2007年4月 4日 (水)

『下流志向』(内田樹著)を読んで-子どもの自信はどこからくるか

私がしばらく前に、このブログに『なぜ勉強させるのか?』(諏訪哲二著、光文社新書)を読んだ話を書いたのを見たある知人が、内田樹氏の『下流志向』(講談社)を読んだらいいと勧めてくれたので、さっそく購入し、今日読み終わった。

著者の内田樹(たつる)さんは、1950年生まれで、現在、神戸女学院大学の教授。フランス現代思想、映画論、武道論などが専門とある。
この『下流志向』には、「学ばない子どもたち、働かない若者たち」というサブタイトルがつけられている。前半は、学級崩壊というわれる現在の教育現場で、子どもが勉強しなくなったのは、なぜか?ということを考えている。続いて後半では、さらにニート(働かない若者)が、なぜ働かないのか、について考えている。

示唆に富んだ見解が多く、それぞれについて書き出すと、10回ぐらいに分けて書かないととても書ききれないくらいの切り口が提示されているが、その中で、最も印象に残った点を書いておきたい。

なぜ、子どもが大人から見たら根拠があるとも思えない自信(全能感)を持っているのか、教師とさも対等であるかのように振る舞えるか?という点についての見解についてである。

著者は、それを、現代の日本社会が消費社会となっていることをあげる。家電製品の浸透で家事労働は減少し、少子化が進み、子どもが家の中で手伝いをするという機は激減し、一方、両親や祖父母から、ふんだんのお小遣い(お金)をもらっている子どもは、まず、消費者として社会に認知され消費主体として自己を確立している。

著者の内田氏は、『なぜ勉強させるのか?』を書いた諏訪哲二氏が以前に書いた『オレ様化する子どもたち』の記述に啓発されたと書いている。

今の子どもたちとと、30年前くらいの子どもたちの間の一番大きな違いは何かというと、それは社会関係に入って行くときに、労働から入ったか、消費から入ったかの違いだと思います。
(内田樹著『下流志向』38ページ)

かつて、家事労働で苦労する親の手伝いをし、褒められることで自己の存在の社会な役割を感じた子どもは、いまや、お金を使って物を買う、消費するという行為によって、早くも、学校に通う前から、社会に認められてしまう。
家事手伝いの時には、子どもが親の代わりに出来ることは、親がやっていることのほの一部分に過ぎず、親のやっていることの全てを代わりにやり遂げるなどということは、考えもつかないことだった。
しかし、困ったことに、お金を手にして、買い物に行けば、店側にとっては、大人であろうが、子どもであろうが、お客様はお客様。そこに何の違いはない。「お客様は神様です」という言葉の通り、お金さえあれば、消費するということによって、学校に行く前の子どもであっても、何の苦労も努力もなく、1人の社会的存在として認められてしまう。全知全能の神に如く。
そうして、1人前の社会的存在として認知されている主体として、子どもは学校に行き、学校教育も、教育サービス商品として、自分の貴重な時間を使って受ける足るサービスかどうかと値踏みをすることになる。
しかし、勉強なんて、ある期間勉強してみて初めて、勉強することに意味がわかるのであって、勉強する前の子どもには、勉強する意味も価値も理解できるわけはないのだが、消費主体として全能感を身につけてしまっている子どもは、自分は全てわかっている気になっていて、効果もわからないような勉強などする意味はないと学ぶことを放棄してしまう。
子どもが勉強しなくなった理由についての著者の主張を私なりに乱暴に要約すると、以上のような点が骨格であろう。

これは、なるほどと納得する点が多い。我が家は、子どもには不必要に多額なお金は持たせないようにしているし、家の手伝いも極力させているつもりではあるが、それでも、どうしても自分の子どもの頃と比較して、根本的なところ何かが違うという感じは、漠然と持っていた。ただ、それが何かということは、うまく説明できずにいた。
それは、消費社会とそれ以前の時代の違いだったのだと考えると、実によくわかる。

自分の子育ても、この機会に、改めて考え直さなくてはならないと感じた。

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2007年3月26日 (月)

『なぜ勉強させるのか?』(諏訪哲二著)を読んで思うこと-自立した個人になるために必要なもの

10日ほど前から読んでいる『なぜ勉強させるのか?』(諏訪哲二著、光文社新書)を読み終わった。

なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える 光文社新書

読み始めの時に書いた記事では、著者が学校の役割を「社会に適応できる人間形成の場」という形でとらえていると紹介したが、基本的に最後までその姿勢は貫かれている。

著者は、西欧近代では、絶対的な神の存在を前提に、市民社会における自立的な個人が形成され、その役割を負ったのが学校だと考えている。明治維新後の日本でも、明治日本は近代国家を形成するため、学校による教育制度を導入した。その市民社会における個人とは何かについて、今の日本の状況をどう捉えるのかを著者は次のように語る。

