2009年7月20日 (月)

バレーボールに賭けた長男の中3の夏が終わる

我が家の長男は、中学に入ってバレーボールを始めた。たまたま、中学1年生で身長が170cmあり、同じクラスの中の良い友達がバレー好きで、誘ってくれたのがきっかけだった。当時、長男の中学の男子バレー部は人数も少なく、1年先輩は4名しかおらず、自分の身長なら、新チームになればすぐにレギュラーになれそうだったのも、目立ちたがり屋の長男にとっては、バレーを選ぶ理由の一つだったようだ。

しかし、新チーム2年生4名、1年生2名のギリギリのメンバーで、レギュラーにはなったものの、背が高いだけで、レシーブはできない、スパイクは当たらない、運よく当たっても行く先はボールに聞いてくれという状態だった。
なんとか、練習は続けたものの、チームの足を引っ張るお荷物的存在であった。それでも、先生や先輩たちは、懲りずに長男を使ってくれた。

長男が2年生の春、1年後輩が3名入部。バレー経験者ばかりで、余計に長男の下手さが目立つ。長男が後衛に回った時には、守備強化に1年生と交代させられることもあった。
結局、1年先輩のチームでは、ほとんど勝つことがないまま、2年目の夏のシーズンも終わり、1年先輩が引退、長男たち2人が最上級生となった。なんと、長男はいつも試合中声だけは出して、元気だけはよかったからか、新チームのキャプテンを務めることになった。
しかし、1年後輩が3人しかおらず、6人のチームが組めない。バレー部存続に危機である。このときは、体育の教師だったバレー部の顧問の先生が、長男と同級生の2年生で地域の野球と掛け持ちなら出てもよいという生徒と、1年生を一人勧誘してなんとか、人数をそろえ、危機を回避した。

その後も、危機は続く。バレー経験者の1年後輩から、威勢はいいものの実力が伴わない長男は、キャプテン・上級生としての信頼を得られなかったようだ。家では、後輩たちに対する不満をよく口にしていた。
その頃のチームは、個々人はそれなりに技術はあるのだが、チームプレーに必要なお互いの信頼関係に乏しく、やはり負け続けた。はた目から見れば、すでに身長が175cmを超えていた長男がエースとして相手を打ち負かすしか勝ちパターンはなく、とにかく長男にトスを上げ続けるしかないのだが、セッターを務める1年後輩は、長男をそこまで信頼はしておらず、チームが自分たちの勝ちパターンを作れず、ミスで自滅することが多かった。

チームが変わり出したのは、長男が3年生となり、1年後輩が2年生となり、新1年生を迎えた今年の4月からである。ギリギリの人数しかいなかったチームになんと新1年生が7人入部したのだ。長男に言わせると、後輩が入ったことで、自分たちも先輩となった2年生が、ようやく自分の言うことを聞くようになったという。自分たちも後輩を持つ身になって、初めて先輩の苦労がわかったということだろうか。

もう一つの転機がGWのさなかに出場した少し広めの地域の大会である。普段は自分の学校の近郊の地域の中学どうしの試合だが、このときは、いつもは対戦しなチームが集まった。もちろん、長男の所属チームはいいところなく負けたのだが、そこで、大会終了後、必死に声を出し、キャプテンとしてチームを引っ張る長男の姿を見て、ある学校の顧問の先生が、スパイクの打ち方を教えてやると声をかけてくれたらしい。そこで、ちょっとしたコツをつかんだようで、以来、長男のスパイクの決定率が一気に高くなった。

長男の中学最後の夏の大会は、6月の中旬から始まった。まず、地区のブロック予選。ここを1勝1敗で地区予選に進出。地区予選は6月末、8チーム中6チームまで都大会に出場できる。8チームを4チームずつに分けてリーグ戦を行い、それぞれ3位までが都大会に進める。
長男のチームは3位狙い。当初の予想通り、2敗を喫し、同じく2敗のチームと都大会をかけて戦うことになった。第1セット、シーソーゲームだったが後半長男のチームが突き放し、24対16でセットポイントを握った。しかし、ここから信じられないことが起きる。
あと1点が取れずに相手チームに迫られ、とうとう24対24のヂュースに。そこからは、取ったり取られたりを繰り返し、最後は32対34でほぼ手中にしていた1セットを落とした。
うーん、ここで心ならずも引退か。応援しているこちら側も、いやな思いがよぎる。第2セットもシーソーゲームだったが、中盤から突き放し、5点ほど差をつけて2セット目は取った。相手チームは1セット目を逆転したことで力尽きたのか、3セット目は2セット目以上に差をつけて、何とか都大会への最後のキップを手にした。

そして、今日が都大会の予選。都全域で64チームが都大会に出場。まず、8ブロックに分けて予選トーナメントが行われ、各ブロックの優勝チームが、都大会の決勝リーグに進出する。
長男たちの目標は都大会予選で1勝すること。今日の最初の試合が、ポイントである。出だし、相手に連続ポイントを許す。いつもの出足が悪いのは、長男のチームの悪いところである。目標の都大会出場で、緊張しているのだろうか。勝ち負けはどうでもいいが、自分たちの実力は100%発揮してほしい。
ようやくエンジンがかかったのか、徐々に差を詰めて逆転、第1セットをものにした。調子に乗ると、突っ走るのも、長男のチームの特徴で、第2セットはこちらの勢いに相手チームも萎縮したのか、ミスを連発。第2セットも取って、目標の都大会1勝を実現した。
その後の2回戦(都大会予選準決勝)では、格の違いもあり、敗退。長男のバレーボールに賭けた夏が終わった。

一時はチームの存続が危ぶまれ、信頼関係もなくバラバラだったチームが、都大会まで進み1勝をあげたことは、信じられない。長男を含む、中学生チームのメンバーそれぞれの成長を見せてもらった1年間だった。

長男の役目は、これからは受験生。こちらもバレーに劣らない成果を残してほしいものである。

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2009年5月24日 (日)

母の介護に振り回された5ヵ月間

昨年(2008年)暮れまで、約2年間毎日更新を続けていたこのブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」も、今年に入ってからは更新も途切れがちだった。以前は、読んだ本の感想、受験してきた様々な資格試験、心理学をメインにしたメンタル面について様々な雑感、気候や気象の話、そして将棋の話題、などなんとか1日1テーマを見つけて書き続けていたのだが、最近は将棋の話題だけに偏っていた。

これは、ブログを書いている私自身に、毎日ブログを書くだけの、時間的余裕と精神的余裕がなくなったことによる。

昨年の12月半ば、実家で一人暮らしをしていた私の母親が、腰が痛くて動けないと、私の妻に電話をしてきた。たまたま、介護福祉士試験を目前に控え、試験勉強の追い込みのため仕事を休む予定にしていた妻は、九州の私の実家に向かった。母の様子を見た妻は、このまま一人暮らしを続けるのは無理と判断して、私を呼び、2人で母を東京まで連れてきた。それが、昨年(2008年)の12月23日。母の寝起きのための部屋を確保するため、年末年始は大掃除と家の全体の模様替え。年賀状を書けたのは、年始に入り1月3日だった。

腰痛の原因は脊柱管狭窄症にともなう椎間板ヘルニア。整形外科の医者の診断は、安静にして痛みが引くのをまつしかないとのこと。2週間ほど安静していたところ、痛みはほぼ引いた。
しかし、たまたま我が家のあった血圧計で血圧を測ってみたところ、上が200を超えることも。今度は、同じ病院の循環器科のかかることになった。血液検査では、コレステロールも高い。どうも、実家では3食きちんと食事を摂っていたとは思われず、おなかがすくと袋菓子などを食べていたようだ。コレステロールも血圧も高いとは、危険は兆候。下手をすると血管が詰まって脳梗塞や心筋梗塞を起こすかもしれない。
母には、ネット検索で見つけた、塩分1食2g、熱量も300カロリー台という冷凍のカロリーコントロール食を食べさせ、食後のデザートやおやつのお菓子は極力控えさせ、少しでも体を動かすよう我が家の周りを5分でも10分でもいいので参加するように勧めた。降圧剤と合わせ、食事のコントロールと運動を1ヵ月ほど続けると、上も150~160くらいまで下がるようになり、4月頃には上が140を切り、正常値の範囲に収まるようになった。

そのカロリーコントロールの最中には、たまたま外食したときに食べたムール貝に当たったのか、激しい下痢と脱水症状を起こし、点滴のため、仕事から帰ったあと救急外来に連れて行ったこともあった。

我々から見ると、まだ体調が万全とは言い難かったが、本人は早く自分の家に帰りたいと言う。確かに我が家に居る時は、体調がある程度戻った後も、昼間でもベッドに横になり寝ていることが多く、たまに新聞を読んだり、テレビを見たり、雑誌を読んだりしているが、それほど集中している訳でもない。我が家の周りに、知り合いがいるわけでもない。これでは、「ボケ」てしまうと思い、私は5月の半ばに会社を3日ほど休み、妻と2人で九州の実家に母を連れて帰った。

しかし、現在の状況のままで、一人暮らしにもどれば、いずれ昨年暮れと同じように、体調を崩すのは明らかである。介護保険制度を利用して、週2回ホームヘルパーに来てもらうことにして、とりあえず実家での母の一人暮らしが再開されることになった。

以上が、この5ヵ月間の母の介護を巡る顛末の要約である。

就職して家を出るまで、22年間一緒に暮らしたはずなのだが、今回久しぶりに一緒に暮らしてみて、自分自身、自分の母親のことを理解していなかったことを痛感した。
そして、自分の家族を抱えながら、年老いた親と同居することが、想像以上に困難を極めるものであることも、思わずにはいられなかった。
また、介護保険制度は、介護されるお年寄りのための制度であるとともに、介護する側の家族のための制度であることも、実感した数ヵ月だった。

次回以降の記事で、気が向けば、もう少し立ち入ったことについて書くことになるかもしれない。もし続きが書かれない時には、この話題について書くだけのゆとりがまだ持てていないと思っていただければと思う。

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2009年2月15日:自分の時間の優先順位、母子同居の現実

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2009年2月15日 (日)

自分の時間の優先順位、母子同居の現実

最近、このブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」も、昨年の年末に3年近く続けていた、毎日更新が途切れて以降、すっかり更新の頻度が落ちてしまった。更新しても、将棋の記事ばかりで、私が書く将棋以外の記事に関心があって読んでいただいている方には申し訳ないと思っている。

年末以降この1ヵ月半の最大の変化は、私の母との同居である。私の母は、昭和一桁生まれで、70歳代後半となりいわゆる「後期高齢者」に属する。それでも、昨年の年末までは、私が育った実家で、1人暮らしをしていた。私の父は昭和の終わりに、50歳代後半で亡くなっており、私の妹と弟が結婚や就職で家を出てからは、母は義母(父の母、私の祖母)と2人暮らしだった。その祖母も数年の入院生活の後、5年ほど前に亡くなり、その後、母は一人暮らしをしていた。

昨年年末、腰が痛くて動けないとの妻あてに連絡があった。たまたま、1月にある介護福祉士の資格試験をまとめてやろうと1週間ほど仕事を休むことにしていた妻は、急遽、私の実家に飛んだ。私も週末には、追っかけ実家に向かい、とりあえず腰痛が治るまでの間、東京の我が家で面倒を見ることにして、東京に連れて来た。
とはいえ、5人家族が暮らす4LDKの我が家は、子ども3人が成長した今となっては、あと1人家族を迎えるには決して広くはない。今まで、子ども1人に1部屋与えていたが、娘2人は1部屋で我慢してもらい、大掃除をして、いらない物を相当捨て、さらに2畳ほどのトランクルームを借りて、捨てきれないものを移し、4LDKの一部屋を母の部屋として確保した。年末の1週間ほどは、大掃除と我が家の大幅レイアウト変更に費やし、なんとか年内にようやく最低限の間取りができた。
年末の書く予定だった年賀状を書く時間はなく、年始にいただいた年賀状に返事を出すだけで精一杯だった。

年明けから本格的に始まった、一時的な私の母と私の家族5人の同居生活。私自身、結婚してから20年、何度か里帰りはしたが、大学卒業とともに会社の独身寮に入って以降、母と一つ屋根の下で、日常生活をともにするのは26年ぶりのことである。気がつけば、私自身が、私が家を出た頃の母と大差ない年齢になっている。

腰痛の方は、何とか1ヵ月ほどで痛みが引いたが、何気なく我が家で計った血圧が上が200前後、下が100前後といつ何が起こっても不思議ではない値を示し、病院通いはやめられず、同じ病院の中で、整形外科から循環器科に移ることになった。

これまでの経緯をざっと書けば、こんなところで、夫婦2人・子ども3人の5人の日常生活は、突然の闖入者である私の母に大きな影響をうけることとなった。腰痛や高血圧という母が抱える問題へ対応、母を迎えたことで、私自身を含む私の家族と母の間に生じる様々な軋轢への対処に時間を割かざるを得なくなった。必然的にブログを書くための時間の確保は難しくなり、ブログの更新が途絶えがちとなり、書けても裏付けの事実の確認が容易な将棋の記事だけというのが、この1ヵ月ほどの私の状況だ。

老いた親の世話をどうするのか、親の介護という避けては通れない問題が、とうとうやって来たということだろう。多分、これは、我々の世代にとって、自分自身の内面の問題である「中年期の危機(中年クライシス)」の次に、否応なく直面しなければならい問題なのだろう。親が老いたということは、自らもとうとう「老い」の入り口に立ったということだろう。
これからも、私自身の現実の問題として、このテーマをブログに書くことになると思う。

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2008年10月26日 (日)

27回忌に短歌で知る亡き祖父の思い

今日は、母方の祖父の27回忌と祖母の7回忌の法事だった。祖父が亡くなったのは、私が大学4年の年の秋。就職が内定し、ほっとしていた時だった。祖父は、明治生まれで、80歳を超えても元気で、特にこれといった持病もなく、最期は老衰だった。孫から見る祖父はいつもにこにこした優しい「おじいちゃん」であった。

母の家族は亡くなった祖父母に三姉妹。母は次女。三姉妹はそれぞれ結婚し、それぞれに3人、3人、2人と子どもが生まれたため、祖父母の孫は8人になった。

今日の法事には、三姉妹と2人の夫(私の父は亡くなっている)、8人の孫のうち5人、その子(曽孫)が7人、孫の夫と妻が1人ずつ、祖母の妹、三姉妹の従姉妹2人の計22人が集まった。

高尾にある都の霊園で読経のあと、八王子の和風レストランで会食。その場で、祖父母と一緒に暮らしていた叔母が二冊の糸綴じの冊子を披露してくれた。タイトルが「雑詠草」。悠々自適の暮らしとなった祖父が日々の思いを、短歌や俳句に詠んだものだった。

その中に、母が3人目の子(私の弟)を妊娠し、私が小学校に入学することを詠んだ短歌があった。

三たび目の出産近し母子(ぼし)ともに 安かれと祈る筑紫路の空

うましまごすくすくのびて此の春は 学びの庭に入(い)るぞ嬉しき

このとき、学びの庭に入ることを祖父によろこんでもらった私も今年4回目の年男を迎えた。このような短歌が残っているとは思いもしなかったので、驚いたし、嬉しくもあった。
私の就職が決まった直後に祖父が亡くなったと知った時、自分の中で、もう子どもではいられないのだと思ったものだ。
今の私の姿を、祖父はどう見ているのだろうか。恥ずかしくない生き方をしなければと、改めて思った一日だった。

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2008年1月 4日 (金)

里帰りを終え、東京に戻る

2007年12月30日に帰ってから、年末年始をはさみ今日(2008年1月4日)までの里帰りを終え、新幹線で東京に戻ってきた。1ヵ月前に予約をしたが、家族5人横1列で座席が確保できたのは、朝8時台の前半。休みの後半を過ごした妻の実家を朝の6時半頃には出た。

私と、妻の双方の親は、成長した孫の姿を見てよろこんでくれたが、我々から見れば、心配していたほどではなかったものの、親の老いを感じずにはいられなかった。
「中年クライシス」のあとには、親の介護という問題が避けて通れない問題として迫っている。
とりあえず、今は元気なので、すぐに何かをしなければならないということはないのだが、一方で何か起きてしまったら、現在の家族5人の生活が影響を受けざるを得ないのも事実だ。

さりとて、懸案を全て解決してくれる妙案があるわけでもなく、双方の親が元気でいてくれることを祈るしかない。あとは、自分たち自身が健康でいること。介護しなければならない側が健康でなければ、何もできないからだ。

気の重い話題ではあるが、今年は親の問題も中期的な課題としてこれまでよりは、少し比重を高めて考えなればならないのだろうなと痛感した里帰りだった。

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2007年5月25日 (金)

次女と長男の中間試験を巡る騒動

今週は、高校1年生の次女と中学1年生の長男の初めての中間試験が重なった。ようやく、今日2人とも試験が終わった。

高校生の次女は、赤点を取ったらどうしようと心配しながら、遅くまで勉強していた。これぐらい危機感を持って、最初から臨んでくれれば、まあこれからもあまり心配しなくてもよいかなと、親としては思っている。

一方、中学生の長男は、試験1週間前になっても週末に友達と遊びに行くし、くだらないテレビ番組を見てヘラヘラ笑っているし、パソコンにかじりついてオンライン・ゲームにううつを抜かしている有様。
あまりにも安易に考えているように見える。まあ、一度痛い目にあって自分で気がつくまで、放っておくしか仕方ないと思ってはいるのだが、言うに事欠いて、誕生日が近いこともあり、試験で成績がよかったらi-podを誕生祝いに買ってくれ、デジタルの腕時計を買ってくれと虫のいい要求をし始める。
あまりの呑気さに、姉2人も業をにやし、それならばと「成績が悪かった時はおまえの使っているパソコンを使わないということなら考えてもいい」という対案を出した。大学に入ってアルバイトを始め、多少お金を持っている長女がスポンサーとなって、平均98点以上ならi-pod、95点以上ならデジタル腕時計を買う。ただし、平均85点に達しなければ、長男が使っているパソコンを当面使用禁止にするという交渉がまとまった。

今日、長男が初日に受けた理科の試験の答案が返却された。結果は86点。i-podはすでに実現不可能。時計も危うい。むしろ残り4科目次第ではパソコン召し上げの可能性も出てきた。危機と直感した長男は、「パソコン使用禁止は、85点でなく平均点以下の時にしてくれ」とはやくも条件引き下げ交渉に出てきた。当然のことながら、家族全員からダメ出しをくらう。ならば、全科目の結果が出て使用禁止が決まるまでは、やりたいだけオンラインゲームをやるぞと長男は宣言している。

パソコンは道具。子ども達が大人になる頃には、使いこなせて当たり前の時代が来ると思い、主に私が自作したものを順次1人1台使わせるようにしてきたのだが、長男を見ていると、ひょっとして教育方針を誤ったかなと思う時がある。
いつかは気がついて、パソコンに振り回されるのではなく、使いこなしてくれると信じているのだが、信じ続ける忍耐力もなかなか辛いものである。

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2007年5月21日 (月)

携帯電話を洗濯してしまった

一昨日の土曜日の午前中、2階の部屋でパソコンに向かっていると、階下で叫び声。
何事かと思って1階に降りると、妻が携帯電話を持ってしょげている。Gパンのポケットに携帯電話を入れたまま、洗濯してしまったらしい。変な音がすると思い、あわてて取り出したらしいのだが、時すでに遅し。手に持っている携帯電話は、水浸し。液晶画面にも水が入っている。当然、携帯は使用不能かつ、回復不能。

今年、長男の中学のクラスの役員を引き受けることになり、ようやく携帯電話に役員全員の電話番号とメールアドレスを入れたばかりだった。数日前に、「どこかにバックアップをとれないかな」と言われたばかりだった。

実は、妻には前科がある。2年前の夏休み。私が札幌に単身赴任していた当時、夏休みに家族を呼んだのだが、その時にも水の中に携帯電話を落としている。その時、機種交換で購入した電話機が今回、犠牲になった。

3人の子どもたちは、「またやった~」と冷やかしているが、本人は同じ過ちを2度やったこと、懸命に入力したデータをまた一から入力しなければならないということで、落ち込んでいた。
とりあえず、携帯電話が使えないと困るので、水没し使用不能と成った電話機を持って、携帯ショップに行き、再び機種交換。今回は、薄型、200万画素デジカメ付き、携帯音楽プレイヤー機能付を購入した。

いつ、どこで襲ってくるかわからない災難。備えあれば、憂いなしとはよく言ったものだ。せめて、「バックアップ」と言われた時に、パソコンにデータを読み込んでおけば良かったと少々申し訳ない気がした。

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2007年5月17日 (木)

五月病予備軍を抱える我が家

今年の春、我が家の子ども3人は、上から順に大学、高校、中学に進学し、環境が大きく変わった。おまけに、妻もパート先が変わったばかりで、私を除く家族4人の生活環境が大きく変わった。

親として気になるのは、それぞれが新しい環境にとけ込めるかである。
今のところ、新生活をエンジョイしているように見えるのは、女子大生になった長女だけで、高校生になった次女は「中学のままがよかった」と嘆き、中学生になった長男は「俺小学生に戻りたい」とぼやく。

もともと、次女には、「高校になったら、中学3年の時の受験勉強と同じくらいの勉強を毎日やらないと追いつかないよ」と多少脅してはいたのだが、いざ現実のものとなると、相当重荷に感じるらしい。
これまで、気ままに遊んで過ごせた長男は、中間テストや期末テストなど、定期的にテストがあること自体が苦痛のようだ。

まあ、自分の経験からいえば、あと1ヵ月もすれば、クラスの様子もわかり、新しい学校のペースにもなれ、大丈夫だろうと思っているのだが、30年以上も前の話なので過信は禁物だ。

松村由利子さんのエッセイが載っているというので買った健康雑誌の『毎日らいふ』。5月号の特集の一つがその名も「危険な「五月病」」。その特集記事では、「五月病に陰に「軽症うつ」が潜んでいる可能性がある」と警告している。そして「軽症うつ」の原因として「疲れ」をあげている

「軽症うつ」の本当の原因
「新しい環境になじめない」、「人間関係がうまくいかない」。こういったことが、うつ病の原因になっていると思われがちですが、「軽症うつの原因は、その前にある作業疲れに本当の原因がある」と笠原さん(「軽症うつ」の研究者で名古屋大学名誉教授の笠原嘉さん)は言います。
引っ越しの作業、転勤、配置換えの引き継ぎ作業、大きなプロジェクトに注いだエネルギー。これらによる体の疲れ、心の疲れによって次の環境に向けた力がなくなり、「ゆううつ」を越えた異常を引き起こすことになるのです。
(『毎日らいふ』2007年5月号、55ページ)

その上で、「軽症うつ」に陥りやすい人(特に中年~初老)の特徴として以下の15項目を上げている。

①働くのが好き
②やり出したら徹底的にしないと気がすまない
③責任感が強い
④義理を重んじる
⑤人に頼まれるとイヤといいにくい
⑥人と争うのは苦手
⑦気が小さい
⑧人がどう思うかを気にする
⑨常識を大事にする
⑩極端なことをしない
⑪目立つことが嫌い
⑫熱しやすいところがある
⑬どちらかというと朗らか
⑭物を片付けるのが好き
⑮きれい好き
(『毎日らいふ』2007年5月号、55ページ)

