2007年3月 5日 (月)

大人と子供を区別するもの、人の事を考えられるか

3月の入り、気温も上がり春めいて来ている。多くの企業では、2006年度の年度末を迎える。2月の下旬から3月の上旬は、新年度を控え、どこの企業でも大きな人事異動があるのでは、ないだろうか。私の職場でも、先日、人事異動があり、2人の転出と2人の転入につき、発令があった。

人事異動があるたび、職場での人間関係が、また少し更新される。いい関係が築けている人とも、あまり相性の良くない人とも、人事異動になれば、関係がリセットされる。自分が動く時も、相手が動くときも…。

どうやっても、うまく関係が作れない相手がいる。上手く歯車が噛み合わないことがある。こちらは、全く相手に対して悪意はないのに。そういう人が上司になると悲劇である。

どういう人と、上手く噛み合わないのだろう?などということは、あまり考えたことはなかったが、先日、妻と話していて思い浮かんだことがあった。共通するのは、それぞれみんな、「自分が一番大事」、「自分が一番かわいい」という思いを心の底に持った人だったのではないだろうかということである。
上司や先輩など、上に立つ人は、全体のことや、部下・後輩のことを考えるとは当然だと、私は信じているので、そうではなくて、「自分が一番大事」という姿勢が見え隠れすると、一気に興ざめしてしまう。

子供は、自分の事しか考えられない。いつも、自分が世の中の中心である。しかし、年齢を経るにつれ、人との関わりの中でしか生きられないし、人によって生かされているのを知る。それに気づいて、少しずつ大人になっていくのではないか。最近、そんな気がしてしている。

しかし、世の中を見回すと、体は立派な大人でも、心は子供のままの「自分が一番大事」な人もいる。どうすれば、いいのか。関わらなくて済むのなら、そういう人とは関わらないのが一番だということだ。人生折り返しを過ぎた、40代半ばの我々には、残された時間はまだあると思うけれど、無駄に使うのはもったいない。
もちろん、立場上、関わらざるを得ない時もある。その時は、やむを得ない。しかし、自分に選択の余地がある限り、より良い人間関係を求めていく努力をした方が、豊かな人生が送れるのではないだろうか。そして、より良い豊かな人生を送った方が、結局、世の中のため、人のためになる何かが生み出せるのではないか。自分の充実があってこそ、人のために何かできるというものであろう。
自分の生き方の線は、より良い線と交わらせたい。そう思うことは、わがままなのだろうか。

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2007年3月 3日 (土)

訃報:『14歳からの哲学』の池田晶子さん死去

今朝の朝日新聞を見て驚いた。『14歳からの哲学』((株)トランスビュー発行)などの作品で著名な、池田晶子さんがさる2月23日に腎臓がんでなくなっていたという死亡記事が出ていたのだ。

14歳からの哲学―考えるための教科書

『14歳からの哲学』に「考えるための教科書」というサブタイトルがつけられているように、池田さんは、平易な言葉で、哲学を語り、考えることの大切さを説いてきた人である。
タイトルと語り口に惹かれて、数年前に『14歳からの哲学』を買ったところ、自分と同じ1960年生まれと知り、同世代のオピニオンリーダーとして遠くから期待していた見ていた人の一人だった。

記事は「昨夏、病気がわかり入院、いったん退院したが、今年1月に再入院した。亡くなる直前まで、週刊誌の連載執筆を続けていた」と締めくくられている。

『14歳からの哲学』の中には「死をどう考えるか」という章がある。

「死ぬ」ということは、本当はどういうことなのだろうか。人が生まれて死ぬということは、いったいどういうことなのだろうか。
生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。人は「死」という言い方で、「無」ということを言いたいんだ。でも、これは本当におかしな事なんだ。「無」といことは、「ない」ということだね。「無」とは「ない」ということだね。無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。
(『14歳からの哲学』50ページ)

2007年の日本に、確かに池田晶子さんの「死」はあった。しかし、池田さん自身にとって、「死」はあったのだろうか。それは、池田さんにしかわからないし、その答えが聞ける日が来ることはない。
同世代の貴重な才能が逝ってしまったことを惜しみ、謹んでご冥福をお祈りしたい。

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2007年2月17日 (土)

生き方線

近づけど決して交わらざる思い人の心は放物線に似る
(松村由利子『薄荷色の朝に』40ページより)

放物線という表現が、思っている人に近寄れそうで、近寄れないもどかしい思いを表現しているように思う。

私も、昔から人の生き方って、一本の線のようなものではないかと思ってきた。日本だけでも1億人以上の人がいて、その中のほんの一握りの人と、学校や、職場や、地域、家庭で関わって生きている。しかし、未来永劫ずっと関わり続けるわけではない。

学生時代に親しくしていた友人とも、社会に出れば、別れ別れになる。それは、自分の人生、生き方という線が、学生時代にはその友人の描く人生、生き方の線と寄り添い、交わっていたものが、社会に出ると離れて別々になってしまうということだ。そのまま、離ればなれになりもう二度と交わらない線もあれば、いつかまた交わる線もある。
また、今は全く関わりのない線と将来どこかで交わり、それが自分の生き方に大きな影響を与えるかも知れない。

その生き方の線の描き方線も、きっと人によって様々で、いつも真っ直ぐな人もいれば、私など常に紆余曲折を繰り返しているように思う。中には、円を描いて、中心を離れることなく、同じところにとどまってしまっている線もあるように思う。
できれば、関わりたくない線もあれば、最初の歌のように関わりたいけれど、どうしても交わらない場合もあるだろう。関わりたくなくても、関わらざるを得ない線もあったりする。

その線の交わり方の偶然と必然に、いつも人生の不思議を感じるのだけれど、これまでは、どちらかといえば、流れに身を任せていて、自分から能動的に動いていたことは少なかったように思う。

