2009年11月 8日 (日)

『カップヌードルをぶっつぶせ!』を読んだ

『カップヌードルをぶっつぶせ!』という過激な題名の本を読んでみないかと、広告代理店に勤める友人からメールが送られてきた。私は、てっきり、カップヌードルに相手にするような新商品を開発したベンチャービジネスの若手経営者を題材にしたビジネス書かなと、などと思い、「本を送ってくれれば、読むよ」と返事を送り、昨日、本が届いた。

本の内容は私の予想とは全く違い、カップヌードルを製造・販売する日清食品の親会社日清食品ホールディングスの安藤宏基CEOの著書だった。
日清食品グループは、2008年に持株会社制に移行、日清食品の安藤宏基社長は、日清食品やグループ化した明星食品などを傘下に抱える日清食品ホールディングスの代表取締役CEO(最高経営責任者)となった。

本書『カップヌードルをぶっつぶせ!』は、その安藤宏基CEOが1985年に日清食品の社長に就任してからこれまでの20年余の経営の記録である。
日清食品は安藤CEOの父、安藤百福(ももふく)氏が1948年に創業。1958年8月に世界で最初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売、同年12月に「日清食品」に社名変更、さらに1971年には世界最初のカップ麺である「カップヌードル」を発売した。日本を代表する食品メーカーといえるだろう。
安藤宏基CEOは、安藤百福氏の次男。1981年日清食品の社長に就任した長男の宏寿が2年で社長を退任、会長となっていた父の百福氏がいったん社長に復帰。その後、1985年に宏基氏が日清食品の3人目の社長となった。社長とはいえ、創業者の父は会長として健在である。

カップヌードルをぶっつぶせ! - 創業者を激怒させた二代目社長のマーケティング流儀
カップヌードルをぶっつぶせ! - 創業者を激怒させた二代目社長のマーケティング流儀

本書の前半(第1章と第2章)は、二代目の息子宏基社長と創業者の父百福会長のせめぎあいの記録である。「創業者は普通の人間ではない」とのタイトルの第1章は「創業者は異能の人、二代目は凡能の人。創業者と二代目の確執は、異能と凡能とのせめぎあいである」との見出しで始まる。第3章からの後半部分は、その宏基社長が1985年に社長に就任してからの経営への思いと行動の記録である。
本書によれば、宏基社長就任当時の日清食品は創業者百福氏の創り出した「カップヌードル」というトップブランドで売上の半分、利益のほとんどを稼ぎ出していた。創業者の開発商品である「カップヌードル」は触れてはならない聖域であり、社内でも「カップヌードル」のブランドイメージを傷つけたり、シェアを奪うような商品を発売するわけにはいかないと、誰もが信じており、セクショナリズムや官僚主義がはびこり始め、商品開発も停滞していたという。
そんな中、宏基氏の社長としての第一声が、本書のタイトルとなった「カップヌードルをぶっつぶせ!」である。そのスローガンの下、新しいものを作り続けるために、組織をどう変え、人をどう育てていくのか。
自社が作る商品に深いこだわりを持つとともに、それを作り出す人と組織にもこだわり続けるのが、著者である安藤宏基CEOだと思う。

読み終えたあと、おおいなるこだわりから生み出された、「チキンラーメン」や「カップヌードル」が無性に食べたくなり、今日の昼はカップヌードル」を食べた。

なお、本書には付録として、これまでの数々の日清食品のCMの中で、1992年から96年まで流された「hangry?」シリーズと2004年から2005年にかけて放映された「NO BORDER」シリーズの映像がDVDに収録され添付されている。(「hangry?」シリーズは、カンヌ国際広告映画際でグランプリを受賞したとのこと)
私に本を送ってくれた友人は、彼らにとって大口クライアントの社長の本を買うことも、大事な仕事うちだったのだと、最後のCM映像を見ながら遅ればせながら気がついた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月31日 (月)

第45回衆議院議員選挙、民主党大勝により政権交代確定し、「戦後政治」から「21世紀の政治」

昨日(2009年8月30日)は、第45回衆議院議員選挙。小選挙区比例代表並立制の現在の選挙制度になって5回の選挙の中で、最も高い投票率69.28%を記録した。
結果は、衆議院の議席480(小選挙区300、比例区180)のうち、民主党が改選前の115議席から308(小選挙区221、比例区87)議席と過半数を超え、大幅に議席を伸ばした。一方、これまでの第一党自由民主党は改選前の300議席から119(小選挙区64、比例区55)議席と半分以下の激減した。

1955年の保守合同以来、自民党が第一党の地位から転落するのは初めてとのこと。野党が選挙で第1党となって政権交代が実現するのは、1947年の社会党の片山内閣以来62年ぶりということらしい。(1993年の野党連合により成立した細川内閣時代、自民党は一時野党となったが、この時も過半数は失ったが第一党の地位は守っていた)
半世紀以上続いた自民党が第一党として政治を動かす時代が終わった。それは、日本が第2次大戦で敗戦国となり、1945年から52年までのGHQによる占領期を脱した後、社会党の統一に脅威を感じた、日本自由党と日本民主党の合同により、1955年に自由民主党が誕生して以来続いてきた「55年体制」が終わりを告げたことを意味する。自民党結成の契機となった、日本社会党は、その後何回かの分裂により既に原形をとどめているとは言えず、さらに自民党が第一党でもなくなったことで、いよいよ「戦後政治」体制はその使命を終えたのだろう。

インターネットの普及により、劇的に世界のコミュニケーションのあり方が変わり、新資本主義が台頭し世界の潮流となる中、その弊害も多く出てきている。今までのやり方を変えな変えなければ、社会がたちいかなくなっている中で、米国では、黒人のオバマ大統領が誕生し、韓国や台湾でも政権交代が起きている。大きなうねりの中で、日本でもとうとう本格的な政権交代が起きた。
おそらく、50年後、100年後の日本史の教科書では、2009年のこの選挙、政権交代を持って時代の区切りとすることになるだろう。これからは、「21世紀の政治」の時代が始まる。

政治の枠組み、社会の枠組みの組み替えがこれから始まるのだと思う。歴史の証人として、何がどう変わっていくのか、よくこの目で確かめるという気持ちを持って、これからの変化を見届けていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月14日 (火)

定額給付金申請書が届いた

我が家にも先週末、住んでいる市から「定額給付金給付のお知らせ」と「定額給付金申請書」が送られてきた。

お知らせには、世帯の全員の性別・生年月日・年齢と給付予定額が書かれている。5人家族なので、まとめるとそれなりの金額になり、家計の足しにはなる。
申請書には、給付を希望しない人がいる場合には、申請書のチェック欄に×印をつけるということになっている。世帯主が申請の記名捺印をし、振り込み先の銀行口座を明記して、専用封筒に入れて返信する。
申請時期は4月13日~10月13日までの半年間。申請があったものから、順次、審査の上、給付の決定通知書が送られてきて、口座に振り込まれるようだ。早ければ、4月下旬から振り込みが始まるようである。

とりあえず、我が家は給付を返上するほど、余裕はないので、ありがたく給付を受けることにして申請書を送った。

昨年の後半の政治のテーマの一つだった定額給付金の是非。当時の予想を上回る消費の落ち込みが鮮明になっている中、消費の押し上げ策として効果を現してくれればよいが、結果はどうだろうか。
せっかく、大金を投じるのだから、相応の効果が出てほしいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月12日 (月)

車を車検に出し、日本経済の不振を実感する

今日(2009年1月12日)、車を車検に出した。我が家の車の車検が1月になったのは、1月に車を買ったからなのだが、それにはちょっとした事情がある。
忘れもしない9年前の2000年1月、当時、我が家は北陸・富山県に住んでいた。新年初出勤の1月4日の午後4時すぎだったろうか、職場に妻から電話がかかってきて、車に乗っていて事故を起こしたという。当時住んでいた社宅からほど近いところらしいので、慌てて現場に向かった。運転中に考え事をしていて、止まっている対向車に気がつかず、慌ててハンドルを切ったところ対向車のフロントをかすり、、道路沿いのアパートに止めてあった別に車と電信柱に間に突っ込んだようだった。我が家の車のフロント部分は大きくへこみ、止めてあった軽自動車に後部もへこんだ。
妻がぶつけた2台に車の所有者にはお詫びに行き、後の処理は保険会社に任せる。5年ローンが残り半年となっていた我が家に自家用車は、使用不能。自動車保険で、ローンの残金は返せたが、車はなくなってしまった。
戦争中空襲にあった富山市は、逆に戦後道路が整備され、車社会になっており、車は日常生活に不可欠なので、事故のお詫びが一段落したところで、事故で廃車になったカペラワゴンの整備などを頼んでいたマツダのディーラーに行き、これから3人の子どもがどんどん大きくなることも考え、10年乗るつもりで、当時発売されて間もない2代目「MPV」を買った。

昨年末に「車検はどうされますか?」と、現在車の整備などしてもらっている近くのマツダのディーラーから電話があり、2009年1月が車検の時期だったことを思い出した。もう1年先のような気がしていたが、まったくの思い違いだった。人の記憶などあてにならないものである。

車検の相談でディーラーに相談に行った際、妻が冷やかし半分、「車検に10万円以上払うなら、この際新車に買い換えたら?」と言う。私が、「これからまだ、子どもの進学にもお金がかかるし、まだ3万キロしか走っていないので、少なくともあと2年は乗る」と言ったが、ディーラーのセールスマンは「普通は旦那さんが新車に買い換えたいと言って、奥さんが反対するのに、うらやましい話ですね」などと冷やかしながらも、いいカモだと思われたようで、見積もりまで作ってくれた。結局は断ったけれど、そのあと聞いた話では、年明けから1週間ほどで売れた車は5台で、そのうち4台が軽自動車とのこと。トヨタが赤字になるくらいだから、どこの自動車もほとんど売れていないようだ。思わぬところで、知った日本の経済の低迷ぶり。ソニーも14年ぶりの営業赤字というし、しばらくは米国を中心とした消費低迷で過剰となった在庫を処分するため、自動車や家電の値引き幅は大きくなるのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 5日 (水)

米国大統領選挙でオバマ候補当選、米国民は変革を選択し、初の黒人大統領誕生

今日(2008年11月5日、米国時間では11月4日)、米国の大統領選挙の投票が行われ、民主党のバクラ・オバマ候補(47歳)が、共和党のジョン・マケイン候補(72歳)を破り、第44代大統領の座を射止めた。

