2006年12月24日 (日)

ちょっと息抜き:「BligDing」というGameはいかが?

私が書いた河合隼雄さんの記事を一度転載してくれた「子育て応援なび はーぷるふぃんがー」というブログがあるのだが、そこで紹介されていたゲーム。彼女(「はーぷるふぃんがー」さん)も、別のブログで見つけ、転載したとのこと。私も、はまってしまい、もとのサイト(BlingJam)まで行って、コードを入手してきた。

ルールは簡単で、縦横で2つ以上隣あう同じマークをクリックして消していくというもの。定期的に最下段に新しい行が加わって来る。消すのが遅れ、どこかの列が天井に達したところで、ゲームオーバーになる。

やって見ると結構はまってしまう。ご来訪された方、一度お試しあれ。


Cool Stuff at BlingJam.com

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2006年12月 9日 (土)

今回で200タイトル

7月16日の記事が100タイトルめということで、一度、記事を書いたが、数えると今日のこの記事がちょうど200タイトルになる。今年2月下旬にブログを始めて9ヵ月半、300日に少し足りないぐらいだろう。100タイトルから200タイトルまでの100件も5ヵ月足らず。平均すれば、3日で2件というペースは変わっていない。

アクセス件数も、おかげ様でしばらく前に20,000件を超え、来週中には25,000件の大台に達する見込みだ。日々のアクセス件数は、自分にとっても書き続ける励みになっている。やはり、アクセスが多い日はうれしい。一時、河合隼雄文化庁長官の容態についての記事にアクセスが多く、1日200件を超えた日が何日かあったが、最近は、100件前後で大きな変化はない。先週くらいまでは、試験が終わった直後ということもあってか、CIA(公認内部監査人)関係の記事へのアクセスが多かった。

自分の書いた記事への、グーグルなどの検索サイトを通じたアクセスの多寡で、世間で何が関心を持たれているのかが、垣間見える感じする。せっかく、アクセスして読んでくれた人が、何十秒かの時間をかけて、読むだけの価値があったと思われる記事になるよう、なにがしかの情報は折り込みたいと思い書いてはいるが、どうだろうか。

次の節目は、記事の数からいえば、300タイトルだが、まず来年2月のブログ開設1周年と30,000アクセスが次の目標である。できれば、1周年までに30,000アクセスが達成できればと思っている。そのためにも、質の良い記事を、書き続けることだろう。

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2006年11月21日 (火)

ブログ作成・管理ソフト利用開始

先日、書きかけの記事をうっかり消してしまったことに懲りて、『マイ☆ブログ』(サイバーリンクトランスデジタル社製のブログ作成・管理ソフト)をダウンロード購入した。しばらく、パソコンの通信の設定がおかしかったのか、うまくココログにアクセスできず、苦労していたのだが、今日、いろいろ試行錯誤で、通信関連の設定をいじっていたら、うまくココログにもつながるようになり、ようやく使えるようになったので、今、そのソフトを使って書いている。

使ってみて便利なようであれば、またこのブログの中で、報告していきたい。さて、無事にアップロードできるか、チャレンジである。 

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2006年10月25日 (水)

地図を旅する

私は地図を見るのが好きだ。家の中では、リビングの壁には世界地図と日本地図、自分の住んでいる市の地図、東京近郊の鉄道の路線図を貼っている。(以前は東京都の地図も貼っていたが、いつの間にかはがれてしまった)
また、1階と2階のトイレとパソコンの置いてある「自分の部屋」には、大手家電量販店B社が毎年配っている日本地図カレンダーが貼ってある。

いつでも、見える場所に地図を貼ることで、ニュースなどで、知らない地名が出てきたりしたら、すぐ調べるくせをつけてほしいという子供たちへの教育的効果を考えているのと、常に自分が現在いる場所(ポジション)を意識しておいて欲しいという象徴的な意味もこめているいるつもりだ。

実は、合併前に私が勤務していた会社が、日本地図のカレンダーを作っていた。(日本中の企業を対象にしたビジネスをしている会社だというアピールだったのだと思う)
縦長でコンパクトにまとまっていたので、以前は、毎年このカレンダーを貼っていたのだが、合併で旧来のそれぞれ会社のカレンダーは見直しになり、今や何の変哲もない名画カレンダーなってしまった。何か代わりになるものはないかと探していたら、ちょうど入れ替わるようにB社が日本地図カレンダー配り始めた。(東京から始まったB社もカレンダーを配り始めた頃から全国展開が本格化したような気がする)

