2019年12月21日 (土)

令和元年の年の瀬にブログ更新を再開

このブログを更新しなくなって久しい。
長期中断前の最後の記事は2016年1月11日の「第65期王将戦七番勝負第1局、郷田真隆王将が最強の挑戦者羽生善治名人に完勝」になっている。
見る将棋ファンで特に郷田真隆九段を応援していたので、これまで1300件以上投稿してきた記事の3割ぐらいは将棋の記事だ。この第65期王将戦七番勝負で郷田九段は積年のライバル羽生善治名人の挑戦を退け、初めてタイトルの防衛に成功した。しかし、翌年の第66期では久保利明九段の挑戦を受け、初戦から3連敗。その後2連勝して3連覇に望みをつないだが第6局で敗退して王将タイトルを失い、また20代の若手棋士の台頭でトップ棋士の証(あかし)であるA級からも陥落した。私の将棋熱もクールダウンしていった。

郷田九段はトップ棋士がひしめく羽生世代の中で、二度のA級陥落を乗り越えA級に定着したこと、40代になって棋王・王将というタイトルを獲得したことなど「中年期の危機」をテーマにこのブログを始めた私にとって、中年期の危機に雄々しく立ち向かいそれを乗り越える姿が、このブログのテーマの象徴のように見え、応援していた。

長期中断は、郷田九段の低迷より、自分の仕事が忙しくなったことと書きたいという欲求が以前ほどではなくなったことが理由だ。書くためには、書きたいテーマが必要だが、1300以上の記事を書いたことで、それまで自分の中にあった書くべきネタをほぼ書き尽くしてしまったのだと思う。
新しいものを書き出すためには、書きたいものやことが自分の中に澱のように積み重なっていく必要がある。OUTOUTのためにはINPUTが必要なのだ。ほぼ4年の長期中断はその書きたいことを沈澱させる期間だったように思う。

2011年3月に新しい職場に移って国内で多くの地域に出張した。また、2015年のラグビーワールドカップで日本代表が南アフリカに勝利した「ブライトンの奇跡」以降、ラグビーファンに復帰し、スーパーラグビーとトップリーグを見続けてきた。今年2019年のラグビーワールドカップでの日本代表のレベルアップを目の当たりにした。
プライベートでも一昨年の暮れ母が亡くなり、つい先日義母(妻の母)が亡くなった。元号も今年、平成から令和に変わった。自らも、来年には還暦を迎える。
公私ともに多くのことが重なった年の瀬。休んでいたブログを再開しよう。新しい令和の時代に考えたことを書き留めておこうと思う。

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2009年11月11日 (水)

49歳という年齢とブログのテーマ

先月49歳になった。このブログを書き始めた2006年2月には、まだ45歳だった。それから3年半が過ぎた。ブログを書き始めた時のテーマは「中年クライシス(中年期の危機)」だった。ブログを書き出す1年前、札幌に単身赴任をしていた私は、朝通勤途上に凍結した雪道で転び、右肩の骨を骨折し、手術と術後のリハビリのため3週間入院した。札幌では、職場の上司と折り合いが悪く、右肩の骨折は、自分自身の「挫折」を象徴するものでもあった。

骨折から約半年で札幌から東京に戻り、さらに半年。自分の中で形になりきれないものを文章という形にしてみたかったというのが、今から振り返って見れば、このブログを始めた動機なのだと思う。
自分自身が抱え込んだ「中年クライシス」を、何かを書くことで克服していきたいということだったのだと思う。
一時期は、毎日1タイトルを自分に課し、実践してきた。3年以上経過して、記事も1000件を超えた。アクセス総数も50万件を超えた。

最近は、書きたいと思うことが減ってきてしまった。何故だろう?と自問してみると、答えは二つ思い浮かぶ。
一つめは、ネタ切れである。書くとは、自分の考えていることをまとめて、文章としてアウトプットすることである。そのためには、まとめるための、材料が必要だ。これまでの自分の中の蓄積に、何らかの刺激が加えられ、新たな「ものの見方」や「考え方」を思いつく。畑となる自らの蓄積を常に豊かにしておく必要があるし、またその畑に新しい種をまき続けることも必要だろう。しかし、この1年ほど、本当の意味で、自分の蓄積となるものも少なかったし、それを活性化させるための種まきの、不十分だったように思う。
結局、これかまでの蓄積だけで書いているだけになってしまい、まず自分自身にとって書くことがつまらなくなってしまった。