「Change」をキャッチフレーズに掲げたオバマ候補は、マイノリティの黒人候補、47歳という若さである。米国民は、心から「変革」を願っているのであろう。

思えば、8年前、現ブッシュ大統領が民主党候補であるのゴア副大統領と激戦を演じ、なんとか大統領となったが、その後のブッシュアメリカが主導した世界の政治・経済では、ちっとも明るい話題がなかったように思う。
1.11のテロでNYの世界貿易センタービルの悪夢のような崩落、アフガニスタン、イランへの侵攻、最後の締めくくりがサブプライムローン延滞に端を発した世界金融危機である。
しばらく前に、どこかのTV番組でキャスターが、「現ブッシュ大統領の評価は、少なくとも第二次大戦戦後で最低ということは間違いなく、今後の金融危機への対応次第では、史上最低の大統領と評価されるかもしれない」という趣旨の話をしていた。
最終的な評価は後世の歴史家の筆を待つしかないが、あまり世界の平和とか安定のために役立ったという業績は思い出せない。
米国民には、ブッシュ路線の継承者にしか映らなかったであろうマケイン候補が敗れたのも、やむを得なかったのだろう。

サブプライム問題とか世界金融危機関連の本をしばらく読んでいたが、その後、もう少し長いスパンで物を見ている鈴木謙介著『サブカル・ニッポンの新自由主義』(ちくま新書)を読み、その後、ロバート・B・ライッシュ著『暴走する資本主義』(東洋経済新報社)を読んでいるが、それらを読んで思うのは、市場経済を全能と考え、規制緩和・効率化を第一とした政治・経済・社会の運営スタイル(新自由主義-『サブカル・ニッポンの新自由主義』、超資本主義-『暴走する資本主義』)では、その効果よりも、弊害の方が多くなってきて、見直す時期に来ているのではないかということである。

米国では、国民がそれを感じ、「Change」を掲げるオバマ候補を選んだのであろう。オバマ新大統領の経済顧問は、かつてFRB議長として米国のインフレ退治に辣腕を振るい、金融危機発生までの米国経済の発展の礎を築いたポール・ボルガー氏だそうである。
現在の世界同時金融危機という未曾有の混乱の中で、ボルガー元FER議長がオバマ新大統領にどんな策を授けるのか、しばらくは新大統領の経済政策が注目されることになるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月28日 (火)

2008年10月の世界同時株式暴落を予言している小幡績著『すべての経済はバブルに通じる』

今日(2008年10月28日)の日本の株式相場は、午前10時過ぎに一時6994円90銭と前日の終値7162円90銭を更に▲168円 割り込み、1972年10月6日の終値で記録した6974円以来の7000円割れとのこと。なかでも、メガバンク3行は売り込まれ、売りの先導役を果たした。
しかし、午後の入り、先週は90円割れ目前だった円ドル為替相場が93円近辺で留まったこともあり、午後の相場は急反発、引け際にかけ急騰して、終値は7621円92銭(前日比459円02銭高)と先週末の7649円08銭近くまで戻した。

東証1部上場企業の連結ベースでの株価純資産倍率(PBR)は、0.87倍。前期の実績値に基づいた数値なので、今後の数字を約束するものではないとはいえ、現在の株式相場の水準は東証1部上場企業の平均値は、解散価値よりも10%以上低いということである。いくら、株式市場が将来を先取りして動くとは言え、今後の景気減速を織り込んでも、東証1部上場企業の平均値として、今期決算で自己資本を10%以上減らす赤字になるとは思われない。
一方、配当利回りは前期実績ベースで2.78%、今期予想ベースで2.80%。このような数値を冷静に見れば、むしろ日本の株は買われてもいいように思う。
端的に言って、10月以降の日本の株式相場は、いわゆるファンダメンタルズとは関係ないところで、売買されていると考えたほうが理解しやすい。

そのメカニズムを見事にあぶり出しているのが、今回の世界同時金融危機を扱った本の中でも、ヘッジファンドや投資銀行の行動原理に焦点を当てた小幡績著『すべての経済はバブルに通じる』(光文社新書、2008年8月刊)だと思う。

著者は、金融資本が、さらなる増殖をめざして、ありとあらゆる投資機会を求めてさまよう様を「キャンサーキャピタリズム(癌化した資本主義)」と名付け、投資機会が減少する中で金融資本が自己増殖のため更なるリスクを取らざるを得ず、それによって生じるバブルを「リスクテイクバブル」と名付けている。

金融資本はあたかも意志を持つかのように自己増殖し、当初は経済を活性化するように見える。しかし、一旦増えすぎると、それは、さらに過剰に増殖し、激しく機能しすぎることになる。増殖した金融資本は、投資機会を求めて世界中をさまよう。そして発見した投資機会において利益を実現し、投資機会を食いつくす。利益を得た金融資本は、さらに増殖することになるが、一方、求める投資機会は食い尽くされているから、枯渇する。
自己増殖を止めない金融資本は、投資機会を自ら作り出すことを求める。その成功により、金融資本はさらに増殖するが、実体経済には過度の負担がかかり、金融資本に振り回されることになる。ここに、本来、実体経済の発展を支える存在であった金融資本が、自己増殖のために実体経済を利用するという主客転倒が起きる。そして、これが最終的には実体経済を破壊し、金融資本自身をも破滅させるさせる結果をもたらす(『すべての経済はバブルに通じる』224ページ)

「キャンサーキャピタリズムにおいては、バブルの膨張、崩壊のメカニズムは構造的市場内部に組み込まれていた。そして金融資本の増殖に比例して、バブルの崩壊はより激しくなり、そして崩壊はさらに激しいものとなった。病は急速に進展していったのである。」(『すべての経済はバブルに通じる』240ページ)

著者は、今回の株式暴落に先立って2007年8月にサブプライム関連証券化商品の下落に端を発したフランスのパリバ銀行系のファンドが解約凍結を発表してからの世界的な株式市場の下落を「サブプライムショック」というバブル崩壊、2007年年末から2008年1月の米国のモノライン危機報道、2月の米国大手証券ベアスターンズ破綻・救済合併などとともに生じた株式市場の下落を「世界同時暴落スパイラル」と表現している。

本書は次のように締めくくられている。

今回のリスクテイクバブルの崩壊は、まだ第一次崩壊過程だと思われ、今後、幾度となく、キャンサーキャピタリズムは発症し、リスクテイクバブルは繰り返され、さらに別の形のバブルやそれ以外の発症があるであろう。
キャンサーキャピタリズムの完治はいつか。それは以外と遠いようで近い気もする。しかし、それまでには、これまで以上の激痛と悶絶を経なければならないだろう。すくなくとも、その覚悟だけは、我々は今からしておかなければならない。(『すべての経済はバブルに通じる』240ページ)

2008年9月15日の米国大手投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻はキャンサーキャピタリズムに冒された金融資本の末路だったと考えるべきなのだろう。そしてリーマン破綻に端を発した2008年10月以降の三度目の世界同時株安・同時暴落は、その破壊的な激しさという点で、実体経済に「これまで以上の激痛」を与えている。

『すべての経済はバブルに通じる』は、現在の世界同時金融危機を学ぶ図書として外せない1冊であると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月25日 (土)

底が見えない世界同時金融危機を生き抜いて行く方法、第21期竜王戦の【梅田望夫観戦記】から

昨日(2008年10月24日(金))の日経平均株価の終値は、とうとう8,000円を割り込み、7649.08円で引けた。10月7日(火)には10,155.90円とまだ1万円台を何とか確保していたが、それから3週間ほどで一気にほぼ▲25%下落したことになる。
今回の世界同時金融危機の最後の引き金を引いた形になったリーマンブラザーズの破綻が9月15日。その直前の9月12日(金)の日経平均株価は12,214.76円。そこからの1ヵ月余での下落率は▲37%である。

【日経平均株価】2008年9月以降


円・ドル相場も日本で一時1ドル=95円台をつけて1995年8月以来13年ぶりというニュースで流れていたと思ったら、ロンドン市場では一気に円高が進み一時1ドル=90円台を記録したという。

【円・ドル為替相場】2008年9月以降


余りにも急な市場、相場の動きをなすすべもなく、呆然と見ているというのが偽らざるところである。ささやかながら個人資産として保有している株式はみるみる値下がりし、1年前と比べると半値になってしまった。
こんな時は、じたばたとあわててもしかたがない。株式も含み損ではあるが、売らなければ実現損にはならない。そこが時価会計を求められない個人の気楽なところではある。

第21期竜王戦第1局の観戦記を書いた梅田望夫氏が「正しいことが正しく行われている街で」と題した初回の観戦記の中で、次のように書いている。

個人の手に負えないほど大きなことが周囲で起きたときに、私たち一人ひとりにできることはそれほど多くないということである。もちろんサバイバルのためにベストを尽くすのは大切だ。でも、そんなことばかりを365日24時間考え続けながら生きることは、私たちには到底できないのである。
テロが起きても、戦争が始まっても、世界経済が音を立てて崩れようとも、私たちは、毎日の生活の潤いや楽しみを求めて、音楽を聴いたり、小説を読んだり、野球を観たりしながら、精神のバランスをとって、したたかに生きていかなければならないのだ。文化は、その時代が厳しくなればなるほど、人々の日常に潤いをもたらす貴重な役割を果たすものなのである。
(第21期竜王戦第1局竜王戦【梅田望夫観戦記】(1)「正しいことが正しく行われている街で」より)

「世界経済が音を立てて崩れようとも、私たちは、(中略)精神のバランスをとって、したたかに生きていかなければならないのだ」。
株式が何%下落しようと、円ドル為替がどれだけ円高になろうと、我々は日々生活していかなければならず、それは、過去の歴史の中でも、何回となく繰り返されてきたことだろう。我々の系譜を祖先に向けて遡っていけば、どこか戦争や恐慌などに巡りあって来たはずである。しかし、祖先たちが「精神のバランスをとって、したたかに生き」抜いたからこそ、自分はいまここにいるのだと考えれば、世界の人々は皆危機を生き抜いてきた人々の子孫の集まりということになる。
その、脈々と危機を生き抜いてきた血が自らの中にも流れているのだと、開き直って、音楽を聴き、読書をし、時にパソコンのソフトの上で贔屓のプロ棋士の将棋の対局を眺めたりしながら、周りに踊らされることなく、したたかに生きていくことが、必要なのだろうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月23日 (木)

倉都康行著『投資銀行バブルの終焉』を読み終わる

サブプライム問題に端を発した世界の金融危機に関する本を何冊か読んできたが、知人のmacky-junさんのブログ「神楽坂のキャピタリスト」の中で紹介されていた倉都康行著『投資銀行バブルの終焉』(日経BP社)を読んでみた。

著者は、旧横浜正金銀行を引き継いで誕生した東京銀行(1996年三菱銀行と合併し、現在の東京三菱UFJ銀行)の香港、ロンドン支店勤務の後、米国のチェース・マンハッタン銀行に移り「内外の証券や金融派生商品などのディーラーや商品開発という、市場部門での仕事を長く担当してきた」(『投資銀行バブルの終焉』15ページ)と自ら紹介しているように、金融の現場で、投資銀行の隆盛を見続けてきたビジネスマンである。