まあ、我が家の次女、長男にはそれほど当てはまらないとは思うが、もう少し様子を見た方がいいかもしれない。

ただ、入学して暫く模様眺めをしていた2人だが、最近になって次女は弓道部、長男はバレー部に入った。
部活動を始めるということは、それだけの心と体のエネルギーは残っていたということなので、まあさほど心配なくても、時間が解決してくれるだろうと少し気が楽になった父である。

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2007年3月 7日 (水)

「啓蟄」に思う3人の子の進学

昨日、3月6日は二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」だった。加えて、我が家の結婚記念日でもあって、それに長年敬愛する宮本輝さんの誕生日で還暦を迎えるとあって、昨日は何を書こうか考えたあげく、これまでブログであまり書いていない宮本輝さんのことを書くことにした。

とはいえ、ブログの中には、折々の季節感も盛り込んでいきたいので、二十四節気は、都度、取り上げたいと思っている。

いつも使わせてっもらう山下景子さんの『美しい暦のことば』(インデックスコミュニケーションズ刊)では、

暗い土の中でじっとうずくまっていた虫たちが、春の気配を感じてもぞもぞと活動を開始するころです。
(同書、33ページ)

とある。
二十四節気は、旧暦がベースになっているので、平年であれば、実際の気候としてはもう少しあとになると思うが、今年は、東京都心では雪が降らないまま3月を迎えていて、春の訪れも早く暖かいので、あまり違和感がない感じだ。

啓蟄を過ぎれば、いよいよ、春の本格的な春の到来。
我が家にとっては、子供3人がいっせいに、今まで通っていた学校を卒業し上級の学校に進学するので、どことなく「啓蟄」のイメージとだぶる気もする。これまでの学校から抜けだして、また新しい舞台で、成長することを願っている。

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2007年1月15日 (月)

食事をするとき人を待てるか、外食の功罪

3ヵ月ほど前、私の職場のチームに、わたしより数年年上のMさんが異動で来られた。Mさんとは、席も隣で、昼一緒に食事に行くことが多い。

今の職場の食堂の昼食メニューは、定食と麺類の2種類あり、Mさんと一緒に食堂に行っても、席に選ぶメニューで待たされる時間も違ってくるので、Mさんが先に席に着いていることも多い。私がMさんを偉いと思うのは、いつもMさんは、先に席に着いた時は、後から来る人を待ってくれているのだ。私が、人より先に着席した時には、先に食べ始めることも多いので、反省することしきりである。Mさんのご両親は、立派な躾けをされたのだなと思う。
果たして、自分の子どもたちが、そういう場面でどう振る舞うだろうか。

家で家族で食卓を囲む時は、みんなが揃うまで箸をつけずに待っていようと言っているが、外食の時となるとなかなかそうもいかない。ファミリーレストランなどで、家族がそれぞれ別々のメニューを注文すると、全員一緒に出てくる方がまれである。
注文してから配膳されるまで、かなり待たされた上に、5分ぐらいの差があるのは当たり前、下手をすると15分くらい遅れることもある。そもそも、お腹がすいているから、食事を食べに行くわけで、全員揃うまで子どもに我慢させるのも、かわいそうだし、料理もさめておいしくなくなってしまう。
結局、来た順に食べ始めることになってしまうが、下手をすると最初に食べ出した人が食べ終わる頃、最後の人の料理が来たりすることもある。これでは、家族団欒もあったものではなく、興ざめしてしまう。

それなら、外食などしなければよいのだが、家でいつも食事を作る立場を考えると、たまには外食して休ませて欲しいという気持ちもわからないではないので、全て家で食べるというのも難しい。

一方、外食に慣れてしまうと、知らず知らずのうちに、料理が来たら自分一人先に食べて当たり前という感覚になってしまう。親として、自らどう行動するかとともに、子どもにどのような躾けをしていくのか、悩ましいところである。

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2007年1月 5日 (金)

訃報:百ます計算の考案者岸本裕史さん死去

今朝(2007年1月5日)の朝刊の訃報欄で、岸本裕史さんが昨年の12月26日に亡くなっていたことが伝えられていた。

岸本さんは、1930年の生まれで、神戸市で小学校の教員を40年勤めた。読み書き、計算など基礎学力の充実の必要性を早くから訴え、今や多くの小学校で使われている100ます計算の考案者でもある。
100ます計算の実践で成果を上げ有名になった蔭山英男さん(現立命館小学校副校長)も、若い頃、自らの教育手法に試行錯誤する中、岸本さんと出会ったことが転機になっている。

私が、岸本さんの著書と巡りあったのは、今から20年以上も前、大学生の頃である。大学生協の書店で『見える学力、見えない学力』(岸本裕史著、大月書店国民文庫)を目にして、タイトルに惹かれて手に取ったのが最初である。初版発行が1981年3月とあるから、新刊として発売されて間もない頃だったのだと思う。その後、この本は版を重ね、1996年3月には改訂版も出されている。私は、何度かこの本を買っているのだが、手元にある改訂前の1冊ので奥書に1992年10月の49刷とある本の帯には、90万部突破とある。おそらく、現在は100万部を突破しているだろう。息の長いロングセラーであり、今、読んでも、言われていることの本質は全然古くなっていない。

この本の中で、著者は学力を氷山にたとえている。

 氷山を思い浮かべて下さい。氷山というものは、大部分が海面下に沈んでいて、八分の一だけが海面上に姿を見せています。子どもの学力も、それと似ているのです。テストや通知簿で示される成績は、いわば見える学力なのです。その見える学力の土台には、見えない学力というものがあるのです。見える学力をたしかに伸ばすには、それを支えている見えない学力をうんとゆたかに太らせなければならないのです。貧弱な土壌では、果樹の実も、ちっぽけなままでしかありません。
 小学校で習う勉強の多くは、子どもの生活空間で見たり、聞いたり、触れたりできるものが素材となっています。ですから、学校で新しく習う教材でも、事前になんらかの予備的な知識や経験のある子は、のみこみも早く、容易に忘れることはありません。
(『見える学力、見えない学力』改訂版37~38ページ)

では、「見えない学力」とは何か?規則正しい生活習慣を身につけさせる躾け、親が読み聞かせをすることで読書の習慣をつけさせる、自然の中で伸び伸びと遊ばせる、家庭の中で社会や政治・経済につき話題にする、地図を壁に貼りニュースで地名が出てきたら確認する、史跡に行ったり、美術・芸術に触れさせる機会を作ること等々で、いずれ勉強として学ぶことを、日常生活の中で先行体験させることである。

この先行体験として述べられているものには、私が子どもの頃、両親がやってくれていたことも多くあり(両親が意識してやっていたとは思えないが)、私は一読するや、岸本「見えない学力」説の信奉者となり、その後の自らの子育ての中で、出来る限り実践してきた。

その成果の是非は、子どもたち一人ひとりの今後の成長を見るしかないが、途中経過で見る限り、不登校にもならず学校に通っているでの、大間違いはしていないのではないかと思っている。

私にとっては、岸本さんは、いわば子育てや教育を考えていく際の心の師であった。これからは、私なりに、岸本説を咀嚼して、子どもたちに伝えていくことが、役目だろうと思っている。心からご冥福をお祈りしたい。合掌。

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2007年1月 2日 (火)

『男の復権』(池内ひろ美著)を読んで

年末に『男の復権』(池内ひろ美著、ダイヤモンド社)を読んだ。サブタイトルは、”女は男を尊敬したい”とある。職場の近くの書店で、昼休みに見つけ、奥書に1961年生まれとあるのを見て、自分と同世代の女性が、男のあり方をどう見ているのかを知りたくて、購入した。

著者の池内ひろ美さんは、1997年に、「東京家族ラボ」という組織?を主宰し、家族の問題についての相談に応じており、特に、夫婦の問題、離婚相談等を手がけている。自身、22歳で結婚し32歳で離婚、37歳で再婚している。(ホームページ、ブログのプロフィールによる)

第1章が「大人の男になるための十箇条」、第2章が「後悔しないための女の選び方五箇条」となっている。第1章では、大人の女から見た尊敬できる「大人の男」像が語られる。一方、そのためには、一生の伴侶となる妻にどんな女性を選ぶかで、男の人生も大きく変わっていくということで、女を選ぶ時に気をつけることが語られる。見方を変えれば、女から見た「大人の女」像であろう。

「大人の男になるための十箇条」は、

第1条、男の立ち姿は美しくあってほしい
第2条、コミュニケーションに媚びないで
第3条、しっかり大地を踏みしめて歩け
第4条、返事とお辞儀を正しくしよう
第5条、やっぱりお洒落ででいてほしい
第6条、ちょいモテおやじに憧れるな
第7条、「ありがとう」と言える男になれ
第8条、目指すのは優しさより親切であれ
第9条、父親を尊敬する男であれ
第10条、男なら正義を背負って生きよう 

「後悔しないための女の選び方五箇条」は、

まず、「悪妻は百年の不作」と述べた上で
第1条、笑顔のかわいい女を選べ
第2条、言葉づかいのいい女を選べ
第3条、センスのいい女を選べ
第4条、はたらく女を選べ
第5条、母親と似た女を選べ
の5箇条をあげ、
最後に「女の落とし方」という一文で締めくくっている。

全てを紹介すると、終わらなくなってしまうので、私が特に印象に残っている部分を選んで紹介することにしたい。

男の方では、「第8条、目指すのは優しさより親切であれ」から

(女性が求める「優しい人」が、えてして「私だけに」優しい人であるとの前置きに続き)優しさを渡したり受け取ったりする作業は、とても主観的であるがゆえに奇妙な思いこみを呼びやすい性質があると知っておこう。主観的で独りよがりの優しさより、求められるのは、客観的に親切であること。親切を行うのは、優しさよりも少し高度である。そこには、相手に対する想像力が必要だ。相手が今、何を欲しているのか想像してキャッチする能力が不可欠だ。(中略)その人の価値観がどこにあるのか。その人の五感は何を欲しているか。(中略)多くの「かもしれない」可能性を想像したうえで、相手の望むものを渡してあげることができるのが親切な大人である。(『男の復権』23~24ページより)

女の方では、「第4条、はたらく女を選べ」から

はたらく女というのは、なにも外へ出て仕事をする女という意味ではない。(中略)家の外であっても中であってもはたらく女がいい。気働きと表現を変えたらわかりやすいだろうか。(彼女が気働きのできる女性かどうかを見極める例として、バーベキュー大会を開くことにした際の彼女の反応・発言を幾通りか例示し、彼女の反応や発言の意味を考え、受け止めることを求めた上で、)何かを行うときには、必ず「役割」がある。なんらかの役割を引き受ける人は他の場面でも異なる役割を引き受けることができる。(中略)何も役割を引き受けない女というのは、家族になったとき、「妻」や「母」といった新たな役割を引き受けることのできない女である。彼女はそういう人だと認識しよう。(後略)(『男の復権』44~46ページより)

著者は、男に対しても、女に対しても、厳しい眼差しを向けている。見た目のカッコよさでなく、中身のカッコよさ・素晴らしさで勝負できる大人の男(そして女)が増えて欲しいというメッセージであろう。私の拙い要約では、うまく全体像が伝えきれないが、この一文を読んで、多少なりとも関心を持たれた方(特に40代)には、男女問わず一読をお勧めしたい。

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2007年1月 1日 (月)

1年の計は元旦にあり、今年の目標は…

今日から2007年。高校受験を控える娘がいるため、今年は、特に出かける予定もなく、家で過ごす。昨年末は、結局、遅れ遅れになってしまった年賀状作りを29日にやっと終える。昨日の大晦日は、やり残していた和室の障子の張り替えや、普段あまり目が届かない壁の高いところや天井のすす払いなどで1日が終わった。

年頭にあたり、月並みだが「1年の計は元旦にあり」ということで、今年の抱負を整理しておきたい。

仕事では、今の自分の職場を少しでも活性化していきたい。どこの会社にも、完璧な職場などないと思うし、社会全体の風潮でもあるかも知れないが、今の職場にはどこか「給料並の仕事さえしていればいい」「自分さえ良ければいい」という雰囲気が漂っているような気がする。働いている人、それぞれが、いい意味での緊張感を持って、日々働いている職場にしたい。特別な権限を持っているわけではないので、個人でできることには、限界もあるが、これまで学んできたものを活かして、何ができるのか、自分なりに考えながらやっていきたい。

家庭では、転機を迎えた我が家族が上手く、新しい生活になじんでいけることが最大の課題だ。3年おきに、3人の子が生まれたが、それぞれ成長し、今年の春に長女が大学進学(昨年AO入試で進学先は決定済)、次女の高校受験、長男の中学進学が一度に重なる。次女は公立高校第一志望、長男は地元の公立中学に進学させる。ということで、3人同時に上級学校へ進学するとはいえ、我が家のこの春の最大の関心事は、次女の受験の正否である。私自身がサポートできることは、限られるが、なんとか家族全体でサポートし、次女自身の第一志望に合格をさせてやりたい。受験の苦労は、次女だけだが、4月以降、新しい環境になじんでいかなければいけないのは、3人に共通の問題である。特に、これまでの親の躾けが至らなかったこともあり、特に長女と長男は、朝きちんと起きられない。なんとか、朝、定時に起きる習慣をつけることを、今年こそは実現させたい。

仕事・家族を離れた個人としては、ホームページを立ち上げたい。ブログを書き始めて2月下旬で丸1年。記事も200以上になっている。その関心事や読んだ本などについて書き連ねてきた。ココログでは、記事の内容に応じたカテゴリ分けができるが、毎日、統一された一定の基準で区分できているかというと自信がない。また、これまでに書いた200余の記事は全て、ココログのサービスを行うニフティのサーバーの中に保存されている。万が一、ニフティのサーバーが壊れたら、全部消えてなくなってしまう。そのリスクを回避する意味でも、ココログのサーバーから、これまでの全記事をダウンロードし、テーマ毎にを統一感を持って再編集し、改めてプロバイダーのホームページ用のスペースにアップロードして、ホームページを作りたい。
現在、使っているブログ管理用ソフト「マイ・ブログ」は、新たに記事を作成する時、過去の記事の1つを選んで、ダウンロードし再編集することはできるが、過去の記事を一括してダウンロードすることは、できない。ホーム・ページ作成ソフト定番「ホームページ・ビルダー」は、一括ダウンロード機能があるようなので、その機能を使いたくて最新版の「ホームページ・ビルダー11」を注文した。

もう一つ、忘れてないけないのは、ウオーキング減量作戦の継続である。11月時点で、足踏み状態になっていることを一度書いたが、お恥ずかしながら12月は、忘年会シーズンでもあり、通常より外で飲み食いする機会も多く、大晦日の朝は69.3kg、今朝、元旦はなんと70.3kgと当面の目標の65kgから遠のくばかり。改めて、2007年こそ、減量を実現させたい。

以上、4つが、ささやかながら、今年の年頭にあったての私の「1年の計」である。

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2006年12月29日 (金)

父の冬休み

私の職場はカレンダー通りであれば、年末年始の休みは年末30日・31日、年始は三が日の5連休である。しかし、お客さんと直接、接する現場ではないので、今日と1月の4、5日は休みをもらい、今日から1月8日までの11連休をもらうことにした。ちょっとした「父の冬休み」である。

今年は、ずいぶん、たくさん資格試験を受けた1年だった。いずれも、仕事に関係していて、このブログでもいくつか書いたが、ブログを始める前の2月の中旬に受けたのを皮切りに7月、10月、11月、12月と1年に5回受けた。10月の金融内部監査士と11月の公認内部監査人(CIA)は、このブログでも書いた通りだ。まだ、結果の出ていないCIAを除き、なんとか合格でできているのも、ありがたい。人には、スケジュール面で無理があるのでは、とも言われることもあったが、それぞれに重複する部分もあり、まとめて一気に勉強した方が効率いいはずと考えて、やって来た。結果的には、ほぼ目論見通りになった。

今年は、これからの新しい10年のスタートの年で、これからの10年の基礎固めとして、なんとかいいスタートきれたと思う。来年は、まだ残っているいくつかの試験を受けつつ、今年取得した資格を結果・成果に結びつけていく1年にしていきたいと思う。

今年の試験疲れを癒し、来年への英気を養う「父の冬休み」にしたい。 

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2006年12月 3日 (日)

年賀状作りの季節

今年も、はや12月。残すところ、4週間である。毎年、この時期になると、気になってくるのが翌年の年賀状である。1年の間に、受け取った転勤や転居のハガキなどを整理して、リストを更新し、デザインを考えなくてはならない。

我が家では、結婚したときから、年賀状は家族全員の写真をメインにしている。家族全員で、お送りした方に、せめて写真で挨拶をするという意味をこめているつもりだ。

最初の頃は写真店にネガを持ち込み、デザインを選んで印刷を頼んでいたが、パソコン、カラープリンター、デジタルカメラが使えるようになってからは、自分で作るようにしている。最近は、プリンターとデジタルカメラの進化で、自作でも注文印刷に遜色ないものが作れるようになった。また、宛名書きも、パソコンとプリンターがやってくれるので、以前ほど年賀状作りに時間はかからなくなった。

その中で、最大の問題は、家族全員で写る写真をいつ・どこで撮るかだ。以前は、神宮外苑のイチョウ並木まで出かけていって、撮影したりしたこともあるのだが、ここ2年ほどは、家族全員で遠出をするだけのスケジュールの調整がつかないこともあり、自宅の前や、リビングでとお手軽にすませてしまっている。今年は、少しは気の利いたところで撮りたいと思っているのだが、長女は来週期末試験、次女は高校受験の追い込み時期と、そうそう連れ回すわけにもいかず、父親の腕が問われるところだ。来週末には、写真撮りをすませ、ハガキ作りの準備に入りたいと思っている。

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2006年11月23日 (木)

新・亭主関白宣言?

福岡県の久留米市に「全国亭主関白協会」(天野周一会長)という組織があるらしい。(協会のホームページはこちら

関白とは、天皇に次ぐナンバー2の地位であり、協会は天皇(=妻)を敬愛し奉る亭主たちの集団とのこと。団塊世代が大量定年となる一方、離婚の際の夫婦の年金分割制度が2007年から始まるのを控え、熟年離婚を回避すべく会員が急増しているそうだ。

協会が定めた「新!亭主関白道段位認定基準」があり次のようになっている。

初段:3年以上たっても「妻を愛している」
二段:家事手伝いが上手
三段:浮気をしたことがないか、ばれていない
四段:レディーファーストを実践している
五段:愛妻と手をつないで散歩ができる
六段:愛妻の話を真剣に聞くことができる
七段:嫁姑問題を一夜で解決できる
八段:「ありがとう」をためらわずに言える
九段:「ごめんなさい」を恐れずに言える
十段:「愛してる」を照れずに言える

以前、このブログで書いた、妻の側の「夫在宅ストレス」とどう折り合いをつけるかということも大切だと思うのだが、そのあたりをどう考えているのかよくわからない。十段まで、全て実行できれば、在宅ストレスということにはならないかも知れないが…。

個人的には、二段、六段、八段あたりはクリアしていると思うが、そもそも夫婦の問題は、それぞれの夫婦によって様々なので、自分で考えるべき問題ではないかという気もする。

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2006年10月25日 (水)

地図を旅する

私は地図を見るのが好きだ。家の中では、リビングの壁には世界地図と日本地図、自分の住んでいる市の地図、東京近郊の鉄道の路線図を貼っている。(以前は東京都の地図も貼っていたが、いつの間にかはがれてしまった)
また、1階と2階のトイレとパソコンの置いてある「自分の部屋」には、大手家電量販店B社が毎年配っている日本地図カレンダーが貼ってある。

いつでも、見える場所に地図を貼ることで、ニュースなどで、知らない地名が出てきたりしたら、すぐ調べるくせをつけてほしいという子供たちへの教育的効果を考えているのと、常に自分が現在いる場所(ポジション)を意識しておいて欲しいという象徴的な意味もこめているいるつもりだ。

実は、合併前に私が勤務していた会社が、日本地図のカレンダーを作っていた。(日本中の企業を対象にしたビジネスをしている会社だというアピールだったのだと思う)
縦長でコンパクトにまとまっていたので、以前は、毎年このカレンダーを貼っていたのだが、合併で旧来のそれぞれ会社のカレンダーは見直しになり、今や何の変哲もない名画カレンダーなってしまった。何か代わりになるものはないかと探していたら、ちょうど入れ替わるようにB社が日本地図カレンダー配り始めた。(東京から始まったB社もカレンダーを配り始めた頃から全国展開が本格化したような気がする)

これがなかなかの「スグレモノ」で、日本全図として日本全体が鳥瞰できることはもちろん、暦の方は、私が前回の記事でも話題にした二十四節気や月の満ち欠けがマークで記してるほか、時間と十二支、西暦・和暦・年齢の早見表があったり、最近では日本にある世界遺産が記されたりと盛りだくさんで、見ていて飽きない。

少し時間の余裕があると、これまで旅したルートを目でたどり、地図の上で旅を再現したり、まだ訪ねたことのない土地の地名を眺めては、いずれ旅してみようと思ったりするのが、ささやかな楽しみである。日本各地を、家族を連れて、旅したが、それでも、まだまだ未知の土地の方が多い。地図を眺めていると、日本の広さを改めて実感する。

10月も下旬になり、そろそろ、B社でも2007年のカレンダーを配り始める頃ではないだろうか。2007年版では、どんな情報が追加されるのかも楽しみである。

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2006年10月23日 (月)

『病気にならない生き方』読了後の食生活の変化

10月の上旬に『病気にならない生き方』を読んでから、妻の賛同と協力も得て、少し食生活を変えてみた。

①始めたこと
・朝、起きた後に、水(ミネラルウオーター)を500cc程度飲む
・ご飯を白米から雑穀入りに変えた
・煮豆(黒豆)を必ず食べるようにした
・蛋白源は、魚を多めに

②やめたこと
・牛乳、ヨーグルト、緑茶はいっさい飲食せず
・コーヒーも、特別な理由がなければ飲まない
・肉類も、なるべく少なくする

合わせて、食生活ではないが、平日の朝、
・6時頃から家の近所を10分ほど歩く、
・6時半からラジオ体操をする
の2つを始めた。

一度に生活を変えたので、何が要因になっているのか、よくわからないが、従来、便秘気味になることがよくあったのが、すっかり影を潜めてしまった。気のせいか、最近は食べたものの消化のスピードが以前より速くなっているように思う。ミラクル・エンザイムという酵素の原型のようなものが本当にあるのかどうかはわからないが、作者であるドクター新谷が勧める食生活は、私の体にはあっていたようだ。

食生活の変化の好影響は、継続中の減量にも現れてきていて、体重も昨日(22日)の朝の計量では、68.1kgまで減ってきた。68kg台前半のレベルに定着してきた感じなので、今月中には、一気に67kg台突入を目指したい。