しかし、40代も半ばを過ぎて、人生も半ばを過ぎたと考えた方が良い年になって、最近、思うのは、そろそろ、流れに任せているのではなく、どの線と交わるのか、自分で能動的に動いた方がいいのではないかという気がしている。
むしろ、関わりたい相手の生き方の線にこちらから近づいていく。昔の友人との再会であれ、新しい出会いであれ、待っているだけでは、いい出会いは生まれない。やはり、こちらから一歩踏み出す必要があるだろう。

しかし、そのためには、自分自身のレベルアップも必要である。相手にとって、関わって、なにがしかの意味のある線でなければ、いずれ相手が離れていってしまうだろう。あるいは、最初から相手にされず、こちらが放物線になってしまうかもしれない。

その中で、一つだけ心がけたいと思っているのは、どんなことがあれ、いろいろな人の生き方の線と交わりながら、少しでも前へ進むことである。
閉じた円になってしまって先に進めなくなったり、放物線になったまま、後戻りして帰って来れなくなることがないよう、曲がりながらも前に進む一本の線でありたい。

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2007年1月22日 (月)

竹橋-飯田橋間を歩きコンティンジェンシープランを実践する

今日から2週間ほど、神田錦町で仕事。朝は、地下鉄東西線の竹橋駅で降り、気象庁を横目に、北に少し歩く。

仕事が終わり、今日は少し長く歩こうと地図を片手に歩き出す。神田錦町を北に歩けば、神保町界隈、三省堂本社ビルなど新刊書、古書を扱う書店が軒を連ねる。
本屋にいれば退屈しない私としては、どこに寄ろうか悩むところだが、今日は岩波書店のビルの1階の書店に入った。ここで、「ゲド戦記」シリーズの邦訳をした清水真砂子さんの講演をまとめた岩波ブックレット『「ゲド戦記」の世界』を購入。

飯田橋まで歩くことにして、専修大学の横を通り、首都高速をくぐり、JRグループのホテルエドモントの明かりが見えたところで飯田橋についた。

(横道にそれる話になるが、いま「エドモント」と入力し変換しようとしたら、うまく行かず、江戸とか門とかが出てきた。このホテルは、建てられて20年くらいになると思うが、ひょっとすると名前は「江戸門戸」とか「江戸門都」、あるいは「江戸門徒」といった言葉から連想されたのかも知れない。これまで思いもしなかったが…)

閑話休題。これまで、通勤に使う地下鉄東西線の経路を機会を見つけては歩いているが、日本橋近辺にある職場から竹橋までは、仕事の帰りに何度も歩いているし(日本橋-竹橋)、以前、飯田橋で仕事があった時には、飯田橋から高田馬場まで1時間ほどかけて歩いたことがある(飯田橋-高田馬場)。今日、竹橋から飯田橋まで歩いたことで、隙間を埋めたことになり、日本橋-竹橋-飯田橋-高田馬場というルートを歩いたことになる。通しで歩くと2時間から2時間半というところだろうか。

歩くのは、減量が最大の目的だが、もう一つ、地震があった場合に歩いて自宅まで帰れるようにという自分なりのコンティンジェンシープラン(=緊急時対応計画)の準備でもある。地震など起きて欲しくないが、万が一起きた時、地図がいつも手元にあるとも限らない。何もなければ、自分の頭の中にある地図だけが頼りだ。
高田馬場までは、せいぜい3分の1。高田馬場から残り3分の2は新青梅街道になるのだが、高田馬場から新青梅街道に出る道は、まだ未踏破であり、また機会を見つけて歩かねばならない。

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2007年1月 5日 (金)

訃報:百ます計算の考案者岸本裕史さん死去

今朝(2007年1月5日)の朝刊の訃報欄で、岸本裕史さんが昨年の12月26日に亡くなっていたことが伝えられていた。

岸本さんは、1930年の生まれで、神戸市で小学校の教員を40年勤めた。読み書き、計算など基礎学力の充実の必要性を早くから訴え、今や多くの小学校で使われている100ます計算の考案者でもある。
100ます計算の実践で成果を上げ有名になった蔭山英男さん(現立命館小学校副校長)も、若い頃、自らの教育手法に試行錯誤する中、岸本さんと出会ったことが転機になっている。

私が、岸本さんの著書と巡りあったのは、今から20年以上も前、大学生の頃である。大学生協の書店で『見える学力、見えない学力』(岸本裕史著、大月書店国民文庫)を目にして、タイトルに惹かれて手に取ったのが最初である。初版発行が1981年3月とあるから、新刊として発売されて間もない頃だったのだと思う。その後、この本は版を重ね、1996年3月には改訂版も出されている。私は、何度かこの本を買っているのだが、手元にある改訂前の1冊ので奥書に1992年10月の49刷とある本の帯には、90万部突破とある。おそらく、現在は100万部を突破しているだろう。息の長いロングセラーであり、今、読んでも、言われていることの本質は全然古くなっていない。

この本の中で、著者は学力を氷山にたとえている。

 氷山を思い浮かべて下さい。氷山というものは、大部分が海面下に沈んでいて、八分の一だけが海面上に姿を見せています。子どもの学力も、それと似ているのです。テストや通知簿で示される成績は、いわば見える学力なのです。その見える学力の土台には、見えない学力というものがあるのです。見える学力をたしかに伸ばすには、それを支えている見えない学力をうんとゆたかに太らせなければならないのです。貧弱な土壌では、果樹の実も、ちっぽけなままでしかありません。
 小学校で習う勉強の多くは、子どもの生活空間で見たり、聞いたり、触れたりできるものが素材となっています。ですから、学校で新しく習う教材でも、事前になんらかの予備的な知識や経験のある子は、のみこみも早く、容易に忘れることはありません。
(『見える学力、見えない学力』改訂版37~38ページ)

