2012年2月19日 (日)

NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」第174回「夢の旅客機、未来へのフライト」を見て、全日空(ANA)について考える

2月17日(金)午前0時15分から再放送された、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」第174回「夢の旅客機、未来へのフライト」を録画して、昨日の朝、見た。

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全日空が世界の航空会社に先がけて導入した最新鋭の航空機ボーイング787。その就航一番機を操縦したパイロット早川秀明氏(52)を追ったドキュメンタリー。

番組の編集の視点は2つで、まず、新型機B787が無事に営業運航が始められるよう、フライトシュミレーターでのチェックやフライトテストを繰り返し、徹底的の不具合を洗い出す姿。もう1つの視点は、新型機の訓練部長として、B787を操縦するパイロットを育成する姿だ。

航空会社では、各業務の専門化が進んでおり、新型機B787の就航にあたっても、整備部門の各専門家が徹底的にチェックを行っている。早川機長は、それを指して、我が社では皆が自分たちが安全の最後の砦と思っている。自分はそれぞれが砦と思っているチェックをさらに重ねてチェックする砦の砦と自らを位置づけている。

一方、訓練部長として後輩のパイロットを訓練するにあたっては、「考えるパイロット」を育てたいとしている。自動化が進む航空機の操縦技術。ややもすれば、機械に任せておけば大丈夫という安易な気持ちになるのも、しかたのないところだろう。そういう機械依存のパイロットが増えたせいなのか、近年、大事故に繋がってもおかしくないニアミスなどのミスが頻発している。
自らは常に、自動運航中も10km~15km先の雲や煙、海の波の様子などを「全てが情報」と語り、これから先の航路を常に予測しながら飛ぶ。「考えるパイロット」を実践する姿だ。

新型機種を導入するにあたっての航空会社の取り組みがつぶさに語られ、内幕もののドキュメンタリーとして見応えがあるが、この時期に全日空という会社がこの番組の企画・取材を認めたには、単なる自社や新型機B787のPR以上のものがあると思う。

パイロットによるミスが続く中、これだけ安全運航へのこだわりを持っているということを視聴者に対して伝えること、あわせて社内の関係者に対しても、TVそれもNHKで、社会に対してこれだけの宣言をしたのだから、後には引けないという危機感・緊張感を持たせる両面の狙いがあるように思う。

全日空は、2008年に公開された綾瀬はるか主演の『ハッピーフライト』(矢口史靖監督)の制作にも全面協力した。

この映画では飛行機が飛び立つまでに行われるそれぞれの持ち場でのチェックがいか大切か描いた。その個々の基本的なチェックを、それぞれの持ち場の担当者ちょっとした理由でおろそかにする。ひとつひとつの事象は小さなことなのでが、それぞれが連鎖し続けることで、最後にはある1便のフライトが危機的な状況に陥るという話である。

映画では、それらのトラブルのひとつひとつをコミカルに描き、笑いどころ満載なのだが、扱っているテーマの本質は、事前のチェックによるリスクの軽減というリスク管理の本質である。それをおろそかにすることでリスクが顕在化する様子を描き出している。

この映画も、視聴者に空港の個々の場所でのチェックの意味を伝えるとともに、社内の人間に対しても、安全管理の意味の再認識させるものだったのではないかと思う。

今回の「プロフェッショナル仕事の流儀」も、映画『ハッピーフライト』も、全日空という会社は、マスコミや映画といった外部の目をうまく活用しているように見える。

そのような全日空(ANA)の経営のあり方には、興味を持っていたら、会社の近くの書店で『ANAが目指すCS』という本を見つけた。

2001年に起きた米国の9.11による航空需要の激減と同年11月のJAL・JAS合併という2つの大事件がきっかけで全日空という会社の体質が顧客重視へと大きく転換したということのようだ。2つの映像に加え、この本も読んで、さらに理解を深めたいと思う。

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2011年10月 9日 (日)