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2006年10月15日 (日)

札幌の思い出(2)-単身赴任の食生活

札幌での1年間は、初めての単身赴任生活だった。

最大の問題は食事。定番メニュー程度であれば料理もできないわけではないので、基本的に毎晩自炊するつもりで、単身生活をスタートした。週末に、まとめてご飯を炊き、余ったものは、1食分ずつ専用の容器に入れて冷蔵庫で冷凍し、平日の夕食の際に解凍するようにしていた。

朝も、最初はベーコンと目玉焼き、コーヒーにトーストといった食事をして出勤していた。
夕食も最初は、食材を選んで調理していたが、だんだん面倒になる。1人分の量ぴったり作るのはなかなか難しい。たとえ、食事の量がうまく作れても、食材の方は余ってしまい、数日すると腐ってしまうので、食べる分より捨てる分の方が多くなることもあった。
そのうち、ご飯は冷凍食品の炒飯やピラフになり、おかずも冷凍食品、スープや味噌汁もお湯をかければ飲める袋入りのものに変わっていった。また、加工済みの袋入りのスパゲッティソースを狩ってきて麺だけ茹でることも多かった。
最後には、それも面倒になり、通勤の帰り道にあるセブンイレブンの弁当を買って帰ることも多くなった。朝も、カップ入りのヨーグルトに、ロールパンに牛乳程度の粗食になっていった。また、土日の朝は、雪が消えた初夏以降は、歩いて5分のところにマクドナルドにあったので、7時前には、朝マックを食べに行っていた。

最後は、随分粗食になってしまった感があるが、時には外食もしていた。徒歩圏に、マクドナルドの他に、ロイヤルホストと味の民藝、豚丼の店があり、たまに利用した。また、土日の昼は車で足を伸ばし、びっくりドンキーやヴィクトリアなどいうハンバーグレストランで、食事をしていた。今思えば、決して健康に良い食生活とはいえない。

料理をするプロセスを趣味として楽しめる人を除いては、単身赴任生活で自炊を続けるのは難しいというのが、私の1年間を総括した結論である。

情報として書いておくと、札幌でおいしかったのは寿司である。回転寿司でも、ネタが良いのでおいしい。家族が東京から来ると、寿司を食べに行きたがった。特に、子どもたちは、富山で5年すごしたため、やはりネタの良い富山の回転寿司を食べ慣れたせいで、東京の回転寿司はまずくて食べられないと言っており、富山にひけをとらない札幌の回転寿司に行きたがった。
また、札幌ならではのご当地料理がスープカレーである。さらさらのカレースープの中に、茹でたジャガイモやニンジン、チキン、ゆで卵などが、丸のままあるいは半切り程度の大きさで、添えてある。熱いカレースープを飲みながら、丸ごと野菜をかじりながら、ライスと一緒に食べる。寒冷地札幌だからこそ広まった、体を温める料理だと思った。

乱れた食生活をしていたせいもあり、雪が積もり始めると行動範囲が制約され運動不足になりがちなことも重なり、63kgで札幌に赴任した私は、半年で65kgまで太ってしまった。

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2006年10月14日 (土)

札幌の思い出(1)-長くて終わらない冬

2年前の今日、私は高校時代の同級生数人から送別会をしてもらっていた。仕事で、札幌への転勤が決まり、東京最後の夜だった。翌朝の羽田空港から飛行機で千歳に向かった。

その1年後の昨年の今日は、東京に戻ることがすでに決まっており、後任者との引き継ぎも終え、借り上げマンションに戻り、東京から手伝いに来てくれた妻と一緒に、1年間暮らした部屋を引き払うため、荷造りを始めたところであった。たった1年でも、荷物はそれなりにあり、家財道具のほとんどは、東京に持って帰っても置く場所もないので、後任者や職場の若手など、もらい手を探し、引き取ってもらうことした。15日は荷造りと掃除に明け暮れ、16日に千歳から東京に戻って来た。早いもので、あれから1年たってしまった。

札幌で、まず驚いたのは早く来て終わらない冬である。赴任後、取引先に挨拶回りをすると、異口同音に、これから寒くなるばかりで、悪い時に転勤してきたと言われる。まだ、秋も半ばではないかと思っていたが、10月末には札幌市内にも雪が降った。最初の雪は、数日で消えたが、11月半ばに降った雪は融けることなく根雪になり、長い冬が始まった。それからは、身の回りに常に雪のある生活である。雪が降らない日も、気温が低いので雪は融けない。

私が札幌にいた1年間で冬休み(年末・年始)、春休み、夏休みの3回家族を札幌に呼んだ。冬休みが雪の中なのは当然と思っていたが、春休みには春の気配が感じられるのだろうと考えていた。しかし、現実は全く違っていた。
札幌発で支笏湖、苫小牧、登別、洞爺湖・有珠山・昭和新山、羊蹄山麓の真狩(まっかり)村、余市のニッカ工場、小樽から札幌へ戻る2泊3日の小旅行をしたが、太平洋岸の苫小牧から登別にかけての海沿いこそ雪を見ずに走れたものの、ロープウェイで登った有珠山の上は雪に覆われていたし、内陸になる真狩は、まだ数十㎝から1m近い雪が残っていた。北海道の3月下旬から4月上旬はまだ冬なのだ。

結局、札幌の街中から完全に雪が融けてなくなったのは、ゴールデンウイークの頃だった。半年の冬があり、残る半年を、短い春と夏と短い秋で分け合っているのが、札幌の1年だった。

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2006年10月10日 (火)

冬物への衣替え

昨日までの3連休、金曜日の雨模様がうそののような秋晴れの3日間で行楽日和、運動会日和の3日間だった。
気象庁発表の東京の気象データを見ても、6日(金)が平均気温17.0℃(最高18.5℃)、平均湿度87%だったのに対し、3連休はいずれも平均気温で21℃前後(最高はいずれも25℃台)、平均湿度も7日51%、8日38%、9日42%と快適だった事がわかる。

我が家は、高校受験を控えた次女の学校説明会(7日)と模擬試験受験(8日)があり、特に遠出をするでもなく、家で3日間過ごした。

なんとなく、やらなくてはと思いながら先延ばしにしていた冬物への衣替えを行い、それを機会に、もう来年は着ないだろうと思われる夏物の衣類を処分、あわせて各部屋の大掃除をして、買い込んだ本のうち、もう読まないと思われる物を、3日で200冊くらいブックオフへ売りに行った。長男の部屋は、少々模様替えもして、家族全体で気分一新して、3人の子どもの進学に備える態勢を整えたというところだ。あとは、本人たちの頑張ってもらうしかない。

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2006年10月 8日 (日)

『病気にならない生き方』を読んで

昨日のTBSの『王様のブランチ』で紹介されていた『病気にならない生き方』(新谷弘実著、サンマーク出版)を読んだ。昨年7月に発行され、すでに120万部を超えるベストセラーになっているから、今頃、読んでいる私は少々時代に遅れているかも知れない。

著者の新谷弘実氏は、内視鏡による胃腸の診断、手術を専門とする医師で、日米で30万人の胃腸を見てきたという。内視鏡から見た胃腸の様子(胃相、腸相)を見れば、健康状態もわかると言い、これまで健康に良いとされてきた食品や食習慣が、胃相・腸相から見る限り、かえって胃や腸に負担をかけ、健康を損なっているものが多いとして、次のような事例を「間違った健康法」として、例示している。

・腸のために毎日ヨーグルトを食べるようにしている
・カルシウム不足にならないよう、毎日牛乳を飲んでいる
・果物は太りやすいので控え、ビタミンはサプリメントでとるようにしている
・太りすぎないよう、ごはんやパンなどの炭水化物はなるべく控えるようにしている
・高タンパク低カロリーの食事を心がけている
・水分はカテキンの豊富な日本茶でとるようにしている
・水道水は残留塩素を抜くため、必ず一度沸騰させてから飲んでいる
(『病気にならない生き方』27ページ)

著者の論点はいくつかあるが、私なりに咀嚼すれば、一番大切なことは、

○「人間の体の働きに重要な働きをするエンザイム(酵素)を無駄遣いしない」ということである。必要な酵素が不足すると体の機能が正しく働かず、体調がおかしくなる。そのため、酵素を消耗しないような生活習慣を身につけ、酵素を補うような食生活をすることが、太く長く生きる子方法としている。

○また、現代の医学・医療は、各臓器毎に専門化・細分化され、人間の体を全体として見ていないので、特定の臓器にいい効果があるとしても意味がない。その結果、特定の臓器に有益ということで、健康法・健康食品と言われているものがあるが、体全体で見れば、別のところに悪影響を及ぼしているものもある。

例えば、ヨーグルトについては、ヨーグルトを毎日食べている人に腸相のいい人はいないということを述べている。また、牛乳は、消化に悪く、牛乳の乳脂肪分は酸化して過酸化脂質となり、体に悪影響を及ぼすとしており、健康にいいとされてきた、牛乳・乳製品の摂取によってアレルギー体質になる可能性が高いことが明らかになっているという。

私は、ヨーグルトが好きで、ほぼ毎朝食べていたので、さすがに、これはショックだった。しかし、たしかに、ヨーグルトを常食しているわりには、便秘気味のところがあって、意識して食物繊維をとるようにしていた。

これまでの自分自身の食の経験の中で、なんとなく辻褄が合わないとおぼろげに思っていたことが、酵素(エンザイム)という一貫した視点で整理されていて、納得することの多い内容だった。これまで、いかに、胃や腸に悪い食事ばかりしてきたかと思うとゾッとする。

著者の勧める理想の食事は、植物性の食べ物(穀類・豆類・野菜・果物・海草類)を85%、動物性の食べ物(肉・魚)を15%である。
これから我が家の食生活を、少し食生活を変えて行こうと、妻と話している。

このブログを読まれた方にも、一読を勧めたい本である。

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2006年10月 6日 (金)

年齢の法則

10月に入って、ひとつ年をとり、46歳になった。

このブログでも、何回か紹介している『こころを癒すと、カラダが癒される』(チャック・スペザーノ&ジェニー・ティスハースト著、伊藤由紀子訳、株式会社ヴォイス)の中に「年齢の法則」という章がある。

チャック・スペザーノ博士のこころを癒すと、カラダが癒される

年齢の意味
 来るべき年に、あなたはどんなチャレンジに直面するのでしょうか。その年のあなたのプロセス全般に流れている力学的な法則は何でしょう。ある年齢で起きた出来事にはどんな意味があったのでしょうか。
 年齢は、その年の個人的なプロセスの手がかりを与えると同時に、過去に起きた出来事についても何らかの洞察を与えてくれます。あなたが、今人生のどの辺にいるのか、またその1年で癒さなければならない事柄は何なのかを示してくれる指標なのです。
(『こころを癒すと、カラダが癒される』146ページ)

年齢を表す数字にはそれぞれ、意味があるという。例えば、今の自分の年齢に関わるところを見てみると

[4]
4は慢性的な問題を癒しながら、人生に新しい土台を築く時という意味です。この年のチャレンジは障害を突き抜ける道を探し、人生を築く礎石としてそれを使うということです。
[5]
5は変容のシンボルです。人生に変容をもたらすチャンスがあり、新しい生き方を始める年です。この年のチャレンジは、変化に伴う独特の居心地の悪さにあります。変容とは、一度受け止めさえすれば、底抜けの楽しさとユーモアをもたらしてくれます。
[6]

6は成熟、ハート、そして感情的な勇気を表します。この年には、人々に自分自身を与えることに専念することが求められます。また、家族のダイナミックスや深い感情を扱う年であるかもしれません。この年のチャレンジは、深い感情や家族のテーマにはまってしまい、成熟することに対し消極的になることです。

40代は、いわば「人生の新たな土台を築く10年」ということになろう。「4」が重なる44歳では、自分の場合、単身赴任先で転倒して肩を骨折し、3週間入院するという大きな事件があった。
昨年10月、45歳で、東京に戻り新しい職場となり、まさに新しいチャレンジの1年だった。

そして46歳。たしかに、この1年で家族の境遇は大きく変化する。計算したわけではないのだが、3人の子供が3年毎に生まれたこともあり、今高3(長女)、中3(次女)、小6(長男)のそれぞれが、今の学校を卒業し、次のステップへ進むことになる。これから1年は、3人がなんとか自分なりの次のステージを見つけて、一歩踏み出し、その新しい環境に慣れてもらわなくてはならない。その過程で、父親の役目も求められると言うことだろう。

『こころを癒すと、カラダが癒される』という本は、特に根拠が示されず結論だけが書かれているので、時に「まゆつば」もののように感じることもあるのだが、不思議と自分のことについては、当たっていることも多く、何かあると開いて見ている。

「人々に自分自身を与えることに専念する」というほど大げさではないが、明日は、次女が志望する高校の説明会に付き合うことになっている。

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2006年9月27日 (水)

メンタルヘルス・マネジメント検定試験開始の意味を考える

先週土曜日、新宿紀伊国屋書店の本店に行った際、『メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキスト』(大阪商工会議所編、中央経済社)という本が目に入った。テキストは、Ⅰ種マスターコース、Ⅱ種ラインケアコース、Ⅲ種セルフケアコースの3種類に分かれている。

テキストを手にとってパラパラとめくってみると、職場での働く人の「心の健康管理(メンタルヘルス・マネジメント)」についての検定試験を、大阪商工会議所の主催で行うということらしい。
Ⅰ種は会社のメンタルヘルス対策を担当する人事部労務担当者・管理者や経営者向け、Ⅱ種は職場で部下を持つ管理職向け、Ⅲ種は自らのメンタルヘルスについて学ぶ一般社員・新入社員向けとのことで、とりあえず、Ⅱ種ラインケアコースのテキストを買ってきた。

これまであまりなじみがなかったので、改めて調べてみると、新しく開発された検定試験とのことで、今年(2006年)の10月8日(日)が第1回の試験らしい。(大阪商工会議所の検定の説明はこちら

「公式テキスト発行にあたって」と題したテキストのまえがきには、次のように書かれている。

産業界にとどまらず社会全体において、働く人たちの「心の健康管理(メンタルヘルス・マネジメント)」への関心が高まっています。成果主義の導入、人員削減による労働負担の増大など、労働者を取り巻く環境はストレスを増長しやすいものとなり、心の病による休職や離職、自殺の増加が深刻な社会問題となっているからです。心の病を予防するには、個々人が正しい知識を携えて自他のストレスに対処することがきわめて重要です。また、雇用する企業においても、社会的責任の履行、人的資源の活性化、労働生産性の維持・向上のためには、メンタルヘルス対策を適正に講じる必要があります。
(『メンタルヘルス・マネジメント検定試験公式テキストⅡ種ラインケアコース』大阪商工会議所編、中央経済社発行 ページⅰより)

商工会議所は経営者サイドの立場から、企業防衛的な視点で、この検定を企画したとは思うけれど、背景はどうあれ、半ば公的機関とも言える商工会議所の検定に職場での心のケアという問題が取り上げられたということは、大きな一歩ではないかと考えている。

私自身は、心の問題を一つのテーマとして昔から関心をもっていたし、自分が上司となって部下を持つ身になった時には、心の問題ということをいつも意識してきたつもりだ。
しかし、職場の上司や同僚で心の問題を真剣に考えている人はあまりいなかったように思う。
ノルマや成果主義に縛られる上司が、自分の部署の実績が思うように上がらないと、成績の悪い担当者を「なぜできないのだ」と罵倒したり、「契約が取れるまで帰ってくるな」的な圧力をかけることがあたり前のように行われる職場もあった。私には、仕事の名を借りた、職場における単なる「社会人いじめ」にしか見えなかった。

高度成長時代は、日本経済のパイ全体が拡大を続けていたので、サボっている営業担当者は叱り、気が弱く尻込みしている営業担当者は「尻を叩いて」営業活動を行わせ、顧客との接触頻度を増やせば、拡大するパイのどこかにかじりつけただろう。結果として実績が上がれば、上司は自分の指導の結果と満足し、叱られたり・尻を叩かれた担当者の側も、相応の評価をされれば、さほどストレスを溜めることもなかったのではないかと思う。

しかし、マイナス成長・低成長の時代となった現在では、ただ上司が叱咤激励、罵倒と尻叩きだけをしていても、増えないパイのどこかにかじりつける確率はきわめて低い。上司はますますイライラし、実績も上がらず罵倒されるだけの担当者は、ストレスが溜まる一方である。

問題はそれが、職場の中だけで完結しないことだ。職場でストレスを溜めた父・夫は、家庭に帰り、妻や子どもにイライラをぶつけ、ストレスを解消する。あるいは、子どもに自分のような思いはさせまいと、子どもの思いはそっちのけで、子どもの教育にエネルギーを注ぐ。結果、父や夫が溜め込んだストレスは、家庭で通じて妻や子どもに波及し、それが妻の精神の不安定や、子どもの学校でのいじめという形で、マイナスの連鎖として広がっているような気がして仕方がない。(『子育てハッピーアドバイス』の3冊の中にも、仕事でイライラしている父が、子どものことで妻を叱り、妻が子どもに対し「あなたのせいでお父さん叱られた」と怒るという事例が、悪い例として紹介されていた)

この検定試験が社会的に認知され、多くの企業の経営者、人事部、各職場の管理者に浸透していけば、上に述べたような社会全体に蔓延するマイナスのスパイラルの発生源が少しは減る方向に向かうのではないかと期待している。

10月の試験の申込は9月1日までだったようだ。第2回はⅡ種・Ⅲ種のみだが、来年3月の実施のようだ。秋に控える各種資格試験の受験が終わったら、Ⅱ種の受験を検討しようと考えている。

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2006年9月21日 (木)

テンプレート秋バージョン、世界遺産「五箇山の合掌造り」

19971102b_1 今日から、テンプレートを自作の秋バージョンに変更した。写真は、富山県の上平村(かみたいらむら)菅沼(すがぬま)集落の「合掌造り」である。お隣、岐阜県の白川郷、同じ富山県の平村(たいらむら)相倉(あいのくら)集落の三地区の合掌造り集落が、1995年12月に「白川郷、五箇山(ごかやま)の合掌造り集落」として世界遺産に登録された。(なお、五箇山の由来は、赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷というの5つの谷に集落があり、それを「五箇谷間」と言ったことから「五箇山」と変じたらしい。上平、平という地名が示す通り、平家の落人伝説もある)

私が転勤で、富山で暮らし始めたのが、ちょうど1995年の12月。写真は2年後の1997年の秋に、妻の母が富山を訪ねてきた際に、家族で五箇山を案内した時のもので、9年前ということになる。その後、近くに高速道路(東海北陸自動車道)が開通したので、周りはずいぶん変化しているかも知れない。

富山は四季折々に変化が、五感で感じられるところだった。2週間毎に、季節が変わっていく様が、自然の変化として目に見えたし、気温の変化として肌で感じられた。富山湾で取れる「ブリ」を筆頭にした季節の魚介類、加賀百万石を支えた砺波平野の米(コシヒカリ)、呉羽の梨などが「食」として、季節を感じさせてくれた。

合掌造りは、雪に埋もれる冬が絵になるが、山あいの紅葉を背景にした姿も、なかなか、美しいものである。富山を未体験の方は、ぜひ一度訪ねられることを、お勧めしたい。

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2006年9月16日 (土)

小さな旅「深大寺(調布市)探訪」

深大寺(じんだいじ)に行ってきた。我が家から車で40分ほど、JR中央線の三鷹恵駅を過ぎ、南に下る。調布市の一角に、武蔵野の面影を残す、深大寺と都立神代植物園がある。深大寺は、奈良時代に創建されたとのことで、都内では、浅草の浅草寺に次いで古いお寺とのことであった。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:「深大寺」の説明はこちら

お寺があって参拝者があれば、「門前市をなす」のは世の習いで、うっそう茂る木々の緑と小川のせせらぎにそって、蕎麦屋・団子屋などが軒を連ねていた。
寺や神社が持つ聖地としての独特の雰囲気と、何百年もの間、そこにそうして店が営まれてきたのであろうという時間に積み重ねの重みのようなものが、日々の喧噪から隔離された非日常の世界を感じさせてくれた。

そもそも、深大寺を訪ねようと思ったのは、門前の蕎麦屋の中に、我が家の長男と同じ名前の店があり、奇しくも蕎麦やそうめんが好きな小6の長男から、一度連れて行ってくれとせがまれていたのだ。私も、寺や神社を巡るのは嫌いではないので、双方の利害が一致し、小さな旅となったわけだ。お目当ての蕎麦屋は、昼時は待つ人で店の外まで行列ができるほどの繁盛ぶりで、20分ほど並んでようやく、私と妻、長男の3人の席が確保できた。私が注文した店の名前を冠した盛りそばは、通常の盛りそばよりそば粉が多いとのことで、こしがあり、なかなかの味だった。

東京にも、探せば、小さな非日常の世界を感じさせてくれる所は、他にもあるのであろう。そのような場所をさがしての、武蔵野の小さな旅も悪くないなと思った、深大寺探訪だった。

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2006年9月12日 (火)

香山リカ女史が語る「偶然の出会い」のとらえ方

香山リカ著『14歳の心理学』(中経の文庫、中経出版)を読んだ。サラリーマン向けのビジネス書などでなじみがある中経出版が文庫に進出し、最初に世に送り出した10冊のうちの1冊である。

14歳の心理学 (中経の文庫)

著者は、以前も書いた通り「我らの世代論~すべては努力と実力次第?」4月9日・記、自分と同じ1960年生まれということで親近感もあり、また精神医学の先生で、河合隼雄とは違った切り口で心(こころ)の問題を扱っているので、著作は何冊か読んでいる。
生意気にも読者として注文をつけるとすれば、個々の評論にはなかなか切れ味鋭いものがあるのに、1冊の本としてまとめられたものを読むと、「結局何を一番訴えたかたのかな~?」と論旨がハッキリしないような感じを受けることがあるのが残念だというところぐらいだ。

今回は、益田リミさんの4コママンガを要所要所にちりばめて、お父さん向けの「子(思春期の娘)育てハッピーアドバイス」を狙っているなと思われる作りだ。
内容は、『子育てハッピーアドバイス』ほど、ソフトな感じはなく、特に第4章の”「生きづらさととなりあわせで心を襲う”と第5章の”子の「現実感」をもっと深く知る」の2章は、若者を襲う離人症(生きている現実感を感じられない)ことから起きている自殺や事件を取り上げていて、ここまで来てしまったら救いようがあるのだろうかと暗澹たる気持ちになる。

暗澹たる気持ちになったお父さんへは、(おそらく、そこまでひどくなる前に)「娘を信じ、ひとりの人間として尊重する」「娘とうまくやりたければ、まず妻とコミュニケーションを(とること)」という処方箋が書かれている。

私が、一番なるほどと思ったのは、第3章で、「偶然の出会い」というものについて語った部分だ。10年くらい前の北欧でのフェリーの沈没事故の際、ある男女が「生きて帰れたら結婚しよう」と約束し、二人とも救出され、相手の消息を調べ、結婚に至った話を紹介した後で、次のように説明している。