子ども(若者)がなかなか、おとなになろうとしない。子ども・若者たちは、なかなか一人前のおとな(社会人)にはなれないけれど、本人たちの意識では、すでに充分に一人前だと思っている。
一人前のありように対する認知レベルが違うのである。
近代的な個人である「私」(自己・「個」)の意識とは、「私」と同じ近代的人間である無数の「私」がこの社会には居て、「私」はその無数の「私」たちの一員であり、かつ、人類の一員であるという自覚(覚悟)であろう。
「私」独自の自己感情的なもの(「この私」の意識)は、「私」(自己)の社会的装いの下に隠して生き延びさせていかなければならない。一人ひとりが「この私」を表に出して生きていくわけにはいかない。
つまり、近代の「私」になることは大いなる跳躍であり、大いなる断念なのである。この跳躍と断念が日本の若者たちにはむずかしくなってきている。
(『なぜ勉強させるのか?』234~235ページ)

元高校の先生だけあって、倫理の教科書のような文章だが、自分が一番偉いし、自分は何でもわかっているという自分中心の「この私」でなく、自分も世の中の無数にいる「人」の一人に過ぎないことを、認め、受け入れるということが近代の「私」なるということであろう。
私がこれまで、考えてきたことと結びつければ、多くの「人」の中の自分に過ぎないことを受け入れている「私」が「大人」の姿であり、自分を客観視できず自分中心の「この私」に留まっている人は、たとえ何歳であっても精神的には「子供」ということだろう。

著者も次のようにも語る。

勉強することだけで、子どもを近代的個人にすることはできない。
勉強とは別のレベルで、「個」を自立させていかないと、単に成績がよくても、社会や自分に役立つ個人になることはできない。
そして、大事なことは、「個」が自立するということは、その「個」がひとりでは立てないということを自覚することなのである。
自立という言葉に反するような気もするかもしれないが、「私」は自立できないとわかったときが、自立のときなのである。
人間とはそういうものなのであろう。
(『なぜ勉強させるのか?』239ページ)

自分は、一人では生きていけない存在であることを悟った時、自立した個人となり、大人への一歩を踏み出すということだろう。

では、自立と勉強の関係については、稿を改めて次回、もう少し考えてみたい。

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2007年3月14日 (水)

『なぜ勉強させるのか?』(諏訪哲二著)を読み始める

光文社新書の2月の新刊、『なぜ勉強させるのか?』(諏訪哲二著)を読み始めた。
著者の諏訪哲二さんは、1941年生まれで、埼玉県の県立高校の教諭を長く務め、2001年に定年退職された。現在「プロ教師の会」代表。この著書以外にも中公新書クラレで『オレ様化する子どもたち』など、教育現場での経験に根ざした教育論を提起している。

なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える 光文社新書

この本には、サブタイトルとして「教育再生を根本から考える」とあり、帯には、「学ぶ姿勢のない子ども、成績だけにこだわる親、学力以前に注目しよう」とのキャチコピーが書かれている。

まだ、全体の1/3ほど読んだところだが、著者は、現在の教育再生の動きは、単に「学力向上」偏重、教育への競争原理の導入に過ぎず、学校教育が本来持つべき「社会に適応できる人間形成の場」という意味あいが捨象されていると警鐘を鳴らしている。

これまで、読んだところでは、私自身、同意見であり、ひたすら学力向上だけに励み、いい学校に入ることで、人生の成功が全て約束されているかのような風潮の蔓延、お受験の過熱には首をかしげざるを得ない。
私自身の教育方針は、このブログを始めてすぐに一度書いたことがあるので、詳しくはそちら(2006年3月5日:受験生の親として考えること)をご覧いただきたいが、中学までは地元公立校で世の中の縮図の中でもまれ、高校も第一志望は公立高校、大学は行くか行かないかも含め本人が考える。親は、その選択をできる限りサポートするという方針である。

この教育方針が、本当にうまくいったのかどうかの答えは、私も妻も死に、3人の子ども達それぞれが、最期を迎える時に、それぞれで判断してもらうしかない。
簡単には答えの出ない問題だが、まず、親自身が「教育というものは、それだけ息の長い事業で、むしろ種をまいたら、適度な水と肥料はやるにせよ、芽が出て、花が咲くのをじっと待つしかないものだ」と考え腹をくくることだと思っている。
子供の人生は子供のもの、親が代わりに生きてやることはできない。ならば、3人の子が生き抜いていく力を身につけさせることしかないのではないか。もちろん、学力はその重要な要素の一つではあるが、それがすべてではない。学力競争が終わった後に始まる本当の競争の中で生き残っていく力を、どうやって身につけさせるかが本当の教育だと思う。

抽象的な議論になってしまったが、本書を読み終えたら、あたらめて整理したい。

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2007年3月 7日 (水)

「啓蟄」に思う3人の子の進学

昨日、3月6日は二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」だった。加えて、我が家の結婚記念日でもあって、それに長年敬愛する宮本輝さんの誕生日で還暦を迎えるとあって、昨日は何を書こうか考えたあげく、これまでブログであまり書いていない宮本輝さんのことを書くことにした。

とはいえ、ブログの中には、折々の季節感も盛り込んでいきたいので、二十四節気は、都度、取り上げたいと思っている。

いつも使わせてっもらう山下景子さんの『美しい暦のことば』(インデックスコミュニケーションズ刊)では、

暗い土の中でじっとうずくまっていた虫たちが、春の気配を感じてもぞもぞと活動を開始するころです。
(同書、33ページ)

