など、地球をとりまく自然現象に関心ある方が集い、気象庁の仕事について理解を深め、気象庁職員との交流、会員相互の親睦を通じて、気象知識の向上、地球環境への関心と防災マインドの高揚を図ることを目的としています。

と説明されている。個人会員は入会金1000円、年会費3000円。少々お堅い文章で、いかにもお役所の人が書いたという感じで、これを読んですぐにでも入会したいと思う人も少ないだろう。

ただ、私個人としては、このブログでも、何回か気象関連の記事を書いたように、「気象知識の向上」という点には関心もニーズもある。

かつて、職場の部下から「拓庵さんは、謎解きが好きなんですね」と言われたことがある。大きなことであれ、小さなことであれ、自分の身の回りで起きている出来事が、どのような仕組みで起きているかについては、確かにとても興味がある。気象の世界は、当たり前のように目の前で起きているけれども、その仕組みを正しく理解し、説明できるかと言えば、心許ない。また、それだからこそ、正しく知りたいとも思う。謎解きとしては、地球規模のスケールでかなり大きい部類に入るだろう。

気象庁にいる知り合いから勧められたこともあり、入会してみようと思っている。入会時には、会員の生まれた日の天気図などもくれるらしい。会員になると、他にどんな情報が得られるのか、1年間試してみることにする。ブログのネタになるような情報があれば、どんどん紹介していきたい。

「地球ウォチャーズ」-気象友の会-のホームページはこちら

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2006年12月18日 (月)

パソコンの情報セキュリティ管理の教科書『情報セキュリティ読本』(改訂版)

個人所有のパソコンの情報セキュリティ管理は、ついおろそかになりがち。大切なことはわかっていても、結局、ウィルスソフトをインストールして対策は完了として安心してしまっているところがある。

フィッシング詐欺やウィニーの利用者の個人のパソコンの保存されていた企業や役所の機密情報が流出したりと、個人も情報セキュリティに敏感でいないと、いつ被害者になるかも知れないし、下手をすると無自覚な加害者にさえなりかねない状況だ。

先週の金曜日の仕事帰り、電車の乗り換え駅で、よく寄る書店を歩いて回っていると、コンピュータのコーナーに『情報セキュリティ読本』(独立行政法人情報処理推進機構〔IPA〕編著、実教出版)を見つけた。

身の回りのコンピュータ、パソコン環境の中に、どのようなリスクが隠されているのか、その対策として取り得るものは何か。初心者向けに、平易に、それでいて、ある程度全体感がつかめるよう網羅的にもなっている。 普通に本にされれば1500~1600円程度の値段がつきそうな内容だが、政府系機関が編著者であり、情報セキュリティの啓蒙の意味もあってか、税込みで500円とも求めやすくなっている。まさしく、「教科書」として作られているのだろう(出版社の実教出版は、中学や高校の教科書を手がけていたはずだ)。

これまで、この手の話を敬遠気味だった人にも、ぜひ読んでもらいたい1冊である。

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2006年12月17日 (日)

畠中恵の『しゃばけ』ワールド第5作『うそうそ』を読み、シリーズ全体のテーマを考える

畠中恵の『しゃばけ』シリーズの第4作『おまけのこ』に続き、第5作の『うそうそ』(新潮社)を読み終わった。

タイトルとなっている「うそうそ」は「嘘々」のことだろうと思っていたら、さにあらず、本書の物語の前に「江戸語辞典」(東京堂出版)による語釈として

【うそうそ】
たずねまわるさま。きょろきょろ。うろうろ。(畠中恵『うそうそ』2ページ)

という解説が付されている。なるほど、と思ったところで、読者はすでに江戸日本橋の廻船問屋長崎屋を舞台にした『しゃばけ』ワールドに足を踏み入れている。

今回はタイトルの「うそうそ」に象徴されるように、主人公である若だんな一太郎が、江戸から離れ、箱根に湯治に行くという話である。第1作の『しゃばけ』の後の3作は、『しゃばけ』の世界に奥行きと広がりを持たせる数々の短編を綴った短編集だったが、今回は、日本橋を離れてからの道中と目的地の箱根で巻き起こる数々の出来事・事件を綴った長編である。

長旅で、若だんなのそばを離れることなど考えられない佐助・仁吉の二人の手代が旅の最初からいなくなり、読者は、道中で起こる不可思議な出来事に、一太郎とともに、わけもわからず旅をすることになる。やがて少しずつ、事件の意外な真相が明らかになっていくが、それは読んでのお楽しみということで、本の帯にあるキャッチコピーのみ記しておく。

若だんな、旅に出る!初めての旅に張り切る若だんなだったが、誘拐事件、天狗の襲撃、謎の少女出現と旅の雲行きはどんどん怪しくなっていき……。

締めくくりに、シリーズ5作を読み通してみての感想を少々。

『しゃばけ』シリーズは、江戸時代を舞台にしているが、きわめて現代的なテーマを扱っているように思う。主人公の若だんな一太郎は病弱で、生まれてからこの方、病で床にふせっている時間の方が長いのではないかと思われるほどである。両親は、近所でも評判になるほど、息子に対して大甘だし、お守り役の佐助・仁吉の二人の手代も、何をさしおいても、若だんなが一番大事ということで、一太郎は世間の荒波から二重・三重に守られた箱入り息子である。

しかし、彼自身は、その境遇に安住しているわけではなく、なんとか人の役に立つ自分でありたいと願っている。しかし、店の手伝いをしようとしても、風邪をひく、怪我をするといって2人の手代が何もさせてくれない。その中で、どうやって独り立ちし、一人前になっていくのか。一太郎に悩みは深い。今回、第5作で、日本橋の長崎屋の世界から飛び出して、お守り役の二人の手代もいない中(兄の松之助は一緒だったが)、旅に出たことは、彼の独り立ちへ向けた転機になるのではないだろうか。

そういった一太郎のけなげな姿が、結果として過保護に育てられ、親離れ仕切れない現代の若者(中年も含めて)の共感を呼び、シリーズ100万部を超えるヒットになっているのではないかと思う。 

*『しゃばけ』関連の記事
2006年12月8日:畠中恵の『しゃばけ』『ぬしさまへ』『ねこのばば』を読む
2006年12月13日:畠中恵の『しゃばけ』ワールド第4作『おまけのこ』
2006年12月17日:畠中恵の『しゃばけ』ワールド第5作『うそうそ』を読み、シリーズ全体のテーマを考える

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2006年12月14日 (木)

冬の日比谷公園

Photo_4

今週は通勤の途中で、日比谷公園を通る。生い茂る木々は、晩秋の趣だ。 公園の中に雲形池という真ん中に鶴の噴水を配した池があるのだが、その周りが紅葉で美しい(写真は昨日の朝、撮影)。

黄色い落ち葉が道に敷き詰められ、神宮外苑のイチョウ並木ともいい勝負である。今年は、比較的暖かい冬のような気がする。朝、こんなところを通って、通勤できると少し得した気分になる。 

東京にお住まいの方は、この時期の晴れた日の日比谷公園を、一度、訪ねられると良いと思う。

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2006年12月13日 (水)

畠中恵の『しゃばけ』ワールド第4作『おまけのこ』

先週このブログでも紹介した畠中恵の『しゃばけ』シリーズの第4作『おまけのこ』(新潮社)を読んでいる。5話からなる短編集で、最後の1話を読んでいるところだ。

著者の畠中恵さんは1959年生まれ。一時は漫画家をしていたというが、都筑道夫の小説教室に通い、作家修業をしたという。小説教室通って、これだけの物語世界を作り出せるのなら、物書き志願者としては、定年後にでも、一度通ってみようかという気にもなる。

すでに、紹介してある『ぬしさまへ』『ねこのばば』の2つの短編集でもそうだが、最初の長編『しゃばけ』での登場人物やその後の短編でのちょい役で出てきた人々を取り上げ、その生い立ちや主人公である廻船問屋長崎屋の若だんな一太郎とかかわることになった背景が、少しずつ描き出される。話が進めば進むほど、一太郎を中心とした『しゃばけ』ワールドは、その奥行き・広がりを増し、そこに一つの世界が動いているような気がしてくる。

『ゲド戦記』の作者ル=グウィンは、「ゲド戦記の舞台であるアース・シーの世界を自分が創作したのではなく、すでにそこにあり、自分はその世界に行って、そこでの出来事を記録しただけだ」といいう趣旨にことをエッセイの中で語っているが、『しゃばけ』ワールドも作者の畠中さんにとって、同じような存在になりつつあるのではないだろうか。登場人物ひとりひとりが、勝手に動き出し、作者はそれを追いかけているだけという物語世界が、作り上げられている。

『しゃばけ』シリーズにはファンも多く、ブログでも多く取り上げられている。短編集の書評では、それぞれの書き手が、自分はこの話が好きというコメントも多い。『しゃばけ』ワールドの登場人物たちは、それぞれに過去や悩みをかかえながら、生きている。読み手が感情移入したり、応援したくなる登場人物がいること、そして回を経るごとに、その数が増え、ますます物語世界の奥行き・広がりが増していることが、多くのファンを惹きつけてやまない理由だろう。第5作の『うそうそ』も楽しみである。

*『しゃばけ』関連の記事
2006年12月8日:畠中恵の『しゃばけ』『ぬしさまへ』『ねこのばば』を読む
2006年12月13日:畠中恵の『しゃばけ』ワールド第4作『おまけのこ』
2006年12月17日:畠中恵の『しゃばけ』ワールド第5作『うそうそ』を読み、シリーズ全体のテーマを考える

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2006年12月12日 (火)

ジャンボ宝くじ

師走も中旬に入り、繁華街はクリスマスの飾りが光り輝き、行き交う人もどこかあわだだしげな今日この頃。そんな暮れの風物詩のひとつが「年末ジャンボ宝くじ」。私も頼まれて、20枚ほど連番で購入している。期待値50%を切るのだから、そう簡単に当たるわけはないのだが、少数だが当選者がいるのも事実。先日も、顔写真に実名入りで1000万円以上の高額当選者を紹介した新聞広告が出ていた。「買わなければ、当たりません」「夢を買いましょう」のセールス文句に、つい、今度こそはと淡い期待をかける。

しかし、その淡い期待が一度だけ少しだけ叶ったことがある。北海道に単身赴任中に朝の雪道で転倒し、肩の骨を骨折し、3週間入院したことは、このブログでも何回か書いたことがあるが、その頃の話だ。転倒して、右肩を殴打した時には、半日で、右肩から右腕にかけて内出血がひどく、真っ青になったが、整形外科でレントゲンを撮っても、最初はどの程度の怪我で、手術が必要かどうかもわからなかった。結局、いろいろと検査をした結果、日本でも過去7~8例しか報告されていない珍しい骨折で、早期に手術が必要という診断が出たが、入院する病院のベッドの空き具合や、執刀医のスケジュールの関係で、骨折から3週間後にようやく手術ということに決まり、手術のために入院するまで、三角巾で右手を吊って出勤し、仕事をしていた。

その時、不謹慎にも「日本人全体で7~8人しか遭遇していないような大怪我をしたのだから、こういう時に宝くじを買えば億万長者も夢ではないのではないか?」と思い、その時販売されていた宝くじを買った。多分、発売が始まったばかりの「グリーンジャンボ」だったのではないかと思う。10枚のくじの束を財布に入れる。その財布を持って、入院・手術を受けた。

手術後、3週間入院。その間は、宝くじのことなどすっかり忘れ、病院のベッドの上で、本を読む毎日で、それまで読んでいなかった「ハリー・ポッター」のシリーズの携帯版を買い込んで読んだりしていた。週末に退院し、土日に1人、月曜日からの職場復帰の準備をしている時に、ふと「そういえば、宝くじを買っていた」と思い出した。やおら、財布から宝くじの束を取り出し、インターネットで当選番号を調べる。

なんと下4桁が当たり番号と一致。「1万円」が当たっていた。これまで、下1桁の300円しか当たったことがなかっただけに、驚いた。私の目論見では、当選金の金額の「0」の数があと3つ(1000万円)か4つ(1億円)多いはずだったが、それでも、当てることを意識して買っていただけに、こんなこともあるのかという不思議な気がした。

3000円投資しているので、正味7000円の純益であるが、使い道は、3週間も仕事を休んで職場の皆さんに迷惑をかけたお詫びもかね「快気祝」として、お菓子を配る時の、軍資金の一部になった。

年末ジャンボで3億円当たったら何に使おうか、考えながら、大晦日の抽選日を待つことにしたい。

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2006年12月11日 (月)

ネタ枯れの月曜日

最近、月曜日のブログが書けない。先週は、ココログのメンテナンスだったが、遡って調べてみると、前回、月曜日に書いたのは10月23日(月)が最後だ。11月の月曜日まったく書けていないし、10月も23日だけで、それ以外の日は休業である。

土曜日・日曜日と続けて休んだ後で、月曜日は、まず仕事モードに心と体を切り替えることに集中するので、ほかのウィークデイに比べ、疲れているような気がする。10、11月とも月曜日には下書き止まりになっているネタも2件ある。ブログのネタを考えて、まとめきるところまで、頭が回らないというところだろう。

できれば、短くてもいいから、毎日続けいきたいと考えている。今回は、メンテ明けの7日(木)からだから、ようやく5日連続というところである。まずは、1週間を目標に、頑張ろう。

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2006年12月10日 (日)

1万歩ウオーキング、途切れる

9月24日に歩数計(万歩計)を購入、翌日から1日の歩数を計測するようになり、以来、休日も何かと歩く機会を作り、毎日1万歩以上歩いてきたが、とうとう昨日(12月9日)で、途切れた。

土・日は、朝、妻と最寄りの私鉄の駅まで、片道30分弱、往復で1時間ほど歩き、6000歩~7000歩確保するのだが、昨日は朝から寒く霧雨模様だった事に加え、最近、パート先の都合で、土曜日の出勤増えてきて、昨日はその出勤日ということもあり、家の近隣を15分ほど歩いただけだった。その後、日中も冷たい雨は降り続いたし、来週、仕事の関係でちょっとした試験を受けなければならず、その勉強もしなければならず、結局、家の中で1階と2階を往復しするだけ。夜の11時過ぎで、やっと3500歩という状況だった。

外を見ると雨がやんでいたので、それでも少しでも歩こうと、よく行くレンタルビデオショップまで歩いたが、それでも片道15分。往復で30分、+3000歩程度で、昨日は6500歩で終わってしまった。

ウオーキング減量作戦のきっかけになった『医師がすすめるウオーキング』(泉嗣彦著、集英社新書)」では、1週間の中で、合計7万歩歩くことを目標にすれば良いということを書いているので、昨日の不足分は今日、明日くらいでカバーしておきたい。

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2006年12月 9日 (土)

「金融内部監査士」認定書届く

10月に受験していた「金融内部監査士」試験。今日の午後、「金融内部監査士」の認定書が届いた。

今年の10月までは、通信教育を修了し、登録料(5250円)を払い申請を行うと「金融内部監査士補」に認定され、さらに「金融内部監査士」試験の受験資格を取得。4科目の「金融内部監査士」試験を受験して合格すると「金融内部監査士」資格を得て、登録料(7350円)を払って申請すると、「金融内部監査士」に認定されるという段取りであり、最後ステップの認定書が届いたということになる。

11月以降は、金融関係の監査の国際資格として、米国の「公認金融監査人(CFSA)」の試験が、日本でも日本語で受験できるようになり、それに合わせて、「金融内部監査士補」資格は廃止、「通信教育」修了者には国内資格として新「金融内部監査士」の資格が与えられ、その上位資格として「公認金融内部監査人(CFSA)」が位置づけられることになった。

経過措置として、旧制度での「金融内部監査士補」認定者は新「金融内部監査士」に横滑り、旧制度の試験に合格して「金融内部監査士」の資格保有者は、申請すれば国際資格の「公認金融監査人(CFSA)」として認定される。

受験時にも書いたが、私が10月に受験した「金融内部監査士」試験は、旧制度最後の試験で、これに合格できれば、旧「金融内部監査士」として認められ、「公認金融監査人(CFSA)」資格も得られるということで、3月から結構、真面目に勉強してきた。なんとか合格できて、旧「金融内部監査士」としての認定手続も無事終了したことになる。

次は、国際資格の「公認金融監査人(CFSA)」の認定書だが、こちらの方は、制度上は11月に、「公認内部監査人(CIA)」試験と同じ日に実施された日本での第1回の「公認金融監査人(CFSA)」試験の見なし合格者という扱いになるとのことで、来年の1月下旬に合格通知が来て、3月に認定書が来るということらしい。

当面の最終目標であった「公認内部監査人(CIA)」と今回の「公認金融監査人(CFSA)」の合格通知が1月下旬に合わせて届けられ、3月に2つの国際資格の認定書がもらえることになれば、2006年度の有終の美が飾れるのだが、CIAの方はどうなることだろう。あと、1ヵ月半、再び「人事を尽くして、天命を待つ」しかない。 

(お詫びと訂正)当初、米国のCFSA(=Certified Financial Services Auditor)につき、「金融内部監査人」と表記していましたが、日本での呼称は「公認金融監査人」でした。お詫びして、訂正します。(2006年12月11日記)

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今回で200タイトル

7月16日の記事が100タイトルめということで、一度、記事を書いたが、数えると今日のこの記事がちょうど200タイトルになる。今年2月下旬にブログを始めて9ヵ月半、300日に少し足りないぐらいだろう。100タイトルから200タイトルまでの100件も5ヵ月足らず。平均すれば、3日で2件というペースは変わっていない。

アクセス件数も、おかげ様でしばらく前に20,000件を超え、来週中には25,000件の大台に達する見込みだ。日々のアクセス件数は、自分にとっても書き続ける励みになっている。やはり、アクセスが多い日はうれしい。一時、河合隼雄文化庁長官の容態についての記事にアクセスが多く、1日200件を超えた日が何日かあったが、最近は、100件前後で大きな変化はない。先週くらいまでは、試験が終わった直後ということもあってか、CIA(公認内部監査人)関係の記事へのアクセスが多かった。

自分の書いた記事への、グーグルなどの検索サイトを通じたアクセスの多寡で、世間で何が関心を持たれているのかが、垣間見える感じする。せっかく、アクセスして読んでくれた人が、何十秒かの時間をかけて、読むだけの価値があったと思われる記事になるよう、なにがしかの情報は折り込みたいと思い書いてはいるが、どうだろうか。

次の節目は、記事の数からいえば、300タイトルだが、まず来年2月のブログ開設1周年と30,000アクセスが次の目標である。できれば、1周年までに30,000アクセスが達成できればと思っている。そのためにも、質の良い記事を、書き続けることだろう。

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2006年12月 8日 (金)

畠中恵の『しゃばけ』『ぬしさまへ』『ねこのばば』を読む

この1週間、新潮文庫の『しゃばけ』、『ぬしさまへ』、『ねこのばば』(いずれも畠中恵著、柴田ゆう挿画)を読んでいた。

   

『楊家将』を読んで、心理学や精神医学の新書も悪くはないが、たまには面白い小説を読むのもいいなと思い、書店の売り場をうろうろしていたら、妖怪変化を描いた怪しげなイラストに惹かれ、文庫になっていた3冊をまとめて買った。

話の舞台は、江戸時代。日本橋の廻船問屋「長崎屋」の若だんな「一太郎」の周りで起こる怪事件を、若だんなが解決していく推理ものなのだが、単なる推理小説というよりは、シリーズの1冊め『しゃばけ』の裏表紙のキャチコピーにある「大江戸人情推理帖」という説明がいちばんぴったりくるように思う。挿絵に出ている妖怪変化が、主人公の若だんなとどのような関係で、どんな活躍をするのかは、書きすぎると面白みがなくなってしまうので、読んでのお楽しみということにさせていただきたい。

シリーズ第1作めの『しゃばけ』は、2001年第13回ファンタジーノベル大賞(主催:読売新聞社、清水建設)の優秀賞受賞作で、若だんな一太郎が初登場の長編。その後の2冊は、若だんなと彼を巡る人々?を題材にした短編集で、廻船問屋「長崎屋」を舞台にした『しゃばけ』ワールドは、その奥行き、広がりをましており、読み手も、いつの間にかその世界に引き込まれてしまう。

さらに文庫化はされていないが、単行本で第4作『おまけのこ』(短編集)、第5作『うそうそ』(長編)と書き継がれており、さらに一太郎の少年時代を描いた『みぃいつけた』というイラストブック(絵本)も登場し、すでにシリーズで100万部を突破するヒット作になっているらしい。新潮社にホームページには、「しゃばけ倶楽部~バーチャル長崎屋~」というコーナーも設けられている。

新潮社の売れ筋の一つのようで、今回も『みぃつけた』の発売と『ねこのばば』の文庫化の機会に合わせ、キャンペーンを行っているようで、多くの書店で平積みで、このイラストが見えるように並べられているし、小説新潮の9月号では、著者のロングインタビューを掲載するなど、大変な力のいれようだ。

かくいう私も、文庫3冊を読んだところで、すっかり『しゃばけ』ワールドのとりことなってしまい、今日の帰り、残る2冊の単行本に、イラストブック、小説新潮まで買い込んできた。しばし、長崎屋の世界にひたるとしよう。

*『しゃばけ』関連の記事
2006年12月8日:畠中恵の『しゃばけ』『ぬしさまへ』『ねこのばば』を読む
2006年12月13日:畠中恵の『しゃばけ』ワールド第4作『おまけのこ』
2006年12月17日:畠中恵の『しゃばけ』ワールド第5作『うそうそ』を読み、シリーズ全体のテーマを考える

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2006年12月 7日 (木)

今日は「大雪」、ココログのメンテナンスは失敗

今日、12月7日は二十四節気の「大雪(たいせつ)」。カレンダーに書いてあるコメントでは

朝夕には、池や川に氷を見るようになる。大地の霜柱を踏むのもこの頃から。山々は雪の衣を纏って冬の姿となる頃。(「ビックカメラ2006年カレンダー」より)

たしかに、朝、通りかかった近くの畑は、霜柱で白くなっていた。街は、一気に年末モードになり、クリスマスの飾りが輝いている。いよいよ冬本番である。

このブログのサービスをしているココログは、5日から7日までの3日間の予定で、メンテナンスを行っていたが、結局、うまくいかず、7日になってメンテ実施前の状況に戻して、サービスを再開した。その間、更新は全くできなかった。7月にサービスメニューの充実を行ってから、特段、問題も起こさずに来ていたが、再びつまずいてしまった。この1週間ほど、サーバーに繋がらない時も、数回あり、また、ユーザーからの不満が爆発しそうだ。 

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2006年12月 3日 (日)

年賀状作りの季節

今年も、はや12月。残すところ、4週間である。毎年、この時期になると、気になってくるのが翌年の年賀状である。1年の間に、受け取った転勤や転居のハガキなどを整理して、リストを更新し、デザインを考えなくてはならない。

我が家では、結婚したときから、年賀状は家族全員の写真をメインにしている。家族全員で、お送りした方に、せめて写真で挨拶をするという意味をこめているつもりだ。

最初の頃は写真店にネガを持ち込み、デザインを選んで印刷を頼んでいたが、パソコン、カラープリンター、デジタルカメラが使えるようになってからは、自分で作るようにしている。最近は、プリンターとデジタルカメラの進化で、自作でも注文印刷に遜色ないものが作れるようになった。また、宛名書きも、パソコンとプリンターがやってくれるので、以前ほど年賀状作りに時間はかからなくなった。

その中で、最大の問題は、家族全員で写る写真をいつ・どこで撮るかだ。以前は、神宮外苑のイチョウ並木まで出かけていって、撮影したりしたこともあるのだが、ここ2年ほどは、家族全員で遠出をするだけのスケジュールの調整がつかないこともあり、自宅の前や、リビングでとお手軽にすませてしまっている。今年は、少しは気の利いたところで撮りたいと思っているのだが、長女は来週期末試験、次女は高校受験の追い込み時期と、そうそう連れ回すわけにもいかず、父親の腕が問われるところだ。来週末には、写真撮りをすませ、ハガキ作りの準備に入りたいと思っている。

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2006年12月 2日 (土)

ウオーキング減量作戦途中経過、11月は足踏み

9月の半ばに思い立って、始めたウオーキング減量作戦。順調に減量は進み、11月の上旬には67kg台を3日連続で記録したことまでは書いたが、11月のひと月間を通して見ると、結果的には横ばいだった。

歩く方は、引き続き毎日最低10,000歩は確保し、多い日は16,000歩以上歩いた日もある。しかし、体重の方は、上旬の文化の日を含めた3連休の最終日の5日(日)に子ども達の希望もあり、家の近くのできた回転寿司店に食事に行き、子ども達のペースにつられて食べ過ぎてしまったこと、さらに翌6日(月)には、飲み会があり、どうしてもカロリー過多になってしまったことで、2日間で1kg以上増えてしまった。11月は、その増えた体重を11月の初めの水準に戻すので精一杯だった。結局記録を見ると、11月1日が68.3kg、1ヵ月後の12月1日も同じ68.3kgである。残念無念。

忘年会シーズンで、外での飲み会が多くなりがちな12月、なんとか食べ過ぎないようにしてせめて67kg台には、戻しておきたい。

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2006年11月30日 (木)

車を修理する

動かなくなった車を廃車にしようかと考えた話は、しばらく前に書いたが、結局、廃車にしようとディーラーに相談した時点では、その前に日に、私がいったんは、こわれたトランスミッションの交換を口頭とはいえ、依頼していたこともあり、ディラーのメンテナンスの担当者は、早手回しに交換部品の発注をした後だった。私の「廃車しようか?」との問いかけに、すぐ本社に確認してくれたが、すでに、部品は発送済みだった。こちらも、いったん依頼しているだけに文句は言えない。結局、そのまま、トランスミッションを交換してもらい、昨日、修理が完了した。

こちらも、愛着のある車を廃車することに多少に迷いもあったので、廃車にするにはまだ使い切っていないということだと考え直し、ここで、多少の投資をしてあと4年乗るつもりの中古車を買ったと考えることにした。あと4年たてば、長女が大学を卒業する時期を迎える。購入11年で、2年車検が終わり、1年車検に切り替わる時期だ。長女が無事に就職してくれれば、家計の負担も少しは減るだろう。その時になれば、買い替えも可能だろう。

あと4年、せいぜい、大事に乗らなくては。

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2006年11月26日 (日)

ケータイの機種変更をした、携帯電話はどこまで進化するのか

携帯電話業界では、番号ポータビリティ制度(MNP=Mobile Number Portability)の話題でもちきりだが、その時期を狙っていたわけではないが、ちょうど1ヵ月ほど前のMNPが始まった日に自分の携帯電話の機種変更をした。

携帯電話を持つようになって10年以上になる。北陸・富山で勤務していた90年代後半、ちょうど、阪神・淡路大震災で固定電話は繋がらなかったけれど、市場に出回り始めていた携帯電話は繋がったという話が流布され、緊急連絡用として携帯電話が脚光を浴び、普及に弾みがつきだした頃だった。私は、仕事で、auの前身である北陸地区の携帯電話会社を担当することになり、携帯電話を持つことになった。最初は、まだアナログ機で、出始めにデジタルよりアナログの方が音質がいいとも言われていた。

その後、何台機種変更をしたのか、よく覚えていないが、ずっとauを使っている。最初のアナログ端末がデジタル端末になり、電子メールが使えるようになり、デジタルカメラ機能も付いた。つい最近まで使って機種は、2年前の春、札幌にいる時に、某家電量販店で200万画素のカメラ付のものが、期間限定キャンペーンで格安で機種変更を受け付けていたので、半ば衝動的に変更したものだ。液晶画面もカラーになり、インターネット接続もできるようになった。

以前、このブログで、次は「おさいふケータイ」にと書いたが、今回の追加機能は「おさいふケータイ」機能と「LISMO」というauが売りにしている「オーディオ・プレーヤー」機能である。MNPスタートに合わせ新機種が投入された関係で、今年の6月に出された1世代前の機種(W42H)が、機能の割に値下がりしていてお買い(お替え)得だった。

おさいふケータイの方は、Edyが最初からセットされていて、さらにSuicaもソフトをダウンロードすれば使える。LISMOは、調べてみると「au  LISTEN  MOBILE SERVICE」との略ことで、アップル社の「ipod」と比較すれば、携帯電話の端末が「ipod」にあたり、「iTunes」にあたる音楽管理ソフトが「au Music Port」という付属ソフト、「iTunes Music Store」にあたる楽曲のダウンロード販売サービスも「DUOMUSIC STORE」という形で行っている。(IT用語辞典、e-Wordsの「LISMO」の項を参考にしました)

昨日、ようやくCDから曲の取り込みを行って、今日、初めて、携帯電話で音楽を聴いてみた。今まで、使っていたMDプレヤーに比べて、音質は落ちているのだろう(といっても、他のデジタル・オーディオ・プレーヤーに劣るわけではない)が、通勤の行き帰りの電車の中などで聴く分には、十分である。

いまや、携帯電話は小さなコンピュータである。私は、TVまで携帯電話で見ようとは思わないが、TVにさえなり得るということは驚きである。さらに、パソコンのどのような機能を携帯電話は取り込んでいくのか、同時代に起きている製品・サービスの革命的な変化という意味からの興味は尽きない。

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2006年11月25日 (土)

宋と遼との戦いを語る『楊家将』(北方謙三著)を読み終わる

北方謙三著『楊家将』(上・下巻、PHP文庫)を読み終わった。

物語は、中国の宋の2代皇帝太宗(趙光義)の時代。唐が滅んだ後、中国は「五代十国」と呼ばれる分裂期に入る。そして、その混乱を統一した新国家「宋(北宋)」を建国したのが、趙匡胤(太祖)である。太祖の後を継いだ弟の太宗の時代、五代十国の中で最後まで残ったのが、中国北部に位置し、異民族国家「遼」と国境を接していた「北漢」。主人公「楊業(ようぎょう)」は北漢の武将として登場する。

兄の遺志を継ぎ、北漢を滅ぼし中国を統一しようとする宋の太宗は、自ら軍を率いて、親征に出る。その宋の親征軍に立ち向かう楊業。楊業は、塩の商圏を握り独自の収入源を持つ「軍閥」。北漢の都では、常に、楊業の謀反・離反を怖れているが、一方、楊業なくして禁軍(皇帝軍)だけでは、国の守りも覚束ない。宋の太宗の親征を前にしても、北漢の宮中では、楊業に対する疑心暗鬼が囁かれる。忠義の臣である楊業は、北漢の皇帝劉鈞と直接会って、自らの潔白を晴らそうとするが、皇帝までもが、自らを疑っていることを知り、一族のため宋への帰順を決意する。

『楊家将』(上巻)は、このように楊業の宋への帰順から幕を切って落とすが、以後、宋軍の外様武将となった楊業とその一族は、遼と国境を接する宋の北の最前線で、遼軍と対峙することになる。
五代十国の「後晋」の時代に遼に譲渡された「燕雲十六州」の奪還を先代太祖からの悲願とする太宗・皇帝。文治国家「宋」において対立する武官(軍人)と文官。軍人の中でも帰順した外様武将に対する生え抜き武将たちの蔑視。その中で、あくまで武人・軍人として生きようとする楊業とその息子たち。
一方、対立する遼の側も、幼帝を支える実権者の太后と様々な軍人達の人間模様が描かれる。

中国を舞台にした歴史小説は、日本でも多く書かれているが、宋(北宋)の時代を舞台にしたものは、少ない。宋の皇帝の御前での殿試の夢から目覚める場面から始まる『敦煌』(井上靖著)くらいしか私は読んだことがない。『楊家将』は、中国では、『三国志』『水滸伝』と並ぶ人気の物語らしいが、これまで日本に紹介されることはなかった。そんな中、楊業の存在を知った作者は、楊業に「書いてくれ」と呼ばれている様な気がしたと語っている。

本書は、2004(平成16)年に、その年の大衆文学の優秀な作品を発表した作家に贈られる吉川英治文学賞の受賞作となった。過去の受賞作で私が読んだ作品は、1987(昭和62)年の『優駿』(宮本輝)、2000(平成12)年の『火怨』(高橋克彦)などであるが、いずれも物語として読み手を惹きつけてやまない作品だった。この『楊家将』もその2作品に勝るとも劣らない出来である。

*関連記事 
2006年11月25日:
宋と遼との戦いを語る『楊家将』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月9日:『血涙 新楊家将(上)』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月15日:『血涙 新楊家将(下)』(北方謙三著)を読み終わる

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2006年11月24日 (金)

再び車のトラブル

昨日の勤労感謝の日、夕食のあと、借りていたCDを返しに行こうと、車に乗って家を出た。

家を出て5分ほど走った交差点を左に曲がったところで、車がまったく動かなくなってしまった。エンジンは動いているのだが、エンジンの動力が全く車輪に伝わっていない。近くに交番があるので、一緒に乗っていた妻が、お巡りさんを呼びに行ってくれた。妻を運転席に座らせ、とりあえず、お巡りさんと私で、交差点から少し先の道路脇まで押していく。それでも、車の通行の邪魔にはなるが、交差点よりは安全だ。

JAFに電話をすると45分かかると言われる。いつも車を預けているディラーに電話をして、とりあえず、車を置かせてもらう了解だけは取り付ける。もう、夜の9時近い。長丁場になりそうなので、一緒に乗っていた娘2人は、歩いて家に帰るように言い、妻と2人で、JAFが来るのを待つ。

JAFはやって来たが、ライトバン。JAFの担当者は、その場での応急処置は無理と判断したが、ライトバンなので牽引できない。結局、レッカー車を改めて呼ぶことになり、さらに30分待たされる。ディラーまで、車を持ち込めたのは、10時半頃だったと思う。書き置きして、車だけを残し、妻と2人、小雨降る中、家まで20分の道を歩いて帰った。

今日、職場から、ディラーに電話をすると、トランスミッション(変速機)がおかしくなっていて、取り替える必要があるとのこと。来年1月で購入後丸7年。買う時は10年乗るつもりで買ったのだが、札幌で半年雪に埋もれたのが、色々なところに悪影響を及ぼしているのだろうか?まだ30,000kmも走っていなにのに、夏の家族での旅行の前後に、エンジンに水が入り動かなくなったし、今回の件も合わせ、この1年トラブル続きだ。

トランスミッションの交換だと、新品の場合、部品代だけで50万円かかるという。再生品という、リサイクル部品で作ったものでも、部品代だけで20万円弱。作業費等も加えると30万円近くかかると言われた。いったんは、修理してくれるように頼んだものの、2ヵ月後には、車検を受けなくてはいけない。そこでも、10万円以上かかる。5月には自動車税も払わなくてはならない。ガソリン代もかかるし、毎月の保険料も考えれば、果たして、どうしても修理しなくてはならないのか?という気もしてきた。

今の家に住んでいる限り、どうしても車がないと困るということもない。近くの駅には歩いて行けるし、買い物も自転車があれば、十分用が足りる。大きな商品を買った時は、配達してもらえばいいのだ。何か「モノ」を持つと、その「モノ」を持っていることを前提に、いろいろなことを考えなければならなくなる。豊かな生活を送るために買ったはずの「モノ」に縛られ、制約されることになるのだ。

今の車はいったん廃車にして、しばらく車を持たない生活をしてみることを考えてみてもいいかも知れない。南は九州・鹿児島、北は北海道の宗谷岬や知床まで、我が一家と行動を供にした、家族の一員のような車なので愛着はあるが、そろそろ引退したいと言っているのかも知れない。 

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2006年11月23日 (木)

新・亭主関白宣言?