では、「見えない学力」とは何か?規則正しい生活習慣を身につけさせる躾け、親が読み聞かせをすることで読書の習慣をつけさせる、自然の中で伸び伸びと遊ばせる、家庭の中で社会や政治・経済につき話題にする、地図を壁に貼りニュースで地名が出てきたら確認する、史跡に行ったり、美術・芸術に触れさせる機会を作ること等々で、いずれ勉強として学ぶことを、日常生活の中で先行体験させることである。

この先行体験として述べられているものには、私が子どもの頃、両親がやってくれていたことも多くあり(両親が意識してやっていたとは思えないが)、私は一読するや、岸本「見えない学力」説の信奉者となり、その後の自らの子育ての中で、出来る限り実践してきた。

その成果の是非は、子どもたち一人ひとりの今後の成長を見るしかないが、途中経過で見る限り、不登校にもならず学校に通っているでの、大間違いはしていないのではないかと思っている。

私にとっては、岸本さんは、いわば子育てや教育を考えていく際の心の師であった。これからは、私なりに、岸本説を咀嚼して、子どもたちに伝えていくことが、役目だろうと思っている。心からご冥福をお祈りしたい。合掌。

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2007年1月 3日 (水)

言葉にして伝えることの大切さ(『男の復権』を読んで・その2)

昨日も取り上げた『男の復権』(池内ひろ美著、ダイヤモンド社)から、もう一つ。「第2章 後悔しないための女の選びかた五箇条」の最後に「女の落とし方」との一文がある。ここには、手練手管を駆使して、どうやって女性を口説くかということが、書いてあるわけではない。正攻法が書いてある。

あなたが好む女を選ぶことができたら、彼女にその気持ちを伝えたくなる。
さて、どうしたらいいか。
多くの男性はここで悩んだあげく、彼女に嫌われたくないと思うあまり、気を遣いすぎる。
大切なのは、「嫌われないこと」ではなく「好かれる」ことである。
まずは、あなたが彼女に好意を持っていることを伝えよう。(中略)
いずれにせよ、あなたの気持ちは言葉にしなければ伝わらない。伝えることが大切だ。一人前のまともな女であれば、あたたが伝えた言葉を理解して答えを出すことができる。その答えを聞いてから、進むか引くかを決めればいい。
愛情を伝えることを怖がらなくていい。好きだと思ったらまっすぐに伝えて、頑張れ。
(『男の復権』49~50ページより)

” 大切なのは、「嫌われないこと」ではなく「好かれる」こと”、”あなたの気持ちは言葉にしなければ伝わらない”というのは、その通りだと思う。しかし、それは40代になって実感すること。

言葉にして伝えた結果、ダメだったこともある。しかし、それ以上に、嫌われたくないあまり、言い出せないまま、終わってしまった想いがどれだけあることだろう。あの時、言葉にしていれば、結果はどうだったのか?過去に遡って、解き明かしてみたいことではある。 意外に、相手も「憎からず思っていたのに、そう言ってくれなかったではないか」ということになるかも知れない。

とはいえ、「後悔先に立たず」であり、既に現在の生活を抱える大人たちにとって、「あの時、気持ちを伝えていれば…」との「if(イフ)」を問うて明らかにしてみたところで、何かが変わる訳でもない。

では、現在の我々にとって 言葉にして伝えることの意味は何か。著者は「大人の男になるための十箇条」の「第7条、「ありがとう」の言える男になれ」でも、言葉にして伝えることの重要性を強調する。

言葉にしなければ、伝わらないことがある。言葉はとても大切なものだ。
そんなことはない、気持ちがあるから大丈夫だよ、夫婦は以心伝心 だし、部下は推して知るべしだ。なぁんてことを信じていてはだめですよ。(以下省略)
(男の復権』20ページより)

当たり前のことだが、何も若い男女の恋愛感情に限らず、相手が誰であっても、何事も、言葉にして伝えなければ相手には伝わらない。しかし、親しければ親しいほど、それを忘れてしまう。過去の苦い経験は、自分が生きているいま現在に活かしていくしかない。

自分の周りの人々に、いろいろなことをキチンと言葉にして伝えていけるか、これは何歳(いくつ)になっても、簡単そうで、難しいことの一つだと思う。1年の計の5つめの目標に加えるべきことかもしれない。

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2007年1月 2日 (火)

『男の復権』(池内ひろ美著)を読んで

年末に『男の復権』(池内ひろ美著、ダイヤモンド社)を読んだ。サブタイトルは、”女は男を尊敬したい”とある。職場の近くの書店で、昼休みに見つけ、奥書に1961年生まれとあるのを見て、自分と同世代の女性が、男のあり方をどう見ているのかを知りたくて、購入した。

著者の池内ひろ美さんは、1997年に、「東京家族ラボ」という組織?を主宰し、家族の問題についての相談に応じており、特に、夫婦の問題、離婚相談等を手がけている。自身、22歳で結婚し32歳で離婚、37歳で再婚している。(ホームページ、ブログのプロフィールによる)

第1章が「大人の男になるための十箇条」、第2章が「後悔しないための女の選び方五箇条」となっている。第1章では、大人の女から見た尊敬できる「大人の男」像が語られる。一方、そのためには、一生の伴侶となる妻にどんな女性を選ぶかで、男の人生も大きく変わっていくということで、女を選ぶ時に気をつけることが語られる。見方を変えれば、女から見た「大人の女」像であろう。