とある。
二十四節気は、旧暦がベースになっているので、平年であれば、実際の気候としてはもう少しあとになると思うが、今年は、東京都心では雪が降らないまま3月を迎えていて、春の訪れも早く暖かいので、あまり違和感がない感じだ。

啓蟄を過ぎれば、いよいよ、春の本格的な春の到来。
我が家にとっては、子供3人がいっせいに、今まで通っていた学校を卒業し上級の学校に進学するので、どことなく「啓蟄」のイメージとだぶる気もする。これまでの学校から抜けだして、また新しい舞台で、成長することを願っている。

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2007年3月 1日 (木)

次女の大芝居、我が家の受験モード解除

我が家には、子供が3人いるが、ちょうど3年おきに生まれているので、3年周期でいっせいに進学・受験が巡ってくる。今年は、長女が大学受験、次女が高校受験、長男が中学進学という最もピークの年である。

長女、次女とも中学校は地元に公立中学に通わせたので、3人めの長男も、姉2人と同じ中学に進学させることにしていたので、こちらは受験なし。
また、長女は、最近増えているAO入試という制度で、昨年の秋に、ある私立の女子大に進学が決まり、今後の授業料には頭が痛いものの、とりあえず、同級生がセンター試験で目の色を変えいる時に、のんびり過ごしていた。
問題は次女。我が家の家計を考えれば、次女まで、私立に行かれたのでは首が回らない。しかし、高校は必ず試験があるし、どこでも入れればいいというわけにはいかない。次女が自分の成績を見て、中学でのクラブの先輩の情報などから選んできたのが、我が家から電車で3駅ほど乗ったところにある、ある都立高校だった。

私も親として、次女と一緒に、学校説明会に行き、先生達の話や案内をしてくれていた在校生を見て、ここなら、雰囲気も自由で古き良き都立の伝統を残し、生徒も伸び伸びしていて、自立心旺盛な次女にはあっているだろうと思った。本人も気に入ったようで、それ以降、別の学校を探す様子もなく、そこ一本という感じだった。
しかし、模擬試験の成績は、「C」が1回あったくらいで、「D」とか「E」の方が多い。結局、安全圏といえるような成績を残すことがないまま、2月23日の学力試験に臨んだ。

そして、今日が都立高校の合格発表の日。発表を見に行った次女が、家で留守番をしている長女に電話をし、長女が私と妻の携帯電話に合否をメールで送るという段取りにしていた。9時半頃、長女からメール。「合格」。まずは、ほっと一息である。

しかし、家に帰ったあと、次女からとんでもない話を聞かされた。なんと、昨年の暮れに受けた最後の模試の結果は最低のE判定だったというのだ。「こんなこと、親に言ったら、志望校を変えろと言われるので言えない。自分が第1志望にしている高校以外に通う自分の姿は想像できなかった。」と、ダンマリを決め込んでいたというのだ。

判定結果を聞かされていたら、本人の意思を尊重する主義の私でも心配になっただろう、妻は志望校を変えるように言ったに違いない。
中学時代演劇部だった次女に、見事に大芝居をうたれてしまった。それだけ、第1志望の学校に行きたかったということだろう。E判定でも、最後は何とかなるだろうと思い、なんとかしてしまう、それこそセルフ・エフィカシー(自己効力感)そのものだと改めて感じた。これで、我が家の受験モードは解除。3年後まで、普通の生活が送れることになった。

セルフ・エフィカシー(自己効力感)については、2006年11月10日の同名の記事をご参照下さい。

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2007年1月 5日 (金)

訃報:百ます計算の考案者岸本裕史さん死去

今朝(2007年1月5日)の朝刊の訃報欄で、岸本裕史さんが昨年の12月26日に亡くなっていたことが伝えられていた。

岸本さんは、1930年の生まれで、神戸市で小学校の教員を40年勤めた。読み書き、計算など基礎学力の充実の必要性を早くから訴え、今や多くの小学校で使われている100ます計算の考案者でもある。
100ます計算の実践で成果を上げ有名になった蔭山英男さん(現立命館小学校副校長)も、若い頃、自らの教育手法に試行錯誤する中、岸本さんと出会ったことが転機になっている。

私が、岸本さんの著書と巡りあったのは、今から20年以上も前、大学生の頃である。大学生協の書店で『見える学力、見えない学力』(岸本裕史著、大月書店国民文庫)を目にして、タイトルに惹かれて手に取ったのが最初である。初版発行が1981年3月とあるから、新刊として発売されて間もない頃だったのだと思う。その後、この本は版を重ね、1996年3月には改訂版も出されている。私は、何度かこの本を買っているのだが、手元にある改訂前の1冊ので奥書に1992年10月の49刷とある本の帯には、90万部突破とある。おそらく、現在は100万部を突破しているだろう。息の長いロングセラーであり、今、読んでも、言われていることの本質は全然古くなっていない。