これがなかなかの「スグレモノ」で、日本全図として日本全体が鳥瞰できることはもちろん、暦の方は、私が前回の記事でも話題にした二十四節気や月の満ち欠けがマークで記してるほか、時間と十二支、西暦・和暦・年齢の早見表があったり、最近では日本にある世界遺産が記されたりと盛りだくさんで、見ていて飽きない。

少し時間の余裕があると、これまで旅したルートを目でたどり、地図の上で旅を再現したり、まだ訪ねたことのない土地の地名を眺めては、いずれ旅してみようと思ったりするのが、ささやかな楽しみである。日本各地を、家族を連れて、旅したが、それでも、まだまだ未知の土地の方が多い。地図を眺めていると、日本の広さを改めて実感する。

10月も下旬になり、そろそろ、B社でも2007年のカレンダーを配り始める頃ではないだろうか。2007年版では、どんな情報が追加されるのかも楽しみである。

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2006年9月20日 (水)

将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始

今朝の新聞に、将棋名人戦について、朝日新聞社との共催について打診されていた毎日新聞社が、「対等な立場での共催」を前提に協議に入ることになったとの記事が掲載された。

8月1日の将棋連盟の棋士総会で、毎日単独開催案支持90対不支持101で、2007年度からの名人戦単独開催の可能性がなくなった毎日新聞社に対し、将棋連盟が朝日新聞社との共催案を打診していたのに対し、毎日側が正式に回答したものだ。

以前このブログでも書いたように、将棋名人戦は戦前に毎日が始め、それが朝日に移り、また毎日が奪い返すという因縁の歴史で、今回、また朝日が奪い返すかに見えたが、妥協案とも言える「共催」に向けて協議が始まることになった。

将棋のタイトル戦のうち、王位戦については、中日新聞・北海道新聞・西日本新聞の3社連合の共催であり、共催に例がないわけではない。ただ、お互い同じ土俵でしのぎを削る全国紙どうしの共催は、確かに初めてである。

しかし、よく考えて見ると、今回の名人戦移管騒動では、誰も損をした関係者はいないのではないかという気がする。
朝日は、過去はともかく、現在の名人戦について何の関わりもなかったのだから、共催とはいえ、主催者の一角を占めることになることに文句はないだろう。
毎日は、名人戦という棋戦の運営の落ち度があったというわけでもないので、いきなり契約を継続しないという将棋連盟のやり方にプライドを傷つけられたとは思うが、契約に基づく事前通告であり、将棋連盟が一方的に悪いとは言い切れないと思う。結果的に、ライバル朝日との共催になるが、一方の主催者として残り、3億円を上回る名人戦の契約金も、将棋連盟から引き上げを求められるだろうが、朝日と折半ということになると思うので、1社としての負担は減り、名を捨てて実を取ったとも考えられよう。
批判され続けた将棋連盟(の理事会)にとっては、全国紙の朝日と毎日の2紙が、名人戦やその予選であるA級順位戦をはじめとする順位戦を伝えてくれることになれば、将棋界で最も伝統のある名人戦の地位向上にもつながる。現在、将棋界最高のタイトルに位置づけられる竜王戦を主催する読売新聞も安閑とはしていられなくなるだろう。

あとは、2007年度の順位戦が始まるまでに、将棋ファンに「さすが朝日、さすが毎日」と言われる結論を出して欲しい。

*将棋に関する記事
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

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2006年9月 9日 (土)

森内俊之名人から見た羽生善治3冠

今日は、また将棋の話を少し。将棋の名人戦の主催を毎日新聞社から朝日新聞社に移すという騒動が持ち上がってから、再び将棋界のことを関心を持って見るようになった。将棋連盟の月刊誌『将棋世界』も9月号、10月号と買って読んでいる。(米長会長によれば、販売部数の低下に歯止めをかけるべく、編集部も意欲的な編集をしているようだ)

将棋盤と駒を持ち出して、棋譜を並べるほど熱心ではないが、毎月掲載されるタイトルホルダーのインタビューは、トップを極めた棋士たちの人間性を垣間見ることができて、面白い。9月号は、最近、タイトル戦の常連である佐藤康光棋聖(36)、そして直近の10月号は森内俊之名人(35)である。

森内名人のインタビューの中で、ライバルである羽生善治3冠(王位・王座・王将)(35)について語ったところがある。(森内と羽生は同い年、小学生名人戦でも戦っている)