「大人の男になるための十箇条」は、

第1条、男の立ち姿は美しくあってほしい
第2条、コミュニケーションに媚びないで
第3条、しっかり大地を踏みしめて歩け
第4条、返事とお辞儀を正しくしよう
第5条、やっぱりお洒落ででいてほしい
第6条、ちょいモテおやじに憧れるな
第7条、「ありがとう」と言える男になれ
第8条、目指すのは優しさより親切であれ
第9条、父親を尊敬する男であれ
第10条、男なら正義を背負って生きよう 

「後悔しないための女の選び方五箇条」は、

まず、「悪妻は百年の不作」と述べた上で
第1条、笑顔のかわいい女を選べ
第2条、言葉づかいのいい女を選べ
第3条、センスのいい女を選べ
第4条、はたらく女を選べ
第5条、母親と似た女を選べ
の5箇条をあげ、
最後に「女の落とし方」という一文で締めくくっている。

全てを紹介すると、終わらなくなってしまうので、私が特に印象に残っている部分を選んで紹介することにしたい。

男の方では、「第8条、目指すのは優しさより親切であれ」から

(女性が求める「優しい人」が、えてして「私だけに」優しい人であるとの前置きに続き)優しさを渡したり受け取ったりする作業は、とても主観的であるがゆえに奇妙な思いこみを呼びやすい性質があると知っておこう。主観的で独りよがりの優しさより、求められるのは、客観的に親切であること。親切を行うのは、優しさよりも少し高度である。そこには、相手に対する想像力が必要だ。相手が今、何を欲しているのか想像してキャッチする能力が不可欠だ。(中略)その人の価値観がどこにあるのか。その人の五感は何を欲しているか。(中略)多くの「かもしれない」可能性を想像したうえで、相手の望むものを渡してあげることができるのが親切な大人である。(『男の復権』23~24ページより)

女の方では、「第4条、はたらく女を選べ」から

はたらく女というのは、なにも外へ出て仕事をする女という意味ではない。(中略)家の外であっても中であってもはたらく女がいい。気働きと表現を変えたらわかりやすいだろうか。(彼女が気働きのできる女性かどうかを見極める例として、バーベキュー大会を開くことにした際の彼女の反応・発言を幾通りか例示し、彼女の反応や発言の意味を考え、受け止めることを求めた上で、)何かを行うときには、必ず「役割」がある。なんらかの役割を引き受ける人は他の場面でも異なる役割を引き受けることができる。(中略)何も役割を引き受けない女というのは、家族になったとき、「妻」や「母」といった新たな役割を引き受けることのできない女である。彼女はそういう人だと認識しよう。(後略)(『男の復権』44~46ページより)

著者は、男に対しても、女に対しても、厳しい眼差しを向けている。見た目のカッコよさでなく、中身のカッコよさ・素晴らしさで勝負できる大人の男(そして女)が増えて欲しいというメッセージであろう。私の拙い要約では、うまく全体像が伝えきれないが、この一文を読んで、多少なりとも関心を持たれた方(特に40代)には、男女問わず一読をお勧めしたい。

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2006年12月29日 (金)

父の冬休み

私の職場はカレンダー通りであれば、年末年始の休みは年末30日・31日、年始は三が日の5連休である。しかし、お客さんと直接、接する現場ではないので、今日と1月の4、5日は休みをもらい、今日から1月8日までの11連休をもらうことにした。ちょっとした「父の冬休み」である。

今年は、ずいぶん、たくさん資格試験を受けた1年だった。いずれも、仕事に関係していて、このブログでもいくつか書いたが、ブログを始める前の2月の中旬に受けたのを皮切りに7月、10月、11月、12月と1年に5回受けた。10月の金融内部監査士と11月の公認内部監査人(CIA)は、このブログでも書いた通りだ。まだ、結果の出ていないCIAを除き、なんとか合格でできているのも、ありがたい。人には、スケジュール面で無理があるのでは、とも言われることもあったが、それぞれに重複する部分もあり、まとめて一気に勉強した方が効率いいはずと考えて、やって来た。結果的には、ほぼ目論見通りになった。

今年は、これからの新しい10年のスタートの年で、これからの10年の基礎固めとして、なんとかいいスタートきれたと思う。来年は、まだ残っているいくつかの試験を受けつつ、今年取得した資格を結果・成果に結びつけていく1年にしていきたいと思う。

今年の試験疲れを癒し、来年への英気を養う「父の冬休み」にしたい。 

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2006年12月26日 (火)

「定期入れ」紛失騒動

昨日の朝、いつも通りに家を出て、最寄り駅に向かう。改札口で、背広の胸ポケットから定期券を出そうとすると、いつもそこにあるはずの「定期入れ」がない。少し、あわてていたので、家に忘れてきたらしい。しかたなく、券売機まで戻り、1000円のパスネットを買った。

きっと、土日に出かけた時に来ていた服のポケットか、休みの日に身につけているウエスト・ポーチに入れたままだろうとさして気にもしていなかった。昨日の夜は、忘年会で少し、お酒を飲んだこともあって、「定期入れ」を探すことなど、すっかり忘れて、寝てしまった。

今朝、家を出る前、改めて探す。なんと、見つからないではないか。週末の来ていたダウンジャケットのポケットにも、ウエスト・ポーチにも入っていない。会社に持って行く鞄の中にも見あたらない。

「困った…」。見当たらなくなった「定期入れ」には、定期券の他に、Suicaカード、使いかけのパスネットといったJR・私鉄の何にでも乗れるように備えた一揃えを入れているだけでなく、運転免許証、会社のIDカード(本社ビルの入館証兼用)、電子マネー「Edy」カードとして使っているANAのクレジットカード1枚も一緒に入れてあった。