この本の中で、著者は学力を氷山にたとえている。

 氷山を思い浮かべて下さい。氷山というものは、大部分が海面下に沈んでいて、八分の一だけが海面上に姿を見せています。子どもの学力も、それと似ているのです。テストや通知簿で示される成績は、いわば見える学力なのです。その見える学力の土台には、見えない学力というものがあるのです。見える学力をたしかに伸ばすには、それを支えている見えない学力をうんとゆたかに太らせなければならないのです。貧弱な土壌では、果樹の実も、ちっぽけなままでしかありません。
 小学校で習う勉強の多くは、子どもの生活空間で見たり、聞いたり、触れたりできるものが素材となっています。ですから、学校で新しく習う教材でも、事前になんらかの予備的な知識や経験のある子は、のみこみも早く、容易に忘れることはありません。
(『見える学力、見えない学力』改訂版37~38ページ)

では、「見えない学力」とは何か?規則正しい生活習慣を身につけさせる躾け、親が読み聞かせをすることで読書の習慣をつけさせる、自然の中で伸び伸びと遊ばせる、家庭の中で社会や政治・経済につき話題にする、地図を壁に貼りニュースで地名が出てきたら確認する、史跡に行ったり、美術・芸術に触れさせる機会を作ること等々で、いずれ勉強として学ぶことを、日常生活の中で先行体験させることである。

この先行体験として述べられているものには、私が子どもの頃、両親がやってくれていたことも多くあり(両親が意識してやっていたとは思えないが)、私は一読するや、岸本「見えない学力」説の信奉者となり、その後の自らの子育ての中で、出来る限り実践してきた。

その成果の是非は、子どもたち一人ひとりの今後の成長を見るしかないが、途中経過で見る限り、不登校にもならず学校に通っているでの、大間違いはしていないのではないかと思っている。

私にとっては、岸本さんは、いわば子育てや教育を考えていく際の心の師であった。これからは、私なりに、岸本説を咀嚼して、子どもたちに伝えていくことが、役目だろうと思っている。心からご冥福をお祈りしたい。合掌。

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2006年10月10日 (火)

冬物への衣替え

昨日までの3連休、金曜日の雨模様がうそののような秋晴れの3日間で行楽日和、運動会日和の3日間だった。
気象庁発表の東京の気象データを見ても、6日(金)が平均気温17.0℃(最高18.5℃)、平均湿度87%だったのに対し、3連休はいずれも平均気温で21℃前後(最高はいずれも25℃台)、平均湿度も7日51%、8日38%、9日42%と快適だった事がわかる。

我が家は、高校受験を控えた次女の学校説明会(7日)と模擬試験受験(8日)があり、特に遠出をするでもなく、家で3日間過ごした。

なんとなく、やらなくてはと思いながら先延ばしにしていた冬物への衣替えを行い、それを機会に、もう来年は着ないだろうと思われる夏物の衣類を処分、あわせて各部屋の大掃除をして、買い込んだ本のうち、もう読まないと思われる物を、3日で200冊くらいブックオフへ売りに行った。長男の部屋は、少々模様替えもして、家族全体で気分一新して、3人の子どもの進学に備える態勢を整えたというところだ。あとは、本人たちの頑張ってもらうしかない。

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2006年9月12日 (火)

香山リカ女史が語る「偶然の出会い」のとらえ方

香山リカ著『14歳の心理学』(中経の文庫、中経出版)を読んだ。サラリーマン向けのビジネス書などでなじみがある中経出版が文庫に進出し、最初に世に送り出した10冊のうちの1冊である。

14歳の心理学 (中経の文庫)

著者は、以前も書いた通り「我らの世代論~すべては努力と実力次第?」4月9日・記、自分と同じ1960年生まれということで親近感もあり、また精神医学の先生で、河合隼雄とは違った切り口で心(こころ)の問題を扱っているので、著作は何冊か読んでいる。
生意気にも読者として注文をつけるとすれば、個々の評論にはなかなか切れ味鋭いものがあるのに、1冊の本としてまとめられたものを読むと、「結局何を一番訴えたかたのかな~?」と論旨がハッキリしないような感じを受けることがあるのが残念だというところぐらいだ。

今回は、益田リミさんの4コママンガを要所要所にちりばめて、お父さん向けの「子(思春期の娘)育てハッピーアドバイス」を狙っているなと思われる作りだ。
内容は、『子育てハッピーアドバイス』ほど、ソフトな感じはなく、特に第4章の”「生きづらさととなりあわせで心を襲う”と第5章の”子の「現実感」をもっと深く知る」の2章は、若者を襲う離人症(生きている現実感を感じられない)ことから起きている自殺や事件を取り上げていて、ここまで来てしまったら救いようがあるのだろうかと暗澹たる気持ちになる。

暗澹たる気持ちになったお父さんへは、(おそらく、そこまでひどくなる前に)「娘を信じ、ひとりの人間として尊重する」「娘とうまくやりたければ、まず妻とコミュニケーションを(とること)」という処方箋が書かれている。

