2015年9月 6日 (日)

マンガ『弱虫ペダル』大ヒットの理由を考える。主人公小野田坂道は指示待ち世代の典型?

NHKBS1で「ぼくらはマンガで強くなった ~SPORTS×MANGA」という番組があり、今年(2015年)の5月31日の放送で、自転車ロードレースとマンガ『弱虫ペダル』(渡辺航作)が取り上げられた。
原作者の渡辺航がどういうきっかけでこの作品を書くことになったのか、日本人で初めてツールド・ド・フランスに参加した新城幸也がこのマンガをどう読んでいるかなど、また『弱虫ペダル』のあらすじも紹介され、数年前から自転車競技に興味を持ち、『弱虫ペダル』の存在も気になっていた私は、すぐに、40冊に及ぶマンガ『弱虫ペダル』を読み始め、40冊を1週間ほどで読み終えた。

弱虫ペダル コミック 1-41巻セット (少年チャンピオンコミックス)

さらに、原作だけでは飽き足らず、アニメ『弱虫ペダル』(全38話) 『弱虫ペダルGRANDE ROAD』(全24話)も、ケーブルテレビのオンデマンドで全話見た。

『弱虫ペダル』の主人公小野田坂道は、アニメおたくの高校1年生。入学した千葉の総北高校で「アニメ研究部」への入部を楽しみにしていたが、人数不足で活動休止。活動再開を目指して部員集めをしている中、ふとしたことから自転車競技と巡りあい、坂登りのスペシャリスト(クライマー)としての素質を見いだされ、総北高校自転車競技部に入部。自転車を中心とした彼の新しい青春が始まる。
自転車でのキャリアは長い今泉、鳴子という2人の同級生。彼らを見守り、育て、ともに戦う3年生のキャプテンでエースの金城、スプリンター田所、クライマー巻島。インターメンバー6人の枠を1年生3人と争う2年生の手嶋、青八木などのチームメイトたち。
さらには、総北高校の前に立ちはだかる高校自転車界の常勝校「箱根学園」。箱根学園にもキャプテン福富、スプリンター荒北・新開、クライマー東堂の4人の3年生、2年生の泉田、1年生の真波など総北の面々に負けず劣らず個性的はメンバーが揃う。
総北、箱学の争いに割って入ろうとする京都伏見の御堂筋には何をやるかわからない狂気が漂う。

「少年チャンピオン」で2008年から連載が始まった『弱虫ペダル』はまだ連載が続いている。
アニメ化されたのでは、コミックでは27巻にあたる主人公坂道の高校1年生のインターハイ終了までだが、マンガの連載はその後も書き継がれ、41巻では坂道が2年生のインターハイでまで進んでいる。発行部数も1000万部を超えたと言われる。
アニメの総集編の映画「弱虫ペダルRe:RIDE」、さらに(2015年)8月下旬には新作の劇場映画も封切られた。

個性的なチームメイトが揃い、強者揃いのライバルたちと戦うというスポーツマンガの王道をいく。一方、これまで一般にはなじみのなかった自転車競技、ロードレースの迫力、スピード感、躍動感、臨場感を見事に表現し、手に汗握る展開に「次はどうなるのだろう?」とページをめくる時に感じるわくわく・ドキドキ感も満載で、大ヒットもさもありなん。読み終えると、自分も自転車に乗ってペダルをこぎたくなる。

不思議なのは主人公小野田坂道の存在だ。彼は、アニメおたくとしては主体的に行動するが、自転車競技では基本的に受け身だ。坂道の坂登りの才能を見いだした同級生の今泉や鳴子の(精神的な)後押しもあり、入部を決意するが、入部後は次々と与えられる課題をこなすだけである。結果的にインターハイでも華々しい活躍をするが、すべてはキャプテン金城から与えられるオーダーを全うしようと全力を尽くした結果に過ぎない。
ここに大ヒットのもう一つの理由がある気がしてならない。主人公小野田坂道に対して、役割も目標も周りが与えてくれる。同級生や先輩に恵まれたからこそ、坂道の存在が光るのだ。
『弱虫ペダル』は、おたくで、ネクラ、あるいは指示待ち世代といわれる現代の若者たち(の一部)の「自分には自分がまだ気づいていない才能や長所があるのではないか?」という思い、「誰かが自分の才能や長所に気がついて、ふさわしい仕事や役割を与えてくれれば、自分ももっと頑張れるのに...」という潜在的な願望を、マンガという形で実現させてみせたから、ヒットしたのではないか?

マンガ『弱虫ペダル』がアニメ化の区切りであった坂道1年生のインターハイ終了時で連載を終了し作品として完結していれば、スポーツマンガとしては完成度も高かったかも知れない。
作者はそこで筆を置かず、書き進めた。そうなると、上級生になった坂道を描かなければならない。2年生になれば、後輩が入部してきて、坂道は先輩として後輩たちの長所を見いだし、育てる役割を果たさなければならない。3年生になればなおさらだ。それを彼が果たせるのか?そのためには、坂道自身の人としての成長が不可欠だ。それとも、坂道は今後も受け身のままで、新キャプテン手嶋や、3年になれば同級生の今泉や鳴子から役割を与えられ続けて、それを果たすだけで生き続けていくのか?
今のままの人から与えられる役割をこなすだけでは、どこかで坂道は壁にぶちあたり、スランプや落ち込みを経験せざるを得なくなるのではないか?
そうなると、物語は単なるロードレースのマンガを超えて、小野田坂道の成長物語を描かなければならない。きちんと答えを出すには、坂道が3年生になるまで描ききらなければ、物語は完結しない気がする。作者渡辺航がどのような選択をするのか?楽しみである。