PHP新書『日本企業にいま大切なこと』(野中郁次郎・遠藤功著)で語られた「知の創造のために必要な相互主観性」に納得

先週の後半は、北海道への1泊2日の出張。帰りの便は、19時30分。仕事が予定より早く終ったので、早い便への予約変更ができるかもしれないと、すぐ千歳空港に向かったが、3連休前の金曜日の夜ということで、東京便を含め、道外へ向かう便はほとんどが満席。結局、予約便の時間まで千歳空港で時間をつぶすことになった。
では、本でも読むかと書店の棚を見て回っている時に目についたのがPHP新書の『日本企業にいま大切なこと』。東日本大震災後、日本の将来を憂いながらも、日本再生を唱えるビジネス本も多く出されているが、ほとんど読んでいない。今回、これを読んでみようと思ったのは、著者が野中郁次郎だったから。
太平洋戦争期の日本軍の組織決定の不合理を鋭く描いた共著『失敗の本質』を始め、端に理論だけなく、現場での実証を重視するアプローチにはビジネスマンのファンも多いと思う。特に、日本企業の暗黙知を重視する姿勢は、米国流の資本効率のみを重視する考え方とは一線を画す。

戸部 良一,寺本 義也,鎌田 伸一,杉之尾 孝生,村井 友秀,野中 郁次郎
中央公論社
発売日:1991-08

この本のベースは、2011年3月10日に発売されたPHP研究所の雑誌『Voice』2011年4月号での「日本企業の「総合力」が輝く時代」というタイトルでの 著者2人の対談のようだ。発売直後、東日本大震災が起きたことから、その後の政治・経済の動きも踏まえて、構成の見直し、加筆・修正が施され、2011年8月にPHP新書のラインアップに加わっている。
バブル経済崩壊後の「失われた20年」で日本企業が精彩を欠く中、その間、デフェクトスタンダードとしてもてはやされたきた米国流の資本効率重視の市場主義的アプローチも、リーマンショックで行き詰まった。日本企業、日本の組織が持っていたいつの時代にも通じる良さを思い起こし、見直そうという思いが、この本全体の底流をなしている。その思いに共感するサラリーマンが多かったのか、発売から1ヵ月余の2011年10月の月初の時点で、既に第4刷となっている。

野中郁次郎,遠藤功
PHP研究所
発売日:2011-08-12

私がこの本の中で、一番、参考になったのは、「知的創造には他者と共鳴しあう「場」が必要」との小見出しで野中郁次郎氏が語る「相互主観性」という言葉である。少し長くなるが、私が重要と思った部分を抜き出して紹介しておく。

「イノベーションには、よい「場」が必要です。(中略)
「知」とは、人が関係性のなかでつくる資源にほかなりません。同じ組織内の人間だけでなく、顧客や供給業者、競争業者、大学、政府といったプレーヤーたちとのやりとりのなかで、お互い異なる主観を共有し、それを客観化することで「綜合」していく社会的なプロセスによって創られます。ここでいう「綜合」とは、複数の事柄を一つにまとめるだけでなく、より高い次元で対立や矛盾を解決し、新天地に進むという意味合いです。
「場」はそうした社会的プロセスの基礎といえるでしょう。場に参加することによって、人は他者との関係性のなかで、個人の主観の限界を超越し、自分と異なる他者の視点や価値を理解し、共有する。そこで構築されるのが、「相互主観性」です。
共通の目的と異なる視点をもつ他者との対話によって相互主観性が生じなければ、知の創造は起きません。そして、そのような関係を築くには、相手の身体感覚を自分のものとして感じることで他者に共鳴できるような「心身一如(しんしんいちじょ)」の場が必要なのです。
(中略)全人的に向き合い、受け入れ合い、共感し合う。ほんとうに豊かな暗黙知、共振、共感、共鳴---そのようなところから、相互主観性は生み出される。それが行動の原動力になるのです。」
(『日本企業にいま大切なこと』141~142ページ)