私が、一番なるほどと思ったのは、第3章で、「偶然の出会い」というものについて語った部分だ。10年くらい前の北欧でのフェリーの沈没事故の際、ある男女が「生きて帰れたら結婚しよう」と約束し、二人とも救出され、相手の消息を調べ、結婚に至った話を紹介した後で、次のように説明している。

偶然の出会いを経験しやすい体質って、たしかにあるのでしょう。
 では、どうすれば偶然出会いを起こしやすくなるのか。先ほどお話ししたフェリー事故の場合、後から研究者が分析したところによると、命が助かるかどうかの分かれ目は 「集中力」と「パニックの起こしにくさ」だったそうです。「船が座礁したぞ!」と聞いて、(中略)「座礁といっても沈没までにかなり時間があるぞ。その間になるべく逃げやすい出口を探して、救命胴衣を着けて…」と冷静に集中して考えることができた人は、命が助かった。「結婚しよう!」と叫び、その後、助かったふたりも、おそらく飛び抜けて集中力があり、すぐにパニックにならない冷静さをもっていたのでしょう。だからこそ、精神が研ぎ澄まされてた状態で、「この人こそ、生涯のパートナーだ!」と出会いまでキャッチすることもできたのです。
(中略)
 つまり、出会いは「あーあ、どこかにステキな出会い、ないかなぁ」と思っているうちは、なかなか訪れない。(中略)「なんとか沈没する船から助かりたい!」と(中略)強い決意を持ち、その目的のために集中して考えたり動いたりしていると、思わぬ出会いが飛び込んでくるものなのです。飛び込んでくるというよりは、精神の集中によってセンサーの感度が上がっているので、自分で「この人は大切だ!」と出会いがよくみえてくる、というほうが正確かもしれませんが。
(中略)
出会いは求めるものではなく、気づくもの。そして、そのために必要なのは、出会い以外の何かを求める集中力とエネルギーです。
(香山リカ著『14歳の心理学』中経の文庫、101~104ページ)

しばらく前に書いた「気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態」(8月24日・記)の中で取り上げた河合長官の「深い必然性をもったものほど、一見偶然に見える」との命題の答えを、香山リカ女史は教えてくれたような気がする。
あることに集中し、精神の感度が上がっている時は、普通なら見過ごしてしまう出会いに活性化された潜在意識が反応し、自分でも選択したという自覚がないうちに、人生における大きな選択をしているのだろう。そう考えると、納得がいく。

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2006年9月10日 (日)

『子育てハッピーアドバイス3』発売

先日、このブログで紹介した『子育てハッピーアドバイス』シリーズの第3巻『子育てハッピーアドバイス3』(明橋大二著、イラスト:太田知子、1万年堂出版)が、9月に入り発売された。昨日の夜、近くの書店で買ってきた。

子育てハッピーアドバイス3

第3巻では、引き続き子供の自己評価を高めることの重要性を強調するとともに、子供の自立心を育てることの大切さを説いている。
(子供は)「自分で悩んで、考え、成し遂げて初めて自信を持つようになります。子供が失敗したとき、否定的な見方で本人を、本人を追い詰めないことが大切というタイトルの章もある。

得てして、大人は自分の知識水準・判断基準と同じようなレベルで、子どもたちも考え、行動していると思いがちのような気がする。大人の感覚・目線から見れば許せないことでも、まだ未熟な子どもの感覚・目線で見れば、違った見方があるはずなのに、最近は大人の方に余裕がなくなっているので、それができなくなっている。

企業社会の中で、相手の人格を否定するような発言をする上司いても、それが仕事の上のことであれば、許される風土がある。そうやって、職場で否定され、自己肯定感をもてない親が、家庭で子どもの目線・感覚で、子どもと接触できなくなっていることもやむを得ない面がある。
最近は、セクシャル・ハラスメント(セクハラ)に次いで、パワー・ハラスメント(パワハラ)ということも言われるようになっており、職場での上司による度を超えた部下いじめは問題にされるような風潮も出てきた。

我々一人ひとりが自覚して、身の回りでできることをしていくことが、子どもを追い詰める社会を少しでもよくしていく近道ではないか、とも思っている。

*『子育てハッピーアドバイス』関連記事
9月4日:教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』
9月10日:『子育てハッピーアドバイス3』発売

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2006年9月 8日 (金)

90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

河合隼雄著『縦糸横糸』(新潮文庫)を読み終わる。1996年5月から2003年5月まで、月1回産経新聞大阪版に連載されたコラム72回分をまとめて本のしたもので、単行本は2003年7月に発行され、この9月に新潮文庫に加わった。

縦糸横糸 (新潮文庫)

その時々の世間での出来事をテーマに河合隼雄が持論を語っている。振り返って見れば、90年代後半からこの本がまとめられた2003年までは、日本経済の長引く不振で、日本社会全体が暗くすさんでいた時期でもあり、バブル崩壊後の失われた10年(15年)の社会史にもなっている。72話の多くが、小学生や中学生といった少年・少女が起こした事件をテーマにしている。

しかし、河合氏は常に、事件の背景にある真の原因を探ろうとする。それは、子供を暴発に追い詰める、家庭であり、社会であり、それらの構成員である大人一人ひとりである。大人自身が、自分十分見つめておらず、自分に自信がもてていない。信頼できる人間関係が築けない。家庭が、憩いの場とならない。それが、子供を追い詰めている。