福岡県の久留米市に「全国亭主関白協会」(天野周一会長)という組織があるらしい。(協会のホームページはこちら

関白とは、天皇に次ぐナンバー2の地位であり、協会は天皇(=妻)を敬愛し奉る亭主たちの集団とのこと。団塊世代が大量定年となる一方、離婚の際の夫婦の年金分割制度が2007年から始まるのを控え、熟年離婚を回避すべく会員が急増しているそうだ。

協会が定めた「新!亭主関白道段位認定基準」があり次のようになっている。

初段:3年以上たっても「妻を愛している」
二段:家事手伝いが上手
三段:浮気をしたことがないか、ばれていない
四段:レディーファーストを実践している
五段:愛妻と手をつないで散歩ができる
六段:愛妻の話を真剣に聞くことができる
七段:嫁姑問題を一夜で解決できる
八段:「ありがとう」をためらわずに言える
九段:「ごめんなさい」を恐れずに言える
十段:「愛してる」を照れずに言える

以前、このブログで書いた、妻の側の「夫在宅ストレス」とどう折り合いをつけるかということも大切だと思うのだが、そのあたりをどう考えているのかよくわからない。十段まで、全て実行できれば、在宅ストレスということにはならないかも知れないが…。

個人的には、二段、六段、八段あたりはクリアしていると思うが、そもそも夫婦の問題は、それぞれの夫婦によって様々なので、自分で考えるべき問題ではないかという気もする。

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2006年11月22日 (水)

今日は「小雪(しょうせつ)」

今日は二十四節気の「小雪(しょうせつ)」。わずかながら雪が降り始める頃という意味である。気象庁のデータでは、北海道の札幌で6cm、旭川で5cmの積雪とのこと。いよいよ、北海道では、本格的な積雪の季節が始まるのだろう。

冬でも地面をしっかりと踏みしめて歩けることがいかにありがたいことなのかは、札幌の凍結路面で転倒、骨折して、手術も含め3週間入院した自分には、身にしみて感じることである。

自分の足で歩けるところでは、しっかり歩くことが大切なのだろう。ウオーキングによる減量も、(札幌でなく)東京だからこそできるということを考えれば、与えられた環境をしっかり活かさなくてはと思う。

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2006年11月21日 (火)

ブログ作成・管理ソフト利用開始

先日、書きかけの記事をうっかり消してしまったことに懲りて、『マイ☆ブログ』(サイバーリンクトランスデジタル社製のブログ作成・管理ソフト)をダウンロード購入した。しばらく、パソコンの通信の設定がおかしかったのか、うまくココログにアクセスできず、苦労していたのだが、今日、いろいろ試行錯誤で、通信関連の設定をいじっていたら、うまくココログにもつながるようになり、ようやく使えるようになったので、今、そのソフトを使って書いている。

使ってみて便利なようであれば、またこのブログの中で、報告していきたい。さて、無事にアップロードできるか、チャレンジである。 

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2006年11月19日 (日)

「中年クライシス」を魂の意思で乗り越えた片岡鶴太郎

『鶴太郎流墨彩画入門』(片岡鶴太郎著、角川oneテーマ21)を読んだ。11月の新刊で、CIA試験の前日に仕事の帰りに寄った書店で、目についたので、すぐ購入。試験中は、我慢をして試験が終わったあと一気に読み終わった。

鶴太郎流 墨彩画入門 (角川oneテーマ21)

しばらく前の日本テレビの「いつみても波瀾万丈」のゲストで出ていた時の話が印象的で、それ以来気になっていた。(今回、調べてみると放送は2006年2月5日だった)

その時の印象的に残った話は、
(1)中学3年の時、成績がとても悪くて、今の成績では公立高校進学は無理と言われ、家庭の経済的事情で公立しか行けないことから、夏休みに独学で徹底して勉強し、夏休み明けには成績がトップクラスになり、無事公立(都立)高校に入学したこと。
(2)お笑い芸人として人気の絶頂にあるとき、このままではいけないとボクシングを始めたこと。
(3)今では画家としても、たくさんの作品を残していること
などである。見たときは、もっといろいろなことを鮮明に覚えていたと思うが、1年近くたっているので記憶もおぼろげである。
ただ、その時、軽薄なお笑い芸人から個性派俳優に転身して成功したタレントといった程度の印象しかなかった片岡鶴太郎が、ただならぬ人であることを感じた。

とはいえ、その後、それ以上詳しく調べるわけでもなく過ごしていたが、今回、新刊書として並んでいるのをみて、すぐに手に取った。体裁は「墨彩画のすすめ」的な形になっているが、内容は彼が40歳にして出会った墨彩画を通じて、彼自身の生き様を語るものになっている。

何かを「やりたい」と思う気持ちは、その人の魂が語りかけてきた言葉だとわたしは思っています。思いたったが吉日、すぐ始めてみることです。(中略)
わたしもそうでした。もうすぐ四十歳になろうというとき、ふと絵に呼ばれたのです。(中略)突然、無性に絵を描きたくなった。椿を見ても何の花かわからなかった人間が、その美しい花を描いてみてたまらなくなったのです。
理屈では説明できない衝動のようなものに駆られて、本当に自由気ままに自己流で始めてみた。そうしたら、もう面白くてすっかりのめり込み、いまでは自分は絵に生かされていると思うまでになっています。絵を描きたいという「魂の意思」に素直に応えたからいまの自分があるのだと思うと、そのことに気づいた自分は何とも幸せな人間だと思います。
社会的な地位や権勢を勝ち取ることや、金銭的な満足を得ること、それも私たちに何かしらの喜びを与えてくれるでしょうが、魂というものはそれだけでは満足しないような気がします。魂の意思というのは、頭で考えて判断するものではなくて、そうせざるをえないような心の動きみたいなものです。
それは、おそらく誰の中にもあります。それに気がついて、その感覚を目覚めさせて生きるのか、それとも眠らせたままで自分の人生を終わらせていくのか。本当に後悔のない有意義な人生とは、魂の意思に導かれる道なのではないでしょうか。それが、人間の本来的な姿のように私は思います。(『鶴太郎流墨彩画入門』4~5ページ)

私が下手に解説めいた事を書いたり、書き足すことは何もない。放送があったのが、今年の2月5日、自分で意識したことはなかったが、私もTVの画面から伝わってきた鶴太郎さんのオーラに影響され、このブログを始める(2月26日)ことになったのかも知れないと思った。

片岡鶴太郎公式ホームページはこちら

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2006年11月18日 (土)

郷田真隆九段の揮毫「晩成」

昨日11月17日は「将棋の日」とのこと。江戸時代、8代将軍徳川吉宗の時代に、この日を「お城将棋の日」として御前対局を行うようになったという故事にちなんで、1975年に日本将棋連盟が定めたそうだ。

以前から、一度は行ってみようと思っていた千駄ヶ谷にある将棋会館に、CIA試験の2日めの帰りに寄ってみた。誰か、顔を知っているようなプロ棋士を見かけたりするだろうかと期待したが、そんな気配もなく、 将棋教室を終えたと思われる小学生数人を見かけただけだった。1階には売店があり、将棋盤や将棋の駒、棋士が書いた将棋の解説書が並べられている。一角には、タイトルホルダーや名人位への挑戦者リーグでもあるA級に在籍する棋士たちの揮毫の入った扇子も置いてある。気に入ったものがあれば、いずれ1本持ちたいと思っていた。

私が選んだのは、郷田真隆九段の「晩成」と書かれた扇子だ。郷田九段は1971年生まれの35歳。現在、将棋界のトップを占める羽生3冠・森内名人は同学年、佐藤棋聖とは1つ違いである。「晩成」とは大器晩成という言葉もあるように「他より遅れて完成すること。また、晩年になって成功すること。」(小学館『現代国語例解辞典第二版』より)である。

彼自身の経歴を見ると、プロ入りこそ、羽生ら3人に少し遅れたものの、プロ入り3年目の1992年には22歳の若さで「王位」のタイトルを獲得しており、むしろ早咲きである。その後、98年には2度目のタイトル「棋聖」を獲得、さらに名人挑戦者を争うA級順位戦への昇級を決め、99年にはA級棋士となり名実ともにトップ棋士の仲間入りをした。しかし、A級は1期で陥落、2002年に再びA級に昇級するがこの時も1期で降級するという苦杯をなめた。しかしあきらめることなく、昨年は三度めのA級昇級を果たし、勝ち越し。A級4期めの今期は、期初から連勝し、現在4勝1敗で、名人挑戦者争いのトップを走っている。

「晩成」という言葉に「今は、羽生・森内・佐藤の3強の後塵を拝しているが、いずれは追いつき追い抜いてみせる」という気概を感じるのは私だけだろうか。また、一方で「将棋の世界は奥深く、どこまで行っても完成することがない」という求道者の一面も読み取れるようにも思う。

それは、また、私自身が自分に言いきかせるべき言葉のような気もして、扇子を手元において、時折開いては「晩成」の文字を眺めて、思いを巡らしている。永年、現在の将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖のファンだったが、既に現役を引退しており、これからは郷田九段の戦いを応援したいと思っている。

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

*上記記事を含め、このブログの将棋に関する記事の一覧はこちら→アーカイブ:将棋

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2006年11月16日 (木)

公認内部監査人(CIA)試験終了

公認内部監査人(CIA)試験の2日目が終了し、2006年11月の4科目全ての試験が終わった。
今日の2科目は、午前(PartⅢ)が財務・会計とIT・システム関連、午後(PartⅣ)が経営理論やチーム・マネジメントだった。

午後の科目は、先月合格した金融内部監査士からスライドで認定が受けられる公認金融監査人(CFSA)資格登録が完了すれば、免除になるのだが、申込時点(9月)では金融内部監査士試験もまだ受けておらずCFSA資格が取れるかどうかもわからなかったし、免除されるとはいっても、次回(2007年5月)の試験で免除申請して初めて認められるものなので、(おまけに、1科目の受験料と同額の免除手数料を払わなくてはならない)、今回、合格できるにこした事はない。

昨日の2科目は、いわば監査理論と監査実務で、日常の仕事とも関係が深いし、今日の午後の経営理論は、もし今回ダメでも次回は免除してもらえるということもあり、今回の試験準備では、午前に受けた会計とシステムに分野にいちばん時間をかけた。特に、システム関係は知らないと解けない専門用語も多いので、限られた準備しかできなかった中では、それなりに注力した。会計関係は、計算問題も多く、計算はそれなりに答えがでることもあり、会計・システムの分野が、4科目の中では最も手応えがあった。午後の経営理論の方も、昨日の2科目よりはできたのではないかという実感はあるのだが、問題も持ち帰れないし、模範解答が示されるわけでもないので、昨日の2科目と合わせ、「なんとなく」の域を出ない。

とにかく、やることはやって、もう試験も終わってしまったので、昨日の2科目と合わせ、前回の金融内部監査士の時と同じく「人事を尽くして天命を待つ」しかない。自分にCIAを名乗るにふさわしい実力があれば合格するだろうし、まだ実力不足なら、そのような答えが出るだろう。その時は、その結果を受け止めて、足りないところを勉強するしかない。

3月の下旬に思い立って、通信教育を2週間で仕上げて以降、今回の試験を最終ターゲットに据えて、いろいろなスケジュールを組んできたし、仕事の方も、それに重なるように夏休み明けからこの10月までかなり密度が濃かったので、ここでひと区切りである。

ひと休みしたら、佳境を迎えつつある次女の高校受験のフォローに力を入れなくてはならない。11月に入って、書けない日の多かったブログも復活させなくては…。

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2006年11月15日 (水)

公認内部監査人(CIA)試験初日終わる

今日は、公認内部監査人(CIA)試験の初日。明日と合わせ、2日間、仕事を休んでの受験だ。
とはいえ、試験は今日2科目、明日2科目。それぞれ、試験時間は3時間半で、4択問題が125問。午前の科目は朝の9時開始(試験の説明は15分前から開始)で、場所は浜松町から羽田空港へのアクセスである東京モノレールの途中にある「流通センター」。仕事に行くときより、朝早く家を出て、いつもと変わらぬ通勤ラッシュにもまれて、8時半少し前に会場に着いた。
1ヵ月ほど前に受けた金融内部監査士試験は、70名ほどの受験だったが、今回は、いわば全業種に共通ということと、日本でも、米国の影響を受け、内部統制整備が課題ということもあり、流通センター会場だけでも受験者はざっと600~700名ほど。ほとんどは、中年男性であるが、10人に1人くらいは女性の姿もあった。

試験の形式は、前回の金融内部監査士と同様(というよりは、金融内部監査士試験の方がCIA試験の形式に合わせる形で作られたのだと思うが)で、ひたすら4択の中から答えを考えて、マークシートを黒く塗りつぶしていく。前回は80問3時間だったが、今回は125問で3時間半ということで、さらに集中力が求められるものだった。
今日の2科目は、監査の原理原則に照らして、最も正しい答えを選ぶというもので、暗記の部分は少なく、その場での判断が求められる。今日は2科目とも30分で50問というペースで進み、2時間半で一応全問答えをマークしたが、消去法で2つは消えても、残りの2つはどちらも正解に思えるような問題も多く、自信のほどは「?」である。長く考えて何かを思い出すというものでもないので、全部書き終えたあと、30分かけて、マークの塗り忘れがないかだけを確認して、2科目とも3時間ほどで退出してきた。

絶対ダメだという感じもしない代わりに、大丈夫だろうという確信も持てない。来年の1月末までには、結果が来るとのことなので、済んでしまった今日のことは忘れ、明日までの限られた時間は、残った2科目の最後の復習をするだけだ。

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2006年11月11日 (土)

毎晩眠ることの意味、『「普通がいい」という病』から

先週、『「普通がいい」という病』(泉谷閑示著、講談社現代新書)を読んだ。講談社現代新書の10月の新刊書のうちの1冊である。著者は、1962年、秋田県生まれの精神科医の先生。本に書かれた経歴を読む限り、雑誌などの記事は書いているようだが、本格的な著作はこれが初めてのようだ。

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

書かれていることの底流にある著者の思いを私なりに要約すれば、
『私たちは、人と違うことをおそれ、普通であること=多数派であろうとして、多数派の価値観に知らず知らずに洗脳され、「自分で感じ、自分で考える」ということをいつしかやめてしまい、自分らしさを失っている。これまで、疑うことなく信じていた常識を疑い、もう一度、「自分で感じ、自分で考える」生き方を取り戻そう』
といったことになると思う。

このブログを書き始めた頃に取り上げた『生きる意味』(上田紀行著、岩波新書)とも通じる部分とも通じる部分がある。

この中で、著者が不眠を題材に「眠り」について語った部分が印象に残ったので、少し詳しく書いておきたい。

不眠とは、どの病態においても起こりうるとてもポピュラーな症状です。しかし、「眠らない」と「眠れない」の違いは何か、また不眠とはいったいどんなメッセージを運んできているのかといったことについては、あまり考えられてきていません。(中略)この不眠が告げるメッセージは何でしょうか。
これは、長い間私には謎でしたが、ふと、「毎晩眠るということは、毎晩死ぬことである」と思い至って、やっと解読の糸口がつかめてきたのです。そう考えてみると、「不眠とは死ぬに死ねない状態である」ということになる。「死ぬに死ねない」というのは、幕を下ろす気になれないということであり、「今日という日を生きたという手応えがない」という未練があることを示しているのです。
このように考えるようになってから、クライアントにも自分自身にも、一日の最後に眠れない場合には、「ほんの少しでもよいから、自分らしい時間を過ごすように」と勧めるようになりました。
(『「普通がいい」という病』223~224ページ)

「毎晩眠るということは、毎晩死ぬことである」という一文に「なるほど」と納得してしまった。自分らしい一日を過ごしたからこそ、心地よい疲れを感じ、心おきなく眠れるのかも知れない。食事の時、この話を家族にしたら、妻と長女も妙に納得していた。これからも、毎晩、自然と眠たくなるように、一日一日を自分らしく過ごすことを心がけよう。

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2006年11月10日 (金)

セルフ・エフィカシー(自己効力感)

『好きにやっても評価される人、我慢しても評価されない人』(小杉俊哉著、PHP研究所発行)を読んだ。

サラリーマン稼業を長くやっていると、「評価」というようなタイトルの本があると、つい気になってしまう。著者は、1958年生まれで、NEC入社後、米国でMBAを取得、その後、コンサルティングファームを経て、数社で人事部長などを経験したのち、現在は人事関係のコンサルタントをしている。
本の内容自体は、「会社にどう評価されるかばかり気にしていないで、自分で自分を評価して、自分が満足できる人生にしよう」というメッセージが、著者自らの体験も織り交ぜ書かれているものだ。何回か、一緒に働いている人を上司という立場で、評価をしたこともあるので、上司はどういう人を評価するのかといった点は、そうだろうなと思う点は多々あった。まだ、上司に仕える立場で、評価される経験しかない人は、読んでみるといいかもしれない。

この本の中で、私にとって、目新しかった言葉が、今日ののタイトルにも上げたセルフ・エフィカシーという言葉である。英語で、Self-Efficacy、自己効力感と訳されるようだ。

セルフ・エフィカシーとは自己効力感ともいいます。よくこれを「自信」のことだと思っている人がいますが、セルフ・エフィカシーは自信ではありません。やったことのない課題を前にして、たとえ自信はなくても「まあ、なんとかできるだろう」と思える心の状態のことです。自分に対する信頼感といってもいいでしょう。(中略)いまのような、過去のやり方が通用しない、何が正解かわからない時代には、経験があることはうまくできるけど、未知の状態に置かれると手も足も出ないという人の価値は限りなく低くなるのは仕方のないことです。一方で、想定外のことが起こって、上司が頭を抱えているとき、臆せずその状況に立ち向かえる部下がいれば、必然的にその人のところに仕事が集中するようになるでしょう。
(『好きにやっても評価される人、我慢しても評価されない人』204ページ)

たしかに、これまでの自分の経験を振り返っても、「これは難しくてもうダメだ」とあきらめた途端に、思考停止状態になり、何もできなくなってしまう。自ら、可能性の扉を閉ざしていたのだろう。
先の道筋が見えなくても、「まあ、なんとかなるさ」と思ってあきらめずに考えていると、ふとひらめくことがあって、それがきっかけとなって、先に進む糸口が見つかることが多かったように思う。

来週は、いよいよ、公認内部監査人(CIA)の試験。過去の問題もほとんど公開されておらず、まさに、未知の状態で、まったく自信はなく、ただ「なんとかなるだろう」と思いながら、準備をしている状況だ。セルフ・エフィカシーだけを拠り所に、試験本番に臨むしかない。「最後まで、あきらめない」

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2006年11月 8日 (水)

昨日は「立冬」

昨日は、また仕事がひと区切りついたせいか、家に帰って来て夕食を食べると、急に睡魔に襲われ、ブログに向かう間もなく早々に眠ってしまった。

私は、朝、7時15分頃家を出るのだが、昨日は朝、これまでより急に冷え込んだような気がした。朝、駅ではコートを羽織っていた人も少しだがいたように思う。会社からの帰り、いつもは全く気にもとめないのだが、寒さを感じたせいだろうか、地下鉄の駅で、前を歩く人や立って待っている人の足元がなんとなく気になって、目をやると、ブーツを履いている女性が多いような気がした。5人に1人あるいはもう少し多かったかも知れない。

今朝になって、昨日が二十四節気の「立冬」だったことに気がついた。気象庁のホームページで、東京の昨日(7日)の気温を調べてみると、最低気温が12.6℃、最高気温が24.9℃。11月に入ってからの1週間で、最低気温は最も低く(1日から6日までは14~15℃台)、最高気温は夏日(25℃)に迫る程で最も高く、寒暖の差が最も激しい一日だった。
さらに今日(8日)を調べて見ると、21時現在で最低気温が10.2℃(6時50分)、最高気温が19.3℃(13時45分)となっている。

立冬を過ぎ、朝の冷え込みもいよいよ厳しくなってきたというところだ。次の二十四節気は、11月22日の「小雪」である。

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2006年11月 5日 (日)

ウオーキング減量作戦経過報告、67kg台へ

10月中旬から下旬にかけて、68kg台前半で足踏みしていた体重は、11月に入り、3連休初日の3日(金)の文化の日の朝の計量で67.8kgを記録、昨日4日(土)も67.8kg、今朝はさらに67.7kgと3日連続で、67kg台後半をキープしている。

昨日は、ずっと家にいて、15日・16日の試験の準備をしていたので、1日動くことがなかったので、運動は朝のウオーキングだけで、夕食後の歩行歩数は約7000歩。それから、近くのレンタルショップまで、歩いてDVDとCDを借りに行き、何とか1万歩を確保した。

67kg台まで戻って、ようやく1年前の水準というところだろう。年内に何とか65kg台まで持って行ければと思っている。

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2006年11月 1日 (水)

河合隼雄文化庁長官、休職

昨日(10月31日)の朝日新聞の夕刊で

政府は、31日、病気療養中の河合隼雄文化庁長官の後任に近藤信司文部科学審議官をあてる人事を閣議決定した、11月1日付けで発令し、河合長官は同日付けで休職(中略)。
河合長官は(中略)、今年8月、奈良県の自宅で脳梗塞で倒れ、入院を続けている。

とニュースが伝えられていた。改めて、インターネットで他社のニュースも検索してみると、

日経(NIKKEI NET)では
「病気休職中の河合隼雄文化庁長官は定員外となるが、長官職にはとどまる。」とあり、

読売(YOMIURI ONLINE)では
「当面は休職扱いとすることにした。河合氏の任期は来年1月17日まで。」と伝えている。

さらに読売では

伊吹文部科学相は31日の記者会見で、交代の理由を、「長官の健康がなかなか回復せず、11月に文化庁で多くの行事もあるためだ」と説明した。

との文部科学大臣のコメントも伝えている。

本人に意識があって、当面、職務復帰不可能ということであれば、その時点で自発的に辞職ということになるのだろうが、倒れた途端意識不明なので、文部科学省としても、一方的に職を解くというわけにもいかず、任期満了までは、定員外という形で長官職に留まるということになったのだろう。

いずれにしても、容態に変化はなく、病状は回復していないということだろう。ただただ、健康を回復されることを祈るばかりである。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職  

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2006年10月31日 (火)

ウオーキング減量作戦、10月経過報告

先日、減量がようやく▲3kgを達成したとの記事を書いたが、10月、1ヶ月間の報告を簡単に。

10月1日の朝の計量では、体重は69.4kg。その後、12日に68.9kgと久々に68kg台を記録、17日はブログでも書いたように68.5kgまで進む。その後、68kg台前半のゾーンで一進一退を繰り返しながら、25日は67.9kg、昨日(30日)には68.0kgを記録したが、昨日の夜、久々に外でお酒を飲んだせいで、若干戻りがあり今朝は68.3kgだった。それでも、月初から見れば▲1.1kgの減量を確保。今後も毎月▲1kgは達成したいところだ。

この間、記録を会社に歩数計を着けて行くのを忘れた1日を除き、30日間1日1万歩の目標はクリアした。多い日には17000歩以上歩いたこともある。一方、29日(日)は、ずっと家にいて出歩くことが少なく、夜になっても8000歩台だったので、寝る前に家の近くを10分ほど歩き回って、なんとか数字を確保したこともある。

実感としては、67kg台定着は目前という感じなのだが、いつ完全に68kg台から抜けだすことができるか、ここ数日が勝負だろう。さて11月1日は何kgからスタートすることになるのか、明朝の計量が楽しみである。

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2006年10月28日 (土)

金融内部監査士試験の結果通知届く

先週、土日に受験した金融内部監査士試験の結果が届いた。

実は、昨日の昼に配達に来ていたようなのだが、結果通知ということで配達記録郵便で送られてきていたので、妻もパートに出ていて家に誰もいなかった昨日は、受け取れず、「郵便物お預かりのお知らせ」だけが置かれていた。昨日の再配達可能な時間中には、郵便局とうまく連絡が取れず、結局、今朝9時の配達だった。

ハサミで封筒の端を切り、中身を取り出すと、A4で三つ折りの紙が5枚。結果通知と思われる少し厚め紙を取り出す。用紙の一番下に【合格結果・履歴】との表示があり、枠が4つ。<Part1>合格、<Part2>合格、<Part3>合格、そして最も自信のなかった<Part4>はと見ると合格。
「やったー!」と思わずガッツ・ポーズをしてしまった。

途中まで、それなりに準備はしていたものの、9月半ば以降は仕事の方が忙しく、試験のための勉強はほとんどできていなかったし、試験本番でもPart4の金融論・経営管理のところは、相当怪しかっただけに、とにかく「よかった」のひと言である。

次は、内部監査関連資格の本丸「公認内部監査人(CIA)」の試験が、11月の15日(水)、16日(木)の2日間にわたってある。こちらも、4科目あるのだが、金融内部監査士試験よりさらに長く、1科目3時間半。前回以上に、体力と集中力が求められることになる。なんとか、この勢いで、一気に乗り越えたい。

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2006年10月27日 (金)

日本ハムファイターズ、日本シリーズも札幌で胴上げ

日本ハムファイターズが、札幌ドームで中日ドラゴンズに3連勝し、私が応援する福岡ソフトバンクホークスを破ったパ・リーグのプレーオフに続き、本拠地札幌で胴上げを実現した。

初戦こそ、中日のエース川上憲伸に破れたものの、第2戦を八木で取り返したあと、札幌に戻ってからは、球場全体がファイターズのファンで埋め尽くされる中、まさに我が家に帰った感じで伸び伸びとプレーし、今日の第5戦も1点リードされていたものの、見ていて負けるようには見えなかった。

セギノールの2ランホームランで逆転した後、8回裏には、稲葉が中日の息の根を止めるダメ押しの2ランホームラン。試合は、ほぼここで決まった感じで、あとは、現役最後の試合となる新庄の引退セレモニーであった。打席の入り、涙流す新庄。さらに、9回表のセンターの守備についても新庄の涙は止まらない。最終打者の打ったボールがレフトを守る森本のグラブに収まり、ゲームセット、日本一が決まった時、森本はセンターの新庄に駆け寄り抱き合っていた。そして、極めつけは、チームで最初に胴上げされたことだろう。

大リーグから戻り、北海道の日本ハムに入って3年。自らの宣言通り満員となった札幌ドームでの日本一を決めた日本シリーズ第5戦が現役最後の試合となり、そこで胴上げまでされるのだから、やはり大した選手だと思う。

我がひいきのソフトバンクホークスの王監督のオーラも、今年ばかりは新庄選手にかなわなかったと言うことだろう。
しかし、来年こそは、沢村賞投手となったエース斎藤和巳を中心にした強力な投手陣と出戻り小久保(多分)を加えた打撃陣で、福岡ソフトバンクホークスに優勝してもらいたい。

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2006年10月26日 (木)

おかげさまで2万アクセス達成

昨日、このブログも20,000アクセスを突破した。訪問してくださる方のおかげだ。

ブログを始めたのが、今年の2月26日。1万アクセス達成が8月17日。その間、ほぼ半年。2万アクセスが10月25日なので、この間、2ヵ月足らず。

ココログのアクセス解析の中に、期間を区切って、どの記事へのアクセスが多かったかわかる機能がある。過去4ヵ月、過去30日、過去7日、昨日、今日という区間で確認できる。
最も長期間のトレースができる過去4ヵ月(7月1日~10月25日)を見てみると、

この間の総アクセス数:14,789件
(1)気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態(8月23日):3011件
(2)トップページ:1532件
(3)気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2(9月5日):722件
(4)ゲド戦記第5巻『アースシーの風』(7月9日):448件
(5)今日からココログのメインテナンス(7月11日):359件

がベスト5である。

河合隼雄文化庁長官の容態関連の記事へのアクセスが圧倒的に多い。最初は、そんなに多くの人からアクセスしてもらおうと思って書いた記事ではなかったが、ヤフーやグーグルの検索で上位に表示されるようになって、たくさんの人に訪れてもらっている。8月の脳梗塞で入院という報道以降、病状の変化についてのニュースがほとんどなく、多くの河合隼雄ファンがその最新の動向を気にしているという事だろう。それにしても、9月に小坂憲次文科相(当時)がお見舞いに行ったというニュース以降、全く何の動静も伝えられず、その後の推移が、本当に気がかりである。

ゲド戦記の関連記事も、多くアクセスしてもらっており、他のブログで取り上げてもらったりもした。やはり、映画が公開された影響は大きく、映画公開直後の7月最終週や8月はアクセスが多かった。特に、映画の内容について、ゲド戦記ファンからは「原作とかけ離れている」、宮崎駿ファン・ジブリファンからは「宮崎駿監督の息子の吾朗監督は、所詮父親にはかなわない」といった手厳しい批判が上がり、また原作者のル=グウィン女史の自ら「この作品は自分の原作とは違い、宮崎吾朗の作品だ」とやや批判的なコメントを出した。一方、擁護する意見もそれなりに多く、ブログ上でも賛否両論が百出している状態で、依然として評価は分かれるところだろう。私は、擁護派のつもりだが、批判するにせよ、擁護するにせよ議論する人は、原作を読み、映画を見て議論して欲しい。

個人のささやかなブログという小さな窓を通しても、世の中で何が関心を持たれているの透けて見えるような気がする。

これからも、3万アクセスに向けて、書き続けたい。

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2006年10月25日 (水)

地図を旅する

私は地図を見るのが好きだ。家の中では、リビングの壁には世界地図と日本地図、自分の住んでいる市の地図、東京近郊の鉄道の路線図を貼っている。(以前は東京都の地図も貼っていたが、いつの間にかはがれてしまった)
また、1階と2階のトイレとパソコンの置いてある「自分の部屋」には、大手家電量販店B社が毎年配っている日本地図カレンダーが貼ってある。

いつでも、見える場所に地図を貼ることで、ニュースなどで、知らない地名が出てきたりしたら、すぐ調べるくせをつけてほしいという子供たちへの教育的効果を考えているのと、常に自分が現在いる場所(ポジション)を意識しておいて欲しいという象徴的な意味もこめているいるつもりだ。

実は、合併前に私が勤務していた会社が、日本地図のカレンダーを作っていた。(日本中の企業を対象にしたビジネスをしている会社だというアピールだったのだと思う)
縦長でコンパクトにまとまっていたので、以前は、毎年このカレンダーを貼っていたのだが、合併で旧来のそれぞれ会社のカレンダーは見直しになり、今や何の変哲もない名画カレンダーなってしまった。何か代わりになるものはないかと探していたら、ちょうど入れ替わるようにB社が日本地図カレンダー配り始めた。(東京から始まったB社もカレンダーを配り始めた頃から全国展開が本格化したような気がする)

これがなかなかの「スグレモノ」で、日本全図として日本全体が鳥瞰できることはもちろん、暦の方は、私が前回の記事でも話題にした二十四節気や月の満ち欠けがマークで記してるほか、時間と十二支、西暦・和暦・年齢の早見表があったり、最近では日本にある世界遺産が記されたりと盛りだくさんで、見ていて飽きない。

少し時間の余裕があると、これまで旅したルートを目でたどり、地図の上で旅を再現したり、まだ訪ねたことのない土地の地名を眺めては、いずれ旅してみようと思ったりするのが、ささやかな楽しみである。日本各地を、家族を連れて、旅したが、それでも、まだまだ未知の土地の方が多い。地図を眺めていると、日本の広さを改めて実感する。

10月も下旬になり、そろそろ、B社でも2007年のカレンダーを配り始める頃ではないだろうか。2007年版では、どんな情報が追加されるのかも楽しみである。

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2006年10月24日 (火)

季節の言葉、「霜降(そうこう)」

先週は秋晴れの日が続いたが、日曜日の午後から、東京は冷たい雨が降っている。昨日10月23日は、暦の上では、二十四節気の「霜降(そうこう)」。

秋も深まって、霜が降りるころだという意味です。
北海道や北日本なら当てはまるかもしれませんが、実際に霜が降りるのはまだまだ先のことかもしれませんね。
(中略)
でも、秋の深まりを実感できる頃であるということに変わりはないと思います。
(山下景子著『美しい暦のことば』インデックスコミュニケーションズ)

いつのまにか日が暮れるのも早くなり、夕方5時頃には日が沈み暗くなっている。秋も終わりがけで、冬はもう目の前というところだろう。

二十四節気も、気候の変化を感じると書いているが、前回書いたのは「白露(はくろ)」(草に降りる露が寒さで白く見える、今年は9月8日、記事は9月15日)、それ以降「秋分」(9月23日)、「寒露(かんろ)」(野草に宿る冷たい露、10月8日)。そして、昨日の「霜降」。露が霜に変わり始めたところで、次の二十四節気は「立冬」(11月7日)、季節の言葉の方でもいよいよ冬の到来だ。

日中の気温の変化も激しいので、体調を崩しやすい時期でもある。今年は、受験生を抱えているので、家族全員早めににインフルエンザの予防接種に行って、風邪やインフルエンザの予防には気をつけなくてはいけない。

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2006年10月23日 (月)

『病気にならない生き方』読了後の食生活の変化

10月の上旬に『病気にならない生き方』を読んでから、妻の賛同と協力も得て、少し食生活を変えてみた。

①始めたこと
・朝、起きた後に、水(ミネラルウオーター)を500cc程度飲む
・ご飯を白米から雑穀入りに変えた
・煮豆(黒豆)を必ず食べるようにした
・蛋白源は、魚を多めに

②やめたこと
・牛乳、ヨーグルト、緑茶はいっさい飲食せず
・コーヒーも、特別な理由がなければ飲まない
・肉類も、なるべく少なくする

合わせて、食生活ではないが、平日の朝、
・6時頃から家の近所を10分ほど歩く、
・6時半からラジオ体操をする
の2つを始めた。

一度に生活を変えたので、何が要因になっているのか、よくわからないが、従来、便秘気味になることがよくあったのが、すっかり影を潜めてしまった。気のせいか、最近は食べたものの消化のスピードが以前より速くなっているように思う。ミラクル・エンザイムという酵素の原型のようなものが本当にあるのかどうかはわからないが、作者であるドクター新谷が勧める食生活は、私の体にはあっていたようだ。

食生活の変化の好影響は、継続中の減量にも現れてきていて、体重も昨日(22日)の朝の計量では、68.1kgまで減ってきた。68kg台前半のレベルに定着してきた感じなので、今月中には、一気に67kg台突入を目指したい。

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2006年10月22日 (日)

金融内部監査士試験終了、人事を尽くして天命を待つ

金融内部監査士の2日間、計4科目12時間にわたる試験が終了した。試験内容は、監査に関することが中心だが、最後の4科目めは、金融論・経営管理とのタイトルで、金融論、ミクロ・マクロ経済学、経営学、会計学等の試験。いわば、監査の背景にある企業経営についての常識とも言える問題。
事前の準備では、会計学関連が、昔税理士試験を受けた時に「財務諸表論」を1年間勉強したのであまり悩まずにすんだものの、ミクロ・マクロの経済学などは、ほとんど心得がなく苦労した。

他の3科目は、実務の問題が中心なので、基本の考え方をベースに判断する問題だが、これだけは、ある程度覚えておかなくては解けない問題が80問のうちの半分以上だった。全く予想外の出題もあったり、予想していてもうろ覚えだったりしたものも多く、他の3科目は途中退室できたが、最後だけは3時間フルに使った。4択の文章の論理矛盾から正解が導き出せないかと、無い知恵を絞ったが、結局、自信を持てない答えが25問くらいはあった。

問題用紙も回収されるので、受験票の裏に走り書きしてきた答えで、自己採点してみると、そのうち8問は明らかに間違い、一方7~8問は正解。残り10問程度は判然としない。正解と思っている中にも、間違いがある可能性を考えれば、合格できたとしても誤答の許容範囲20問ギリギリの線というところだ。

マークシートの試験ということもあってか、結果は10月中にわかるとのこと。これまでは、科目合格の場合、次回(半年後)の試験で、不足の科目を再受験して合格すればよかった。しかし、この11月から金融内部監査士に代わる資格として公認金融監査人(CFSA)という国際資格試験が開始されるため、今回の全科目合格者も含め従来の金融内部監査士は申請すればCFSAにスライド認定されるものの、今回1科目でも落とせば、試験内容が変わるため、科目合格はCFSA試験には引き継がれない(唯一のメリットは、CFSA試験を割安で受験できるのみ)。

一発勝負のラストチャンスに賭けたわけだが、こうなったのも自分の勉強不足によるものだからしかたない。あとは「人事を尽くして天命を待つ」の心境で待つしかない。何とか、全科目合格していますように…。

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2006年10月21日 (土)

金融内部監査士試験初日、求められるのは体力と集中力

今の部署に転勤して最もハードな仕事が2週間続き、昨日ようやく終了。期間中は、自分の仕事と周りのメンバーの世話役の二足のわらじで、一日の仕事が終わるとぐったり。家に帰って、食事をすると、急にまぶたが重くなり、ブログを書く間もなく、眠ってしまう日が続いた。

この土日くらいゆっくり休みたいところだが、今日と明日は、以前から申し込んでいた金融内部監査士の試験。試験は4科目あり、今日と明日の午前と午後にそれぞれ1科目ずつ行われる。

試験は、各科目とも全て四択で80問、時間は1科目3時間(180分)。1問2分で解いて、20分余る計算だ。この試験は以前受けた通信教育の理解度を試す試験なのだが、過去の試験問題は全く公開されておらず、モデル問題と言われるものが、4科目で40問公開されているだけだ。ほとんど出題傾向がつかめないまま、本番に臨まざるを得ない。

実際に受けてみると、ほとんどの問題は4つの文章があり、4つの中から正しいものを選ぶもの、誤っているものを選ぶもの、4つを組み合わせたものから正しいものを組み合わせたものを選ぶもの、誤っているものの組み合わせを選ぶもの等、問題の指示が都度、異なっており、そこを読み間違えないようにしなくてはならない。知識として覚えていれば解けるという問題は、全体の20%程度で、大部分は、原理・原則、基本の考え方をベースに、それぞれ書かれていることが正しいか誤っているか判断を求めるものだった。