今回、私がいたくこの2ページほどの文章に心を動かされたのは、私自身が現在の職場で新たな知的創造を求められており、漠然とではあるが同じようなことを考えていたからである。
ちょうど、私の今の職場自体が公(官)と民間のはざまに位置するようなポジションにあり、構成メンバーも様々である。さらにその職場の中で、官民の異なる経歴・経験をもつメンバーが揃うチームの中で、今までにない新たな評価の仕組みを創ることを求められている。
すでに、官には官の、民には民のそれぞれに、長い時間をかけて作り上げた評価の仕組みがある。官の立場に立つ人は官の仕組みで思考し、民の立場の人は民の仕組みで思考する。そこには深い溝がある。どちらかの立場にたって、自分たちの仕組みの正統性を主張する限り、互いに相容れることはない。
双方が納得する新たな仕組みを考え出すには、双方が相手の立場、相手の肌感覚を理解しすることが大前提となる(それこそが、相互主観性であろう)。その上で、双方の世界に通じる評価の仕組みを築けるか?「3年で形にしてくれ」というのが経営トップからのミッションである。
民間側にいる私としては、まず官の仕組みを理解しようとし、彼らの仕組みの根底にある制度の哲学をずっと考えながら、議論し調査してきた。常に、念頭にあったのは、彼らのやり方にもそれなりの必然性と合理性があってここまで来ているはずなので、彼らのやり方を尊重すべきは尊重し、決して頭ごなしに否定したりしないということだった。

ここでキーワードが「相互客観性」ではなく「相互主観性」となっている点に、私としては勇気づけられた思いである。ミッションで与えられた3年とい時間は、すでに半年が過ぎている。なんとか、残り2年半、相互主観性を念頭において、なんとかミッションを全うしたいと考えている。

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2011年3月13日 (日)

東日本大震災のその日

「東北地方太平洋沖地震」と名付けられた大地震発生から2日が過ぎた。

3月1日に新しい職場に移ったばかりで、なおかつ、前の会社での転出の人事発令が出て、新しい職場に移るまでほとんど間がなく、前の会社でお世話になった人で挨拶できていない人も多かった。
地震が起きた日(2011年3月11日)の午前中は、挨拶できなかった人のところを改めて回り、昼も、以前お世話になった先輩とランチをとって、これで、挨拶回りも一段落。

新しい職場では、さっそく、来週、出張ということになり、午後からは出張のための資料を読み出したところだった。

2時半を回り、資料の読み込みにも退屈し始めた頃、床が揺れたような気がした。9日、10日と2日続けて地震があったので、また余震かと思っていたが、この2日間の地震を上回る大きな揺れで、小さなキャビネの上の本がバラバラと床に落ちた。新しい職場での私のオフィスは3階、とりあえず、机の下にもぐり込み、揺れがおさまるのを待った。
少し揺れがおさまったところで、職場のTVをつけてもらう。NHKでは、地震速報のテロップが流れ、すぐ、臨時ニュースを伝えるアナウンサーの映像に切り替わった。震源は東北地方の沖、2日前の宮城県沖の地震より規模が大きいようで、マグニチュードは7.9、震度7のところもあり、震度6強、震度6弱の地域は多地域にわたり、東京も震度5弱と表示されたように思う。さらに、沖合地震に不可避の津波については、多くの地域で「大津波警報」の対象になっており、その高さは6m、あるいは10mと言われていた。
今までの地震で、津波警報は聞いたような気がするが、「大津波警報」という用語は初めて聞いた気がする。

通常の地震であれば、ある程度の情報を確認したところで、テレビを消し、仕事に戻るところだが、どうも尋常ならざる地震の規模に、誰も仕事が手につかない。
しばらくすると、TVで、ヘリコプターや高台にあるカメラからの各地の海岸や港での津波の様子が写され始めた。沖合に津波の波頭が見えたと思うや、みるみるうちに波が迫り、船や車を巻き込み、濁流となって家を押し流す様子が放送される。
仙台市の名取川近くでは、砂浜を乗り越えた津波が川を遡る一方、平野をもどんどんと飲み込み、家や車を押し流し濁流となって、道路を走る車に迫る。気がついたのか、慌てて方向を変え、濁流から逃げる車もあった。
名取川にほど近い仙台空港も濁流に覆われ、ビルと滑走路の一部しか見えない。航空機の姿は見えなかったので、たまたま、駐機している便がない時間帯だったのだろうか。空港のビルの屋上には、多くの人が避難していた。
ハリウッドのパニック映画よりも、生々しく厳しい現実がそこには写されていた。