そんな大人の姿を描いた一節がある。『「今、ここ」の自分への不満』とサブタイトルがついたコラムで、関西の私鉄で混雑時の社内での携帯電話の電源を切るように呼びかけ始めたことを取りあげたものだ。

いつどこから電波という風が吹いてくるかわからないのを、いつも待ち受けている姿勢で、何かにほんとうに集中できるはずがない。というよりは、何かに集中するのが怖いので、それを避けるために常に外からのはたらきかけを気にしている、というのが現代人の姿ではないだろうか。
 外からのはたらきかけを待つというと何かに心を配っているようだがさにあらず、ひとたび携帯のベルが鳴ると周囲を全く無視して話しはじめる。他人の迷惑などお構いなしである。そこには極端な自己中心性が認められる。
◆空しい枝の絡み合い
 常に外とのつながりを求め自己中心的である姿は、自己に深く沈潜することによって他とのつながりを見出してゆく姿とはまったくの対極をなしている。現代人の特徴としての人間関係の希薄さ、まずさは、その根本に自分の内面とのつながりの無さということにある。(中略)自分の内界と切れてしまっているので、何とかして外とのつながりによってそれを補償しようとするのである。
 このような姿は、たとえてみると、根から切れた沢山の木が、お互いに枝を絡み合わせることによって、やっと立っているのに似ている。辛うじて倒れずに居るが、やがてはかれてしまうことだろう。この空しい枝の絡み合いをネットワークなどと呼んでいるのである。
 (中略)携帯電話禁止週間などというものがあったりすると、もう少し人間が自分の内面もこめて、互いに向き合うことをするようになるだろう。
(河合隼雄著『縦糸横糸』新潮文庫、243~244ページ)

時々、こうしてブログを書いていると、妻から「ブログばかり書いて、私や子供たちのことはほったらかし」と怒られる。根のない木にはなっていないつもりだけれど、そう言われれば、ブログに向かう時間が増えた分、家族と向き合う時間は減っているかも知れない。うまくバランスを取ることを考えなくてはいけないと少々反省している。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 4日 (月)

教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』

高校3年生の長女が先週末『子育てハッピーアドバイス』『子育てハッピーアドバイス2』(いずれも、明橋大二著、イラスト太田知子、1万年堂出版)の2冊を学校の図書館から借りてきた。「おもしろそうだし、イラストが可愛かったから…」との長女の弁。

子育てハッピーアドバイス

子育てハッピーアドバイス 2

著者の明橋大二さんは、1959年生まれの精神科医で、スクールカウンセラーもやっている。子育てに悩む若い母親向けに、明橋先生の語りを太田さんの可愛いイラスト・マンガを交えて伝える。1冊1時間もあれば、読めてしまう。

しかし、内容は濃い。2冊を通じて、明橋先生が強調するのは、子供の自分に対する信頼感(自己評価)を高めること。幼い時に、親がしっかり子供の甘えを受け止め、話を良く聞いてあげて、子供の自己評価・自己肯定感が育ってこそ、「しつけ」も、「勉強」も身につくと説いている。親が何をやれば子供の自己評価が高まり、何をやれば自己評価を低めることになるのか、日常によくあるケースがいくつも取り上げられている。親がよかれと思ってやっていることが、逆効果というケースがなんと多いことか。自分でも、反省させられることが多かった。
また、子育ての責任が母親ひとりに集中しがちで、母親自身に余裕がなくなっているケースが多いので、父親や周りの人々が母親をサポートすることも重要と強調している。

折しも、我が家では、夏休み明けの妻が、中3の次女の成績が伸びない、小6の長男はちっとも言うことを聞かないということで、「自分の子育てが間違っていたのではないか?」と真剣に悩み始め、私が「そんなことはない」となだめても全く効果がなく「中年クライシス」状態だった。家族全員で、この2冊を読んで「これってウチでもあるよね」とみんなで納得している。妻も、自分が客観視できて、少しは楽になったのではないかと思う。

きちんとしつけなきゃならない、と思って、子育てが負担になり、イライラしていると思ったら、いったん、しつけなんて、もうヤ~タと放棄して、肩の荷を下ろして、深呼吸してください。

そのほうが、よほど子供の将来のためにいい、ということもあるのです。
(明橋大二著『子育てハッピーアドバイス』1万年堂出版、116ページ)

この本は、今子育てに悪戦苦闘する若い親とっては、子育てのバイブルになるだろう。すでに子供が大きくなった私のような中年世代の親にも、自分の子育てを振り返り見直し、やり残したことがあれば、今からでもできることは試した方が、より良い親子関係作れるかも知れないという点で必読書だと思う。

*『子育てハッピーアドバイス』関連記事
9月4日:教育・育児の悩みを解決してくれる『子育てハッピーアドバイス』
9月10日:『子育てハッピーアドバイス3』発売

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2006年8月 8日 (火)