いざ問題を解いてみると1問2分まではかからずに進められたが、読み間違いや漏れのないようにと、神経を集中して文章を読まなければならないので、1時間もすると頭がぼーっとしてくる。80問とにかく答えを記入し終わると、見直しもする気がしないほどだった。どことなく、朦朧とした頭をなんとか、叩き起こし、見直しをし、それでも3時間は席に着いている気力はなく、1科目めは2科目めの準備もあり、2時間で、2科目めも2時間半で解答用紙を提出し、試験会場から退席した。

合格レベルは正答率75%と言われている。80問中60問が、ボーダーライン。2科目とも、2、3問は全くお手上げも問題があったが、なんとか、正解60問は確保できているのではないかと思うのだが、どうだろうか。

明日も、残り2科目。80問×2科目が待っている。この試験は、次回から制度が変わる関係で、今回4科目全てに合格しなくては意味がない。求められるものは、原理・原則の理解はもちろんだが、それ以上に体力と集中力という気がする。なんとか、朦朧としてしまう頭に鞭打って明日も、頑張らねば…。

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2006年10月17日 (火)

ウオーキング減量作戦、3kgの壁に到達

札幌の思い出は折りに触れて書くとして、今日は、減量のその後の経過について。先週は週半ばの12日(木)から、13日(金)・14日(土)と3日連続して朝の計量で68.9kgを記録、ようやく68kg台も定着してきたと安心して土曜日に少し油断して食べ過ぎたのと、ウオーキングもギリギリ1万歩と少なかったこともあって、15日(日)の朝には、一気に69.8kgまで逆戻りしてしまった。

これはまずいと、日曜日は意識して歩き、食べる量も控えたところ、23日(月)の朝には500g減って69.3kg。月曜日は、職場の中での移動も多く、また昼食のカロリーを抑えめにした効果も出たのか、今朝(24日)は一気に68.5kgまで体重が落ちた。ここのところ、68.9kgが一つの壁になていたので、ようやくそれが突破できた。
また、今回の減量を思い立ち、真剣に取り組み始めたのが9月の中旬で、その時ピークの体重が手元の記録では71.5kg(9月12日)だったので、ようやく、最初の目標である3kg減量に達したことになる。

体重の減り方も、波があって、いくら頑張ってもなかなか減らない時期があるかと思えば、今朝のように一気に1kg近く減ることもある。こういう一気に壁を乗り越えるブレイクスルーがあると、ヤル気もでて、減量に弾みがついていく。

これで弾みをつけて、4kg、5kgと減らしていきたい。しかし、そう決意した矢先、今日は夕方、職場で飲み会に誘われた。飲み食いとも控えたつもりだが、さて明日の朝の計量でどうでるだろうか。自己管理力が問われるところだ。

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2006年10月15日 (日)

札幌の思い出(2)-単身赴任の食生活

札幌での1年間は、初めての単身赴任生活だった。

最大の問題は食事。定番メニュー程度であれば料理もできないわけではないので、基本的に毎晩自炊するつもりで、単身生活をスタートした。週末に、まとめてご飯を炊き、余ったものは、1食分ずつ専用の容器に入れて冷蔵庫で冷凍し、平日の夕食の際に解凍するようにしていた。

朝も、最初はベーコンと目玉焼き、コーヒーにトーストといった食事をして出勤していた。
夕食も最初は、食材を選んで調理していたが、だんだん面倒になる。1人分の量ぴったり作るのはなかなか難しい。たとえ、食事の量がうまく作れても、食材の方は余ってしまい、数日すると腐ってしまうので、食べる分より捨てる分の方が多くなることもあった。
そのうち、ご飯は冷凍食品の炒飯やピラフになり、おかずも冷凍食品、スープや味噌汁もお湯をかければ飲める袋入りのものに変わっていった。また、加工済みの袋入りのスパゲッティソースを狩ってきて麺だけ茹でることも多かった。
最後には、それも面倒になり、通勤の帰り道にあるセブンイレブンの弁当を買って帰ることも多くなった。朝も、カップ入りのヨーグルトに、ロールパンに牛乳程度の粗食になっていった。また、土日の朝は、雪が消えた初夏以降は、歩いて5分のところにマクドナルドにあったので、7時前には、朝マックを食べに行っていた。

最後は、随分粗食になってしまった感があるが、時には外食もしていた。徒歩圏に、マクドナルドの他に、ロイヤルホストと味の民藝、豚丼の店があり、たまに利用した。また、土日の昼は車で足を伸ばし、びっくりドンキーやヴィクトリアなどいうハンバーグレストランで、食事をしていた。今思えば、決して健康に良い食生活とはいえない。

料理をするプロセスを趣味として楽しめる人を除いては、単身赴任生活で自炊を続けるのは難しいというのが、私の1年間を総括した結論である。

情報として書いておくと、札幌でおいしかったのは寿司である。回転寿司でも、ネタが良いのでおいしい。家族が東京から来ると、寿司を食べに行きたがった。特に、子どもたちは、富山で5年すごしたため、やはりネタの良い富山の回転寿司を食べ慣れたせいで、東京の回転寿司はまずくて食べられないと言っており、富山にひけをとらない札幌の回転寿司に行きたがった。
また、札幌ならではのご当地料理がスープカレーである。さらさらのカレースープの中に、茹でたジャガイモやニンジン、チキン、ゆで卵などが、丸のままあるいは半切り程度の大きさで、添えてある。熱いカレースープを飲みながら、丸ごと野菜をかじりながら、ライスと一緒に食べる。寒冷地札幌だからこそ広まった、体を温める料理だと思った。

乱れた食生活をしていたせいもあり、雪が積もり始めると行動範囲が制約され運動不足になりがちなことも重なり、63kgで札幌に赴任した私は、半年で65kgまで太ってしまった。

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2006年10月14日 (土)

札幌の思い出(1)-長くて終わらない冬

2年前の今日、私は高校時代の同級生数人から送別会をしてもらっていた。仕事で、札幌への転勤が決まり、東京最後の夜だった。翌朝の羽田空港から飛行機で千歳に向かった。

その1年後の昨年の今日は、東京に戻ることがすでに決まっており、後任者との引き継ぎも終え、借り上げマンションに戻り、東京から手伝いに来てくれた妻と一緒に、1年間暮らした部屋を引き払うため、荷造りを始めたところであった。たった1年でも、荷物はそれなりにあり、家財道具のほとんどは、東京に持って帰っても置く場所もないので、後任者や職場の若手など、もらい手を探し、引き取ってもらうことした。15日は荷造りと掃除に明け暮れ、16日に千歳から東京に戻って来た。早いもので、あれから1年たってしまった。

札幌で、まず驚いたのは早く来て終わらない冬である。赴任後、取引先に挨拶回りをすると、異口同音に、これから寒くなるばかりで、悪い時に転勤してきたと言われる。まだ、秋も半ばではないかと思っていたが、10月末には札幌市内にも雪が降った。最初の雪は、数日で消えたが、11月半ばに降った雪は融けることなく根雪になり、長い冬が始まった。それからは、身の回りに常に雪のある生活である。雪が降らない日も、気温が低いので雪は融けない。

私が札幌にいた1年間で冬休み(年末・年始)、春休み、夏休みの3回家族を札幌に呼んだ。冬休みが雪の中なのは当然と思っていたが、春休みには春の気配が感じられるのだろうと考えていた。しかし、現実は全く違っていた。
札幌発で支笏湖、苫小牧、登別、洞爺湖・有珠山・昭和新山、羊蹄山麓の真狩(まっかり)村、余市のニッカ工場、小樽から札幌へ戻る2泊3日の小旅行をしたが、太平洋岸の苫小牧から登別にかけての海沿いこそ雪を見ずに走れたものの、ロープウェイで登った有珠山の上は雪に覆われていたし、内陸になる真狩は、まだ数十㎝から1m近い雪が残っていた。北海道の3月下旬から4月上旬はまだ冬なのだ。

結局、札幌の街中から完全に雪が融けてなくなったのは、ゴールデンウイークの頃だった。半年の冬があり、残る半年を、短い春と夏と短い秋で分け合っているのが、札幌の1年だった。

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2006年10月13日 (金)

ウオーキング減量作戦の応援団

友人からメールをもらった。彼も、最近になって万歩計を着けて、歩数を計り始めたとのこと。私のブログの記事も読んでくれているようで、「お互い少しずつ頑張ろう」とのコメントももらった。

私の現状は、というと、3連休前に68.9kgと久しぶりの68kg台を記録したと書いたが、連休の最終日に家族で外食したこともあって、再び69kg台半ばまで戻ってしまった。それを昨日までの平日の3日間で、極力歩いて戻し、今朝はなんとか再び68.9kg。明日の朝、どういう数字になるだろうか。再び、週末で増えないように、気を付けなくてはならない。

メールをもらった友人に負けないように、頑張らなくては。減量作戦の最初の一里塚である▲3kgの壁を早く突破したい。

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2006年10月12日 (木)

ソフトバンクホークス逆転優勝ならず、日本ハムファイターズが札幌で胴上げ

プロ野球のパ・リーグのプレーオフ第2ステージは、北海道日本ハムファイターズが2連勝し、25年振りにパリーグを制し幕を閉じた。

福岡で育ち、ホークスを応援していた私としては、至極残念。特に、ホークスは2年連続、レギュラーシーズンを1位通過しながら、プレーオフで苦杯をなめ続けており、今年はその借りを返してほしいという思いで見ていた。
今年はレギュラーシーズン3位ながら、第1ステージでは、初戦で西武のエース松坂に完封を許したものの、その後、打撃爆発で連勝し、逆転突破。その勢いで、優勝もと期待したが、しかし、昨年まではなかった1位通過チームに無条件で与えられる1勝のアドバンテージを、日本ハムが有効に使い、札幌ドームで決着させた。福岡に戻れば、地元ファンの声援の中、また違った結果もあったのではないかと思うが、力及ばなかった。

これでホークスが優勝すれば、春のワールドベースボールクラシック(WBC)での王ジャパンの奇跡的優勝、夏の甲子園での早実の後輩達の優勝に続き、「王監督の1年」というストーリーができると思ったが、王監督のオーラも、日ハム新庄のシーズン早々からの「今年で引退」宣言には及ばなかったようだ。

しかし、北海道民・札幌市民は喜んでいるだろう。かつて、地元チームのない札幌は、巨人の独壇場だった。それが、2004年に日ハムがフランチャイズを札幌に移し、最初の年の3位となり、プレーオフに進出したこともあり、確実にファンは拡大。いまや、地元でも巨人ファンより日ハムファンが多いと言われている。
特に、今年は、高校野球で3連覇目前の駒大苫小牧が敗れ、意気消沈していたところに、レギュラーシーズン途中までは全く目立たなかった日ハムが、終盤に追い込みをかけ、1位通過目前の西武をかわして1位となり、プレーオフでも2連勝で、札幌ドームで胴上げを実現したことで、日ハムファンならずとも、気をよくしていると思う。

かくいう私も1年の単身赴任の札幌生活の中で、知り合いに誘われて1度だけ、札幌ドームに日ハムの試合を見に行ったことがある。相手はどこのチームだったか(確かセパ交流戦で、巨人以外)、日ハムが勝ったのかどうかも覚えていないが、試合後のファンサービスで、スタンドにぬいぐるみやサインボールが投げ入れられた際、たまたま伸ばした手でサインボールをつかむことができた。それも、骨折の手術をしたあとの十分動かない左手でである。そのサインボールは、その後、本社への出張の機会か何かで家に戻った際に長男にプレゼントし、父親として格好をつけることができた。

日本シリーズでは、サインボールをくれた日ハムを応援することにしよう。

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2006年10月10日 (火)

冬物への衣替え

昨日までの3連休、金曜日の雨模様がうそののような秋晴れの3日間で行楽日和、運動会日和の3日間だった。
気象庁発表の東京の気象データを見ても、6日(金)が平均気温17.0℃(最高18.5℃)、平均湿度87%だったのに対し、3連休はいずれも平均気温で21℃前後(最高はいずれも25℃台)、平均湿度も7日51%、8日38%、9日42%と快適だった事がわかる。

我が家は、高校受験を控えた次女の学校説明会(7日)と模擬試験受験(8日)があり、特に遠出をするでもなく、家で3日間過ごした。

なんとなく、やらなくてはと思いながら先延ばしにしていた冬物への衣替えを行い、それを機会に、もう来年は着ないだろうと思われる夏物の衣類を処分、あわせて各部屋の大掃除をして、買い込んだ本のうち、もう読まないと思われる物を、3日で200冊くらいブックオフへ売りに行った。長男の部屋は、少々模様替えもして、家族全体で気分一新して、3人の子どもの進学に備える態勢を整えたというところだ。あとは、本人たちの頑張ってもらうしかない。

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2006年10月 8日 (日)

『病気にならない生き方』を読んで

昨日のTBSの『王様のブランチ』で紹介されていた『病気にならない生き方』(新谷弘実著、サンマーク出版)を読んだ。昨年7月に発行され、すでに120万部を超えるベストセラーになっているから、今頃、読んでいる私は少々時代に遅れているかも知れない。

著者の新谷弘実氏は、内視鏡による胃腸の診断、手術を専門とする医師で、日米で30万人の胃腸を見てきたという。内視鏡から見た胃腸の様子(胃相、腸相)を見れば、健康状態もわかると言い、これまで健康に良いとされてきた食品や食習慣が、胃相・腸相から見る限り、かえって胃や腸に負担をかけ、健康を損なっているものが多いとして、次のような事例を「間違った健康法」として、例示している。

・腸のために毎日ヨーグルトを食べるようにしている
・カルシウム不足にならないよう、毎日牛乳を飲んでいる
・果物は太りやすいので控え、ビタミンはサプリメントでとるようにしている
・太りすぎないよう、ごはんやパンなどの炭水化物はなるべく控えるようにしている
・高タンパク低カロリーの食事を心がけている
・水分はカテキンの豊富な日本茶でとるようにしている
・水道水は残留塩素を抜くため、必ず一度沸騰させてから飲んでいる
(『病気にならない生き方』27ページ)

著者の論点はいくつかあるが、私なりに咀嚼すれば、一番大切なことは、

○「人間の体の働きに重要な働きをするエンザイム(酵素)を無駄遣いしない」ということである。必要な酵素が不足すると体の機能が正しく働かず、体調がおかしくなる。そのため、酵素を消耗しないような生活習慣を身につけ、酵素を補うような食生活をすることが、太く長く生きる子方法としている。

○また、現代の医学・医療は、各臓器毎に専門化・細分化され、人間の体を全体として見ていないので、特定の臓器にいい効果があるとしても意味がない。その結果、特定の臓器に有益ということで、健康法・健康食品と言われているものがあるが、体全体で見れば、別のところに悪影響を及ぼしているものもある。

例えば、ヨーグルトについては、ヨーグルトを毎日食べている人に腸相のいい人はいないということを述べている。また、牛乳は、消化に悪く、牛乳の乳脂肪分は酸化して過酸化脂質となり、体に悪影響を及ぼすとしており、健康にいいとされてきた、牛乳・乳製品の摂取によってアレルギー体質になる可能性が高いことが明らかになっているという。

私は、ヨーグルトが好きで、ほぼ毎朝食べていたので、さすがに、これはショックだった。しかし、たしかに、ヨーグルトを常食しているわりには、便秘気味のところがあって、意識して食物繊維をとるようにしていた。

これまでの自分自身の食の経験の中で、なんとなく辻褄が合わないとおぼろげに思っていたことが、酵素(エンザイム)という一貫した視点で整理されていて、納得することの多い内容だった。これまで、いかに、胃や腸に悪い食事ばかりしてきたかと思うとゾッとする。

著者の勧める理想の食事は、植物性の食べ物(穀類・豆類・野菜・果物・海草類)を85%、動物性の食べ物(肉・魚)を15%である。
これから我が家の食生活を、少し食生活を変えて行こうと、妻と話している。

このブログを読まれた方にも、一読を勧めたい本である。

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2006年10月 7日 (土)

ウオーキング減量作戦のその後・その2

今朝の体重測定で、久しぶりの68kg台である68.9kgを記録。何ヶ月ぶりだろうか。朝、着替えた後の着衣の状態で計っても70.3kgで、ピーク時、裸で71kg台半ばまであったったことを思えば、明らかに減ってきた。

いくら減量のためとはいえ、食事の時に出されたものを残すということが、できない性分なので、カロリーの取りすぎになりがちだ。減量が長続きするかどうかは、1日100gでもいいから減っていることが目に見えて、わかることである。ウオーキングで、少しでもエネルギー消費をすることは大事だが、この2週間ほどの計測では、1万5000歩歩いても消費カロリーは400カロリー程度である。やはり、食べ物で取るエネルギーの量をコントロールすることも重要だ。

職場の食堂は、定食と麺類しかメニューがなく、カロリー調整のためか、麺類のほうでもメインの麺の他に、定食と同じ食材を使うコロッケや餃子が付いたりして、結局、麺も定食もカロリーに大した差がなくなってしまうのだ。先週からは、配膳してもらう時に、自分で多すぎると思った時は、食堂の人に、最初から皿に盛らないように頼んで、自分なりに調整することにした。これなら、残さなくてよい。

先週の金曜日からは、本社での仕事が始まった。本社の食堂はメニューも多く、高カロリーから低カロリーまで選べるので、500カロリー台の定食を選び、そこにワカメの酢の物を付けることにしている。今月は、あと2週間本社で仕事なので、その間にいっきに68kg台半ばまでもっていき、それを維持しながら、さらに67kg台を目指したい。

その前に、まず、この3連休で暴飲暴食を控え、少なくとも今朝の68.9kgを維持しなくては…。

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2006年10月 6日 (金)

年齢の法則

10月に入って、ひとつ年をとり、46歳になった。

このブログでも、何回か紹介している『こころを癒すと、カラダが癒される』(チャック・スペザーノ&ジェニー・ティスハースト著、伊藤由紀子訳、株式会社ヴォイス)の中に「年齢の法則」という章がある。

チャック・スペザーノ博士のこころを癒すと、カラダが癒される

年齢の意味
 来るべき年に、あなたはどんなチャレンジに直面するのでしょうか。その年のあなたのプロセス全般に流れている力学的な法則は何でしょう。ある年齢で起きた出来事にはどんな意味があったのでしょうか。
 年齢は、その年の個人的なプロセスの手がかりを与えると同時に、過去に起きた出来事についても何らかの洞察を与えてくれます。あなたが、今人生のどの辺にいるのか、またその1年で癒さなければならない事柄は何なのかを示してくれる指標なのです。
(『こころを癒すと、カラダが癒される』146ページ)

年齢を表す数字にはそれぞれ、意味があるという。例えば、今の自分の年齢に関わるところを見てみると

[4]
4は慢性的な問題を癒しながら、人生に新しい土台を築く時という意味です。この年のチャレンジは障害を突き抜ける道を探し、人生を築く礎石としてそれを使うということです。
[5]
5は変容のシンボルです。人生に変容をもたらすチャンスがあり、新しい生き方を始める年です。この年のチャレンジは、変化に伴う独特の居心地の悪さにあります。変容とは、一度受け止めさえすれば、底抜けの楽しさとユーモアをもたらしてくれます。
[6]

6は成熟、ハート、そして感情的な勇気を表します。この年には、人々に自分自身を与えることに専念することが求められます。また、家族のダイナミックスや深い感情を扱う年であるかもしれません。この年のチャレンジは、深い感情や家族のテーマにはまってしまい、成熟することに対し消極的になることです。

40代は、いわば「人生の新たな土台を築く10年」ということになろう。「4」が重なる44歳では、自分の場合、単身赴任先で転倒して肩を骨折し、3週間入院するという大きな事件があった。
昨年10月、45歳で、東京に戻り新しい職場となり、まさに新しいチャレンジの1年だった。

そして46歳。たしかに、この1年で家族の境遇は大きく変化する。計算したわけではないのだが、3人の子供が3年毎に生まれたこともあり、今高3(長女)、中3(次女)、小6(長男)のそれぞれが、今の学校を卒業し、次のステップへ進むことになる。これから1年は、3人がなんとか自分なりの次のステージを見つけて、一歩踏み出し、その新しい環境に慣れてもらわなくてはならない。その過程で、父親の役目も求められると言うことだろう。

『こころを癒すと、カラダが癒される』という本は、特に根拠が示されず結論だけが書かれているので、時に「まゆつば」もののように感じることもあるのだが、不思議と自分のことについては、当たっていることも多く、何かあると開いて見ている。

「人々に自分自身を与えることに専念する」というほど大げさではないが、明日は、次女が志望する高校の説明会に付き合うことになっている。

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2006年10月 4日 (水)

ウオーキング減量作戦のその後

最近、以前より仕事が忙しくなって、家に帰って来て、夕食を食べると、ブログに向かって書き出す前に眠たくなって、ひと休みと思いふとんに横になったら最後、目覚めたら翌朝ということが、何日か続いてしまった。

歩数計(万歩計)をつけて1日の歩数を計りだして10日ほど。今のところ、1日1万歩の目標はクリアしている。仕事のある日は、通勤の行き帰り、職場の中での移動などで9000歩程度は歩いているようで、起床後に家の周りを10分程度散歩する(約1000歩)、会社の帰りに最寄り駅の日本橋でなく2駅先の竹橋まで歩く(+2000歩程度)などのちょっとした工夫で、あまり無理をせずに1万歩は歩けるようになった。むしろ、会社のある日は、体に少し負荷をかけエネルギーを消費するという意味では、1万5000歩を目標にした方が効果がありそうだ。(ちなみに今日は、朝の散歩と帰りの竹橋までの歩きを行って現在約1万4400歩である。)

問題は、むしろ休日で、この間の日曜日は、早朝ウオーキングで、近くの私鉄の駅まで片道30分弱を往復したものの、あとは家にいたこともあって、夕方、妻の買い物に付き合ってスーパーの中を歩き回ってようやく、ギリギリで1万歩を確保した。

問題の体重の方は、9月末の職場に打ち上げでの飲み食いも何とか乗り越え、69kg台は維持しているものの、69kg台のレンジの中で、推移しており、今朝も69.4kgだった。前回、10kg減量した時も、最初の3kgを減らすのが大変で、3kg減った後は、順調に減りだした覚えがある。ここが、踏ん張りどころだろう。
1日100gでもいいから減らすこと、その小さな積み重ねしかない。

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2006年10月 1日 (日)

『偽りの大化改新』を読んで(3)

『偽りの大化改新』を読んで(1)はこちら、同(2)はこちら

「日本書紀」では、なぜ、中大兄皇子が、「乙巳の変」とその後の「大化改新」の主役として描かれているのか。そして、そこに描かれる中大兄皇子像には、一貫して冷徹・冷酷はイメージがつきまとう。

中村説の結論を言えば、それは、壬申の乱で、兄天智天皇(中大兄皇子)の子である甥・大友皇子(弘文天皇)を滅ぼした天武天皇の意向が働いたというものである。

孝徳崩御後の歴史の通説を眺めてみると、655年の斉明女帝重祚後、中大兄皇子は孝徳朝から引き続き皇太子として母である女帝を助け政治を行ったことになっている。
まず、658年には、謀反の疑いで孝徳の子である有間皇子絞首される。
朝鮮半島では、中国の大国・唐の影響で風雲急を告げており、660年には百済が唐・新羅連合軍に滅ぼされる。日本と関係の深い百済を救済すべく、斉明女帝と中大兄皇子は、前線基地として九州・朝倉に都を移し派兵の準備をするが、斉明女帝は661年朝倉宮で崩御する。
663年には、百済復興に派遣した大軍が、白村江の戦いで大敗する。唐・新羅連合軍の侵攻に備え、九州に水城や大野城を築き、国防政策が進められたと言われる。そして、中大兄皇子が天智天皇として即位するにのは、斉明女帝崩御から6年後の667年である。都を琵琶湖に近い近江大津京に定めた。
661年~667年は称制と言われ、天皇不在のまま、中大兄皇子が政治を行ったことになっている。669年には、中臣鎌足が没し藤原姓と大職冠を受け、671年には天智天皇自身も崩御する。天智は、死の間際に弟大海人皇子を呼び、後事を託し後継として皇位につくことを求めるが、それが自分を葬るための罠と察知した大海人皇子は固辞し、出家し吉野に隠遁したことになっている。
翌672年には、大海人皇子が吉野を出奔して挙兵し(壬申の乱)、おそらく天皇に即位済みだあったと思われる大友皇子を滅ぼし、自ら天武天皇として即位する。

天武天皇は、兄天智天皇・甥大友皇子(弘文天皇)父子から、武力で皇位を簒奪したことになる。「日本書紀」は、簒奪王朝である天武朝が自らの簒奪を正当化するために書いたというのが『偽りの大化改新』で語られる中村説である。

正当化するためには、天智(中大兄皇子)は、滅ぼされても仕方ない冷酷・冷徹な人物に仕立てる描く必要があり、「乙巳の変」で蘇我入鹿殺害に直接手を下したり、自分の義父である蘇我倉山田石川麻呂や、孝徳の子有間皇子を容赦なく次々と葬る人物だったと描いたとしている。

具体的に確たる証拠があるわけではないが、歴史が常に勝者によって描かれることを思えば、「乙巳の変」以降の中大兄皇子についての「日本書紀」の不自然な記述は、「乙巳の変」の首謀者が軽皇子(孝徳天皇)だとと考えると、かなりの部分で、より合理的な説明ができるように思う。

孝徳崩御後の疑問点について、いくつか整理して、締めくくりとしたい。

①孝徳朝において皇太子であったはずの中大兄皇子が次期皇位に即位せず、なぜ皇極前女帝が斉明女帝として重祚したのか?

これについては、中村説は、孝徳朝において中大兄皇子は皇太子ではなかった解釈している。皇太子としたのは、「日本書紀」編纂時の潤色で、孝徳の行った古人大兄皇子や蘇我倉山田石川麻呂の殺害を、傀儡孝徳の下で実権を握った皇太子の行ったことにして、中大兄皇子のせいにしたのであろう。
実際には中大兄皇子は皇太子ではなかったので、皇極が重祚して再び大王(天皇)となることで、初めて、次期皇位継承者として意味での皇太子になったと言えよう。

②では、斉明女帝崩御後、中大兄皇子は、何故すぐに即位せず、6年間も称制を続け、6年後にようやく即位したのか?

実は、これについての明確な回答は、『偽りの大化改新』にも示されていない。「大化改新」にまつわる数々の疑問をそれなりに辻褄を合わせて、解き明かしてきた著者も、ここだけは、うまい解釈が浮かばなかったのだろうか。

一部には、万葉集等の記載から、6年間の称制の間うち665年までは、中大兄皇子の妹で孝徳の皇后だった間人大后が女帝として即位していたという説もあるようだ。658年に有間皇子を葬った後も、旧孝徳大王(天皇)派がそれなりの勢力を持っていて、中大兄皇子がすぐ即位できるような状況にはなく、妥協案として孝徳の皇后の間人を女帝としたのだろうか?しかし、それであれば、間人の崩御後の665年には、即位しても良さそうだが、そうもなっていないし、すでに女帝の前例もあるので、間人だけが女帝であったのに「日本書紀」に書かれないということも考えにくいので、間人即位はなかったのではないかと思う。

私の意見は、唐・新羅連合による百済滅亡という、外交上の大事件を目の当たりにし、即位の儀式・手続を行っている余裕もなかったということではないかと思う。

偽りの大化改新 (講談社現代新書)

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『偽りの大化改新』を読んで(2)

『偽りの大化改新』を読んで(1)はこちら

大化改新の時代、あるいはそれ以前の時代の皇位継承というのは、候補者の殺し合いという面がある。
長子相続という明確なルールがあるわけではなかったので、大王家の血筋に連なる成人男子は、皇位継承の候補者となり、そこに大臣・大連などの豪族が外戚として絡み、自分の血縁に連なる候補者を皇位につかせようと画策する。
誰もが納得するような候補者、あるいは、それを支援し擁立する他の豪族ににらみの効く強力な勢力の後ろ盾があればよいが、大王家一族や豪族勢力の中で利害対立があり、候補者が複数名おり調整がつかない時には、最終的に暗殺や謀反の疑いで誅殺する等により、候補者が絞られ、生き残ったものが大王となるということが行われてきた。時には、大王そのものが暗殺されたことさえある(592年崇峻天皇暗殺事件)。

中村修也著『偽りの大化改新』(講談社現代新書)では、乙巳の変に先立って起こった、山背大兄王が蘇我入鹿に滅ぼされた事件がすでに乙巳の変の伏線と考える。(遠山美都男『大化改新』中公新書もほぼ同様の立場)

舒明大王(天皇)の死後の642年、自らも敏達帝の孫である皇后の宝王女が皇位を継承し皇極女帝となる。
中村説では、この即位は皇極が自分の子である中大兄皇子が成人して皇位につけるようになるまでの中継ぎとして即位したと解釈している。この時点での、皇位継承候補者は、用明帝の孫(聖徳太子の子)で舒明即位の際に、皇位を争ったとされる山背大兄王、そして舒明と蘇我馬子の娘である法提郎媛の子である古人大兄王子、舒明と皇極の子である中大兄皇子、そして皇極の弟である軽皇子である。

皇極にとっては自分の夫と皇位を争った山背大兄王は目障りな存在、また蘇我氏の血が流れているとはいえ、蘇我蝦夷が舒明即位を支持した際に、それと争った山背大兄王は蘇我氏としては御しにくい存在であり、皇極女帝・蘇我氏の思惑が一致して、643年、両者の合意の下、あるいは皇極の指示により山背大兄王は滅ぼされたのではないかと中村説では考えられている。この時の軽皇子の意向はよくわからないが、自分のライバルが減ることに特段異をとなえることもなかったであろうとも言っている。

山背大兄王の排除は、舒明後の後継選びの第1ラウンドである。残った3人のなかで、政治的な力では蘇我氏を背景にした古人大兄皇子、血統という点では父・母ともに大王である中大兄皇子が有利であろう。軽皇子は、蘇我氏の後ろ盾もなく、現女帝の弟とはいえ、最も不利な立場である。
当時の大王即位の条件は、成人することであると言われており、626年生まれとされる中大兄はまだ未成年。古人大兄皇子の年齢は不詳とのことであるが、あるいは未成年であったのかも知れない。
しかし、古人が中大兄より年上で、先に成人し、当時の一大勢力である蘇我氏が推し古人が皇位につけば、すでに中年の軽皇子には即位の目はなくなる。

そこで、軽皇子がそのような不利な局面を打開するために、阿倍氏をはじめ蘇我氏本家以外の豪族と組んで仕掛けた一発逆転のおおわざが「乙巳の変」であるというのが、中村説のアウトラインである。古人大兄皇子を支える蘇我氏の領袖である蘇我入鹿を排除することなく、彼の即位はありえなかったのだろう。(遠山美都男『大化改新』中公新書では、古人大兄皇子自身も「乙巳の変」での殺害対象だったのではないかとしている)

ただ、『偽りの大化改新』では、「乙巳の変」では、皇極退位も軽皇子側のシナリオに含まれていたと考えているが、軽皇子グループと皇極女帝=中大兄皇子母子との間で何のやりとりもなかったのか、皇極=中大兄母子には一切知らされずに行われたことなのかは、わからない。皇極は、軽皇子が当時の軍事豪族である阿倍氏などと組んでいることを知らされ、共通の敵とも言える古人大兄皇子排除のため、乙巳の変の決行とその後の退位に、例えば孝徳の次の中大兄皇子を皇位につけることを条件に、渋々かも知れないが同意していた可能性はあるように思う。

しかし、即位後の孝徳は、大王の権力を発動し、古人大兄皇子を殺害(645年)や中大兄皇子の義父にあたる蘇我倉山田石川麻呂を自刃に追いやった(649年)のは、前回述べた通りである。

孝徳朝の晩年の653年、中大兄皇子と皇極前女帝が、孝徳の皇后で中大兄皇子の妹である間人王后、弟の大海人皇子や公卿大夫・百官人を連れ、孝徳が定めた難波京から飛鳥の地に戻ってしまうという「日本書紀」の記述があり、通説では、大化改新の主役である中大兄皇子が傀儡である孝徳大王を見限って、自立し、都の役人達もそれに従った事になっている。
中村説では、孝徳と皇極・中大兄母子が不和になり、皇極一行が飛鳥に帰ったことは事実だろうとしているものの、公卿大夫や役人まで連れて、難波京に傀儡孝徳を置き去りにしたかのような記述は、当時の大王の権力からすればありえないとし、「日本書紀」による潤色と解釈している。

これ書きながら、私なりに考えた仮説は、孝徳と皇極・中大兄母子は、「乙巳の変」にあたり、相応の協力関係にあったものの、皇極側はあくまでも次の皇位継承者として中大兄皇子の立場を確実にすることが条件だったのではないかということだ。

しかし、軽皇子は大王となると自らの立場第一となり、中大兄皇子の後援者であったであろう義父の蘇我倉山田石川麻呂を排除するという挙にでる。これは、いわば、皇極・中大兄母子との袂を分かち、自分と孝徳朝最初の左大臣阿倍内麻呂の娘小足媛との間の子である有間皇子を皇位後継者にすえようとする政治環境作りだったのではないか?
そうなれば、孝徳と皇極・中大兄母子との関係強化のための政略結婚として孝徳に嫁したと思われる皇極の娘間人大后の役目も必要なくなり、母皇極と一緒に飛鳥に帰ったのであろう。
あるいは、皇極・中大兄母子は、このまま、難波京に留まっていれば、いつ孝徳派にいつ命を狙われるかもしれないという、身の危険を感じての。飛鳥逃避行だったのかもしれない。

この不和の時点での双方の力関係は、よくわからないが、孝徳大王は翌654年に崩御する。『偽り大化改新』では、「日本書紀」の記述をもとに、自然死か病死であろうとしているが、前年の経緯からすれば、皇極・中大兄母子側による暗殺の可能性も否定できないのではないだろうか?