ふたつめは、いい意味でも悪い意味でも、私にとっての「中年クライシス(中年期の危機)」が終ったということなのでないか、ということである。振り返って見ると、それは何かが解決されたわけではなく、ただ時間の経過とともに、その時期が過ぎてしまったということのような気がする。50歳をあと1年後に控えた身には、すでに「中年クライシス(中年期の危機)」で直面した問題とは別の問題が降りかかってきている。自分には確実に老いの問題が押し寄せる中で、それと絡み合うような形での、子どもの巣立ち(自立)と親の介護という問題である。「中年クライシス(中年期の危機)」には、自分自身の再構築(リストラクチャリング)というテーマがあると思うが、50代のテーマは、自分自身から一歩踏み出し、「家族」という社会を構成する最小の集団を足場、出発点にして、自分の周りにある社会にどうかかわっていくかということなのではないかという気がしている。

昨年8月のリーマンショック以降、そのかかわるべき社会の姿そのものが、世界中で大きく変貌を遂げていて、日本にも政権交代という大変革が起きている。私が50代を過ごすことになる2010年代は、冷戦終結後の世界を支配してきた、儲かることのみが善、利益がすべてという新資本主義の時代の破綻を受け、新しい世界、社会の枠組みを模索する10年間になるだろう。
そのなかで、自分がどのようなスタンスで社会とかかわっていくのか、それを考えないことには、なかなか生き抜いていくのも難しいのではないだろうか。

最近、おぼろげながら思うのは、我々の後に続く世代のために何ができるのか考え、実行していくことしかないのではないかということである。まず、自分の周りの後輩たちが少しでも、働きやすく、生きやすくするために行動することが大切なのではないか?我々の世代ひとりひとりがそういう思いで行動すれば、この世知辛い世の中も少しは暮らしやすくなり、ひいてはそれが、自分たちの子どもの世代にも影響していくのではないだろうか。

孔子は論語の中で、40歳は不惑の年といい、50歳で天命を知ると教えている。「自分の周りの後輩たちが少しでも、働きやすく、生きやすくするために行動する」ということが、果たして天命といえるほどのものかどうかは、わからないが、やはり40歳と50歳には大きな違いがあるように思う。この1年をかけて「中年クライシス(中年期の危機)」に代わるブログのテーマを考えることにしたい。

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2009年6月 1日 (月)

「中年クライシス」から「中年の覚悟」へ

このブログを書き始めたのが、2006年2月。3年ほど前のことである。まだ、私は40代半ば、ブログのテーマは「中年期の危機」(中年クライシス)だった。

これまで、とにかく一生懸命前を向いて走ってきたけれど、この先はどこへ続いて行くのだろう。これまで通りの生き方を続けていていいのだろうか?
若い頃自分が目指していた自分の姿と、40代半ばの自分の現実の姿。そこには、明らかにギャップがある。なぜ、こうなってしまったのか?そして、これからどうなっていくのか?
人生の折り返し点を迎え、自分の前半生の意味を考え込んでしまうのが、「中年クライシス」ではないかと思う。おそらく、そこで一度自分の生き方を見つめ直し、必要があれば修正をして、残る後半の人生の生き方の羅針盤を見つける必要があるのだろう。

私がこの3年ほどブログを書きながら、思ったのは、結局は自分の人生には、自分で責任を負うしかないということである。誰も、私の人生を私の代わりに生きてはくれない。
いいことも、悪いことも、結局は自分の巻いた種、自分の身から出た錆、それを引き受ける覚悟をすることしかないのだと思う。

その上で、これからの後半生に何をするのか、何がしたいのか、考えるしかないだろう。後半生の入り口となる「50代」は、もう目の前。50歳までの残りの1年余の間に、50代をどう生きたいか考え、準備をすることから始めなくてはいけないと思っている。

