2009年8月 3日 (月)

仕事がひと区切りつく

現在の私の仕事は、季節労働者的なところがあって、特に6月~7月が忙しい。加えて、今年から仕事のやり方を少し変えて、4~5月に新しいプロジェクトが入った。
2月まで、これも去年の新規プロジェクトがあり、3月新年度のチームの計画を立てるので少し時間があったが、4月からは案件が続いた。今日、続いてきたいくつかの案件の最後の部内での報告が終わり、ひと区切りがついた。

他チームでは、すでに夏休みを取っている人もいるが、5人で構成される私のチームは、今週いっぱいこれまでの案件の残務整理をして、来週から順次休みを取ることになる。

私も来週から、少し長めの休暇を取ることにしている。最近、またいろいろな本を読んだのだが、腰を落ち着けてブログで紹介するまでに至っていない。考える時間が出来たら、、本を読むことと、内容のよいものについては、紹介もしていきたい。

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2008年8月30日 (土)

「神楽坂のキャピタリスト」ことmacky先輩の話

昨日は、かつての職場の先輩である「神楽坂のキャピタリスト」ことmacky-junさんに時間をもらい、mackyさんのホームグラウンドである神楽坂で、夕方から飲んだ。

数ヶ月前に、当時の上司二人が会社で常務と執行役員になったお祝いの会があり、「最近、大学で教えているんだ」という話をされていたので、ぜひ一度詳しく話を聞きたいと思って、では、お互いの夏休みが終わった頃に「暑気払い」で一度飲みましょうと約束をしていたのだ。
(しかし、この数日東京も一気に涼しくなり、「暑気払い」という感じでもなく、おまけに昨夜の東京は雷雨で雷鳴を聞きながら、2軒はしごをして、ずいぶんお酒を飲み、大いに語り、今日は朝から講演会を聴きに行かなければならないというのに、すっかり酔っぱらってしまった。)

mackyさんは、現在、ベンチャーキャピタルで働いていて、新興企業の株式を取得する仕事をしている。
首尾良く投資先が株式公開を果たせば、そのキャピタルゲインの幾ばくかは自らの報酬となって跳ね返ってくるし、逆に投資先が倒産して保有した株式が紙くずとなった場合はそのロスも、やはり幾ばくかは負担しなければならないということで、常に結果を求められる仕事である。
「神楽坂のキャピタリスト」は、mackyさんが綴っているブログのタイトルで、ブログでは、ベンチャーキャピタルに関連した話題のほか、組織人としての生き方など日々感じたことを綴られている。自分と同じ組織の中で過ごしてきた同世代の先輩に生き方・考え方がうかがえるので、時々訪ねては、読ませてもらっている。(8月はもっぱら北京オリンピックでの日本選手の活躍について熱く語られている)

大学で教えているという話は、mackyさんの大学時代の同級生の中に、サラリーマンから某私大の教授に転職した知り合いがいて、その友人から声がかかったとのこと。現在の職場、大学の都合等を調整した結果、昨年の下期、社会人大学院で10名ほどを相手に毎週土曜日に12回のカリュキュラムで、ベンチャー投資につき教えたとだった。
現役の「プロフェッショナル」が、これから「プロフェッショナル」を目指す人たちを教えるということであろう。
自分もいずれは、人を教える仕事に就きたいものだと思いながら、macky先輩の体験談を聞かせてもらった数時間であった。
「大学から得る報酬からすればとても割に合わない」し、「人を教えるためには自分が一番勉強しないといけない」とのことだったが、それでもmacky先輩は充実しているように見えた。
近々、2年目の講義が始まるそうである。

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2008年5月 7日 (水)

自分が課長だった時代に読みたかった『はじめての課長の教科書』(酒井穣著)

出版された時から気になっていた酒井穣著『はじめての課長の教科書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)をGW前に買い込み、今朝読み終えた。よく売れているようで、アマゾンのベストセラーランキングで全体で21位、「ビジネス・経済・キャリア」部門では4位となっている(この記事を書いている時点で)。先週の朝日新聞の書評にも取り上げられていた。