預金を集め、それを貸出に回して預金金利と貸出金利との利鞘で利益ろあげる商業銀行に対し投資銀行は企業の発行する債券や株式を引き受けて投資家に販売し、引受手数料や販売手数料で収益を上げる。日本で言えば証券会社に当たる。ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、メリル・リンチなどが大手である。今回の金融危機の中で経営が悪化し2008年5月にJPモルガン・チェースに救済合併されたベアー・ズターンズは米国第5位、2008年9月に経営破綻したリーマン・ブラザーズは米国4位の投資銀行だった。

本書は、その投資銀行が隆盛を極め、しかしその飽くなき利益追求の果てに、サブプライムローンの証券化というビジネスにのめり込み、破綻していったかを描いている。(この本が書かれた時点では、リーマン・ブラザーズはまだ破綻に至っていなかったが、破綻もやむなかったというのは、本書を読むとよくわかる)

今回の金融危機は、詳しく調べれば調べるほど、まさに欧米を中心とした世界の金融機関での信用バブル、金融バブルであるということが見えてくる。金融機関が自らの利益確保のために、金融工学を駆使し、従来の金融の常識を逸脱してリスクをとり、破綻するか破綻寸前に追い込まれるところが続出している。そのリスクテイクは、主に投資銀行を中心とした金融の世界の中で行われてきたことではあるが、しかし、投資銀行とともに今回の騒動の主役でもあり被害者でもある商業銀行は、自己資本比率規制というルールに縛られている。
一定規模の貸出資産を維持するには、一定規模の自己資本を維持しなければならない。証券化商品の評価損・売却損がかさみ、多額の赤字を計上し、資本が毀損するとその資本の減価分に見合う貸出資産を減らさなければならない。それは、貸出先から貸出金を回収するということであり、ここにいたって金融機関の世界でのマネーゲームの結末が、貸し渋りという形で実態経済に影響してくる。

まだまだ、回復への道のりは長いだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月15日 (水)

時価会計は本当に必要なのだろうか?

日本の企業会計の世界では、しばらく前に「会計ビッグバン」ということが声高に言われ、国際的な会計ルールに沿う形で、日本の会計ルールの多くが変更された。固定資産の減損会計、退職給付会計、金融商品の時価評価の徹底、等々。
その背景にあるものは、時価主義である。企業が保有する資産を全て評価日現在の市場価格で評価しようとするものである。

それ以前の日本の会計では取得原価主義が原則で、不動産や投資有価証券などの資産は購入時の価額がそのまま、貸借対照表に記録され、保有期間中は貸借対照表上に記録された価額(簿価)が変更されることはなかった。
その資産が売却される時になって初めて、取得価額と売却額の差額が、売却益や売却損として実現し、売却時の決算の内容を大きく左右した。戦後の高度経済成長の中で、成長を続けた日本企業は、保有する株式や不動産に含み益を抱え、ある程度の損失であれば、その含み益を実現させること穴埋めが可能で、一過性の損失であれば、企業の存亡に関わるようなことはなかった。

80年代までの日本企業が海外進出しその力を発揮していた時期には保有株式の「含み益」が海外から槍玉にあげられ、バブル崩壊後は今度は高値で取得した不動産の「含み損」を明確にして、企業の実態を示すことが求められた。

今回の米国での大手証券会社の危機も、時価会計の厳格化が、危機の深刻化に一役買っている。サブプライムローンを証券化した商品や更にそれらを組み合わせた複合的な証券化商品は、もともと投資家と証券会社の間で相対で販売され、広く一般に流通しているわけではない。価格も理論値はあっても、実際の売買事例は多くはなかったようである。
米国の新しい会計ルールFAS157では、時価の不明確な資産の時価評価ルールを定め、レベル1=売買事例のあるものは売買価格、レベル2=同種の商品の売買事例が参考になるものそこから類推、レベル3=まったく時価事例のないものとした。そしてレベル3の時価不明の資産の保有額を明らかにするように求めた。
米国の大手証券会社は、2007年度の第一四半期からこのルールを先行適用した結果、レベル3に分類される資産の規模が多く、その多くがサブプライム関連の証券化商品で多額の含み損を抱えているのではないかと市場参加者から見られ、株価下落の要因の一つになったというものである。

証券化商品は、もともと広く流通させることを目的に作られた運用資産ではないだけに、買い手がつかなくなれば、評価額は理論値と乖離して下落する。売れないとなれば、ますます狼狽売りを誘い、悪循環に陥る。そうなった場合の時価とは、本当にその資産の正しい価値を表しているとは言えるのだろうかと思う。
先週暴落した世界各国の株価はG7の行動計画を政治の断固たるメッセージと捉え、今週に入り今度は急騰している。昨日(2008年10月14日)の日経平均株価の上昇率は過去最高を記録したとのことだ。市場で日々取引が行われほぼ毎日値付けが行われる上場株式でさえ、これだけ乱高下する。

市場価格のない、証券化商品の時価を厳格に求めようとする事にどれだけの意味があったのだろうかと思う。
証券化商品の多くは、ものすごく単純化すると、その利払・償還のリスクを分解しハイリスク・ハイリターンの「エクイティ」、ローリスク・ローリターンの「シニア」、その中間のミドルリスク・ミドルリターンの「メザニン」に分けられる。
今回の騒動の発端であるサブプライムローンの延滞率の上昇は、確かにこれまでのサブプライムローンの行き過ぎによるものであり、いずれ是正されるべきものだが、さりとてサブプライムローン全てが延滞しているわけではない。「エクイティ」を購入した投資家は丸損かもしれないが、「シニア」部分への影響は少ないだろう。中二階の「メザニン」にどれだけ悪影響があるかであろう。
取得原価で評価されるのであれば、それは購入した投資家の投資利回りの悪化、保有資産の評価損計上、償却として徐々現れてくるものであったろう。
もともと時価などないものに無理に時価を当てはめようとして混乱を招くことと、リスクを取った投資家の資産全体の中で、徐々に損を実現化させていくことの、どちらが混乱が少なかったのかは、よくわからないところだ。

最近、私が時々読ませていただいているブログ「投資経済データリンク」では、「史上最大の作戦-世界の金融システム防衛戦」と題した2008年10月14日付の記事で「国際会計基準審議会が米国のSECに追随して時価会計の適用基準を一部緩和した」という報道を紹介している。

市場は万能ではなく、時価がおかしい時もあるということであろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月14日 (火)

サブプライム問題と今回の世界同時金融危機に関する本2冊(みずほ総合研究所編『サブプライム金融危機』、チャールズ・R・モリス著『なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか』)を追加購入

先週は、日本の株式市場も売りが続き、あれよあれよという間に日経平均株価は8000円台まで下落してしまった。
週末のG7で発表された行動計画に反応する形で、ニューヨーク証券取引所の株価は反発したようだが、日本の株価はどうなるだろうか。
個人的には、欧米株は仕方ないが、日本株は現状では売られ過ぎという気がしてしかたないのだが…。今後の世界景気の低迷による日本経済の悪化を先取りしたと講釈もできるかもしれないが、どこかのブログで書かれていたように「米国のように空売り規制をしないので、証券化商品の暴落で損を抱えたファンドの損の穴埋めのため、空売りの標的にされたのではないか?」というのが、実態ではないだろうか。空売りで下げるだけ下げておいて、買い戻すタイミングを見計らっているのだろう。

しばらく前に、買い込んだサブプライム関係の本4冊は、とりあえず読み終わった。その前に紹介した金融庁の報告書とあわせ、サブプライム問題がどのようにして発生し、それがどう今回の一連の金融危機の繋がっていったかという点はほぼ理解できた気がする。

サブプライム問題が象徴するのは、米国の住宅バブルの崩壊であり、それがかつての日本のバブル崩壊時のように当該国だけに留まらず、ひろくヨーロッパを中心に世界各国に波及したのは、証券化という金融技術によってサブプライムローンが、資産運用商品として各国に販売されたことによる。
米国住宅バブル崩壊により、元利払いの延滞が増加し不良債権と化したサブプライムローンは、運用商品の価格下落を引き起こし、サブプライムローンを組み込んだ証券化商品を保有する投資家は、損失計上を余儀なくなれた。その規模が巨額である上に、その運用商品の購入資金は、借入金でまかなわれており、運用商品の価格下落は、資金の貸し手であった金融機関の貸出金の内容劣化にも繋がる。
おまけに、金融機関自身が傘下にファンドを組成し、手広く証券化商品の運用に関わっていたのだから、サブプライムローンの損失は幾重にも金融機関にのしかかってくる。

しかし、金融機関がそのような後から振り返ればリスクの高い運用を行ったのは、そもそも世界的な金余りがあった。資源国や新興経済国は貿易黒字を元にした莫大な資金を保有するが、自国内にも、海外にもめぼしい投資先がない。その余った資金の運用の受け皿となったのが、サブプライム・ローン等を中心に組成された証券化商品である。言い方を変えれば、余った資金を運用先として何かが必要とされ、その求めに応える形で、証券化商品は登場したと考えることもできる。証券化という金融技術を使って、元は一つの住宅ローンから幾重にも証券化商品が作成される。
よく、サブプライムを解説した本では、そのあたりのことを指して「信用創造」という言葉使われる。しかし、我々が大学で習った古典的な経済学では、資金不足の環境の中で、最初の貸出金の一部が預金として金融機関に環流し、さらにその環流した預金を元に新たな貸出が実施されるという循環が続く中で、資金が幾重にも回転し、見かけ上預金が増加し、それがさらに貸出に回るという形で資金が効率的に利用されることをもって「信用創造」と呼んでいたように思う。
サブプライムの一連の流れの中で創造されたのは、上記の例の、預金の方ではなく、貸出にあたる側の運用商品である。元は一つのローンが、幾重にも証券化されるということは、
どういう事か。最初のローンには借入人もいて実態があるが、そのローンが証券化され最初の債権・債務関係から離れてしまい、さらに最初のローン証券を担保にした証券化商品ができると、どこまでが実態のある運用商品といえるのだろうか?という気がしてくる。

わかったようでもあり、突き詰めて考えるとわからないような気もしてくる。もう少し勉強しようと、追加で2冊関連図書を購入した。

3連休が終わり、今日からマーケットが開く日本の現実世界の方は、どう動いていくのか、これも目が離せない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月22日 (月)

サブプライム危機を分析する竹森俊平著『資本主義は嫌いですか』を読み始める

先週からの日本経済新聞の朝刊の「経済教室」では、米国の金融危機についての専門家の分析を載せているが、3回目の今日(2008年9月22日)は慶応大学の竹森俊平教授が書いていた。その中で自らの近著として言及されていたのが、本書『資本主義は嫌いですか』(2008年9月刊、日本経済新聞出版社)である。