偶然の出会いを経験しやすい体質って、たしかにあるのでしょう。
 では、どうすれば偶然出会いを起こしやすくなるのか。先ほどお話ししたフェリー事故の場合、後から研究者が分析したところによると、命が助かるかどうかの分かれ目は 「集中力」と「パニックの起こしにくさ」だったそうです。「船が座礁したぞ!」と聞いて、(中略)「座礁といっても沈没までにかなり時間があるぞ。その間になるべく逃げやすい出口を探して、救命胴衣を着けて…」と冷静に集中して考えることができた人は、命が助かった。「結婚しよう!」と叫び、その後、助かったふたりも、おそらく飛び抜けて集中力があり、すぐにパニックにならない冷静さをもっていたのでしょう。だからこそ、精神が研ぎ澄まされてた状態で、「この人こそ、生涯のパートナーだ!」と出会いまでキャッチすることもできたのです。
(中略)
 つまり、出会いは「あーあ、どこかにステキな出会い、ないかなぁ」と思っているうちは、なかなか訪れない。(中略)「なんとか沈没する船から助かりたい!」と(中略)強い決意を持ち、その目的のために集中して考えたり動いたりしていると、思わぬ出会いが飛び込んでくるものなのです。飛び込んでくるというよりは、精神の集中によってセンサーの感度が上がっているので、自分で「この人は大切だ!」と出会いがよくみえてくる、というほうが正確かもしれませんが。
(中略)
出会いは求めるものではなく、気づくもの。そして、そのために必要なのは、出会い以外の何かを求める集中力とエネルギーです。
(香山リカ著『14歳の心理学』中経の文庫、101~104ページ)

しばらく前に書いた「気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態」(8月24日・記)の中で取り上げた河合長官の「深い必然性をもったものほど、一見偶然に見える」との命題の答えを、香山リカ女史は教えてくれたような気がする。
あることに集中し、精神の感度が上がっている時は、普通なら見過ごしてしまう出会いに活性化された潜在意識が反応し、自分でも選択したという自覚がないうちに、人生における大きな選択をしているのだろう。そう考えると、納得がいく。

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2006年9月 8日 (金)

90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

河合隼雄著『縦糸横糸』(新潮文庫)を読み終わる。1996年5月から2003年5月まで、月1回産経新聞大阪版に連載されたコラム72回分をまとめて本のしたもので、単行本は2003年7月に発行され、この9月に新潮文庫に加わった。

縦糸横糸 (新潮文庫)

その時々の世間での出来事をテーマに河合隼雄が持論を語っている。振り返って見れば、90年代後半からこの本がまとめられた2003年までは、日本経済の長引く不振で、日本社会全体が暗くすさんでいた時期でもあり、バブル崩壊後の失われた10年(15年)の社会史にもなっている。72話の多くが、小学生や中学生といった少年・少女が起こした事件をテーマにしている。

しかし、河合氏は常に、事件の背景にある真の原因を探ろうとする。それは、子供を暴発に追い詰める、家庭であり、社会であり、それらの構成員である大人一人ひとりである。大人自身が、自分十分見つめておらず、自分に自信がもてていない。信頼できる人間関係が築けない。家庭が、憩いの場とならない。それが、子供を追い詰めている。

そんな大人の姿を描いた一節がある。『「今、ここ」の自分への不満』とサブタイトルがついたコラムで、関西の私鉄で混雑時の社内での携帯電話の電源を切るように呼びかけ始めたことを取りあげたものだ。

いつどこから電波という風が吹いてくるかわからないのを、いつも待ち受けている姿勢で、何かにほんとうに集中できるはずがない。というよりは、何かに集中するのが怖いので、それを避けるために常に外からのはたらきかけを気にしている、というのが現代人の姿ではないだろうか。
 外からのはたらきかけを待つというと何かに心を配っているようだがさにあらず、ひとたび携帯のベルが鳴ると周囲を全く無視して話しはじめる。他人の迷惑などお構いなしである。そこには極端な自己中心性が認められる。
◆空しい枝の絡み合い
 常に外とのつながりを求め自己中心的である姿は、自己に深く沈潜することによって他とのつながりを見出してゆく姿とはまったくの対極をなしている。現代人の特徴としての人間関係の希薄さ、まずさは、その根本に自分の内面とのつながりの無さということにある。(中略)自分の内界と切れてしまっているので、何とかして外とのつながりによってそれを補償しようとするのである。
 このような姿は、たとえてみると、根から切れた沢山の木が、お互いに枝を絡み合わせることによって、やっと立っているのに似ている。辛うじて倒れずに居るが、やがてはかれてしまうことだろう。この空しい枝の絡み合いをネットワークなどと呼んでいるのである。
 (中略)携帯電話禁止週間などというものがあったりすると、もう少し人間が自分の内面もこめて、互いに向き合うことをするようになるだろう。
(河合隼雄著『縦糸横糸』新潮文庫、243~244ページ)

時々、こうしてブログを書いていると、妻から「ブログばかり書いて、私や子供たちのことはほったらかし」と怒られる。根のない木にはなっていないつもりだけれど、そう言われれば、ブログに向かう時間が増えた分、家族と向き合う時間は減っているかも知れない。うまくバランスを取ることを考えなくてはいけないと少々反省している。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 4日 (月)

教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』

高校3年生の長女が先週末『子育てハッピーアドバイス』『子育てハッピーアドバイス2』(いずれも、明橋大二著、イラスト太田知子、1万年堂出版)の2冊を学校の図書館から借りてきた。「おもしろそうだし、イラストが可愛かったから…」との長女の弁。

子育てハッピーアドバイス

子育てハッピーアドバイス 2

著者の明橋大二さんは、1959年生まれの精神科医で、スクールカウンセラーもやっている。子育てに悩む若い母親向けに、明橋先生の語りを太田さんの可愛いイラスト・マンガを交えて伝える。1冊1時間もあれば、読めてしまう。

しかし、内容は濃い。2冊を通じて、明橋先生が強調するのは、子供の自分に対する信頼感(自己評価)を高めること。幼い時に、親がしっかり子供の甘えを受け止め、話を良く聞いてあげて、子供の自己評価・自己肯定感が育ってこそ、「しつけ」も、「勉強」も身につくと説いている。親が何をやれば子供の自己評価が高まり、何をやれば自己評価を低めることになるのか、日常によくあるケースがいくつも取り上げられている。親がよかれと思ってやっていることが、逆効果というケースがなんと多いことか。自分でも、反省させられることが多かった。
また、子育ての責任が母親ひとりに集中しがちで、母親自身に余裕がなくなっているケースが多いので、父親や周りの人々が母親をサポートすることも重要と強調している。

折しも、我が家では、夏休み明けの妻が、中3の次女の成績が伸びない、小6の長男はちっとも言うことを聞かないということで、「自分の子育てが間違っていたのではないか?」と真剣に悩み始め、私が「そんなことはない」となだめても全く効果がなく「中年クライシス」状態だった。家族全員で、この2冊を読んで「これってウチでもあるよね」とみんなで納得している。妻も、自分が客観視できて、少しは楽になったのではないかと思う。

きちんとしつけなきゃならない、と思って、子育てが負担になり、イライラしていると思ったら、いったん、しつけなんて、もうヤ~タと放棄して、肩の荷を下ろして、深呼吸してください。

そのほうが、よほど子供の将来のためにいい、ということもあるのです。
(明橋大二著『子育てハッピーアドバイス』1万年堂出版、116ページ)

この本は、今子育てに悪戦苦闘する若い親とっては、子育てのバイブルになるだろう。すでに子供が大きくなった私のような中年世代の親にも、自分の子育てを振り返り見直し、やり残したことがあれば、今からでもできることは試した方が、より良い親子関係作れるかも知れないという点で必読書だと思う。

*『子育てハッピーアドバイス』関連記事
9月4日:教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』
9月10日:『子育てハッピーアドバイス3』発売

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2006年8月18日 (金)

「しなやか×しぶとさ=したたか」

今日のタイトル「しなやか×しぶとさ=したたか」というフレーズは、岩波ジュニア新書の『働くって何だ 30のアドバイス 』(森清著)の冒頭にある作者の言葉だ。

若い人たちには、どのような時代にあっても細い竹のようにしなやかに、踏みつけられても頭をもたげる雑草のようにしぶとく働き、生きていってほしい。私は、普通に暮らす生活者として「しなやか×しぶとさ=したたか」であることをひとつの大切な生き方とひそかに考えている。(『働くって何だ』より)

6月末から7月初めにかけて、以前紹介した『光武帝』など10冊近いの本をまとめて買って積ん読になっていたものを、順次、読んでいる。この本も、その時、冒頭にこのフレーズを読んで、即、買ったような気がする。

本の内容は、すでに70歳を超える著者が、中学・高校生向けに、働くことの意味や、働き方を自分の経験を交えた30の話で説明するもので、中学・高校に通う2人の娘に読ませたい内容だ。

「したたか」という言葉は、私もひそかに自分の生活の信条にしてきた。ブログのタイトルの一つに栄枯盛衰を持ってきたように、長い人生「いいこと」づくめという訳にはいかない。どこかで、必ず失敗やつまづきがある。でも、それにおめおめと負けたくはない。転んでもただでは起きるものか、必ず何か自分にプラスになるものをつかんで、起き上がろうと思ってきた。それをひと言でいえば、「したたか」という言葉だった。

一方、妻は、「不幸は弱いところを狙ってやって来る。だから、うまく行かない、調子が悪いといって弱気になっていると、ますます不幸の神様に狙われて、不幸が続くことになるから、そんな時こそ、元気を出さなくてはいけない」という意味のことをよく口にする。これなど、「しぶとさ」の典型のような気がする。

「しなやかさ」とはあまり縁がない気がするが、なんとか「しぶとさ」と「したたかさ」をモットーに3人の子供の子育てに、悪戦苦闘している毎日である。

働くって何だ―30のアドバイス (岩波ジュニア新書)

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2006年8月13日 (日)

映画『ゲド戦記』を見て

映画『ゲド戦記』を見た。

今日、午後、中3の次女と一緒に2駅となりのシネマコンプレックスに見に行く。館内は、お盆休みの日曜日ということもあって、かなりの人。しかし、映画館側も、大きな映写室で上映しており、席にも十分余裕があり、予定通りの時間に見ることができた。

いろいろなブログで、この映画についての様々な感想が書かれており、中には酷評といえるものもあるのだが、非常に「良くできた映画」というのが私の感想である。

確かに、この映画は原作者ル・グインの『ゲド戦記』と同じではない。
あるブログに作者ル・グインが次のように語ったと書かれている。

「It is not my book. It is your film. It is a good film.」
(ブログ「すべて世はこともなし」2006/8/9「ゲド 戦いのはじまり」より)

原作者ル・グイン女史が、好意的ニュアンスで語ったのか、否定的なニュアンスで語ったのかは、知りようがないが、「これは私の書いた話とは違う」という趣旨は間違いないだろう。

原作6冊を読み通した上で映画を見れば、それはよくわかる。話のベースは、第3巻の『さいはての島へ』になっているが、この映画の主人公ともいえるアレンが、自分の影におびえ逃げる姿は、第1巻の『影との戦い』で描かれる若い頃のハイタカ(ゲド)の姿と重なるし、映画の重要な登場人物であるテナーとテルーと農場は、第4巻の『帰還』で主な舞台となるものだ。また、ハイタカとテナーの微妙な関係も第2巻の『こわれた腕輪』の経緯が背景になければ、たしかにわかりにくい。また、作品の舞台となるアースシーの世界のハブナー島を中心にした東西南北の広がりも、映画では捨象されている。

それでも、私はこの映画は素晴らしいと思う。この映画は、ル・グインの『ゲド戦記』を、宮崎吾朗という監督が、自分なりに理解し、その自分なりの理解を、絵にし、言葉にし、音楽にしたものだと思う。

彼の主張は、ひとことで言えば「生きるとはどういうことか?」ということであり、それを回りくどい技巧は凝らさずに、ストレートにぶつけてきている。それは、宮崎吾朗監督が、封切り前のインタビューで語っていること、そのままである。それは登場人物のひと言、ひと言として現れている。「語りの映画」と言えるかもしれない。

中3の次女は、「よくわからないところもあったけれど、心うつものがあった」と最後には、うっすら涙を浮かべていた。登場人物のひと言が、そしてテルーの歌う歌のあるフレーズが心のどこかにひっかかっていて、何となく気になる。そして、もう一度見て、その気になるところを確かめたい、そんな気にさせる映画だと思う。

原作を読まないで見た方には、原作6冊を読むことを勧めたい。今、原作を読んでいて、まだ映画を見ていない人は、原作を全て読み通してから、映画を見た方がいいだろう。原作を途中まで読みかけで、映画を見るのだけはやめた方がいい。どちらも、中途半端になってしまうだろう。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ

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2006年8月 8日 (火)

北軽井沢と軽井沢

6日(日)の朝から今日まで、2泊3日で北軽井沢に行ってきた。今年は、我が家も受験生2人なので、ささやかな気分転換といったところだ。浅間山麓の高原といったところで、気温も都心よりも数度低く、過ごしやすく文字通り「避暑地」とはこういうところを言うのだろうと実感した。

これまで、仕事で何回か転勤し、観光地と言われるところにはずいぶん行ったが、「軽井沢」と名の付くところには、一度も足を踏み入れたことがなかった。今回、たまたま行くことになったのだが、「北軽井沢」と聞いて、軽井沢地域の北部くらいにしか考えていなかったが、全く間違っていた。

新幹線の駅もある、いわゆる「軽井沢」は、長野県北佐久郡軽井沢町。江戸時代は、江戸から参勤交代や善光寺参りの旅人が碓氷峠を越えたところで、疲れを癒す中山道の峠の宿場町であった。現在のように別荘地として有名になったのは、明示19(1886)年にカナダ生まれのイギリス人宣教師A・C・ショーが、避暑地として好適であるとして内外に紹介したことがきっかけのようだ。(参考資料:軽井沢町ホームページまちのあゆみ「軽井沢町の誕生と発展」「軽井沢町のあゆみ」)
軽井沢町には、軽井沢と中軽井沢という地名はあるが、旧軽井沢や新軽井沢というのは通称のようだ。

一方、我々が泊まった北軽井沢は長野県と境を接する群馬県吾妻郡長野原町にある。中軽井沢から、国道146号線を車で30分ほど北上し、峠越えをした山の向こうが北軽井沢だった。
長野県の軽井沢町も軽井沢や中軽井沢という地名は、鉄道の沿線部が中心で、町の北部は「長倉」という地名である。そこを過ぎて峠を越えた山の向こうが北軽井沢なのだ。なぜ、軽井沢の中で、北軽井沢だけが群馬県なのか?いつから、北軽井沢と言っているのか?
北軽井沢がある長野原町のホームページの「長野原町について」の中の”長野原町の歴史”を見ると、その答えらしきものがあった。

昭和62年1月大字名変更により「大字北軽井沢」が誕生

正式は地名としての「北軽井沢」の登場は、このときなのだろう。思い起こせば、おりしも、日本がバブル経済の入り口に差し掛かった頃である。一時は、開発ブームに沸いただろう。
さて、現在はどうなのだろうか?私が昨年までいた北海道などは、全道で人口500万人の地域に、どう需要予測をしたら採算が成り立つのかというような乱開発の残骸が点在し見る影もなかった。さすがに、北軽井沢は、東京に近い分、バブル崩壊の影響は北海道ほどではないが、バブル絶頂期に比べれば、ずいぶん人の入り込みは減っているのではないだろうか?

たった3日間だけの印象論なので、あまりあてにはならないが、機会があれば、もう少し調べてみたい。

追記:この記事の地名「北軽井沢」の由来については、記述が不十分でした。
8月16日の記事: 「北軽井沢」ついての追記 をご覧下さい。

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2006年8月 4日 (金)

車の名義変更のための夏休み

今週も、週末を迎えた。来週1週間は、私も夏期休暇で、ひと休みである。とはいえ、前半は家族を連れ、北軽井沢のキャンプ場のキャビンに2泊の小旅行。あとは、我が家で、資格試験の勉強と、日頃、出来ない雑用をかたづけなくてはならない。

今の車は、もう7年めになる。新車購入の時、5年のカーリースを組み、リース期間満了とともに残価を精算し、買い取った。個人の月々のキャシュフローからすれば、オートローンも、割賦も、カーリースも大差はないのだが、権利関係はそれぞれだ。カーリースだと、車の所有者はあくまでも、リース会社。買い取ったところで、自分の名義に変更しなくてはならない。

今の車は、買ったのは富山勤務時代。その後、東京に戻り、リース期間が満了したものだ。本来は、東京に戻ったところで住所の変更を行い(ナンバープレートが変わる)、買い取り時点で名義変更をしなくてはならないのだが、手間がかかりそうで先延ばしにしているうちに、北海道に単身赴任となった。住民票を移さない単身赴任で、車もそのまま持って行ったので、何もできなくなってしまった。

リース会社からも何回か催促され、北海道にいた時は、やりたくてもやれなかったが、先日、再度催促があり、さすがにきちんとしないわけにはいかなくなった。

よくよく調べると、①現在の住所の所轄の警察署で車庫証明をもらい、②購入時からの住所変更の履歴がわかる住民票等を揃えて、③管轄の運輸支局に車を持って行き、住所変更と名義変更の手続きをやるということらしい。

今まで無精をしていたツケを払わざるを得なくなった訳だ。私の場合、更に面倒なのは、富山から東京に戻った時に、一度、豊島区の社宅に入り、その後、1年弱で今の家を買い移ったので、今の住所の住民票だけでは、富山からの履歴がたどれない。豊島区か、富
山市からも書類を取る必要がある。

どうも、1週間の休みの後半の数日間で、全部すませるのは無理なようで、①と②を終え、③の運輸支局での住所変更、名義変更には、別途、もう1日休みを取る必要がありそうだ。

たびたび住所が変わりそうな時に、車を買なら、カーリースはやめた方がいいというのが、ささやかな教訓ということになろうか。

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2006年7月30日 (日)

人生の四季 、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

先日から読んでいた『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)の原題は”THE SEASONS OF MEN`S LIFE”で、日本で最初に出版された時は、「人生の四季」というタイトルだったそうだ。文庫化する際、改題したそうだ。前のタイトルだと、老人の回顧録のようにも聞こえる。

その『ライフサイクルの心理学』の下巻を、昨日ようやく読み終わった。1970年前後の米国の4つの職業(生物学者、小説家、企業の管理職、労働者)の40代の男性10人ずつ計40人のそれまでの人生を丹念に面接調査で聞き出し、そこに共通にサイクルを見いだし、仮説を提示している。

本書の本来のテーマ自体は、まさに、このブログのテーマそのもので、じっくり、数回に分けて書きたいと思うが、この本の最後の方で書かれていた事が、印象的だったので、まずそれを書きたい。

「原始の時代からの長い人類の歴史の中で見れば、家庭というものは、狩猟が中心の時代に、次の世代が自ら狩猟に出て獲物を得て、自活できるようになるまで期間、最も効率的に次の世代を育てるためのシステムであった。20才前後に成人し、自ら生活できるようになるまでが、子育ての期間である。原始の時代には、病気、飢え等で、成人までに亡くなるものもいる。親の世代も、子供が巣立っていく40才の頃には既に衰え、死んでいく者も多かった。
40才以降の中年の時期を、人間が生きるようになったのは、歴史的に見れば、ごく最近の事なので、中年以降のうまい過ごし方は、まだ確立されていないし、それは、更に1000年~2000年という単位でしか、根付いていかないのではないか。」というような趣旨の事が書いてあった。
河合隼雄氏の『対話する人間』にも、似たような話があったが、あの時は、日本の戦国時代が人生50年という話であった。今回は、一気に遡って何十万年という単位の話である。

そう考えれば、我々個々人が悩むのも当然だし、ここで考えた何がしかが、次世代へ引き継がれ、1000年~2000年先の人間の生き方に多少でも役に立てば、それも悪くないかなと思ったりした。

*追記(2006年11月23日)
タイトルを当初の「人生の四季」から「人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月24日 (月)

「うつ」の話

NHKで「女性のうつ」についての番組があった。

育児による「うつ」、働き過ぎのよる「うつ」、妻の「うつ」を何とか支えようとするうち夫も「うつ」になってしまったケースも取り上げられていた。

今、読んでいる『ライフサイクルの心理学』では、年齢に応じて、それぞれの時期に解決しなければならない課題、身につけておかなければならない課題があって、それがタイミングに応じて、上手くクリアされていかないと、一見、順調に行っているように見えても、数年後には破綻をきたし、結局は、未解決の課題を解決することを迫られた例がいくつも出てくる。そのためには、自分の行動や考え方を修正し、生き方を変えていかなければならないが、簡単ではない。

「うつ」の場合も、「性格が几帳面で真面目な人がなりやすい」という一般論よりも、それぞれの個々人が、その時期に解決すべき課題をクリアしないままに、それに気がつかずに、次に進もうとしたことで、「潜在意識」の方が、それに対して「NO」という答えを突きつけたのが、「うつ」と考えることもできるのではないかという気がした。

『ライフサイクルの心理学』はようやく、上巻が読み終わったところで、下巻がいよいよ本論の40~45才の「中年への過渡期」「人生半ばの過渡期」の解説である。読み終わったところで、エッセンスだけでも紹介したい。

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2006年7月21日 (金)

夏休みなのに集中豪雨

今日から、小6の長男と中3の次女は夏休み。しかし、日本各地で降り続く梅雨末期の集中豪雨で、各地に被害が続出しているし、東京も長雨が続き、夏休み気分にもなれない。

先週の猛暑の時には、半袖ノーネクタイで出勤していたが、気温が下がり雨ということもあって、今週は久しぶりに長袖のワイシャツを着て上着も着ての出勤だった。

「集中豪雨」という言葉を『NHK気象・災害ハンドブック』(NHK放送文化研究所編、NHK出版)で調べて見ると、その由来について書いてあった。

集中豪雨ということばが初めて使われたのは、1953年8月15日の朝日新聞夕刊(大阪本社版)とされている。「集中豪雨 木津川上流に」という見出しで、本文にも「(前略)激しい雷と豪雨を伴って木津川上流に集中豪雨を降らせ」とある。集中豪雨という表現が現象を的確に表現していたため、マスコミ用語からしだいに気象用語としても定着するようになった。(『NHK気象・災害ハンドブック』39ページ)

新聞で、天竜川の堤防が決壊し、アスファルト道路を押し流し、送電線の鉄塔の土台のすぐ近くまで迫っている写真などを見ると、自然の猛威の恐ろしさを感じずにはいられない。

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2006年7月19日 (水)

本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』

5月の初めに、このブログで、『働くひとのためのキャリア・デザイン』(金井壽宏著、PHP新書)の紹介をしたが、その中で、取り上げられ、大きく影響を与えたと思われる著作が『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)である。

読みたいと思っていろいろな書店に行くたびに探していたのだが、ほとんど書店に在庫がなく、唯一、新宿の紀伊国屋本店だけ、上下2冊組の上巻だけ置いてあった。しかし、新刊コーナーにあるものの本自体が汚かったし、上下揃わなければ意味がないと、その時は買わずじまいだった。