しかし、出勤間際にいつまでも、いつまでも家で定期入れを探しているわけにもいかないので、家を出る。今朝は、雨。かなり強めに降っている。いつもなら歩くところだが、捜し物で、家を出るのが少し遅れたこともあり、傘を片手に自転車に乗る。駅で、また1000円のパスネットを買い、電車に乗った。

さすがに、今日は、どこでなくしたのか考える。先週金曜日は、定期券の家まで帰ってきたので、確かにあったはずだ。

では、土曜日は?1日を振り返る。車に乗って、こわれかけた洗濯機の買い替えに行ったり、散髪に行ったりと、結構出歩いている。どこかで、気がつかないうちに落としたか?そうだ、夜、家の近くの「ゲオ」までウオーキングを兼ねて歩き、前から借りたいと思っていた一青窈のベストアルバム『BESTYO』を借りたのだ。あのとき、ANAカードのEdyで払っている。

では、なくしたとすれば日曜日。日曜日は、市会議員選挙の投票日で、妻と2人投票に行き、その足で、通勤で乗る路線とは別の線の最寄り駅までウオーキングし、駅前でコーヒーを飲み、昼食の材料の買い物をした。夜は、車で出かけ、家族で外食した後、スーパーで買い物をして帰ってきた。しかし、朝、家を出る前に、車の中をざっと見たが見あたらなかった。

満員電車に揺られながら、頭のなかで2日間の行動をプレイバックしてみたが、あの時になくしたのではと思い当たるところは、なかった。これ以上、考えても思い出せそうにもないので、この件に関してはいったん思考を停止。家に帰ってから、必死で探すしかないと諦めた。

職場で仕事をしていてもどことなく、落ち着かない。見つからないとなると、①カード会社へクレジットカードの使用停止をかけ再発行の依頼②警察へ免許証の紛失の届けと再発行の依頼、③会社へはIDカードと定期券の紛失の届けとIDカード再発行の依頼、を行う必要がある。考えただけでも気が滅入る。おまけに、定期券はまだ4ヵ月残っていて、その分は当然自己負担せざるを得ないし、Suicaとパスネットは諦めざるを得ない。改めて、何でも1ヵ所にまとめておくことのリスクを痛感した。

職場での仕事も、半日が過ぎ昼食の時間。朝、雨に濡れたせいか、少し寒気がして、喉も痛いような気がする。食事が終わったら、風邪薬でも飲もう。食堂から、席に戻り、鞄の中にいつも入れている飲み薬や目薬、ハンドクリームなど入れている小さな巾着袋を取り出す。風邪薬を出そうと袋を明けると、なんと!その中から薬と一緒に「定期入れ」が出てきた。手品でも見ているようだった。未だに、いつどうやって巾着の中に定期入れをいれたのか思い出せない。昨日の忘年会で、若年性アルツハイマーが話題になっていた。人ごとと笑っていられないかも知れない。

見つかったのは幸運というしかない。風邪薬を飲もうと思わなければ、巾着袋をしばらく空けないままで、いろいろなところへ、紛失届けや再発行の届けを出したまも知れない。まとめて持つ事のリスクはいやというほど痛感したので、風邪薬を飲んだ後、雨の中だったが、会社の近くの文房具屋に行き、新しいパスケースを買い、とりあえず電車関係の定期券・Suica・パスネットのセットと、運転免許証、会社のIDカード、クレジットカードは2つに分けて持つことにした。ささやかなリスク軽減策である。

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2006年12月20日 (水)

作家高橋克彦の半生を語る『開封 高橋克彦』

今月の講談社文庫の新刊で『開封 高橋克彦』(道又 力著)という一風変わった本が出た。15年間、高橋克彦の秘書をつとめた著者が書いた、高橋氏の全作品の解説と生まれから作家デビューするまでの半生の伝記の2部構成になっている。

東北の岩手・盛岡を本拠に活動する高橋克彦氏の小説のうちは、主に東北出身の歴史上の人物・事件を取り上げた『風の陣』(奈良時代の橘奈良麻呂の乱、藤原仲麻呂の乱を生きた丸子嶋足)、『火怨』(蝦夷反乱の首領アテルイ)、『炎立つ』(前九年・後三年の役から奥州藤原氏)、『天を衝く』(秀吉に反旗を翻した九戸正実)という古代から近世までの一連の東北シリーズと元寇の時の鎌倉幕府の執権北条時宗を取り上げた『時宗』を読んでいるので、その人となりには興味があった。

第2部の小伝を読むと高校時代演劇部に属し、戯曲を書いていたこと。 実家は医院で、医者を継ぐつもりで、医学部入学のため浪人生活を続けていたが、文学や演劇への関心が強く、なかなか勉強に身が入らず、見かねた弟が、医学部を受験し医者を継ぐことになり、本人は4年浪人の末、早大商学部に進学したこと。作家デビューのきっかけとなった江戸川乱歩賞受賞作の『写楽殺人事件』は、地元の新聞記者だった中津文彦氏が『黄金流砂』で乱歩賞を受賞したことがきっかけで、過去の受賞作と選考委員の選考評を全て読み、傾向分析した上で、次回は自分が乱歩賞を取ると家族や友人に宣言して、本当に翌年、受賞したことなど数々のエピソードがちりばめられている。

また、弟の親しい友人(不慮の事故で亡くなった)の霊に何回も遭遇したり、自分やよその老婆の生霊にあったりと、霊感の強い人であるエピソードも載せられている。

最初に第2部の伝記を読み、第1部の作品解説に戻って読んでいるが、歴史物だけでなく、SF、ホラー、サスペンス、伝奇物とその作品は幅広い。まだまだ、面白そうな作品が多いので、解説を参考にもう少し高橋克彦の世界にも浸ってみることにしたい。

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2006年12月12日 (火)