サブプライム・ローン問題に端を発した、米国の金融危機は、おそらく1920年代の米国の大恐慌以来の経済危機であろう。サブプライムローンというハイリスクな貸付が、証券化という形で世界各国に輸出され破綻した。その影響は、米国に留まらず、広くヨーロッパに伝播しているし、日本の金融・証券関係も無傷ではない。我々のこれからの生活にも何の影響も与えないということはないだろう。
しかし、テレビのチャンネルを回すと登場する「日本でも大不況が到来、倒産が続出し、ボーナスは半減、年金の支給開始が遅くなる」との解説をする怪しげは経済評論家の言説には、本当だろうか?と首をかしげたくなる。
一方で、そのサブプライム・ローン問題の実像や、その原因や結果が、経済学の理屈から考えてどうとらえるべきなのかなどは、日々の仕事の中で、なかなかゆっくり考えている余裕がない。下手をするとその怪しげな経済評論家の言説に振り回される事になりかねない。

ここは、自分でもう少し勉強するしかないと、何冊か解説書を買い込み、真剣に読んでみることにした。

本書『資本主義は嫌いですか』は著者が序文で「なかなか筆が進まなかったところに、ある時、たまたま物語風の書き出しを試したところ、すらすらと筆が進み、一冊の本が書き上げられた。そにためこの本はサブプライム危機をテーマにした「物語の三部作」という形をとる」(『資本主義は嫌いですか』3ページ)と語っているように、物語仕立てで読みやすい。
金融技術に名を借りた投資銀行のマネーゲームに、どこか釈然としないものを感じていた私には、読んでいると「そうだよね、やっぱりおかしかったんだよね」と頷く部分が多い。

併せて著者の前著『1997年-世界を変えた金融危機』(竹森俊平著、2007年10月刊、朝日新書)、現役金融マンが書いた『サブプライム問題とは何か』(春山昇華著、2007年11月刊、宝島社新書)と続編にあたる『サブプライム後に何が起きているか』(春山昇華著、2008年4月刊、宝島社新書)を買い込んできた。
しばらく、朝の通勤電車での読み物は、サブプライム一色になりそうである。



| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年9月16日 (火)

サブプライム・ローン問題の岐路、米大手証券会社リーマン・ブラザーズ経営破綻

日本は「敬老の日」で休日だった2008年9月15日、サブ・プライムローン問題に端を発し、経営不安説が囁かれ、大手銀行や投資家による資本増強による再建が必須と言われていた米国4位の大手証券会社リーマン・ブラザーズが米国破産法11条(チャプター11*)を申請し、事実上倒産した。
(*チャプター11=以前は日本の「会社更生法」に相当と言われていたが、今回の報道では「民事再生法」に相当と書かれている)
同日、第3位の証券会社メリル・リンチも米銀2位でリーマン・ブラザーズを支援するのではないかと言われていたバンク・オブ・アメリカに救済合併されることになった。リーマン・ブラザーズは、交渉相手だったバンク・オブ・アメリカが、同業のメリル・リンチを支援することが決まり、万策尽きて、チャプター11の申請ということになったのかも知れない。
新聞によれば、リーマン・ブラザーズの資産規模は6390億ドル(約66兆5000億円)、負債総額6130億ドル(約63兆8000億円)という。
先週(2008年9月7日)、これもサブプライム問題で経営不安が囁かれていた連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)と連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)を、米国政府の管理下に置くことが発表され、米国の信用不安も沈静化するかと思っていたが、これで、また様々な信用不安が飛び交うことになるだろう。
現に、今度は、米国保険最大手のAIGの株価が急落し、経営不安説が流れているという。

2週間ほど前にサブプライム問題の構造を分析した金融担当大臣の私的諮問機関「金融市場戦略チーム」の報告書の話を書いたが、そこでは、サブプライム問題の構図についての分析があった。一部、補足・修正して再掲すると
①サブプライムローンの借り手(信用リスクの高い住宅購入者)
②サブプライムローンの貸し手(地域の銀行等)
③貸し手からローンを買い取って証券化商品を組成した証券会社・銀行等
④証券化商品に格付をした格付会社
⑤証券化商品の償還を保証した保証会社(モノライン)
⑥証券化商品の販売者(証券会社等)
⑦証券化商品を購入した投資家

今回のサブプライム・ローン問題は、そもそも、①の借り手の延滞率が高まったところから始まっている。借り手の延滞が増えれば、②の貸し手の貸出姿勢は厳しくなり、結果として住宅は売れなくなり、不動産価格は下落する。
今回のリーマン・ブラザーズは③の証券化商品を組成した証券会社・銀行等に相当するといえる。組成をするには、サブ・プライムローンを②の貸し手から仕入れ、証券化商品のして組み直し、⑥の販売者に卸さなければならない。それを商売として繰り返していれば③の組成者のバランスシートには、常に仕入れた住宅ローン債権と販売前の証券化商品が残っていることになる。あるいは、③組成者は⑥の販売者も兼ねているケースも多いと思われるので、不動産価格の下落、それに伴う証券化商品の評価損が組成を手広く行っていた米証券会社大手を直撃した。

サブプライム問題の連鎖は③組成者・⑥販売者までで終わるわけではない。最後は、⑦証券化商品の購入者である投資家にたどり着く。米保険最大手のAIGの株価急落による経営不安説は、いよいよ連鎖の最後の輪である投資家のところまで、この問題が波及したということではないかと思う。

一方、リーマン・ブラザーズの経営破綻は、リーマンに対する6130億ドルの債権を保有していた債権者に、貸し倒れという損失計上を迫ることになる。日本の銀行・証券・保険会社への影響が軽度であることを願うしかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 4日 (木)

サブプライム問題につき、その構造と原因を分析した「金融市場戦略チーム」の第一次、第二次報告書を見つける

米国のサブプライムローン問題が騒がれるようになってほぼ1年が経過した。
米国の景気減速に伴って低所得者向けの住宅ローン「サブプライムローン」の延滞率が上がり、そのサブプライムローンを証券化した運用商品(有価証券)を購入していた世界各国の投資家が評価損の計上を余儀なくされ、中には破綻するところも出てきたという程度の認識しかなかった。
もう少し詳しく理解しなければいけないと常々思っていたが、新聞を読んでも、ただいま現在目の前で起きていることの報道だけで、この世界中に飛び火した事件の構造を説明してくれるような記事は見たことがないし、書店にはあまたの解説本が並ぶが、どの本が素人向きの解説書と信頼がおけ、わかりやすいのか見極めきれず、結局、理解が進まないままだった。

仕事で、いろいろ調べていたら、ようやく素人にもよく分かるように書かれたレポートを見つけた。
2007年9月に渡辺喜美金融担当大臣の私的諮問機関として民間の実務家等を中心に発足した「金融市場戦略チーム」がまとめた2回の報告書である。2007年11月に第一次報告書、さらに2008年6月に第二次報告書がまとめられたもので、現在、金融庁のホームページで公開されている。
特に、第一次報告書は、2007年9月からスタートしたが、11月までの3ヵ月間に証券会社、格付会社、機関投資家等から勢力的にヒアリングそして議論を行ってまとめられたもので、わかりにくいサブプライム問題の構造・構図というものをポイントを整理しまとめている。さらに、原因の分析、今後、マーケットを正常化していくために取り得る施策の提言まで行っており、その提言の多くはその後の国際的な検討でまとめられた対応策の中に反映されたようである。

この報告書を読むと、サブプライム問題は、冒頭に私が書いたほど単純な構図ではない。第一次報告書の概要にまとめられている主要な役割だけを並べてみても、
①サブプライムローンの借り手
②サブプライムローンの貸し手
③貸し手からローンを買い取って証券化商品を組成した銀行等
④証券化商品に格付をした格付会社
⑤証券化商品の販売者
⑥証券化商品を購入した投資家
の6つの役割があり、それが複雑に絡み合っている。(その後、証券化商品の償還を保証した保険会社=モノラインも登場するが、2007年11月時点ではその存在まではあぶり出されていない)
さらに、証券化商品を運用する仕組みとして、長期運用である証券化商品を担保にした短期の資金調達を行うコマーシャルペーパー(CP)を発行するという手法が広まっており、そのCPの償還に問題が生じた場合の償還を保証する(流動性補完)を金融機関等が行っている。

大勢の利害関係者が、サブプライムローンという米国の高リスクの住宅ローンのリスクを分散して負担していたことになるが、サブプライムローンの延滞率の上昇というリスクの増加が、この世界中に張り巡らされたリスク負担の連鎖に、増幅して伝わり、数多くの破綻を招き、現在もまだ解決していないということであろう。

この問題に関心のある方は、報告書を一読されることをお勧めしたい。

<リンク>
第一次報告書の概要
第一次報告書
第二次報告書の概要
第二次報告書

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2008年9月 1日 (月)

福田康夫総理大臣、まさかの辞任会見

政治ネタは、ブログには書かないことにしているのだが、さすがに今日の福田総理大臣の辞任会見には驚いた。

部屋でパソコンに向かっていたら、リビングにいた次女が「父さん、福田総理が辞任だって」と言う。「エー!」。リビングに行くと、テレビに映った福田首相が、淡々と辞意表明の会見をしているところだった。1年前の安倍首相の辞任会見の再放送を見せられているような気分になった。(安倍首相の辞意表明は2007年9月12日)

衆議院は自民・公明連立政権で過半数を確保しているものの、参議院では民主党を中心とした野党が過半数を握っているので、衆議院の優越が定められている予算と条約以外は、参議院が反対したらどんな法案も成立しない。再度、衆議院で2/3の賛成での再可決という強行手段もあるが、僚友・公明党が難色を示し、使えない。
もともと、福田首相が安倍前首相から政権を引き継いだ時、すでに、日本の政治状況・政権構造は閉塞状況にあったが、そこにサブプライム問題、原油高騰など難問が次々と現れ、福田首相としては、手枷足枷の中、やりたいことは何もできず、嫌気がさしたというところだろうか。

しかし、辞める気だったのなら、なぜ内閣改造などやったのだろうと思う。福田改造内閣の発足が2008年8月2日。それから1ヵ月で、改造の主役である首相が辞任したのでは新内閣の閣僚は浮かばれない。
あるいは、再選が決まった民主党小沢党首を相手に、迫り来る衆議院選挙を福田改造内閣では戦えないということが、自民党内でも明らかになって誰かに、「辞めるなら今しかない」と印籠を渡されたのだろうか。