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2014年9月21日 (日)

『赤毛のアン』を読み始める

NHKの朝ドラ『花子とアン』も、残すところあと1週間。話は、戦火の中、出版のあてもなく翻訳を続けた『赤毛のアン』の翻訳原稿が、いよいよ本となって出版される場面を迎える。

履歴書等で趣味欄があると、必ず「読書」と書いてきたが、『赤毛のアン』シリーズは、これまでとうとう読む機会のないまま来てしまった。
「フランバーズ屋敷」シリーズや、「ヒルクレストの娘たち」シリーズといった少女を主人公にした物語も読んできたので、女性が主人公だから読まないということではなかったが、新潮文庫のロングセラーで、いつでも読めると思ったからか、結局50歳過ぎるまで読まないままだった。アニメ化されたせいもあり、なんとなく子供むけという意識もあったのかもしれない。

赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)

赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ〈1〉 (新潮文庫)

いざ、読み出すと、なかなかおもしろい。まだ、アンが登場しない最初の導入部分こそ、やや冗長で退屈だったが、アンが話の中に登場すると、空想好きのアンの天真爛漫ぶりに触発され、周りの人々が少しずつ変わっていく。その様子もほほえましいし、アンの数々の失敗、しかしそれにめげずに、前向きに乗り越えて行こうとする姿には、力づけられる。
戦後の混乱期、先行不透明な中で、娯楽も少ない中、多くの人に受け入れられたに違いない。

改めて、『赤毛のアン』を読んでみるとドラマ『花子とアン』の中にも、『赤毛のアン』のエピソードが巧みに取り入れられていることがわかる。

10冊のシリーズをすべて読み通せるかどうかはわからないが、せめてアンが成人するくらいまでは読んでみようと思う。

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2012年11月23日 (金)

漫画『坂道のアポロン』ボーナス・トラックとのファンブック、ログブックを読み、アニメ『坂道のアポロン』のブルーレイディスクで見た制作関係者の本気

今年(2012年)4月~6月にフジテレビの深夜のアニメ枠である「ノイタミナ」で放送されたアニメ『坂道のアポロン』(全12話)。原作は小学館の少女マンガ誌月刊「フラワーズ」に連載され、第1巻の発売が2008年4月。今年の1月には第57回小学館漫画賞(一般向け部門)を受賞している。

私がこの話を知ったのは、たまたま木曜日の深夜まで、うとうとしながらテレビを見ていた時。たまたま、第2回の放送を目にしたのだが、一気に引き込まれ、以来毎週録画予約をして欠かさず見た。

舞台は1960年代半ばの長崎県佐世保市の東高校。横須賀から高校1年生の西見薫が転校してくる。前の高校では首席だったという薫だが、父は外航船の船員、母は離婚して薫が幼い頃に家を出ており、船員の父は航海でほとんど家にはいない。今回の転校も佐世保の親戚の家に預けられためだ。父の仕事の関係で、たびたび転校を繰り返してきた薫は、どこにも自分の居場所はないと思う孤独な青年だ。

薫は同じクラスの迎律子に好意を抱くが、彼女はやはり同じクラスでいつも誰かとケンカばかりしているバンカラな幼なじみの川渕千太郎に思いを寄せている。
律子の家はレコード店で、千太郎の家と隣どうし。また律子の家の地下には、ジャズの練習のためのスタジオがあり、千太郎がドラムを叩き、律子の父がベースを弾く。クラシックピアノを習っている薫は、ひょんなことから、千太郎とジャズのセッションをすることになり、薫・律子・千太郎の青春ストーリーが始まる。
そこに、仙太郎の兄貴分である東京の大学に通う桂木淳一、薫たち三人の高校の1年先輩である深堀百合香が加わり、憧れ、恋、妬み、落胆といった様々な人間模様が繰り広げられる。

結局のところ、この青春ストーリーにすっかりはまってしまい、原作のコミック全9巻を買いそろえ、放送終了後の7月から順次発売されたブルーディスク4巻も買い揃えた。

11月にマンガのメインストーリーの番外編として10冊目の『坂道のアポロン BONUS TRACK』が発売されたため購入。また、小学館から「坂道のアポロン公式ファンブック」、学研から「坂道のアポロン オフィシャルログブック」が発売されているのを知り、ネットで3冊まとめて注文した。

坂道のアポロン BONUS TRACK サントラCD付 特別版 (小学館プラス・アンコミックスシリーズ)
坂道のアポロン BONUS TRACK サントラCD付 特別版 (小学館プラス・アンコミックスシリーズ)

坂道のアポロン オフィシャルログブック
坂道のアポロン オフィシャルログブック

坂道のアポロン Official Fan Book (フラワーコミックス〔スペシャル〕)
坂道のアポロン Official Fan Book (フラワーコミックス〔スペシャル〕)

ログブック、ファンブック、ブルーレイのメイキング映像には、原作者の小玉ユキ、アニメの監督渡辺信一郎、音楽を担当した菅野よう子、またアニメ化でのポイントとなる薫のピアノを実際に演奏した松永貴志、千太郎のドラムを叩いた石若駿、また薫、律子、千太郎の声優を務めた木村良平、南里侑香、細谷佳正など関係者のインタビューや対談がおさめられている。
これらのインタビューや対談を見て思うのは、特にアニメ制作に関わった関係者は、原作をこよなく愛し、いい作品を作ろうと本気で取り組んでいるということだ。
実際のピアノやドラムの演奏をビデオで様々な角度から撮影し、まず、映像を編集したうえで、アニメの原画を描くという手間のかかる作業をしている。