ジャンボ宝くじ

師走も中旬に入り、繁華街はクリスマスの飾りが光り輝き、行き交う人もどこかあわだだしげな今日この頃。そんな暮れの風物詩のひとつが「年末ジャンボ宝くじ」。私も頼まれて、20枚ほど連番で購入している。期待値50%を切るのだから、そう簡単に当たるわけはないのだが、少数だが当選者がいるのも事実。先日も、顔写真に実名入りで1000万円以上の高額当選者を紹介した新聞広告が出ていた。「買わなければ、当たりません」「夢を買いましょう」のセールス文句に、つい、今度こそはと淡い期待をかける。

しかし、その淡い期待が一度だけ少しだけ叶ったことがある。北海道に単身赴任中に朝の雪道で転倒し、肩の骨を骨折し、3週間入院したことは、このブログでも何回か書いたことがあるが、その頃の話だ。転倒して、右肩を殴打した時には、半日で、右肩から右腕にかけて内出血がひどく、真っ青になったが、整形外科でレントゲンを撮っても、最初はどの程度の怪我で、手術が必要かどうかもわからなかった。結局、いろいろと検査をした結果、日本でも過去7~8例しか報告されていない珍しい骨折で、早期に手術が必要という診断が出たが、入院する病院のベッドの空き具合や、執刀医のスケジュールの関係で、骨折から3週間後にようやく手術ということに決まり、手術のために入院するまで、三角巾で右手を吊って出勤し、仕事をしていた。

その時、不謹慎にも「日本人全体で7~8人しか遭遇していないような大怪我をしたのだから、こういう時に宝くじを買えば億万長者も夢ではないのではないか?」と思い、その時販売されていた宝くじを買った。多分、発売が始まったばかりの「グリーンジャンボ」だったのではないかと思う。10枚のくじの束を財布に入れる。その財布を持って、入院・手術を受けた。

手術後、3週間入院。その間は、宝くじのことなどすっかり忘れ、病院のベッドの上で、本を読む毎日で、それまで読んでいなかった「ハリー・ポッター」のシリーズの携帯版を買い込んで読んだりしていた。週末に退院し、土日に1人、月曜日からの職場復帰の準備をしている時に、ふと「そういえば、宝くじを買っていた」と思い出した。やおら、財布から宝くじの束を取り出し、インターネットで当選番号を調べる。

なんと下4桁が当たり番号と一致。「1万円」が当たっていた。これまで、下1桁の300円しか当たったことがなかっただけに、驚いた。私の目論見では、当選金の金額の「0」の数があと3つ(1000万円)か4つ(1億円)多いはずだったが、それでも、当てることを意識して買っていただけに、こんなこともあるのかという不思議な気がした。

3000円投資しているので、正味7000円の純益であるが、使い道は、3週間も仕事を休んで職場の皆さんに迷惑をかけたお詫びもかね「快気祝」として、お菓子を配る時の、軍資金の一部になった。

年末ジャンボで3億円当たったら何に使おうか、考えながら、大晦日の抽選日を待つことにしたい。

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2006年12月 2日 (土)

ウオーキング減量作戦途中経過、11月は足踏み

9月の半ばに思い立って、始めたウオーキング減量作戦。順調に減量は進み、11月の上旬には67kg台を3日連続で記録したことまでは書いたが、11月のひと月間を通して見ると、結果的には横ばいだった。

歩く方は、引き続き毎日最低10,000歩は確保し、多い日は16,000歩以上歩いた日もある。しかし、体重の方は、上旬の文化の日を含めた3連休の最終日の5日(日)に子ども達の希望もあり、家の近くのできた回転寿司店に食事に行き、子ども達のペースにつられて食べ過ぎてしまったこと、さらに翌6日(月)には、飲み会があり、どうしてもカロリー過多になってしまったことで、2日間で1kg以上増えてしまった。11月は、その増えた体重を11月の初めの水準に戻すので精一杯だった。結局記録を見ると、11月1日が68.3kg、1ヵ月後の12月1日も同じ68.3kgである。残念無念。

忘年会シーズンで、外での飲み会が多くなりがちな12月、なんとか食べ過ぎないようにしてせめて67kg台には、戻しておきたい。

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2006年11月25日 (土)

宋と遼との戦いを語る『楊家将』(北方謙三著)を読み終わる

北方謙三著『楊家将』(上・下巻、PHP文庫)を読み終わった。

物語は、中国の宋の2代皇帝太宗(趙光義)の時代。唐が滅んだ後、中国は「五代十国」と呼ばれる分裂期に入る。そして、その混乱を統一した新国家「宋(北宋)」を建国したのが、趙匡胤(太祖)である。太祖の後を継いだ弟の太宗の時代、五代十国の中で最後まで残ったのが、中国北部に位置し、異民族国家「遼」と国境を接していた「北漢」。主人公「楊業(ようぎょう)」は北漢の武将として登場する。

兄の遺志を継ぎ、北漢を滅ぼし中国を統一しようとする宋の太宗は、自ら軍を率いて、親征に出る。その宋の親征軍に立ち向かう楊業。楊業は、塩の商圏を握り独自の収入源を持つ「軍閥」。北漢の都では、常に、楊業の謀反・離反を怖れているが、一方、楊業なくして禁軍(皇帝軍)だけでは、国の守りも覚束ない。宋の太宗の親征を前にしても、北漢の宮中では、楊業に対する疑心暗鬼が囁かれる。忠義の臣である楊業は、北漢の皇帝劉鈞と直接会って、自らの潔白を晴らそうとするが、皇帝までもが、自らを疑っていることを知り、一族のため宋への帰順を決意する。