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2007年3月 5日 (月)

大人と子供を区別するもの、人の事を考えられるか

3月の入り、気温も上がり春めいて来ている。多くの企業では、2006年度の年度末を迎える。2月の下旬から3月の上旬は、新年度を控え、どこの企業でも大きな人事異動があるのでは、ないだろうか。私の職場でも、先日、人事異動があり、2人の転出と2人の転入につき、発令があった。

人事異動があるたび、職場での人間関係が、また少し更新される。いい関係が築けている人とも、あまり相性の良くない人とも、人事異動になれば、関係がリセットされる。自分が動く時も、相手が動くときも…。

どうやっても、うまく関係が作れない相手がいる。上手く歯車が噛み合わないことがある。こちらは、全く相手に対して悪意はないのに。そういう人が上司になると悲劇である。

どういう人と、上手く噛み合わないのだろう?などということは、あまり考えたことはなかったが、先日、妻と話していて思い浮かんだことがあった。共通するのは、それぞれみんな、「自分が一番大事」、「自分が一番かわいい」という思いを心の底に持った人だったのではないだろうかということである。
上司や先輩など、上に立つ人は、全体のことや、部下・後輩のことを考えるとは当然だと、私は信じているので、そうではなくて、「自分が一番大事」という姿勢が見え隠れすると、一気に興ざめしてしまう。

子供は、自分の事しか考えられない。いつも、自分が世の中の中心である。しかし、年齢を経るにつれ、人との関わりの中でしか生きられないし、人によって生かされているのを知る。それに気づいて、少しずつ大人になっていくのではないか。最近、そんな気がしてしている。

しかし、世の中を見回すと、体は立派な大人でも、心は子供のままの「自分が一番大事」な人もいる。どうすれば、いいのか。関わらなくて済むのなら、そういう人とは関わらないのが一番だということだ。人生折り返しを過ぎた、40代半ばの我々には、残された時間はまだあると思うけれど、無駄に使うのはもったいない。
もちろん、立場上、関わらざるを得ない時もある。その時は、やむを得ない。しかし、自分に選択の余地がある限り、より良い人間関係を求めていく努力をした方が、豊かな人生が送れるのではないだろうか。そして、より良い豊かな人生を送った方が、結局、世の中のため、人のためになる何かが生み出せるのではないか。自分の充実があってこそ、人のために何かできるというものであろう。
自分の生き方の線は、より良い線と交わらせたい。そう思うことは、わがままなのだろうか。

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2007年3月 3日 (土)

訃報:『14歳からの哲学』の池田晶子さん死去

今朝の朝日新聞を見て驚いた。『14歳からの哲学』((株)トランスビュー発行)などの作品で著名な、池田晶子さんがさる2月23日に腎臓がんでなくなっていたという死亡記事が出ていたのだ。

14歳からの哲学―考えるための教科書

『14歳からの哲学』に「考えるための教科書」というサブタイトルがつけられているように、池田さんは、平易な言葉で、哲学を語り、考えることの大切さを説いてきた人である。
タイトルと語り口に惹かれて、数年前に『14歳からの哲学』を買ったところ、自分と同じ1960年生まれと知り、同世代のオピニオンリーダーとして遠くから期待していた見ていた人の一人だった。

記事は「昨夏、病気がわかり入院、いったん退院したが、今年1月に再入院した。亡くなる直前まで、週刊誌の連載執筆を続けていた」と締めくくられている。

『14歳からの哲学』の中には「死をどう考えるか」という章がある。

「死ぬ」ということは、本当はどういうことなのだろうか。人が生まれて死ぬということは、いったいどういうことなのだろうか。
生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。人は「死」という言い方で、「無」ということを言いたいんだ。でも、これは本当におかしな事なんだ。「無」といことは、「ない」ということだね。「無」とは「ない」ということだね。無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。
(『14歳からの哲学』50ページ)

2007年の日本に、確かに池田晶子さんの「死」はあった。しかし、池田さん自身にとって、「死」はあったのだろうか。それは、池田さんにしかわからないし、その答えが聞ける日が来ることはない。
同世代の貴重な才能が逝ってしまったことを惜しみ、謹んでご冥福をお祈りしたい。