「羽生さんは別格の存在ですね。将棋界の枠を超えているという意味でもそうですし、学んだことは数多いです。」

「子供のころは確かに対抗心がありましたけれど、途中から差が開きすぎて後ろ姿が見えなくなってしまいましたので、そういう気持ちはなくなりました。自分が一つ上のステップに上がったと思えたとき『彼はこうしてクリアしてきたのか』とすごさがわかる。棋士の中では一番尊敬しています。そういう感情を持つことは勝負師としては問題なのかも知れませんけれど…」

「羽生さんのすごいところは周りを引き上げてながら、自分も上がっていくところだと思います。勝負の世界では仲間がそのままの場所にいてくれれば自分が上がったとき差が開く分けで、勝ち負けだけを考えればその方が得になるわけですが、かれの場合はそう考えずにもっと大きな視点で見ています」
(日本将棋連盟発行『将棋世界』2006年10月号、18~19ページ)

同年齢で将棋界の一方の雄である森内名人から「周りを引き上げて、自分も上がっていく」と評される羽生3冠というのも偉大だ。かつて、羽生3冠が、将棋界のタイトル7つを全て手中に納めたことがあったが、その後、ライバルの成長もあって、まさに群雄割拠。

しかし、トップが周りを伸ばし、自分もその追い上げに脅威を感じつつも成長していく。追う者と追われる者が、しのぎを削りギリギリの勝負を繰り広げる。こんな前向きの回転をしている組織は、どんどん強くなると思う。

一方で、将棋というものが、厳しい勝負の世界でありつつも、以前書いたメディア・イベントの一つに過ぎないことをよく認識しているのが、将棋連盟会長になった米長邦雄永世棋聖だろう。人々に注目され、関心を持たれてこそ、成り立つ仕事・組織であることをわかっているはずだ。注目され、関心も持たれても、その重圧や好奇心に耐え、またそれにふさわしい内容を備えた後輩達だと信頼しているからこそ、いろいろな形で、話題作りをしているのではないかと思う。

これからも、毎月の『将棋世界』の購読者となって、将棋界の動きに注目していきたい。

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる

*上記記事を含め、このブログの将棋に関する記事の一覧はこちら→アーカイブ:将棋

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2006年8月27日 (日)

米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』

先週になるが、日本将棋連盟の米長邦雄会長が書いた『不運のすすめ』(角川書店、角川oneテーマ21)を読んだ。これも、1ヵ月ほど前から、読もうと思って「積ん読」になっていたものだ。

不運のすすめ (角川oneテーマ21)
不運のすすめ (角川oneテーマ21)

以前も書いたように、私は30年来の米長ファンである。中学時代、私が将棋を勉強していた頃、米長八段は新進気鋭のA級棋士として、タイトル戦に登場し始め、1973(昭和48)年には初タイトル「棋聖」(産経新聞社主催)を獲得した。私は、彼の解説本(『将棋中級入門』というタイトルだった)で、将棋の定跡を学んだ。
その後、1978(昭和53)年に「棋王」(共同通信社主催)、1979(昭和54)年に「王位」(中日新聞社・北海道新聞社・西日本新聞社の3社連合主催)のタイトル取り、九段に昇進。40代を目前にした1982(昭和57)年、自らの半生と勝負哲学を書いた『人間における勝負の研究』(祥伝社)を出版した。

この本は、当時ベストセラーになり、私の蔵書の奥書を見ると、「昭和57年6月1日初版第1刷発行、昭和57年7月30日第8刷発行」となっている。わずか2ヵ月で8回の増刷である。大学4年だった私は、この本を何度も繰り返して読み、「相手の一生がかかったような勝負には、自分の昇級・昇格などが関係なくても、真剣に懸命に戦う」という「さわやか流」とも呼ばれる勝負哲学に心酔していた。
米長九段は、その勝負哲学を実践し、1984(昭和59)年には、十段・棋聖・棋王・王将の4タイトルの保持者となり、4冠王として80年代前半の将棋界をリードする存在となった。年齢にして40~42歳ぐらいである。
80年代後半になると全てのタイトルを失うが、1989(平成元)年には再び「王将」のタイトルを奪取。翌年自宅に米長道場を開き、当時の若手棋士から新戦法や新感覚を吸収し、1993(平成4)年には、49歳11ヵ月で念願の「名人」位タイトルを獲得、マスコミでも話題になった。