この内憂外患の多事多難なおり、いまの日本の閉塞状況を打破できる政治的な選択肢は、自民・民主の大連立による挙国一致内閣しかないのではないか。でも、小沢民主党があくまで、民主単独政権を目指して首を縦に振らなければ、この混乱はまだまだ続くということだろう。
残る可能性は、与党が政権運営に行き詰まったのだから、野党第1党に政権を渡し、選挙管理内閣を組織させ、対案を立案させ、国民の前に示した上で、衆議院の解散・総選挙で民意を問うということかも知れない。そこで、民主党がこの閉塞状況を打破できるような対案が示せるのであれば、自民党も下野するべきであろう。
選挙民が参議院で民主党に過半数を与えたことに帰結は、民主党にこの国の政権を任せてみるということしかないのかも知れない。

いずれにせよ、次の衆議院選挙の結果が、この国の当面の舵取りを誰にするかを決める分岐点になるだろう。そこで、選挙民がどちらを選ぶのか、民主党が勝てばすんなり民主党政権だし、自民・公明連立政権が勝つのであれば、その時は自民・民主の大連立しかないだろう。選挙民としても、今まで以上にこれからの自民・民主の主張と行動をよく聞き、よく見ておかなければならないと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月30日 (水)

浜田康著『会計不正』を読み始める

3月に中央青山監査法人の消滅をテーマにした種村大基著『監査難民』(講談社)と細野康弘著『小説会計監査』(東洋経済新報社)を読んだが、今朝から浜田康著『会計不正』(日本経済新聞社)を読み始めた。

こちらは、単に中央青山監査法人の問題だけでなく、なぜ粉飾決算・会計不正が起きるのかについて、会社側・経営者側の事情と、監査する公認会計士側の事情、そして今後、会計不正をなくしていくために、それぞれの立場でどうするべきか等について考えようとするものである。

著者は中央青山監査法人所属の公認会計士で2002年には同じ日本経済社から『不正を許さない監査』という会計監査のあり方をテーマにした本を出している論客である。
しかし、皮肉にも、その後日本では数々の会計不正事件が世を騒がせ、在籍していた中央青山監査法人は解体・消滅した。
中央青山に、証券取引等監視委員会の調査が入った2005年7月には新設の監査5部長の発令を受けたばかりだったことが書かれているので、中央青山でも相応の地位にいたことになり、みずからの組織に所属する会計士がカネボウなどで「不正を許す監査」どころか「不正に荷担する監査」をしていたという事実には衝撃を受けたと思うし、『不正を許さない監査』の著者としては忸怩(じくじ)たる思いだったろう。 何とか、著者なり顔回答を出そうとして書かれたにが、この『会計不正』だったのではないかと思う。
本書の締めくくりに当たる第8章は「監査人は会計不正にどう対応すべきか」との題され、5つの節のタイトルは、次の通りである。

1.クライアントのビジネスを理解しているか
2.監査人は不正に対する感度を高め、その排除、阻止に全力を挙げるべし
3.監査人は論理的であるべし
4.監査人は自ら隘路に滑り落ちない仕掛けをしておくべし
5.監査人は自分のクライアントの行動を映し出す鏡であるとの自覚を持つべし

グローバルスタンダードという名の下、企業の1年間の成績発表である企業会計の分野でも、国際に会計基準の統一化が進んでいる。そして、市場は、経営者には常に増収・増益を求め、それを実現した経営者が優れた経営者とされ、報酬もそれに伴う仕組みに変わりつつある。
その成績表を監査する会計士も、社会や市場から自らに求められる役割が大きく変わっていることを認識しなければならなし、企業や経営者に対する見方を変えて、クライアントである企業や経営者との新たな関係を築いていかなければならないということなのだろう。本書のサブタイトル『会社の「常識」監査人の「論理」』にも、そういう思いが込められているのではないかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月14日 (金)

1ドル100円割れはアメリカン・スタンダードの終わりの始まり?

円とドルの為替相場が1ドル=100円の大台を割り込み、99円台を記録したという。1995年10月以来12年5ヵ月ぶりのことだと報道されている。

1ドルの価値を円で評価したものがドル円の外為相場と考えれば、1年もたたない2007年5月~7月は1ドル=120円台だったものが、1ドル=100円前後まで約20%値下がりしたわけで、大幅なドルの価値下落である。今回は、ドルは各国通貨に対して大幅に下落しており、ユーロ、シンガポールドル、スイスフランに対しては過去最安値を更新したという。「円高」というよりは、「ドル安」である。

今回のドル安の引き金は、サブプライムローンという信用リスクの高い顧客への住宅ローンの焦げ付きが発端だろう。米国の金融機関や証券会社は、そのサブプライムローンを証券化し、運用商品として世界各国の投資家に販売していた。原債権が焦げ付けば、それのキャシュフローに依拠している証券化商品の下落も当然である。いわば、不良債権を世界各国に輸出していたわけだから、輸出元の米国が信用をなくし、国の信用度の指標とも言える外為相場で各国に通貨に対して、交換価値が下がるのも当然であろう。

思い出すのは、1980年代。やはり、米国では住宅ローン専業のS&L(貯蓄貸付組合:Saveings and Loan Association)が相次いで破綻し、大騒ぎになった。結局20年前を同じことを米国はやっているだけではないかという気がする。しかし、当時はまだ証券化などの金融技術は進んでいなかったので、S&Lの破綻は米国の国内問題だった。

今回は、証券化という形で輸出をしていたことで、破綻・焦げ付きで損をするのが、米国にとどまらず世界各国に及んだというところが大きな違いだろう。

90年代に入り回復を成し遂げた米国は、日本がバブル崩壊で塗炭の苦しみを味わているのを尻目に、デフェクト・スタンダード(事実上の世界標準)というふれこみでアメリカン・スタンダードを日本に強要し、日本は唯々諾々とそれを受け入れてきた。

しかし、デフェクト・スタンダード(事実上の世界標準)という名のアメリカン・スタンダードに依拠していても、とんでもない間違いはやはり起きるということが、今回図らずも証明されたということだろう。

これから、世界規模でアメリカン・スタンダードの見直しが始まるのではないか。それは、パックス=アメリカーナなどとも呼ばれた米国中心の国際秩序の終わりの始まりなのではないか、12年ぶりの1ドル=99円というニュースを聞いてふと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月12日 (水)

信じられない安倍首相辞任表明

政治に関することは、このブログでは、取り上げないことにしているのだが、今日は、あまりにも信じられない出来事が起きたので、時代の記録として書き残しておくことにする。

就任からほぼ1年になる安倍晋三内閣総理大臣が、今日(2007年9月12日)の午後2時から突然の辞意表明を行った。

7月の参議院議員選挙で、自ら総裁を勤める自由民主党と公明党の政権与党が、参議院での過半数を失う大敗。参院選で敗れて辞任した橋本龍太郎元総理に例もあり、「当然、辞任するのだろう」と思う世間の意向に反し、早々に続投を表明。2週間ほど前の8月下旬には内閣改造も行い、数日前にはテロ対策特別法の成立のために「職を賭して臨む」との宣言をし、昨日は、臨時国会で改造内閣での所信表明演説を行ったばかりだった。
そして、今日からは各党の代表質問というタイミングで、「私が辞めることで、テロ対策特別法成立に向け局面を転換したい」との理由で辞任表明である。
どこかのプロ野球の優勝監督のコメントではないが「信じられな~い」というのが、まずは最初の感想である。

どうせ辞めるなら、参院選大敗の時点で辞めるべきだったろうし、せめて内閣改造の前に辞めるべきだったろう。この時点での辞任は、周囲にかける迷惑も半端ではない。
参院選大敗の時点で早々に続投を表明し、テロ対策特別法の成立に職を賭して…と言った以上は、自らに信念を貫き、法案成立のための国会論戦に与党の最終責任者として臨み、それが認められなければ、その時点で辞める、あるいは、自らの辞任と引き換えに法案は成立させるという選択肢もあったろう(もちろん、野党がそれで納得して法案を通したかどうかは分からないが…)。政治が与党と野党の駆け引きの中で行われる現実の中で、最大の駆け引きの材料である「総理大臣の辞任」という切り札を、戦う前から切ってしまうという手法は全く理解できない。
辞任の報を聞いた野党首脳が口々に唱えたように「究極の無責任」、「内閣の投げだし」ある。

参議院で野党に過半数を握られた以上、いくら衆議院で2/3以上の議席を確保しているても、与野党対決法案はすべて参議院で反対され、廃案となるのは、最初から分かっていたことである。
再び衆議院の2/3以上の多数を以て可決し法案を成立させるという「伝家の宝刀」を与党として抜いて、強権発動するためには、今日に夜のテレビ番組である与党関係者が言っていたように、与党として国民に対し訴え、理解をしてもらうため相当の努力をし、少なくとも当該法案の成立については、国民の過半数できればが2/3以上支持するというような世論調査の結果でもなければ、踏み切れないだろうし、踏み切るべきでもないだろう。

どう考えても、このタイミングでの一国の首相の辞任は、納得しがたいことであり、辞めなければならなかった本当の理由は(首相本人の辞任会見後の与謝野官房長官が「健康問題」にふれたように)、どこか別のところにあるのではないかと思う。

当面は、自由民主党内で次の総裁=次の首相に誰を選ぶのかが焦点に成ってくるが、すんなり後継総裁選出、首相就任といくのか、まだまだ波乱含み数週間になりそうな気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月16日 (木)

公認内部監査人(CIA)試験終了

公認内部監査人(CIA)試験の2日目が終了し、2006年11月の4科目全ての試験が終わった。
今日の2科目は、午前(PartⅢ)が財務・会計とIT・システム関連、午後(PartⅣ)が経営理論やチーム・マネジメントだった。

午後の科目は、先月合格した金融内部監査士からスライドで認定が受けられる公認金融監査人(CFSA)資格登録が完了すれば、免除になるのだが、申込時点(9月)では金融内部監査士試験もまだ受けておらずCFSA資格が取れるかどうかもわからなかったし、免除されるとはいっても、次回(2007年5月)の試験で免除申請して初めて認められるものなので、(おまけに、1科目の受験料と同額の免除手数料を払わなくてはならない)、今回、合格できるにこした事はない。

昨日の2科目は、いわば監査理論と監査実務で、日常の仕事とも関係が深いし、今日の午後の経営理論は、もし今回ダメでも次回は免除してもらえるということもあり、今回の試験準備では、午前に受けた会計とシステムに分野にいちばん時間をかけた。特に、システム関係は知らないと解けない専門用語も多いので、限られた準備しかできなかった中では、それなりに注力した。会計関係は、計算問題も多く、計算はそれなりに答えがでることもあり、会計・システムの分野が、4科目の中では最も手応えがあった。午後の経営理論の方も、昨日の2科目よりはできたのではないかという実感はあるのだが、問題も持ち帰れないし、模範解答が示されるわけでもないので、昨日の2科目と合わせ、「なんとなく」の域を出ない。