著者の酒井穣さんは、1972年生まれ。慶応義塾大学理工学部の卒業で、オランダでMBAを取得し、現在はウェブ・アプリケーション開発を行うベンチャー企業の最高財務責任者(CFO)をつとめているとのこと。「NED-WLT」http://nedwlt.exblog.jp/というブログも書かれている。(本書の著者紹介より)

かつて、自分が課長という立場に初めてなった時に、まったく仕事のやり方が変わり、戸惑った経験がある。
それまで、部下の時代に仕えた上司の顔を思い出し、自分が生き生きと働けた上司の行動を思い出しながら、自分なりに試行錯誤で、自分の課のマネジメントを行った。

やはり、部下として仕える立場で見ているのと、いざ自分がその立場に立ってみるのとは大違いで、

(1)課長とは、自分で仕事をするのではなく、他人(部下)に仕事をしてもらう立場であること(当たり前だが)

(2)課長とは、組織の中での最初の人事評価者として、部下の人生・運命に影響を与えざるを得ないこと(部下時代とは比較にならない責任の重さ)

を痛感した。

本書は、まさに、当時の私のような初めて課長になった人が遭遇であろう数々の課題について処方箋を示してくれている。
それぞれの企業・組織によって、課長になるための難易度、課長に期待される役割、与えられる権限は微妙に違うとは思うが、しかし、おしなべてみれば、共通する項目の方が多いと思われ、現在、課長のポジションにいる人にとって日々のマネジメントのヒントの書であり、これから課長になろうする課長代理や係長クラスの人たちには、課長の仕事を予習できる貴重な本である。

一部、目次を紹介すると

第2章 課長の8つの基本スキル
スキル1 部下を守り安心させる
スキル2 部下をほめ方向感を明確に伝える
スキル3 部下を叱り変化をうながす
スキル4 現場を観察し次を予測する
スキル5 ストレスを適度な状態に管理する
スキル6 部下をコーチングし答えを引き出す
スキル7 楽しく没頭できるように仕事をアレンジする
スキル8 オフサイト・ミーティングでチームの結束を高める

第3章 課長が巻き込まれる3つの非合理なゲーム
ゲーム1 企業の成長を阻害する予算管理
ゲーム2 部下のモチベーションを下げかねない人事評価
ゲーム3 限られたポストと予算をめぐる社内政治

第4章 避けることができない9つの問題
問題1 問題社員が現れる
問題2 部下が「会社を辞める」と言い出す
問題3 心の病にかかる部下が現れる
問題4 外国人の上司や部下を持つ日が来る
問題5 ヘッドハンターから声がかかる
問題6 海外駐在を求められる
問題7 違法スレスレの行為を求められる
問題8 昇進させる部下を選ぶ
問題9 ベテランの係長が言うことを聞かなくなる

上記の目次を見ただけでも、本書の語ろうとしていることは、うかがい知ることができると思う。
私が感じた最初の課題である「他人に働いてもらう立場」に求められるスキルは第2章に網羅されているし、結果的に同じようなことを行っていたと思う。 また、2番めにあげた「人事評価」者としての問題は、第3章のゲーム2に語られる通りである。

「自分が課長の時代に読めればよかったのに… 」と思う本である。
本書では、もう1点非常に参考になる視点があったが、それは、明日あらためて書くことにしたい。(2008年5月8日:酒井穣著『初めての課長の教科書』で語られる「読書のユニークな本質」

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2008年1月15日 (火)

予定の送別会と突然の送別会

今日は、会社で人事異動の発令のある日。同じチームのメンバーが異動することは、以前からわかっていて、その送別会は先週の金曜日に終えている。

しかし、今日の発令では、現在同じ組織の他チームに移っている以前の上司も異動になっていた。ずいぶん世話になった人だったので、やはりお世話になった有志で送別会をしたいと打診したところ、空いているのは今日の夜だけということになり、急遽、送別会をやることになった。

職場近くの小さな中華料理の店で、ささやかな送別の宴を開く。ご本人にとっては、意にかなった異動だったようで、うれしそうだった。
私も今の部署に移って2年4ヵ月となり、後から来た人を送り出すケースも増えてきた。