その後も、見つからないので、半ばあきらめていたところ、6月下旬に掘り出し物が見つかる白金高輪の古書店に寄った時に、ひょっとしたらと探したところ、若干、ページが折られたりしているところはあるものの、新刊並に状態の良い上下2冊組を発見。価格も新刊で買えば上下2冊で2100円のところ、1102円とほぼ半額の値付けに、文句はなく、即購入した。
その時点で、少し読みかけたが、その後「ゲド戦記」シリーズを買って読み始めたので、「ゲド戦記」が終わるまで、小休止していたが、ほぼ1ヵ月ぶりに読み始めた。

読み物というよりは、心理学の報告書のような内容で、1968年から1971年にかけて米国エール大学で、当時40代の男性40人への面接調査をもとにして書かれたもので、人の成長は、少年期から青年期で終わるのではなく、成人して以降も、いくつかの節目を経ながら、成長が続いているという仮説を提示したものだ。
中でも、17才から45才までを大きく成人前期、40才から65才までを中年期とし、両方が重なる40才から45才までを中年期への過渡期ととらえ、17才から22才までの成人への過渡期と並んで、人生の転換期ととらえている。
現在では、生涯発達心理学という分野として研究が進められおり、本書自身は既に、この分野の古典とも呼べる存在のようだ。

久々に、ブログのテーマに沿った本格的な著作に挑戦だ。聞きかじり、読みかじりの自分にどこまで、解き明かせるかわからないが、自ら生きて来た45年とも照らしあわせながら読み、良い表現やフレーズがあれば、おいおい紹介していきたい。

年齢的には、そろそろ、中年期への過渡期が終わり、安定した中年期を迎えてもいい頃なのだが、相変わらず、のたうち回っているような気がする。著者レビンソンによれば、各期の始まりや終わりは、標準で示されたものに対して、前後2年程度の違いはあるようなので、まだ、しばらくのたうち回るのかもしれない。

*追記(2006年8月30日)
タイトルを当初の「本格派に挑戦」から「本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月17日 (月)

3人で過ごした1日半

我が家は5人家族で、いつもは誰彼となく喋っていて、にぎやかと言えばにぎやかだし、落ち着きがないと言えば、落ち着きがない。

ところが、昨日の朝から今日の夕方まで、家にいる家族が3人に減ったせいで、いつもとは違う静かなたたずまいだった。
小6の長男が、通っている剣道の道場の合宿で土曜日から泊まりがけで出かけているのに加え、妻も昨日から1泊2日で外出していて、家には私と高3、中3の娘2人の3人が残った。

まず、長男がいないと、TVを見る時間が極端に減り、リビングの雑音がなくなる。また、長男が家の手伝いをしないと言って怒っている次女が静かになる。また、我が家では結構、妻がダジャレなどを言って、家族を笑わせたりしているのだが、その声も聞こえない。せいぜい、朝寝坊の娘2人を早く目が覚めてしまう父が「起きなさい!」という程度で、長女が「2人いないと本当に静かだね」としみじみと語っていた。

家族の中でも、知らず知らずのうちに、役割分担のようなものができあがっているのだろう。私が単身赴任していた1年間の我が家の雰囲気は、どうだったのだろう。自分では確かめようがないが、気になるところではある。

子ども達が巣立っていけば、これが、今度は私と妻の夫婦2人の生活になる。ゲド戦記の第4巻『帰還』でのケドとテナーのような生活であろうか?そんなことを、ふと考えた1日半だった。

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2006年7月16日 (日)

ゲド戦記別巻『ゲド戦記外伝』

ゲド戦記の別巻『ゲド戦記外伝』を、今日、ようやく読み終わった。

この別巻は、外伝というタイトルが示す通り、第1巻『影との戦い』から第5巻『アースシーの風』までのメイン・ストーリーに対して、アースシーの世界の過去から第5巻の直前の現在までを舞台にした5つのサブ・ストーリーと著者自身によるアースシー解説からなっている。

サブ・ストーリーとはいうものの、第1話の『カワウソ』は、ゲドが学んだロークの魔法学院がいかにして作られたのかが語られているし、第3話の『地の骨』はケドの故郷ゴント島での師であったオジオンがいかにして大地震を防いだのか、その真実を伝えている。第5話の『トンボ』は、ゲドが去った後のロークの魔法学院(女人禁制)に、自分が何者かを確かめるために、男装して入ろうとした女性の話であるが、このトンボと呼ばれる女性は、第5巻の『アースシーの風』で重要な役割を果たす。
米国で発表された際には、第5巻の前に、この別巻が発表されたようで、むしろ第4巻『帰還』までに細かく語られなかった部分を語り、第5巻につなぐ位置づけにあり、これから読む人は、この別巻を読んでから、第5巻『アースシーの風』を読んだ方が、より楽しめるだろう。

第1巻『影との戦い』を読み始めて、ほぼ1ヵ月。ようやく読み終わった。第5巻が終わったところでも書いたが、一度通読しただけでは、まだとても全体像がつかめた気がしない。あと2回くらい、読み通して始めてわかるような気がする。

スタジオジブリの映画の公開が間近に迫ったこともあり、ゲド戦記シリーズの解説本も出ているようだ。そういうものも、参考にしながら、作者の書こうとしたものについて考えることにしたい。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』(本編)
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年7月 9日 (日)

ゲド戦記第5巻『アースシーの風』

ゲド戦記第5巻『アースシーの風』を昨日読み終わった。

第4巻『帰還』で、魔術師としての力を失ったケドは故郷のゴント島に戻り、第2巻『こわれた腕環』でカルガド帝国の墓所から救い出したテナーと結婚し、テナーが引き取って育てている娘テルーとともに、ゲドの恩師であるオジオンの家で暮らし始める。第4巻では、最後に、ゲドとテナーの危機をテルーが救うことになる。

『アースシーの風』では、『帰還』からさらに年月がたち、老年となったゲドのところに、ハンノキという男のまじない師が訪ねて来るところから始まる。テナーとテルーは、第3巻『さいはての島へ』で、ゲドと生死をともにした後、王となったレバンネン(アレン)から呼ばれ王の住むハブナー島へ出かけている。
ハンノキは、死に別れた妻ユリに呼ばれて夢の中で、黄泉の国の石垣を乗り越えてあちらの世界に行きそうになる。どうしたら、夢を見なくなるか、ゲドに尋ねに来たのだ。ゲドは、動物を飼い自分の近くに置けば、夢を見なくなるかもしれないと考え、ハンノキに一匹の子猫をもらってやる。しかし、自分のところでは、これ以上なにもしてやれないと、レバンネン王の手紙を託け、ハブナーに行くように勧める。

一方、ハブナーでは、レバンネン王が西の海で竜が暴れ出したことに心を痛め、その対策を考えるための相談相手として、テナーとテルー(テヌハー)を呼んでいたのだ。そこに、和平交渉していたカルガド帝国から、使節団がやって来て、カルガドの王女を王妃とすることが和平の条件と言い残し、王女を置いて国に戻ってしまう。王女は、ハブナーの言葉が全くわからず、レバンネン王はカルガドに対し怒りと憎しみさえ抱く。さらに、西方で暴れていた竜がハブナー島の西岸にまで飛来し、畑を荒らしたりと暴れ出す。

今回もゲドは導入部で登場するだけで、話はレバンネン王とテナーを中心に語られる。最初は、無関係に見えたハンノキが亡くなった妻に夢の中で呼ばれることと、西方で竜が暴れていることが、実は関係があることが、だんだんと明らかになっていく。

今回は、生と死というものが大きなテーマとしてあって、西洋的な幽霊・霊魂的なものと、仏教的な輪廻転生というものが対比されている。また、言葉、民族・国といったものも、テーマとしてあり、重層的な話に仕上がっている。

とりあえず、外伝を除いたメインストリーの5冊を読み終わった訳だが、ひと言では言い表せない深みがある。あと、2~3回読み直して、細かい表現、登場人物の整理等を行う必要があるだろう。まちがいなく、一読の価値ありである。

別巻『ゲド戦記外伝』まで、読み終わったところで、改めて考えてみたい。

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2006年7月 5日 (水)

ゲド戦記第4巻『帰還』

ゲド戦記4巻『帰還』を昨晩、読み終わる。

話は、第3巻の『さいはての島へ』の直後から始まるが、主に語られるのは、第2巻の『こわれた腕輪』でゲドの墓所の大巫女から救出されたテナーのその後である。テナーは、ケドとともにゲドの故郷のゴント島に戻り、ケドの師である魔法使いのオジオンのもとに預けられるが、結局、テナーはオジオンから離れ、一人の女としての生きる道を選ぶ。農園主と結婚し、二人の子の母となる。夫はすでになくなり、子ども達も成人して巣立って、1人でくらしていた彼女は、虐待されやけどを負ったテナーという少女を預かって育て始めている。
そこに、かつて自分の世話をしてくれたオジオンが危篤だという知らせが入り、自分の農園を離れ、テナーをつれてオジオンを訪ねるために旅立つところから、話は始まる。

主人公はテナーであろう。途中から、『さいはての島へ』で、乱れた世の中を正すために、全ての力を使い果たし、ぼろぼろになって故郷に帰ってきたゲドが登場するが、常にテナーの目から語られる。亡くなったオジオンの家で、テナーはゲドを看病するが、ゲドは再びテナーのもとを離れていく。

中年となったテナーが、自分とは何かを模索する話で、女性の中年の危機を扱っている話のように思える。途中までは、まさしく中年テナーの物語であるが、最後に物語はファンタジーとして急展開する。(そこは読んでのお楽しみ)

おそらく、第5巻の『アースシーの風』で、これまでの物語を集大成する展開になりそうである。

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2006年7月 4日 (火)

次女の一念発起

今朝、5時半頃、目が覚めた。いつものように、リビングからキッチンに行き冷蔵庫を開けて冷やした麦茶を一杯飲もうと思って、リビングに入ろうとすると電灯が点いたままだ。昨日、寝る時、「消し忘れたんだ」とドアを開けると、中3の次女がもう制服に着替えて、テーブルに教科書やノートを広げて勉強していた。次女は、今、期末試験。昨日は、朝の4時まで、勉強していたということで、相当眠かったらしく、私より先に寝ていたようだ。

高校受験を考えると、中3の1学期の成績が志望校選択の際の目安になる。これまで、ケアレスミスも多く、必ずしも実力相応の成績が取れていなかったと本人も家族も思っているのだが、それも続くのであれば、それが実力になってしまう。いわば、本人にとって、本当の実力を示す最後のチャンスが、今回の期末試験と言うことになる。

彼女なりに、行きたい高校はあるのだが、これまでの成績ではまったく、「お呼びでない」でない状況。親としては、いつヤル気になってくれるのだろうか、と気をもんでいた。

ようやくエンジンがかかったかなという気がするが、親としては、この一念発起が、結果に結びつくことを祈るばかりだ。

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2006年7月 3日 (月)

妻のひとこと

昨日は、夕方、近くのショッピングセンターまで、妻と買い物に行った。妻も、パートやらパン教室やらと平日は何かと出ていることが多いこと、加えて、免許証は持っているものの東京では車の運転はしたくないという理由で、よほどの事がない限り妻は車を動かさないので、食料品などの買い物は、週末に私が車を出し、運転手兼荷物持ちとして、1週間分まとめて買いに行くというのが、我が家の日常になっている。

買い物の途中、ショッピングセンターの中の書店でしばらく本を見て帰って来たのだが、帰りの車の中で、妻が、先日離婚した森昌子の話を始めた。書店で、森昌子の本を立ち読みしていたらしい。「 森昌子は森進一と結婚したあと、2人で良く話をしたらしい。自分は夫のことを理解しているし、夫は自分のことを理解してくれていると思って、彼女は、良き妻、良き母であろうと努めてきた。しかし、結局、森進一は森進一自身のことが一番大事で、自分(森昌子)のことは全然理解してくれていなかったとわかって、離婚に踏み切ることになったらしい」というのが、妻が話した森昌子の話である。

そして、「私たち(妻と私)も、よく話して理解しているつもりだけど、これから先、森昌子のように感じるようなことがあるのだろうか?」という趣旨の事を問われた。

なかなか、難しい質問だ。私自身は、一生懸命、彼女を理解しようとしているつもりだが、全てわかっているかと問われると自信はない。 それには、2つの理由があって、一つめは、きっと彼女自身が気づいていない自分というものがあるはずで、そのうち、本人が気がついていなくて、夫の私から見える部分もあるとは思うが、大部分は、私からも見えないだろう。
二つめは、私が自分の事を中年クライシスと位置づけているように、私の目から見ると、妻も、彼女なりの転機にあるようで、彼女自身が変わろうと模索している最中のように見える。「空の巣症候群」という言葉があるようで、子どもが巣立ったあとの女性の喪失感をいうらしい。まだ、長女は高3、次女が中3、長男が小6と、まだ3人が成人するには間があるが、長男が中学生ともなれば、いつまでも「かわいい坊や」という訳にもいかず、子どもが手から離れたあとの喪失感の予感はあるようだ。パートの仕事、パン教室や料理教室に通って、自らに投資することに熱心なのも、その漠然とした不安が後押ししているようにも見える。転機のこの数年間の模索の中で、妻が何を見つけるのか、いくらそばにいるとはいえ、よく見ておかないと、見逃してしまうかもしれない。

2つの理由と書いた、あるいは2つは繋がっているのかもしれない。模索の中で、自らも気がつかなかった潜在意識の中に潜んでいる何かを見つけ出すのかもしれない。その発見を手助けできるのか、見逃してしまうかで、案外、私の見られ方も変わるのかもしれない。

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2006年7月 1日 (土)

盆地の霧

今週、北海道で遭遇した「海の霧」について書いたが、もう一つ、北海道で遭遇した2度目の霧は、「盆地の霧」と言っていいと思う。

単身赴任で札幌にいた私は、年末年始、春休み、夏休みの3回家族を呼んだ。年末年始の札幌は当然にして雪の中。主に、市内を案内するだけだった。春休みも、まだ雪は至るところに残っていて、雪の支笏湖や、雪の羊蹄山を見て回った。
夏休みは、札幌から泊まりがけで、道東地域へ車を走らせた。摩周湖から車で15分ほどの摩周ユースホステルに宿を3泊確保し、そこを拠点に、摩周湖はもちろん、知床、阿寒湖、網走などを見て回った。

幸い、天気には恵まれたが、早朝はいつも霧の中だった。摩周湖があるのは、弟子屈町。(私は最初「でしくつ」と読むものだと思いこんでいたが、正しくは「てしかが」と読む)。摩周湖ばかりが有名だが、摩周湖の西には、日本最大のカルデラ湖である屈斜路湖がある。摩周湖も、火口に雨水がたまってできたカルデラ湖である(摩周湖には、流れ込む河川はないし、摩周湖を水源とする河川もない)。
弟子屈町は、西に摩周のカルデラ、東に屈斜路のカルデラに挟まれた盆地になっており、南北にはJRと幹線道路、東西には道路が走っており、弟子屈の町がその中心にある。

早朝、宿の周りが霧に霞む中、眠い目をこすりながら、デジカメを片手に、車で朝の摩周湖に出かけた。しばらく、霧の中を走る。平野だが、北に向かってわずかな登りになっている。5分ほど走ると、急に視界が開けた。霧から抜け出したのだ。さらに摩周湖の展望台にむかって、摩周のカルデラのを登る。

摩周湖第一展望台に着いた。朝の6時を少し回ったところ。

A

西側の弟子屈の盆地は一面の雲海。 晴れていれば、見えるであろう屈斜路湖もまったく見えない。屈斜路湖の東、摩周湖との間にある硫黄山の山頂だけが、雲海から顔を出している。

A_1

そして、雲海のはるか遠くには雄阿寒岳が浮かび上がる。何とも、幻想的な景色だった。


『楽しい気象観察図鑑』(武田康男〔文・写真〕、草思社)には、霧について次のような説明がある。

よく晴れて風が弱い夜は、放射冷却という現象が強く起こり、地表の熱が宇宙空間に逃げていきます。これによって地表付近の気温が下がり、空気中の水蒸気が水滴となって空中に現れます。これが霧です。ふつう太陽が昇る直前に最も気温が下がるので、霧は朝方に濃くなります。(中略)
とくに盆地では冷えて重くなった空気が集まりやすく、霧がよく出ます。
(『楽しい気象観察図鑑』14、15ページ)

なるほど、よくわかる。そこだまりの重たい空気の層から抜けた時に、視界が開け、霧をぬけたと言うことだろう。また、太陽が昇り気温の上昇とともに、朝霧は消えていった。地表の温度が上がり、水滴が再び水蒸気となって言ったのだろう。本当は、こういう事を、子どもにすらすら教えられる父親になりたかったのだが…。これから、少しずつ、勉強し直すしかないだろう。

最後に、お目当ての摩周湖は霧ひとつなく、朝日に輝く湖面をカメラに納めることができた。A_2

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2006年6月29日 (木)

パン教室の先生

今日、妻が通っていたパン教室の講師の認定試験があり、なんとか合格した。とりあえず、家族一同ほっとしている。(多分、妻本人が一番ほっとしていると思うが)

試験の課題は、「食パン」と「あんパン」を焼くこと。試験が近づいた先々週あたりから、いま習いに行っている教室の先生からは、「食パンを100斤焼きなさい」と言われ、介護のパートの傍ら、夜遅くまで、食パン作りと格闘していた。(結局100斤には届かず、30斤くらいだったようだ)
なかなか、うまく焼けないようで、落ち込む日も多々あり、以前、「田舎で小さな喫茶店を開き、自分がパンを焼くので、あなたはおいしいコーヒーを淹れて」と言っていた威勢の良さは影を潜めていた。
最近では「自分は専用オーブンに、発酵器も持っているのに、持っていない(教室の他の)人より出来が悪い」「自分は、パン作りの才能ないかもしれない…」「パン作りに向いていない…」と弱気発言の連発で、しまいには、「あのパン教室の教え方は変だ」と言い出す始末で、なだめるのに一苦労だった。

まあ、人に教える資格をもらうのだから、そう簡単には行くはずもなく、「教室の先生は、同じ食パンを何回も焼くことで、均等な品質でパンを焼くことの難しさを、身をもって体験してさせようという事なのだろうな」と、端からみている私などは思うのだが、渦中にいる当事者は、それどころではないようだった。

練習で焼いた食パン、あんパンのうち、いくらかは我が家で自家消費したが、毎日のように2斤、3斤と焼かれる食パンを食べきれるはずもなく、近所に配るにも限度があり、焼かれたパンの半分以上は捨てられてしまったようだ。もったいないというか、申し訳ないというか……。

捨てられたパンたちの供養のためにも、妻にはこの資格を今後の人生の中で是非有効に活用して欲しいと思っている。(私のコーヒーの方は、当分、進みそうにないけれど)

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2006年6月26日 (月)

ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』

ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』を読み終わる。

今回は、まず、ゲドの物語世界であるアースシーの中にあるカルガド帝国の大巫女「アルハ」が登場する。彼女は、先代の大巫女が亡くなった日に生まれたことから、大巫女の生まれ変わりとして、両親から引き離され、その本来の記憶は闇の世界の生き物に生け贄として捧げられ、”喰らわれし者”となり、闇の世界に仕える大巫女として育てられる。大巫女は墓守であり、彼女の住む館の地下には、墓所の地下迷宮があり、その奥まで立ち入るのが許されているのは、大巫女だけである。
物語の前半は、アルハの日常の生活が淡々と語られ、ゲドはなかなか出てこない。物語の半ばにさしかかる頃に、ようやくケドらしき人物が登場する。彼女の地下迷宮への闖入者として。話は、常に、アルハの目から語られ、最初はゲドらしき人物は第三者でしかない。
彼女は、その怪しい男を迷宮の中に閉じこめ、葬り去ろうとするが、一方で、この闖入者に無関心ではいられないし、結局、悪者として葬り去ることもできない。
ついに、迷宮を支配する大巫女として、闖入者に声をかけ、ここから物語はアルハだけの話から、アルハとゲドの物語への変わっていく。ゲドは、「テナー」というアルハの本当の名前を知っていて、彼女に本当の名前で呼びかける。そこから、彼女が少しずつ自らに目覚めていくが、その間、数々の危機や試練が待っている。

この第2巻『こわれた腕輪』も、第1巻『闇との戦い』に劣らず、深淵だ。第1巻が、ゲドという青年の自己発見の物語とすれば、第2巻はアルハという少女の自己発見の物語である。見方によっては、現代版「眠れる森の美女(いばら姫)」とも思える。少女から女性へという成長の中で、少女(王女)を眠りから解放する王子の役目をゲドが担っているようにも思う。

また、少女の成長という側面だけでなく、本来の自分を亡くし、闇に”喰らわれし者”となって、生きている人間への警鐘の物語にも読める。(ものには、そのものがもつ本当の名前があるというのが、1・2巻を通じたテーマのひとつである。)

さらに、第2巻では、アルハ(テナー)のゲドへの信頼ということが、特にゲドの口から語られる。ゲドも全知全能の魔法使いではなく、アルハの支え、アルハが信頼してくれたからこそ、魔法使いとしての力を発揮できたと語る。

おそらく、全6巻を全て読み終わって初めて見えることが、たくさんあるのだと思う。今日から、第3巻『さいはての島へ』を読み始めることにしよう。

*関係する記事
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』
6月22日:『影との戦い』

6月26日:ゲド戦記第2巻『こわれた腕環』(本編)
6月30日:ゲド戦記第3巻『さいはての島へ』

7月5日:ゲド戦記第4巻『帰還』
7月9日:ゲド戦記第5巻『アースシーの風』
7月16日:ゲド戦記『ゲド戦記外伝』
8月5日:『ゲド戦記』宮崎吾朗監督のメッセージ
8月13日:映画『ゲド戦記』を見て

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2006年6月18日 (日)

自分らしく生きること、自己実現

前回に続き、海原純子著『こころの格差社会』(角川oneテーマ21)を題材に考えてみる。

『他人に振り回されてへとへとになったとき読む本』(青春出版社、2003年)は、女性を読者層に想定した、自分らしい生き方をテーマにしたものだったが、その後、この3年ほど、内面的な成長・充実といったことは十分議論されることはなく、人から見た基準での「勝ち組・負け組」論が横行していること、ベストセラーとなった『下流社会』(三浦展著、集英社新書)の中で、「自分らしく生きる」ということが、「自分の世界に閉じこもり、上昇努力を放棄した下流の人々の行動パターン」のような形で否定的に書かれていることもあって、この本では、本当の意味での「自分らしく生きること、自己実現」とは、何かを改めて問いかけている。

『下流社会』では、上流と言われる人が、内面的に充実しているのかどうかは、全く議論されていない。上流とは、高学歴、高所得とのイメージであり、世間的でいう成功者であり、勝ち組である。『下流社会』の著者の意図は、彼の言う「自分らしく生きる」ことに逃げこみ、階層上昇のための努力を放棄し下流に甘んじる人々に対して、「本当にそれでいいのか?」と警鐘を鳴らすことにあったと思うが、「下流=負け組」との受け取られ方をされ、一般には、「勝ち組・負け組」議論を助長した本と思われている。