孝徳後は、皇極が斉明女帝として重祚する。孝徳に簒奪された皇位を再び取り返したことになる。

また、長くなってしまったので、なぜ「日本書紀」が中大兄皇子を「乙巳の変」の主役として描いたのかは、さらに次回に検討したい。

偽りの大化改新 (講談社現代新書)

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2006年9月30日 (土)

『偽りの大化改新』を読んで(1)

講談社現代新書の『偽り大化改新』(中村修也著)を読んだ。中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足が起こしたとされ、日本の古代史の一大転機となった「大化の改新」の真の首謀者は誰かということがテーマである。

偽りの大化改新 (講談社現代新書)

私が高校の頃の日本史の教科書には、「日本書紀」の記述をベースに、次のように書かれている。

朝廷では、馬子のあと、蘇我蝦夷が大臣となり、皇極天皇のときには、蝦夷の子入鹿がみずからの手に権力を集中しようとして、有力な皇位継承者のひとりであった山背大兄王をおそって自殺させる事件をおこした。(中略)。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)中臣鎌足(なかとみのかまたり)はともに計略をめぐらし、645年、蘇我蝦夷・入鹿父子を滅ぼして政権をにぎり、国政の改革にのりだした。
この年、孝徳天皇が新たに位につき、中大兄皇子は皇太子となり、旧豪族のおもだったものを左右の大臣とした。いっぽう、中臣鎌足は内臣、僧旻・高向玄理の2人は政治顧問である国博士となり、ともに皇太子である中大兄皇子をたすけて政治の改革にあたった。この年、政府は都を難波におき、また中国の例にならってはじめて年号をたて大化といった。そのため、以後の一連の政治改革を大化の改新という。
翌646(大化2)年には、政府は4ヵ条からなる改新の詔を発した。
(昭和53(1978)年3月発行、山川出版社『詳説日本史(新版)』35~36ページ)

大化の改新の評価は、テーマそのものが大きいだけに、私がもっている4冊の山川の詳説日本史を見ても、その都度、記述の内容が微妙に変化し、通説もなかなか定まらない様子がうかがえる。4冊のうち最も新しい版では、次のように変化している。

倭では、蘇我入鹿が厩戸王(聖徳太子)の子山背大兄王を滅ぼして権力集中をはかったが、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)は、蘇我倉山田石川麻呂や中臣鎌足の協力を得て、王族中心の中央集権をめざし、645(大化元)年に蘇我蝦夷・入鹿を滅ぼした(乙巳の変(いっしのへん))。そして王族の軽皇子(かるのみこ)が即位して孝徳天皇となり、中大兄皇子を皇太子、また阿倍内麻呂・蘇我倉山田石川麻呂を左・右大臣、旻と高向玄理を国博士とする新政権が成立し、政治改革を進めた。
646(大化2)年正月には、「改新の詔」で豪族の田荘・部曲を廃止して公地公民制へ移行をめざす政策が示された。(中略)こうした孝徳天皇時代の諸改革は、大化改新(たいかかいしん)といわれる。
(2003年3月発行、山川出版社『詳説日本史』32~33ページ)

四半世紀を経ての記述の変化としては、孝徳天皇(軽皇子)や蘇我倉山田石川麻呂の存在が強調されるようになり、中大兄皇子や中臣鎌足が改革をすすめたというトーンはかなり抑えられているようにも読める。

長々と通説を紹介したが、これに対し著者は

①中大兄皇子は当時の権力者である蘇我入鹿殺害するクーデターを起こし、入鹿殺害にも自ら手も下すという大きなリスクを負ったにもかかわらず、クーデター成功後、大王(天皇)に即位していないのは何故か。
②王族中心の政治のため、蘇我氏を滅ぼしたのに、なぜ皇極女帝は退位しなければならなかったのか。
③軽皇子は、どのような理由で、大王に選ばれたのか。

といった趣旨の疑問を提示し、それを解き明かそうとしていく。
著者は1959年生まれで、私より1歳年上。中学・高校と、教えられた歴史の通説はほぼ変わらないと思われるので、著者の通説に対する疑問も違和感はない。

結論は、乙巳の変の首謀者は、蘇我入鹿殺害後、大王に即位した軽皇子(孝徳天皇)であろうというものである。以下、『偽りの大化改新』の記述から中村説を私なりに整理すると、

②と③については、既に中年の域に達していた軽皇子が自ら大王に即位するため、皇極女帝を支えていた蘇我入鹿を殺害し、蘇我氏の勢力を背景にして次期大王の有力候補であった古人大兄皇子の勢力をそぐとともに、姉である皇極女帝に退位を迫り、皇極女帝から大王の位を簒奪したと考えれば、皇極が退位し孝徳が即位したこと、さらに孝徳の死後、皇極が重祚し斉明女帝として再登場したことの辻褄は合う。

また、孝徳天皇の治世において、結局、古人大兄皇子が謀反の疑いで滅ぼされのは、孝徳政権下で、古人大兄皇子が生きているということが、孝徳にとって自分の地位を脅かす懸念材料であるからと考えれば説明がつく。
クーデターの立役者の一人だった蘇我倉山田石川麻呂も後に謀反の疑いで自害に追いやられるが、彼が娘を中大兄皇子に嫁がせ、孝徳の次の大王の地位をうかがう立場の中大兄皇子と親密になっていったことが、孝徳に疑心暗鬼を生じさせた結果だとすれば、納得がいく。

乙巳の変のクーデターでの、軽皇子(孝徳天皇)主役説は、すでに『大化改新』(遠山美都男著、中公新書、1993年)で述べられている。遠山美都男はクーデターの関係者の人間関係の分析により、中大兄皇子を除く関係者全てが何らかの形で軽皇子につながっており、「通説では、中大兄・鎌足主従の陰に追いやられていた軽皇子その人こそ、「乙巳の変」の真の主役であったと断定できる」(中公新書『大化改新』196ページ)としている。

では、「日本書紀」では、なぜ中大兄皇子を「乙巳の変」の主役にしているのか。そこに、この著書の遠山版『大化改新』にはない新しさがあるのだが、記事が長くなったので、それについては次回に書くことにする。

*一部、記述の補記、表記の間違いの訂正をしました(2006年10月1日)

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2006年9月27日 (水)

メンタルヘルス・マネジメント検定試験開始の意味を考える

先週土曜日、新宿紀伊国屋書店の本店に行った際、『メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキスト』(大阪商工会議所編、中央経済社)という本が目に入った。テキストは、Ⅰ種マスターコース、Ⅱ種ラインケアコース、Ⅲ種セルフケアコースの3種類に分かれている。

テキストを手にとってパラパラとめくってみると、職場での働く人の「心の健康管理(メンタルヘルス・マネジメント)」についての検定試験を、大阪商工会議所の主催で行うということらしい。
Ⅰ種は会社のメンタルヘルス対策を担当する人事部労務担当者・管理者や経営者向け、Ⅱ種は職場で部下を持つ管理職向け、Ⅲ種は自らのメンタルヘルスについて学ぶ一般社員・新入社員向けとのことで、とりあえず、Ⅱ種ラインケアコースのテキストを買ってきた。

これまであまりなじみがなかったので、改めて調べてみると、新しく開発された検定試験とのことで、今年(2006年)の10月8日(日)が第1回の試験らしい。(大阪商工会議所の検定の説明はこちら

「公式テキスト発行にあたって」と題したテキストのまえがきには、次のように書かれている。

産業界にとどまらず社会全体において、働く人たちの「心の健康管理(メンタルヘルス・マネジメント)」への関心が高まっています。成果主義の導入、人員削減による労働負担の増大など、労働者を取り巻く環境はストレスを増長しやすいものとなり、心の病による休職や離職、自殺の増加が深刻な社会問題となっているからです。心の病を予防するには、個々人が正しい知識を携えて自他のストレスに対処することがきわめて重要です。また、雇用する企業においても、社会的責任の履行、人的資源の活性化、労働生産性の維持・向上のためには、メンタルヘルス対策を適正に講じる必要があります。
(『メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキストⅡ種ラインケアコース』大阪商工会議所編、中央経済社発行 ページⅰより)

商工会議所は経営者サイドの立場から、企業防衛的な視点で、この検定を企画したとは思うけれど、背景はどうあれ、半ば公的機関とも言える商工会議所の検定に職場での心のケアという問題が取り上げられたということは、大きな一歩ではないかと考えている。

私自身は、心の問題を一つのテーマとして昔から関心をもっていたし、自分が上司となって部下を持つ身になった時には、心の問題ということをいつも意識してきたつもりだ。
しかし、職場の上司や同僚で心の問題を真剣に考えている人はあまりいなかったように思う。
ノルマや成果主義に縛られる上司が、自分の部署の実績が思うように上がらないと、成績の悪い担当者を「なぜできないのだ」と罵倒したり、「契約が取れるまで帰ってくるな」的な圧力をかけることがあたり前のように行われる職場もあった。私には、仕事の名を借りた、職場における単なる「社会人いじめ」にしか見えなかった。

高度成長時代は、日本経済のパイ全体が拡大を続けていたので、サボっている営業担当者は叱り、気が弱く尻込みしている営業担当者は「尻を叩いて」営業活動を行わせ、顧客との接触頻度を増やせば、拡大するパイのどこかにかじりつけただろう。結果として実績が上がれば、上司は自分の指導の結果と満足し、叱られたり・尻を叩かれた担当者の側も、相応の評価をされれば、さほどストレスを溜めることもなかったのではないかと思う。

しかし、マイナス成長・低成長の時代となった現在では、ただ上司が叱咤激励、罵倒と尻叩きだけをしていても、増えないパイのどこかにかじりつける確率はきわめて低い。上司はますますイライラし、実績も上がらず罵倒されるだけの担当者は、ストレスが溜まる一方である。

問題はそれが、職場の中だけで完結しないことだ。職場でストレスを溜めた父・夫は、家庭に帰り、妻や子どもにイライラをぶつけ、ストレスを解消する。あるいは、子どもに自分のような思いはさせまいと、子どもの思いはそっちのけで、子どもの教育にエネルギーを注ぐ。結果、父や夫が溜め込んだストレスは、家庭で通じて妻や子どもに波及し、それが妻の精神の不安定や、子どもの学校でのいじめという形で、マイナスの連鎖として広がっているような気がして仕方がない。(『子育てハッピーアドバイス』の3冊の中にも、仕事でイライラしている父が、子どものことで妻を叱り、妻が子どもに対し「あなたのせいでお父さん叱られた」と怒るという事例が、悪い例として紹介されていた)

この検定試験が社会的に認知され、多くの企業の経営者、人事部、各職場の管理者に浸透していけば、上に述べたような社会全体に蔓延するマイナスのスパイラルの発生源が少しは減る方向に向かうのではないかと期待している。

10月の試験の申込は9月1日までだったようだ。第2回はⅡ種・Ⅲ種のみだが、来年3月の実施のようだ。秋に控える各種資格試験の受験が終わったら、Ⅱ種の受験を検討しようと考えている。

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2006年9月25日 (月)

ウオーキング減量作戦

職場からの帰り、日本橋から竹橋まで歩き始めて10日余。昨年10月に札幌から東京に戻ってからのほぼ1年、増え続けてきた体重に歯止めがかかり、減り始める気配が見えてきた。9月に入り体重が70kgを切ることがなかったが、先週後半22日(金)から何とか69kg台後半を維持し、今朝は69.3kgまで減った。69kg台前半を記録したのは、8月の初め以来である。

先週半ばから今週木曜日までは飯田橋で仕事なので、いつも乗っている地下鉄東西線を途中で降りる。会社帰りに竹橋まで歩いていた代わりに、東西線上を飯田橋から神楽坂を経て、乗換駅の高田馬場の一つ手前の早稲田駅まで歩くことにした。所要時間25分ほど。さらに、先週金曜日は、思い切って高田馬場駅まで歩いてみたが、早稲田-高田馬場間はかなり距離があり、飯田橋からだと50分近くかかってしまった。

先週、悩まされた腰痛も、徐々に軽くなっており、今週中には元通りになりそうである。体重の増加が、腰に余計な負担をかけていたのかも知れない。

最低でも札幌から戻った時点の65kg台、できれば、札幌に行く前の63kgまで戻すのが目標である。とはいえ、歩くだけ上手くいくだろうかと考えている矢先、書店で、泉嗣彦著『医師がすすめるウオーキング』(集英社新書)を見つけた。2005年4月に出された本で、その後も版を重ねている。

人間ドックの診察医を務める著者が、人間ドックの受診者で、血圧、血糖、脂肪、肝機能等の数値に問題がある人たちに、生活習慣病と言われる高血圧や糖尿病等の成人病の予防のため、生活習慣を改善策として何を指導すればよいかと考え、もっとも手軽にできるウオーキングを勧め、劇的に改善したいくとも例が紹介されている。

生活習慣病の改善のためには「食生活の改善」と「運動不足の解消」が必要だが、なかなか「食生活の改善」は難しい。とりあえず食生活改善には手をつけず、「運動不足の解消」にために手軽なウオーキングを試してもらい、結果的に数値改善に効果があることがわかり、著者の生活習慣改善指導としても定着したという感じだ。

「食生活の改善」は横に置いておいて、とりあえず「運動不足の解消」から始めるというのは、まさに今の自分の状況そのものではないか。前回の10k減力が、昼食の摂取カロリーを意識して減らすという「食生活の改善」が中心だっただけに、いまの歩くこと中心の減量でどの程度効果があるのか、自分でも見極めのつかないところがあった。力強い援軍である。

泉先生は、日常生活での「歩き」を含めて、1日1万歩、1週間で7万歩という目標を示している。自分が何歩歩いたかなどということは、普通は考えないし、いちいち数えてもいられないので、昨日、万歩計を買い、今日試しに計測してみた。

朝起きてから、今ブログを書いている現在まで、約1万3000歩。しかし、これには朝起き抜けの家の近所の散歩10分(約1000歩)、会社の昼休みの周辺のウオーキング約20分(約2500歩)が含まれているので、普通に歩けば9500歩(また、この中には、通勤帰りの飯田橋から早稲田までの歩きも含む)である。1日1万歩歩くのは、簡単ではないことがよくわかった。

しかし、逆に言えば、朝の10分の散歩など、生活の中でのちょっとした工夫で、歩数を確保することはできるといことでもあり、当面1日1万歩を続けてみたい。さて、どの程度の効果があるのか。明日の朝、体重計に乗るのが、楽しみでもあり、不安でもある。

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2006年9月24日 (日)

稲刈りで知る日本の歴史

お米の産地では、先週から今週にかけてが、稲刈りのピークではないだろうか。私も、富山にいる頃、二度ほど稲刈りの手伝いをしたことがある。

長女と次女が、当時小学生で、富山市の小学校に通っていた。長女と同じクラスの男の子と、次女と同じクラスの女の子の兄妹のいる家族がいて、PTAなどで母親どうしも親しくなり、やがて父親も含めた家族ぐるみのつきあいになった。お父さんはサラリーマンなのだが、県内の実家は農家で、ご両親はすでに亡くなっていたが、兼業農家として、夫婦で米作りをしていた。
親しくなったこともあり、稲刈りを手伝わないかと誘われて、手伝いをしたのだ。先方にとっても、自分たちが稲刈りをしている間、自分の子ども達の遊び相手になってくれる、同い年の子どもがいる我が家は、助っ人としてはうってつけだった。

手伝いといっても、先方のお父さんがコンバインを操作して、田んぼの稲を刈っていく。刈り取られた籾(モミ)は、コンバインの中に溜まっていく。一定量溜まったら、いったんコンバインを道路に近いところに止めて、麻袋に詰める。その詰められた麻袋を、我が夫婦でライトバンに載せ、私がライトバンを運転し、先方の実家の納屋にある米の乾燥機まで運び、納屋で奥さんが乾燥機に籾を投入する。その繰り返しである。

麻袋が籾で一杯になると30kgだったと思う。麻袋をライトバンの荷台まで運び上げるのが重労働。田んぼは、先方の実家から少し離れたところに数ヵ所に分かれて点在しており、麻袋運びにも人手がかかる。コンバインには必ず1人必要なので、作業全体を夫婦2人でやっていては、たびたび作業を中断しなくてはならず能率が悪い。そこに、2人手伝いが加われば、中断せずに作業が流れ、一気に効率が上がる。

米作りは多くの人手を必要とする労働集約的な作業だった。まして、機械化された現代でも、これだけ大変なのだから、コンバインもライトバンも乾燥機もなかった時代の苦労は、推して知るべしである。そう考えているうちに、これまで、机上で勉強してきた「日本の歴史」が一気に理解できた気がした。

なぜ農村の人間関係は濃密なのか、年貢というものが、どれだけ農民にとって無念なものであったか、戦(いくさ)で働き手がいなくなればいとも簡単に農村が荒廃するであろうこと、等々。

また、大地に種をまけば作物が育ち、それを収穫して食することで、生きていけるということは、自然と太陽や大地を敬う気持ちになっただろう。文字通り「母なる大地」を実感しながら、人々は生きていたにちがいない。日本での信仰の基本は、その収穫への感謝の気持ちにあるのだろう。

私にとっては、「農業が無から有を作り出すものであること」を発見したことも、目からうろこが落ちる思いであった。何もない地面に種をまいて育てれば食べ物ができる。無から有を作り出し、そのサイクルには終わりがない。土地と太陽と水があれば、無限に続けることができる。一方、工業は、すでに有るものを作りかえたり、組み立てたり、するだけである。

手伝いが終わったあと、先方の実家に2家族でバーベキューパーティーを楽しみ、収穫したての新米を現物支給してもらった。新米が、おいしかったことはいうまでもない。

私にとっては、日本史を体感させてもらった、貴重な経験でもあった。

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2006年9月23日 (土)

「おはぎ」と「ぼたもち」

今日は「秋分の日」。朝、散歩そしていたら、路傍に「彼岸花」が咲いていた。秋も、本番というところか。
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一緒に散歩をしていた妻が、
「”おはぎ”と”ぼたもち”の違いを知っているか?」と聞く。
「”こしあん”と”つぶあん”の違いでは」と答えると
「ぼたもちは春、おはぎは秋」とのヒントを出される。
「じゃあ、ぼたもちが牡丹で、おはぎは萩の花」と答えると
「正解」とのことだった。

念のため、家に戻ってインターネットで検索してみる。

いくつも解説記事はあるが、「@nie's」というお菓子研究家のサイトの「おはぎとぼたもち」というページには次のようなに書かれている。(「おはぎとぼたもち」のページはこちら

実は”おはぎ”も”ぼたもち”も同じお菓子なのだ。

春のお彼岸に作り、あずきの粒をその季節に咲く”牡丹”に見立てたのが”ぼたもち”。
秋のお彼岸に作り、あずきの粒をその季節に咲く”萩”に見立てたのが”おはぎ”。

つまり”牡丹餅”と”お萩”と言うわけだ。

「つぶあん」「こしあん」議論の方は、間違いなのだろうか。いくつかのページの解説には、「ぼたもちはこしあんで、おはぎはつぶあんで作る」と書いてあるものもあったが、食べる季節が違うだけだというのが、多数説のようだ。

「こしあん」「つぶあん」議論についての説明で、納得したのは、やはり同じ「@nie's」の「続・おはぎとぼたもち」の記述である。(「続・おはぎとぼたもち」のページはこちら

実はこれは餡の素材である小豆の収穫時期に関係がある。

秋のお彼岸は小豆の収穫時期とほぼ重なるので、 まだ採れたての皮の柔らかい小豆を餡にすることができる。 当然柔らかい皮も一緒につぶして”つぶし餡”として使う。
春のお彼岸には冬を越した小豆を使うことになり、 当然固くなっている皮はそのままでは食感が悪い。 そこで皮を取り除くためにいったん晒す工程を経て ”こし餡”にして使われる。 (中略)
ところが保存技術の発達や品種改良によって、 春でも皮のまま使うことのできる小豆が登場して、 以上述べた理由はまったく意味のないこととなってしまった。 今では一年中こし餡だろうとつぶし餡だろうと 好きな食べ方ができるようになってしまったわけだ。 

「ぼたもち=こしあん」、「おはぎ=つぶあん」との説明に根拠がないわけでは、ないということだ。

こうして、調べていくと、普段、何の疑問も感じずに使っている言葉でも、いろいろと押さえてくべきことがあるような気がする。

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2006年9月21日 (木)

テンプレート秋バージョン、世界遺産「五箇山の合掌造り」

19971102b_1 今日から、テンプレートを自作の秋バージョンに変更した。写真は、富山県の上平村(かみたいらむら)菅沼(すがぬま)集落の「合掌造り」である。お隣、岐阜県の白川郷、同じ富山県の平村(たいらむら)相倉(あいのくら)集落の三地区の合掌造り集落が、1995年12月に「白川郷、五箇山(ごかやま)の合掌造り集落」として世界遺産に登録された。(なお、五箇山の由来は、赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷というの5つの谷に集落があり、それを「五箇谷間」と言ったことから「五箇山」と変じたらしい。上平、平という地名が示す通り、平家の落人伝説もある)

私が転勤で、富山で暮らし始めたのが、ちょうど1995年の12月。写真は2年後の1997年の秋に、妻の母が富山を訪ねてきた際に、家族で五箇山を案内した時のもので、9年前ということになる。その後、近くに高速道路(東海北陸自動車道)が開通したので、周りはずいぶん変化しているかも知れない。

富山は四季折々に変化が、五感で感じられるところだった。2週間毎に、季節が変わっていく様が、自然の変化として目に見えたし、気温の変化として肌で感じられた。富山湾で取れる「ブリ」を筆頭にした季節の魚介類、加賀百万石を支えた砺波平野の米(コシヒカリ)、呉羽の梨などが「食」として、季節を感じさせてくれた。

合掌造りは、雪に埋もれる冬が絵になるが、山あいの紅葉を背景にした姿も、なかなか、美しいものである。富山を未体験の方は、ぜひ一度訪ねられることを、お勧めしたい。

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2006年9月20日 (水)

将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始

今朝の新聞に、将棋名人戦について、朝日新聞社との共催について打診されていた毎日新聞社が、「対等な立場での共催」を前提に協議に入ることになったとの記事が掲載された。

8月1日の将棋連盟の棋士総会で、毎日単独開催案支持90対不支持101で、2007年度からの名人戦単独開催の可能性がなくなった毎日新聞社に対し、将棋連盟が朝日新聞社との共催案を打診していたのに対し、毎日側が正式に回答したものだ。

以前このブログでも書いたように、将棋名人戦は戦前に毎日が始め、それが朝日に移り、また毎日が奪い返すという因縁の歴史で、今回、また朝日が奪い返すかに見えたが、妥協案とも言える「共催」に向けて協議が始まることになった。

将棋のタイトル戦のうち、王位戦については、中日新聞・北海道新聞・西日本新聞の3社連合の共催であり、共催に例がないわけではない。ただ、お互い同じ土俵でしのぎを削る全国紙どうしの共催は、確かに初めてである。

しかし、よく考えて見ると、今回の名人戦移管騒動では、誰も損をした関係者はいないのではないかという気がする。
朝日は、過去はともかく、現在の名人戦について何の関わりもなかったのだから、共催とはいえ、主催者の一角を占めることになることに文句はないだろう。
毎日は、名人戦という棋戦の運営の落ち度があったというわけでもないので、いきなり契約を継続しないという将棋連盟のやり方にプライドを傷つけられたとは思うが、契約に基づく事前通告であり、将棋連盟が一方的に悪いとは言い切れないと思う。結果的に、ライバル朝日との共催になるが、一方の主催者として残り、3億円を上回る名人戦の契約金も、将棋連盟から引き上げを求められるだろうが、朝日と折半ということになると思うので、1社としての負担は減り、名を捨てて実を取ったとも考えられよう。
批判され続けた将棋連盟(の理事会)にとっては、全国紙の朝日と毎日の2紙が、名人戦やその予選であるA級順位戦をはじめとする順位戦を伝えてくれることになれば、将棋界で最も伝統のある名人戦の地位向上にもつながる。現在、将棋界最高のタイトルに位置づけられる竜王戦を主催する読売新聞も安閑とはしていられなくなるだろう。

あとは、2007年度の順位戦が始まるまでに、将棋ファンに「さすが朝日、さすが毎日」と言われる結論を出して欲しい。

*将棋に関する記事
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

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2006年9月19日 (火)

『図解!売れる色の法則』で知るヒット商品のカラー戦略

高坂美紀著『図解!売れる色の法則』(秀和システム発行)を読んでいる。カラーコンサルタントの高坂美紀女史が食品、薬、文具等ヒット商品45点につき、「色」の使い方という点から、解説した本である。

図解!売れる色の法則―思わず手に取ってしまう人気商品のカラー戦略

売れる商品の色使いにはどのような意味がこめられ、消費者はどこに反応して、その商品を手に取り買ってしまうのか。見開き2ページに商品が一つ取り上げられ、商品の写真と基本となる配色について解説されている。
いくつか例として見出しだけ並べると

法則01:「緑色」は「白」と「赤」と「黒」で強化するとロングヒットする(ハイネケンジャパン[ハイネケン330mlボトル])
法則15:「黄色」を入れると、手に取りやすくなる(ライオン[バファリン])
法則16:ピンクを多くすると、若々しくきれいになりたい人が買いやすくなる(花王[ブローネ シャイニングヘアカラー])

いつも身近で、目にする商品ばかりなので、なるほどと思わされることが多い。

私は、昔から「色」が人に与える印象や効果といったものに興味があって、服やインテリアのカラーコーディネートの本やカラーセラピーに関する本などを読んできた。
数年前には、東京商工会議所が主催する「カラーコーディネート検定」3級試験に合格したので「アシスタント・カラーコーディネーター」を名乗ってもよいことになっている(中途半端な勉強で1回目は不合格、2回目の挑戦でなんとか合格したのだが)。

そのような、「色」好きの私にとって、この本は興味が尽きない本である。先々週、一度、吉祥寺のパルコの地下の書店で見かけ、買おうかどうしようか悩んだあげく、その日は他にも沢山本を買ったこともあって買うのをやめて、他の書店で会社の帰りにでも買おうと思っていたら、書名もうろ覚えで、よその書店では上手く見つけられなかったので、昨日、長男を連れて吉祥寺に行った際に、再度、パルコに行って買ってきた。

このブログも、近いうちに秋バージョンの配色に変えたいと思っているが、その際にも参考にしたいと思っている。

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2006年9月17日 (日)

突然の腰痛

今日になって、腰痛に悩まされている。この3連休、昨日、おとといと家族と車で出かける事が多く、ずっと座っている時間が長かったせいだろうか、背中を伸ばすと腰のあたり痛みが走る。

体のトラブルで思い出すのは、肩の骨折の時に、見事に当時の自分の状態を言い当てていた『こころを癒すと、カラダが癒される』(チャック・スペザーノ&ジェニー・ティスハート著、伊藤由紀子訳、VOICE発行)である。

この本で、腰にトラブルのある時の精神状態を調べてみると、

[腰]Hips
 腰は胴体と下肢をつなぐ股関節を形成しています。腰の問題は変化への怖れを表しています。変化への欲求はあるのですが、その一方で、まだ変化への怖れも感じています。(中略)「および腰になる」「腰が引ける」「話の腰を折る」などと言います。
 右の腰に支障がある時は、キャリア面で何か変わるようもとめられています。左の腰であれば、人間関係で、変化を求められています。
(チャック・スペザーノ&ジェニー・ティスハート著『こころを癒すと、カラダが癒される』202ページ)

と書かれている。

今日痛んだのは、左右の区別なく腰全般についてなので、キャリア面なのか人間菅関係によるものなのか、よくわからないが、どちらも思い当たる節が無いわけでもなく、しばらく、注意しておく必要があるかも知れない。

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2006年9月16日 (土)

小さな旅「深大寺(調布市)探訪」

深大寺(じんだいじ)に行ってきた。我が家から車で40分ほど、JR中央線の三鷹恵駅を過ぎ、南に下る。調布市の一角に、武蔵野の面影を残す、深大寺と都立神代植物園がある。深大寺は、奈良時代に創建されたとのことで、都内では、浅草の浅草寺に次いで古いお寺とのことであった。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:「深大寺」の説明はこちら

お寺があって参拝者があれば、「門前市をなす」のは世の習いで、うっそう茂る木々の緑と小川のせせらぎにそって、蕎麦屋・団子屋などが軒を連ねていた。
寺や神社が持つ聖地としての独特の雰囲気と、何百年もの間、そこにそうして店が営まれてきたのであろうという時間に積み重ねの重みのようなものが、日々の喧噪から隔離された非日常の世界を感じさせてくれた。

そもそも、深大寺を訪ねようと思ったのは、門前の蕎麦屋の中に、我が家の長男と同じ名前の店があり、奇しくも蕎麦やそうめんが好きな小6の長男から、一度連れて行ってくれとせがまれていたのだ。私も、寺や神社を巡るのは嫌いではないので、双方の利害が一致し、小さな旅となったわけだ。お目当ての蕎麦屋は、昼時は待つ人で店の外まで行列ができるほどの繁盛ぶりで、20分ほど並んでようやく、私と妻、長男の3人の席が確保できた。私が注文した店の名前を冠した盛りそばは、通常の盛りそばよりそば粉が多いとのことで、こしがあり、なかなかの味だった。

東京にも、探せば、小さな非日常の世界を感じさせてくれる所は、他にもあるのであろう。そのような場所をさがしての、武蔵野の小さな旅も悪くないなと思った、深大寺探訪だった。

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2006年9月15日 (金)

二十四節気の「白露」

今週になって、東京では、これまでの残暑がうそののように、朝晩急に涼しくなった。

関東南部では、週初めの11日(月)の明け方、午前3時から4時頃、雷の音と光が激しかった。雷鳴の轟音で目が覚め、稲光で窓の外が昼のように明るくなった。寝不足で、1週間が始まった。

この1週間、気温はどう変化したのだろうと、改めて気象庁のホームページで調べてみると
東京の最高気温と最低気温は次のような変化をしていた。

9月  9日(土)最高31.9℃、最低24.8℃、平均27.1℃
9月10日(日)最高33.7℃、最低26.2℃、平均29.1℃
9月11日(月)最高28.9℃、最低23.4℃、平均26.0℃
9月12日(火)最高24.5℃、最低18.1℃、平均21.8℃
9月13日(水)最高19.4℃、最低17.9℃、平均18.7℃
9月14日(木)最高21.3℃、最低17.2℃、平均19.2℃
9月15日(金)最高24.5℃、最低19.1℃(22時現在)

10日(日)までは、真夏日、おまけに10日は熱帯夜。11日(月)まで、1日の平均気温も25℃を超えていたのが、12日(火)以降、一気に気温が下がったのがわかる。

突然の気候の変化に、体をならしていくのが大変だ。私も、先週までは、上着も着ずに、半袖ノーネクタイで出勤していたが、今週からは、まず上着を持つようにし、週の半ばからは長袖シャツに切り替えた。

季節を表現する言葉に「二十四節気」という表現がある。以前にも紹介した山下景子著『美しい暦のことば』(インデックス・コミュニケーションズ)には、こう説明されている。

 これは太陽の高さが最も低くなる「冬至」、反対に最も高くなる「夏至」、その間の「春分」、「秋分」。この四つ(二至二分)を基準として、一年を二十四等分したものです。
 二十四節気にはそれぞれに季節をあらわした名前がつけられました。一年を二十四等分したのですから、だいたい十五日おきになります。
(山下景子著『美しい暦の言葉』インデックス・コミュニケーションズ、2~3ページ)

さて、今の時期は、どう呼ばれるのかと調べて見ると9月8日ごろを「白露(はくろ)」というそうだ。

「白露」は草に降りる露が寒さで白く見えるようになるということです。
(山下景子著『美しい暦の言葉』インデックス・コミュニケーションズ、128ページ)

本来、二十四節気は旧暦に合わせて作られた言葉なので、新暦に当てはめると10月下旬ということのようだが、今週の急な気温の低下は「白露」と呼んでも、余り違和感を感じない気がしたので、書いてみた。ちなみに次の二十四節気は、大物「秋分」である。

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2006年9月13日 (水)

3度目の正直?今度こその減量宣言

このブログで、何回か減量宣言をしたものの、体重が減るどころか増える一方なのは、先日も書いたばかりだ。しかし、体重が増えて、健康にマイナスはあれ、プラスになることなどない。

先週の日曜日、小6の長男と一緒に、久しぶりに市のスポーツセンターのプールに泳ぎに行った時のことだ。
肩のリハビリと減量のため、今回も500m泳いだ。休憩時間にプールサイドに座り、柔軟体操と思い、中学・高校の陸上部時代からいつもやっているように、プールサイドに座り足を伸ばし、上体を倒して手を伸ばし、つま先を触ろうとしたが、その時、衝撃的な事実に直面した。お腹に溜まった脂肪の塊がじゃまをして、つま先まで手の指先が届かないのだ。未だ、かつて経験したことのない屈辱。これは、ただの中年太りでなないか。

月曜日の夜は、昔の上司と飲み会があり、更に体重は増加。71kgを突き抜け、72kgに届く勢いだ。このままでは、ピークの73kgどころか、ピークを更新し、75kg→80kgと増える一方である。身長170cmに足りない自分の体重80kgの姿など想像するだけでおぞましい。

減量できるかどうかは極めて簡単な算数だ。「摂取カロリー」-「消費カロリー」=プラスであれば体重増。マイナスであれば体重減である。現状、摂取カロリーを極端に調節することは、食べ物に対して以前より意志薄弱になっているので、全く期待できない。ならば、消費カロリーを増やすしかない。

日中デスクワークで、外出することも少ないので、あとは通勤で工夫するしかない。8月14日の首都圏大停電のあと、8月31日にも通勤に使っている地下鉄東西線が停電でストップし、いつも「日本橋」で降りるところを、電車が停車した2駅前の「竹橋」で降りて職場まで歩いた。その時、思ったほど時間がかからなかったこともあり、昨日、思い立って、帰り道「竹橋」まで歩いてみた。

職場から日本橋まで歩くと7分程度、日本橋-竹橋間が地下鉄で4分。計10分程度。職場から竹橋まで歩くと、地下鉄ルートよりのショートカットする形になることもあって、所用時間25分前後だ。15分余計に時間がかかる程度なら、大した負担にもならない。歩く経路には、日本橋三越、日本銀行、大手町のオフィス街と目先も変わり、気象庁が締めくくりだ。

今朝はその甲斐あってか、1kg近く体重が落ちていたので、いい気になって、今日も小雨の中、竹橋まで歩いた。さて、思惑通り、減量が進むかどうか。上手くいけば、節目節目で、このブログでも報告したい。もし、なしのつぶてであれば、次なる4度目の減量宣言が出たときに、思い出して大笑いしていただければと思う。

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2006年9月12日 (火)

香山リカ女史が語る「偶然の出会い」のとらえ方

香山リカ著『14歳の心理学』(中経の文庫、中経出版)を読んだ。サラリーマン向けのビジネス書などでなじみがある中経出版が文庫に進出し、最初に世に送り出した10冊のうちの1冊である。

14歳の心理学 (中経の文庫)

著者は、以前も書いた通り「我らの世代論~すべては努力と実力次第?」4月9日・記、自分と同じ1960年生まれということで親近感もあり、また精神医学の先生で、河合隼雄とは違った切り口で心(こころ)の問題を扱っているので、著作は何冊か読んでいる。
生意気にも読者として注文をつけるとすれば、個々の評論にはなかなか切れ味鋭いものがあるのに、1冊の本としてまとめられたものを読むと、「結局何を一番訴えたかたのかな~?」と論旨がハッキリしないような感じを受けることがあるのが残念だというところぐらいだ。

今回は、益田リミさんの4コママンガを要所要所にちりばめて、お父さん向けの「子(思春期の娘)育てハッピーアドバイス」を狙っているなと思われる作りだ。
内容は、『子育てハッピーアドバイス』ほど、ソフトな感じはなく、特に第4章の”「生きづらさととなりあわせで心を襲う”と第5章の”子の「現実感」をもっと深く知る」の2章は、若者を襲う離人症(生きている現実感を感じられない)ことから起きている自殺や事件を取り上げていて、ここまで来てしまったら救いようがあるのだろうかと暗澹たる気持ちになる。

暗澹たる気持ちになったお父さんへは、(おそらく、そこまでひどくなる前に)「娘を信じ、ひとりの人間として尊重する」「娘とうまくやりたければ、まず妻とコミュニケーションを(とること)」という処方箋が書かれている。

私が、一番なるほどと思ったのは、第3章で、「偶然の出会い」というものについて語った部分だ。10年くらい前の北欧でのフェリーの沈没事故の際、ある男女が「生きて帰れたら結婚しよう」と約束し、二人とも救出され、相手の消息を調べ、結婚に至った話を紹介した後で、次のように説明している。

偶然の出会いを経験しやすい体質って、たしかにあるのでしょう。
 では、どうすれば偶然出会いを起こしやすくなるのか。先ほどお話ししたフェリー事故の場合、後から研究者が分析したところによると、命が助かるかどうかの分かれ目は 「集中力」と「パニックの起こしにくさ」だったそうです。「船が座礁したぞ!」と聞いて、(中略)「座礁といっても沈没までにかなり時間があるぞ。その間になるべく逃げやすい出口を探して、救命胴衣を着けて…」と冷静に集中して考えることができた人は、命が助かった。「結婚しよう!」と叫び、その後、助かったふたりも、おそらく飛び抜けて集中力があり、すぐにパニックにならない冷静さをもっていたのでしょう。だからこそ、精神が研ぎ澄まされてた状態で、「この人こそ、生涯のパートナーだ!」と出会いまでキャッチすることもできたのです。
(中略)
 つまり、出会いは「あーあ、どこかにステキな出会い、ないかなぁ」と思っているうちは、なかなか訪れない。(中略)「なんとか沈没する船から助かりたい!」と(中略)強い決意を持ち、その目的のために集中して考えたり動いたりしていると、思わぬ出会いが飛び込んでくるものなのです。飛び込んでくるというよりは、精神の集中によってセンサーの感度が上がっているので、自分で「この人は大切だ!」と出会いがよくみえてくる、というほうが正確かもしれませんが。
(中略)
出会いは求めるものではなく、気づくもの。そして、そのために必要なのは、出会い以外の何かを求める集中力とエネルギーです。
(香山リカ著『14歳の心理学』中経の文庫、101~104ページ)

しばらく前に書いた「気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態」(8月24日・記)の中で取り上げた河合長官の「深い必然性をもったものほど、一見偶然に見える」との命題の答えを、香山リカ女史は教えてくれたような気がする。
あることに集中し、精神の感度が上がっている時は、普通なら見過ごしてしまう出会いに活性化された潜在意識が反応し、自分でも選択したという自覚がないうちに、人生における大きな選択をしているのだろう。そう考えると、納得がいく。

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2006年9月10日 (日)

『子育てハッピーアドバイス3』発売

先日、このブログで紹介した『子育てハッピーアドバイス』シリーズの第3巻『子育てハッピーアドバイス3』(明橋大二著、イラスト:太田知子、1万年堂出版)が、9月に入り発売された。昨日の夜、近くの書店で買ってきた。

子育てハッピーアドバイス3

第3巻では、引き続き子供の自己評価を高めることの重要性を強調するとともに、子供の自立心を育てることの大切さを説いている。
(子供は)「自分で悩んで、考え、成し遂げて初めて自信を持つようになります。子供が失敗したとき、否定的な見方で本人を、本人を追い詰めないことが大切というタイトルの章もある。

得てして、大人は自分の知識水準・判断基準と同じようなレベルで、子どもたちも考え、行動していると思いがちのような気がする。大人の感覚・目線から見れば許せないことでも、まだ未熟な子どもの感覚・目線で見れば、違った見方があるはずなのに、最近は大人の方に余裕がなくなっているので、それができなくなっている。

企業社会の中で、相手の人格を否定するような発言をする上司いても、それが仕事の上のことであれば、許される風土がある。そうやって、職場で否定され、自己肯定感をもてない親が、家庭で子どもの目線・感覚で、子どもと接触できなくなっていることもやむを得ない面がある。
最近は、セクシャル・ハラスメント(セクハラ)に次いで、パワー・ハラスメント(パワハラ)ということも言われるようになっており、職場での上司による度を超えた部下いじめは問題にされるような風潮も出てきた。