とにかく、やることはやって、もう試験も終わってしまったので、昨日の2科目と合わせ、前回の金融内部監査士の時と同じく「人事を尽くして天命を待つ」しかない。自分にCIAを名乗るにふさわしい実力があれば合格するだろうし、まだ実力不足なら、そのような答えが出るだろう。その時は、その結果を受け止めて、足りないところを勉強するしかない。

3月の下旬に思い立って、通信教育を2週間で仕上げて以降、今回の試験を最終ターゲットに据えて、いろいろなスケジュールを組んできたし、仕事の方も、それに重なるように夏休み明けからこの10月までかなり密度が濃かったので、ここでひと区切りである。

ひと休みしたら、佳境を迎えつつある次女の高校受験のフォローに力を入れなくてはならない。11月に入って、書けない日の多かったブログも復活させなくては…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月15日 (水)

公認内部監査人(CIA)試験初日終わる

今日は、公認内部監査人(CIA)試験の初日。明日と合わせ、2日間、仕事を休んでの受験だ。
とはいえ、試験は今日2科目、明日2科目。それぞれ、試験時間は3時間半で、4択問題が125問。午前の科目は朝の9時開始(試験の説明は15分前から開始)で、場所は浜松町から羽田空港へのアクセスである東京モノレールの途中にある「流通センター」。仕事に行くときより、朝早く家を出て、いつもと変わらぬ通勤ラッシュにもまれて、8時半少し前に会場に着いた。
1ヵ月ほど前に受けた金融内部監査士試験は、70名ほどの受験だったが、今回は、いわば全業種に共通ということと、日本でも、米国の影響を受け、内部統制整備が課題ということもあり、流通センター会場だけでも受験者はざっと600~700名ほど。ほとんどは、中年男性であるが、10人に1人くらいは女性の姿もあった。

試験の形式は、前回の金融内部監査士と同様(というよりは、金融内部監査士試験の方がCIA試験の形式に合わせる形で作られたのだと思うが)で、ひたすら4択の中から答えを考えて、マークシートを黒く塗りつぶしていく。前回は80問3時間だったが、今回は125問で3時間半ということで、さらに集中力が求められるものだった。
今日の2科目は、監査の原理原則に照らして、最も正しい答えを選ぶというもので、暗記の部分は少なく、その場での判断が求められる。今日は2科目とも30分で50問というペースで進み、2時間半で一応全問答えをマークしたが、消去法で2つは消えても、残りの2つはどちらも正解に思えるような問題も多く、自信のほどは「?」である。長く考えて何かを思い出すというものでもないので、全部書き終えたあと、30分かけて、マークの塗り忘れがないかだけを確認して、2科目とも3時間ほどで退出してきた。

絶対ダメだという感じもしない代わりに、大丈夫だろうという確信も持てない。来年の1月末までには、結果が来るとのことなので、済んでしまった今日のことは忘れ、明日までの限られた時間は、残った2科目の最後の復習をするだけだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月19日 (土)

ヨロンとセロン

積ん読になっていた『メディア社会』(佐藤卓己著、岩波新書)を読んだ。

メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

著者は1960年生まれで、メディア史・大衆文化論を教える京大の大学院の助教授だ。サブタイトルに「現代を読み解く視点」とあり、帯には「<歴史>から問うニュースの読み方、50のテーマで考える実践的メディア論!」とある。自分と同じ1960年生まれということと、これまでの歴史をふまえた新聞、テレビ、各種ネットビジネス等のメディアのあり方の議論がおもしろそうで、購入した。

第1話が”「メディア」は広告媒体である”という当たり前であるが、ふだん、意識することが少なくなっているメディアの本質論から始まり、第14話の”メディア・イベントの誕生”では、夏の全国高校野球大会について

そもそも、全国高等学校野球大会(戦前の正式名称は全国中等学校優勝野球大会)は、第一次大戦中の1915年、大阪朝日新聞社主催で開始された。(中略)
今では伝統ある夏の風物詩だが、そもそもは新聞社が夏休みの「記事枯れ」に対応して紙面を維持するために企画されたメディア・イベントである。自ら主催し、観客を動員し、取材し、それを批評する。関連記事はいくらでも量産することができる。甲子園大会はそうしたニュース製造機であった。(佐藤卓己著『メディア社会』岩波新書、63~64ページ)

と、原点を辿る議論がされていて興味深い。我々が、目にし、耳にするニュースも、本来、広告媒体であるメディアによって時には作られ、取捨選択された結果のものであるということだろう。しかし、そのメディアが、それを読み、見る人に大きな影響を与える。時として、人々が欲するであろうものを、先回りして用意し、世の中の流れを作っていく。

この本で、最も興味深かったのは、第25話の”憲法をめぐる「ヨロン」と「セロン」”の中で取り上げられている、ヨロンとセロンの違いである。漢字で書けば、どちらも「世論」であり、恥ずかしながら、この年(現在45歳)になるまで、「世論」と書いて、なぜ、「ヨロン」と読んだり「セロン」と読んだりするのか、その違いについて深く考えたことはなかった。本書によれば、「ヨロン」は正しくは「輿論」と書き、「セロン」は「世論」と書く。

今日ではほとんど忘却されているが、輿論(よろん)と世論(せろん)は戦前までは別の言葉だった。輿論とは「五箇条の御誓文」(1868年)の「広く会議を興し、万機公論に決すべし」にも連なる尊重すべき公論であり、世論とは「軍人勅諭(1882年)の「世論に惑わず、政治に拘わらず」にある通りその暴走を阻止すべき私情であった。戦後、当用漢字公布によって「輿」の字が新聞で使えなくなったため、苦肉に策として「世論」と書いて「ヨロン」と読む慣行が生まれた。『「毎日」の三世紀 別巻』(2002年)は、次のように説明している。

「世論を「よろん」と読むようになったのは、戦後民主主義が背景にある。従来、「世論」は戦時中、「世論(せろん)に惑わず」などと流言飛語か俗論のような言葉とし使われていた。これに対して、「輿論」は「輿論に基づく民主政治」など建設的なニュアンスがあった。」
(佐藤卓己著『メディア社会』岩波新書、119ページ)

「毎日の三世紀 別巻」の説明は、戦後民主主義の下、民衆の言葉「世論」が「輿論(ヨロン)」の意味をも吸収し、見識を備えた公論を成すようになったと読める。しかし、「輿論」という漢字が当用漢字から消え使われなくなって60余年、「世論」は戦前の流言飛語・俗論に逆戻りし、「輿論(よろん)」という言葉は、その概念さえ忘れられている。

メディア・イベントに惑わされず、自分の頭で考えることを、一人一人が心がけないと、「世論(せろん)に惑わされる」時代が続く事になるだろう。せめて、自分の子供にだけは、そのことをキチンと教えたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2006年8月14日 (月)

早朝の大規模停電

1週間の夏休みが明け、今日から出勤。いつもの通り、家の最寄りの私鉄の駅から、7時半少し前の準急に乗る。私の乗る準急は隣の駅が始発なのだが、いつもは、つり革と鞄を置く網棚を確保するのが精一杯。しかし、今日は、お盆休みの人が多いのだろう。座ることができた。

しかし、10分ほど走ったところで、前の電車が停電で止まったという。私の乗った準急も止まってしまった。10分ほど停車して、再び動き始める。「やれやれ、10分の遅れなら遅刻しないで済む」とほっとしたのもつかの間、私の乗る私鉄とJRの山手線、地下鉄の乗り換え駅に着き、職場の最寄り駅まで行く地下鉄に乗り換えようとすると、こちらも停電の区間があり、運転見合わせとアナウンスしている。私の乗る線だけではなく、東京メトロでかなり広範囲に影響が出ている模様だ。

天気は良く、数日前に山手線が止まった時のようにどこかに雷が落ちたとは思えない。東京電力の想定以上に朝の電力需要が急増し、一時的に電力の供給不足に陥って停電したのだろうか?しかし、今朝の暑さが、この時期の想定される暑さを大幅に上回っているとも思えない。イギリスでの航空機爆破計画摘発の直後でもあり、まさか、テロ?しかし、限られた情報しかない中で、次の行動を決めなければならない。

地下鉄は当てにできそうにないので、山手線で神田駅か東京駅まで行き、歩くしかない。中央線周りは混むだろうから、山手線を外回りで上野経由で移動することにした。遠回りする時間ロスと降りた駅からいつもより余計歩く時間ロスで、さらに15分くらい遅れそうだが、仕方がない。
幸い、山手線の外回りでも座れた。しかし、ここでも社内放送で、新交通システム「ゆりかもめ」と京葉線が止まっていると言っている。JRは専用の発電所を持っているはずなので、そちらがやられなければ電車は止まらないはずなのだが、どうしたのだろう?(京葉線は、乗っている間に復旧したと放送があった)
結局、神田で降りて職場まで歩く。8時40分が始業時刻だが、5分ほど遅刻してしまった。

職場に着いてから調べると、最初は原因不明と言われていたが、江戸川をまたいで張られていた高圧電線に、江戸川の上流に浚渫作業に向かっていたクレーン船のクレーンが、接触し、電線を傷つけたため、周辺の変電所で安全装置が働いて電流が止まり、広範囲に停電したらしい。
私が遭遇した被害は、電車の遅れと運転見合わせだったが、新聞やTVのニュースなどを見ると、信号が消えたり、エレベーターが止まって閉じこめられたりというトラブルもいくつかあったようだ。

今回は、過失によるトラブルだが、それでもこれだけの騒動になった。通常、電力会社が想定している電線のトラブルは、落雷によるものだろう。テロなどの警戒をするのは、場所としての発電所や変電所だろう。しかし、発電所や変電所が完全にガードされていても、同時多発で故意に広範囲に広がる電線を狙われたら、今回以上の停電が起きることになる。今回の事態を見せつけられて、東京電力はもちろん、各地の電力会社は、対策に頭をかかえているのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年8月11日 (金)

住民基本台帳カード

個人情報の安全は確保できるのかという議論を巻き起こした「住民基本台帳ネットーワーク」。このネットワークを利用するための住民基本台帳カード」を、昨日市役所に住民票と印鑑証明を取りに行ったついでに作ってきた。

クレジットカードやキャシュカードと同じ大きさのプラスティックカードに、金色の接触型ICチップが埋め込まれている。顔写真が入らず、名前だけがカードに印字されているAタイプと顔写真に住所、名前、生年月日が記入されたBタイプの2つがあり、私はBタイプの発行を申請した。申請書を書いて提出すると、本人確認書類の提示を求められ、運転免許証を見せて、待つこと15分ほど、役所の事務フロアの中でデジカメで写真を撮られて、それから10分ほどでできあがった。私の住んでいる市では発行手数料500円。