私が第2回の1話だけを見て、引き込まれたのは、制作に関わった人たちの本気が映像を伝わったからだろうと思った。

この作品に描かれているる1960年代の世相は、1960年生まれの自分にとっては、自分が育った時代と重なるものであり、描かれる高校生活はこんな思いをしたこともあったなと思わせるものだった。
原作は少女マンガ誌に掲載されたものだが、マンガもアニメも、男女や世代を超越した作品になっていると思う。

以前の記事:2012年6月10日(日):深夜アニメ『坂道のアポロン』が素晴らしい

坂道のアポロン 第1巻 Blu-ray 【初回限定生産版】
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坂道のアポロン 第2巻 Blu-ray 【初回限定生産版】
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坂道のアポロン 第3巻 Blu-ray 【初回限定生産版】
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坂道のアポロン 第4巻 Blu-ray 【初回限定生産版】
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2012年6月10日 (日)

深夜アニメ『坂道のアポロン』が素晴らしい

フジテレビで木曜深夜(正確には金曜日の0時45分から)にアニメを放送してる「ノイタミナ」という枠がある。そこで今放送されているのが、『坂道のアポロン』だ。

Jk12

いま思えば、たまたま、第2回の放送日だった4月19日(木)の夜テレビの前でうつらうつらしていると始まったのが、高校生を青春をテーマにしたアニメ、なつかしい九州の言葉とJAZZを背景に、都会からの転校生のカオルが、クラスの女の子にほのかな恋心をいだきながら、周りに少しづつになじんでいく様子が、2回の転校を経験した自分には人ごとに思えず、その後、毎回欠かさず録画して見ている。

原作は小学館の月刊フラワーズに連載された小玉ユキの同名のコミック『坂道のアポロン』。(2011年の一般向け部門の小学館漫画賞を受賞している)
物語の舞台は1966年の佐世保(長崎県)。横須賀からの転校生は優等生の西見薫。クラシックピアノを奏でる。父は船乗りで、佐世保に親戚に一人預けら、転校してきた。
転校した高校で、素朴で心優しい律子、律子の幼なじみでバンカラで悪ガキの千太郎と知り合い、律子にほのかな恋心をいだくが、律子は千太郎に思いを寄せている。
そこに、律子・千太郎の近くに住み東京の大学に進学した淳兄(ニイ)こと淳一、偶然しりあった高校の1年先輩の美女百合香が登場する。淳一は千太郎にとって子どもの頃からのあこがれの存在。その千太郎は百合香に心奪われ、百合香と淳一はそれぞれに相手が気になる存在。
友情と恋心が複雑に絡みあう昭和の青春群像が描かれている。主人公たちから10歳ほど年下になる自分にとって、ここに登場する誰もが、あの頃見知ったちょっと年上の誰かに似ているような気がする。
ストーリーの展開につれ、登場人物それぞれの境遇や過去がすこしづつ明らかになっていき、物語の厚み・奥行きも出てきている。

見損なった初回放送を補うため原作コミックの全9巻を購入し、読み始めているが、アニメもほぼ原作に沿った展開になっているようだ。

「月刊フラワーズ」ホームページ『坂道のアポロン1』試し読み
http://flowers.shogakukan.co.jp/tameshi/apollon/index.html

全9巻の原作に対し、アニメの放送予定は12話。すでに9話まで放送が終わり、残りは3話となったが、全部揃えた原作は放送のペースにあわせて読んでいこうと思っている。

また、この作品の背景に流れる音楽はJAZZ。律子の実家のレコード店の地下にスタジオがあり、千太郎がドラム、淳一がトランペット、律子の父がベースでセッションを行っているが、そこに薫のピアノが加わる。紙媒体の雑誌やコミックでは音符記号でしか表現できない世界を、アニメでは実際のジャズ奏者が演奏した音源を使い、原作の世界をさらに豊かに表現している。

原作コミック購入にあわせ、作中で使われるJAZZ曲をまとめたサウンドトラックのCDも購入、すっかり『坂道のアポロン』にはまっている。

アニメ 坂道のアポロン オリジナル・サウンドトラック
アニメ 坂道のアポロン オリジナル・サウンドトラック

あとは7月27日発売されるというアニメの1~3話をまとめたブルーレイディスクを買おうかどうしようか悩んでいる。

坂道のアポロン 第1巻 Blu-ray 【初回限定生産版】
坂道のアポロン 第1巻 Blu-ray 【初回限定生産版】

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2011年11月 7日 (月)

赤﨑正和監督の映画「ちづる」の劇場公開を見て、母久美さんの本『ちづる』を読んで考えたこと(2)~劇場公開までのもう一つのドラマ

『ちづる 娘と私の「幸せ」な人生』(赤﨑久美著、新評論)を読み終わった。前回のブログで映画の感想を書く際、まず第3章を読んだが、改めて第1章から通読した。映画「ちづる」を見て、この本を読むといろいろなことを考えさせられる。