私も、自分の子どもに、「自分らしく生きる、自分の好きなことを見つける」ということを強調するあまり、社会で生きていく基本を身につけるために、学校ではきちんと勉強し、成績が少しでも上がるよう地道に努力するということの大切さを教えることが疎かになっていたのではないかと、『下流社会』を読んで、少々反省した。

『こころの格差社会』の中で、著者は、自分らしく生きること・自己実現というものは、本来そのようなレベルのものではないと説く。著者は「マズローの欲求レベル」を引き合いに、人間の欲求レベルを説明する。

1.「生理的欲求」-最も基本的な欲求、ものを食べる、排泄する、性欲など
2.「安全欲求」-安全な住まい、マイホームがほしいなど
3.「愛と所属の欲求」-愛し愛され、家族を持ち、よりどころを持ちたい
4.「社会承認欲求」-社会の中で職業を持ち、認められたい
5.「自己実現欲求」-自分らしい固有の人生を送りたい

4.の社会的承認欲求までが、自分の外側に向かって求める条件、5の自己実現欲求は、自分の内側に潜むものを実現しようという願い、まさに自分らしく生きるということである。

今回、この本を読んで、自分の中で整理できたことがあった。本当の意味での「自分らしさ」を求めるようになるまには、時間がかかるということである。著者は次のように語る。

自己実現欲求というのはその前段階の4つの欲求、「生理的欲求」「安全欲求」「愛と所属の欲求」「社会承認欲求」が満たされた上でないと生まれないもので、自己実現欲求が生じたにしても、それを満たすために行動するには、前の4段階をクリアしていないと土台がぐらついたものになる。(中略)
「自分らしく生きる」というのは、まず条件として、「生理的欲求が満たされていて、住む場所があり、平和で、社会参加し、家族や、家族がいなくても愛する人や動物がいることが必要なのである。
この段階までをクリアするのにはある程度時間がかかる。(中略)だからまずは、この社会的承認欲求までを満たすべく努力するのは間違いではないだろう。
今の日本の多くの人々が行き詰まって満足感がないのは、各々立場や環境は異なっても、みなが全員ベクトルを外側にむけつづけ「個人のなりうるもの」を達成していないからである。ベクトルを外にむけ、外的条件を求めつづけるから不満が起きているのである。(『こころの格差社会』171~172ページ)

「社会的承認欲求」が満たされて初めて、「自分らしく生きる・自己実現」ということが、問われてくるということを考えれば、それには程遠い子どもをつかまえて、「自分の好きなことをみつけ、自分らしく生きる」ことを求めることが、性急過ぎたことがわかる。
(もちろん、子どもにも、自分が何をしている時が楽しく、何が好きなのかを考えさせることは、無駄なことではないと思うが、その前に、規則正しい生活が送れ、社会的常識を身につけ、自分ひとりでも生けていける力を養うことの方が、より重要だろう。)

「中年の危機」(ミドル・エイジ・クライシス)は、ある程度「社会承認欲求」が満たされているからこそ、生じてくる問題なのだろう。

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2006年6月17日 (土)

夫在宅ストレス

おととい、海原純子著『こころの格差社会』(角川oneテーマ21)を読み終わった。著者は、心療内科医。以前から、臨床体験などをもとに、周りに振り回されずに自分らしく生きることをテーマにした『他人に振り回されてへとへとになったとき読む本』(青春出版社、2003年)などを多くの著作を世に出している。

この本は、「自分らしく生きるとは、自己実現とは何か」をテーマに書かれており、それについては、改めて書くとして、今日は、この本の中で著者が引用していた詩が大変おもしろかったので、少々長くなるが、孫引きして、紹介したい。

「夫の定年後」
作者:ジュディス・ヴィオースト(アメリカ)

わたしが掃除を終えると、
夫はほこりが残っている箇所を指摘する。
わたしが炊事をしていると、
夫は味付けの失敗に目を光らせる。
わたしが植木に水をやっていると、
夫はそばで指導する。
ありがたく思え、と夫は言う。
ありがたすぎて熱が出そう。

わたしが食事のあとフロスを怠ると、
夫は蔑みの目で見る。
わたしが500グラムでも体重を増やすと、
夫は警告を発する。
わたしが猫背で歩くと、
夫は背筋をぴんと伸ばせとたしなめる。
せめておれがいっしょのときは、と夫は言う。
今じゃ、四六時中いっしょにいるじゃない。

わたしが本を読んでいると、
夫は話しかけてくる。
わたしが、電話で友だちと話していると、
夫は横でしゃべる。
わたしがスーパーに買い物に行くと、
夫は必ずついてくる。
ひとりじゃ不便だろう、と夫は言う。
ふたりじゃもっと不便よ。

わたしが眉毛を整えていると、
夫は隣に座る。
わたしが髪をブローしていると、
夫はとなりに立つ。
わたしが足の爪を切っていると、
夫は爪を切りたがる。
”苦楽をともにする”って、
そういうことじゃないと思うんだけど。

わたしが一秒一秒をどう過ごしているか、
夫は常に観察している。
わたしが服にどれだけお金をかけているか、
夫は把握している。
定年がくる前、わたしは夫に、
何か趣味を持ちなさいと勧めた。
だからって、なにも
妻を趣味にすることは内ないじゃないの。
(『晩恋』菜畑めぶき訳・ランダムハウス講談社)
(『こころの格差社会』151~154ページ)

会社人間として生きてきた夫が、「社員」というアイデンティティーを失うと、他に「自分」というものが見つけられないのに対し、子育てを終えた妻は、ひとあし先に、失った「いい母」というアイデンティティーの穴を埋めるため、いい妻、いい母以外の自分を見つけ始めている。その精神面での夫と妻のギャップの中で、家にいて何もしない夫を前にして、妻が抱えることになるのが、「夫在宅ストレス」ということらしい。

このような夫にはならないよう、今からいろいろ考えておかなくては…。

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2006年6月13日 (火)

応援団長

先々週の土曜日、小6の長男の運動会だった。彼からは、「白組の応援団長になった」と言われていたが、不勉強な父である私は、自分の通っていた高校の運動会を思い出し、白組全体を統率するリーダーである団長が別にいて、更に応援を専門にやる応援団があり、あくまでも応援専門の応援団長なのだろうと勝手に思っていた。

いざ、当日、出かけてみると、別にリーダーを務める団長がいるわけではなく、応援団長は、全体のリーダーをも兼ねる存在だった。開会式では、昨年の優勝旗を紅組の応援団長が、準優勝のトロフィーを白組の応援団長である我が長男が、それぞれ校長先生に返還し、運動会の競技が始まった。

いつもは、家でアニメやお笑い番組にうつつを抜かし、2年前から通っている剣道も最近はさっぱりヤル気が感じられず、もちろん熱心に勉強をするわけでなく、親としてもどうしたものか?と考えることが多かった。地道に努力しない割には、目立ちたがり屋で、以前このブログでも書いたように(3月25日「担任の先生は選べない)、3~4年の時の担任の先生からは、何かと否定的に見られていた。

しかし、今回は白組の1年生から6年生までのメンバーの先頭に立って、大きな声を張り上げ、一生懸命に応援し、時には、おちゃらけて笑いも取りながら、堂々の団長ぶりだった。
何よりも、親としてうれしかったのは、彼が本当に楽しそうに団長の仕事をしていたことだ。
その甲斐があってか、対抗戦では、4年ぶりに白組が勝利。長男は、閉会式で優勝旗を受け取ることができた。

いくら、本人が応援団長をやりたいと言っても、先生や周りの同級生達が、おまえなら任せても大丈夫と思ってくれなければ、できないだろう。団長になれたということは、なんとか、周りに認めてもらえるだけの力量と人望があったということだろうし、無事、その役目を果たせたことは、本人にとっても得難い貴重な経験だったと思うし、自信もついたのではないかと思う。
親としては、任せてくれた先生方や周りの同級生の皆さんに、感謝の気持ちで一杯だ。

その後も、長男の日常生活に大きな変化があったわけではないが、この経験の中から、人生にとって大切ないろいろなことを学んでくれているに違いないと思っている。

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2006年6月11日 (日)

雨の日の漢字検定

東京も、6月9日(金)に梅雨入りということらしい。(気象庁:「平成18年の梅雨入りと梅雨明け(速報値)」

去年の梅雨時には、単身赴任で札幌にいて、梅雨とは無縁の生活だった。北海道には梅雨がないからだ。
週末になると、車で、道の駅と温泉巡りをしたり、札幌市内を一望できる531mの藻岩山に1時間かけて登ったりと、快適な週末を過ごしていた。

今年の東京は、五月晴れといえるような晴れの日が平年より少なかったのではないだろうか。肌寒い曇り空と小雨の日が多かったような気がする。五月晴れに振られ続けて、気づいたら梅雨というのが、今年の実感だ。

我が家の6月は、先週3日(土)が小6の長男の運動会、昨日10日(土)が中3の次女の運動会と続き、今日は、数年前から家族で受検を始めた漢字検定の平成18年度の第1回の試験日だった。朝から、雨が降る中、朝は長女、昼は次女、午後は長男と、それぞれの受検級に応じて、小平にある受検会場に向かった。私の記憶にある限り、これだけ雨に降られた漢字検定は初めてだったように思う。

漢字検定は、6月、10月、2月の年3回試験があり、今や年間240万人を超える志願者数だそうだ。10級から1級まで、小学校では学年に応じた級の設定があり、5級で6年生終了レベル、4級、3級が中学レベル、準2級、2級が高校生レベルで、2級が常用漢字全てと人名漢字285字が出題範囲で、社会人としては2級がひとつの目安だろう。準1級から上は、日常生活では使わない漢字も出てきて、受検者も極端に少なくなる。なお、準2級までは、正解率70%が合格の目安だが、2級以上は80%になる。

受検を始めた時は、いずれは家族全員が2級取得を将来の目標に、その時点の自分の実力にあわせて、受検を始めた。
漢字にはそれなりに自信を持っている父(私)は、準2級から受け始め、2級まではすんなり合格。1回休んだあと、1ランク上の準1級に挑戦。2度不合格の屈辱を味わった末、3回目にしてようやく合格。1級はあまりに難易度が高いので、とりあえず準1急で満足している。
あまり漢字に自信がなかった妻は、5級から受検を始めも、準2級までは順調に進んだが、2級の壁が厚かった。何度も涙をのみ、昨年の10月にようやく2級の壁を突破し、目標到達。
私の単身赴任中は、3人の子供たちは、鬼の居ぬ間の何とやらで、母親が2級突破に必死になっているのを横目で見ながら、なんやかやと理由を付けては、試験を受けていなかった。
私が、家に戻り、それは許さないと、半ば、受検を強要し、今回は、高3の長女が2級、中3の次女が3級、小6の長男が6級を受けた。結果が出るには、3週間。長女と次女は、早々と白旗を揚げていて、捲土重来を期す必要がありそうだ。

子供たちに、漢字検定を無理にでも受けさせてきたのは、「読み、書き、そろばん(計算)」と言われるように、何を学ぶのにも「読みと書き」が基礎となることが一番だが、学年に応じて級が設定されており将来にわたり長く続けられること、スタートの段階で子供だけに受けさせるのではなく、親も一緒に参加できたからである。 自分たちが日常使っている、漢字の世界に興味を持ってもらい、正しく使える大人になって欲しいというのが、親の切なる願いである。いつか、気がついてくれることを信じて、また10月も、3人の子たちの受検の申込をするつもりだ。

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2006年6月 8日 (木)

愚痴りたい女、解決したい男

結婚して20年近くになるが、未だに夫婦の会話の中で、うまく噛み合わないことがある。
だいたいにおいて、妻が自分の身の回りのことに様々な不満があって、愚痴を言い出すのが始まりだ。
話かけられた私は、つい職場での思考パターンで「妻はその不満な状況・状態を何とか改善・解決していたいと思って、私に意見を求めているのだろう」と考え、「こうしたらどうだろう?」、「ああすれば、良いのではないか」となり、テンションが上がってくると「こうするべきだ!」と断定口調になってくる。
そうすると、妻の方は、「ただ、私は話をきいてもらえれば、それでよかったのに」と、多少しらけ気味になってくる。だったら、最初からそう言ってくれればいいのに、と思うのは私だけだろうか?

そんなことを考えていたら、最近読んだ集英社新書の5月の新刊『大人のための幸せレッスン』(志村季世恵著、サブタイトル「自分を幸せにする31の方法」)の中で、幸せレッスン12として「<悪口>と<問題解決>を区別する」という一文に出会った。

セラピストである著者のところには、様々な人が訪れる。レッスン12で登場するTさんは、少々うつ病ぎみ。伝統ある旧家の本家の嫁として、姑、小姑と同居し、しきたりや体面ばかりが重んじられる生活の中でストレスも多い。自分のうつの解決のヒントを求めて通院しているはずなのに、来院すると、夫ををけなし、姑や義姉妹をののしるばかりで、本来の問題解決について考える前に、カウンセリングが終わってしまうことが続く。そこで著者は、自らの経験の託して問いかける。

「私もね、ときどき自分の心の中の悲しみや苦しみを、誰かにわかってもらいたいときがある。解決の糸口やアドバイスが欲しいのではなくて、愚痴に付き合ってほしいと思うことがあるから。あなたも、そういうのと同じで、ご主人に嫁として頑張っていることをねぎらってもらったり、愚痴に耳を傾けてほしかったのではないかなって思って」(『大人のための幸せレッスン』84ページ)

その言葉に泣き出してしまったTさんは、

「カウンセリングを受けていても、自分の気持ちを見つめるよりも、主人への、<苦情や悪口>を聞いてもらいたいって、そう思っていました」(同書85ページ)

と語り、自分の心の動きに気づいていく。著者は、<苦情や悪口>モードと<問題解決>モードを区別し、人に話すときも、自分がどちらのモードなのか明らかにすることを勧める。

なぜなら、この二つのモードは向かっている方向がまったく異なるからです。<苦情や悪口>モードは自分をわかってほしいほうに向いている。これは解決とは違う方向です。この二つのモードに同時に入ろうとすると、どちらにも進めずに苦しむことになるのです。(同書88ページ)

実は、この本は、最近少々疲れ気味の妻にと思って買ってきたのだが、大学受験を控えた長女の方が先に読んで気に入り、ならばと私が読み、2人で妻に勧め、現在、妻が読んでいるところだ。

これから、妻に「ねえねえ、きいてよ」と声をかけられたら、こちらも、お互いの時間を無駄にしないためにも、「愚痴を聞いて欲しいだけ」なのか「問題の解決策を考えて欲しい」のか事前に確認するようにしよう。

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2006年6月 6日 (火)

リメイク版「Shall we dance?」が描こうとしたもの

「Shall we ダンス?」の周防正行監督は『小説版Shall we ダンス?』(幻冬舎文庫)では、映画とは違った結末を描いているのだが、この文庫は、リメイク版が日本で公開されるタイミングで増刷されたようで、私の手元にある本の表紙はイラストではなくリチャード・ギアとジェニファー・ロペスが踊っているリメイク版の1シーンがコラージュしてある。
(日本版のファンで、まだ小説を読んでいない方は、ぜひ一読を勧めたい。映画では、直接、表現されていない背景のディテールや監督の思いが随所に散りばめられている)

監督自身の「あとがき」も2種類あって、本来の「あとがき」に加え、増刷の際に追加されたと思われる「アメリカ・リメイク版によせて」という文章がある。 監督がカナダにリメイク版の撮影の見学に行った時、主演のリチャード・ギアから、次のように言われたという。

「オリジナルは日本文化が重要なキーになっている。つまり、日本では、見知らぬ男女が人前で抱き合って踊ることはタブーだ。しかし、アメリカではタブーではない。それでは、どうやってオリジナルのストリーをアメリカに移し替えるか。そこで、アメリカ人にとってタブーは何かと考えた。それは、自分が不幸であると表現することだ。」(『小説版Shall we ダンス?』幻冬舎文庫版315ページ)

それは、どう表現されたのか。監督は次のように語る。

(前略)離婚もしておらず、経済的にも恵まれていて、郊外の一軒家に素行に問題のない子供たちと一緒に住んでいるという状況、これはまさに現代アメリカの理想の家族だ(ということらしい)。その理想の家族の夫が、ある日、(中略)ダンスを習い始める。
 なぜか?
それは、自分でも気がついていなかった「不幸」が自分の中にあるということだった。ダンスを習いながら、アメリカの理想の夫はそのことに気づくのだ。(中略)隠さなければならなかったのは、ダンスを習う理由だった。
(同書315、316ページ)

だからこそ、ダンス会場から立ち去る妻と娘を追いかけて、理想の夫は必死で弁解しようとしたのだろう。

アメリカのタブーが破られた時、夫婦は別れてしまうのか?
いや、そうではない。タブーが破られることで、却ってより深くお互いを理解しようとし、その結果、絆が強まってゆく。そういった夫婦の再生の物語がリメイク版アメリカ映画の目指したところであるようだ。(同書316ページ)

リメイク版の製作が決定する以前、日本版のオリジナルをアメリカで公開したとき、監督は決まって2つのことを訊かれたという。

「どうして奥さんはパーティーに一緒に行かなかったのですか」
「このあと、夫婦はどうなるのですか」
実は、この質問に答えることが、アメリカ・リメイク版のテーマだったと、いうこともできるかもしれない。

ちなみにアメリカ版は、二つの質問の答えをはっきりと示して終わる。いや、夫婦のこれからだけではない。主要登場人物のその後までも見せてくれるのである。  アメリカ人がリメイクしてまで見たいと思ったもの。それは、幸せな隣人たちの囲まれた、幸せな家族の姿だった。

リメイク版は、やはり主人公とその妻の関係のあり方、その変化が最大のテーマだったということだろう。確かに、妻の描かれ方と反比例するように、日本版オリジナルでは、あれだけ存在感のあるダンス教室の先生(舞)は、リメイク版(ポリーナ)では影が薄い。

オリジナルでは、主人公と舞との関係も、主人公と妻昌子の関係も、これから、まだどうなるかわからないというところで終わっている。しかし、果たして、現在、同じテーマで日本で映画化した時、同じ描かれ方になるだろうか?

「中年の危機」というテーマは、それなりに普遍性があると思う。オリジナルでは、役所広司演じる主人公杉本の危機が描かれているが、裏を返せば、それは原日出子演じる妻昌子の「中年の危機」とも言える。
日本でも女性の意識は、この映画が作られた10年前とは大きく変化している。現在なら、主人公の妻は昌子のように黙ってはいないだろう。

映画としては、その感情表現の繊細さ含め、日本版オリジナルの方がはるかに味わい深く余韻が残る作品だと思うが、描かれる夫婦の姿は、(現実とは違う理想の姿かもしれないが)アメリカの方が一歩先を行っているように思う。

これまでの「Shall we ダンス?」関連の記事はこちら
5月6日:「Shall we ダンス?」を見る
5月13日:周防監督が書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」
6月5日:ハリウッド・リメイク版「shall we dance?」と日本の「shall we ダンス?」の違い
6月6日:リメイク版「Shall we dance?」が描こうとしたもの(本編)

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2006年6月 5日 (月)

ハリウッド・リメイク版「shall we dance?」と日本の「shall we ダンス?」の違い

先日、書きかけながら消えてしまった、ハリウッド・リメイク版の「shall we dance?」と日本版の本家「shall we ダンス?」との違いについて、改めて考えてみる。 (MovieWalkerのリメイク版とオリジナルの比較はこちら) 

大筋で日本版のストーリーを踏襲しているリメイク版の中で、違いが際だつのが、主人公の妻のあり方だ。

日本版の主人公杉山(役所広司)の妻昌子(原日出子)は専業主婦だが、リメイク版の主人公ジョン・クラーク(リチャード・ギア)の妻ビヴァリー(スーザン・サランドン)は部下も持つキャリア・ウーマンとして描かれている。その違いは、そのまま夫との関係の違いにもなる。 昌子とビヴァリーの違いを示す映画の場面はいくつかあるが、印象的だったのは、以下の5つである。

(1)映画の始まりのところで、描かれる2人の姿は、対照的だ。日本版の妻昌子を見て、「三食・昼寝付」という言葉を思い出した(いまやそんな言葉は誰も使わないが…)。夫抜きでは、彼女は生活できず、経済的に夫に依存している。住宅ローン返済のため、パートを始めたことが語られるが、働き始めたことが、昌子にどういう影響を与えたのかは、映画では描かれてはいない。 一方の、ビヴァリーはキャリア・ウーマンと妻・母をこなす活動的な女性。相応の収入もあると思われ、もし離婚するようなことになっても十分生活していく経済力はある。経済的に夫から独立している。

(2)途中、夫の素行調査を私立探偵に依頼するところは、同じだが、ビヴァリーは探偵に対し、「人はどうして結婚すると思う?それは自分の人生の証人がほしいからよ」と語る。夫婦がお互いに相手の人生の証人になっているという点で、対等であることをあらわしていると言えよう。日本版では、このような人生論めいたことは、妻は一切語らない。ただ、夫が何をしているのか心配しているだけである。

(3)夫が家族に隠れて出場したダンス競技会に、探偵に教えられやってきた母と娘。娘の応援に主人公が動転し、他のペアと接触し、パートナーのスカートを破いてしまう。その後、母と娘は会場から出て行くが、リメイク版では、主人公は妻を駐車場まで追いかけ、必死に弁解する。「いまでも十分幸せなのに、さらに何かを求めたことが恥ずかしい」と。 日本版では、妻を追いかけることはせず、その日の夜の自宅のリビングでの夫婦の会話に場面になる。日本版では、主人公は言葉少なく、「なぜダンスなの?」という妻の質問には直接答えず、「所詮、自分には似合わないから、もうダンスやめる」とだけ語る。

(4)主人公のあこがれた女性(日本版の舞、リメイク版のポリーナ)がイギリスへ出発する前の送別パーティに、日本版では妻は参加しないが、リメイク版では、主人公が妻ビヴァリーを連れて行き、ポリーナとビヴァリーは対面する。(リメイク版では、妻がパーティに来ることになるところが見せ場の一つだが、さすがにまだ映画を見ていない人に悪いので、ここには書かない)

(5)映画の本編が終わったあとの、エンディングで、リメイク版では、登場人物のその後を示すシーンがいくつか登場する。その中で、主人公と妻ビヴァリーがキッチンで楽しそうに踊るカットがある。日本版では、将来の夫婦の姿は全くわからない。

これを、日米の文化の違いとのみ考えるのか、日本の夫婦の将来像としてリメイク版を見るかは、意見の分かれるところだと思う。

この先を書きあぐねていたら、周防正行監督自身が書いた『小説版Shall we ダンス?』(幻冬舎文庫)のあとがきの中に、その答えらしきものを見つけた。今回も長くなってしまったので、それについては、次回、改めて書くことにしたい。

「Shall we ダンス?」関連の記事はこちら
5月6日:「Shall we ダンス?」を見る
5月13日:周防監督が書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」
6月5日:ハリウッド・リメイク版「shall we dance?」と日本の「shall we ダンス?」の違い(本編)
6月6日:リメイク版「Shall we dance?」が描こうとしたもの

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2006年6月 3日 (土)

ファンタジー全盛の中で考えること(3)-「善」と「悪」の戦い?