TVのニュースを見ている間にも、数回、大きな余震があった。最初の地震のマグニチュードは、その後、8.4、8.8と修正され、明治以降の日本の観測史上、最大の地震ということになった。
さらに、今日になって9.0への3度目の修正が行われ、世界の観測史上4番目の大地震ということになった。

午後5時半を過ぎ、通常なら、順次、職場から皆が帰り始める時間だが、首都圏の鉄道各社は地震後の点検のため、全社が運転が止まっている。本震のあとも、大きめの余震が2回、震度2~3程度の揺れもたびたび起こり、なかなか点検が終らないというのが、鉄道各社の実情だったと思う。

職場の同僚の中には、同じ社宅のメンバーと連れだって、歩いても4時間歩けば帰れると5時半頃職場を出た猛者もいた。(結局、彼は11時過ぎに帰宅したと連絡があった)
私は、幸い家族全員の無事が確認できたのでとりあえず安心し、歩いて帰る覚悟を固めつつ、情報源として頼る携帯電話のバッテリーがなくなる寸前だったので、フル充電してから帰ることにして充電を始めた。
充電が70%ぐらいになったころ、枝野官房長官が、「職場のような安全な場所にとどまれる人は、帰宅途中での2次災害を避けるため無理に帰ろうとしないでほしい」とのコメントを出したとニュースで伝えられたため、とりあえず、職場にとどまることにした。

首都圏の鉄道のうち、JR東日本は、11日中の運転再開はないと発表。職場でも、JRを使えないと帰れない人たちは、職場での夜明かしを覚悟したようだった。
誰かが、どこかかから、緊急時用の食料である缶入りのクラッカーとお湯を加えると食べられる五目ごはん、それに毛布を持ってきてくれて、いよいよ泊まり込む用意は万全となった。

用意された食料を食べ、毛布をまとって自分のデスクで仮眠しようとするが、夜になっても、時々、小さな余震はあり、なかなか寝られるものでもなかった。

そうこうしているうちに、夜の10時ぐらいだったか、都営地下鉄や東京メトロの一部路線の運転を再開した。私が家まで帰るためには、西武鉄道の新宿線か池袋線、職場がある日比谷・霞ヶ関界隈から西武線の乗り換え駅である新宿・高田馬場・池袋などに繋がる地下鉄が運転再開をしてくれなければならない。
しかし、すでに夜11時を回っている。通常なら23時、0時台が終電。こんな日だから運転再開となれば終夜運転だろうとは思うが、その確認ができなければ、むやみやたらと外にでても帰宅難民になるだけである。

夜12時過ぎた頃に、「小田急線運転再開、終夜運転」とTVニュースでテロップが流れる。ほどなくして「西武新宿線・池袋線再開、終夜運転」との情報。新宿に繋がる東京メトロの丸の内線、高田馬場に繋がる東西線も運転再開した旨は、東京メトロのホームページで確認できたので、丸の内線の霞ヶ関駅まで行ってみることにして、職場を出た。

霞ヶ関駅に着くと、丸の内線も終夜運転との表示。とりあえず、これで家までは帰れる。
すでに時刻は午前1時前後。5分ほど待つと、電車が到着。赤坂見附で一気に混んだが、まあ、朝のラッシュ並み。新宿で下りて、西武新宿まで歩く。
西武新宿駅に着くと、駅に併設しているショッピングビル「PePe」の入り口の前で長蛇の列。入場制限されているらしい。「ここで、30分、1時間待たされるなら、職場で夜明かしした方がよかったかな」と思ったが、10分も待たないうちに列が動き出し、その後は、順調に列が流れた。駅の改札前には警察官が何人もいて、入場制限の指示を出していた。