ちづる- 娘と私の「幸せ」な人生
ちづる- 娘と私の「幸せ」な人生

著者の赤﨑久美さんとは高校3年の時同じクラスだった。大学卒業後は特に接する機会もなかったが、2002年の秋に再会。以後、同窓会などで年1~2回顔を合わせる機会があったが、2006年にご主人が亡くなってからは同窓会に出てもらうのも難しくなった。
娘のちづるさんにも一度だけ会ったことがある。映画の中の姿そのままの不思議な魅力をもっていた。初対面の私がいると緊張させるのではないかと、一瞬、身構えたが、そんな私の緊張などお構いなしのちづるさんの奔放な姿に、一気に肩の力が抜けたのを思い出す。

兄正和さんの撮影した映画「ちづる」と母久美さんの書いた本『ちづる』は、二つが対になり赤﨑家の物語として、自閉症という障害を世の中に広く知らしめる役割も負うことになるだろう。

「よくわからないのでなんとなく怖い、なるべく近づかないようにしよう。」そんなところから、社会での区別・差別が始まっていくのだろう。
久美さんは、本の中でこう書いている。

「今、私たちが障害児の娘と一緒でも、まずまず幸せに暮らしていられるのは、何十年も前、公然と知恵遅れの人たちが差別されていたころから、障害児をもった親たちが子どもたちのために社会を変えようと努力してきてきてくれたおかげなのだから。」 (『ちづる』37ページ)

しかし、結果的に社会を変える可能性を秘めた一石となったとはいえ、障害を持つ自分の子を画面に登場させ、その子と葛藤する自らの姿をも多くの人の目にさらすことは、母久美さんには、本や映画のパンフレットでは書ききれない深い苦悩があったに違いない。

本を読む限り、その背中を押したのは、1月24日の朝日新聞「ひと」欄に正和さんを紹介する記事を書いた川上裕央記者の存在だろう。そこには、映像にはならなかったもう一つのドラマがあった。

自らも自閉症の兄を持つ「兄弟児」であった川上記者は、映画「ちづる」が最初にマスコミに取り上げられた1月7日の東京新聞を記事を読み、1月に行われた立大新座キャンパスでの上映会に参加、正和さんを取材し「ひと」欄の記事を書いた。
横須賀支局勤務の川上記者が、担当地域とは思われない新座まで出かけ上映会を見て、取材をして記事を書いたというところに記者の並々ならぬ思いを感じる。

Photo

本で紹介されている川上記者の手紙の一節には、次のように書かれている。

「障害者のいる家族は、父母の視点から語られることはあっても、正和さんや私のような兄弟姉妹から視点から描かれることはありませんでした。幼心に親もまた兄弟姉妹が抱く悩みや問題をすべて理解することはできないと感じていました。家族のことで誰にも話せずにいる子どもたちに、映画や正和さんの存在は大きな励みになると思っています。紙面で映画をご紹介することで、物理的に見られない人にも正和さんの思いをわずかでもお伝えしたい。それが今回記事にさせて頂いた一番の理由です。(中略)この映画に出会い、記事として皆さんにお知らせできたこと、私にとっても一生の宝物になりました。私の母も涙を流して読んでくれました。本当にありがとうございました。」(『ちづる』231ページ)

正和さんの思いが、川上記者の思いと交わった時点で、映画「ちずる」は赤﨑家の物語から、障害者を抱える兄弟の物語へもと変化した。

最後の締めくくりとしては、映画のパンフレットに久美さんが書いた「出演者からみた「ちづる」」という文章の最後の一節がふさわしいだろう。この文章は、本『ちづる』の第3章の「○息子が映画を作った」とも重なる部分が多いが、この部分は本にはない。

「息子が映画監督になるのが夢だったように、千鶴は女優になるのが夢だった。ふたりとも、その途方もない夢をこの映画で叶えたことになり、母として感無量なのである。」(映画「ちづる」パンフレット9ページ)

母久美さんは、映画「ちづる」の中では、撮影される出演者の側、映画公開までのプロセスにおいても受け身の立場であるが、この最後の一文を読むと、全ては彼女の深謀遠慮の結果なのではないかという気さえしてくる。母は強しである。

(2014年7月追記)DVD化されました。

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2011年10月31日 (月)

赤﨑正和監督の映画「ちづる」の劇場公開を見て、母久美さんの本『ちづる』を読んで考えたこと

一昨日(2011年10月29日)から、ドキュメンタリー映画「ちづる」の劇場公開、東京の東中野と横浜で始まった。

Photo

リンク:映画「ちづる」公式サイト

赤﨑監督のブログ:あにきにっき

我が家は東中野まで30分ほどなので、監督の舞台挨拶もあるという初日の初回上映(11時開始)を目指して出かけた。前売券は、前日、仕事の帰りに購入。上映開始の30分前には劇場に着いたが、すでに列が出来ている。前売券の有無にかかわらず、並んで受け付けしなければならないらしい。地下2階の受付にたどりつき、私と妻の券に押された番号は77番と78番。そのまま、劇場に入ると、100名程度の席はほとんど埋まっていて、横並びの席はほとんどなく3列目、4列目の中央付近に縦並びに空席があったので、そこに分かれて座った。

映画「ちづる」は、立教大学の学生だった赤﨑正和さんが卒業制作として、自分の妹で自閉症のちづるさんの日常を撮影したドキュメンタリー映画だ。79分の映画には、ちづるさんとお母さんの久美さん、そして正和さんの3名しか登場しない。赤﨑家の日常を映した家族の映画だ。