前々回前回と『魔法ファンタジーの世界』から、長々と引用させてもらったが、私が最近、子供たちが見ているアニメを見ていて、感じていたこととすごく近い気がしたからだ。

最近、子供たちの間で流行っているアニメは、我々が住んでいる現実世界とは、違うルールで動いている別の世界での話が多くなっているような気がする。

それが、いわゆるこれまでファンタジーと呼ばれてきた範疇に入るものなのかどうかは何とも言えないが、別の世界は、霊界であったり、未来社会らしきところであったり、いずれにせよ、現実世界とは違うルールで動いており、しばしば魔法や超能力のようなものがまかり通り、闇の世界の支配者や絶対悪のような存在がいる。

一方、主人公には、常人にはない超人的な能力や霊力が潜在している。悪役に窮地に追い詰められた主人公は、最後は、潜在的に持つ超能力や霊力で、窮地を脱するし、それはしばしば、相手を殲滅し殺戮という形で終わる。見ていて、何の得るところも無いし、楽しくもない。

作者は、心を病んでいるのではないか?自分の中の、不安やいらだちを、そのような形で漫画として表現しているだけではないか?それを喜んで読むファンがいて、それがアニメとなり更に多くに見られるようになる。どこか、間違っていないか?
我が家では、TVゲームは買っていないので、ゲームの世界の話はわからないが、似たりよったりだろう。

著者は言う。

そもそも、なぜこれほど恐ろしいもの、グロテスクなもの、血みどろなものが求められるようになったのだろう。ここでは、その謎にまで踏み込んでいく余裕はないが、現在の魔法ファンタジーがそういう需要にも支えられたものだということは、気にかけておかねばならない。魔法ファンタジーによくある「善」と「悪」の戦い、「光」と「闇」の戦いとはいう構図には、たしかに人間の暴力への欲求、だれかを痛めつけることへの欲求を、野放図に解き放ってしまいかねない恐ろしさがあるのだ。(同書98ページ)

優れた良質のファンタジーは、そのようなものではないはずだ。ファンタジーという枠組みだけを借りた、単なる俗悪なファンタジーもどきがはびこっていないか?リアリズムの作品であれば、到底受け入れられないものが、蔓延していないか?自分の身の回りをもう一度、見直す必要があると思う。何を読み、何を見るべきか(あるいは見るべきでないか)、親として子供たちに対しても、語りかける必要があるだろう。

ちなみに、『魔法ファンタジーの世界』という本では、私がとりあげたような話題は、そのほんの一部であって、その大部分は、優れた良質なファンタジーについての評論であり、特にそのルーツである、ヨーロッパ各地の伝説や神話について語っている部分は一読の価値があると思うので、念のため。

『魔法ファンタジーの世界』関連記事
6月3日:ファンタジー全盛の中で考えること(1)-何でもありの世界
6月3日:ファンタジー全盛の中で考えること(2)-「正義」だと信じるあやうさ
6月3日:ファンタジー全盛の中で考えること(3)-「善」と「悪」の戦い?
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』

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ファンタジー全盛の中で考えること(2)-「正義」だと信じるあやうさ

前回、リアリズムの世界が制約があって書けないことも、ファンタジーであれば書けてしまうというところまで書いたかが、これによって新天地が開かれたのが、冒険物語であると著者は語る。

19世紀の冒険物語は基本的にリアリズムで、ヴェルヌの空想科学小説が異色だが、20世紀に入ってこのジャンルが急速に衰退した理由ははっきりしている。その理由のひとつは、主人公の行く手をはばむ敵として、人食い人種、インディアン、敵国の人間などを気楽に使えなくなったことであり、もうひとつは、(中略)交通手段、通信手段が便利になりすぎて、「ジャングルの中で行方不明」といった状況がリアリティを感じさせにくくなったということだ。(『魔法ファンタジーの世界』68ページ)

(中略)新天地の可能性が明らかになるにつれて、以前ならリアリズムの冒険物語作家になったはずの人たちが、大挙してファンタジーの世界になだれこんでくることになった。(同書69ページ)

ここで、問題が生じて来る。

リアリズムの冒険物語における敵は、どんなに凶悪でも人間は人間だし、ライオンや大蛇の場合は危険なだけで悪とは言えないわけだが、ファンタジーにおける敵は、場合によってはもっとおそろしい「絶対悪」になることもある。「絶対悪」が相手なら、それを倒すためにどんな手段を使ってもいいじゃないか、ということになりかねない。(同書69ページ)

一方、著者の懸念は以下の通りだ。

最近、ひとつ気になっていることがある。それは、最近のファンタジー的な読み物、アニメ、ゲームの類に、「しかえし」や「こらしめ」の欲望を魔法で満たすというものが、目立って増えているように思えることだ。それらが歓迎されているのだとしたら、「しかえし」や「こらしめ」の欲望に共感をいだく読者が増えているということになる。 たしかに、「しかえし」や「こらしめ」は、主人公や自分が善で相手が悪であることに何の疑問も持たなければ、すかっと気分のいいものではある。しかし、そんな気分の良さに身をゆだねているのは、とても危なっかしいことではないだろうか。(同書39-40ページ)

自分が正義の側にいると信じることの恐ろしさは、悪の側にいる物をどんなに厳しく処罰してもかまわないように思えてしまうことだ。(中略)最近の子供たちに人気のあるアニメ、ゲーム読み物などのなかには、殺すことも含んだ血なまぐさい「こらしめ」が、ふんだんに盛り込まれていいるようで、その恐ろしさは言語に絶する。(同書96、98ページ)

我々自身、日常の生活の中で、自分の方が正しい、正義であると思い、相手を「こらしめる」ことを正当化していないか。物事は、何事も二面性があり、絶対的な正義も、絶対悪も本当は、存在しないのではないだろうか?そんなことを考えさせられた。(長くなったので、更に次回へ)

『魔法ファンタジーの世界』関連記事
6月3日:ファンタジー全盛の中で考えること(1)-何でもありの世界
6月3日:ファンタジー全盛の中で考えること(2)-「正義」だと信じるあやうさ
6月3日:ファンタジー全盛の中で考えること(3)-「善」と「悪」の戦い?
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』

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ファンタジー全盛の中で考えること(1)-何でもありの世界

岩波新書の新赤版が1000点を突破したとのことで、赤版に変化はないもののカバーのデザインや装丁がリニューアルされ、4月、5月は例月より多く新刊が10冊ずつ出版された。そのうちの1冊に脇明子著『魔法ファンタジーの世界』がある。著者は、大学教授として比較文学を研究する一方、翻訳家として数々の児童文学を翻訳している。

トールキンの「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」やC.S.ルイスのナルニア国ものがたりの第1巻『ライオンと魔女』が映画化されヒットをしており、さらにスタジオジブリもル=グウィンの「ケド戦記」をアニメ映画化するなど世を上げてファンタジーブームの中で、岩波書店もなかなか商魂たくましいなと思いつつも、ファンジーにも昔から興味はあるので、さっそく読んでみた。

「指輪物語」、「ナルニア国ものがたり」、「ゲド戦記」などにたびたびふれている(何故か「ハリー・ポッター」については、まったくふれられていない)のは当然だが、そのことよりも、私が最も関心を持ち、共感したのは、著者が、現在のファンタジーブームに懸念を示している部分だ。

著者は、ゲームやアニメでファンタジー全盛の中で、児童文学でのファンタジーの名作は必ずしも、子供たちに届きにくくなっているのではないか、読まれても十分理解されていないのではないかと懸念している。ファンタジーに対比されるものは、リアリズム作品。これは、現実の世界を舞台したものである。著者曰く

リアリズムの場合は、設定に矛盾がなく、出来事の筋がきちんと通っていること、登場人物の言動にリアルな一貫性があることが、いい作品の最低条件だ。それを満たしていないダイジェストや、ご都合主義のライトノベルの類が、読むに値しない本であることは、かんたんに説明できる。物語の世界や人物たちにリアルな一貫性がないと、思考力を働かせて理解していくことができないし、想像力もうまく働いてくれないのだ。(『魔法ファンタジーの世界』4ページ)

まったく、その通りだろう。これは、なにも児童文学に限らず、小説も含め、現実世界を舞台にした作品全般に言えることだろう。一方、ファンタジーについては、

ところが、ファンタジーはそうはいかない。現実にありえないことを書いてこそファンタジーだから、矛盾はどうしたって避けられないし、矛盾が少なければ少ないほどいい作品だとも決められない。(同書5ページ)

結果として、何がいいファンタジーかという尺度がないことが、著者の感性ではいいと思っても、論理的に説明できないもどかしさ、ジレンマを抱えているようにみえる。

また、現実にありえないことを書くのがファンタジーということを逆手に取ると、リアリズムの世界で書こうとすると数々の制約があって書けないことも、ファンタジーでは書けてしまうことになる。著者のもどかしさと懸念も、そのことと不可分に結びついている。(以下、長くなるので次回へ)

『魔法ファンタジーの世界』関連記事
6月3日:ファンタジー全盛の中で考えること(1)-何でもありの世界
6月3日:ファンタジー全盛の中で考えること(2)-「正義」だと信じるあやうさ
6月3日:ファンタジー全盛の中で考えること(3)-「善」と「悪」の戦い?
6月20日:ゲド戦記6冊セットと第1巻『影との戦い』

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2006年5月19日 (金)

次女の「京都」修学旅行に思う

いましがた、中3の次女が修学旅行に出発した。2泊3日で京都に行くそうだ。何日か前からいろいろと準備をし、昨日は、デジカメを貸して欲しいと言われた。今朝は、5時過ぎには起きて、先ほど、楽しそうに家を出て行った。久しぶりに京都に行きたくなった。

自分の育ったところが、九州・太宰府という、日本史の教科書に必ず出てくるところだったこと(大宰府政庁跡太宰府天満宮は小中学校時代の遠足コースだった)、新聞記者をしていた父が歴史好きだったということもあり、自然と歴史に親しんだ。高校では、世界史と日本史をともに選択し、模試では社会で点数を稼いでいた。我々の代が初年度だった共通1次試験も社会は、世界史・日本史の組み合わせで臨んだ。

その当時から、洋の東西を問わず、歴史小説を読み、岩波新書や中公新書、講談社現代新書の歴史ものを読んできた。小説では、井上靖(『天平の甍』、『蒼き狼』、『風濤』)、黒岩重吾の古代から奈良朝にかけての作品(『北風に起つ』、『磐舟の光芒』、『弓削道鏡』等)、最近は高橋克彦の『火怨』、『炎立つ』などの東北3部作と『時宗』、新書では、日本古代史の遠山美都男などあげればきりがない。マンガ家里中満智子の女帝を扱った作品(『天上の虹』、『女帝の手記』)などもおもしろく読んだ。

一時期、黒岩重吾をきっかけに飛鳥・奈良時代にはまり、新婚旅行でも奈良に行ったし、北陸に住んでいた頃、連休を利用して家族で2回奈良に旅行をした。当時は、整然と整備された観光都市京都よりは、いろいろな物が、土の下に埋まっている、そしてどこか自分の故郷でもある太宰府と似ている奈良の方が好きだった。

京都に行ったのは、2年前の夏休み。車で、福岡まで帰ったと言う同級生の話に刺激され、ユースホステルを泊まり歩いて、家族で福岡まで帰ることを計画。金曜の夜、帰宅後、八王子から中央道に乗り、途中サービスエリアで仮眠し、1日車で走って京都に入った。京都では2泊し、丸1日京都観光に当てた。やはり、その前の年、中3で京都に旅行した長女の希望もあって、京都で1日過ごすことにしたのだ。金閣寺、北野天満宮、晴明神社、二条城、清水寺、銀閣寺、竜安寺などを回り、すっかり京都の魅力にとりつかれてしまった。

1000年を超えて、この国の都だった京都には、至るところ重層的に歴史が潜んでいて、訪ねるところが尽きることがない。京都を訪ねる人が、絶えることがないのが、わかったような気がした。

週末の次女のみやげ話を、楽しみの待つとしよう。

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2006年5月 4日 (木)

5月は「若葉」、GWの折り返し

朝晩は、まだ冷えこむが、それでもずいぶん暖かくなってきた。今日からテンプレートを「若葉」に変更した。

これまでのところ、4月29日からのGW期間中の体重は、なんとか現状維持。休みになると増えるということだけは、回避している。

昨日、今日は、5月下旬に計画している同窓会の会場の下見で、新宿の高層ビル街を、歩いて回り、なんとか、納得できる場所が見つけられた。休日のオフィス街は、道路に車は走っているものの、ビルの中は閑散としていて、ホテルと高層階のレストランに人の出入りがあるだけ。まれに、休日出勤と思われるカジュアルスタイルのサラリーマンをエレベーターの中で見かけた。

明日は、昔の職場の仲間3家族で、お台場海浜公園でバーベキューパーティ。食べ過ぎ、飲み過ぎにならないよう注意しなくてはいけない。減量には、明日が最大の難関だ。

4月の前半に集中して仕上げて、提出した7回の通信教育は、今日ようやく最後の第7回の採点が返送されてきた。一応、修了の目安である全体で60%の正答率という条件はクリアしたので、近々「○○士補」の資格はもらえるはずだ。この通信教育、受講料は10万円近い。仕事で必要ということで、最終的には会社が補助してくれるのだが、いったんは、自分で全額払い込み、修了証を提示して初めて、会社が全額を支給してくれる。その点からも、早く終わらせるメリットは大きい。次は、秋の試験に向けて、勉強しなくてはいけない。

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2006年4月30日 (日)

羊山公園の芝桜見物顛末記

西武線の沿線に住んでいると、四季折々の沿線の観光PRで、春の秩父の芝桜、秋の高麗の巾着田の曼珠沙華(彼岸花)がいやでも目に飛び込んでくる。しかし、5年近くまだ行ったことがなかった。

今日は、天気も良さそうだし、ちょうど見頃との情報もあり、家で宿題をしなければならないと言った高3の長女を残し、私、妻、次女と長男の4人で、羊山公園の芝桜を見るため、8時半すぎに家を出た。飯能での乗り換えのない、直通の快速急行に何とか間に合ったものの、社内は、いかにも皆、見物に行きますという人ばかり。通勤ラッシュと見まごうばかりの人混みの中で、立ちつくすこと1時間余。
Dscn0167a_2 飯能から先の西武秩父線沿線は、いくつかハイキング・トレッキングにふさわしい山もあるのだが、ほとんど下りる人はなく、羊山公園の最寄り駅である「横瀬」で大半の人が下りた。 我々も横瀬で下りて、畑の中のあぜ道を歩く。途中、大きな鯉のぼりがはためいて季節を感じさせてくれる。

15分ほど歩いて、10時半頃にようやく目的地に到着した。

Dscn0179a 確かに、丘の斜面のピンク、白、うす紫の芝桜が見頃で、芝桜を手前に従Dscn0177a_1えた秩父のシン ボル武甲山の姿はなかなか絵になるのだが、なにせ、斜面の通路や、ベンチには人、人、人。これでは、芝桜より、人を見に来たようなものだ…。

小6の長男は電車で1時間立たされて機嫌が悪いし、中3の次女は私に似たのか人混みが嫌い、自然をこよなく愛する妻は去年の夏北海道で見た美瑛のパッチワークの丘のような壮大なスケールを期待していたようで期待はずれ、言い出しっぺの私は誰からも支持されることなく、デジカメで、来たことの証拠になる写真を何枚か撮り、公園には10分ほどいただけで、もう一つの最寄り駅である西武秩父駅へ向けて出発した。

Dscn0186a 駅までの道の途中、妻は今関心を持っている天然酵母を使ったパンの店を目ざとく見つけ、立ち寄っていた。秩父駅で食事をするでもなく、11時半過ぎの飯能行きの電車に乗り、飯能で快速に乗り換え、1時間半かけて戻ってきた。

往復の電車に乗っていた時間約3時間、羊山公園滞在10分という、本日の家族小旅行であった。芝桜だけでなく、春のうららかな日差しと、心地よいそよ風に吹かれたことが、今日の収穫と考えることにしよう。

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2006年4月 4日 (火)

ブログ・ペットのヨイショ

ブログ・ペットを飼ってみることにことにした。サービスはKDDIがやっている。飼えるペットは、パンダ、ウサギ、イヌ、ネコ、ネズミの5種類のうちの1つ。自分が「ねずみ年」生まれということもあって、ネズミを選んだ。

このペットは、飼い主のブログを全部読んでいるらしい。ブログのサイドバーにあるブログ・ペットをクリックすると吹き出しが出て、何やらコメントをする。また、ブログへの投稿を許可すると、飼い主の指定した周期で投稿するということで、早速、投稿してくれた。

ヨイショという名前のは、次女が小学校6年生の学芸会で、『冒険者たち』という劇をやった時の役の名前だ。町のネズミが、イタチに襲われて絶滅寸前の島のネズミを助けにいく冒険物語で、主人公の名前がガンバ。カンバの相棒でちょっと頼りになる兄貴分がヨイショだ。次女は、学年のオーディションに合格して、この準主役の役を射止め、本番でも堂々の演技だった。本人にも、充実感と達成感があったようで、中学では演劇部に入ることになった。

『冒険者たち』の原作は斎藤惇夫という作家の書いた児童文学の名作で、最後まで手に汗握る冒険物語である。現在は、岩波少年文庫に収められている。

1975年に『ガンバの冒険』というタイトルでTVアニメにもなった。この記事を書きながら、アマゾンを検索していたら、この4月にアニメがDVD化されるとのことで、根強い人気があるようだ。

わがブログ・ペットのヨイショ君が、これからどんな投稿をしてくれるのか、楽しみだ。

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2006年4月 2日 (日)

新年度を迎えて、~原宿散策~

昨日は4月1日。新年度が始まった。私自身は、社会人になって23年が過ぎ、24年目を迎えたことになる。

3人の子供たちも、高3、中3、小6となり、上の2人は受験モードに切り替えてもらわなくてはならない。私より少し年上の妻は、50歳を見据えて、子育て後の自分のあり方を模索中で、パン教室を終えたあとは、料理教室に行こう、手話も勉強してみようと考えているようだ。新たな職場で半年が過ぎた私は、仕事で必要とされる資格を取るため、何年ぶりかの通信教育を始めた。このブログをどのように続けていけるかも、テーマの一つかもしれない。

年度替わりに合わせて、区切りをつけようと、以前から長男が中華料理が食べたい、北京ダックが食べたいと言っていたこともあって、普段は行かない原宿まで家族で行き、同潤会アパートの跡地に再開発で誕生した表参道ヒルズを見学し(完全にお登りさんだ)、代々木公園で満開の桜と、花見に興じる人々を眺めた。

Pict1240 Pict1243a Pict1246a 表参道ヒルズも、代々木公園も、たくさんの人であふれていて、いつもは吉祥寺にしか行かない我が家にとっては、too muchだった。

最後に南国酒家の原宿本館で行き、家族で中華料理のテーブルを囲み、長男お目当ての北京ダックも注文し、1時間半ほどのんびり食事をして、帰って来た。これからはファミレスだけではなく、たまには、きちんとしたレストランに連れて行くのも、広い意味では、躾け・教育の一環かなと考えている。

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2006年3月27日 (月)

人事評価の季節、自分の強みって何?

私の勤める会社では、3月は人事評価の季節だ。期初の10月にたてた下半期の目標の達成度合いを申告するのに加え、人事評価シートなるものに、自分の強みとそれを活かして実現した成果を書いて提出し、上司が、コメントを加え、人事部に提出し、それをもとに、7月に今後1年の昇格・昇給が決まる。どこの会社も多分似たようなものだろう。今の会社の評価シートは、合併前の会社のものよりは、個人の能力・強みとふさわしい仕事・業務の関係がうまく整理されていて、様式としては優れていると思う。あとは、運用の問題だろう。

米国に世論調査で有名な会社でギャラップという会社がある。ギャラップでは、世論調査の他に、コンサルティングもやっていて、長年にわたるコンサルティング業務の過程で、200万人にインタビューを行い、そこから人の才能・資質を34の行動パターンに分類している。ギャラップの考え方は、「三つ子の魂、百まで」に近く、人は生まれ育った生活環境などで15歳くらいまでにほぼ行動パターンは固まって、以後あまり変化しない。だから、企業が社員の短所を矯正するために研修等でいくら時間をかけても無駄で、長所・強みを理解し、それを活かし、より伸ばすことに注力した方が、効果があるとしている。

ギャラップでは、34の才能・資質のうち、それぞれの人の強み上位5つを提示する ストレングス・ファインダー>という手法を開発した。インターネット上の質問サイトで、30分ほど次々と示される質問にYES、NOで答えていくと、質問終了後に5つの強みを提示してくれる。関心のある方は、いずれも日本経済新聞社から出版されている『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』『あなたのなかにあるセールスの才能』 のどちらかを買われると、表紙カバーの裏に、1冊づつ別々のアクセスIDが付いていて、ギャラップのホーム・ページからストレングス・ファインダーにアクセスできる。(だたし、一つのIDで1回だけだ)

本を買い、私も試してみたが、原点思考、最上志向、運命思考、収集心、内省(それぞれの意味はプロフィールページに詳述)というのが5つの強みだった。なかなか、よく自分の強みをとらえていると思ったので、もう1冊買って、妻にもやってもらった。彼女の強みは全く違っていて、適応性、共感性、回復志向、ポジティブ、成長促進だった。
私もこれを知ってからは、改めて自分が分かった気がして、よくも悪くも、自分は自分と思えるようになったし、妻も、あらためて自分について考えるようになったようだ。この春から、高3になる長女にも、そろそろやらせてみてもいい頃かなとも考えている。

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2006年3月26日 (日)

母の帰郷

16日(金)の夜から、我が家に来ていた私の母が、今日の飛行機で、田舎に帰った。昨日は、友人と出かけた次女を除く、我が家4人と母とで、吉祥寺に行き、手芸が趣味の母はユザワヤでハギレを買い込んで、昼食に吉祥寺駅地下のロンロンで食べてから帰ってきた。今日は、2時過ぎの飛行機ということで、12時前には我が家を出て、羽田に向かった。

我が家にいたのは、ちょうど10日間。八王子の墓参り、親戚との集まり、叔母のところを訪問など、公式行事を済ませたあとは、足を少し悪くしていることもあって我が家にいて、外出は近くのスーパーに買い物に行く程度だった。当初、相手かまわずしゃべっているし、家の至るところ電気が点け放しだと、小言ばかりで、子供たちともうまくいかなのではないかと心配もしたが、子供たちもうまく付き合ってくれて、後半は我が家の6人目の家族として、なじんでいたような気がする。

