訃報:百ます計算の考案者岸本裕史さん死去
今朝(2007年1月5日)の朝刊の訃報欄で、岸本裕史さんが昨年の12月26日に亡くなっていたことが伝えられていた。
岸本さんは、1930年の生まれで、神戸市で小学校の教員を40年勤めた。読み書き、計算など基礎学力の充実の必要性を早くから訴え、今や多くの小学校で使われている100ます計算の考案者でもある。
100ます計算の実践で成果を上げ有名になった蔭山英男さん(現立命館小学校副校長)も、若い頃、自らの教育手法に試行錯誤する中、岸本さんと出会ったことが転機になっている。
私が、岸本さんの著書と巡りあったのは、今から20年以上も前、大学生の頃である。大学生協の書店で『見える学力、見えない学力』(岸本裕史著、大月書店国民文庫)を目にして、タイトルに惹かれて手に取ったのが最初である。初版発行が1981年3月とあるから、新刊として発売されて間もない頃だったのだと思う。
その後、この本は版を重ね、1996年3月には改訂版も出されている。私は、何度かこの本を買っているのだが、手元にある改訂前の1冊ので奥書に1992年10月の49刷とある本の帯には、90万部突破とある。おそらく、現在は100万部を突破しているだろう。息の長いロングセラーであり、今、読んでも、言われていることの本質は全然古くなっていない。
この本の中で、著者は学力を氷山にたとえている。
氷山を思い浮かべて下さい。氷山というものは、大部分が海面下に沈んでいて、八分の一だけが海面上に姿を見せています。子どもの学力も、それと似ているのです。テストや通知簿で示される成績は、いわば見える学力なのです。その見える学力の土台には、見えない学力というものがあるのです。見える学力をたしかに伸ばすには、それを支えている見えない学力をうんとゆたかに太らせなければならないのです。貧弱な土壌では、果樹の実も、ちっぽけなままでしかありません。
小学校で習う勉強の多くは、子どもの生活空間で見たり、聞いたり、触れたりできるものが素材となっています。ですから、学校で新しく習う教材でも、事前になんらかの予備的な知識や経験のある子は、のみこみも早く、容易に忘れることはありません。
(『見える学力、見えない学力』改訂版37~38ページ)
では、「見えない学力」とは何か?規則正しい生活習慣を身につけさせる躾け、親が読み聞かせをすることで読書の習慣をつけさせる、自然の中で伸び伸びと遊ばせる、家庭の中で社会や政治・経済につき話題にする、地図を壁に貼りニュースで地名が出てきたら確認する、史跡に行ったり、美術・芸術に触れさせる機会を作ること等々で、いずれ勉強として学ぶことを、日常生活の中で先行体験させることである。
この先行体験として述べられているものには、私が子どもの頃、両親がやってくれていたことも多くあり(両親が意識してやっていたとは思えないが)、私は一読するや、岸本「見えない学力」説の信奉者となり、その後の自らの子育ての中で、出来る限り実践してきた。
その成果の是非は、子どもたち一人ひとりの今後の成長を見るしかないが、途中経過で見る限り、不登校にもならず学校に通っているでの、大間違いはしていないのではないかと思っている。
私にとっては、岸本さんは、いわば子育てや教育を考えていく際の心の師であった。これからは、私なりに、岸本説を咀嚼して、子どもたちに伝えていくことが、役目だろうと思っている。心からご冥福をお祈りしたい。合掌。
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