今年(2011年)1月に立教大学の新座キャンパスで上映会を実施したところ、取材に来ていたマスコミに取り上げられ、さらに3月には同じ立教大学の池袋キャンパスでも上映会が行われた。私は、この3月の上映会に行ったが、その時点で既に東中野と横浜での劇場公開も決まっていた。
この映画の制作を指導した立教大学の池谷先生の勧めもあり、劇場公開にあわせ、母久美さんも、ちづるさんが生まれてからの子育てを語った本『ちづる-娘と私の「幸せ」な人生』を上梓した。

ちづる- 娘と私の「幸せ」な人生
ちづる- 娘と私の「幸せ」な人生

私はお母さんの久美さんと高校3年の時、同じクラスだった。
その縁もあって、3月の上映会で一足先に映画を見てはいたが、その時は、同級生の長男が撮った映画を通じて、自閉症の子を育てることの大変さ、それに立ち向かう久美さんの強さを垣間見させてもらったという認識だった。

今回の劇場公開版を改めて見て、長男である赤﨑監督と池谷先生の挨拶を聞き、母久美さんの本を読んで、初めてこの映画の持つ深い意味を理解できたように思う。

この映画は、自閉症の妹ちづるさんを持つ兄正和さんが、卒業制作を手掛ける大学3年になるまで、自分の中で言葉に出来ず、悶々としていた思いをなんとか表現しようとした結果生まれたものだと思う。

彼は、障害者を「シンショー」と差別する風潮に憤りながらも、自分の妹が自閉症であることを人に語ることができない。また、そうできない自分を責めている。しかし、その思いを誰に相談することもできない。
他人に対し、自分の妹のことを隠すということは、人に対して常にどこかで嘘をついているということであり、人と接すること自体がおっくうになっていたに違いない。
3月の上映会で自作について語る正和監督は、口下手で、頼りなげだったが、彼にとって、人と接したり人と語ることそのものが辛いことであり、それを続けていくうちに、無口になっていったのだと思う。

どこの家庭でも、第一子は、弟や妹生まれると、それまで自分一人に注がれていた親の愛が半分、あるいはそれ以下になる。それに寂しい思いを感じながらも、兄だから姉だからと我慢をすることを求められる。まして、正和監督の妹ちづるさんは自閉症。両親の関心は妹に向かわざるを得ない。
妹の姿をみれば、それもやむを得ないと考える一方で、もう少し自分にも関心を持ってほしいという思いもあっただろう。

そこに交通事故での父の不慮の死が加わる。高校を卒業し、浪人中だった正和さんは、父親と口げんかをしたまま関係を改善できずにいた。父親と本当の意味で向き合うことがないまま、父親という最も身近な彼の理解者を失なったのだ。なくなった父の正幸さんも、息子の正和さんに語りかけたいことが山ほどあっただろう。
母久美さんの本によれば、父が亡くなったあとも、正和さんは「昼まで寝て、だらだらした生活は相変わらず、・・・」と書かれているし、大学の進学したあとの正和さんは「実家に帰ってきても、部屋で寝ているか、携帯やipodをいじるだけ」だったと書かれている。無気力な大学生の典型のようなその姿は、決して彼の本当の姿ではなかったと思う。

3月の上映会から今回の劇場公開まで7ヵ月余。その間、正和さんは社会福祉法人に就職した。舞台挨拶で、自らの気持ちを言葉を選びながらもはっきりと語る彼の姿は、3月の上映会とは別人のようだった。

この変化には、3つの要素があるように思う。
一つは、映画の制作指導をした大学の池谷先生の存在。舞台挨拶で、制作過程での正和さんとの葛藤を語る池谷監督は、亡き父正幸さんに代り、正和さんの思いを正面から受けとめ、彼の撮影した映像の中に普遍的な家族の姿を見いだし、劇場公開に導いた。

二つめは、母久美さんとの関係の変化。この映画の撮る過程で、母子は妹のちづるさんについて改めて語りあう。また、母の久美さんは、この映画の制作・公開の過程で、正和さんが子どもの頃に負った心の傷を知ったと書いている。妹の存在を素直に語れなかった自分の姿を母に伝えることができたことは彼の負担を少し軽くしたのではないかと思う。

三つめは、映画「ちづる」が世に出て、知られるようになって、彼の撮った映像に対して、多くの人が語った感想や批評。その中には、彼と同じように、兄弟姉妹に障害者を抱える「兄弟児」も多くいた。1月に朝日新聞の「ひと」欄で彼を紹介する記事を書いた記者もお兄さんが自閉症だったという(母久美さんは、この記事は「息子の心にぴったりと寄り添っている」と書いている)。

この映画について多くの人が語る言葉の中に、正和さんは自分が今まで言葉に出来ずにいた思いに、ふさわしい言葉をひとつひとつ見つけていったのではないかと思う。語る言葉を見つけたことで、自分の思いが整理でき、自信を持って語れるようになったのではないだろうか。

自分の子どもが抱える思いを親がどこまで理解できているか?これは、どこの家庭・家族も抱えている普遍的な問題だ。親は「親の心子知らず」と嘆き、子どもは「親は自分のことなんかちっとも分かってくれていない」と不満を漏らす。
正和さんはそれを映像という形で、見える形に表し、母に伝え、父の代役ともいえる指導教官に伝えた。

映画の映像の中での主役は妹のちづるさんとそれに向き合う母久美さんであり、二人の存在感なくしてこの映画は成り立たないが、それでも私はこの映像は、監督である正和さんの心の叫びだと思う。
私自身が第一子の長男という立場もあってか、正和さん寄りの見方になっているかも知れない。