(以下の画像・リンクは同書が文庫化されたもの)

人間における勝負の研究―さわやかに勝ちたい人へ (ノン・ポシェット)
人間における勝負の研究―さわやかに勝ちたい人へ (ノン・ポシェット)

この本に何を見いだすかは、人それぞれだれだろう。40代以降、四冠王の絶頂から転落したあとの40代半ばでの「米長版中年クライシス」をどう乗り越え、再びタイトルを取り「名人」にまで登り詰めたかは、読みどころの一つである。
しかし、私にとって一番、印象に残ったのは、将棋界で「名人位」も極め「功なり名を遂げた」身でありながら、「60歳からが本当の人生だ」と書いているところである。

●定年後は余生ではない
 私はかねが、60歳を過ぎてからの生き方が非常に大事だと思っていた。
 世の中では、「60歳からの余生をいかにして楽しむか」などと言われるが、そんなバカなことはない。60を過ぎてからの人生は「余りの人生」などではなく、むしろそこからが本物の人生なのである。それまでは、人生修行の時期でしかない。
 私自身は、60歳まで将棋を通して修行してきた。(中略)そして60歳で現役を引退し、本当の人生を歩み始めたわけである。
 サラリーマンであれば、入社してから定年までが、人生修行であり、その先に本物の人生がある。定年退職ですべてが終わったと錯覚している人は、私に言わせれば、本当の人生を生きることを自ら放棄してしまっていることになる。
(米長邦雄著『不運のすすめ』角川oneテーマ21、165ページ)

こう宣言する米長邦雄氏は、現役引退後の2005年、日本将棋連盟会長となり、赤字に悩む組織としての将棋連盟の長として組織改革に乗り出すともに、連盟の収支不振の遠因である将棋人口の減少に歯止めをかけ、将棋の普及のために動き出した。
最強のアマチュア棋士瀬川さんのプロ入りを認めたことも一つだし、今回の名人戦の主催を巡る騒動もそのひとつである。

現在の将棋界の第一線には、1970年生まれの羽生善治(王位・王座・王将)、森内俊之(名人・棋王)、1969年生まれの佐藤康光(棋聖)という30代半ばのタイトル保持者が名を連ね、さらに次を狙う1984年生まれの渡辺明(竜王)、1962年生まれで健在ぶりを示す元名人谷川浩司九段と多士済々で、かつての「大山-升田」対決、「中原-米長」対決に匹敵するドラマがそのひとつひとつにあるように思う。
それを、赤裸々に世間のアピールしていくだけで、まだまだ関心を呼ぶと思うし、人気も回復していくと思う。

米長会長を応援しているし、その手腕に期待している。「ガンバレ!米長会長」

*将棋に関する記事
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

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2006年8月 2日 (水)

将棋名人戦、朝日新聞に

ここしばらく、将棋界を騒がせていた名人戦の主催新聞社を、毎日新聞社から朝日新聞社に移すかどうかという問題は、将棋連盟の棋士全員の投票の結果、101対90で毎日新聞社との契約を継続しないという結論が出た。

そもそも、将棋の名人戦は、最初は毎日新聞社主催で始まり第1期(1937年)から第8期(1949年)まで毎日、その後、朝日新聞社主催に移り、第9期(1950年)から第35期(1976年)まで朝日、第36期(1978年)から現在の第64期(2006年)まで毎日と、毎日新聞社と朝日新聞社の盤外でのタイトルの争奪戦の歴史でもある。(35期から36期の間に空白があるのは、ゴタゴタもあって名人戦が1年開催できなかったから)

私が、将棋を覚えた頃は、朝日が名人戦を主催していた時期だったので、毎日に移った時は、違和感を感じたのを覚えている。

しかし、朝日と毎日のゴタゴタの中で、着実に将棋界での地位を向上させ「漁夫の利」を得たのは読売新聞社だろう。かつては、名人戦より格下だった「十段戦」を1988年に「竜王戦」に改組し、いつの間にか、名人戦と同格以上の棋戦に育ててしまった。
(今回の件の記者会見でも、読売は、米長会長から「将棋界1位のタイトル戦は竜王戦」とコメントを取り、記事にしている)

名人戦を取り戻した朝日はどう読売に対抗していくのか、盤外の名人と竜王の戦いも目が離せない。

*将棋に関する記事
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

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2006年8月 1日 (火)