ちょうど、到着した電車は私にとってもっとも都合のいい「準急」だった。次の高田馬場で混むことを予想したが、乗る人はまばらで、あとはすんなり、自宅の最寄り駅に着いた。すでに、午前2時を回っていた。駅から少し離れた自転車置き場から自転車に乗り、家に帰り着いた時には、2時半近かった。

いつもは子ども3人が2階に寝て、私と妻が1階の和室に寝ているのだが、帰ってみると、1階のリビングの床に、布団を敷いて家族4人が寝ていた。長い1日が終った。

私も着替えて、家族の雑魚寝の中に身を横たえたが、なかなか寝付かれず、1時間程度しか寝られなかった。

<2011年3月14日追記>「東日本大震災」については、「関東東北大震災」という呼称も使われている。

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2011年3月 5日 (土)

新しい職場での最初1週間が終る

3月1日から新しい職場での仕事を始めて4日がすぎ、最初の週末を迎えた。さすがに、初めてのところでもあり、知らず知らずのうちに緊張していたのだろう、帰ってきて夕食を終えるとすぐ寝てしまったという日が多かった。

初日の午前中は、社内の挨拶回り、関係先の挨拶回りをして、そのあとは、自分の部の業務の説明を順次受ける。あいまには、私の所属するチームが2月までにまとめた仕事と、4月以降の業務計画の経営陣への報告に同席。4月からは、私が加わったことで組織が拡充し、やるべき課題も山積している。その課題解決のため助っ人として招かれたという面も大きい。責任は重いが、期待されるということはありがたいことでもあり、すこしづつでも、自分が加入したことでチームの付加価値が高まるようにしていきたい。

小さい組織なので社員食堂はなく、お昼は、外に食べにいくか、社内でお弁当を食べるかのどちらか。大半の人はお弁当を食べているので、私も3日めからは、妻にお弁当を作ってもらい、チームのメンバーと一緒に食べた。

合併で在籍することになった前の会社は、社員の行動の隅々までチェックするような企業文化だったが、新たな職場はあまり細かいことにうるさくはなく、相互信頼に基づいたおおらかな社風だ。私が最初に働いた合併前の会社の企業文化に近く、のびのび働ける気がする。
また、仕事の内容も全国各地の事を知る必要があり、また組織には全国各地の出身者がいて、これまでの東京以外にも福岡、富山、札幌で勤務した経験も役に立つ。

来週からは、オリエンテーションも終え、私自身、何ができるのか問われる日々が始まる。

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2011年3月 1日 (火)

新しい職場での仕事始め

今日から新しい職場での仕事開始。昨日の夜まで前の職場での最後のかたづけに追われ、ようやく机を後任者に引き継げるようにきれいにしてでてきたところ。正直なところ、気分を変えるためにも1日か2日休みをもらいたいところだが、スケジュールの都合上、先に休暇を取得しているので、そうもいかず、雨の降る中の初出勤となった。

最初にトップから採用の辞令をもらい、社内の挨拶回りのあと、直属の上司に連れられて関係先の挨拶回り、午後は所属する部の部長とのミーティング。さらに、同僚から職場でのルールにつき説明を受けて、最後の庶務的な手続のための書類を提出。そんなこんなで1日が終った。

新しい職場は小さな所帯。私の立場は中間管理職で、前の職場よりは執務スペースは広く、仕事をする環境としては快適だ。しばらくは、新しい職場での仕事の内容をはやく理解して、自分のこれまでの経験とに身につけてきたノウハウで、どれだけ、付加価値を加えることができるかということになるだろう。

日比谷公園に近く、行き帰りに日比谷公園で四季の変化を感じながら通勤できるのもうれしいところだ。

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2011年2月26日 (土)

ブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」5周年と50歳の転機

本日2011年2月26日で、このブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」も丸5年が過ぎ、6年目に入った。