おそらく、この映画は、それぞれの立場で、いろいろな見方、受けとめ方がある映画だと思う。なるべく多くの人に見てもらい、自分の家族について、考える切っかけになればと思う。

(2014年7月追記)DVD化されまた。

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2011年7月 5日 (火)

有川浩の図書館戦争シリーズ第4作『図書館革命』読み、アニメ『図書館戦争』のDVDを見る、『阪急電車』も読了

私が最近、夢中になって読んでいるのは有川浩だが、6月下旬に彼女の代表作「図書館戦争シリーズ」の第4作『図書館革命』の文庫版(角川文庫)が発売された。

図書館革命 図書館戦争シリーズ4 (角川文庫)
図書館革命 図書館戦争シリーズ4 (角川文庫)

図書館を検閲から守るための図書隊に入隊した笠原郁と彼女の教官であり上司となった堂上篤の物語の4冊目。今回は、福井にある敦賀原発がテロ組織に襲撃されたというニュースが流れるというオープニングである。似たような小説を書いた作家当麻蔵人が危険人物として良化委員会からマークされ、拘束されれば執筆の自由を奪われることになるのは確実という状況の中、図書隊が表現の自由を守るため当麻の保護を任される。
どのようにすれば、検閲に対抗して作家当麻蔵人を守れるのか。図書隊の中で、議論がされるなか、郁が何気なく発した一言で、図書隊の方針が定まり、当麻の保護作戦が始まる。手に汗握る展開は、これまでの3作がいくつかのエピソードが集まった短編集的な仕立てであったのに対し、作家当麻を守るというテーマがエンディングまで一貫した長編小説仕立てになっている。
映像化するなら、3作までは週1回の連続ドラマ、第4作はドラマが好評だったので企画された2時間ほどのスペシャルドラマか、劇場版映画といったところだろうか。

原作を第4作まで読み終わったところで、実際に映像化され作品であるアニメの『図書館戦争』シリーズのDVDを家の近くのレンタルショップで借りて来て、全5巻・計12話(各30分)を見た。

基本的にはやはり原作の第3作までのエピソードを中心に作られていて、一部は割愛し、一部新たなエピソードが追加されているが、よく原作の雰囲気を表していると思う。
ひょっとすると、原作の文庫化で再び「図書館戦争」シリーズのブームが起きれば、第4作『図書館革命』の映像化もあるかもしれない。

3ヵ月ほど前、図書館戦争シリーズの『図書館戦争』『図書館内乱』と一緒に買いながら、まだ読んでいなかった『阪急電車』もようやく読み終わった。

阪急電車 (幻冬舎文庫)
阪急電車 (幻冬舎文庫)

阪急の今津線の各駅を乗り降りする人々の何人かに焦点を当て、丹念に人物を描いていく。そして、その人々がたまたまある電車に乗り合わせたということで、言葉を交わし、それが一人の人生を少し変えていく。その人の出会いの機微を抑えた筆致でうまくあらわいているように思う。
映画化され、中谷美紀、戸田恵梨香、宮本信子など出演したようだ。中谷美紀と宮本信子が誰を演じるかは、いくつかみた映画の番宣や役の年齢でわかるが、果たして戸田恵梨香は誰を演じるのだろうか?また、女性の相手役となる男性も何人か登場するが。どのような配役なのだろうか。ロングランだった映画館での上映もそろそろ終りそうなので、映画を見に行くか、DVDレンタルが始まるまで待つか、考えないといけない。

<追記>映画『阪急電車』については、この記事を書いた週末に、まだ池袋で上映していた映画館があったので、池袋まで出かけて見た。原作の雰囲気がうまく映像化されている。映画を見たら、阪急今津線に乗りに行きたくなった。

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2011年5月25日 (水)

「ボクらの時代」をきっかけに、有川浩の『図書館戦争』シリーズにすっかりはまる

1ヵ月ほど前だったか日曜日の朝、起き抜けにたまたまテレビをつけるとトーク番組「ボクらの時代」(改めてネット検索で確認すると、放映日は2011年5月1日(日)、フジテレビ)とを放送中だった。
話していたのは、原作が映画化された作家ということで、万城目学(まきめまなぶ)、有川浩(ありかわひろ)、湊かなえの3人。

ちょうど、その頃、映画の原作として文庫化されたばかりの万城目学の『プリンセス・トヨトミ』を読んでいた。

プリンセス・トヨトミ (文春文庫)
プリンセス・トヨトミ (文春文庫)

すでに『鴨川ホルモー』、『鹿男あおによし』は読んでいて、関西3部作の最後を飾る『プリンセス・トヨトミ』も文庫化されたら読もうと思っていたのだ。

鴨川ホルモー (角川文庫)
鴨川ホルモー (角川文庫)

鹿男あをによし (幻冬舎文庫)
鹿男あをによし (幻冬舎文庫)

3作とも奇想天外、荒唐無稽なホラ話だが、ホラ話もここまで大ボラになれば、笑うしかない。しかし、背景にある歴史の知識や、リアリティーのある作中の人物像は、ホラ話をひょっとするとこんなこともあるかもと思わせるところがあり、読み始めるや、読者はあっという間に万城目ワールドに引き込まれてしまう。
そのホラ話の作者はどんな人だろうという興味で見始めたが、いったて普通の青年あった。