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2007年2月17日 (土)

生き方線

近づけど決して交わらざる思い人の心は放物線に似る
(松村由利子『薄荷色の朝に』40ページより)

放物線という表現が、思っている人に近寄れそうで、近寄れないもどかしい思いを表現しているように思う。

私も、昔から人の生き方って、一本の線のようなものではないかと思ってきた。日本だけでも1億人以上の人がいて、その中のほんの一握りの人と、学校や、職場や、地域、家庭で関わって生きている。しかし、未来永劫ずっと関わり続けるわけではない。

学生時代に親しくしていた友人とも、社会に出れば、別れ別れになる。それは、自分の人生、生き方という線が、学生時代にはその友人の描く人生、生き方の線と寄り添い、交わっていたものが、社会に出ると離れて別々になってしまうということだ。そのまま、離ればなれになりもう二度と交わらない線もあれば、いつかまた交わる線もある。
また、今は全く関わりのない線と将来どこかで交わり、それが自分の生き方に大きな影響を与えるかも知れない。

その生き方の線の描き方線も、きっと人によって様々で、いつも真っ直ぐな人もいれば、私など常に紆余曲折を繰り返しているように思う。中には、円を描いて、中心を離れることなく、同じところにとどまってしまっている線もあるように思う。
できれば、関わりたくない線もあれば、最初の歌のように関わりたいけれど、どうしても交わらない場合もあるだろう。関わりたくなくても、関わらざるを得ない線もあったりする。

その線の交わり方の偶然と必然に、いつも人生の不思議を感じるのだけれど、これまでは、どちらかといえば、流れに身を任せていて、自分から能動的に動いていたことは少なかったように思う。

しかし、40代も半ばを過ぎて、人生も半ばを過ぎたと考えた方が良い年になって、最近、思うのは、そろそろ、流れに任せているのではなく、どの線と交わるのか、自分で能動的に動いた方がいいのではないかという気がしている。
むしろ、関わりたい相手の生き方の線にこちらから近づいていく。昔の友人との再会であれ、新しい出会いであれ、待っているだけでは、いい出会いは生まれない。やはり、こちらから一歩踏み出す必要があるだろう。

しかし、そのためには、自分自身のレベルアップも必要である。相手にとって、関わって、なにがしかの意味のある線でなければ、いずれ相手が離れていってしまうだろう。あるいは、最初から相手にされず、こちらが放物線になってしまうかもしれない。

その中で、一つだけ心がけたいと思っているのは、どんなことがあれ、いろいろな人の生き方の線と交わりながら、少しでも前へ進むことである。
閉じた円になってしまって先に進めなくなったり、放物線になったまま、後戻りして帰って来れなくなることがないよう、曲がりながらも前に進む一本の線でありたい。

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2007年1月22日 (月)

竹橋-飯田橋間を歩きコンティンジェンシープランを実践する

今日から2週間ほど、神田錦町で仕事。朝は、地下鉄東西線の竹橋駅で降り、気象庁を横目に、北に少し歩く。

仕事が終わり、今日は少し長く歩こうと地図を片手に歩き出す。神田錦町を北に歩けば、神保町界隈、三省堂本社ビルなど新刊書、古書を扱う書店が軒を連ねる。
本屋にいれば退屈しない私としては、どこに寄ろうか悩むところだが、今日は岩波書店のビルの1階の書店に入った。ここで、「ゲド戦記」シリーズの邦訳をした清水真砂子さんの講演をまとめた岩波ブックレット『「ゲド戦記」の世界』を購入。

飯田橋まで歩くことにして、専修大学の横を通り、首都高速をくぐり、JRグループのホテルエドモントの明かりが見えたところで飯田橋についた。

(横道にそれる話になるが、いま「エドモント」と入力し変換しようとしたら、うまく行かず、江戸とか門とかが出てきた。このホテルは、建てられて20年くらいになると思うが、ひょっとすると名前は「江戸門戸」とか「江戸門都」、あるいは「江戸門徒」といった言葉から連想されたのかも知れない。これまで思いもしなかったが…)