電子政府「e-Japan」計画の施策の一つとして進められている。このカードがあれば、ネットワーク上で本人と認められ、住民票の写しが他の自治体で入手できたり、転出転入の手続きが簡素化されるようになるようだ。
また、住民票・印鑑証明などの自動交付用の認証カードに使ったり、各種申請書の自動作成、公共施設の利用券等、ICチップの容量の空きスペースを利用してどのような住民サービスを行うかは各自治体に任されているようだが、私の住んでいる市では、住民票と印鑑証明については、すでに磁気ストライプを使った専用カードがあるので、当面、すぐに役に立つわけではない。

個人情報保護の動きと裏腹に、各種の契約に際して、本人確認ということがうるさく言われるようになっている。これまでであれば、公的なもので本人確認に最も信用力が高いのは顔写真が入っている運転免許証とパスポートだった。
マネーロンダリングや振り込め詐欺等犯罪に悪用されないよう、金融機関で預金口座の新設する際には、本人確認が求められる。私が作った顔写真入りのBタイプの住民基本台帳カードは、運転免許証とパスポートと並ぶ公的な身分証明として扱われる。
これまでは、車を免許を持っていなくて、パスポートも持たない人にとっては、写真入りの身分証明書は持ちようがなかったので、その点では、誰でも希望すれば、写真入りの公的な身分証明書がもてるようになったことになる。

しかし、今のところ、住民基本台帳カードの交付枚数は、2006年3月末現在で、全国で91.4万枚余、人口比で0.72%、世帯数比でも1.82%にとどまっている。最も交付枚数が多い東京都が13.7万人、人口比1.13%、世帯数比2.35%である。一部、普及に熱心な自治体を抱える県(富山県-南砺市、宮崎県-宮崎市)では、普及率が高いところもあるが、日本全体で見れば、100人に1人も保有していないというお寒い状況である。

私のような、必要もないのに新しいものにすぐ関心を示す「もの好き」はそう多くないと思うので、各自治体が、どうやれば交付が進むか知恵を絞らなければ、普及は難しいだろう。そもそも、役所に行けば簡単に交付されるということを多くの人は知らないと思うし、それを保有することで、何ができるのかということになると、ますます知られていない。
一方、何か新しいことをやるとなれば、なにがしかのシステム投資は必至であり、キチンとした投資採算計画の検討なくして、踏み切れないという自治体側の事情もあるだろう。

小泉首相の後の、新政権がどのような舵取りをしていくのか、しばらく注視してみたい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月22日 (土)

サマータイム実験に思う

朝日新聞の夕刊に、札幌を中心に行われているサマータイムへの取り組みの記事が出ていた。

札幌商工会議所が呼びかけて始まったようで今年で3年めとのこと。夏場の始業時刻、終業時刻を1時間ずつ早めるものだ。昨年、私が札幌にいた時は、高橋北海道知事も参加したということで、話題になっていた。

札幌の夏の夜明けは早い。早いときには、3時半くらいから明るくなる。出勤前に、ハーフラウンドならゴルフもできると聞いたことがある。かといって、日暮れが早い訳ではない。高緯度なので、夏は昼間が長くなるのだ。1時間始業時刻を早めても、地域で完結している仕事なら、おそらく全然問題は起きないだろう。
その代わりに、冬は早く日が暮れる。午後4時頃から暗くなり出し、4時半には真っ暗になる。

おそらく、いくら書かれたものを読んだり、TVのニュースを聞いても、そこで生活してみなければ、それを実感することは難しい。記事には、東京ではまったく関心がないこともあわせて書かれている。東京でしか生活したことがなければ、北海道の夏の昼の長さも、冬の昼の短さも、理解できない。
かくいう私も、東京・九州・北陸で生活したことがあるが、北海道の気候・風土は理解の範囲を超えていた。以前にもこのブログで書いたと思うが、1年の北海道暮らしでの自分なりの理解は「北海道は日本の一部だが、気候・風土は別の国と考えるべきだ」ということである。

同じ日本の中の北海道でさえ、暮らしてみて初めて実感することばかりであるとすれば、まして、イスラエル・レバノン紛争をはじめ、外国の国々の事情などそう簡単に理解できるものではないのだろうと、当たり前のことをふと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年6月25日 (日)

ステップ・アップ

先週の金曜日に郵便が届いた。待っていた資格の認定書だ。資格は「金融内部監査士補」。
4月の7日13日のこのブログの記事にも書いたが、本来、9月末が最終提出期限だった7回分の通信教育の添削課題を第1回を3月末に提出してから、集中してやって、4月半ばには、7回分を出し終わった。ゴールデン・ウィーク明けには、最終回の添削課題の採点結果が返却され、5月下旬に通信教育の修了証が届いた。そこから、改めて、日本内部監査協会というところに、5250円を支払って資格申請を行い、協会から認定書が届いた。通信教育を実施している会社と、資格認定の協会が別ということもあり、時間がかかってしまった。
「監査士補」の資格を取ると、「金融内部監査士」試験の受験資格が得られる。次は10月にある「監査士」試験の申込だ。さらにその勢いで、国際資格の試験も受験するつもりでいる。

米国でのエンロンやワールドコムの会計不正事件が頻発したこと、日本でもカネボウやライブドアの不正事件、それをチェックできなかった監査法人と、なるべく多くのい利益を上げ、株価を上げ、株主価値を極大化するということも、行きすぎると一線を踏み越え、ルール違反、不正、犯罪に繋がる。なんとか、組織の中にあって、それをチェックするのが、内部監査の役目。これまでは、あまり重んじられていなかったが、米国でも法規制が強化され、日本でも同様の規制強化が議論されている。日本の法整備が実現する数年後には、さらに重要度が増すと思うので、いまのうちに勉強して、とれる資格は取っておこうと思う。その第一歩が、ようやく終了。次に向けてステップ・アップだ。ブログで、合格報告ができるよう頑張らなくては…。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年6月14日 (水)

桜島の噴火

桜島が噴火しているらしい。12日(月)に福岡管区気象台と鹿児島地方気象台の連名で2000年10月以来の臨時火山情報が次の通り発表された(見出し部分のみ)。

桜島の昭和火口付近の噴火活動が活発化しており、今後、従来の南岳山頂火 口で発生していた噴火と同じような噴火が発生する可能性が高くなっていま す。 南岳山頂火口に加え、昭和火口付近での新たな火口の噴火活動に注意してく ださい。 <火山活動度レベルを2から3に引き上げました。>

鹿児島を訪ねれば、市内の至るところから錦江湾に浮かぶ桜島の雄姿を、眺めることができ、貴重な観光資源になっている一方で、地元の人達にとっては、厄介ものでもある。
私が就職直後の勤務は、地元でもある福岡にある支店。九州一円を担当する支店だった。3年目に、熊本・鹿児島を担当することになった。月に2回ほど出張がある。
私は、通常の場合は、1泊2日の行程を組んでいた。初日早朝、博多駅からJR九州の特急に乗車、朝9時に熊本に入り、1日熊本市内を回る。夕方5時過ぎに再びJRの特急に乗り、8時過ぎに鹿児島に入り、宿泊。翌朝一番から鹿児島市内を回り、1日取引先を回った後、今度は、市内から高速バスで1時間ほどかけて鹿児島空港に向かい、飛行機で福岡空港に戻るという行程だった。

鹿児島で、今ぐらいの時期から夏場にかけて悩まされたのが、桜島の灰(=火山灰)だった。桜島にも、活動が活発な時期と穏やかな時期があり、一定の周期でそれを繰り返している。私が中学2年の修学旅行で鹿児島を訪ねた時は、灰など全然降っていなかったのに、仕事で通った1985年~86年の頃は、活動期だったらしい。

ある時など、桜島の火口から噴煙が上がったと思うと、みるみるうちに、鹿児島市内の方に噴煙が流れてきて、10分もしないうちに、バラバラと灰が降ってきた。普段、身の回りで目にする灰というよりは、褐色の砂という感じである。激しい時は、それが、雨のように頭の上から降ってくるのだ。砂場の砂よりも、少し油っぽい感触で、髪の毛や顔につくと、べとついて気持ちが悪い。厄介なことに、雪とは違って溶けないので、溜まる一方である。勿論、灰を吸い上げる清掃車が掃除をして回るのだが、全部の灰を吸い取ることは不可能で、残った灰は、建物や道路の隅や角の凹んだところに溜まっていく。風が強いと、頭の上から今噴火している灰が降ってきて、下から街中のあちこちに溜まっていた灰が、風で巻き上げられるという上と下からの灰攻撃を受ける時もある。

活動の周期のほか、風向きもにも影響されていて、夏場に鹿児島市内に灰が降るのは、東の大隅半島側から薩摩半島側の鹿児島方面に向けて風が吹くかららしい。冬場になると、今度は風が西から東へと吹くので、鹿児島市内は灰の被害から免れるらしい(その分、冬は大隅半島側の人々が苦労されているのだろう。)

臨時火山情報まで出されたということは、これからしばらくは活動期に入ると言うことだろう。夏場に、鹿児島に行く予定のある方は、念のため、灰よけとして、折りたたみ傘を1本鞄にいれておくことをお勧めする。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年6月 1日 (木)

リーダーとマネージャー(2)

前回、『最高のリーダー、マネージャーがいつも考えているたったひとつのこと』(マーカス・バッキンガム著、日本経済新聞社)で書かれたリーダーシップとマネージメントについて書いたが、その後に読み始めた『人が育つ会社をつくる』(高橋俊介著、日本経済新聞社)の中で、著者の次のような言葉に出くわした。

私はマネジメントというのは、部下を使って課題を達成する能力であり、これに対しリーダーシップというのは、部下ではない、つまり命令権限がない人を説得し、納得させ、協力を仰がなければ絶対に実現できない課題を達成する能力であると定義している。(同書、202ページ)

その前後の説明の中で、「日本の大手企業のマネージャークラスのマネジメント能力は高いが、自分の部下でない人を動かすことは不得意なことが多く、そういう人が部門長などのポストに就くと、部下を使って解決できることしかやらず、他部門と関わるような問題は権限がないとできないと放置してしまい、部門最適のタコツボ型組織、ムラ組織になってしまう。そのような事態を避けるためには、若いうちから、部門横断的な仕事をする場を与え、他部門の仕事を理解し、新たなネットワーク(人のつながり)を構築し、課題を乗り越えることで、個人として成長し、リーダーシップ能力を身につけることにつながる」という主旨のことを述べている。

個人的には、前回書いたマーカス・バッキンガムのリーダーシップ論の方が好きだが、実際の組織の中で、リーダーの立場で成果を上げるとなると、上に引用したように、自分の部下でない人をいかに動かせるかにかかってくるのだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月30日 (火)