自分の先のことは、なんともわからないことなので、落ち着かないが、気心が知れて、働きやすい環境を作ってくれていた上司や同僚がいなくなるのは、一抹のさびしさがある。

2人の新天地での活躍を祈るばかりである。

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2007年8月17日 (金)

やっと「夏休みのはじまり」

世の中では、昨日でお盆休みが終わったのか、昨日まで座れた朝の通勤電車も、今朝は、いつもより少し空いている程度だった。
東京は、昨日の夜から今朝にかけての最低気温は30℃を超えていて、「超(?)熱帯夜」だった。日中はの最高気温37.5℃と昨日の最高気温を更に更新した。

私個人としては、暑い1週間の仕事がようやく終わり、前後の土日を含めて9日間の「夏休み」の始まりである。
天気予報を見ていると、泊まりがけで出かける予定の南房総地域の19日(日)の予報が、今日になって「曇り」に変更。なんとか、雨に降られずに済めばと思う。

この1週間のあまりの暑さで、思考能力の低下が著しく、南房総から帰ってきた後の、「夏休み」の過ごし方を考える元気がない。今晩、ゆっくり寝て、明日、南房総ドライブプランと合わせ、考えることにしたい。

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2007年3月23日 (金)

無欲恬淡

今日は、職場の飲み会。以前いた部署の部長が、4月に執行役員になるということで、かつて仕えたメンバー50人が集まった。サラリーマン社会にありがちな、義理で出る会ではなく、みんながお祝いしたいということで、幹事が声をかけたら、50人になったというものである。

合併会社なので、出身母体は様々だが、この部長は、分け隔てなく一人一人に声をかけ、気遣っていた。だからこそ、誰もがこういう人にこそ偉くなって欲しいと思うこと数年。
同期入社のメンバーがすでに何人か役員になり、年次から言えば今年が最後のチャンスだった。
もともと、本人は自ら猟官運動をするようなタイプではなく、恬淡としていて、そこがまた周りをやきもきさる。しかし、今回の人事を見て、私の奉職する組織も、まだ捨てたものでもないかなと、少しは安堵した。

そして、なんと、4月からはその部長が、いま私がいる部署の長になることになった。人の縁(えにし)は、不思議なものだ。以前、一緒に仕事をした時と比べて、成長したなと言われるように、気を引き締めて頑張らなくては。

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2007年1月 2日 (火)

『男の復権』(池内ひろ美著)を読んで

年末に『男の復権』(池内ひろ美著、ダイヤモンド社)を読んだ。サブタイトルは、”女は男を尊敬したい”とある。職場の近くの書店で、昼休みに見つけ、奥書に1961年生まれとあるのを見て、自分と同世代の女性が、男のあり方をどう見ているのかを知りたくて、購入した。

著者の池内ひろ美さんは、1997年に、「東京家族ラボ」という組織?を主宰し、家族の問題についての相談に応じており、特に、夫婦の問題、離婚相談等を手がけている。自身、22歳で結婚し32歳で離婚、37歳で再婚している。(ホームページ、ブログのプロフィールによる)

第1章が「大人の男になるための十箇条」、第2章が「後悔しないための女の選び方五箇条」となっている。第1章では、大人の女から見た尊敬できる「大人の男」像が語られる。一方、そのためには、一生の伴侶となる妻にどんな女性を選ぶかで、男の人生も大きく変わっていくということで、女を選ぶ時に気をつけることが語られる。見方を変えれば、女から見た「大人の女」像であろう。

「大人の男になるための十箇条」は、

第1条、男の立ち姿は美しくあってほしい
第2条、コミュニケーションに媚びないで
第3条、しっかり大地を踏みしめて歩け
第4条、返事とお辞儀を正しくしよう
第5条、やっぱりお洒落ででいてほしい
第6条、ちょいモテおやじに憧れるな
第7条、「ありがとう」と言える男になれ
第8条、目指すのは優しさより親切であれ
第9条、父親を尊敬する男であれ
第10条、男なら正義を背負って生きよう 