書き始めた2006年2月26日は、札幌勤務から現在の職場に戻って約半年。年齢は45歳。自分自身の将来のイメージが描けない中、書くことが好きということで、当時流行始めたブログを始めた。テーマとして頭にあったのは「中年クライシス」。自らが抱える問題を見つめ、書くことで、進む道が見えてくればという思いだったと思う。

書き始めると、ブログへのアクセス数が少しづつ増えていくことが楽しくなり、一時は、毎日書き綴ることを自らに課した。アクセス総数もこの5年の累計で66万件以上となった。最初は一日数件だったアクセス数も1日100件を超え、多い時には1000件を超えることも出てきた。最近のように、記事を更新をしばらく行わなくても、最低でも1日200件は超えており、始めた頃に比べると隔世の感がある。

毎日更新していた頃は、読書も自らの興味を満たすため、楽しみのためであるとともに、ブログのネタとしての意味も持っていた。

また、ブログのネタとして取り上げた「将棋」は、全ての結果責任を自分一人で引き受けざるを得ないプロ棋士の生き様に対する関心に繋がり、たまたまその中でも関心を持った郷田真隆九段がこの5年間で2度名人に挑戦するというビッグイベントもあり、パソコンでのリアルタイムでの対局観戦は私の日常生活に組み込まれ、自身のアマチュア段位(初段から始まり三段まで)資格の取得にまで繋がった。

「中年クライシス」の打開策として何か見つかったのかと問われれば、とりあえずは、自分の現在の境遇について受け入れて、目の前の問題から逃げずに、一生懸命取り組むことではないかと思う。
過去は変えられないので、過去の過ちを悔やんだり、過去の不運の原因や責任を、環境や他人のせいにしても何の役にも立たない。何も解決しない。
未来は、現在の行動の先にしかないので、現在のこの瞬間から先のことについては、常に自分として可能な努力とベストの選択を積み重ねて、未来を少しづつよくしていくしかないのだと思うようになった。

そうしている内に昨年(2010年)の秋には現在の職場で5年を超え、50歳を迎えた。しかし、何が変わるわけでもなかった。

しかし、今年(2011年)に入って時間が少しづつ動き始めた。年始早々会社の人事部門から別の組織への転籍含み出向の打診があった。私自身の希望にも沿う話に思われたので応諾をした。
そして昨日(2010年2月25日)、正式な人事異動の発令があった。奇しくも、このブログ「栄枯盛衰・前途洋洋」を書き始めた2006年2月26日から数えてちょうど5年であった。
「自分がどのような人間で、どのようなことを成し遂げて、これから何ができるのか?」というのが「中年クライシス」の中で、自問自答する「問いかけ」だと思う。
しかし、この「問いかけ」には、自分ひとりでは答えを出せない。これから何ができるかは、これまでの私の生き様や仕事ぶりを見て、他人が決める部分が大きな比率を占めるからだ。いくら「自分は○○の仕が得意だ、△△ができる」と声高に叫んだところで、他人がそれを認めてくれなければ、それは独りよがりでしかない。

3月からは新しい職場で働くことになる。おそらく50代の10年間をこの新職場で過ごすことになるだろう。周囲の人びととの関わりの中で、自分に求められるものを見極め、可能なものから、一つづつ成し遂げていくしかないのだと思う。

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2010年12月 6日 (月)

第5回国際会計基準(IFRS)検定を受検した

日本の上場企業にも、2015年から適用が見込まれる国際会計基準(IFRS)。これから、数年の企業の経理部門での最大の話題であり、最大の課題でもある。現在、社内で会計監査のまねごとのような仕事をしている身としては、避けては通れない。経理部門のやることをチェックするためには、こちらも国際会計基準(IFRS)を理解しておかなくては、仕事にならない。会計基準が変わるということは、通信簿のつけ方のルールが変わるということ。同じ会計事象でも、ルールが変われば評価も変わるかもしれない。