北軽井沢と軽井沢

6日(日)の朝から今日まで、2泊3日で北軽井沢に行ってきた。今年は、我が家も受験生2人なので、ささやかな気分転換といったところだ。浅間山麓の高原といったところで、気温も都心よりも数度低く、過ごしやすく文字通り「避暑地」とはこういうところを言うのだろうと実感した。

これまで、仕事で何回か転勤し、観光地と言われるところにはずいぶん行ったが、「軽井沢」と名の付くところには、一度も足を踏み入れたことがなかった。今回、たまたま行くことになったのだが、「北軽井沢」と聞いて、軽井沢地域の北部くらいにしか考えていなかったが、全く間違っていた。

新幹線の駅もある、いわゆる「軽井沢」は、長野県北佐久郡軽井沢町。江戸時代は、江戸から参勤交代や善光寺参りの旅人が碓氷峠を越えたところで、疲れを癒す中山道の峠の宿場町であった。現在のように別荘地として有名になったのは、明示19(1886)年にカナダ生まれのイギリス人宣教師A・C・ショーが、避暑地として好適であるとして内外に紹介したことがきっかけのようだ。(参考資料:軽井沢町ホームページまちのあゆみ「軽井沢町の誕生と発展」「軽井沢町のあゆみ」)
軽井沢町には、軽井沢と中軽井沢という地名はあるが、旧軽井沢や新軽井沢というのは通称のようだ。

一方、我々が泊まった北軽井沢は長野県と境を接する群馬県吾妻郡長野原町にある。中軽井沢から、国道146号線を車で30分ほど北上し、峠越えをした山の向こうが北軽井沢だった。
長野県の軽井沢町も軽井沢や中軽井沢という地名は、鉄道の沿線部が中心で、町の北部は「長倉」という地名である。そこを過ぎて峠を越えた山の向こうが北軽井沢なのだ。なぜ、軽井沢の中で、北軽井沢だけが群馬県なのか?いつから、北軽井沢と言っているのか?
北軽井沢がある長野原町のホームページの「長野原町について」の中の”長野原町の歴史”を見ると、その答えらしきものがあった。

昭和62年1月大字名変更により「大字北軽井沢」が誕生

正式は地名としての「北軽井沢」の登場は、このときなのだろう。思い起こせば、おりしも、日本がバブル経済の入り口に差し掛かった頃である。一時は、開発ブームに沸いただろう。
さて、現在はどうなのだろうか?私が昨年までいた北海道などは、全道で人口500万人の地域に、どう需要予測をしたら採算が成り立つのかというような乱開発の残骸が点在し見る影もなかった。さすがに、北軽井沢は、東京に近い分、バブル崩壊の影響は北海道ほどではないが、バブル絶頂期に比べれば、ずいぶん人の入り込みは減っているのではないだろうか?

たった3日間だけの印象論なので、あまりあてにはならないが、機会があれば、もう少し調べてみたい。

追記:この記事の地名「北軽井沢」の由来については、記述が不十分でした。
8月16日の記事: 「北軽井沢」ついての追記 をご覧下さい。

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2006年7月30日 (日)

人生の四季 、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

先日から読んでいた『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)の原題は”THE SEASONS OF MEN`S LIFE”で、日本で最初に出版された時は、「人生の四季」というタイトルだったそうだ。文庫化する際、改題したそうだ。前のタイトルだと、老人の回顧録のようにも聞こえる。

その『ライフサイクルの心理学』の下巻を、昨日ようやく読み終わった。1970年前後の米国の4つの職業(生物学者、小説家、企業の管理職、労働者)の40代の男性10人ずつ計40人のそれまでの人生を丹念に面接調査で聞き出し、そこに共通にサイクルを見いだし、仮説を提示している。

本書の本来のテーマ自体は、まさに、このブログのテーマそのもので、じっくり、数回に分けて書きたいと思うが、この本の最後の方で書かれていた事が、印象的だったので、まずそれを書きたい。

「原始の時代からの長い人類の歴史の中で見れば、家庭というものは、狩猟が中心の時代に、次の世代が自ら狩猟に出て獲物を得て、自活できるようになるまで期間、最も効率的に次の世代を育てるためのシステムであった。20才前後に成人し、自ら生活できるようになるまでが、子育ての期間である。原始の時代には、病気、飢え等で、成人までに亡くなるものもいる。親の世代も、子供が巣立っていく40才の頃には既に衰え、死んでいく者も多かった。
40才以降の中年の時期を、人間が生きるようになったのは、歴史的に見れば、ごく最近の事なので、中年以降のうまい過ごし方は、まだ確立されていないし、それは、更に1000年~2000年という単位でしか、根付いていかないのではないか。」というような趣旨の事が書いてあった。
河合隼雄氏の『対話する人間』にも、似たような話があったが、あの時は、日本の戦国時代が人生50年という話であった。今回は、一気に遡って何十万年という単位の話である。

そう考えれば、我々個々人が悩むのも当然だし、ここで考えた何がしかが、次世代へ引き継がれ、1000年~2000年先の人間の生き方に多少でも役に立てば、それも悪くないかなと思ったりした。

*追記(2006年11月23日)
タイトルを当初の「人生の四季」から「人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月21日 (金)