閑話休題。これまで、通勤に使う地下鉄東西線の経路を機会を見つけては歩いているが、日本橋近辺にある職場から竹橋までは、仕事の帰りに何度も歩いているし(日本橋-竹橋)、以前、飯田橋で仕事があった時には、飯田橋から高田馬場まで1時間ほどかけて歩いたことがある(飯田橋-高田馬場)。今日、竹橋から飯田橋まで歩いたことで、隙間を埋めたことになり、日本橋-竹橋-飯田橋-高田馬場というルートを歩いたことになる。通しで歩くと2時間から2時間半というところだろうか。

歩くのは、減量が最大の目的だが、もう一つ、地震があった場合に歩いて自宅まで帰れるようにという自分なりのコンティンジェンシープラン(=緊急時対応計画)の準備でもある。地震など起きて欲しくないが、万が一起きた時、地図がいつも手元にあるとも限らない。何もなければ、自分の頭の中にある地図だけが頼りだ。
高田馬場までは、せいぜい3分の1。高田馬場から残り3分の2は新青梅街道になるのだが、高田馬場から新青梅街道に出る道は、まだ未踏破であり、また機会を見つけて歩かねばならない。

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2007年1月 5日 (金)

訃報:百ます計算の考案者岸本裕史さん死去

今朝(2007年1月5日)の朝刊の訃報欄で、岸本裕史さんが昨年の12月26日に亡くなっていたことが伝えられていた。

岸本さんは、1930年の生まれで、神戸市で小学校の教員を40年勤めた。読み書き、計算など基礎学力の充実の必要性を早くから訴え、今や多くの小学校で使われている100ます計算の考案者でもある。
100ます計算の実践で成果を上げ有名になった蔭山英男さん(現立命館小学校副校長)も、若い頃、自らの教育手法に試行錯誤する中、岸本さんと出会ったことが転機になっている。

私が、岸本さんの著書と巡りあったのは、今から20年以上も前、大学生の頃である。大学生協の書店で『見える学力、見えない学力』(岸本裕史著、大月書店国民文庫)を目にして、タイトルに惹かれて手に取ったのが最初である。初版発行が1981年3月とあるから、新刊として発売されて間もない頃だったのだと思う。

見える学力、見えない学力 (国民文庫―現代の教養)
見える学力、見えない学力 (国民文庫―現代の教養)

その後、この本は版を重ね、1996年3月には改訂版も出されている。私は、何度かこの本を買っているのだが、手元にある改訂前の1冊ので奥書に1992年10月の49刷とある本の帯には、90万部突破とある。おそらく、現在は100万部を突破しているだろう。息の長いロングセラーであり、今、読んでも、言われていることの本質は全然古くなっていない。

この本の中で、著者は学力を氷山にたとえている。

 氷山を思い浮かべて下さい。氷山というものは、大部分が海面下に沈んでいて、八分の一だけが海面上に姿を見せています。子どもの学力も、それと似ているのです。テストや通知簿で示される成績は、いわば見える学力なのです。その見える学力の土台には、見えない学力というものがあるのです。見える学力をたしかに伸ばすには、それを支えている見えない学力をうんとゆたかに太らせなければならないのです。貧弱な土壌では、果樹の実も、ちっぽけなままでしかありません。
 小学校で習う勉強の多くは、子どもの生活空間で見たり、聞いたり、触れたりできるものが素材となっています。ですから、学校で新しく習う教材でも、事前になんらかの予備的な知識や経験のある子は、のみこみも早く、容易に忘れることはありません。
(『見える学力、見えない学力』改訂版37~38ページ)

では、「見えない学力」とは何か?規則正しい生活習慣を身につけさせる躾け、親が読み聞かせをすることで読書の習慣をつけさせる、自然の中で伸び伸びと遊ばせる、家庭の中で社会や政治・経済につき話題にする、地図を壁に貼りニュースで地名が出てきたら確認する、史跡に行ったり、美術・芸術に触れさせる機会を作ること等々で、いずれ勉強として学ぶことを、日常生活の中で先行体験させることである。