『楊家将』(上巻)は、このように楊業の宋への帰順から幕を切って落とすが、以後、宋軍の外様武将となった楊業とその一族は、遼と国境を接する宋の北の最前線で、遼軍と対峙することになる。
五代十国の「後晋」の時代に遼に譲渡された「燕雲十六州」の奪還を先代太祖からの悲願とする太宗・皇帝。文治国家「宋」において対立する武官(軍人)と文官。軍人の中でも帰順した外様武将に対する生え抜き武将たちの蔑視。その中で、あくまで武人・軍人として生きようとする楊業とその息子たち。
一方、対立する遼の側も、幼帝を支える実権者の太后と様々な軍人達の人間模様が描かれる。

中国を舞台にした歴史小説は、日本でも多く書かれているが、宋(北宋)の時代を舞台にしたものは、少ない。宋の皇帝の御前での殿試の夢から目覚める場面から始まる『敦煌』(井上靖著)くらいしか私は読んだことがない。『楊家将』は、中国では、『三国志』『水滸伝』と並ぶ人気の物語らしいが、これまで日本に紹介されることはなかった。そんな中、楊業の存在を知った作者は、楊業に「書いてくれ」と呼ばれている様な気がしたと語っている。

本書は、2004(平成16)年に、その年の大衆文学の優秀な作品を発表した作家に贈られる吉川英治文学賞の受賞作となった。過去の受賞作で私が読んだ作品は、1987(昭和62)年の『優駿』(宮本輝)、2000(平成12)年の『火怨』(高橋克彦)などであるが、いずれも物語として読み手を惹きつけてやまない作品だった。この『楊家将』もその2作品に勝るとも劣らない出来である。

*関連記事 
2006年11月25日:
宋と遼との戦いを語る『楊家将』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月9日:『血涙 新楊家将(上)』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月15日:『血涙 新楊家将(下)』(北方謙三著)を読み終わる

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2006年11月23日 (木)

新・亭主関白宣言?

福岡県の久留米市に「全国亭主関白協会」(天野周一会長)という組織があるらしい。(協会のホームページはこちら

関白とは、天皇に次ぐナンバー2の地位であり、協会は天皇(=妻)を敬愛し奉る亭主たちの集団とのこと。団塊世代が大量定年となる一方、離婚の際の夫婦の年金分割制度が2007年から始まるのを控え、熟年離婚を回避すべく会員が急増しているそうだ。

協会が定めた「新!亭主関白道段位認定基準」があり次のようになっている。

初段:3年以上たっても「妻を愛している」
二段:家事手伝いが上手
三段:浮気をしたことがないか、ばれていない
四段:レディーファーストを実践している
五段:愛妻と手をつないで散歩ができる
六段:愛妻の話を真剣に聞くことができる
七段:嫁姑問題を一夜で解決できる
八段:「ありがとう」をためらわずに言える
九段:「ごめんなさい」を恐れずに言える
十段:「愛してる」を照れずに言える

以前、このブログで書いた、妻の側の「夫在宅ストレス」とどう折り合いをつけるかということも大切だと思うのだが、そのあたりをどう考えているのかよくわからない。十段まで、全て実行できれば、在宅ストレスということにはならないかも知れないが…。

個人的には、二段、六段、八段あたりはクリアしていると思うが、そもそも夫婦の問題は、それぞれの夫婦によって様々なので、自分で考えるべき問題ではないかという気もする。

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2006年11月19日 (日)

「中年クライシス」を魂の意思で乗り越えた片岡鶴太郎

『鶴太郎流墨彩画入門』(片岡鶴太郎著、角川oneテーマ21)を読んだ。11月の新刊で、CIA試験の前日に仕事の帰りに寄った書店で、目についたので、すぐ購入。試験中は、我慢をして試験が終わったあと一気に読み終わった。

鶴太郎流 墨彩画入門 (角川oneテーマ21)

しばらく前の日本テレビの「いつみても波瀾万丈」のゲストで出ていた時の話が印象的で、それ以来気になっていた。(今回、調べてみると放送は2006年2月5日だった)

その時の印象的に残った話は、
(1)中学3年の時、成績がとても悪くて、今の成績では公立高校進学は無理と言われ、家庭の経済的事情で公立しか行けないことから、夏休みに独学で徹底して勉強し、夏休み明けには成績がトップクラスになり、無事公立(都立)高校に入学したこと。
(2)お笑い芸人として人気の絶頂にあるとき、このままではいけないとボクシングを始めたこと。
(3)今では画家としても、たくさんの作品を残していること
などである。見たときは、もっといろいろなことを鮮明に覚えていたと思うが、1年近くたっているので記憶もおぼろげである。
ただ、その時、軽薄なお笑い芸人から個性派俳優に転身して成功したタレントといった程度の印象しかなかった片岡鶴太郎が、ただならぬ人であることを感じた。

とはいえ、その後、それ以上詳しく調べるわけでもなく過ごしていたが、今回、新刊書として並んでいるのをみて、すぐに手に取った。体裁は「墨彩画のすすめ」的な形になっているが、内容は彼が40歳にして出会った墨彩画を通じて、彼自身の生き様を語るものになっている。

何かを「やりたい」と思う気持ちは、その人の魂が語りかけてきた言葉だとわたしは思っています。思いたったが吉日、すぐ始めてみることです。(中略)
わたしもそうでした。もうすぐ四十歳になろうというとき、ふと絵に呼ばれたのです。(中略)突然、無性に絵を描きたくなった。椿を見ても何の花かわからなかった人間が、その美しい花を描いてみてたまらなくなったのです。
理屈では説明できない衝動のようなものに駆られて、本当に自由気ままに自己流で始めてみた。そうしたら、もう面白くてすっかりのめり込み、いまでは自分は絵に生かされていると思うまでになっています。絵を描きたいという「魂の意思」に素直に応えたからいまの自分があるのだと思うと、そのことに気づいた自分は何とも幸せな人間だと思います。
社会的な地位や権勢を勝ち取ることや、金銭的な満足を得ること、それも私たちに何かしらの喜びを与えてくれるでしょうが、魂というものはそれだけでは満足しないような気がします。魂の意思というのは、頭で考えて判断するものではなくて、そうせざるをえないような心の動きみたいなものです。
それは、おそらく誰の中にもあります。それに気がついて、その感覚を目覚めさせて生きるのか、それとも眠らせたままで自分の人生を終わらせていくのか。本当に後悔のない有意義な人生とは、魂の意思に導かれる道なのではないでしょうか。それが、人間の本来的な姿のように私は思います。(『鶴太郎流墨彩画入門』4~5ページ)