妻とも話したが、しゃべるのは、誰かに聞いて欲しいからだろう。ただ、半分以上が親戚の噂話で、それもすでに何回も聞いたことが大半である。しかし、70歳を越えた老人にいまさら生き方を変えろというのも無理な話なので、なんとかこちらがあわせつつ、自分たちにとっても有効な「おばあちゃんの智恵」的なものを引き出すようにするしかない。
妻は、「1人で聞いていては、聞く方も、身が持たないので、家族5人で、交代しながら聞くこと」と言っていた。

長男は、母から、「お父さん(私のこと)は、昔は泣き虫で、運動も下手だった。それは、おじいさん(私の父)が、休みの日も会社に出ることが多く、キャッチボールもろくにしてやらなかったから…」という話を聞かされ、「なんで、お父さん(私)があまり遊んでくれないのか、納得した」という趣旨のことを話していた。多分、私がそのことをいくら長男に話しても言い訳にしか聞こえないだろうが、第三者であるおばあちゃんから聞かされれば、嘘ではないことは、分かるだろう。だからと言って、私が何もしなくても良いということにならないのは、もちろんだが、長男と私の関係に少し影響を与えたのも、間違いない。

母の方も、「みんなと一緒にいると、ご飯がおいしく食べられる」と言っていた。ひとりでいれば、作るのも片付けるのも面倒になり、栄養のバランスどころではないだろう。これからも、年に1,2回は上京するように、母には勧めている。

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2006年3月25日 (土)

担任の先生は選べない

子供が親を選べないのと同じように、親も子供も学校の担任の先生を選べない。どんな担任の先生に巡り会うか、それは運としか言いようのない面がある。

昨日、小5の長男とつくばエクスプレスに乗りながら、学校のことも聞いてみる。3学期の通知表をもらったばかりの彼は、2学期より成績が多少上がっているので、機嫌が良い。普段は家に帰ってきても、学校の書類など、妻から言われなければ出しもしないのに、終業式の日は、自分から「はい、通知表」といって見せたほどだ。

長男は、小学校3~4年の2年間、男の先生が担任だった。この先生は、かなり厳しい先生で、短所を厳しく指摘し、矯正しようとするタイプだった。長男は、親のしつけも不十分だったせいもあって、だらしない面も多かった。靴のかかとを踏んで歩く、字を書くのも乱雑。その先生には、いちいち、気にくわなかったようで、いつも学校で怒られていた。
かけ算九九を覚える時に、腕に書いて覚えようとしたことがあった。暗唱しようとして、わからなかっら、腕をまくって答え合わせをするというものだ。彼なりの工夫である。いかし、先生はそれを見つけて、そんなのはダメだと頭ごなしに烈火のごとく怒ったという。
妻も、面談等ではお宅の子は、頭はいいかもしれないが、努力せず、楽しようとするから将来絶対伸びないと決めつけられていた。父親である私も、一時は教員も将来の選択肢に加え、中学・高校の教員免状取得し、教育実習にも行ったという自負もあり、怒り方に納得がいかず、よほど直談判しようか考えたこともあった。

幸い、その担任の先生は、5年生になる時のクラス替えで長男のクラスの担任ではなくなった。今の担任は女の先生で、長男の積極性を認めてくれている。ほめてくれているようだ。(ちょっと買いかぶりすぎではと逆に心配だが…)。いつの間にか、長男は靴のかかとも踏まなくなったし、字も少しは丁寧に書くようになったようだ。それは、もちろん、先生が代わったことだけが理由でもないと思うが、やはり、最初から自分の行動・存在を否定的に見られているのと、認めてもらった上で叱られたり、指導されたりするのでは、生徒の側の受け入れ姿勢も違ってくるだろう。

小学校最終学年を迎えるに当たって、今の担任の先生が持ち上がってくれることを、願っている。

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2006年3月24日 (金)

つくばエクスプレス

08_ph01_s 今日は、1日休暇を取って、3学期が終わったばかりの小5の長男と開業して間もない「つくばエクスプレス(TX)」に乗った。TXの運行会社である首都圏新都市鉄道(株)に知り合いがいて、1度乗って欲しいと頼まれていて、ようやく約束を果たした格好だ。
(左の写真は、つくばエクスプレスのホームページよりダウンロード)

秋葉原からつくばまで、最速の快速で45分。午後から出かけたので、TXの秋葉原駅に着いたのが、3時過ぎで、3時発の快速が出た直後だったので、 各駅停車で途中の守谷まで行き、そこで、少し待って、つくば行きに乗り継いだ。秋葉原を出て、ほぼ1時間で、つくばに着いた。長男が、秋葉原探索をしたいと言っていたこともあって、駅前のショッピングゾーンで、ちょっとぶらぶらして、ハンバーガーを食べ、30分ほどで、帰りの列車に乗った。帰りは、区間快速で、つくばから秋葉原まで52分である。
秋葉原に戻ったのは、6時近く。それから、1時間ほど、長男のゲームセンター巡りにつきあって、戻ってきた。

つくばエクスプレスが、まだ常磐新線と呼ばれ、首都圏の大型鉄道プロジェクトとして騒がれていたのが、つい昨日のことのようだ。計画当時は、バブルの盛りで、鉄道新設により沿線の地価が上昇するので、その値上がり益を「開発利益」と称し、それをどのようにして、多額の投資をした鉄道会社が享受できるようにするかと言った議論がされていたように思う。当時と比較して、秋葉原の駅と駅周辺の変貌はすさまじく、時の流れを感じずには、いられなかった。

どちらかといえば、私の用事に、長男をつきあわせた形になったが、これから思春期を迎え難しい年頃になり始めることもあり、家族5人の中で、男どうし2人だけで行動する時間を作っていくことも必要だろうと考えている。

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2006年3月22日 (水)

家族における全体と個人

昨日、春分の日は、WBCの決勝を見終わったあと、上京している母と我が家族を連れて、叔母(母の妹)の家に行った。つい最近、戸建ての家を売り、新築マンションに住み替えたばかりだ。新居のお披露目もかねて、お招きに預かり、食事をご馳走になった。ただ、もっぱら、母と叔母のおしゃべりが中心で、3人の我が家の子ども達にとっては、退屈だったようだ。

家に帰ったのは、夜の9時過ぎで、作文の宿題があったことを思い出した、中2の次女は、突然、「私は行きたくなかった。私の貴重な休日を返せ!この間も、お墓参りで、休みが潰れたじゃないか!」と泣きわめき出した。大荒れだ。
親としても、連日、社交儀礼に連れ出した弱みもあり、なるべく、刺激しないように、なだめるのだが、なかなか、怒りは収まらないようで、30分ほど吠えていた。

今、我が家の5人の価値観は大きく変わりつつある。高2の長女は、すでにGoig mywayで、自分の世界を確立しつつある。中2の次女は、もとより自己主張が強かったが、今はいわば子供と大人の間で、さらに扱いが難しい時期だ。一方、まだ小5の長男は、最近急に背が伸びて姉たちと変わらなくなったが、まだ、親にも甘えたいし、家族で一緒に何かをするということに、けっこうこだわりを持っている。

家族も一つのチームであり、社会の中で最小単位の組織であり団体だと思っている。家族のために何かする、ということを意識させることも必要ということで、家族での団体行動を強いることもあるが、一方で、子供達が家族に依存してしまい、個人として独立できないのも困る。その舵取りは、父親の役目だが、いつも試行錯誤の連続だ。最後は、自分を信じて子供達と向き合うしかないと思っている。
(次女は、30分ほど叫び続けたら、ストレス発散が終わったのか、おとなしくなった)

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2006年3月18日 (土)

妻の工夫

今日は、高尾にある都の霊園まで、お墓参りに行ってきた。私にとって、母方の祖父母、すなわち母の父と母のお墓である。我が家からは、お墓までは相応の距離もあり、多摩川を越えねばならず、彼岸の入りの土曜日ということもあって、朝9時過ぎに出たものの、霊園に着いたのは正午近かった。

母の途切れることのないおしゃべりの聞き役をしてくれている妻は、時間を無駄にしないため一計を案じた。母が得意とする編み物を教えてもらうということにして、話を聞きながら、毛糸で編み物をすることにしたのだ。今朝から始めて、今日の行き帰りの車の中でも、母の話を聞きながら編み棒を動かし、毛糸の帽子を一つほぼ作り上げてしまった。
自分の得意なことを教えて欲しいと言われ、母はよろこんでいるし、妻も、これまであまり得意でなかった編み物の指導が受けられるということで、一石二鳥の解決策だった。
妻には、ひたすら、感謝だ。

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2006年3月17日 (金)

母の上京に、同居の現実を思う

今日の夕方、母が我が家にやって来た。前回、来たのは、4年半ほど前で、今の家を買った直後だった。

とにかく、よくしゃべる。しゃべり疲れないのだろうかと、こちらが思うほど、途切れることがない。昨日まで行っていた妹の家族の話、福岡にいる弟の家族、親戚の話、自分が子どもだったころの話(戦争中で、疎開の経験がある)、私が子どもだった頃の話。
私の子どもたちは、しばらくいると聞き役が面倒になって自分の部屋にこもってしまう。聞き役は、もっぱら妻の引き受けてくれている。おばあちゃん子だった妻は、年寄りの相手が苦にならないらしい(あるいは、我慢しているかもしれないが…)。介護ヘルパー2級の資格を取って、我が家の近くのお年寄り相手のデイケア施設にパートに通っているほどだ。

しかし、それにしても、母はどうして、切れ間なくしゃべり続けるのだろうか。無愛想だった父にあまり聞いてもらえなかった代償を今求めようとしているのだろうか。きっと、何か満たされないものを埋めようとしているのだと思うが、核心のところはよく分からない。

もし、同居することになれば、この果てしなく続くおしゃべりの相手を誰かしなくてはならない。聞き役になる妻の方は、聞いている間、何もできない。しゃべっている母の方は、自分が相手の時間を拘束し、無駄に消費させていることに気がつかない。
おそらく、こんな日常の小さなすれ違いをどう埋めていくのかが、親との同居で現実に向き合わなくではならない課題なのだろう。自分の母親とはいえ、前途洋洋ならぬ前途多難だ。

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2006年3月16日 (木)

母の上京

今週、私の母が上京している。妹夫婦のところの子どもが幼稚園の卒園、小学校入学ということで、お祝いもかねて来ていて、明日から、我が家に来る。

父が、私が結婚した直後に亡くなったため、母と姑(しゅうとめ、父の母)と同居生活が始まった。最初は、妹、弟も一緒だったが、それぞれ結婚して独立した後は、嫁と姑の2人の生活が続いた。その姑も、90才を過ぎ、転倒して骨折し、入院。2年ほど入院生活をした後、一昨年の夏に亡くなり、いよいよ、母ひとりの生活が始まった。すでに、母自身も70才を過ぎている。
上京して、私の家に同居しないかと話したこともあるが、父と苦労して建てた住み慣れた我が家は離れたくないらしく、今でもひとり暮らしをしている。幸い、実家のある福岡には、弟夫婦がいるので、たまに彼らが様子見に顔を出してくれているが、子どもも小さく、あまり当てにする訳にもいかない。

これまで、長く姑と同居して、苦労もしているだけに、なるべく母の好きにさせてやりたいとは思うものの、70才の老人をひとりで遠方でひとりで生活させているのも、心配の種である。弟からは、『相当、衰えてきた』とも言われていて、悩みはつきない。

ようやく子育てが一段落したと思ったら、次には親の介護という問題が迫っている。今回の上京を機に、母親本人とも話をしなければならないと思っている。

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2006年3月12日 (日)

ドラマ「指先でつむぐ愛」を見て

一昨日の夜、フジテレビのドラマ「指先でつむぐ愛」を見た。新聞の番組欄に載っていたので、見てみようかと思っていたら、妻もそう思っていたようで、2人で見た。

9才で失明し、18才で耳も聞こえなくなった全盲聾の福島智さん(現東京大学助教授)を中村梅雀さんが、その妻光成沢美さんを田中美佐子さんが演じている。原作は、沢美さんが書いた『指先で紡ぐ愛』(講談社)である。

福島さんは、子どもの頃の記憶で喋ることはできるが、外部からの情報入手は、指点字という通訳者の指の「手話」だけである。

2人がリハビリセンターで講師と生徒として出会って、互いに思いを寄せ、結婚するまでの前半。夫婦となってから、2人の出会った東京を離れ、金沢大学で助教授として教える夫を妻、通訳者として公私ともに支える中で、沢美さんは、自分の存在・役割に疑問を感じ、葛藤が起きる。最後には、その思いを夫にぶつける。

福島さんは、『自分を大切にできない人間は、他人も大切にできない』『一人で生きていけない人間は二人でも生きていけない』と言い、『君が何かをしてくれるから一緒にいるのではない、君の存在そのものが自分には必要なのだ』と語りかける。

障害者の夫とその妻という形で表現されているが、底流に流れるテーマはどの夫婦にも共通の問題だろう。原作も読んでみたい。

ドラマのあらすじや主演2人のコメントはフジテレビのホームページに掲載されている。ドラマ→金曜エンタテイメントと進み、「指先をつむぐ愛」バナーをクリックすると見ることができる。(勝手にリンクは張れないようなので)

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2006年3月 8日 (水)

親と子の連鎖

長女が生まれた時、全然よろこばなかったと言って、今でも妻に恨まれている。TVドラマによくある、初めての子どもが生まれて大はしゃぎする父親を期待されていたらしい。
決してうれしくなかったのではない。しかし、この子をこれから一人前になるまで育てていかねばならないという責任の方をより感じて、はしゃぐ気にはなれなかった。

確かに、生物学的には親になったのかもしれないが、そうなって初めて、自分が親としてどう振る舞えばよいのか、まったく手探りであることに気がついた。手本は、自分の父、母しかないのだ。

私は、子どもと無邪気に遊ぶということができなかった。(これも妻に恨まれている)
突き詰めて考えると、自分が父に遊んでもらった記憶がほとんどない。新聞記者だった父親は、朝の出勤が遅い分、夜帰ってくるのも遅く、土日も出勤ということが多かったし、土日が休みの時は疲れていたのか家で寝ていることが多かった。
記憶をたどっても、幼い頃一緒にプラモデルを作ったことが一回、中学生の時、家族で熊本まで日帰り旅行したことが1回。将棋は何回も指したが、キャッチボールなどはした覚えは全くない。自分が遊んでもらったことがないので、どうすれば子どもがうれしいのか、実感がわかないのだ。

子どもが小さい時の遊び相手は、保母の資格も持っている妻に任せきりだった。唯一、私がやったことは、北陸で暮らした5年間(ちょうど長女の小1から小6まで)、家族でよく旅行したことぐらいだ。北陸一円はもとより、佐渡、上高地、北海道、奈良、伊勢志摩、夏休み山陰路を車で福岡まで泊まりながら帰ったこと。これとて、子どもの見聞を広めることもあったが、それ以上に自分がいろいろなところに行きたかったということがあった。

一方、父は、仕事柄、家族の前で、時事解説のようなことをよく話していた。世の中の出来事には、必ず裏がある。子ども心にそう感じていた。その父は、私が結婚した年の9月、妻のお腹の中の初孫の名前は考えてくれたが、顔を見る前に亡くなった。これから、親の先輩として教えてほしいことが、山ほどあったのに…。

結局、自分も、子どもたちに語ることしかできない父親になってしまった。子どもたちが、思春期を迎え、進学や就職で悩むこれからが、父親としての自分の出番ということで、妻とは役割分担している。これから、存在意義が問われる父である。

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2006年3月 6日 (月)

春一番とお水取り

今日は、関東地方にようやく春一番が吹いたそうだ。昨年よりも11日遅いという。ようやく梅の花もほころび始め、茶褐色だった木々に彩りを添えている。

今日は、我が家の18回目の結婚記念日だ。新婚旅行で奈良と伊勢・志摩を巡った。ちょうど、奈良では、東大寺二月堂のお水取りの時期で、夜、東大寺まで火の粉を浴びに行ったのを思い出す。

なぜ、妻と結婚したのか。当時の私は、誰かに話を聞いてもらいたくて仕方なかった。彼女が、私の話を、一番おもしろがってきいてくれた。しかし、自分のことを話すのに夢中で、相手の話はあまり聞いたいなかったのかもしれない。その年の年末には長女が生まれ、なれない東京での社宅暮らしに子育てのストレスも重なったのか、過換気症候群になって救急車で病院に運ばれたこともあった。

最近は、日曜日の朝、子ども達が起き出す前に、2人で近くの駅まで片道30分の散歩をしている。駅前の喫茶店でコーヒーを飲んで、帰りも30分歩く。歩きながら、私が聞き役になるように心がけている。

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2006年3月 5日 (日)

受験生の親として考えること

4月から、娘2人がそれぞれ高校3年と、中学3年に進級する。受験生だ。

高度経済成長の終焉、人口減少社会の到来により、自分たちが生きてきた時代とは社会の枠組みが大きく変化する中で、子供たちの進路選択にどういうアドバイスをするべきか、親として悩みはつきない。

自分が受験生だった昭和50年代前半は、勉強をしていい成績を取り、より難易度の高い高校、大学に進学し、一流企業に入ることが、成功者であると信じられていた。少なくとも、我々の親の世代は、その方程式がそれなりに機能していた。しかし、そのレールに乗って走ってきた我々の世代は、バブル経済の崩壊により、多くの一流企業が消滅し、ゴールを切る前に、つまずいた人の方が多いだろう。

それでも、自分の周りを見渡す限り、学歴信仰は根強く、進学校に子供を進学させようという親は多い。
それは本当に子供のためになるのだろうか?窮地に追い込まれた時、いい学校の出身者が、そうでない人より、常に力を発揮しただろうか。社会に出て働いている親には、必ずしもそうではないことはわかっているのに、子供には、従来のレールを走らせようとする。私には、親にとって、その方が世間体がいいから、なんとなく安心できるから、やっているだけと思えて仕方がない。

これからの社会は2つの点で、これまでと大きく変わると考えている。一つは、企業・家庭でのIT化が進む中で、単純な事務処理作業は、急激に減っていく。デスクワークに求められるのは、考える仕事だけになる。従来、企業で一般職といわれる人(主に女性)が行ってきた事務処理の仕事は、大部分、コンピューターに取って変わられる。二つめは、人口減少社会の進展で、より一人一人の消費者の存在感が増し、個々人の個性、感性を満足させる商品やサービスが求められることになる。

結果として、これからの社会で求められる人材は、自分で考え、問題を見つけ解決することができる人、また人の感性に訴えるものやサービスを作り出せる人ではないかと思っている。

娘たちには、何か人の感性に訴えることができるモノ作りの技術を身につけて、社会の巣立っていってほしいと考えている。
4月に高3になる長女は、宣言しただけで、ずっとホームページを作れずにいた父親を尻目に、自分描いたイラストと好きな音楽を紹介するホームページを立ち上げてしまった。将来は、服の型紙を作るパタンナーになりたいと言っている。

中3になる次女は、小6の学芸会で準主役をやったことがきっかけで、演劇に目覚め、中学でも演劇部に入った。その一方、家では、母親の代わりに家族の食事を作ったり、ケーキ作りを趣味にしたりしている。制服のある高校には行きたくないと主張しており、次女にふさわしい高校を探すのが、この春の我が親子のテーマの一つである。

しかし、子育ての一番難しいところは、やり直しがきかないところだろう。私が想定したような社会にならなかった時は、子どもたちに自分で考えてもらうしかない。せめて、自分で考える力だけは、身につけさせなくてはと考える毎日だ。

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2006年3月 3日 (金)

喫茶店のマスター?

私の妻は、今、パン作りにはまっている。パン作りの教室に通い、これまでベーカリーショップで買っていたようなパンを作っては、家族に食べさせている。そろそろ、パン教室のカリキュラムも終わりに近づき、もう少し頑張ると、パン教室の講師の資格も取れるらしい。

最近になって
「私の夢は、田舎で小さな喫茶店を開くこと。私がパンを焼くから、あなたはおいしいコーヒーを入れて。」と言い出した。私はいつの間にか、喫茶店のマスターだ。
雑誌でこじゃれた喫茶店を見つけると、今度、参考のために行ってみようとチェックしている。(我が家が好きな吉祥寺は、そういった喫茶店の宝庫であり、参考事例には事欠かないだろう。)
まだ家のローンも残っているのに、資金の手当てなどどうするつもりなんだ?とは思うものの、あまり水を差すようなことばかり言っていると「夢のない、つまらないヤツ」と言われそうなので、ふんふんと話し半分で聞いている。

しかし、考えてみると、結婚当初、彼女は、「私は娘が生まれたら、一緒にパンやクッキーを作るのが夢なの」と言って、オーブン機能の付いた電子レンジを買っていた。そして、パン教室に通い出して、それでは物足りなくなると、単身赴任中の私のところに電話してきて、パートで貯めたお金で買うからと、ガスオーブンと発酵器をあっという間に揃えてしまった。そして、母がパンを焼くガスオーブンを使って、今日も次女がケーキを焼いている。

ひょっとすると、田舎の小さな喫茶店も実現してしまうかもしれない。それまで、喫茶店巡りにつきあう日々が続きそうだ。

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2006年2月26日 (日)

四字熟語

ある時、誰かに聞かれた。
「思いつく四字熟語を2つ言ってみて」

四字熟語なんて、いくらでも知っていると思うのだが、急に言われると、なかなか思いつかない。考えている中で、頭に浮かんだのが、「栄枯盛衰」と「前途洋洋」だった。

私に聞いた某氏曰く。
「1つめは、自分の人生をあらわし、2つめは、夫婦の関係をあらわす。」
本当か?とは思ったものの、結構、当たっている。

人は誰でもそうかもしれないが、これまでの自分の人生を振り返ると、いろいろなことがあった。

大学入試は、共通一次初年度だった。地元国立大学を受験したが、合格発表に自分の受験番号はなかった。現役合格に喜ぶ同級生を横目に見ながら、予備校の入学手続きを済ませた。
合格発表から3週間、予備校の春期講習が終わった日の夜、大学から突然の電話。「今日の会議であなたの合格が決まりました。入学されますか?」「えっ。もちろん、喜んで入学させてもらいます。」あとは、何を言ったのか覚えていない。

大学4年時の就職活動、自分としては満足できる会社に就職が内定した。大学卒業、入社。15年以上勤めた30代後半になって、バブル崩壊後の経済混乱の中、会社のトップは同業者と合併を決めた。それから、約2年後に合併。職場環境も、雰囲気も、処遇も全く変わってしまった。

新職場で、約4年、仕事も安定したところで、秋に北国への転勤の辞令。子供も大きくなったこともあり、初めての単身赴任。冬の朝、路面がうっすら凍る中、通勤途中に足を滑らせて転倒し、肩の骨を骨折。単身赴任から戻った現在でも、リハビリを続けている。

いいこともあれば、悪いこともあり、「栄枯盛衰」というのも、当たっているような気がした。夫婦の関係が「前途洋洋」かどうかは、自分たち次第だとは思うが、結婚して17年、今のところは、夫婦の会話も途絶えることなく、続いているので、これからも、努力していくしかない。

自らを振り返えり、今後を考えるブログということで、この2つの四字熟語をタイトルにした。

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