今日(2010/12/05)、その国際会計基準の理解度を問う「国際会計基準(IFRS)検定」を受けた。検定は、イギリスのイングランド・ウェールズ勅許会計士協会(ICAEW)実施している。日本語で受検可能になって5回目。IFRSの37の基準が試験範囲で、試験形式はマークシートによる4択。問題数は60問で正答率70%が合格ライン。各基準に沿った計算問題が7割ぐらいを占めていた。
計算問題も数値が4つ示されているので、各基準をきちんと理解し、問題をよく読んで、何を求めるよう問われているのかの解釈を間違えなければ、問題の難易度は決して高いものではない。

私自身の出来は、「?」である。各基準をきちんと理解するという点が不十分だったので、70%ギリギリ取れるかどうかだろう。合否判定は、1ヵ月~1ヵ月半後に電子メールで知らされ、合格者にはイギリスICAEWから認定証が出るとのこと。

不合格だったら、3月に実施される第6回検定を受けるつもりだ。だいたい、出題のレベル感が分かったので、次は、かなり狙いを絞った勉強が出来ると思う。

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2010年11月21日 (日)

IFRS検定の勉強をした

2010年12月5日に試験がある第5回IFRS(国際会計基準)検定に申し込みをすませて、はや1ヵ月。
試験日が着々と迫る中、先週までは仕事が忙しく、家に帰って来て、夕食を食べるとすぐ睡魔に襲われるという日が続き、なかなか、まとまって試験対策の勉強をしたのは数日。

久しぶりに、机に向かった。

試験に関する情報は少ない。ヒントになるのは、
IFRS検定試験のホームページhttps://www.ifrs-kentei.com/about_ifrs/index.php
と試験の運営にかかわるアビタスの社長名で出版されている『国際会計基準(IFRS)検定 重要ポイント&問題集』。

国際会計基準(IFRS)検定 重要ポイント&問題集
国際会計基準(IFRS)検定 重要ポイント&問題集

試験を運営するアビタスでは、「IFRS検定試験対策講座」も開講している。これを受講すれば、合格可能性は高くなるのだろうが、1回2時間半の講義が計20回で受講料は23万円余。さらに、試験の受験料が35,700円(先着250名は28,350円に割引)。
受験料だけでも、他の資格試験と比べると割高で、さらに20万円と100時間を費やすお金と時間の余裕はないので、いかに独学で突破するか。

IFRS検定のホームページをみると「出題内容」が示されていて、現在、有効な37の基準と「財務諸表の作成及び表示に関するフレームワーク」が出題範囲といえそうだ。『国際会計基準(IFRS)検定 重要ポイント&問題集』には、各基準に1~2問の例題が出ていて、出題傾向の参考にはなりそうだ。
これまで、私が試験対策でやってきたのは、『重要ポイント&問題集』の例題を、システム手帳に書き写しつつ、解いてみること。とりあえず、出題範囲を広く浅く眺めてみたというところだ。問われるのは、IFRSの37の基準とフレームワークの内容について正しく理解しているかということのようだ。

『重要ポイント&問題集』は、あくまで導入編であり、さらに詳しいことは、「IFRS検定試験対策講座」を受講して下さいという流れになるが、それに乗せられたくはない。
いまや、書店の棚には、あまたの「IFRS」「国際会計基準」「国際財務報告基準」関連本が並べられているので、試験勉強の参考になる本も何冊かはあるだろうと探してみたが、その大部分は、いわゆるIFRSとは何か?的な初心者用解説本、導入された場合の日本企業へのインパクトがこんなに大きいと危機感を煽る本、現在の日本の財務諸表の構成に沿って関連する基準を説明する本のどれかで、最近はそれに加えIFRS導入のノウハウを説明する本が増えているといったところ。IFRSの37基準を正面からとらえて基準毎に説明している本はほとんどなかった。
唯一、見つけたのが、中央経済社の『別冊企業会計 IFRS37基準のポイント解説』。発行元のホームページで「IAS・IFRS全基準と概念フレームワークのポイントを解説。各基準ごとにほぼその内容、日本基準との相違、会計処理、開示、発効日などを説明。会計処理では簡単な設例・仕訳を示す。」と示されている通り、それぞれの基準を詳しく理解するには最適のテキストと言えそうだ。あと2週間で、これをどの程度マスターできるか。あとは、集中力の勝負だ。