「後悔しないための女の選び方五箇条」は、

まず、「悪妻は百年の不作」と述べた上で
第1条、笑顔のかわいい女を選べ
第2条、言葉づかいのいい女を選べ
第3条、センスのいい女を選べ
第4条、はたらく女を選べ
第5条、母親と似た女を選べ
の5箇条をあげ、
最後に「女の落とし方」という一文で締めくくっている。

全てを紹介すると、終わらなくなってしまうので、私が特に印象に残っている部分を選んで紹介することにしたい。

男の方では、「第8条、目指すのは優しさより親切であれ」から

(女性が求める「優しい人」が、えてして「私だけに」優しい人であるとの前置きに続き)優しさを渡したり受け取ったりする作業は、とても主観的であるがゆえに奇妙な思いこみを呼びやすい性質があると知っておこう。主観的で独りよがりの優しさより、求められるのは、客観的に親切であること。親切を行うのは、優しさよりも少し高度である。そこには、相手に対する想像力が必要だ。相手が今、何を欲しているのか想像してキャッチする能力が不可欠だ。(中略)その人の価値観がどこにあるのか。その人の五感は何を欲しているか。(中略)多くの「かもしれない」可能性を想像したうえで、相手の望むものを渡してあげることができるのが親切な大人である。(『男の復権』23~24ページより)

女の方では、「第4条、はたらく女を選べ」から

はたらく女というのは、なにも外へ出て仕事をする女という意味ではない。(中略)家の外であっても中であってもはたらく女がいい。気働きと表現を変えたらわかりやすいだろうか。(彼女が気働きのできる女性かどうかを見極める例として、バーベキュー大会を開くことにした際の彼女の反応・発言を幾通りか例示し、彼女の反応や発言の意味を考え、受け止めることを求めた上で、)何かを行うときには、必ず「役割」がある。なんらかの役割を引き受ける人は他の場面でも異なる役割を引き受けることができる。(中略)何も役割を引き受けない女というのは、家族になったとき、「妻」や「母」といった新たな役割を引き受けることのできない女である。彼女はそういう人だと認識しよう。(後略)(『男の復権』44~46ページより)

著者は、男に対しても、女に対しても、厳しい眼差しを向けている。見た目のカッコよさでなく、中身のカッコよさ・素晴らしさで勝負できる大人の男(そして女)が増えて欲しいというメッセージであろう。私の拙い要約では、うまく全体像が伝えきれないが、この一文を読んで、多少なりとも関心を持たれた方(特に40代)には、男女問わず一読をお勧めしたい。

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2007年1月 1日 (月)

1年の計は元旦にあり、今年の目標は…

今日から2007年。高校受験を控える娘がいるため、今年は、特に出かける予定もなく、家で過ごす。昨年末は、結局、遅れ遅れになってしまった年賀状作りを29日にやっと終える。昨日の大晦日は、やり残していた和室の障子の張り替えや、普段あまり目が届かない壁の高いところや天井のすす払いなどで1日が終わった。

年頭にあたり、月並みだが「1年の計は元旦にあり」ということで、今年の抱負を整理しておきたい。

仕事では、今の自分の職場を少しでも活性化していきたい。どこの会社にも、完璧な職場などないと思うし、社会全体の風潮でもあるかも知れないが、今の職場にはどこか「給料並の仕事さえしていればいい」「自分さえ良ければいい」という雰囲気が漂っているような気がする。働いている人、それぞれが、いい意味での緊張感を持って、日々働いている職場にしたい。特別な権限を持っているわけではないので、個人でできることには、限界もあるが、これまで学んできたものを活かして、何ができるのか、自分なりに考えながらやっていきたい。

家庭では、転機を迎えた我が家族が上手く、新しい生活になじんでいけることが最大の課題だ。3年おきに、3人の子が生まれたが、それぞれ成長し、今年の春に長女が大学進学(昨年AO入試で進学先は決定済)、次女の高校受験、長男の中学進学が一度に重なる。次女は公立高校第一志望、長男は地元の公立中学に進学させる。ということで、3人同時に上級学校へ進学するとはいえ、我が家のこの春の最大の関心事は、次女の受験の正否である。私自身がサポートできることは、限られるが、なんとか家族全体でサポートし、次女自身の第一志望に合格をさせてやりたい。受験の苦労は、次女だけだが、4月以降、新しい環境になじんでいかなければいけないのは、3人に共通の問題である。特に、これまでの親の躾けが至らなかったこともあり、特に長女と長男は、朝きちんと起きられない。なんとか、朝、定時に起きる習慣をつけることを、今年こそは実現させたい。