我々一人ひとりが自覚して、身の回りでできることをしていくことが、子どもを追い詰める社会を少しでもよくしていく近道ではないか、とも思っている。

*『子育てハッピーアドバイス』関連記事
9月4日:教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』
9月10日:『子育てハッピーアドバイス3』発売

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2006年9月 9日 (土)

森内俊之名人から見た羽生善治3冠

今日は、また将棋の話を少し。将棋の名人戦の主催を毎日新聞社から朝日新聞社に移すという騒動が持ち上がってから、再び将棋界のことを関心を持って見るようになった。将棋連盟の月刊誌『将棋世界』も9月号、10月号と買って読んでいる。(米長会長によれば、販売部数の低下に歯止めをかけるべく、編集部も意欲的な編集をしているようだ)

将棋盤と駒を持ち出して、棋譜を並べるほど熱心ではないが、毎月掲載されるタイトルホルダーのインタビューは、トップを極めた棋士たちの人間性を垣間見ることができて、面白い。9月号は、最近、タイトル戦の常連である佐藤康光棋聖(36)、そして直近の10月号は森内俊之名人(35)である。

森内名人のインタビューの中で、ライバルである羽生善治3冠(王位・王座・王将)(35)について語ったところがある。(森内と羽生は同い年、小学生名人戦でも戦っている)

「羽生さんは別格の存在ですね。将棋界の枠を超えているという意味でもそうですし、学んだことは数多いです。」

「子供のころは確かに対抗心がありましたけれど、途中から差が開きすぎて後ろ姿が見えなくなってしまいましたので、そういう気持ちはなくなりました。自分が一つ上のステップに上がったと思えたとき『彼はこうしてクリアしてきたのか』とすごさがわかる。棋士の中では一番尊敬しています。そういう感情を持つことは勝負師としては問題なのかも知れませんけれど…」

「羽生さんのすごいところは周りを引き上げてながら、自分も上がっていくところだと思います。勝負の世界では仲間がそのままの場所にいてくれれば自分が上がったとき差が開く分けで、勝ち負けだけを考えればその方が得になるわけですが、かれの場合はそう考えずにもっと大きな視点で見ています」
(日本将棋連盟発行『将棋世界』2006年10月号、18~19ページ)

同年齢で将棋界の一方の雄である森内名人から「周りを引き上げて、自分も上がっていく」と評される羽生3冠というのも偉大だ。かつて、羽生3冠が、将棋界のタイトル7つを全て手中に納めたことがあったが、その後、ライバルの成長もあって、まさに群雄割拠。

しかし、トップが周りを伸ばし、自分もその追い上げに脅威を感じつつも成長していく。追う者と追われる者が、しのぎを削りギリギリの勝負を繰り広げる。こんな前向きの回転をしている組織は、どんどん強くなると思う。

一方で、将棋というものが、厳しい勝負の世界でありつつも、以前書いたメディア・イベントの一つに過ぎないことをよく認識しているのが、将棋連盟会長になった米長邦雄永世棋聖だろう。人々に注目され、関心を持たれてこそ、成り立つ仕事・組織であることをわかっているはずだ。注目され、関心も持たれても、その重圧や好奇心に耐え、またそれにふさわしい内容を備えた後輩達だと信頼しているからこそ、いろいろな形で、話題作りをしているのではないかと思う。

これからも、毎月の『将棋世界』の購読者となって、将棋界の動きに注目していきたい。

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる

*上記記事を含め、このブログの将棋に関する記事の一覧はこちら→アーカイブ:将棋

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2006年9月 8日 (金)

90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

河合隼雄著『縦糸横糸』(新潮文庫)を読み終わる。1996年5月から2003年5月まで、月1回産経新聞大阪版に連載されたコラム72回分をまとめて本のしたもので、単行本は2003年7月に発行され、この9月に新潮文庫に加わった。

縦糸横糸 (新潮文庫)

その時々の世間での出来事をテーマに河合隼雄が持論を語っている。振り返って見れば、90年代後半からこの本がまとめられた2003年までは、日本経済の長引く不振で、日本社会全体が暗くすさんでいた時期でもあり、バブル崩壊後の失われた10年(15年)の社会史にもなっている。72話の多くが、小学生や中学生といった少年・少女が起こした事件をテーマにしている。

しかし、河合氏は常に、事件の背景にある真の原因を探ろうとする。それは、子供を暴発に追い詰める、家庭であり、社会であり、それらの構成員である大人一人ひとりである。大人自身が、自分十分見つめておらず、自分に自信がもてていない。信頼できる人間関係が築けない。家庭が、憩いの場とならない。それが、子供を追い詰めている。

そんな大人の姿を描いた一節がある。『「今、ここ」の自分への不満』とサブタイトルがついたコラムで、関西の私鉄で混雑時の社内での携帯電話の電源を切るように呼びかけ始めたことを取りあげたものだ。

いつどこから電波という風が吹いてくるかわからないのを、いつも待ち受けている姿勢で、何かにほんとうに集中できるはずがない。というよりは、何かに集中するのが怖いので、それを避けるために常に外からのはたらきかけを気にしている、というのが現代人の姿ではないだろうか。
 外からのはたらきかけを待つというと何かに心を配っているようだがさにあらず、ひとたび携帯のベルが鳴ると周囲を全く無視して話しはじめる。他人の迷惑などお構いなしである。そこには極端な自己中心性が認められる。
◆空しい枝の絡み合い
 常に外とのつながりを求め自己中心的である姿は、自己に深く沈潜することによって他とのつながりを見出してゆく姿とはまったくの対極をなしている。現代人の特徴としての人間関係の希薄さ、まずさは、その根本に自分の内面とのつながりの無さということにある。(中略)自分の内界と切れてしまっているので、何とかして外とのつながりによってそれを補償しようとするのである。
 このような姿は、たとえてみると、根から切れた沢山の木が、お互いに枝を絡み合わせることによって、やっと立っているのに似ている。辛うじて倒れずに居るが、やがてはかれてしまうことだろう。この空しい枝の絡み合いをネットワークなどと呼んでいるのである。
 (中略)携帯電話禁止週間などというものがあったりすると、もう少し人間が自分の内面もこめて、互いに向き合うことをするようになるだろう。
(河合隼雄著『縦糸横糸』新潮文庫、243~244ページ)

時々、こうしてブログを書いていると、妻から「ブログばかり書いて、私や子供たちのことはほったらかし」と怒られる。根のない木にはなっていないつもりだけれど、そう言われれば、ブログに向かう時間が増えた分、家族と向き合う時間は減っているかも知れない。うまくバランスを取ることを考えなくてはいけないと少々反省している。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 7日 (木)

『明恵 夢を生きる』を読み終わる

昨日、『明恵 夢を生きる』(河合隼雄著、講談社+α文庫)を読み終わった。明恵という僧侶の精神性の高さに驚嘆するばかりである。

明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)

私は、昔から歴史好きだったこともあって、大学受験の際の共通1次試験も、日本史・世界史という組み合わせで臨んだ。大学時代、社会人のなってからも、歴史関係の新書はずいぶん読んできた方だが、正直なところ、20年間積ん読になっていた京都松柏社版の『明恵 夢を生きる』でしか、「明恵」の名前を見ることはなかった。

試しに、高校時代に使った日本史教科書の定番である山川出版社の赤い表紙の「詳説日本史新版」開いてみる。「鎌倉新仏教の誕生」のサブタイトルで法然、親鸞、日蓮、一遍らが語れたあと最後に、次のように書かれている。

これにたいし、旧仏教諸宗は、いぜんとして大きな力をもっていたので、新仏教を弾圧して、自己の宗勢をまもろうとし、その反面では反省と改革をすすめた。法相宗の貞慶(解脱)、華厳宗の高弁(明恵)、律宗の叡尊らは戒律の尊重を説き、奈良仏教の復興に努力した。叡尊の弟子忍性(良観)は貧民救済・施療などの社会事業につくした。
(井上光貞・笠原一男・児玉幸多『詳説日本史新版』昭和53年、106~107ページ)

その後も、書店等で新しい山川の『詳説日本史』の教科書を見つけるたびに買いたして、他にも、1991年版、1999年版、2003年版が手元にあるが、旧仏教側が新仏教を弾圧したという記述がなくなっている程度で、明恵が奈良仏教(南都仏教)の復興に尽くしたということ以外は書かれていない。

しかし、現実の明恵は、自分の夢を丹念に記録して自分なりの解釈も加えている。年齢を加え経験が増すとともに、夢の内容が変化していく。最後は、自分の中に菩薩が入ってくるという夢を見る。一人の人間の生き方として見ると実に潔いし、年々成長し、その思想の深まりが、如実に夢に反映される様子は「すごい」というしかない。

おそらく、約20年の間、この本を開いても読み進めなかったのは、本の中から、明恵がおまえにはまだ早いと囁いていたのだろう。今の自分でも、十分読みこなせたとは思えないが、なんとか読み通すことができた。

機会があれば、戦前、広く日本人に読まれたと言われる『明恵上人伝記』にも挑戦してみたい。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 6日 (水)

昔減量できたのに、今痩せられない理由

このブログで、何回か、減量宣言をしているが、体重は全然減らない。むしろ、着実に増え続けている。5月頃は、68kg台だったと思うが、今や71kgラインを巡る攻防だ。一時、ピークの73kgから63kgまで、約1年で10kg減量したことが自慢だったが、札幌に単身赴任していた1年で+2kg、札幌から戻ってからの11ヵ月で+6kgと10kg減量のうちの8割リバウンドしてしまった。

何故、以前のように減量できないのか?減量できた頃に比べて意志薄弱になったとしか言いようがないのだが、では、なぜ意志薄弱になってしまったのか。

減量が進んでいた頃、会社の合併で職場環境が大きく変わり、自分も暗中模索だった。今までと違うのはわかっているし、自分自身も変わっていかなければいけないのだが、どうすればいいのか、なかなか見えてこない。

今思えば、とにかく今まで自分の中に澱(おり)のように溜まったものを吐き出していかなければ、どうしようもないと思っていたのだろう。吐き出して、自分の中に新しい空間を作り出さなければ、外から新しいものを受け入れ、吸収することもできない。潜在意識で、切実に感じていたからだろう。苦もなく、減量ができた。

今、全くダメなのは、仕事で、新しく学ぶことが多く、それがそれなりに面白いこともあって、吸収することばかりで、外に捨てるものがない。これからも、しばらくは学ばなければならない。減量に臨む自分を巡る環境の変化が影響して、減量どころか増量が一方的に進むのではないか、と考えている。

もちろん、決してそれに甘んじるつもりはなく、何とかして減量したいと思っているが、外部から多く吸収しなくてはいけない中で、減量を進めるのは、想像以上に苦労を要することなのかも知れない。

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2006年9月 5日 (火)

気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2

今朝の日本経済新聞に脳梗塞で倒れ入院中の河合隼雄文化庁長官の主治医が4日(昨日)、河合長官の容態につき発表したとの記事が出ていた。
「小康状態を保ち、生命の危機的状況はほぼ脱した」とのコメントの一方、依然として「意識は回復しておらず重篤な状態」とある。

昨日は、小坂憲次文部科学大臣が高松塚古墳の視察し、河合長官の家族に面会したこともあり、容態の発表があっったのかも知れない。

まだ、意識不明ということだ。この世とあの世との境で、さまよっているということだろうか。

河合長官の最近の本に『大人の友情』(朝日新聞社、2005年)がある。

大人の友情

その中に、白洲正子さんから聞いた話がのっている。

 白洲さんが晩年病気で瀕死の状態になられた。親族一同が危篤と思って見守る中で、白洲さんは「大丈夫、大丈夫」と言われたらしい。一同、変な気がしたが、幸いにも奇跡的に治って元気になった。
 その後、お会いしたら、「私、死にかけたのよ」と話をして下さった。ふと気がつくと自分は一人で山道を歩いていた。ところが、桜の花が満開で、それが散りはじめ、その花吹雪のなかを、これなら一人でゆける、というので「大丈夫、大丈夫」と言ったらしい。そのとき、このようにして一人でちゃんとあちらにゆけるのだから大丈夫という気があったようだ。このような話であった。
 この話に私は深く心を打たれたし、さすがに白洲さんらしいなと感じた。
(河合隼雄著『大人の友情』朝日新聞社、85~86ページ)

ぜひ、ここで語られている白洲正子さんのように意識を回復し、あの世の入り口の話でも、我々に笑い飛ばすように語ってほしいものだ。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 4日 (月)

教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』

高校3年生の長女が先週末『子育てハッピーアドバイス』『子育てハッピーアドバイス2』(いずれも、明橋大二著、イラスト太田知子、1万年堂出版)の2冊を学校の図書館から借りてきた。「おもしろそうだし、イラストが可愛かったから…」との長女の弁。

子育てハッピーアドバイス

子育てハッピーアドバイス 2

著者の明橋大二さんは、1959年生まれの精神科医で、スクールカウンセラーもやっている。子育てに悩む若い母親向けに、明橋先生の語りを太田さんの可愛いイラスト・マンガを交えて伝える。1冊1時間もあれば、読めてしまう。

しかし、内容は濃い。2冊を通じて、明橋先生が強調するのは、子供の自分に対する信頼感(自己評価)を高めること。幼い時に、親がしっかり子供の甘えを受け止め、話を良く聞いてあげて、子供の自己評価・自己肯定感が育ってこそ、「しつけ」も、「勉強」も身につくと説いている。親が何をやれば子供の自己評価が高まり、何をやれば自己評価を低めることになるのか、日常によくあるケースがいくつも取り上げられている。親がよかれと思ってやっていることが、逆効果というケースがなんと多いことか。自分でも、反省させられることが多かった。
また、子育ての責任が母親ひとりに集中しがちで、母親自身に余裕がなくなっているケースが多いので、父親や周りの人々が母親をサポートすることも重要と強調している。

折しも、我が家では、夏休み明けの妻が、中3の次女の成績が伸びない、小6の長男はちっとも言うことを聞かないということで、「自分の子育てが間違っていたのではないか?」と真剣に悩み始め、私が「そんなことはない」となだめても全く効果がなく「中年クライシス」状態だった。家族全員で、この2冊を読んで「これってウチでもあるよね」とみんなで納得している。妻も、自分が客観視できて、少しは楽になったのではないかと思う。

きちんとしつけなきゃならない、と思って、子育てが負担になり、イライラしていると思ったら、いったん、しつけなんて、もうヤ~タと放棄して、肩の荷を下ろして、深呼吸してください。

そのほうが、よほど子供の将来のためにいい、ということもあるのです。
(明橋大二著『子育てハッピーアドバイス』1万年堂出版、116ページ)

この本は、今子育てに悪戦苦闘する若い親とっては、子育てのバイブルになるだろう。すでに子供が大きくなった私のような中年世代の親にも、自分の子育てを振り返り見直し、やり残したことがあれば、今からでもできることは試した方が、より良い親子関係作れるかも知れないという点で必読書だと思う。

*『子育てハッピーアドバイス』関連記事
9月4日:教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』
9月10日:『子育てハッピーアドバイス3』発売

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2006年9月 3日 (日)

運転免許の更新

夏休みに続いた身の回りの雑用処理の締めくくりとして、運転免許証の更新に行ってきた。日曜日に更新が可能なのは、運転免許試験場だけ。自宅の場所から距離的に近いのは、府中試験場だと思うのだが、バスを乗り継いで行かねばならず、いつも通勤に使っている地下鉄東西線の沿線にある江東試験場に行った。

5年前は引っ越した直後で、変更後の住所確認のために必要な新住所に届いたハガキ等を忘れたため、せっかく朝早くから行ったのに出直すはめになり、ひどい目にあった。

今回は、住所変更もなく、更新通知と現在の免許証が必要書類。あとは更新手数料。試験場に着いたのは朝の9時頃だったが、もう長蛇の列だった。とりあえず、最初の列に並び更新通知と免許証を出して、申請書をもらう。
次に並んだ更新手数料の「証紙」を買うための列が一番長かった。
(手数料の領収を証明する領収書が「証紙」ということだと思うが、いつもこの仕組みはなんとかならないのかと思う。郵便局で買える印紙で代用できれば事前に準備ができるし、各官庁毎に別々に「証紙」が必要ということだとしても、自動販売機を置くといったこともできるのではないか?)
私はゴールド免許なので2800円の証紙を買い、視力検査を受ける。次が、免許証用の写真撮影。ここでも、また長蛇の列。

免許証の写真は、これから5年ついて回るので、できればきちんと写りたい。5年前は、水色のボタンダウンシャツを着ていったら、襟もとがだらしなく空き、着ている物の色も写真撮影の際の青い背景ににじんでしまい、何とも冴えない顔写真になってしまった。今回はその反省を踏まえて、紺色のポロシャツにした。

あとはお決まりの30分の安全講習を受ける。駐車禁止の規制強化の話が出て、使用者が駐車禁止の罰金を払わない場合、所有者や実質的な車の管理者に請求が行くという制度の変わったとの説明があった。
私の車も名義書換をせずにいて、駐車違反をしたら、所有者だったリース会社に請求が行くということだ。個人相手のカーリースや、自動車ローンの仕組みも変えていくことになるのだろう。

講習後、5分ほどまって、新免許証の交付。顔写真の方は、何となくいかつい顔に写っているが、まあ何とか許容範囲だった。

このブログを書くため警視庁のホームページを見たら、なんと運転免許証も偽造防止のため来年1月からはICカード化されるそうだ。技術進歩は確実の身の回りに浸透してきているということだ。(参考:警視庁ホームページ「ICカード免許証」

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2006年9月 1日 (金)

『明恵 夢を生きる』を読み始める

河合隼雄文化庁長官のその後の容態はどうなっているのだろうか?特に、新しいニュースもないようである。

私は、河合長官の著書は、かなり読んでいるが、このほぼ20年積ん読になったままの著書がある。『明恵 夢を生きる』(京都松柏社発行)である。奥書を見ると、1987年4月発行で、私の手元にあるのは、1987年7月第3刷である。ほぼそのタイミングで購入しているはずだ。それから、19年が過ぎ20年目に入る。それ以後、新刊で出た著書もずいぶん読んでいるが、なぜかこの本は何度か手に取るが、挫折してしまう。

鎌倉時代の高僧明恵(みょうえ)は、自らの夢を綴った『夢記』を生涯を通して記しており、それを河合隼雄氏が心理学者、夢分析者の立場から語るもので、非常に興味深いテーマなのだが、なぜか進まない。

どちらかと言えば心理学の専門書的な位置づけで出されたこの著書は、その後、広く読まれ、1995年には「講談社+α文庫」の河合作品の1冊に加えられている。思い切って、そちらを買って読むことにした。文庫版のまえがきには、「文庫版出版にあたりふりがなをふやすことになり、…」とある。単行本の方を、なかなか読み進めなかったのは、ふりがなが少なくページ全体から堅い印象を感じていたからかも知れない。今度こそは、読み終わろう。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年8月31日 (木)

停電と地震

先日、東京では大停電があったばかりだが、今日また、通勤途中で停電に遭遇した。地下鉄で職場の最寄り駅まであと2駅というところで、停電で停車とのアナウンス。時計を見ると8時10分。待っていても、いつ動き出すかわからないので、その駅でおり、まだ暑さの残る夏の朝、残りの距離を職場まで歩いた。25分ほど歩き、今回は始業5分前に着いた。

やれやれと思っていると、夕方になって今度は地震。最初、ゆらゆらと来て、次にグラッと来た。東京は震度3とのことらしい。

明日9月1日は、防災の日。1923(大正12)年には関東大震災が起きている。大震災など二度と起きて欲しくないが、まさかの時に備えて、一度、休日を使って、職場から自宅まで歩いてどれくらいかかるのか、シミュレーションをしておく必要があるかも知れない。

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2006年8月29日 (火)

yahoo!検索の威力

24日(木)に河合隼雄文化庁長官が脳梗塞で入院したことについて「気がかりが河合隼雄文化庁長官の容態」とのタイトルで記事を書いた。ココログのアクセス解析を見るとこの記事が、当日(24日)は5件、25日(金)が56件、26日(土)が37件、27日(日)が84件、昨日(28日)が122件、今日(29日)が117件と、1日100件余のアクセスが通常の当ブログにしては、群を抜いてアクセスが多くなっている。

全国にいかに河合長官のファンが多く、多くの人がその容態を気にしているものの、なかなかこれといった情報がないということが背景にあると思う。

もう一つの理由はヤフーである。記事を見に来てくれた人のアクセス経路を見ると、圧倒的にヤフー経由が多い。ヤフーで「河合隼雄、容態」とキーワードを入れて検索すると、私の24日の記事がトップページの3番目に表示される(昨日、おとといは2番目だった)。

あるSEOの本には、日本では、検索エンジンの利用率はヤフー・サーチが66%、グーグル30%という数字が出ていた。米国では、ヤフーをしのぐグーグルも、日本ではこれからということらしい。(参考:鈴木将司著『ヤフー!・グーグルSEO対策テクニック』翔泳社

これまで、私のブログの記事は、ヤフーでトップページに取り上げられることなどなく、検索の結果によるアクセスもグーグルが中心だった。今回は、ヤフーのシェアの威力を実感した次第である。(正直なところ、なぜヤフーで2番目や3番目に表示されるのか、理由はよくわからない)

昨日からグーグルでも「河合隼雄、容態」と入力して検索すると、24日の記事がトップページの1位で表示されるようになった。それでも、アクセスはヤフーの方が、依然として上回っている。

河合長官の入院が続いているであろう中で、こんな記事も不謹慎だったかもしれないが、それだけ、短期間の間にすでに400件以上のアクセスがあるということは、はじめに書いたように、河合長官の容態を気にしている人がそれだけ多いということであろう。改めて、回復をお祈り申し上げたい。

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2006年8月28日 (月)

PageRank表示の設置

先日のアクセスカウンター設置にあわせ、グーグルが行っているウェブサイトのランク付けである「PageRank」表示ができるブログパーツを貼り付けてみた。

今のところ、10段階評価の4(10が最高評価で、最低は0)。個人のサイトとしては、「まあまあ」というところだろうか。

以前の記事で、グーグルの評価の仕組みを簡単に書いたことがあるが、
(1)なるべく多くのサイトからリンクされていること
(2)特にPageRankの高いサイトからリンクされていること

がPageRank評価の基準と言われている。
多くのサイトからリンクされるということは、それだけ多くのサイトから役に立つ、ためになると評価されているという考え方で、上記のような評価体系になっている。

グーグルで検索した際の検索結果は、検索した用語の一致度合いとこのPageRank評価によって決まると言われている。営業目的でホームページやブログをやっている企業や個人向けに、どうやればPageRankが上がり、検索ページでより上位に表示されるかを指南するSEO(Search Engine Optimization、検索エンジン最適化)というサービスもあるほどだ。

Yahoo!のカテゴリに登録されると(YahooのPageRankが高いので)、登録されたサイトのPageRank評価にもプラス効果があるとのことで、申し込んでみた。1~3週間で、結果が出るそうだ。果たして、登録してもらえるものかどうか。

最後は、このブログの内容次第なので、地道に書き続けていきたい。

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2006年8月27日 (日)

米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』

先週になるが、日本将棋連盟の米長邦雄会長が書いた『不運のすすめ』(角川書店、角川oneテーマ21)を読んだ。これも、1ヵ月ほど前から、読もうと思って「積ん読」になっていたものだ。

不運のすすめ (角川oneテーマ21)

以前も書いたように、私は30年来の米長ファンである。中学時代、私が将棋を勉強していた頃、米長八段は新進気鋭のA級棋士として、タイトル戦に登場し始め、1973(昭和48)年には初タイトル「棋聖」(産経新聞社主催)を獲得した。私は、彼の解説本(『将棋中級入門』というタイトルだった)で、将棋の定跡を学んだ。
その後、1978(昭和53)年に「棋王」(共同通信社主催)、1979(昭和54)年に「王位」(中日新聞社・北海道新聞社・西日本新聞社の3社連合主催)のタイトル取り、九段に昇進。40代を目前にした1982(昭和57)年、自らの半生と勝負哲学を書いた『人間における勝負の研究』(祥伝社NONBOOK)を出版した。この本は、当時ベストセラーになり、私の蔵書の奥書を見ると、「昭和57年6月1日初版第1刷発行、昭和57年7月30日第8刷発行」となっている。わずか2ヵ月で8回の増刷である。大学4年だった私は、この本を何度も繰り返して読み、「相手の一生がかかったような勝負には、自分の昇級・昇格などが関係なくても、真剣に懸命に戦う」という「さわやか流」とも呼ばれる勝負哲学に心酔していた。
米長九段は、その勝負哲学を実践し、1984(昭和59)年には、十段・棋聖・棋王・王将の4タイトルの保持者となり、4冠王として80年代前半の将棋界をリードする存在となった。年齢にして40~42歳ぐらいである。
80年代後半になると全てのタイトルを失うが、1989(平成元)年には再び「王将」のタイトルを奪取。翌年自宅に米長道場を開き、当時の若手棋士から新戦法や新感覚を吸収し、、1993(平成4)年には、49歳11ヵ月で念願の「名人」位タイトルを獲得、マスコミでも話題になった。

この本に何を見いだすかは、人それぞれだれだろう。40代以降、四冠王の絶頂から転落したあとの40代半ばでの「米長版中年クライシス」をどう乗り越え、再びタイトルを取り「名人」にまで登り詰めたかは、読みどころの一つである。
しかし、私にとって一番、印象に残ったのは、将棋界で「名人位」も極め「功なり名を遂げた」身でありながら、「60歳からが本当の人生だ」と書いているところである。

●定年後は余生ではない
 私はかねが、60歳を過ぎてからの生き方が非常に大事だと思っていた。
 世の中では、「60歳からの余生をいかにして楽しむか」などと言われるが、そんなバカなことはない。60を過ぎてからの人生は「余りの人生」などではなく、むしろそこからが本物の人生なのである。それまでは、人生修行の時期でしかない。
 私自身は、60歳まで将棋を通して修行してきた。(中略)そして60歳で現役を引退し、本当の人生を歩み始めたわけである。
 サラリーマンであれば、入社してから定年までが、人生修行であり、その先に本物の人生がある。定年退職ですべてが終わったと錯覚している人は、私に言わせれば、本当の人生を生きることを自ら放棄してしまっていることになる。
(米長邦雄著『不運のすすめ』角川oneテーマ21、165ページ)

こう宣言する米長邦雄氏は、現役引退後の2005年、日本将棋連盟会長となり、赤字に悩む組織としての将棋連盟の長として組織改革に乗り出すともに、連盟の収支不振の遠因である将棋人口の減少に歯止めをかけ、将棋の普及のために動き出した。
最強のアマチュア棋士瀬川さんのプロ入りを認めたことも一つだし、今回の名人戦の主催を巡る騒動もそのひとつである。

現在の将棋界の第一線には、1970年生まれの羽生善治(王位・王座・王将)、森内俊之(名人・棋王)、1969年生まれの佐藤康光(棋聖)という30代半ばのタイトル保持者が名を連ね、さらに次を狙う1984年生まれの渡辺明(竜王)、1962年生まれで健在ぶりを示す元名人谷川浩司九段と多士済々で、かつての「大山-升田」対決、「中原-米長」対決に匹敵するドラマがそのひとつひとつにあるように思う。
それを、赤裸々に世間のアピールしていくだけで、まだまだ関心を呼ぶと思うし、人気も回復していくと思う。

米長会長を応援しているし、その手腕に期待している。「ガンバレ!米長会長」

*将棋に関する記事
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

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2006年8月24日 (木)

気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態

先週、8月17日(木)に河合隼雄文化庁長官が、奈良の自宅で脳梗塞で倒れたとのニュースが流れた。肺炎を併発し、重体。翌日には、小康状態との報道が続いたが、その後は、何も伝えられず、気がかりだ。

私は高校生の頃から心理学に興味があり、ずいぶん本も読んだが、一番多かったのは、河合長官の著作である。軽妙な語り口で、読むものを惹きつけてやまない。
河合氏は最初から心理学者を志していたわけではなく、京大の数学科を出て一時は高校の数学の教師をしている。その後、京大大学院で心理学を学び、米国留学の後、スイスのユング研究所で学んでいる。日本に戻り、京大で教鞭をとるかたわら、心理療法家として臨床治療も行い、その経験が著作の中にも反映されている。

私が、好きな本は何冊かあるが、特に、印象に残っているものに、『大人になることのむずかしさ』(河合隼雄著、岩波書店、1983年、1996年に新装版として再版)という著書がある。

大人になることのむずかしさ―青年期の問題 (子どもと教育)

これは、岩波の”子どもと教育を考える”というシリーズの1冊として出版された。教育書として出されたせいもあり、その後も、文庫化されたこともない地味な本であるが、私にはいつも読み返す一節がある。「職業の選択」という見出しの付いた一節である。

職業の選択や配偶者の選択においては、思いがけない偶然性が伴う時がある。職業や配偶者は、その人にとっての人生の一大事であるのに、偶然によって決めるなど、まったく馬鹿げているように思われるが、実際はその結果が上々であることも少なくないのである。(中略)
このことは、人生の不思議さといってしまえばそれまでだが、職業や配偶者の選択のような、あまりに重大なことになると、人間の意志や思考のみに頼っていては、あまりよい結果をもたらさないことを示しているのかも知れない。(中略)
深い必然性をもったものほど、人間の目には一見偶然に見えるといってもよく、そのような偶然を生かしてゆく心の余裕をもつことが、職業選択の場合にも必要であろう。もっとも、偶然を生かすことと、偶然に振り回されることは似て非なるものであることは、いうまでもないことである。一所懸命に行為してゆくにしろ、どこかに偶然がはいりこんでくるゆとりを残しておくことは、大人であるための条件のひとつといっていいだろう。
(河合隼雄著『大人になることのむずかしさ』岩波書店、168~169ページ)

「深い必然性をもったものほど、一見偶然に見える」との考えは、いつも、私の頭のどこかにある。いつも、「ただいま現在、こうしてあることの偶然を、どうやって次に生かしていけるだろうか?」と考えてきたように思う。
サラリーマンの仕事は、異動という自分の意志では、どうにもならないものによって左右される。新たな職場で、どんな仕事をし、社内外で誰と巡りあうかも、偶然の産物であろう。しかし、これまで、偶然に振り回されずに、なんとかやってこられたのは、この一節のおかげである。

河合長官には、なんとか回復してもらい、再び、現代の日本人に語りかけてほしい。 

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年8月23日 (水)

アクセスカウンター設置

今日から、このブログにもアクセスカウンターを設置してみた。ココログのアクセス解析サービスのレベルアップによって、昨日(22日)から標準装備のサービスになったようだ。

2月下旬にこの「栄枯盛衰・前途洋洋」のブログを始めて、もうすぐ半年。おかげさまで、のべのアクセス件数は、気がつくと1万件を超えていた。逆算すると、1万件到達は、先週17日(木)だったようだ。

アクセス解析のレベルアップで、どの記事にアクセスが多いかも、以前よりハッキリわかるようになった。記事別のアクセス件数がわかるのは、ココログ側の事情で5月18日から。

それ以降の、まんべんなくアクセスされているのは、『下流社会』(三浦展著)関連の記事、「Shall we ダンス?」関連の記事などだ。ゲド戦記の映画の公開後は、ゲド戦記関連の記事をよくアクセスしてもらっている。
また、一時的に多かったのは、ニフティの社長のブログにトラックバックしたココログのメンテ関係の記事、この数日は高校野球の決勝戦についての記事へのアクセスが多い。

以前、ココログのメンテ関係の記事のような特殊要因抜きで1日100アクセスを目標と書いたが、最近は、1日100アクセスを超える日も多くなってきた。これが、維持できるように、読んでもらえる記事を、これからも書いていきたい。当面の目標は、来年2月の1周年である。

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2006年8月22日 (火)

車の名義変更手続き完了までの顛末

しばらく前から、いろいろと準備を進めてきた、車の名義変更・住所変更手続きに行ってきた。

エンジントラブルで修理に出していた車は、おととい20日(日)に修理完了。やはり、エンジンに雨水が溜まっていたらしい。パッキングを交換し、水が入らないようにして、さらに、水をエンジンの上まで運ぶ役目を果たしていたワイパーを動かすワイヤーを交換した。もう、「エンジンに水は入らないはず」とディラーの人からは言われた。

車が戻ってきたので、昨日、出勤した際に上司に、今日、休むことの了解を取って、ようやく準備が整った。

すでにインターネットの乗用車の名義変更について説明したサイトで、必要種類なども確認し、手続きを行う立川駅に近い多摩自動車検査事務所の場所も確認済み。今朝、出発前にもう一度、書類を確認した。調べたサイトでは、必要書類に自賠責保険の証明書と書かれてあった。車検証と一緒に保管していると思っていたので、確認もしていなかった。しかし、いざ探すと見つからない。困った。

まず、自動車保険の取り次ぎをしている会社の系列の保険代理店に電話をして聞いてみる。「車検の時に、自賠責を付保していなければ、車検に通らないので、付けていないはずはない。証明書がなければ、再発行してもらうしかない。ただ、名義変更に自賠責証明書は必要ないはずだ」との趣旨のことを言われる。

次に、1年半前、北海道で車を車検に出した新日本石油のスタンドに電話をして、念のため渡し忘れではないか確認してもらう。車検証を渡す前に、別途、車検費用の明細と自賠責の証明書を、緑色のファイルに挟んで渡しているはずだと言われる。(そう言えば、少し厚紙の紙ファイルをもらった気がするが、もう捨てたかもしれない。)

今日、手続ができなければ、会社を休んだ意味がない。一応、自動車検査事務所のヘルプデスクにも電話をする。録音したメッセージが流れる。名義変更の必要書類に、自賠責の証明書は入っていない。オペレーターに個別相談できるというので、そちらにつながるように番号を押す。女性のオペレーターが出てきて応対してくれる。「名義変更に自賠責の証明書は必要ありません。」

ならば、「自賠責の証明書は再発行してもらうことにして、とにかく今日は名義変更を終わらせるしかない」と、自動車検査事務所に向かうことにした。車を家の駐車スペースから出す前に、「ひょっとしたら?」と助手席の後ろ側にある、地図など入れているポケットを確認すると、一番下に、新日本石油の「Dr.drive」の緑色の紙ファイルがあった。ファイルを開くと、自賠責の証明書も、そこに収まっていた。

自作自演の大騒ぎで、9時半までには家を出るつもりが、もう11時近い。検査事務所のある立川までは、車で小1時間かかるはずなので、午前の受付時間の11時45分には、間に合わないかもしれないが、仕方ない。とにかく、行くだけ行って、申請書類だけでも入手して、昼休みに書類を仕上げ、午後1時一番で受け付けてもらおうと家を出た。

検査事務所に着いたのは、11時50分頃。お役所仕事だろうと期待していなかったが、申請書の交付と手数料支払の窓口では受け付けてくれて、申請書の用紙をくれ、隣の建物で申請書を記入して提出するように言われる。隣の建物が、実際の名義変更・住所変更の事務を行う所のようだ。

ここでも、とりあえず、名義変更として書類に書くのか、住所変更で書くのかだけでも教えてもらおうと、嫌な顔をされるのを覚悟で、窓口に行くと、私の前の人を手際よく教えていた中年の女性が、そのまま、親切に書類の書き方を教えてくれて、12時5分前くらいに受け付けが終わってしまった。「隣の窓口の前で待っていてください」と言われ、待っているとすぐと呼ばれて、車検証と何枚か書類を渡され、もう一つの建物にある税務事務所に行くように言われる。この時、既に12時直前。

国土交通省の管轄から今度は財務省(あとからよく考えると東京都が正しい)かと思いつつ、おっかなビックリで、次の建物に入る。受付の若い女性に書類を出すと、数ヵ所、自分の住所・名前と前の持ち主のリース会社の住所・名前を書くように言われ、その通りすると、車から古いナンバープレートを外して、最初に申請書をもらった建物に書類と一緒に出すように言われた。もうすでに12時を回っている。

車に戻り、後ろからナンバープレートを外す。後ろは、左側が金属のキャップで封印してあるので、封印を外すのに時間がかかる。外したナンバープレート2枚と、新しい車検証などの書類を最初の建物のナンバープレートの受付に持っていき、プレート代と一緒に出すとすぐに新しいナンバープレートを渡された。「ナンバープレートの取り付けが終わったら、担当者が封印に行きますので、わかるようにボンネットを開けて待っていて下さい。」と言われ、今度は、新しいナンバープレートをドライバーで取り付ける。付け終わった頃、おもむろに、中年の男性担当者が近寄ってきて、ボンネットを開けて、車体番号を確認し、後ろに回り、ナンバープレートが付け方が緩くないか確認した上で、左のネジの上に封印の「東」(東京の意味だろう)キャップをすると、何も言わずに車から離れていった。