夏休みなのに集中豪雨

今日から、小6の長男と中3の次女は夏休み。しかし、日本各地で降り続く梅雨末期の集中豪雨で、各地に被害が続出しているし、東京も長雨が続き、夏休み気分にもなれない。

先週の猛暑の時には、半袖ノーネクタイで出勤していたが、気温が下がり雨ということもあって、今週は久しぶりに長袖のワイシャツを着て上着も着ての出勤だった。

「集中豪雨」という言葉を『NHK気象・災害ハンドブック』(NHK放送文化研究所編、NHK出版)で調べて見ると、その由来について書いてあった。

集中豪雨ということばが初めて使われたのは、1953年8月15日の朝日新聞夕刊(大阪本社版)とされている。「集中豪雨 木津川上流に」という見出しで、本文にも「(前略)激しい雷と豪雨を伴って木津川上流に集中豪雨を降らせ」とある。集中豪雨という表現が現象を的確に表現していたため、マスコミ用語からしだいに気象用語としても定着するようになった。(『NHK気象・災害ハンドブック』39ページ)

新聞で、天竜川の堤防が決壊し、アスファルト道路を押し流し、送電線の鉄塔の土台のすぐ近くまで迫っている写真などを見ると、自然の猛威の恐ろしさを感じずにはいられない。

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2006年7月 4日 (火)

次女の一念発起

今朝、5時半頃、目が覚めた。いつものように、リビングからキッチンに行き冷蔵庫を開けて冷やした麦茶を一杯飲もうと思って、リビングに入ろうとすると電灯が点いたままだ。昨日、寝る時、「消し忘れたんだ」とドアを開けると、中3の次女がもう制服に着替えて、テーブルに教科書やノートを広げて勉強していた。次女は、今、期末試験。昨日は、朝の4時まで、勉強していたということで、相当眠かったらしく、私より先に寝ていたようだ。

高校受験を考えると、中3の1学期の成績が志望校選択の際の目安になる。これまで、ケアレスミスも多く、必ずしも実力相応の成績が取れていなかったと本人も家族も思っているのだが、それも続くのであれば、それが実力になってしまう。いわば、本人にとって、本当の実力を示す最後のチャンスが、今回の期末試験と言うことになる。

彼女なりに、行きたい高校はあるのだが、これまでの成績ではまったく、「お呼びでない」でない状況。親としては、いつヤル気になってくれるのだろうか、と気をもんでいた。

ようやくエンジンがかかったかなという気がするが、親としては、この一念発起が、結果に結びつくことを祈るばかりだ。

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2006年6月13日 (火)

応援団長

先々週の土曜日、小6の長男の運動会だった。彼からは、「白組の応援団長になった」と言われていたが、不勉強な父である私は、自分の通っていた高校の運動会を思い出し、白組全体を統率するリーダーである団長が別にいて、更に応援を専門にやる応援団があり、あくまでも応援専門の応援団長なのだろうと勝手に思っていた。

いざ、当日、出かけてみると、別にリーダーを務める団長がいるわけではなく、応援団長は、全体のリーダーをも兼ねる存在だった。開会式では、昨年の優勝旗を紅組の応援団長が、準優勝のトロフィーを白組の応援団長である我が長男が、それぞれ校長先生に返還し、運動会の競技が始まった。

いつもは、家でアニメやお笑い番組にうつつを抜かし、2年前から通っている剣道も最近はさっぱりヤル気が感じられず、もちろん熱心に勉強をするわけでなく、親としてもどうしたものか?と考えることが多かった。地道に努力しない割には、目立ちたがり屋で、以前このブログでも書いたように(3月25日「担任の先生は選べない)、3~4年の時の担任の先生からは、何かと否定的に見られていた。

しかし、今回は白組の1年生から6年生までのメンバーの先頭に立って、大きな声を張り上げ、一生懸命に応援し、時には、おちゃらけて笑いも取りながら、堂々の団長ぶりだった。
何よりも、親としてうれしかったのは、彼が本当に楽しそうに団長の仕事をしていたことだ。
その甲斐があってか、対抗戦では、4年ぶりに白組が勝利。長男は、閉会式で優勝旗を受け取ることができた。

いくら、本人が応援団長をやりたいと言っても、先生や周りの同級生達が、おまえなら任せても大丈夫と思ってくれなければ、できないだろう。団長になれたということは、なんとか、周りに認めてもらえるだけの力量と人望があったということだろうし、無事、その役目を果たせたことは、本人にとっても得難い貴重な経験だったと思うし、自信もついたのではないかと思う。
親としては、任せてくれた先生方や周りの同級生の皆さんに、感謝の気持ちで一杯だ。

その後も、長男の日常生活に大きな変化があったわけではないが、この経験の中から、人生にとって大切ないろいろなことを学んでくれているに違いないと思っている。

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2006年6月 3日 (土)

ファンタジー全盛の中で考えること(3)-「善」と「悪」の戦い?

前々回前回と『魔法ファンタジーの世界』から、長々と引用させてもらったが、私が最近、子供たちが見ているアニメを見ていて、感じていたこととすごく近い気がしたからだ。<