上記のポイント解説はその後、新版が発売されたようだ。(2012年6月10日追記)

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2009年8月 3日 (月)

仕事がひと区切りつく

現在の私の仕事は、季節労働者的なところがあって、特に6月~7月が忙しい。加えて、今年から仕事のやり方を少し変えて、4~5月に新しいプロジェクトが入った。
2月まで、これも去年の新規プロジェクトがあり、3月新年度のチームの計画を立てるので少し時間があったが、4月からは案件が続いた。今日、続いてきたいくつかの案件の最後の部内での報告が終わり、ひと区切りがついた。

他チームでは、すでに夏休みを取っている人もいるが、5人で構成される私のチームは、今週いっぱいこれまでの案件の残務整理をして、来週から順次休みを取ることになる。

私も来週から、少し長めの休暇を取ることにしている。最近、またいろいろな本を読んだのだが、腰を落ち着けてブログで紹介するまでに至っていない。考える時間が出来たら、、本を読むことと、内容のよいものについては、紹介もしていきたい。

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2008年8月30日 (土)

「神楽坂のキャピタリスト」ことmacky先輩の話

昨日は、かつての職場の先輩である「神楽坂のキャピタリスト」ことmacky-junさんに時間をもらい、mackyさんのホームグラウンドである神楽坂で、夕方から飲んだ。

数ヶ月前に、当時の上司二人が会社で常務と執行役員になったお祝いの会があり、「最近、大学で教えているんだ」という話をされていたので、ぜひ一度詳しく話を聞きたいと思って、では、お互いの夏休みが終わった頃に「暑気払い」で一度飲みましょうと約束をしていたのだ。
(しかし、この数日東京も一気に涼しくなり、「暑気払い」という感じでもなく、おまけに昨夜の東京は雷雨で雷鳴を聞きながら、2軒はしごをして、ずいぶんお酒を飲み、大いに語り、今日は朝から講演会を聴きに行かなければならないというのに、すっかり酔っぱらってしまった。)

mackyさんは、現在、ベンチャーキャピタルで働いていて、新興企業の株式を取得する仕事をしている。
首尾良く投資先が株式公開を果たせば、そのキャピタルゲインの幾ばくかは自らの報酬となって跳ね返ってくるし、逆に投資先が倒産して保有した株式が紙くずとなった場合はそのロスも、やはり幾ばくかは負担しなければならないということで、常に結果を求められる仕事である。
「神楽坂のキャピタリスト」は、mackyさんが綴っているブログのタイトルで、ブログでは、ベンチャーキャピタルに関連した話題のほか、組織人としての生き方など日々感じたことを綴られている。自分と同じ組織の中で過ごしてきた同世代の先輩に生き方・考え方がうかがえるので、時々訪ねては、読ませてもらっている。(8月はもっぱら北京オリンピックでの日本選手の活躍について熱く語られている)

大学で教えているという話は、mackyさんの大学時代の同級生の中に、サラリーマンから某私大の教授に転職した知り合いがいて、その友人から声がかかったとのこと。現在の職場、大学の都合等を調整した結果、昨年の下期、社会人大学院で10名ほどを相手に毎週土曜日に12回のカリュキュラムで、ベンチャー投資につき教えたとだった。
現役の「プロフェッショナル」が、これから「プロフェッショナル」を目指す人たちを教えるということであろう。
自分もいずれは、人を教える仕事に就きたいものだと思いながら、macky先輩の体験談を聞かせてもらった数時間であった。
「大学から得る報酬からすればとても割に合わない」し、「人を教えるためには自分が一番勉強しないといけない」とのことだったが、それでもmacky先輩は充実しているように見えた。
近々、2年目の講義が始まるそうである。

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