てっきり、次の指示があると構えていた私は、「これで終わりですか?」と歩き去る担当者に声をかけると「全て完了です。」との答えが返ってきた。何やら、拍子抜けである。時計を見ると12時半を少し回ったところ。1時からの受付のつもりで覚悟していただけに、意外だった。

おそらく、構内の案内表示板やホームページ等には午前の受付は11時45分までと書いてはいるものの、実際の運用では12時までは受付けてくれ、いったん受付けたものは、途中で昼休みになっても最後まで、作業してくれることになっているのだろう。

もう一つ、いい意味であてが外れたことがあった。自動車税である。自動車税は、都道府県税で、登録をした富山県にずっと払っており、今年も、もう支払っている。従来は、年度途中で、住所が変更になると、月割りで返納、新しい自治体に残りを納めるという手続きがあったようだが、今年(2006年)4月からその制度が廃止になったと、ホームページ等には書かれていた。私は、てっきり、その結果、住所変更した年は、前の住所と現住所の自治体の両方に2重で払うことになるのだと思っていたので、封印の後に自動車税を払うと思っていたのだ。

必要書類の準備はけっこう大変で、今朝は今朝で大騒ぎをしたが、名義変更そのものは、1時間もかからずに終わってしまった。経験者からは半日くらい覚悟した方がいいとも言われていたこともあって、なんだか得した気分で、多摩自動車検査事務所を後にした。

家に帰って、車の所有者だったリース会社に名義変更を終えた新しい車検証をファックスで送り、永年の先送りのツケをようやく払い終えた。
前のナンバーとともに暮らした6年半、思えば、それは、以前紹介した『ライフサイクルの心理学』でいう”人生半ばの過渡期”とほぼ重なる。新しいナンバープレートとともに、新しいライフステージを始めたいと思っている。

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2006年8月21日 (月)

早稲田実業の優勝と王監督

夏の高校野球、決勝の再試合は、4対3で、早稲田実業が3連覇を狙った駒大苫小牧を破り、初優勝を勝ち取った。(朝日新聞のニュースはこちら
4対1とリードされていた駒大苫小牧が、最終の9回表に2ランホームランで1点差まで追い上げ、「もしや」と思わせたところは、さすがである。そして、駒大苫小牧の最終打者が、エースで主将の田中。決勝2試合、計24イニングの死闘の締めくくりが、早稲田実業・斎藤、駒大苫小牧田中の対決で、最後は、斎藤が渾身の1球で、ライバル田中を空振り3振にうちとりゲームセット。最後まで、絵になる試合だった。
(新聞社にとっても、TV局にとっても、ドラマのあるメディア・イベントなったといえるだろう。)

今年は、春の王ジャパンのWBC優勝といい、野球の当たり年かもしれない。また、それは、王貞治の1年なのかもしれない。早実の斎藤投手はインタビューで「王先輩や荒木(大輔)先輩もできなかった、夏の大会の優勝ができてうれしい」と言い、一方、病床の王監督は、昨日こそ「球史に残るいい試合。両校ともお見事」と両校の健闘を讃えるコメントを出したが、今日は「斎藤投手の熱投の一言に尽きる」と後輩の力投を讃えていた。

あとは、プロ野球。セ・リーグは、中日の独走で面白みはないが、パ・リーグは、西武とソフトバンクの首位攻防が続く。2年連続してペナントレースで1位に輝きながら、プレーオフで勝ち上がってきたチームに敗れた王・ホークス、今年は、雪辱を果たせるだろうか。ソフトバンク・ホークスがパ・リーグで雪辱し、日本シリーズも制することのなれば、まさに「王貞治の1年」になる。これからは、パ・リーグ、ソフトバンク・ホークスの戦いぶりから目が離せない。

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2006年8月20日 (日)

駒大苫小牧対早稲田実業、譲らず再試合

今日は、夏の高校野球決勝。3連覇を狙う北海道の駒大苫小牧と初優勝を目指す早稲田実業。結局、1対1のまま、延長15回で決まらず、引き分け再試合となった。

決勝での引き分け再試合は、37年振りというから、1969(昭和44)年夏の松山商業(愛媛)対三沢(青森)以来のことだ。当時、小学生だった私は、夢中になって高校野球のTV中継を見ていた。この時、決勝で敗れた三沢のエース太田幸司は、甘いマスクもあって、一躍、日本中の人気者になった。

駒大苫小牧は、3連覇の偉業目前。それも、昨年の夏は優勝のあと、野球部長の暴力沙汰が表面化し、高野連は優勝を取り消すべきではないかという議論もあったように記憶しているし、地元では、優勝パレードが取りやめになったはずだ。さらに、また、春の選抜大会では卒業直後の野球部員が飲酒・喫煙で補導され、決定していた出場を辞退している。それでも、南北海道予選を勝ち抜き、今回の本大会でも、準々決勝まではいずれも逆転勝ち、準決勝の智辯和歌山戦も勝ち、3年連続で決勝に駒を進めた。決まっていた選抜大会の出場辞退となった時点で、選手のモチベーションは大きく低下し、本大会の出場もおぼつかないと思うのだが、選手を再び奮い立たせた指導者達の力も相当だろうと思う。

一方、早稲田実業には、手術をしたソフトバンクの王貞治監督のOBとしての応援(生徒たちにも優勝で王監督を励ましたいという気持ち)という、ふだんにはない特別な精神的な支えがあり、それが選手を一層奮い立たせているようにも見える。

どちらが勝っても、昨日の記事に書いたメディア・イベントとしては、記事の材料に事欠かないドラマに満ちている。

不祥事にもめげずに3連覇を成し遂げる駒大苫小牧か、王先輩を励ますための夏の初優勝を勝ち取る早実か、観客である我々がよりどちらのドラマを見たいと思うか、観客のオーラがより強い方が、明日の優勝を勝ち取るような気がする。

個人的には、おそらく今後当分達成されることはないであろう3連覇を見てみたい気がするけれど…。

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2006年8月19日 (土)

ヨロンとセロン

積ん読になっていた『メディア社会』(佐藤卓己著、岩波新書)を読んだ。

メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

著者は1960年生まれで、メディア史・大衆文化論を教える京大の大学院の助教授だ。サブタイトルに「現代を読み解く視点」とあり、帯には「<歴史>から問うニュースの読み方、50のテーマで考える実践的メディア論!」とある。自分と同じ1960年生まれということと、これまでの歴史をふまえた新聞、テレビ、各種ネットビジネス等のメディアのあり方の議論がおもしろそうで、購入した。

第1話が”「メディア」は広告媒体である”という当たり前であるが、ふだん、意識することが少なくなっているメディアの本質論から始まり、第14話の”メディア・イベントの誕生”では、夏の全国高校野球大会について

そもそも、全国高等学校野球大会(戦前の正式名称は全国中等学校優勝野球大会)は、第一次大戦中の1915年、大阪朝日新聞社主催で開始された。(中略)
今では伝統ある夏の風物詩だが、そもそもは新聞社が夏休みの「記事枯れ」に対応して紙面を維持するために企画されたメディア・イベントである。自ら主催し、観客を動員し、取材し、それを批評する。関連記事はいくらでも量産することができる。甲子園大会はそうしたニュース製造機であった。(佐藤卓己著『メディア社会』岩波新書、63~64ページ)

と、原点を辿る議論がされていて興味深い。我々が、目にし、耳にするニュースも、本来、広告媒体であるメディアによって時には作られ、取捨選択された結果のものであるということだろう。しかし、そのメディアが、それを読み、見る人に大きな影響を与える。時として、人々が欲するであろうものを、先回りして用意し、世の中の流れを作っていく。

この本で、最も興味深かったのは、第25話の”憲法をめぐる「ヨロン」と「セロン」”の中で取り上げられている、ヨロンとセロンの違いである。漢字で書けば、どちらも「世論」であり、恥ずかしながら、この年(現在45歳)になるまで、「世論」と書いて、なぜ、「ヨロン」と読んだり「セロン」と読んだりするのか、その違いについて深く考えたことはなかった。本書によれば、「ヨロン」は正しくは「輿論」と書き、「セロン」は「世論」と書く。

今日ではほとんど忘却されているが、輿論(よろん)と世論(せろん)は戦前までは別の言葉だった。輿論とは「五箇条の御誓文」(1868年)の「広く会議を興し、万機公論に決すべし」にも連なる尊重すべき公論であり、世論とは「軍人勅諭(1882年)の「世論に惑わず、政治に拘わらず」にある通りその暴走を阻止すべき私情であった。戦後、当用漢字公布によって「輿」の字が新聞で使えなくなったため、苦肉に策として「世論」と書いて「ヨロン」と読む慣行が生まれた。『「毎日」の三世紀 別巻』(2002年)は、次のように説明している。

「世論を「よろん」と読むようになったのは、戦後民主主義が背景にある。従来、「世論」は戦時中、「世論(せろん)に惑わず」などと流言飛語か俗論のような言葉とし使われていた。これに対して、「輿論」は「輿論に基づく民主政治」など建設的なニュアンスがあった。」
(佐藤卓己著『メディア社会』岩波新書、119ページ)

「毎日の三世紀 別巻」の説明は、戦後民主主義の下、民衆の言葉「世論」が「輿論(ヨロン)」の意味をも吸収し、見識を備えた公論を成すようになったと読める。しかし、「輿論」という漢字が当用漢字から消え使われなくなって60余年、「世論」は戦前の流言飛語・俗論に逆戻りし、「輿論(よろん)」という言葉は、その概念さえ忘れられている。

メディア・イベントに惑わされず、自分の頭で考えることを、一人一人が心がけないと、「世論(せろん)に惑わされる」時代が続く事になるだろう。せめて、自分の子供にだけは、そのことをキチンと教えたいと思う。

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2006年8月18日 (金)

「しなやか×しぶとさ=したたか」

今日のタイトル「しなやか×しぶとさ=したたか」というフレーズは、岩波ジュニア新書の『働くって何だ 30のアドバイス 』(森清著)の冒頭にある作者の言葉だ。

若い人たちには、どのような時代にあっても細い竹のようにしなやかに、踏みつけられても頭をもたげる雑草のようにしぶとく働き、生きていってほしい。私は、普通に暮らす生活者として「しなやか×しぶとさ=したたか」であることをひとつの大切な生き方とひそかに考えている。(『働くって何だ』より)

6月末から7月初めにかけて、以前紹介した『光武帝』など10冊近いの本をまとめて買って積ん読になっていたものを、順次、読んでいる。この本も、その時、冒頭にこのフレーズを読んで、即、買ったような気がする。

本の内容は、すでに70歳を超える著者が、中学・高校生向けに、働くことの意味や、働き方を自分の経験を交えた30の話で説明するもので、中学・高校に通う2人の娘に読ませたい内容だ。

「したたか」という言葉は、私もひそかに自分の生活の信条にしてきた。ブログのタイトルの一つに栄枯盛衰を持ってきたように、長い人生「いいこと」づくめという訳にはいかない。どこかで、必ず失敗やつまづきがある。でも、それにおめおめと負けたくはない。転んでもただでは起きるものか、必ず何か自分にプラスになるものをつかんで、起き上がろうと思ってきた。それをひと言でいえば、「したたか」という言葉だった。

一方、妻は、「不幸は弱いところを狙ってやって来る。だから、うまく行かない、調子が悪いといって弱気になっていると、ますます不幸の神様に狙われて、不幸が続くことになるから、そんな時こそ、元気を出さなくてはいけない」という意味のことをよく口にする。これなど、「しぶとさ」の典型のような気がする。

「しなやかさ」とはあまり縁がない気がするが、なんとか「しぶとさ」と「したたかさ」をモットーに3人の子供の子育てに、悪戦苦闘している毎日である。

働くって何だ―30のアドバイス (岩波ジュニア新書)

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2006年8月16日 (水)

「北軽井沢」についての追記

先週、「北軽井沢」の地名の由来について書いた(*)が、今日、職場の同僚と話していたら、すでに廃線になった草軽電鉄(草津~軽井沢間を結ぶ鉄道)に「北軽井沢」という駅があったというので、さっそく調べてみた。(*8月8日記事:軽井沢と北軽井沢

草軽電鉄は、大正元(1912)年10月に、草津軽便鉄道として設立。大正4(1915)年に、新軽井沢~小瀬温泉間が開業。大正15(1926)年8月には、草津温泉駅までの全線が開通している。北軽井沢駅は、大正7(1918)年6月に「地蔵川」駅として開業、全線開通の翌年(1927年)に「北軽井沢」駅と改称されている。東急グループの傘下入りするが、旅客の減少と相次ぐ台風被害もあり、昭和37(1962)年に全線廃業している。会社は、現在、乗合バス事業等を行う草軽交通として存続している。

全線廃業とともに、北軽井沢という駅名も消滅したが、地域名としては残っていたようだ。そして、先週書いたように、昭和62(1987)年に地名として大字北軽井沢が復活している。『ウィキペディア(Wikipedia)』には、その際、長野県の軽井沢町の住民からは強い反対があったと書かれている。

やはり、調べればいろいろと由来があるものだ。軽井沢~草津間も、箱根や伊豆と同様、東京周辺の観光地として、西武と東急が覇を競ったようだ。
軽井沢駅の南側にある「軽井沢72」ゴルフコースはプリンスホテルの経営だし、浅間山麓の鬼押出し園もプリンスホテルの経営だ。草軽電鉄の系列化は、東急側の西武対抗策の一つであったようだ。

(今日の記事の内容は、草軽交通ホームページの「草軽電鉄物語」、『ウィキペディア(Wikipedia)』の草軽電気鉄道」、「北軽井沢」、プリンスホテルホームページの「日光・上信越in春~秋」を参考にした)

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2006年8月15日 (火)

首都圏大規模停電その後

昨日の首都圏の大規模停電の真相や、どこで何が起きたのかなど、新聞やテレビでいろいろ語られている。

直接の原因は、旧江戸川の浚渫工事を請け負った茨城の建設会社の浚渫船のクレーンが、東京電力の高圧電線に接触したことで間違いないようだ。建設会社の会長と社長が謝罪の記者会見をしていた。以前も、クレーン船が電線と接触したことがあり、川を航行する時には、クレーンを上げないという内規があったのに、事故を起こしたクレーン船は、その内規を守っていなかったということだから、クレーン船の作業責任者はもちろん、ルールを徹底できていない経営陣も当然責任を問われるだろう。

しかし、この作業自体は、大手ゼネコンが受注し、事故を起こした会社は孫請けということだから、元請けのゼネコン、さらに元請けと孫請けの間の会社も、管理責任を問われるのではないだろうか?

一方、電力会社に全く責任はなかったのか?そもそも、クレーン船が引っかかるようなところに、電線を張っていることのリスク管理は十分できていたのか?(新聞には、海上保安庁と協議してあの高さに決めたという報道があった。)そのあたりも議論になるのでは、ないかと思う。

また、停電の被害を受けた企業等の側も、まさかの時の備えが従来のもので良かったのかという議論も出てくるだろう。十分な電力供給を受けられなかった時に備えた、自家発電装置の整備・増強なども議論になってくるだろう。

大した被害が出なかったことを不幸中の幸いと思い、今回の期せずして経験することになった大規模災害の予行演習を、今後に役立ててもらいたいものだ。

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2006年8月14日 (月)

早朝の大規模停電

1週間の夏休みが明け、今日から出勤。いつもの通り、家の最寄りの私鉄の駅から、7時半少し前の準急に乗る。私の乗る準急は隣の駅が始発なのだが、いつもは、つり革と鞄を置く網棚を確保するのが精一杯。しかし、今日は、お盆休みの人が多いのだろう。座ることができた。

しかし、10分ほど走ったところで、前の電車が停電で止まったという。私の乗った準急も止まってしまった。10分ほど停車して、再び動き始める。「やれやれ、10分の遅れなら遅刻しないで済む」とほっとしたのもつかの間、私の乗る私鉄とJRの山手線、地下鉄の乗り換え駅に着き、職場の最寄り駅まで行く地下鉄に乗り換えようとすると、こちらも停電の区間があり、運転見合わせとアナウンスしている。私の乗る線だけではなく、東京メトロでかなり広範囲に影響が出ている模様だ。

天気は良く、数日前に山手線が止まった時のようにどこかに雷が落ちたとは思えない。東京電力の想定以上に朝の電力需要が急増し、一時的に電力の供給不足に陥って停電したのだろうか?しかし、今朝の暑さが、この時期の想定される暑さを大幅に上回っているとも思えない。イギリスでの航空機爆破計画摘発の直後でもあり、まさか、テロ?しかし、限られた情報しかない中で、次の行動を決めなければならない。

地下鉄は当てにできそうにないので、山手線で神田駅か東京駅まで行き、歩くしかない。中央線周りは混むだろうから、山手線を外回りで上野経由で移動することにした。遠回りする時間ロスと降りた駅からいつもより余計歩く時間ロスで、さらに15分くらい遅れそうだが、仕方がない。
幸い、山手線の外回りでも座れた。しかし、ここでも社内放送で、新交通システム「ゆりかもめ」と京葉線が止まっていると言っている。JRは専用の発電所を持っているはずなので、そちらがやられなければ電車は止まらないはずなのだが、どうしたのだろう?(京葉線は、乗っている間に復旧したと放送があった)
結局、神田で降りて職場まで歩く。8時40分が始業時刻だが、5分ほど遅刻してしまった。

職場に着いてから調べると、最初は原因不明と言われていたが、江戸川をまたいで張られていた高圧電線に、江戸川の上流に浚渫作業に向かっていたクレーン船のクレーンが、接触し、電線を傷つけたため、周辺の変電所で安全装置が働いて電流が止まり、広範囲に停電したらしい。
私が遭遇した被害は、電車の遅れと運転見合わせだったが、新聞やTVのニュースなどを見ると、信号が消えたり、エレベーターが止まって閉じこめられたりというトラブルもいくつかあったようだ。

今回は、過失によるトラブルだが、それでもこれだけの騒動になった。通常、電力会社が想定している電線のトラブルは、落雷によるものだろう。テロなどの警戒をするのは、場所としての発電所や変電所だろう。しかし、発電所や変電所が完全にガードされていても、同時多発で故意に広範囲に広がる電線を狙われたら、今回以上の停電が起きることになる。今回の事態を見せつけられて、東京電力はもちろん、各地の電力会社は、対策に頭をかかえているのではないだろうか。

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2006年8月13日 (日)

映画『ゲド戦記』を見て

映画『ゲド戦記』を見た。

今日、午後、中3の次女と一緒に2駅となりのシネマコンプレックスに見に行く。館内は、お盆休みの日曜日ということもあって、かなりの人。しかし、映画館側も、大きな映写室で上映しており、席にも十分余裕があり、予定通りの時間に見ることができた。

いろいろなブログで、この映画についての様々な感想が書かれており、中には酷評といえるものもあるのだが、非常に「良くできた映画」というのが私の感想である。

確かに、この映画は原作者ル・グインの『ゲド戦記』と同じではない。
あるブログに作者ル・グインが次のように語ったと書かれている。

「It is not my book. It is your film. It is a good film.」
(ブログ「すべて世はこともなし」2006/8/9「ゲド 戦いのはじまり」より)

原作者ル・グイン女史が、好意的ニュアンスで語ったのか、否定的なニュアンスで語ったのかは、知りようがないが、「これは私の書いた話とは違う」という趣旨は間違いないだろう。

原作6冊を読み通した上で映画を見れば、それはよくわかる。話のベースは、第3巻の『さいはての島へ』になっているが、この映画の主人公ともいえるアレンが、自分の影におびえ逃げる姿は、第1巻の『影との戦い』で描かれる若い頃のハイタカ(ゲド)の姿と重なるし、映画の重要な登場人物であるテナーとテルーと農場は、第4巻の『帰還』で主な舞台となるものだ。また、ハイタカとテナーの微妙な関係も第2巻の『こわれた腕輪』の経緯が背景になければ、たしかにわかりにくい。また、作品の舞台となるアースシーの世界のハブナー島を中心にした東西南北の広がりも、映画では捨象されている。

それでも、私はこの映画は素晴らしいと思う。この映画は、ル・グインの『ゲド戦記』を、宮崎吾朗という監督が、自分なりに理解し、その自分なりの理解を、絵にし、言葉にし、音楽にしたものだと思う。

彼の主張は、ひとことで言えば「生きるとはどういうことか?」ということであり、それを回りくどい技巧は凝らさずに、ストレートにぶつけてきている。それは、宮崎吾朗監督が、封切り前のインタビューで語っていること、そのままである。それは登場人物のひと言、ひと言として現れている。「語りの映画」と言えるかもしれない。

中3の次女は、「よくわからないところもあったけれど、心うつものがあった」と最後には、うっすら涙を浮かべていた。登場人物のひと言が、そしてテルーの歌う歌のあるフレーズが心のどこかにひっかかっていて、何となく気になる。そして、もう一度見て、その気になるところを確かめたい、そんな気にさせる映画だと思う。

原作を読まないで見た方には、原作6冊を読むことを勧めたい。今、原作を読んでいて、まだ映画を見ていない人は、原作を全て読み通してから、映画を見た方がいいだろう。原作を途中まで読みかけで、映画を見るのだけはやめた方がいい。どちらも、中途半端になってしまうだろう。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ

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2006年8月12日 (土)

雷と雷雨

今日は、我が家の近くでも、午後1時過ぎから30分ほど、雷鳴がとどろき、激しく雨が降った。

なぜ、雷が起きるのか、これまであまり真剣に考えたことはなかったので、いつも使う『NHK気象・災害ハンドブック』(NHK放送文化研究所編、NHK出版)『楽しい気象観察図鑑』(武田康男〔文・写真〕、草思社)に加え、以前から持っている『天気図と気象の本改訂新版』(宮沢清治著、国際地学協会)を使って調べてみた。

TVの天気予報などによれば、今日は、大陸から季節はずれの寒気が日本の上空に張り出して来ているらしい。一方、真夏の日本列島には、暖かい湿った空気がある。

上が寒く、下が暖かいということで、暖かい空気は上昇し、上昇気流が生じる。上空の方が温度は低いので、空気中の水分が凝結し水滴になり、雲(積乱雲)ができる。今回のケースの場合、上空は寒気で通常以上に冷えているので、雲の中も水滴がさらに冷えて、氷の粒になっていると考えればいいようだ。
雲の中で、氷の粒が衝突し、摩擦で静電気が生じるのではないかというのが通説のようだ。雲の中では、上の方が+(プラス)の電気を帯び、下の方が-(マイナス)の電気を帯びるとのことらしい。そして、雲の中や、雲と地上の間で静電気が流れることになる。雲と地上の間で電気が流れた場合が「落雷」とのことだ。

何気なく、当たり前に思っていることでも、そのメカニズムがわかっていないことが多いような気がする。専門家には、あたり前のことかもしれないが、自分にとって知っていたつもりが、よくわかっていなかったということも、気がつく都度、書いていきたい。

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2006年8月11日 (金)

住民基本台帳カード

個人情報の安全は確保できるのかという議論を巻き起こした「住民基本台帳ネットーワーク」。このネットワークを利用するための住民基本台帳カード」を、昨日市役所に住民票と印鑑証明を取りに行ったついでに作ってきた。

クレジットカードやキャシュカードと同じ大きさのプラスティックカードに、金色の接触型ICチップが埋め込まれている。顔写真が入らず、名前だけがカードに印字されているAタイプと顔写真に住所、名前、生年月日が記入されたBタイプの2つがあり、私はBタイプの発行を申請した。申請書を書いて提出すると、本人確認書類の提示を求められ、運転免許証を見せて、待つこと15分ほど、役所の事務フロアの中でデジカメで写真を撮られて、それから10分ほどでできあがった。私の住んでいる市では発行手数料500円。

電子政府「e-Japan」計画の施策の一つとして進められている。このカードがあれば、ネットワーク上で本人と認められ、住民票の写しが他の自治体で入手できたり、転出転入の手続きが簡素化されるようになるようだ。
また、住民票・印鑑証明などの自動交付用の認証カードに使ったり、各種申請書の自動作成、公共施設の利用券等、ICチップの容量の空きスペースを利用してどのような住民サービスを行うかは各自治体に任されているようだが、私の住んでいる市では、住民票と印鑑証明については、すでに磁気ストライプを使った専用カードがあるので、当面、すぐに役に立つわけではない。

個人情報保護の動きと裏腹に、各種の契約に際して、本人確認ということがうるさく言われるようになっている。これまでであれば、公的なもので本人確認に最も信用力が高いのは顔写真が入っている運転免許証とパスポートだった。
マネーロンダリングや振り込め詐欺等犯罪に悪用されないよう、金融機関で預金口座の新設する際には、本人確認が求められる。私が作った顔写真入りのBタイプの住民基本台帳カードは、運転免許証とパスポートと並ぶ公的な身分証明として扱われる。
これまでは、車を免許を持っていなくて、パスポートも持たない人にとっては、写真入りの身分証明書は持ちようがなかったので、その点では、誰でも希望すれば、写真入りの公的な身分証明書がもてるようになったことになる。

しかし、今のところ、住民基本台帳カードの交付枚数は、2006年3月末現在で、全国で91.4万枚余、人口比で0.72%、世帯数比でも1.82%にとどまっている。最も交付枚数が多い東京都が13.7万人、人口比1.13%、世帯数比2.35%である。一部、普及に熱心な自治体を抱える県(富山県-南砺市、宮崎県-宮崎市)では、普及率が高いところもあるが、日本全体で見れば、100人に1人も保有していないというお寒い状況である。

私のような、必要もないのに新しいものにすぐ関心を示す「もの好き」はそう多くないと思うので、各自治体が、どうやれば交付が進むか知恵を絞らなければ、普及は難しいだろう。そもそも、役所に行けば簡単に交付されるということを多くの人は知らないと思うし、それを保有することで、何ができるのかということになると、ますます知られていない。
一方、何か新しいことをやるとなれば、なにがしかのシステム投資は必至であり、キチンとした投資採算計画の検討なくして、踏み切れないという自治体側の事情もあるだろう。

小泉首相の後の、新政権がどのような舵取りをしていくのか、しばらく注視してみたい。

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2006年8月10日 (木)

不可解な車のトラブル

北軽井沢から戻って、休みの残りは、車の名義変更のための雑用をひとつずつかたづける。

車を買った時住んでいた富山から転勤で移った社宅のある豊島区そして現在の住所までの変遷がわかる公的書類が必要なのだが、既に現住所に移って5年を超えるため、豊島区役所で住民票の除票を発行できないということが判明し、本籍地の市役所に戸籍の附票を取り寄せるしかなくなり、故郷の市役所にとりあえず、書類を送った。
あとは、現在の住まいの所轄の警察署で車庫証明をもらい、それらを揃えて、管轄の自動車検査登録事務所に車を持ち込むことになる。

しかし、名義書換をする車の調子がいまひとつ。旅行前に一度エンジンがかからなくなった。バッテリーの上がりと思い、バッテリーを交換したが症状は変わらない。結局、JAFを呼んで、ディーラーに持ち込むと、エンジンのどこかに水がたまっているという。水を抜いて、誤って焼き付かせてしまったスターターモーターを交換した。しかし、何故、水がたまったかはわからないという。気持ち悪いとは思いつつも、北軽井沢までは、その車で往復。
何も問題なかったが、帰ってきて、一晩明けると、またエンジンがかからない。
症状は前回と同じだ。前回の不調の直前は、梅雨末期の豪雨の後、今回も台風7号の通過で、明け方かなり激しく降った後で、まだ小雨が降っていた。あいにく、ディーラーのメンテ部門は金曜日(今日)まで休みとのことで、すぐには持ち込めない。

ボンネットを開けてみると、しみこんだ雨水がワイヤーを伝って、エンジンの上にポタリ、ポタリと落ちている。その一部がエンジンを複雑につなぐ配線を伝わり、エンジン本体と配線が結合している部分まで流れている。あるいは、ここから少しずつしみこんでいったのだろうか?激しい雨というのが、前回の今回の共通点ではあるのだが、果たして、これが原因なのだろうか?

文系の勉強しかしていない自分にとって、車のエンジンは手に余る。あとは、明日、ディーラーに持ち込んで、見てもらうしかない。

しかし、北軽井沢に行っている時に、雨が降らなくてよかった。キャンプ場や、高速のサービスエリアで雨に降られて、車が立ち往生していたらと思うと、ゾッとする。

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2006年8月 8日 (火)

北軽井沢と軽井沢

6日(日)の朝から今日まで、2泊3日で北軽井沢に行ってきた。今年は、我が家も受験生2人なので、ささやかな気分転換といったところだ。浅間山麓の高原といったところで、気温も都心よりも数度低く、過ごしやすく文字通り「避暑地」とはこういうところを言うのだろうと実感した。

これまで、仕事で何回か転勤し、観光地と言われるところにはずいぶん行ったが、「軽井沢」と名の付くところには、一度も足を踏み入れたことがなかった。今回、たまたま行くことになったのだが、「北軽井沢」と聞いて、軽井沢地域の北部くらいにしか考えていなかったが、全く間違っていた。

新幹線の駅もある、いわゆる「軽井沢」は、長野県北佐久郡軽井沢町。江戸時代は、江戸から参勤交代や善光寺参りの旅人が碓氷峠を越えたところで、疲れを癒す中山道の峠の宿場町であった。現在のように別荘地として有名になったのは、明示19(1886)年にカナダ生まれのイギリス人宣教師A・C・ショーが、避暑地として好適であるとして内外に紹介したことがきっかけのようだ。(参考資料:軽井沢町ホームページまちのあゆみ「軽井沢町の誕生と発展」「軽井沢町のあゆみ」)
軽井沢町には、軽井沢と中軽井沢という地名はあるが、旧軽井沢や新軽井沢というのは通称のようだ。

一方、我々が泊まった北軽井沢は長野県と境を接する群馬県吾妻郡長野原町にある。中軽井沢から、国道146号線を車で30分ほど北上し、峠越えをした山の向こうが北軽井沢だった。
長野県の軽井沢町も軽井沢や中軽井沢という地名は、鉄道の沿線部が中心で、町の北部は「長倉」という地名である。そこを過ぎて峠を越えた山の向こうが北軽井沢なのだ。なぜ、軽井沢の中で、北軽井沢だけが群馬県なのか?いつから、北軽井沢と言っているのか?
北軽井沢がある長野原町のホームページの「長野原町について」の中の”長野原町の歴史”を見ると、その答えらしきものがあった。

昭和62年1月大字名変更により「大字北軽井沢」が誕生

正式は地名としての「北軽井沢」の登場は、このときなのだろう。思い起こせば、おりしも、日本がバブル経済の入り口に差し掛かった頃である。一時は、開発ブームに沸いただろう。
さて、現在はどうなのだろうか?私が昨年までいた北海道などは、全道で人口500万人の地域に、どう需要予測をしたら採算が成り立つのかというような乱開発の残骸が点在し見る影もなかった。さすがに、北軽井沢は、東京に近い分、バブル崩壊の影響は北海道ほどではないが、バブル絶頂期に比べれば、ずいぶん人の入り込みは減っているのではないだろうか?

たった3日間だけの印象論なので、あまりあてにはならないが、機会があれば、もう少し調べてみたい。

追記:この記事の地名「北軽井沢」の由来については、記述が不十分でした。
8月16日の記事: 「北軽井沢」ついての追記 をご覧下さい。

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2006年8月 5日 (土)

『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ

先月29日から、いよいよスタジオ・ジブリのアニメ『ゲド戦記』の上映がはじまった。ブログで試写会を見た人のコメントを見ると、必ずしも絶賛というほどではない、むしろ酷評といえるようなものも多い。一方、今日のTBS「王様のブランチ」の先週の映画ランキングでは、初登場で1位だった。

自分自身が、まだ見ていないので、何とも映画自体の出来は評価できないが、宮崎吾朗監督は、文学作品としての『ゲド戦記』を読み込んで、彼なりの問題意識をもって映画化に取り組んだことがうかがえる。

手元にある公開前の映画『ゲド戦記』のパンフレットに宮崎吾朗監督の「演出ノート 人間の頭が、変になっている」という一文がある。

それによれば、現在39歳の彼は、ゲド戦記は20年以上前の高校生の時に最初に読んだという。その当時は、ハイタカ(ゲド)が自分の影との合一を果たす1巻とテナーが暗い墓所から解放される2巻に心引かれたそうだが、今回、改めて読み直すと、映画化された3巻、そして4巻、外伝に心ひかれた書いている。その理由として、彼自身の加齢と、我々を取り巻く環境の変化を上げている。そして、次のように語る。

 今、私たちの暮らしている世界は、まるで第3巻に登場するポート・タウンやローバネリーのようです。みな、必死にせわしなく動き回っていますが、それは目的があってのことではないように見えます。目に見えるもの、見えないもの、それら全てを失うことを、ただ恐れているようです。人々の頭がおかしくなってしまった感じです。
 一つひとつを例にあげることはしませんが、その原因は国内外の様々な社会状況の激変にあるのはあきらかです。けれど、どうすれば社会が良くなるのか、目指すべき方向は誰も提示できずにいます。そして、大人たちは誇りや寛容さ、いたわりの心を失い、若者たちは未来に希望を見いだせず、無力感におそわれています。
 結果、生きることの現実感は失われ、自分や他人が死ぬことの現実感も失われています。自分の存在を曖昧にしか感じられないならば、他者の存在も希薄にしか感じられないのは当然で、減らない自殺や理由なき殺人の増加は、その象徴に思えます。

(中略)世界の均衡が崩れつつある原因が人間の内にあること、その根源を辿れば生と死の問題に行き着くこと、そこに、私たちにいま最も必要なテーマがあると思うのです。

(中略)私は、「いま、まっとうに生きるとはどういうことか?」という自分自身の問いを「ゲド戦記」に投げかけ、ハイタカをはじめとする多くの登場人物たちの声に耳を傾け、再び問い返すということを続けてきました。それが、この映画の主題になっていることは間違いありません。(以下略)
(宮崎吾朗「演出ノート 人間の頭が変になっている」より)

私もゲド戦記第3巻『さいはての島へ』を読んだとき、これは、まさしく現代日本社会を描いた作品ではないのか?と思った。
すでに、映画を見た人の感想はどうだろうか。私も、1週間の夏期休暇の間には、映画館に足を運び、ぜひ見たいと思っている。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ(本編)
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年8月 4日 (金)

車の名義変更のための夏休み

今週も、週末を迎えた。来週1週間は、私も夏期休暇で、ひと休みである。とはいえ、前半は家族を連れ、北軽井沢のキャンプ場のキャビンに2泊の小旅行。あとは、我が家で、資格試験の勉強と、日頃、出来ない雑用をかたづけなくてはならない。

今の車は、もう7年めになる。新車購入の時、5年のカーリースを組み、リース期間満了とともに残価を精算し、買い取った。個人の月々のキャシュフローからすれば、オートローンも、割賦も、カーリースも大差はないのだが、権利関係はそれぞれだ。カーリースだと、車の所有者はあくまでも、リース会社。買い取ったところで、自分の名義に変更しなくてはならない。

今の車は、買ったのは富山勤務時代。その後、東京に戻り、リース期間が満了したものだ。本来は、東京に戻ったところで住所の変更を行い(ナンバープレートが変わる)、買い取り時点で名義変更をしなくてはならないのだが、手間がかかりそうで先延ばしにしているうちに、北海道に単身赴任となった。住民票を移さない単身赴任で、車もそのまま持って行ったので、何もできなくなってしまった。

リース会社からも何回か催促され、北海道にいた時は、やりたくてもやれなかったが、先日、再度催促があり、さすがにきちんとしないわけにはいかなくなった。

よくよく調べると、①現在の住所の所轄の警察署で車庫証明をもらい、②購入時からの住所変更の履歴がわかる住民票等を揃えて、③管轄の運輸支局に車を持って行き、住所変更と名義変更の手続きをやるということらしい。

今まで無精をしていたツケを払わざるを得なくなった訳だ。私の場合、更に面倒なのは、富山から東京に戻った時に、一度、豊島区の社宅に入り、その後、1年弱で今の家を買い移ったので、今の住所の住民票だけでは、富山からの履歴がたどれない。豊島区か、富
山市からも書類を取る必要がある。

どうも、1週間の休みの後半の数日間で、全部すませるのは無理なようで、①と②を終え、③の運輸支局での住所変更、名義変更には、別途、もう1日休みを取る必要がありそうだ。

たびたび住所が変わりそうな時に、車を買なら、カーリースはやめた方がいいというのが、ささやかな教訓ということになろうか。

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2006年8月 2日 (水)

将棋名人戦、朝日新聞に

ここしばらく、将棋界を騒がせていた名人戦の主催新聞社を、毎日新聞社から朝日新聞社に移すかどうかという問題は、将棋連盟の棋士全員の投票の結果、101対90で毎日新聞社との契約を継続しないという結論が出た。