リーダーとマネージャー

昨日、紹介した『これが答えだ!』は、マネージャー論としては、よくできていると思うし、より多くの管理職の人々に読んで欲しい内容だと思うのだけれど、あまりにもネーミングが直截過ぎて、却って何の本か伝わらなかったのか、あまり売れていないようだ。

今年に入って、このギャラップ社のスタッフのシリーズに連なる著作として、『最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと』(マーカス・バッキンガム著、日本経済新聞社)が出版された。著者は、以前紹介した『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』の共著者のひとりで、その後ギャラップ社から独立し、現在はフリーのコンサルタント兼作家と紹介されている。こちらは、そのタイトルにリーダーやマネージャーの人たちがつい手を伸ばしたくなってしまうこと、黄色い表紙に紺色の文字という目立つ色合いも手伝ってか、版を重ねているようだ。

著者はこれまで、主にマネージャーに焦点をあてて論じてきたが、今回はマネージャーとリーダーと区別して論じたところに新鮮さがあると思う。日本でも、マネージメントとリーダーシップは、意識して区別して論じられることは少なく、私自身あまり深く考えたこともなかった。

以下、本のカバーの折り返しに書かれているエッセンスだけ紹介すると以下の通りだ。

すぐれたマネージャーは「部下一人ひとりの個性」に注目する。
部下を型にはめて作りかえようとするのではなく、それぞれの個性が活かせるように、彼らの役割や責任の方を作りかえる。

すぐれたリーダーは「部下たちに共通する不安」に注目する。
いまどこに向かっているのかを明確にすることで、皆が抱く未来への不安を取り除く。顧客は誰か、強みは何か、尺度は何か、今すぐとれる行動は何かを明らかにすることだけに専念する。

マネージャーについては著者やギャラップ社のスタッフがこれまで語ってきたことだが、リーダーについては、確かに「なるほど、そうだな」と納得する部分が多い。特に、混沌として将来が不透明な不安な時代だからこそ、トップに立つリーダーには、自分たちは、かくかくしかじかの理由で、こちらの方向へ向かって進むのだという方向性を示して欲しいと思う。トップが、不安げでは、ついていく多くの部下も不安になってしまう。

さらに、本書では、日本版のタイトルからは省かれてしまったが、継続的な成功を手にするために個人が考えるべき「たったひとつのこと」も語られている。(長くなるので、この記事では割愛する)

「厄年とは役年だ」とも言われるように、リーダーシップやマネージメントは、社会に出て中年世代になれば、いやでも意識せざるを得ない。そのような悩み多き時期に、多少の光明を示してくれる本だと思う。

関連記事:リーダーとマネージャー(2)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月29日 (月)

働きやすい職場とは?

私の妻は、1年半ほど前からパートに出ている。職場は福祉関係だが、話を聞いているとどうも、上司とうまくいっていないらしい。上司と部下の間に、信頼関係は全くなさそうだ。

これまで、何度か転勤し、官庁へも出向し、会社が合併し職場の人間関係も大きくかわった。リーダーとか、課長という名の管理職の仕事もした。「マネージメント」ってどうやればうまくいくのか、どうすれば配下の人たちが生き生きと働いてくれるのか?自問自答、試行錯誤の毎日だった。そんな目から見ると、妻の職場の上司は、まったく、真面目に「マネージメント」について考えたことがあるのかと言いたくなる。

以前、米国の世論調査会社ギャラップ社の「ストレングス・ファインダー」の話を書いたが、そのギャラップ社のスタッフが書いたマネージャー論に『これが答えだ!(原題:FOLLOW THIS PATH)』(カート・コフマン&ゲイブリエル・ゴンザレス=モリーナ著、日本経済新聞社)という本がある。サブタイトルには「部下の潜在力を引き出す12の質問」とある。

これが答えだ!-部下の潜在力を引き出す12の質問

本のカバーの折り返しには「1000万人の顧客、300万人の従業員、20万人のマネージャーを対象とした調査から、生産性の高い組織とそうでない組織のちがいが明らかになった。それが<Q12>と呼ばれる12の質問だ。これら12の条件が満たされれば、マネージャーは必ず生産的な職場を生み出すことができる!」とまで書かれている。

その12の質問は以下の通りだ。

1.職場で自分が何を期待されているのかを知っている
2.仕事をうまくおこなうための必要な材料や道具を与えられている
3.職場でもっとも得意なことをする機会を毎日与えられている
4.この7日間のうちに、よい仕事をしたと認められたり、褒められたりした
5.上司または職場の誰かが、自分をひとりの人間として気にかけてくれているようだ
6.職場の誰かが自分の成長を促してくれる
7.職場で自分の意見が尊重されるようだ
8.会社の使命や目的が、自分の仕事は重要だと感じさせてくれる
9.職場の同僚が真剣に質の高い仕事をしようとしている
10.職場には親友がいる
11.この6ヵ月のうちに、職場の誰かが自分の進歩について話してくれた
12.この1年のうちに、仕事について学び、成長する機会があった

この12の質問は、「ストレングス・ファインダー」とも密接に関連しており、「ストレングス・ファインダー」で明らかになった個々人の強みを認識した上で、メンバーそれぞれに得意なことをやってもらおうということだ。

マネージャーは、ひとりひとりのメンバーに関心を持ち、その成長・気づきのためには何ができるのか、常に考え行動することが求められているのだと思う。

私は、今はマネージャーの立場ではないが、職場では、周囲の人たちには、それとなく声をかけるようにはしている。信頼関係が築かれたチームの中で、それぞれのメンバーが真剣に質の高い仕事をしようとすれば、それは自然とチーム内に適度な緊張感を生み、1人ひとりが孤立無援で仕事をしている時より、数倍のエネルギーを発揮すると思う。もし、また、マネージャーの立場にことがあれば、この12の質問を活かして、メンバーと関わっていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年3月27日 (月)

人事評価の季節、自分の強みって何?

私の勤める会社では、3月は人事評価の季節だ。期初の10月にたてた下半期の目標の達成度合いを申告するのに加え、人事評価シートなるものに、自分の強みとそれを活かして実現した成果を書いて提出し、上司が、コメントを加え、人事部に提出し、それをもとに、7月に今後1年の昇格・昇給が決まる。どこの会社も多分似たようなものだろう。今の会社の評価シートは、合併前の会社のものよりは、個人の能力・強みとふさわしい仕事・業務の関係がうまく整理されていて、様式としては優れていると思う。あとは、運用の問題だろう。

米国に世論調査で有名な会社でギャラップという会社がある。ギャラップでは、世論調査の他に、コンサルティングもやっていて、長年にわたるコンサルティング業務の過程で、200万人にインタビューを行い、そこから人の才能・資質を34の行動パターンに分類している。ギャラップの考え方は、「三つ子の魂、百まで」に近く、人は生まれ育った生活環境などで15歳くらいまでにほぼ行動パターンは固まって、以後あまり変化しない。だから、企業が社員の短所を矯正するために研修等でいくら時間をかけても無駄で、長所・強みを理解し、それを活かし、より伸ばすことに注力した方が、効果があるとしている。

ギャラップでは、34の才能・資質のうち、それぞれの人の強み上位5つを提示する ストレングス・ファインダー>という手法を開発した。インターネット上の質問サイトで、30分ほど次々と示される質問にYES、NOで答えていくと、質問終了後に5つの強みを提示してくれる。関心のある方は、いずれも日本経済新聞社から出版されている『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』『あなたのなかにあるセールスの才能』 のどちらかを買われると、表紙カバーの裏に、1冊づつ別々のアクセスIDが付いていて、ギャラップのホーム・ページからストレングス・ファインダーにアクセスできる。(だたし、一つのIDで1回だけだ)

本を買い、私も試してみたが、原点思考、最上志向、運命思考、収集心、内省(それぞれの意味はプロフィールページに詳述)というのが5つの強みだった。なかなか、よく自分の強みをとらえていると思ったので、もう1冊買って、妻にもやってもらった。彼女の強みは全く違っていて、適応性、共感性、回復志向、ポジティブ、成長促進だった。
私もこれを知ってからは、改めて自分が分かった気がして、よくも悪くも、自分は自分と思えるようになったし、妻も、あらためて自分について考えるようになったようだ。この春から、高3になる長女にも、そろそろやらせてみてもいい頃かなとも考えている。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年3月21日 (火)

王ジャパン、WBC優勝!

wbc0321win王ジャパンが、とうとう、やってしまった。宿敵キューバを破って、WBC優勝である。
http://www.major.jp/news/news20060321-13268.html

やはり、決勝は気になって、TV中継を試合開始から見ていた。幸先良く、1回の表4点先取でスタート。1回裏に松坂がいきなりホームランを浴びたが、5回に2点を追加したところまでは、日本の守備も良く、完全に日本ペースだった。
しかし、6回裏、川崎のエラーから2点失い、更に8回裏にホームランで2点追加され、1点差となった時点では、キューバの追撃の足音がすぐ背後に迫っている感じで、どちらに勝利の女神が微笑んでも、おかしくなかった。あえて言えば、6回裏のいやなムードを引きずり7回裏にも2つのエラーをした際に、浮き足立たずになんとか零点で抑えたのが大きかったと思う。

9回表は、日本チームの勝利への執念を感じたイニングだった。送りバント失敗後の1死1塁で、西岡が1、2塁間の真ん中へのまるで絶妙なセフティバントを決めたことは、キューバの動揺を誘ったという意味で、この試合の大きなポイントだった。その後、イチローが、期待通りにタイムリーを放ち、2塁走者川崎が相手捕手のブロックをかいくぐり、右手の指先でのホームベースの隅に芸術的とも言えるタッチをして、貴重な追加点をもぎ取った。その後、代打福留が準決勝に続き2点タイムリー、小笠原の浅めのライトフライに3塁走者松中が必死で走りタッチアップ。誰もが次の1点を貪欲に狙っていた。その結果、この回、一気に4点。勝利を確実にした。

トリノの冬季オリンピックで、日本選手は頑張っているものの、あと一歩でメダルを逃すケースが続き、唯一、荒川静香のフィギア金メダルが日本人のモヤモヤ感を払拭してくれたが、総じて、日本で応援した人たちにはフラストレーションがたまっていたと思う。
今回のWBCの王ジャパンの起死回生の優勝は、大会前、そして2次予選までは、ほとんど期待していなかった分、プラスの効果も大きい。日本人の自信の回復と満足感にもつながり、景気の「気」の部分にも明るい材料として寄与することになるだろう。

帰国後の王ジャパンは、大歓迎を受け、引っ張りだこになるはずだ。今、長い不況で自信喪失した日本人はヒーロー、スターを求めている。王ジャパンは、2ヶ月間、苦労したのだから、少しはヒーローとして、いい気分を味わってもらいたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)