この番組を見て、一番驚いたのは、有川浩が女性だったことである。漢字の名前から、てっきり「ありかわひろし」という男性だとばかり思っていた。(Wikipediaにも「名前の浩が「ひろし」と読めるため男性だと勘違いされることも多い」と書かれている。)
こちらは『阪急電車』が映画化。

阪急電車 (幻冬舎文庫)
阪急電車 (幻冬舎文庫)

「子どもの頃からお話を考えるのが好きだった」という。関西弁も交えた軽妙な語り口は、どこか人を惹きつけるものがある。
すぐに本屋で『阪急電車』とこれも文庫化されたばかりの図書館戦争シリーズ2冊『図書館戦争』『図書館内乱』を買った。

図書館戦争  図書館戦争シリーズ(1) (角川文庫)
図書館戦争 (角川文庫)

図書館内乱  図書館戦争シリーズ(2) (角川文庫)
図書館内乱 (角川文庫)

『図書館戦争』もその一風かわったタイトルからずっと気になっていたが、手に取ったのは初めて。私が夢中で読んだ佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』が2007年の第4回本屋大賞を受賞した時の第5位が『図書館戦争』だった(ちなみに第6位が『鴨川ホルモー』)。

『図書館戦争』を読み始めると、すっかり引き込まれてはまってしまった。舞台は、近未来をイメージしているのか、図書に検閲が行われるようになっている日本。メディア良化委員会という組織が有害図書を検閲し没収する。そのような時代の中で、図書館は「図書館の自由」の精神のもと、検閲本も含め、収集・閲覧・貸出を続けるが、それを守るためための組織として武装した図書隊という組織を有している。
話は、志願して図書隊に入った女性新人隊員笠原郁と彼女の周りの人間関係を描く。
この図書館シリーズも万城目ワールドとは趣は違うが、架空の作り話(その後、東京都で性描写等で有害とされた漫画を規制する条例改正案が可決されたことを思えば架空の話ともいえないかしれない)であるのだが、登場する人物像は実に丁寧に描かれており、こんな人いるかもしれないというリアリティが作品世界を支えている。
すでに『図書館戦争』『図書館内乱』は読み終わり、文庫化されたばかりの3作目の『図書館危機』を読み始めたところ。

図書館危機  図書館戦争シリーズ3 (角川文庫 あ 48-7 図書館戦争シリーズ 3)
図書館危機 (角川文庫)

これから、2011年6月に4作目『図書館革命』、7月にスピンオフ作品である『別冊図書館戦争Ⅰ』、8月に『別冊図書館戦争Ⅱ』が文庫化される。しばらく、良質のエンターテイメントが楽しめそうだ。

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2010年10月 4日 (月)

石塚英彦がNHK「課外授業ようこそ先輩」で語る「ほめることの大切さ」

昨日(2010/10/3)の朝、ぼんやりテレビを見ていたら、デブキャラで知られる「石ちゃん」こと石塚英彦が登場していた。見慣れたグルメリポートではなく、NHKの「課外授業ようこそ先輩」で母校横浜市の富士見台小学校を訪ねたところだった。

授業開始早々、給食のカレーライスを食べる。1日目の授業は、この給食のカレーを食べてグルメリポートをすること。何人かの生徒が、勢いよく手をあげてリポートに挑戦する。しかし、中には、何をリポートすればいいのかなと首をかしげる生徒も。石塚先生は、「どんな料理もどこかいいところがあるはず。それを探してリポートしよう」と教える。

その後、生徒を連れて、近くの農家へ行き、ジャガイモ掘りをする。農家の人からジャガイモを育てる時の苦労や、掘る時に気をつけることを教わる。生徒たちは、体操服でいも掘りに夢中だ。

その後、本当の給食。子どもたちの目を自然と野菜に向く。沢山の人たちのお陰でおいしい給食が食べられるんだということを強調する石塚先生の姿があった。

授業のあいまのインタビューの場面では、どんな料理にも、いいところもよくないところもあるが、よくないところを探すのは誰かがやるだろう。自分は、とにかくその料理のいいところ見つけたい。過去のグルメリポートで、自分が取材したことで、「もう店をやめようとと思っていたけど、もう少し続けてみることにした」とお礼を言われ、自分の役目を改めて認識したという趣旨のことを語っていた。

授業2日めもグルメリポートかとおもいきや、食べ物はいっさい登場しない。石塚先生は生徒一人一人に紙を配り、自分が今までほめられてうれしかったことを書かせる。書き終わったところで、教室を回り、それぞれ語りを交えながら読み上げる。生徒たちは照れくさそうだ。

ほめられたことの読み上げが一巡すると、椅子だけ丸く並べて車座になり、円の真ん中に座った友達のいいところをほめようという課題になった。生徒たちは、自分がほめられた時の照れくさそうな態度から一変し、元気に友達のいいところをほめる。

授業が終る頃には、なんだか生徒全員がうれしそうな笑顔だった。

いきなり友達をほめてみようと課題を投げかけても、たぶん、普段、人をほめたことのない子どもたちにとってはぎこちないものにしかならなかっただろう。
しかし、「グルメレポート」という自らのセールスポイントでぎゅうと生徒たちの心をつかみ、そこから「ほめられてくれしかったこと」と進め、一転、「人をほめること」と続けることで、生徒たちは「人をほめること」を自然と受け入れていったように思う。

石ちゃんこと、石塚英彦が、競争が激しい芸能界で生き残っている理由の一端を見たような気がした。

NHKホームページ「課外授業ようこそ先輩」
2010/10/3放送分:「石ちゃんの まいうー哲学」

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2010年9月26日 (日)

NHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』最終回、これは大人のためのファンタジーではないだろうか

昨日(2010年9月25日)は、好評だったNHKの朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』の最終回だった。漫画家水木しげるの夫人武良布枝のエッセイ『ゲゲゲの女房』(実業之日本社)を原案にドラマシナリオを作られ、主役の村井布美枝役を松下奈緒、夫である水木しげる役を向井理が演じてきた。
放送開始当初15%程度だった視聴率は、回が進むにつれ徐々に上昇し、最近では週平均で20%を超える人気となっているとのこと。最終回前日の昨日には、TBSの「金スマ」で 『水木しげる&「ゲゲゲの女房」布枝夫婦』と題したブームに便乗した番組まで放送されていた。

『ゲゲゲの女房』というタイトルの本を書店で最初に目にした時、そのタイトルにひかれ思わず手に取った。わずか6文字だが、すべてを語るのそのネーミング。このエッセイが広く読まれたことで、このドラマが生まれることになったのだろうから、このタイトルを思いついた編集者が今回のドラマヒットの功労者の最初の一人だろう。

ゲゲゲの女房
ゲゲゲの女房

1960年生まれの私は、小学生時代にTVアニメの初代『ゲゲゲの鬼太郎』(1968年放送開始)を見て育った世代であり、オープニングに流れる熊倉一雄が歌う「げっ、げっ、げげげのげ~」という独特のフレーズは今でも耳の残っている。また、人間の弱さ、ずるさを体現したような「ねずみ男」というキャラクターが、決して敵役になることなく鬼太郎の側にいることも、勧善懲悪のストリーになりがちだった当時の他のアニメとの違い印象に残っている。そんな鬼太郎が、どのように生まれてきたのか、おそらく我々の世代を始め、ゲゲゲの鬼太郎を見て育った世代にとってエッセイの『ゲゲゲの女房』に対する興味はそこにあったと思う。

これまで、NHKの朝の連続ドラマは、仕事の持つ女性の半生を描くものがほとんどだったが、今回は「専業主婦」の半生。そこが家庭の中で、家事・子育てなどに苦労する主婦層にとって自分たちを描くドラマとして支持されたのであろう。
また、ある経営者のブログで、ドラマ前半の極貧時代を自らの過去に重ねて見ているとの内容に記事を見かけたことがある。南洋の最前線で生き残り、復員後も何度もくじけそうになりながら、自らの才能を信じ、黙々と漫画を書き続け、最後には認められ成功をつかむ夫水木しげるの姿が、団塊世代あるいはそれ以前の世代の男性諸氏には、戦後日本での自らの半生と重ねるところがあり、共感を呼んだのだろう。

多くの人が興味を持ち、共感を持つドラマであったということだろう。

また、このドラマで描かれたのは、日本の高度成長時代、明日を夢見ることができた昭和の時代である。NHK版「ALLWAYS 三丁目の夕日」でもあった。また、その中で夫が懸命に働き、妻がそれを支えるという昭和の価値観を再現してみせた。

私の妻は、水木しげる役の向井理が二枚目すぎると評したが、私は、NHKはあえてハンサムな彼を選んだのではないかという気がする。
当代の美男美女の代表としての松下奈緒、向井理が水木夫妻を演じ、水木の両親を演じた風間杜夫、竹下景子はいわば昭和の2枚目俳優とお嫁さん候補No.1女優。布美枝の母親役の古手川祐子もかつての青春スターだった。

水木しげるの描く妖怪の世界は「見えないものを見る」世界であり、その背景のあるものはスピリチュアルなもの、日本のアニミズムでもある。それはある種のファンタジーでもある。

エッセイ『ゲゲゲの女房』の帯には、ドラマの原案とは書かれているが、原作とは書かれていない。それは、このドラマが武良布枝のエッセイ『ゲゲゲの女房』を下敷きに、水木夫妻の半生を再現しているように見えて、その実、夫妻の姿を借りて、不況にあえぐ現代の日本人が見たいと思っていた「古き佳き昭和を懐かしむ大人のためのファンタジー・ドラマ」を目指したからではないかと思う。
どこか昭和の雰囲気を感じさせる「いきものががり」の主題歌「ありがとう」の曲と共にドラマが始まる時、視聴者はつかの間にファンタジーの世界に誘われたのではないだろうか。
大人のためのファンタジーだからこそ、水木しげる役は、ご本人を彷彿とさせる少しおどけた三枚目の俳優ではなく、学生時代に生命科学を学び国際的な賞までとったという二枚目俳優の向井理だったのではないかと思う。(長身の主役松下奈緒の相手役には、彼女を上回る長身の俳優が求められたという理由もあるとは思うが)

<ドラマ放映前に私が読んだ水木しげるの関連書籍>

水木 しげる
角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日:2010-03-25
<追記>
この記事をアップロードしたあとに、NHKドラマの制作に関わった人々のコメントをまとめているブログの記事を見つけた。NHKのホームページにも出ているようだが、ドラマの放映終了とともに、いずれ消されるだろうから、こちらにリンクを張らせていただく。
<ドラマのDVD>

ゲゲゲの女房 完全版 DVD - BOX 2
ゲゲゲの女房 完全版 DVD - BOX 2

ゲゲゲの女房 完全版 DVD-BOX3(完)
ゲゲゲの女房 完全版 DVD-BOX3(完)

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