私が下手に解説めいた事を書いたり、書き足すことは何もない。放送があったのが、今年の2月5日、自分で意識したことはなかったが、私もTVの画面から伝わってきた鶴太郎さんのオーラに影響され、このブログを始める(2月26日)ことになったのかも知れないと思った。

片岡鶴太郎公式ホームページはこちら

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2006年11月18日 (土)

郷田真隆九段の揮毫「晩成」

昨日11月17日は「将棋の日」とのこと。江戸時代、8代将軍徳川吉宗の時代に、この日を「お城将棋の日」として御前対局を行うようになったという故事にちなんで、1975年に日本将棋連盟が定めたそうだ。

以前から、一度は行ってみようと思っていた千駄ヶ谷にある将棋会館に、CIA試験の2日めの帰りに寄ってみた。誰か、顔を知っているようなプロ棋士を見かけたりするだろうかと期待したが、そんな気配もなく、 将棋教室を終えたと思われる小学生数人を見かけただけだった。1階には売店があり、将棋盤や将棋の駒、棋士が書いた将棋の解説書が並べられている。一角には、タイトルホルダーや名人位への挑戦者リーグでもあるA級に在籍する棋士たちの揮毫の入った扇子も置いてある。気に入ったものがあれば、いずれ1本持ちたいと思っていた。

私が選んだのは、郷田真隆九段の「晩成」と書かれた扇子だ。郷田九段は1971年生まれの35歳。現在、将棋界のトップを占める羽生3冠・森内名人は同学年、佐藤棋聖とは1つ違いである。「晩成」とは大器晩成という言葉もあるように「他より遅れて完成すること。また、晩年になって成功すること。」(小学館『現代国語例解辞典第二版』より)である。

彼自身の経歴を見ると、プロ入りこそ、羽生ら3人に少し遅れたものの、プロ入り3年目の1992年には22歳の若さで「王位」のタイトルを獲得しており、むしろ早咲きである。その後、98年には2度目のタイトル「棋聖」を獲得、さらに名人挑戦者を争うA級順位戦への昇級を決め、99年にはA級棋士となり名実ともにトップ棋士の仲間入りをした。しかし、A級は1期で陥落、2002年に再びA級に昇級するがこの時も1期で降級するという苦杯をなめた。しかしあきらめることなく、昨年は三度めのA級昇級を果たし、勝ち越し。A級4期めの今期は、期初から連勝し、現在4勝1敗で、名人挑戦者争いのトップを走っている。

「晩成」という言葉に「今は、羽生・森内・佐藤の3強の後塵を拝しているが、いずれは追いつき追い抜いてみせる」という気概を感じるのは私だけだろうか。また、一方で「将棋の世界は奥深く、どこまで行っても完成することがない」という求道者の一面も読み取れるようにも思う。

それは、また、私自身が自分に言いきかせるべき言葉のような気もして、扇子を手元において、時折開いては「晩成」の文字を眺めて、思いを巡らしている。永年、現在の将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖のファンだったが、既に現役を引退しており、これからは郷田九段の戦いを応援したいと思っている。

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

*上記記事を含め、このブログの将棋に関する記事の一覧はこちら→アーカイブ:将棋

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2006年11月16日 (木)

公認内部監査人(CIA)試験終了

公認内部監査人(CIA)試験の2日目が終了し、2006年11月の4科目全ての試験が終わった。
今日の2科目は、午前(PartⅢ)が財務・会計とIT・システム関連、午後(PartⅣ)が経営理論やチーム・マネジメントだった。

午後の科目は、先月合格した金融内部監査士からスライドで認定が受けられる公認金融監査人(CFSA)資格登録が完了すれば、免除になるのだが、申込時点(9月)では金融内部監査士試験もまだ受けておらずCFSA資格が取れるかどうかもわからなかったし、免除されるとはいっても、次回(2007年5月)の試験で免除申請して初めて認められるものなので、(おまけに、1科目の受験料と同額の免除手数料を払わなくてはならない)、今回、合格できるにこした事はない。

昨日の2科目は、いわば監査理論と監査実務で、日常の仕事とも関係が深いし、今日の午後の経営理論は、もし今回ダメでも次回は免除してもらえるということもあり、今回の試験準備では、午前に受けた会計とシステムに分野にいちばん時間をかけた。特に、システム関係は知らないと解けない専門用語も多いので、限られた準備しかできなかった中では、それなりに注力した。会計関係は、計算問題も多く、計算はそれなりに答えがでることもあり、会計・システムの分野が、4科目の中では最も手応えがあった。午後の経営理論の方も、昨日の2科目よりはできたのではないかという実感はあるのだが、問題も持ち帰れないし、模範解答が示されるわけでもないので、昨日の2科目と合わせ、「なんとなく」の域を出ない。

とにかく、やることはやって、もう試験も終わってしまったので、昨日の2科目と合わせ、前回の金融内部監査士の時と同じく「人事を尽くして天命を待つ」しかない。自分にCIAを名乗るにふさわしい実力があれば合格するだろうし、まだ実力不足なら、そのよ