そもそも、将棋の名人戦は、最初は毎日新聞社主催で始まり第1期(1937年)から第8期(1949年)まで毎日、その後、朝日新聞社主催に移り、第9期(1950年)から第35期(1976年)まで朝日、第36期(1978年)から現在の第64期(2006年)まで毎日と、毎日新聞社と朝日新聞社の盤外でのタイトルの争奪戦の歴史でもある。(35期から36期の間に空白があるのは、ゴタゴタもあって名人戦が1年開催できなかったから)

私が、将棋を覚えた頃は、朝日が名人戦を主催していた時期だったので、毎日に移った時は、違和感を感じたのを覚えている。

しかし、朝日と毎日のゴタゴタの中で、着実に将棋界での地位を向上させ「漁夫の利」を得たのは読売新聞社だろう。かつては、名人戦より格下だった「十段戦」を1988年に「竜王戦」に改組し、いつの間にか、名人戦と同格以上の棋戦に育ててしまった。
(今回の件の記者会見でも、読売は、米長会長から「将棋界1位のタイトル戦は竜王戦」とコメントを取り、記事にしている)

名人戦を取り戻した朝日はどう読売に対抗していくのか、盤外の名人と竜王の戦いも目が離せない。

*将棋に関する記事
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

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2006年8月 1日 (火)

後漢の祖『光武帝』

『光武帝』(講談社文庫、塚本青史著)を読み始めた。後漢の祖・劉秀を描いた歴史小説で、上・中・下の3冊組だ。

光武帝(上) (講談社文庫)

数ある中国を舞台にした歴史小説でも、劉秀・光武帝を主人公にしたものは、珍しいのではないだろうか。秦が滅んだ後、高祖・劉邦によって建国された漢(前漢)も、約200年続いた後、王莽に簒奪され「新」が建国される。
著者は王莽を主人公にした『王莽』(講談社文庫)も書いており、既に3年前に文庫化されている。そちらは、その時に読んだ。当時、『光武帝』も単行本では既に発刊されていたが、文庫化されてから読もうと待っていたところ、今年の6月にようやく文庫が発売された。

話は、王莽がすでに皇帝となった新の治世下、滅亡した漢の皇統の傍流である劉秀の姉の嫁入りから始まる。まだ、新の治世が乱れ始めたあたりであり、これから世界史の教科書でもおなじみの「赤眉の乱」が始まりそうである。通勤の帰りの電車で読んでいたら、急行から各駅停車に乗り換える駅を通り過ぎてしまった。

中国史は、王朝による統一と分裂を繰り返す歴史である。王朝というのは、見方を変えれば、国を統治するための行政組織・制度そのものである。国民は経済生活をしており、経済は日々変化している。
例えば、農業に鉄製農具が使われるようになれば、木製の農具の時よりは、生産力が拡大し、余剰生産物が生じ、それに伴って貧富の差が生じるなどして、経済の実態と統治の制度の乖離が激しくなると、不満が生じ、反乱が起き国が滅びる。小国に分立した各地の為政者のうち、その時期の経済の実態に合った行政組織や制度を作り上げた者が、民の支持も得て国が栄え、最終的に統一を果たすことになる。
中国の分裂と統一の繰り返しは、経済の実態に合わなくなった制度を壊し、実態にあった制度作りを競う壮大なドラマであろう。
高校時代に漠然とそんなことを考えていたが、大学に入りマルクス経済学を教える経済学部で学ぶと、そのような考え方を「唯物史観」というのだと知った。

王莽のような簒奪のケースでは、簒奪の時点では、前王朝を見放した民衆の支持で、一時的に皇位に上り詰めても、時代にあった新たな制度や組織を作れないと、たちまち民衆の支持を失ってしまうのだろう。
とはいうものの、受験勉強では、後漢の祖となった劉秀(光武帝)が、特に革新的な施策を行ったという記憶もない。なぜ彼が民衆の支持を得て皇帝になれたのか、著者がどのような解釈しているのか、楽しみだ。

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2006年7月31日 (月)

関東もようやく梅雨明け

昨日(7月30日)、中国地方から関東地方まで、ようやく梅雨が明けた(気象庁:「平成18年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)」)。

関東甲信地方では、平年より10日遅い梅雨明け。心配していた梅雨明けが8月までずれ込む事態は回避できた。今回の豪雨の原因となった複雑な大気の流れは、気象庁のホームページに説明がある。(気象庁:「平成18年7月15日以降の大雨に関連する大気の流れについて」
東から張り出す太平洋高気圧の周辺部に、西から湿った暖気流が流れ込み、その暖気流の上に、北方から寒気が流れ込み、梅雨前線が作られ、活発に活動した。さらに、太平洋高気圧が強力だったため、高気圧の壁で前線が動けず停滞、結果として豪雨を招くことになったようだ。

ということは、梅雨明け後は、強力な太平洋高気圧の影響で、一気に暑い夏になるということになりそうだ。

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2006年7月30日 (日)

人生の四季 、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

先日から読んでいた『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)の原題は”THE SEASONS OF MEN`S LIFE”で、日本で最初に出版された時は、「人生の四季」というタイトルだったそうだ。文庫化する際、改題したそうだ。前のタイトルだと、老人の回顧録のようにも聞こえる。

その『ライフサイクルの心理学』の下巻を、昨日ようやく読み終わった。1970年前後の米国の4つの職業(生物学者、小説家、企業の管理職、労働者)の40代の男性10人ずつ計40人のそれまでの人生を丹念に面接調査で聞き出し、そこに共通にサイクルを見いだし、仮説を提示している。

本書の本来のテーマ自体は、まさに、このブログのテーマそのもので、じっくり、数回に分けて書きたいと思うが、この本の最後の方で書かれていた事が、印象的だったので、まずそれを書きたい。

「原始の時代からの長い人類の歴史の中で見れば、家庭というものは、狩猟が中心の時代に、次の世代が自ら狩猟に出て獲物を得て、自活できるようになるまで期間、最も効率的に次の世代を育てるためのシステムであった。20才前後に成人し、自ら生活できるようになるまでが、子育ての期間である。原始の時代には、病気、飢え等で、成人までに亡くなるものもいる。親の世代も、子供が巣立っていく40才の頃には既に衰え、死んでいく者も多かった。
40才以降の中年の時期を、人間が生きるようになったのは、歴史的に見れば、ごく最近の事なので、中年以降のうまい過ごし方は、まだ確立されていないし、それは、更に1000年~2000年という単位でしか、根付いていかないのではないか。」というような趣旨の事が書いてあった。
河合隼雄氏の『対話する人間』にも、似たような話があったが、あの時は、日本の戦国時代が人生50年という話であった。今回は、一気に遡って何十万年という単位の話である。

そう考えれば、我々個々人が悩むのも当然だし、ここで考えた何がしかが、次世代へ引き継がれ、1000年~2000年先の人間の生き方に多少でも役に立てば、それも悪くないかなと思ったりした。

*追記(2006年11月23日)
タイトルを当初の「人生の四季」から「人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月27日 (木)

関東の梅雨明けはいつ?

東京も、昨日・今日は、長雨からようやく解放されたと思ったら、一転、蒸し暑い日に逆戻り。当然、長袖のワイシャツから半袖に替え、ノーネクタイで出勤している。

気象庁のホームページによれば、九州と四国はようやく昨日(7月26日)が梅雨明けだったようだ。

九州南部は平年の梅雨明けが7月13日ごろ、昨年が7月15日ごろなのに対して、今年は26日と10日以上遅れている。九州北部、四国も一週間以上遅れている。九州北部、四国は梅雨入りも平年より数日遅かったが、九州南部は梅雨入りも平年より3日早く、結局2ヵ月梅雨だったことになる。

特に7月の中旬からの梅雨末期の大雨は記録的で、「平成18年7月豪雨」と名付けられたそうだ。(参照気象庁HP:「平成18年7月豪雨」)
『NHK気象・災害ハンドブック』によれば、大雨は多量の雨を示し、豪雨は「災害をも含んだ空間的・時間的なまとまりをもった現象に使用されている」とある)
特に、熊本、宮崎、鹿児島んが県境を接するえびの高原近辺が多く、宮崎県えびの市、鹿児島県大口市では15日から24日の10日間で1000mmを超える雨量だった。

関東甲信越の梅雨明けは、平年では7月20日ごろだが、すでに一週間経過。平年では、九州南部の梅雨明けの1週間後が関東甲信越の梅雨明けなので、ひょっとすると、過去あまり聞いたことのない8月の梅雨明けもあるかもしれない。

冬が豪雪で、夏には豪雨。日本の気候は、いつになったら平年並に戻るのだろう?

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2006年7月25日 (火)

Edyを使う

仕事で、非接触型ICチップを調べたせいもあって、最近、電子マネーに関心がある。

Suicaは、以前からJRに乗る時に使っていたが、ライバルのEdyについては、コンビニなどで、わざわざ現金を払ってチャージしてもらうのも、おかしな気がして、Edyがセットされたクレジットカードは持っていたものの、使ったことがなかった。

しかし、調べてみると、「プロント」にはEdyにチャージできる機械があるということで、出勤途上にあるプロントにより、とりあえず1000円チャージしてみた。

あとは、コンビニなどで買い物をする時、レジでEdyマークのところに、カードをかざせば、チャリンという電子音(作られた音という点では、デジカメの電子シャッター音と同じだ)がして代金が引かれる。財布から小銭を出さなくていいのは、便利だ。

次の関心は、「おサイフケータイ」である。携帯電話に非接触ICチップを搭載し、SuicaやEdyのアプリケーションをダウンロードして使う。ドコモは、ほとんどの新型端末が「おサイフケータイ」対応なのだが、私の使っているauは「おサイフケータイ」対応機種が少ない。もうしばらく、今の端末を使い、auで対応端末の品揃えが増えたら、「おサイフケータイ」に機種変更しようと考えている。

プラスチックカードからケータイ端末へ、決済ビジネスのツールも本当に移り変わっていくのか、興味津々というところだ。

関連記事:7月2日「カード」から「ケータイ」へ

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2006年7月24日 (月)

「うつ」の話

NHKで「女性のうつ」についての番組があった。

育児による「うつ」、働き過ぎのよる「うつ」、妻の「うつ」を何とか支えようとするうち夫も「うつ」になってしまったケースも取り上げられていた。

今、読んでいる『ライフサイクルの心理学』では、年齢に応じて、それぞれの時期に解決しなければならない課題、身につけておかなければならない課題があって、それがタイミングに応じて、上手くクリアされていかないと、一見、順調に行っているように見えても、数年後には破綻をきたし、結局は、未解決の課題を解決することを迫られた例がいくつも出てくる。そのためには、自分の行動や考え方を修正し、生き方を変えていかなければならないが、簡単ではない。

「うつ」の場合も、「性格が几帳面で真面目な人がなりやすい」という一般論よりも、それぞれの個々人が、その時期に解決すべき課題をクリアしないままに、それに気がつかずに、次に進もうとしたことで、「潜在意識」の方が、それに対して「NO」という答えを突きつけたのが、「うつ」と考えることもできるのではないかという気がした。

『ライフサイクルの心理学』はようやく、上巻が読み終わったところで、下巻がいよいよ本論の40~45才の「中年への過渡期」「人生半ばの過渡期」の解説である。読み終わったところで、エッセンスだけでも紹介したい。

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2006年7月22日 (土)

サマータイム実験に思う

朝日新聞の夕刊に、札幌を中心に行われているサマータイムへの取り組みの記事が出ていた。

札幌商工会議所が呼びかけて始まったようで今年で3年めとのこと。夏場の始業時刻、終業時刻を1時間ずつ早めるものだ。昨年、私が札幌にいた時は、高橋北海道知事も参加したということで、話題になっていた。

札幌の夏の夜明けは早い。早いときには、3時半くらいから明るくなる。出勤前に、ハーフラウンドならゴルフもできると聞いたことがある。かといって、日暮れが早い訳ではない。高緯度なので、夏は昼間が長くなるのだ。1時間始業時刻を早めても、地域で完結している仕事なら、おそらく全然問題は起きないだろう。
その代わりに、冬は早く日が暮れる。午後4時頃から暗くなり出し、4時半には真っ暗になる。

おそらく、いくら書かれたものを読んだり、TVのニュースを聞いても、そこで生活してみなければ、それを実感することは難しい。記事には、東京ではまったく関心がないこともあわせて書かれている。東京でしか生活したことがなければ、北海道の夏の昼の長さも、冬の昼の短さも、理解できない。
かくいう私も、東京・九州・北陸で生活したことがあるが、北海道の気候・風土は理解の範囲を超えていた。以前にもこのブログで書いたと思うが、1年の北海道暮らしでの自分なりの理解は「北海道は日本の一部だが、気候・風土は別の国と考えるべきだ」ということである。

同じ日本の中の北海道でさえ、暮らしてみて初めて実感することばかりであるとすれば、まして、イスラエル・レバノン紛争をはじめ、外国の国々の事情などそう簡単に理解できるものではないのだろうと、当たり前のことをふと思った。

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2006年7月21日 (金)

夏休みなのに集中豪雨

今日から、小6の長男と中3の次女は夏休み。しかし、日本各地で降り続く梅雨末期の集中豪雨で、各地に被害が続出しているし、東京も長雨が続き、夏休み気分にもなれない。

先週の猛暑の時には、半袖ノーネクタイで出勤していたが、気温が下がり雨ということもあって、今週は久しぶりに長袖のワイシャツを着て上着も着ての出勤だった。

「集中豪雨」という言葉を『NHK気象・災害ハンドブック』(NHK放送文化研究所編、NHK出版)で調べて見ると、その由来について書いてあった。

集中豪雨ということばが初めて使われたのは、1953年8月15日の朝日新聞夕刊(大阪本社版)とされている。「集中豪雨 木津川上流に」という見出しで、本文にも「(前略)激しい雷と豪雨を伴って木津川上流に集中豪雨を降らせ」とある。集中豪雨という表現が現象を的確に表現していたため、マスコミ用語からしだいに気象用語としても定着するようになった。(『NHK気象・災害ハンドブック』39ページ)

新聞で、天竜川の堤防が決壊し、アスファルト道路を押し流し、送電線の鉄塔の土台のすぐ近くまで迫っている写真などを見ると、自然の猛威の恐ろしさを感じずにはいられない。

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2006年7月20日 (木)

心星(しんぼし)

今日は、ゆえあって『美人の日本語』(山下景子著、幻冬舎)から、7月20日の言葉をご紹介して、記事に替えたい。

「心星(しんぼし)」
北極星・ポラリスのことです。小熊座の二等星。いつも、真北の天に輝いています。古代中国では、天帝の居場所とされていました。
別名もたくさんあります。北(子・ね)の方角に見えることから子の星。方角を知る星だから方角星、目あて星。まわりに明るい星がなく、ひとつだけぽつんと光って見えるからひとつ星。そして、まわりの星があたかも北極星を中心に回っているように見えるので、星空の中心に見立てて心星。
道に迷った人も、大海原で途方にくれた船人も、空を見上げ、この星を標(しるべ)としたことでしょう。
あなたの心の宇宙にも、きっと心星があるはずです。
迷った時、途方にくれた時、この星を探してみてください。
(『美人の日本語』より)

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2006年7月19日 (水)

本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』

5月の初めに、このブログで、『働くひとのためのキャリア・デザイン』(金井壽宏著、PHP新書)の紹介をしたが、その中で、取り上げられ、大きく影響を与えたと思われる著作が『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)である。

読みたいと思っていろいろな書店に行くたびに探していたのだが、ほとんど書店に在庫がなく、唯一、新宿の紀伊国屋本店だけ、上下2冊組の上巻だけ置いてあった。しかし、新刊コーナーにあるものの本自体が汚かったし、上下揃わなければ意味がないと、その時は買わずじまいだった。

その後も、見つからないので、半ばあきらめていたところ、6月下旬に掘り出し物が見つかる白金高輪の古書店に寄った時に、ひょっとしたらと探したところ、若干、ページが折られたりしているところはあるものの、新刊並に状態の良い上下2冊組を発見。価格も新刊で買えば上下2冊で2100円のところ、1102円とほぼ半額の値付けに、文句はなく、即購入した。
その時点で、少し読みかけたが、その後「ゲド戦記」シリーズを買って読み始めたので、「ゲド戦記」が終わるまで、小休止していたが、ほぼ1ヵ月ぶりに読み始めた。

読み物というよりは、心理学の報告書のような内容で、1968年から1971年にかけて米国エール大学で、当時40代の男性40人への面接調査をもとにして書かれたもので、人の成長は、少年期から青年期で終わるのではなく、成人して以降も、いくつかの節目を経ながら、成長が続いているという仮説を提示したものだ。
中でも、17才から45才までを大きく成人前期、40才から65才までを中年期とし、両方が重なる40才から45才までを中年期への過渡期ととらえ、17才から22才までの成人への過渡期と並んで、人生の転換期ととらえている。
現在では、生涯発達心理学という分野として研究が進められおり、本書自身は既に、この分野の古典とも呼べる存在のようだ。

久々に、ブログのテーマに沿った本格的な著作に挑戦だ。聞きかじり、読みかじりの自分にどこまで、解き明かせるかわからないが、自ら生きて来た45年とも照らしあわせながら読み、良い表現やフレーズがあれば、おいおい紹介していきたい。

年齢的には、そろそろ、中年期への過渡期が終わり、安定した中年期を迎えてもいい頃なのだが、相変わらず、のたうち回っているような気がする。著者レビンソンによれば、各期の始まりや終わりは、標準で示されたものに対して、前後2年程度の違いはあるようなので、まだ、しばらくのたうち回るのかもしれない。

*追記(2006年8月30日)
タイトルを当初の「本格派に挑戦」から「本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月18日 (火)

いつの間にか100タイトル

ココログの管理ページには、これまでに投稿した記事の総数がカウントされ、しばらく前に100を超えていた。しかし、その中には、タイトルだけの下書き(もちろ公開していない)や、1ヶ月ほど続けたブログペットの投稿などもあったので、自分で書いた分だけで、100タイトルになったら、一度、区切りの記事を書こうと思っていた。

下書き分を削除したところ、前回までの記事の総数は106。うち、ブログペット分が5件あるので、前々回の「ゲド戦記全6巻読了」の記事が記念すべき100回目だった。2月26日に書き始めて、5ヵ月足らずで100タイトル。3日に2本というペース。次の目標は、200タイトルにおいて、また一歩ずつ書き続けることにしたい。

以前、当面1日のアクセス数を100にするのが目標と6月下旬に書いたが、ココログのアクセス不良の不具合の抗議の記事を書いて、ニフティの社長のブログにトラックバックしたら、ココログのメンテナンスが始まった11日から4日間、アクセスが100を超えた。中でも11日と14日は200アクセスを超えてしまった。やはり、今回の不具合とメンテに対して、社長がどのようにコメントするかは、ココログユーザーの関心が高いのだろう。有名人のブログにトラックバックする効果を実感した。

15日からは、いつもの状態に戻っている。そのような特殊要因なしに、1日100アクセス達成を引き続き目標にしつつ、200タイトルを目指していきたい。

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2006年7月17日 (月)

3人で過ごした1日半

我が家は5人家族で、いつもは誰彼となく喋っていて、にぎやかと言えばにぎやかだし、落ち着きがないと言えば、落ち着きがない。

ところが、昨日の朝から今日の夕方まで、家にいる家族が3人に減ったせいで、いつもとは違う静かなたたずまいだった。
小6の長男が、通っている剣道の道場の合宿で土曜日から泊まりがけで出かけているのに加え、妻も昨日から1泊2日で外出していて、家には私と高3、中3の娘2人の3人が残った。

まず、長男がいないと、TVを見る時間が極端に減り、リビングの雑音がなくなる。また、長男が家の手伝いをしないと言って怒っている次女が静かになる。また、我が家では結構、妻がダジャレなどを言って、家族を笑わせたりしているのだが、その声も聞こえない。せいぜい、朝寝坊の娘2人を早く目が覚めてしまう父が「起きなさい!」という程度で、長女が「2人いないと本当に静かだね」としみじみと語っていた。

家族の中でも、知らず知らずのうちに、役割分担のようなものができあがっているのだろう。私が単身赴任していた1年間の我が家の雰囲気は、どうだったのだろう。自分では確かめようがないが、気になるところではある。

子ども達が巣立っていけば、これが、今度は私と妻の夫婦2人の生活になる。ゲド戦記の第4巻『帰還』でのケドとテナーのような生活であろうか?そんなことを、ふと考えた1日半だった。

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2006年7月16日 (日)

ゲド戦記別巻『ゲド戦記外伝』

ゲド戦記の別巻『ゲド戦記外伝』を、今日、ようやく読み終わった。

この別巻は、外伝というタイトルが示す通り、第1巻『影との戦い』から第5巻『アースシーの風』までのメイン・ストーリーに対して、アースシーの世界の過去から第5巻の直前の現在までを舞台にした5つのサブ・ストーリーと著者自身によるアースシー解説からなっている。

サブ・ストーリーとはいうものの、第1話の『カワウソ』は、ゲドが学んだロークの魔法学院がいかにして作られたのかが語られているし、第3話の『地の骨』はケドの故郷ゴント島での師であったオジオンがいかにして大地震を防いだのか、その真実を伝えている。第5話の『トンボ』は、ゲドが去った後のロークの魔法学院(女人禁制)に、自分が何者かを確かめるために、男装して入ろうとした女性の話であるが、このトンボと呼ばれる女性は、第5巻の『アースシーの風』で重要な役割を果たす。
米国で発表された際には、第5巻の前に、この別巻が発表されたようで、むしろ第4巻『帰還』までに細かく語られなかった部分を語り、第5巻につなぐ位置づけにあり、これから読む人は、この別巻を読んでから、第5巻『アースシーの風』を読んだ方が、より楽しめるだろう。

第1巻『影との戦い』を読み始めて、ほぼ1ヵ月。ようやく読み終わった。第5巻が終わったところでも書いたが、一度通読しただけでは、まだとても全体像がつかめた気がしない。あと2回くらい、読み通して始めてわかるような気がする。

スタジオジブリの映画の公開が間近に迫ったこともあり、ゲド戦記シリーズの解説本も出ているようだ。そういうものも、参考にしながら、作者の書こうとしたものについて考えることにしたい。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』(本編)
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年7月15日 (土)

お茶犬ミニメモ&ケース

今、コンビニで伊藤園の「おーいお茶」のペットボトルを買うと、お茶犬ミニメモ&ケースというおまけがついている。(伊藤園の「お~いお茶 首かけキャンペーン」)

こういうおまけにつられて、ものを買ってしまうのは、自分でも情けないと思うのだが、今回のおまけのメモは、以前、このブログでも書いたポスト・イットの見出し用(50mm×15mm)とほぼ同じサイズで、薄い緑色。メモのはしに「おーいお茶」のロゴが小さく入っているが、目立つほどではない。裏面のノリは、ポスト・イットより、すこし広めに塗ってあるので、貼ったときの安定感がある。本を読んだ時のチェック用に貼るのにちょうどいい。

ミニメモを使い終わっても、見出し用のポスト・イットを持ち歩く時のケースにも使えるので、ここのところ、毎朝、出勤の際に1本買って、4個たまった。つい、こういうものを見せられると集めたくなるのは、悪い癖で、しばらミニメモ&ケースが増えそうだ。

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2006年7月13日 (木)

ココログ、メンテナンス終了

ココログの丸2日に及んだ異例のメンテナンスが終了した。今のところ、メンテナンス前のようなほとんど管理ページに繋がらないような状況は発生していないようだが、もう少し様子を見ないと何とも言えない。

ここしばらく間の、管理ページへのつながりにくさは、相当広範囲に及んでいたようだ。私も、ささやかな抗議の意味を込めて、前回、11日の朝に書いた記事を、ニフティの古河社長のブログにトラックバックさせてもらった。一度、保存の途中で接続が切れてしまったので、再度、保存したところ、1度目が上手く繋がっていたようで、結局、同じものが二つトラックバックされてしまった。

たびたび続く、不調にいらだっていたのは、私だけではないようで、「【特設】ココログレスポンス問題お知らせブログ」のコメントには、多くの怨嗟の声が寄せられている。今回の異例の事態に社長自身が、ユーザーに対してどう語りかけているのかという思いで、社長のブログを見た人も多かったと思う。しかし、トラックバックされている作家の大石英司さんの「古河社長に再び退任を求める」の記事にも書かれているとおり

事態の深刻度が増していた先週後半のまさにその時、古河社長が、ご自身のブログにおいて、呑気にもnifty BB Festaのパブリシティのエントリーをアップロードなさっていらした

のを見て、ココログに対してシンパシーを持っていた人の中にも、失望した人が多かったのではないかと思う。

ブログは、日記なのだから、サービス提供者側からすれば、一度始めると、365日、24時間止める訳にはいかない。それだけに、不具合が生じても、抜本的な対応が取りにくい。銀行のATMのように、土日や連休に止める訳にもいかないし、かといって平日もユーザーは書き続ける。ユーザーからの悪評を気にすればするほど、抜本策は遅れただろう。

今回の不具合が無料サービスであれば、それほど文句は出なかったと思う。しかし、ココログの有料ユーザーは、富士通・ニフティというブランドを信頼したからこそ、他のブログではなくニフティを選択し、安定性と継続性に対して月額何百円かを支払っているのではないだろうか。それに対する仕打ちが、無料ユーザーの受け入れが始まった途端の有料ユーザー側ので相次ぐ不具合であり、それに対して十分な説明がなされないということであれば、有料ユーザー側も、そろそろ我慢の限界に達しつつあるのではないかと思う。

「顧客保護」が世の流れとなり、大手銀行や保険会社が顧客保護の視点が不十分ということで、監督官庁の金融庁から営業停止などの厳しい処分を受けていることを考えれば、今回のニフティ・ココログの不具合は、対価に見合ったサービスを提供していなかったというサービスの質の低下という点と、そのことについての顧客への説明の不十分さから、監督官庁があれば業務改善命令ものだと思うし、社長が個人とはいえブログを開設し、ココログのトップページに個人名を明示したブログとしてリンクを張っている以上、ユーザーは社長としての見解を期待すると思う。
あくまでも、「個人のブログですよ」ということに徹するなら、ココログのトップページからリンクを張ることなどやめた方がいいと思う。ココログという自社のサービスのトップページにリンクを張り、社長ブログを続けるというのであれば、今回の事態に対して、会社のトップとしての相応の見解を示すべきではないだろうか?

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2006年7月11日 (火)

今日からココログのメンテナンス

ココログの夜間の管理ページへのアクセスしづらさは、最近、さらにひどくなっていて、記事の新規作成のページまで、ほとんど行き着かない。朝、早起きして書ければいいのだが、毎日そうも行かず、連続の書き込みも先週金曜日で途切れてしまった。

いよいよ、今日(11日)の午後2時からあさって(13日)の午後2時までの、2月末に私がココログでブログを始めてからは、例のない長時間のメンテナンスが始まる。

あまり、文句を言うのは好きではないが、わずかとはいえ、毎月コスト負担している有料会員としては、もう少し、快適なサービスを提供してほしいというのが、偽らざる心境だ。今回の大がかりなメンテナンス後も、アクセス不良が続くようだと、ブログの乗り換えも考えなくてはいけないかもしれない。

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2006年7月 9日 (日)

ゲド戦記第5巻『アースシーの風』

ゲド戦記第5巻『アースシーの風』を昨日読み終わった。

第4巻『帰還』で、魔術師としての力を失ったケドは故郷のゴント島に戻り、第2巻『こわれた腕環』でカルガド帝国の墓所から救い出したテナーと結婚し、テナーが引き取って育てている娘テルーとともに、ゲドの恩師であるオジオンの家で暮らし始める。第4巻では、最後に、ゲドとテナーの危機をテルーが救うことになる。

『アースシーの風』では、『帰還』からさらに年月がたち、老年となったゲドのところに、ハンノキという男のまじない師が訪ねて来るところから始まる。テナーとテルーは、第3巻『さいはての島へ』で、ゲドと生死をともにした後、王となったレバンネン(アレン)から呼ばれ王の住むハブナー島へ出かけている。
ハンノキは、死に別れた妻ユリに呼ばれて夢の中で、黄泉の国の石垣を乗り越えてあちらの世界に行きそうになる。どうしたら、夢を見なくなるか、ゲドに尋ねに来たのだ。ゲドは、動物を飼い自分の近くに置けば、夢を見なくなるかもしれないと考え、ハンノキに一匹の子猫をもらってやる。しかし、自分のところでは、これ以上なにもしてやれないと、レバンネン王の手紙を託け、ハブナーに行くように勧める。

一方、ハブナーでは、レバンネン王が西の海で竜が暴れ出したことに心を痛め、その対策を考えるための相談相手として、テナーとテルー(テヌハー)を呼んでいたのだ。そこに、和平交渉していたカルガド帝国から、使節団がやって来て、カルガドの王女を王妃とすることが和平の条件と言い残し、王女を置いて国に戻ってしまう。王女は、ハブナーの言葉が全くわからず、レバンネン王はカルガドに対し怒りと憎しみさえ抱く。さらに、西方で暴れていた竜がハブナー島の西岸にまで飛来し、畑を荒らしたりと暴れ出す。

今回もゲドは導入部で登場するだけで、話はレバンネン王とテナーを中心に語られる。最初は、無関係に見えたハンノキが亡くなった妻に夢の中で呼ばれることと、西方で竜が暴れていることが、実は関係があることが、だんだんと明らかになっていく。

今回は、生と死というものが大きなテーマとしてあって、西洋的な幽霊・霊魂的なものと、仏教的な輪廻転生というものが対比されている。また、言葉、民族・国といったものも、テーマとしてあり、重層的な話に仕上がっている。

とりあえず、外伝を除いたメインストリーの5冊を読み終わった訳だが、ひと言では言い表せない深みがある。あと、2~3回読み直して、細かい表現、登場人物の整理等を行う必要があるだろう。まちがいなく、一読の価値ありである。

別巻『ゲド戦記外伝』まで、読み終わったところで、改めて考えてみたい。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』(本編)
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年7月 6日 (木)

ココログ不調は、ブログブームの反映?

ここ1週間ほど、また、ココログが不調だ。夜9時を過ぎると、ココログの管理ページにアクセスするのに異様に時間がかかるようになった。自分の管理ページに入った後も、新規記事作成ページやアクセス解析ページへ移るのにまた時間がかかり、時間切れで接続が切れてしまう事もある。ココログを管理しているニフティでは、11日(火)から13日(火)まで丸2日間かけてメンテナンスを行うらしい。その間、全く新規の記事更新等はできないようだ。(従来の記事を見ることは可能らしい)。おそらく、2日間も更新を止めたら、再開後のアクセスが集中して、おそらくその後も、アクセスしづらい状況が続くのではないかと思う。ニフティ側は、これまでの数々の不具合を一気に解消するような、根本的な荒療治をするようだ。少々心配だが、やむを得ない。このような不満は、ココログだけに限らないようだし…。

自分もその一人だが、ここに来てブログを始める人が急速に増えているのではないだろうか。NHKの教育テレビで6月から「中高年のパソコン講座 ブログに挑戦してみよう!」という番組が始まっているし、書店のパソコンコーナーでは、この半年ほどで、各出版社から「無料で、簡単に始められるブログ」という類の解説書が新たに出版されたように思う。一方で、以前取り上げた『ウェブ進化論』(梅田望夫著、ちくま新書)の中でも、ブログは新しいメディアとして肯定されており、普及期に入ってきたのだろう。

一方、ブログのサービスは、ニフティのようなプロバイダー、ヤフーや楽天のようなポータルサイトなど、様々な企業から提供されており、それも大半が無料で提供され、無料で利用できる容量も各社の競争で拡大する一方だ。始める際の垣根は、低い。
従来、会員向けにしかサービスしていなかったニフティのココログも昨年暮れから無料サービスを始めたので、利用者の増加に、サービス提供のためのインフラ整備が追いついていないのだろう。

私自身が4ヵ月余続けてみた感想・印象は、まず第一は「始めるのは簡単、でも書き続けることは難しい。さらに、読み続けてもらうのはもっと難しい。」ということだ。毎日、書き続けるとまで決めているわけではないが、6月半ばから今日までは、とりあえず続けているので、続く限りは続けてみたい。(メンテ期間中は無理かもしれないが)

第二は単純だが「反応があるとうれしい」ということだ。コメントやトラックバックがあるとワクワクするし、自分のブログへのアクセス数が増えると、今日も何か話題を考えて書こうという気になってくる。

「人に勧めるか?」と聞かれたら、「書くことが好きな人は、ぜひ始めたらいい」と勧めたい。毎日書けば1年で365件、3日に1回でも1年で120件以上記事が残っていく。それは、また、その時々の自分の記録になる。結局、これが自分にとってのブログをやることによる一番の財産になるのではないかという気がしている。

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2006年7月 5日 (水)

ゲド戦記第4巻『帰還』

ゲド戦記4巻『帰還』を昨晩、読み終わる。

話は、第3巻の『さいはての島へ』の直後から始まるが、主に語られるのは、第2巻の『こわれた腕輪』でゲドの墓所の大巫女から救出されたテナーのその後である。テナーは、ケドとともにゲドの故郷のゴント島に戻り、ケドの師である魔法使いのオジオンのもとに預けられるが、結局、テナーはオジオンから離れ、一人の女としての生きる道を選ぶ。農園主と結婚し、二人の子の母となる。夫はすでになくなり、子ども達も成人して巣立って、1人でくらしていた彼女は、虐待されやけどを負ったテナーという少女を預かって育て始めている。
そこに、かつて自分の世話をしてくれたオジオンが危篤だという知らせが入り、自分の農園を離れ、テナーをつれてオジオンを訪ねるために旅立つところから、話は始まる。

主人公はテナーであろう。途中から、『さいはての島へ』で、乱れた世の中を正すために、全ての力を使い果たし、ぼろぼろになって故郷に帰ってきたゲドが登場するが、常にテナーの目から語られる。亡くなったオジオンの家で、テナーはゲドを看病するが、ゲドは再びテナーのもとを離れていく。

中年となったテナーが、自分とは何かを模索する話で、女性の中年の危機を扱っている話のように思える。途中までは、まさしく中年テナーの物語であるが、最後に物語はファンタジーとして急展開する。(そこは読んでのお楽しみ)

おそらく、第5巻の『アースシーの風』で、これまでの物語を集大成する展開になりそうである。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』(本編)
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ

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2006年7月 4日 (火)

次女の一念発起

今朝、5時半頃、目が覚めた。いつものように、リビングからキッチンに行き冷蔵庫を開けて冷やした麦茶を一杯飲もうと思って、リビングに入ろうとすると電灯が点いたままだ。昨日、寝る時、「消し忘れたんだ」とドアを開けると、中3の次女がもう制服に着替えて、テーブルに教科書やノートを広げて勉強していた。次女は、今、期末試験。昨日は、朝の4時まで、勉強していたということで、相当眠かったらしく、私より先に寝ていたようだ。

高校受験を考えると、中3の1学期の成績が志望校選択の際の目安になる。これまで、ケアレスミスも多く、必ずしも実力相応の成績が取れていなかったと本人も家族も思っているのだが、それも続くのであれば、それが実力になってしまう。いわば、本人にとって、本当の実力を示す最後のチャンスが、今回の期末試験と言うことになる。

彼女なりに、行きたい高校はあるのだが、これまでの成績ではまったく、「お呼びでない」でない状況。親としては、いつヤル気になってくれるのだろうか、と気をもんでいた。

ようやくエンジンがかかったかなという気がするが、親としては、この一念発起が、結果に結びつくことを祈るばかりだ。

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2006年7月 3日 (月)

妻のひとこと

昨日は、夕方、近くのショッピングセンターまで、妻と買い物に行った。妻も、パートやらパン教室やらと平日は何かと出ていることが多いこと、加えて、免許証は持っているものの東京では車の運転はしたくないという理由で、よほどの事がない限り妻は車を動かさないので、食料品などの買い物は、週末に私が車を出し、運転手兼荷物持ちとして、1週間分まとめて買いに行くというのが、我が家の日常になっている。

買い物の途中、ショッピングセンターの中の書店でしばらく本を見て帰って来たのだが、帰りの車の中で、妻が、先日離婚した森昌子の話を始めた。書店で、森昌子の本を立ち読みしていたらしい。「 森昌子は森進一と結婚したあと、2人で良く話をしたらしい。自分は夫のことを理解しているし、夫は自分のことを理解してくれていると思って、彼女は、良き妻、良き母であろうと努めてきた。しかし、結局、森進一は森進一自身のことが一番大事で、自分(森昌子)のことは全然理解してくれていなかったとわかって、離婚に踏み切ることになったらしい」というのが、妻が話した森昌子の話である。