この先行体験として述べられているものには、私が子どもの頃、両親がやってくれていたことも多くあり(両親が意識してやっていたとは思えないが)、私は一読するや、岸本「見えない学力」説の信奉者となり、その後の自らの子育ての中で、出来る限り実践してきた。

その成果の是非は、子どもたち一人ひとりの今後の成長を見るしかないが、途中経過で見る限り、不登校にもならず学校に通っているでの、大間違いはしていないのではないかと思っている。

私にとっては、岸本さんは、いわば子育てや教育を考えていく際の心の師であった。これからは、私なりに、岸本説を咀嚼して、子どもたちに伝えていくことが、役目だろうと思っている。心からご冥福をお祈りしたい。合掌。

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2007年1月 3日 (水)

言葉にして伝えることの大切さ(『男の復権』を読んで・その2)

昨日も取り上げた『男の復権』(池内ひろ美著、ダイヤモンド社)から、もう一つ。

男の復権―女は男を尊敬したい
男の復権―女は男を尊敬したい

「第2章 後悔しないための女の選びかた五箇条」の最後に「女の落とし方」との一文がある。ここには、手練手管を駆使して、どうやって女性を口説くかということが、書いてあるわけではない。正攻法が書いてある。

あなたが好む女を選ぶことができたら、彼女にその気持ちを伝えたくなる。
さて、どうしたらいいか。
多くの男性はここで悩んだあげく、彼女に嫌われたくないと思うあまり、気を遣いすぎる。
大切なのは、「嫌われないこと」ではなく「好かれる」ことである。
まずは、あなたが彼女に好意を持っていることを伝えよう。(中略)
いずれにせよ、あなたの気持ちは言葉にしなければ伝わらない。伝えることが大切だ。一人前のまともな女であれば、あたたが伝えた言葉を理解して答えを出すことができる。その答えを聞いてから、進むか引くかを決めればいい。
愛情を伝えることを怖がらなくていい。好きだと思ったらまっすぐに伝えて、頑張れ。
(『男の復権』49~50ページより)

” 大切なのは、「嫌われないこと」ではなく「好かれる」こと”、”あなたの気持ちは言葉にしなければ伝わらない”というのは、その通りだと思う。しかし、それは40代になって実感すること。

言葉にして伝えた結果、ダメだったこともある。しかし、それ以上に、嫌われたくないあまり、言い出せないまま、終わってしまった想いがどれだけあることだろう。あの時、言葉にしていれば、結果はどうだったのか?過去に遡って、解き明かしてみたいことではある。 意外に、相手も「憎からず思っていたのに、そう言ってくれなかったではないか」ということになるかも知れない。

とはいえ、「後悔先に立たず」であり、既に現在の生活を抱える大人たちにとって、「あの時、気持ちを伝えていれば…」との「if(イフ)」を問うて明らかにしてみたところで、何かが変わる訳でもない。

では、現在の我々にとって 言葉にして伝えることの意味は何か。著者は「大人の男になるための十箇条」の「第7条、「ありがとう」の言える男になれ」でも、言葉にして伝えることの重要性を強調する。

言葉にしなければ、伝わらないことがある。言葉はとても大切なものだ。
そんなことはない、気持ちがあるから大丈夫だよ、夫婦は以心伝心 だし、部下は推して知るべしだ。なぁんてことを信じていてはだめですよ。(以下省略)
(男の復権』20ページより)

当たり前のことだが、何も若い男女の恋愛感情に限らず、相手が誰であっても、何事も、言葉にして伝えなければ相手には伝わらない。しかし、親しければ親しいほど、それを忘れてしまう。過去の苦い経験は、自分が生きているいま現在に活かしていくしかない。

自分の周りの人々に、いろいろなことをキチンと言葉にして伝えていけるか、これは何歳(いくつ)になっても、簡単そうで、難しいことの一つだと思う。1年の計の5つめの目標に加えるべきことかもしれない。

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2007年1月 2日 (火)