後漢の祖『光武帝』

『光武帝』(講談社文庫、塚本青史著)を読み始めた。後漢の祖・劉秀を描いた歴史小説で、上・中・下の3冊組だ。

光武帝(上) (講談社文庫)
光武帝(上) (講談社文庫)

光武帝(中) (講談社文庫)
光武帝(中) (講談社文庫)

光武帝(下) (講談社文庫)
光武帝(下) (講談社文庫)

数ある中国を舞台にした歴史小説でも、劉秀・光武帝を主人公にしたものは、珍しいのではないだろうか。秦が滅んだ後、高祖・劉邦によって建国された漢(前漢)も、約200年続いた後、王莽に簒奪され「新」が建国される。
著者は王莽を主人公にした『王莽』(講談社文庫)も書いており、既に3年前に文庫化されている。そちらは、その時に読んだ。

王莽 (講談社文庫)
王莽 (講談社文庫)

当時、『光武帝』も単行本では既に発刊されていたが、文庫化されてから読もうと待っていたところ、今年の6月にようやく文庫が発売された。

話は、王莽がすでに皇帝となった新の治世下、滅亡した漢の皇統の傍流である劉秀の姉の嫁入りから始まる。まだ、新の治世が乱れ始めたあたりであり、これから世界史の教科書でもおなじみの「赤眉の乱」が始まりそうである。通勤の帰りの電車で読んでいたら、急行から各駅停車に乗り換える駅を通り過ぎてしまった。

中国史は、王朝による統一と分裂を繰り返す歴史である。王朝というのは、見方を変えれば、国を統治するための行政組織・制度そのものである。国民は経済生活をしており、経済は日々変化している。
例えば、農業に鉄製農具が使われるようになれば、木製の農具の時よりは、生産力が拡大し、余剰生産物が生じ、それに伴って貧富の差が生じるなどして、経済の実態と統治の制度の乖離が激しくなると、不満が生じ、反乱が起き国が滅びる。小国に分立した各地の為政者のうち、その時期の経済の実態に合った行政組織や制度を作り上げた者が、民の支持も得て国が栄え、最終的に統一を果たすことになる。
中国の分裂と統一の繰り返しは、経済の実態に合わなくなった制度を壊し、実態にあった制度作りを競う壮大なドラマであろう。
高校時代に漠然とそんなことを考えていたが、大学に入りマルクス経済学を教える経済学部で学ぶと、そのような考え方を「唯物史観」というのだと知った。

王莽のような簒奪のケースでは、簒奪の時点では、前王朝を見放した民衆の支持で、一時的に皇位に上り詰めても、時代にあった新たな制度や組織を作れないと、たちまち民衆の支持を失ってしまうのだろう。
とはいうものの、受験勉強では、後漢の祖となった劉秀(光武帝)が、特に革新的な施策を行ったという記憶もない。なぜ彼が民衆の支持を得て皇帝になれたのか、著者がどのような解釈しているのか、楽しみだ。

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2006年7月18日 (火)

いつの間にか100タイトル

ココログの管理ページには、これまでに投稿した記事の総数がカウントされ、しばらく前に100を超えていた。しかし、その中には、タイトルだけの下書き(もちろ公開していない)や、1ヶ月ほど続けたブログペットの投稿などもあったので、自分で書いた分だけで、100タイトルになったら、一度、区切りの記事を書こうと思っていた。

下書き分を削除したところ、前回までの記事の総数は106。うち、ブログペット分が5件あるので、前々回の「ゲド戦記全6巻読了」の記事が記念すべき100回目だった。2月26日に書き始めて、5ヵ月足らずで100タイトル。3日に2本というペース。次の目標は、200タイトルにおいて、また一歩ずつ書き続けることにしたい。

以前、当面1日のアクセス数を100にするのが目標と6月下旬に書いたが、ココログのアクセス不良の不具合の抗議の記事を書いて、ニフティの社長のブログにトラックバックしたら、ココログのメンテナンスが始まった11日から4日間、アクセスが100を超えた。中でも11日と14日は200アクセスを超えてしまった。やはり、今回の不具合とメンテに対して、社長がどのようにコメントするかは、ココログユーザーの関心が高いのだろう。有名人のブログにトラックバックする効果を実感した。

15日からは、いつもの状態に戻っている。そのような特殊要因なしに、1日100アクセス達成を引き続き目標にしつつ、200タイトルを目指していきたい。

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