そして、「私たち(妻と私)も、よく話して理解しているつもりだけど、これから先、森昌子のように感じるようなことがあるのだろうか?」という趣旨の事を問われた。

なかなか、難しい質問だ。私自身は、一生懸命、彼女を理解しようとしているつもりだが、全てわかっているかと問われると自信はない。 それには、2つの理由があって、一つめは、きっと彼女自身が気づいていない自分というものがあるはずで、そのうち、本人が気がついていなくて、夫の私から見える部分もあるとは思うが、大部分は、私からも見えないだろう。
二つめは、私が自分の事を中年クライシスと位置づけているように、私の目から見ると、妻も、彼女なりの転機にあるようで、彼女自身が変わろうと模索している最中のように見える。「空の巣症候群」という言葉があるようで、子どもが巣立ったあとの女性の喪失感をいうらしい。まだ、長女は高3、次女が中3、長男が小6と、まだ3人が成人するには間があるが、長男が中学生ともなれば、いつまでも「かわいい坊や」という訳にもいかず、子どもが手から離れたあとの喪失感の予感はあるようだ。パートの仕事、パン教室や料理教室に通って、自らに投資することに熱心なのも、その漠然とした不安が後押ししているようにも見える。転機のこの数年間の模索の中で、妻が何を見つけるのか、いくらそばにいるとはいえ、よく見ておかないと、見逃してしまうかもしれない。

2つの理由と書いた、あるいは2つは繋がっているのかもしれない。模索の中で、自らも気がつかなかった潜在意識の中に潜んでいる何かを見つけ出すのかもしれない。その発見を手助けできるのか、見逃してしまうかで、案外、私の見られ方も変わるのかもしれない。

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2006年7月 2日 (日)

「カード」から「ケータイ」へ

最近のクレジットカードやキャッシュカードを見ると、カードに金色の金属チップが埋め込んである。ICチップだ。ICチップが埋め込まれたカードがICカードである。
最近、必要に迫られて、この世界の技術について勉強したが、数年前まで、開発段階だったものが、ここ1、2年で一気に実用段階に入り、我々の身の回りに登場してきている。

カードに埋め込まれている金色のICチップは接触型ICチップ。非接触型ICチップというのもあって、これは、電子マネーのJRのSuicaカードやEdyなどに使われていて、表面からは見えない。接触型も、非接触型も基本的な構造は同じで、計算処理等を行うCPU(演算装置)とデータやアプリケーションソフトを搭載するメモリー部分に分かれていている。電源はATMやカードリーダーなど外部から供給を受け、ATMやカードリーダーとの間で情報をやりとりし、いわば小さなコンピューターとして働く。(参考記事:知っておきたいICカードのタイプと使われ方

接触型の金色のICチップが搭載されたカードは、従来のキャッシュカードやクレジットカードの磁気ストライプ部分に記録されていた暗唱番号のデータをICチップのメモリー部分に記憶し、さらに自ら持つCPUと残ったメモリーをどう活用するかという課題はあるものの、基本的には従来のカードの延長線上にある商品・サービスだと思う。
現在、カードの世界では、ICチップの登場により多機能化が一気に進み始めている。銀行のキャッシュカードとクレジットカード機能の一体化、クレジットカードと電子マネー機能の一体化、ひいてはキャッシュカード・クレジットカード・電子マネー機能が一枚のカードに納められたカードも登場している。まさしく、カードにおける「all-in-one」である。

一方、非接触型ICチップが登場したことにより、これまでプラスチックカードの存在を前提にしていた商品・サービスが、カードというインフラから離れることが可能になった。その代表が、携帯電話を利用した「おさいふケータイ」である。SuicaやEdyのアプリケーションソフトが携帯電話の非接触ICチップにダウンロードされれば、そのまま使える。さらに、NTTドコモでは、DCMXという独自のクレジットブランドを立ち上げた。携帯電話がクレジットカードの機能も兼ね備えることになる。(DCMXは、カードも発行するようではあるが…)

これまでは、サラリーマンが、必ず持ち歩くものといえば、通勤電車の定期券、銀行のキャッシュカード、この10年ほどで、そこに携帯電話が加わった。(クレジットカードは、持ち歩いてはいるが、なくても何とかなる)

そして、ICチップの登場により、それらの日常携行品が様々なサービスを加えてきたが、金融と交通は融合し、1枚のいずれカードで用が足りるようになるだろう。さらに、その複合カードの機能を携帯電話が全て吸収することになるのか、しばらくは企業間の合従連衡、陣取り合戦が繰り広げられるだろう。

今のところ、非接触ICチップのメモリー容量の問題で、全てのサービスを携帯電話に取り込むことは難しいようだが、技術的には解決可能な問題だろう。

キャッシュカード、クレジットカード、電子マネー、定期券の全ての機能を取り込んだ携帯電話ができれば、持ち歩くものが減って便利にはなると思うが、携帯を忘れたり、なくしたりすると何もできなくなるリスクも抱えることになる。最後は、何を選ぶかは利用者次第になるとは思うが、しばらくはこの世界から目が離せない。

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2006年7月 1日 (土)

盆地の霧

今週、北海道で遭遇した「海の霧」について書いたが、もう一つ、北海道で遭遇した2度目の霧は、「盆地の霧」と言っていいと思う。

単身赴任で札幌にいた私は、年末年始、春休み、夏休みの3回家族を呼んだ。年末年始の札幌は当然にして雪の中。主に、市内を案内するだけだった。春休みも、まだ雪は至るところに残っていて、雪の支笏湖や、雪の羊蹄山を見て回った。
夏休みは、札幌から泊まりがけで、道東地域へ車を走らせた。摩周湖から車で15分ほどの摩周ユースホステルに宿を3泊確保し、そこを拠点に、摩周湖はもちろん、知床、阿寒湖、網走などを見て回った。

幸い、天気には恵まれたが、早朝はいつも霧の中だった。摩周湖があるのは、弟子屈町。(私は最初「でしくつ」と読むものだと思いこんでいたが、正しくは「てしかが」と読む)。摩周湖ばかりが有名だが、摩周湖の西には、日本最大のカルデラ湖である屈斜路湖がある。摩周湖も、火口に雨水がたまってできたカルデラ湖である(摩周湖には、流れ込む河川はないし、摩周湖を水源とする河川もない)。
弟子屈町は、西に摩周のカルデラ、東に屈斜路のカルデラに挟まれた盆地になっており、南北にはJRと幹線道路、東西には道路が走っており、弟子屈の町がその中心にある。

早朝、宿の周りが霧に霞む中、眠い目をこすりながら、デジカメを片手に、車で朝の摩周湖に出かけた。しばらく、霧の中を走る。平野だが、北に向かってわずかな登りになっている。5分ほど走ると、急に視界が開けた。霧から抜け出したのだ。さらに摩周湖の展望台にむかって、摩周のカルデラのを登る。

摩周湖第一展望台に着いた。朝の6時を少し回ったところ。

A

西側の弟子屈の盆地は一面の雲海。 晴れていれば、見えるであろう屈斜路湖もまったく見えない。屈斜路湖の東、摩周湖との間にある硫黄山の山頂だけが、雲海から顔を出している。

A_1

そして、雲海のはるか遠くには雄阿寒岳が浮かび上がる。何とも、幻想的な景色だった。


『楽しい気象観察図鑑』(武田康男〔文・写真〕、草思社)には、霧について次のような説明がある。

よく晴れて風が弱い夜は、放射冷却という現象が強く起こり、地表の熱が宇宙空間に逃げていきます。これによって地表付近の気温が下がり、空気中の水蒸気が水滴となって空中に現れます。これが霧です。ふつう太陽が昇る直前に最も気温が下がるので、霧は朝方に濃くなります。(中略)
とくに盆地では冷えて重くなった空気が集まりやすく、霧がよく出ます。
(『楽しい気象観察図鑑』14、15ページ)

なるほど、よくわかる。そこだまりの重たい空気の層から抜けた時に、視界が開け、霧をぬけたと言うことだろう。また、太陽が昇り気温の上昇とともに、朝霧は消えていった。地表の温度が上がり、水滴が再び水蒸気となって言ったのだろう。本当は、こういう事を、子どもにすらすら教えられる父親になりたかったのだが…。これから、少しずつ、勉強し直すしかないだろう。

最後に、お目当ての摩周湖は霧ひとつなく、朝日に輝く湖面をカメラに納めることができた。A_2

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2006年6月30日 (金)

ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』を読み終わる。

第3巻では、ゲドはローク島の魔法学院の大賢人となっている。しかし、アースシーの周辺部では、魔法が使われなくなり、ものの名前が忘れられ、人々は無気力になっている。世界の均衡にほころびが生じている。ゲドは、それを伝えに来たエンラッド国の王子アレンとともに、世界のほころびを生じさせている原因を突き止める旅に出る。アースシー世界の海を何日も航海し、南へ、西へと彷徨う。どこの島でも、魔法は忘れられ、人々は自分の幸せのみを求め、魂をなくし、死んだようになっている。最後に、さいはての島セリダーで、その原因を作り出していた敵をみつけ、対決する。

今回、語られるテーマは「生と死」であるが、同時に青年アレンの成長の物語でもあり、それを支えるゲドとアレンの関係は、親子を象徴しているようにも読める。ゲドは、旅の途上では、アレンに対し、決して多くを語らない。アレンは、時として、疑心暗鬼になりながら、自分で懸命に考え、答えを見いだしていく。
このあたりは、子育てにおいて、親が簡単に答えを教えてしまうのではなく、子どもが自ら学んで行くことを、我慢して見守ることの大切さを教えているようにも思える。
読む人の、年齢、経験や立場によって、幾通りもの読み方ができそうで、ひと言では到底語りきれない。

スタジオジブリのアニメ映画『ゲド戦記』は、この3巻がベースになるようだ。
均衡を失ったアースシー世界の人々の姿は、今の過去の日本人の美徳を忘れ、自分で考え、判断することを忘れ、自分さえ良ければいいという、現在の日本人の姿にそのまま重なるようにも読めて、アメリカで1972年に書かれたものでありながら、そのまま、今の日本人への問いかけにもなっていると思う。制作者側にも、それを問いかけたいという思いもあるようだ。
読み手の経験と感性で、いかようにも読める、深みのある作品を、映像化し、ひとつのイメージを作り上げてしまうことについての、賛否は当然あるとは思うが、映画にならなければ、ゲド戦記の世界にふれることのなかった多くの人々が、これを機会に、原作の世界に足を踏み入れることになれば、そのプラス効果の方が、より大きいと思う。1ヵ月後に、公開される映画の方も楽しみである。

*関係する記事
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6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』(本編)

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年6月29日 (木)

パン教室の先生

今日、妻が通っていたパン教室の講師の認定試験があり、なんとか合格した。とりあえず、家族一同ほっとしている。(多分、妻本人が一番ほっとしていると思うが)

試験の課題は、「食パン」と「あんパン」を焼くこと。試験が近づいた先々週あたりから、いま習いに行っている教室の先生からは、「食パンを100斤焼きなさい」と言われ、介護のパートの傍ら、夜遅くまで、食パン作りと格闘していた。(結局100斤には届かず、30斤くらいだったようだ)
なかなか、うまく焼けないようで、落ち込む日も多々あり、以前、「田舎で小さな喫茶店を開き、自分がパンを焼くので、あなたはおいしいコーヒーを淹れて」と言っていた威勢の良さは影を潜めていた。
最近では「自分は専用オーブンに、発酵器も持っているのに、持っていない(教室の他の)人より出来が悪い」「自分は、パン作りの才能ないかもしれない…」「パン作りに向いていない…」と弱気発言の連発で、しまいには、「あのパン教室の教え方は変だ」と言い出す始末で、なだめるのに一苦労だった。

まあ、人に教える資格をもらうのだから、そう簡単には行くはずもなく、「教室の先生は、同じ食パンを何回も焼くことで、均等な品質でパンを焼くことの難しさを、身をもって体験してさせようという事なのだろうな」と、端からみている私などは思うのだが、渦中にいる当事者は、それどころではないようだった。

練習で焼いた食パン、あんパンのうち、いくらかは我が家で自家消費したが、毎日のように2斤、3斤と焼かれる食パンを食べきれるはずもなく、近所に配るにも限度があり、焼かれたパンの半分以上は捨てられてしまったようだ。もったいないというか、申し訳ないというか……。

捨てられたパンたちの供養のためにも、妻にはこの資格を今後の人生の中で是非有効に活用して欲しいと思っている。(私のコーヒーの方は、当分、進みそうにないけれど)

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2006年6月28日 (水)

ブログ4ヵ月経過、最近の状況

ブログを始めて、既に4ヵ月が経過した。徐々に、アクセス数も増加して、自分が書いた記事を確認するのに、自分でアクセスする分などもカウントには入っているが、多い日は1日80アクセスを超える日も出てきた。通常の日でも、40~50アクセスになっている。次の目標は、1日100アクセス達成に置いている。

他のブロガーのブログはわからないが、私のブログの場合は、直近の記事だけでなく、結構過去の記事にもアクセスしてもらっている。特に、最近は検索サイトを通じての、アクセスが増えている。ココログでは、日々、記入したブログを、個別の記事、月別の記事、カテゴリー毎の記事という形で、何通りかの区分でファイルしている。検索サイトからは、それぞれが、独立した1つの情報として扱われるようで、私のように、1つの記事を、いくつかのカテゴリーで登録しておくと、複数の検索ワードで検索された場合、1ヶ月分の記事や、1つのカテゴリーの中の記事のどこかに、検索ワードが該当すると、対象として上がってくるらしい。

以前、同じような話で「喫茶店」と「マスター」という言葉でグーグルで検索をすると私がブログを始めた頃の記事が結構上位に出てくることを書いたが、「頭痛」「微熱」「風邪」の3語をグーグルで検索すると、今日の時点では、5月14日に私が書いた『ブログの大敵「頭痛と微熱」』が上から3番目に登場する。これなどは、検索した人は、治療法など全く別の情報を期待して検索したのだろうなと思うと申し訳ない気がする。

また、記事を書けない日が数日続くと、やはり確実にアクセスは減る。ここのところ、2週間近く、毎日書き続けているので、これをどこまで続けられるか、もう少し頑張ってみるつもりだ。

何かの縁で、私のブログをのぞいてくれた人が、もう一度訪れてくれる気になるかどうかは、やはり、内容次第だと思うので、テーマである中年をキーワードに、これからも読んでもらえるものを書いていきたい。

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2006年6月27日 (火)

海の霧

今日は、平日休暇を取った。午前中、都心まで出て、会合に出たあと、昼過ぎに自宅に戻る。リビングでテレビをつけると、各地の天気を伝えていて、北海道では霧に包まれる釧路市の幣舞橋(ぬさまいばし)の映像が登場していた。

北海道では、何度か霧に遭遇した。最初は海の霧だ。
去年(2005年)の5月29日、桜で有名な日高地方の静内二十間道路に向かった。静内町は競走馬の産地としても、有名で、昨年、吉永小百合の主演映画として話題になった『北の零年』も静内が舞台だった。
札幌から道央自動車道で、南に下り、苫小牧東ICで日高自動車道に乗る。シシャモで有名な鵡川で自動車道は終わり、あとは、海沿いの国道235号線を走った。地図を見るとわかるが、国道235号線は、途中から海岸線を沿うように走っている。静内に向かっては、右手に太平洋、左手は至るところの日高の馬牧場を見ながら車を走らせる。

Photo_1晴れていて、気温も暑すぎず寒すぎず、快適なドライブと喜んでいたら、静内の隣町の新冠に近づいたところで、突然、海から霧が湧いてきた。海の方から、陸に向けてあとからあとから、霧が湧き出してきて、瞬く間に道路を覆っていった。最初はうっすらだったが、どんどん濃くなっていく。視界も、どんどん悪くなる。車のスピードも落とさざるを得ない。とりあえず、いったん新冠(にいかっぷ)の道の駅で休む。(写真は道の駅で。銅像の馬はハイセイコー、写真の後方の建物は霧に霞んでいる。)
霧はすぐ収まる気配もないので、残り5~6kmということもあり、再び出発。程なく、静内の町に着いたので事なきを得たが、もっと手前で霧に遭遇していたら、行くのをあきらめていただろう。
二十間道路は、町中から少し山手に上がったところだったので、霧もそこまでは追いかけてこず、ゆっくり見物はできたが、桜の方は盛りは過ぎかなり散り始めていて、一部は葉桜になっていた。
帰りは、安全を考えて、少し遠回りだったが、途中まで山間部の道を走った。帰り、鵡川の道の駅「四季の館」で、ひと休みしていたら、こちらにも霧が迫ってきた。霧から逃れるように、札幌に向かったのを思い出す。

先日、紹介した『楽しい気象観察図鑑』(武田康男〔文・写真〕、草思社)には、

海でも、親潮(北海道の東側から房総沖にかけて北から南に流れる寒流)などが流れる冷たい海では、空気が冷やされて霧が発生しやすくなります。海で発生する霧は範囲が広く、視界が悪くなるので、船の航行にはたいへん危険です。(以下略、同書15ページ)

とある。急に冷たい親潮が、沿岸付近まで流れて来たのだろうか。天気も悪くなかったので、暖められていた海上の湿った空気が、急に寒流で冷やされ、海から霧が湧き出したように見えたのだろう。やはり、自然の力は侮れない。

余談だが、まっったく別件で検索をしている最中に、『楽しい気象観察図鑑』の作者の武田康男さんのインタビュー記事をみつけた。経歴を見て、自分と同じ1960年生まれということで、さらに親近感を覚えた。「SKYPAGE」というホームページの写真も素晴らしい。

二度目の北海道の霧体験は、また改めて書くことにしたい。

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2006年6月26日 (月)

ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』

ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』を読み終わる。

今回は、まず、ゲドの物語世界であるアースシーの中にあるカルガド帝国の大巫女「アルハ」が登場する。彼女は、先代の大巫女が亡くなった日に生まれたことから、大巫女の生まれ変わりとして、両親から引き離され、その本来の記憶は闇の世界の生き物に生け贄として捧げられ、”喰らわれし者”となり、闇の世界に仕える大巫女として育てられる。大巫女は墓守であり、彼女の住む館の地下には、墓所の地下迷宮があり、その奥まで立ち入るのが許されているのは、大巫女だけである。
物語の前半は、アルハの日常の生活が淡々と語られ、ゲドはなかなか出てこない。物語の半ばにさしかかる頃に、ようやくケドらしき人物が登場する。彼女の地下迷宮への闖入者として。話は、常に、アルハの目から語られ、最初はゲドらしき人物は第三者でしかない。
彼女は、その怪しい男を迷宮の中に閉じこめ、葬り去ろうとするが、一方で、この闖入者に無関心ではいられないし、結局、悪者として葬り去ることもできない。
ついに、迷宮を支配する大巫女として、闖入者に声をかけ、ここから物語はアルハだけの話から、アルハとゲドの物語への変わっていく。ゲドは、「テナー」というアルハの本当の名前を知っていて、彼女に本当の名前で呼びかける。そこから、彼女が少しずつ自らに目覚めていくが、その間、数々の危機や試練が待っている。

この第2巻『こわれた腕輪』も、第1巻『闇との戦い』に劣らず、深淵だ。第1巻が、ゲドという青年の自己発見の物語とすれば、第2巻はアルハという少女の自己発見の物語である。見方によっては、現代版「眠れる森の美女(いばら姫)」とも思える。少女から女性へという成長の中で、少女(王女)を眠りから解放する王子の役目をゲドが担っているようにも思う。

また、少女の成長という側面だけでなく、本来の自分を亡くし、闇に”喰らわれし者”となって、生きている人間への警鐘の物語にも読める。(ものには、そのものがもつ本当の名前があるというのが、1・2巻を通じたテーマのひとつである。)

さらに、第2巻では、アルハ(テナー)のゲドへの信頼ということが、特にゲドの口から語られる。ゲドも全知全能の魔法使いではなく、アルハの支え、アルハが信頼してくれたからこそ、魔法使いとしての力を発揮できたと語る。

おそらく、全6巻を全て読み終わって初めて見えることが、たくさんあるのだと思う。今日から、第3巻『さいはての島へ』を読み始めることにしよう。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』(本編)
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年6月25日 (日)

ステップ・アップ

先週の金曜日に郵便が届いた。待っていた資格の認定書だ。資格は「金融内部監査士補」。
4月の7日13日のこのブログの記事にも書いたが、本来、9月末が最終提出期限だった7回分の通信教育の添削課題を第1回を3月末に提出してから、集中してやって、4月半ばには、7回分を出し終わった。ゴールデン・ウィーク明けには、最終回の添削課題の採点結果が返却され、5月下旬に通信教育の修了証が届いた。そこから、改めて、日本内部監査協会というところに、5250円を支払って資格申請を行い、協会から認定書が届いた。通信教育を実施している会社と、資格認定の協会が別ということもあり、時間がかかってしまった。
「監査士補」の資格を取ると、「金融内部監査士」試験の受験資格が得られる。次は10月にある「監査士」試験の申込だ。さらにその勢いで、国際資格の試験も受験するつもりでいる。

米国でのエンロンやワールドコムの会計不正事件が頻発したこと、日本でもカネボウやライブドアの不正事件、それをチェックできなかった監査法人と、なるべく多くのい利益を上げ、株価を上げ、株主価値を極大化するということも、行きすぎると一線を踏み越え、ルール違反、不正、犯罪に繋がる。なんとか、組織の中にあって、それをチェックするのが、内部監査の役目。これまでは、あまり重んじられていなかったが、米国でも法規制が強化され、日本でも同様の規制強化が議論されている。日本の法整備が実現する数年後には、さらに重要度が増すと思うので、いまのうちに勉強して、とれる資格は取っておこうと思う。その第一歩が、ようやく終了。次に向けてステップ・アップだ。ブログで、合格報告ができるよう頑張らなくては…。

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2006年6月24日 (土)

「団塊の世代」論の自分なりの総括

昨日、ある会に参加するために麻布へ行った。地下鉄の白金高輪駅で降りて、桜田通りを少し歩くと、小ぎれいな古本屋がある。麻布での会は、月に1回程度あるのだが、いつも前を通り過ぎていたのだが、先月、ちょと探したい本があって、足を止め、店内に入り棚を丹念に探すと見つかった。

その時探していたのは、しばらく前に関心を持って読んでいた世代論で、団塊の世代を取り上げた『団塊の世代とは何だったのか』(由紀草一著、洋泉社新書)だった。出版から2年あまり経っていて、私がふだん行くいくつかの書店の新書コーナーでは、置いてあるところはなく、ネットでわざわざ注文するほどでもないと思って、そのままになっていたのだ。著者はポスト団塊とも言える1954年生まれの高校の先生で、読んでみると、かなり辛口の団塊批判になっている。カバーの折り返しには、次のように書かれている。

過剰意味づけ、うるさい、自分の主張を押しつける、せっかち、リーダーシップなし、責任を取らない、被害者意識ばかり、…
いまや団塊世代をバッシングする言葉は何らかの緊張感なしに垂れ流されている。
しかし、誰にそう言い切れる資格があるのか?
純粋戦後世代第一号たるこの世代を論じることは、とりもなおさずこの国の戦後が無意識に追求してきたものを論じることに他ならない。
好悪の感情でなく、自分を論じるように、この世代を論じ切ることは、じつに戦後を、身勝手に正当化するだけのろくでもない代物にするか生きる根拠とするか、の分かれ目である。

私がここしばらく、世代論を読んできた結果の、団塊の世代についての自分なりの考えをまとめると、団塊の世代の大多数の人々は、青年期、中年期の不安や危機を、自らの心の内に向け考えることをせずに、その数の力に任せた、外向けの大衆行動の中で、解消してきたのではないかということである。
大学卒業間際の「自分は社会に出て何をするのか?」という課題には全共闘運動による体制批判で、中年期の「自分はこのままでいいのか?このまま人生を終えていくのか?」というミドル・エイジ・クライシスの時期には、バブル経済期の「買うから上がる、上がるから買う」という思考停止の中で、それを推進する現場の担い手の中心として、どちらも「みんなで渡れば怖くない」という数の論理で推し進めてきたのではないか。(「みんなで渡れば怖くない」の言葉をツービート時代に世に流行らせたビートたけしも、1947年生まれの団塊世代である)

私は、団塊の世代は、好き勝手なことをやって責任を取らず、そのツケを次世代の我々に残したと考えてきた。確かに、あまたの団塊批判はそのような論調が中心である。

しかし、最近、そうやって団塊世代を批判しても、自分自身にとって何のプラスにもならないような気がしてきた。

いくつか理由があるが、まず第一は団塊の世代が、前後の世代に比べて人口が極めて多いのは、彼らの世代の責任ではないこと。その直接の原因は、日本という国が戦争を行い、多くの人を戦場に送り、死なせてしまったこと。そして、運良く生き残った人々が、戦後、自らの愛情欲求を満たすべく、パートナーを求め、愛情を確かめ合った結果として、団塊の世代が誕生した訳で、その時代に生まれたのは、彼らの責任ではない。

第二に、いくら他の世代が団塊批判をやったところで、すでに60年近く生きてきた人たちの思考パターンが急に変わるわけでもなく、バッシングや批判は、それを語る人の自己満足にしか過ぎないこと。もちろん、納得できない面はあるが、それを所与のものとして、考えざるを得ないこと。

第三に、団塊の世代のマイナス面ばかりをあげつらっているが、周りの世代も団塊世代にただ乗りしてきた部分もあること。日本がオイルショック等を経ながらも、ある時期まで経済成長が維持できたのも、マス消費世代としての彼らの存在があったからだろう。そういった目に見えないプラス面を評価しないのは一方的過ぎる。

上記の引用文でも書かれているように、この世代を論じることは自らもその一員であった「この国の戦後が無意識に追求してきたものを論じること」であり、それは、とりもなおさず、自分の歩いて来た道を論じること通じるのだと思う。

我々の世代に必要なのは、批判することではなく、団塊世代が依然として社会のマスを占める存在としてある中で、それを前提に、これからの社会あり方や個人の生き方を考えることではないか、一人ひとりがそれを考えていかない限り、社会は、世の中は良くならないのではないかということである。

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2006年6月23日 (金)

ワールドカップ予選、日本完敗

先ほど、ワールドカップの日本対ブラジル戦が終了。前半こそ、33分に玉田が1点先制し、リードしたようだが、前半のロスタイムにロナウドに1点取られ、同点に追いつかれたとのこと。4時に目覚ましをかけていたのに、起きられず、5時に起きて、ちょうど後半開始直後から中継を見始めたが、直後の後半8分に強烈なミドルシュートを食らい、逆転。あとは、見る気がしなかった。結局、その後も2点追加され、1-4で完敗した。

1次予選で、1分2敗。クロアチア-オーストラリア戦は、2-2で引き分けなので、グループFからは、ブラジルとオーストラリアが決勝トーナメントに進出することになる。

最後まで日本らしいサッカーが見られなかったのが残念だ。ドイツ入りした直後の、ドイツー日本戦がピークだったのかもしれない。

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2006年6月22日 (木)

『影との戦い』

ゲド戦記第1巻『影との戦い』を読み終わった。この本の主題は、かなり哲学的で、児童文学というには、少々レベルが高いと思う。

魔術師の素養を持つ、少年ケドは魔法学院で、自らの尊大さやねたみから、自分に力を過信し、死者の霊を呼び出し、それとともに死者の国から、彼を狙う影を、現世に呼び込んでしまう。その影は、彼を追いかけ、彼を虜にしようとする。ケドは、逃げ続けるが、影は執拗に追いかけてくる。彼は、少年時代に自分を育ててくれた故郷の恩師のもとに帰り、そこで、その影に向かい合い、今度は自ら影を追いかけることを決心する。

おとといの記事で取り上げた、「訳者あとがき」に書いてある通り、自我の影の部分を自らに取り込み、統合する過程を描いた作品といえるだろう。まさに、青年期の課題である本当の自分を知るということを、象徴的に描いた作品だと思う。

以前、同時代ライブラリー版の『影との戦い』を読んだ時も、おぼろげに感じ、今回も読んでいて感じたことだが、この作品は、読んでいて、どこか無機質で、透明で、乾いた印象を受ける。どうしてだろうと考えて見ると、他の児童文学とは違い、主人公であるゲドを筆頭に、登場人物の発言や会話が少ないような気がした。主人公の行動を、著者が淡々と記録しているのだ。

明日に悩む大学生や、中年世代にお勧めだと思う。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』(本編)

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年6月21日 (水)

季節の節目、「夏至」

今日は「夏至(げし)」だったそうだ。
美しい日本の言葉を集めてベストセラーになった『美人の日本語』(幻冬舎)を書いた山下景子さんが、季節のことばを集めて『美しい暦のことば』(インデックス・コミュニケーションズ)という本を書いている。その中で、「夏至」を探してみると、

「夏至」は一年で一番昼の時間が長い日です。
また、太陽が最も高くまでのぼる日でもあります。
正午の時間帯では、ほとんど真上から照らされているような形になるので、影も一番短くなります。
日が沈んでからもしばらくはまだ明るさが残っているほどの、太陽のパワーを実感できる日ですね。
ところが、だいたいの地方が、梅雨の真っ最中。太陽の姿さえ見ることができないかもしれません。
(以下省略、『美しい暦のことば』89ページ)

そういえば、TVのニュースで、影が短いということをアナウンサーが言っていた。この本を読んでいたのかもしれない。

もう1冊、『NHK気象・災害ハンドブック』(NHK放送文化研究所、NHK出版)で、「夏至」を調べると、

夏至〔ゲシ〕6月21日ごろ、太陽の黄経90度
1年中で一番昼が長い。梅雨に入り、田植えで農家が最も忙しいころ。しょうぶが咲き始める。
(『NHK気象・災害ハンドブック』111ページ)

東京は、太陽のパワーを感じる日だったような気がする。午後7時過ぎでも、まだ薄明るかった。

季節の変化にもっと敏感になり、気象の変化の仕組みにより詳しくなりたいと『楽しい気象観察図鑑』(武田康男〔文・写真〕、草思社)なんていう本も買い込んでいるが、まだ活用しきれていないのが実態だ。このブログでも、折りにふれて取り上げていきたい。

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2006年6月19日 (月)

第64期将棋名人戦

第64期の将棋名人戦は、森内名人3勝、挑戦者谷川九段2勝のあとの第6局が、15日(木)・16日(金)の2日にわたって行われ、先手番の森内名人が勝って、4勝2敗で名人位を防衛した。
これで、名人位通算4期となり、永世名人の資格を得るまでにあと1期となった。羽生善治王将も通算4期で、中原16世名人、谷川17世名人の後の18世名人の資格をどちらが得るかも楽しみになってきた。

個人的には、40代で同世代の谷川浩司九段の健闘を期待していたが、一歩及ばずだった。

角川書店の角川oneテーマ21という新書から、谷川九段が2000年に『集中力』という本を、羽生善治王将が2005年に『決断力』という本を、出している。読み比べると2人の考え方の違いがわかっておもしろい。どちらの本にも、それぞれ集中力と決断力の大切さは書かれているのだけれど、そこは出版社の商魂のたくましさだろう。

*追記(2006年8月27日)
タイトルを当初の「将棋名人戦」から「第64期将棋名人戦」に変更しました。

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる

*上記記事を含め、このブログの将棋に関する記事の一覧はこちら→アーカイブ:将棋

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2006年6月18日 (日)

デザイン変更、支笏湖と風不死岳

Photo_2
6月も半ばを過ぎ、久しぶりにブログのデザインを変更した。これまでは、ココログの出来合いのリッチ・テンプレートから選んでいたが、今回は、少し自分でカスタマイズしてみた。

タイトル画面は、支笏湖と1103mの風不死(ふっぷし)岳(右)、左奥が樽前山で平べったく見えるのが樽前山の溶岩ドームだ。去年の5月29日にデジカメで撮影した写真を、ブログのタイトルの大きさにあわせて、上下をカットし、バーチャル・ペインターというソフトで加工した。

支笏湖は、札幌から車で1時間ほど。空の玄関「千歳空港」からは、もっと近く車で30分程度だ。先日、東京で盛大なお祝いの会をしたN先生が、一昨年の11月半ばに、札幌に来られた時は、飛行機が到着するお昼時に、車で空港まで迎えに行き、その足で、支笏湖にご案内し、地元では有名な丸駒温泉にお連れして、夕方、札幌に戻った。

11月の支笏湖は、冬の到来間近で、風も冷たかったが、半年後の5月に再度訪ねた時は、風も気持ちよかった。

「支笏・洞爺国立公園」の一部であるが、地図で見ていると、近そうに見える支笏湖と洞爺湖も、100Kmは離れているのと思う。近いと思って車で走り、なかなか辿り着かなくて、参ったことを思い出す。北海道は広い。

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自分らしく生きること、自己実現

前回に続き、海原純子著『こころの格差社会』(角川oneテーマ21)を題材に考えてみる。

『他人に振り回されてへとへとになったとき読む本』(青春出版社、2003年)は、女性を読者層に想定した、自分らしい生き方をテーマにしたものだったが、その後、この3年ほど、内面的な成長・充実といったことは十分議論されることはなく、人から見た基準での「勝ち組・負け組」論が横行していること、ベストセラーとなった『下流社会』(三浦展著、集英社新書)の中で、「自分らしく生きる」ということが、「自分の世界に閉じこもり、上昇努力を放棄した下流の人々の行動パターン」のような形で否定的に書かれていることもあって、この本では、本当の意味での「自分らしく生きること、自己実現」とは、何かを改めて問いかけている。

『下流社会』では、上流と言われる人が、内面的に充実しているのかどうかは、全く議論されていない。上流とは、高学歴、高所得とのイメージであり、世間的でいう成功者であり、勝ち組である。『下流社会』の著者の意図は、彼の言う「自分らしく生きる」ことに逃げこみ、階層上昇のための努力を放棄し下流に甘んじる人々に対して、「本当にそれでいいのか?」と警鐘を鳴らすことにあったと思うが、「下流=負け組」との受け取られ方をされ、一般には、「勝ち組・負け組」議論を助長した本と思われている。

私も、自分の子どもに、「自分らしく生きる、自分の好きなことを見つける」ということを強調するあまり、社会で生きていく基本を身につけるために、学校ではきちんと勉強し、成績が少しでも上がるよう地道に努力するということの大切さを教えることが疎かになっていたのではないかと、『下流社会』を読んで、少々反省した。

『こころの格差社会』の中で、著者は、自分らしく生きること・自己実現というものは、本来そのようなレベルのものではないと説く。著者は「マズローの欲求レベル」を引き合いに、人間の欲求レベルを説明する。

1.「生理的欲求」-最も基本的な欲求、ものを食べる、排泄する、性欲など
2.「安全欲求」-安全な住まい、マイホームがほしいなど
3.「愛と所属の欲求」-愛し愛され、家族を持ち、よりどころを持ちたい
4.「社会承認欲求」-社会の中で職業を持ち、認められたい
5.「自己実現欲求」-自分らしい固有の人生を送りたい

4.の社会的承認欲求までが、自分の外側に向かって求める条件、5の自己実現欲求は、自分の内側に潜むものを実現しようという願い、まさに自分らしく生きるということである。

今回、この本を読んで、自分の中で整理できたことがあった。本当の意味での「自分らしさ」を求めるようになるまには、時間がかかるということである。著者は次のように語る。

自己実現欲求というのはその前段階の4つの欲求、「生理的欲求」「安全欲求」「愛と所属の欲求」「社会承認欲求」が満たされた上でないと生まれないもので、自己実現欲求が生じたにしても、それを満たすために行動するには、前の4段階をクリアしていないと土台がぐらついたものになる。(中略)
「自分らしく生きる」というのは、まず条件として、「生理的欲求が満たされていて、住む場所があり、平和で、社会参加し、家族や、家族がいなくても愛する人や動物がいることが必要なのである。
この段階までをクリアするのにはある程度時間がかかる。(中略)だからまずは、この社会的承認欲求までを満たすべく努力するのは間違いではないだろう。
今の日本の多くの人々が行き詰まって満足感がないのは、各々立場や環境は異なっても、みなが全員ベクトルを外側にむけつづけ「個人のなりうるもの」を達成していないからである。ベクトルを外にむけ、外的条件を求めつづけるから不満が起きているのである。(『こころの格差社会』171~172ページ)

「社会的承認欲求」が満たされて初めて、「自分らしく生きる・自己実現」ということが、問われてくるということを考えれば、それには程遠い子どもをつかまえて、「自分の好きなことをみつけ、自分らしく生きる」ことを求めることが、性急過ぎたことがわかる。
(もちろん、子どもにも、自分が何をしている時が楽しく、何が好きなのかを考えさせることは、無駄なことではないと思うが、その前に、規則正しい生活が送れ、社会的常識を身につけ、自分ひとりでも生けていける力を養うことの方が、より重要だろう。)

「中年の危機」(ミドル・エイジ・クライシス)は、ある程度「社会承認欲求」が満たされているからこそ、生じてくる問題なのだろう。

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