『男の復権』(池内ひろ美著)を読んで

年末に『男の復権』(池内ひろ美著、ダイヤモンド社)を読んだ。サブタイトルは、”女は男を尊敬したい”とある。職場の近くの書店で、昼休みに見つけ、奥書に1961年生まれとあるのを見て、自分と同世代の女性が、男のあり方をどう見ているのかを知りたくて、購入した。

男の復権―女は男を尊敬したい
男の復権―女は男を尊敬したい

著者の池内ひろ美さんは、1997年に、「東京家族ラボ」という組織?を主宰し、家族の問題についての相談に応じており、特に、夫婦の問題、離婚相談等を手がけている。自身、22歳で結婚し32歳で離婚、37歳で再婚している。(ホームページ、ブログのプロフィールによる)

第1章が「大人の男になるための十箇条」、第2章が「後悔しないための女の選び方五箇条」となっている。第1章では、大人の女から見た尊敬できる「大人の男」像が語られる。一方、そのためには、一生の伴侶となる妻にどんな女性を選ぶかで、男の人生も大きく変わっていくということで、女を選ぶ時に気をつけることが語られる。見方を変えれば、女から見た「大人の女」像であろう。

「大人の男になるための十箇条」は、

第1条、男の立ち姿は美しくあってほしい
第2条、コミュニケーションに媚びないで
第3条、しっかり大地を踏みしめて歩け
第4条、返事とお辞儀を正しくしよう
第5条、やっぱりお洒落ででいてほしい
第6条、ちょいモテおやじに憧れるな
第7条、「ありがとう」と言える男になれ
第8条、目指すのは優しさより親切であれ
第9条、父親を尊敬する男であれ
第10条、男なら正義を背負って生きよう 

「後悔しないための女の選び方五箇条」は、

まず、「悪妻は百年の不作」と述べた上で
第1条、笑顔のかわいい女を選べ
第2条、言葉づかいのいい女を選べ
第3条、センスのいい女を選べ
第4条、はたらく女を選べ
第5条、母親と似た女を選べ
の5箇条をあげ、
最後に「女の落とし方」という一文で締めくくっている。

全てを紹介すると、終わらなくなってしまうので、私が特に印象に残っている部分を選んで紹介することにしたい。

男の方では、「第8条、目指すのは優しさより親切であれ」から

(女性が求める「優しい人」が、えてして「私だけに」優しい人であるとの前置きに続き)優しさを渡したり受け取ったりする作業は、とても主観的であるがゆえに奇妙な思いこみを呼びやすい性質があると知っておこう。主観的で独りよがりの優しさより、求められるのは、客観的に親切であること。親切を行うのは、優しさよりも少し高度である。そこには、相手に対する想像力が必要だ。相手が今、何を欲しているのか想像してキャッチする能力が不可欠だ。(中略)その人の価値観がどこにあるのか。その人の五感は何を欲しているか。(中略)多くの「かもしれない」可能性を想像したうえで、相手の望むものを渡してあげることができるのが親切な大人である。(『男の復権』23~24ページより)

女の方では、「第4条、はたらく女を選べ」から

はたらく女というのは、なにも外へ出て仕事をする女という意味ではない。(中略)家の外であっても中であってもはたらく女がいい。気働きと表現を変えたらわかりやすいだろうか。(彼女が気働きのできる女性かどうかを見極める例として、バーベキュー大会を開くことにした際の彼女の反応・発言を幾通りか例示し、彼女の反応や発言の意味を考え、受け止めることを求めた上で、)何かを行うときには、必ず「役割」がある。なんらかの役割を引き受ける人は他の場面でも異なる役割を引き受けることができる。(中略)何も役割を引き受けない女というのは、家族になったとき、「妻」や「母」といった新たな役割を引き受けることのできない女である。彼女はそういう人だと認識しよう。(後略)(『男の復権』44~46ページより)

著者は、男に対しても、女に対しても、厳しい眼差しを向けている。見た目のカッコよさでなく、中身のカッコよさ・素晴らしさで勝負できる大人の男(そして女)が増えて欲しいというメッセージであろう。私の拙い要約では、うまく全体像が伝えきれないが、この一文を読んで、多少なりとも関心を持たれた方(特に40代)には、男女問わず一読をお勧めしたい。

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