仕事・家族を離れた個人としては、ホームページを立ち上げたい。ブログを書き始めて2月下旬で丸1年。記事も200以上になっている。その関心事や読んだ本などについて書き連ねてきた。ココログでは、記事の内容に応じたカテゴリ分けができるが、毎日、統一された一定の基準で区分できているかというと自信がない。また、これまでに書いた200余の記事は全て、ココログのサービスを行うニフティのサーバーの中に保存されている。万が一、ニフティのサーバーが壊れたら、全部消えてなくなってしまう。そのリスクを回避する意味でも、ココログのサーバーから、これまでの全記事をダウンロードし、テーマ毎にを統一感を持って再編集し、改めてプロバイダーのホームページ用のスペースにアップロードして、ホームページを作りたい。
現在、使っているブログ管理用ソフト「マイ・ブログ」は、新たに記事を作成する時、過去の記事の1つを選んで、ダウンロードし再編集することはできるが、過去の記事を一括してダウンロードすることは、できない。ホーム・ページ作成ソフト定番「ホームページ・ビルダー」は、一括ダウンロード機能があるようなので、その機能を使いたくて最新版の「ホームページ・ビルダー11」を注文した。

もう一つ、忘れてないけないのは、ウオーキング減量作戦の継続である。11月時点で、足踏み状態になっていることを一度書いたが、お恥ずかしながら12月は、忘年会シーズンでもあり、通常より外で飲み食いする機会も多く、大晦日の朝は69.3kg、今朝、元旦はなんと70.3kgと当面の目標の65kgから遠のくばかり。改めて、2007年こそ、減量を実現させたい。

以上、4つが、ささやかながら、今年の年頭にあったての私の「1年の計」である。

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2006年12月29日 (金)

父の冬休み

私の職場はカレンダー通りであれば、年末年始の休みは年末30日・31日、年始は三が日の5連休である。しかし、お客さんと直接、接する現場ではないので、今日と1月の4、5日は休みをもらい、今日から1月8日までの11連休をもらうことにした。ちょっとした「父の冬休み」である。

今年は、ずいぶん、たくさん資格試験を受けた1年だった。いずれも、仕事に関係していて、このブログでもいくつか書いたが、ブログを始める前の2月の中旬に受けたのを皮切りに7月、10月、11月、12月と1年に5回受けた。10月の金融内部監査士と11月の公認内部監査人(CIA)は、このブログでも書いた通りだ。まだ、結果の出ていないCIAを除き、なんとか合格でできているのも、ありがたい。人には、スケジュール面で無理があるのでは、とも言われることもあったが、それぞれに重複する部分もあり、まとめて一気に勉強した方が効率いいはずと考えて、やって来た。結果的には、ほぼ目論見通りになった。

今年は、これからの新しい10年のスタートの年で、これからの10年の基礎固めとして、なんとかいいスタートきれたと思う。来年は、まだ残っているいくつかの試験を受けつつ、今年取得した資格を結果・成果に結びつけていく1年にしていきたいと思う。

今年の試験疲れを癒し、来年への英気を養う「父の冬休み」にしたい。 

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2006年12月21日 (木)

2007年3月、PASMOスタート、Suicaと相互利用も

首都圏の地下鉄・私鉄で相互利用可能なパスネットを運用している各社で、来年2007年3月18日(日)から、JR東日本が導入している「Suica」と同じ非接触ICチップFeliCaの技術を利用したICカード乗車券「PASMO」(パスモ)が導入されることについて、正式発表があった。併せて、「Suica」との相互乗り入れも同時に実施するとのことで、来春からは、、「Suica」か「PASMO」のどちらかを持っていて、事前に券売機等で金額をチャージしておけば、首都圏の鉄道ネットワークは、1枚のカードで自由に乗り降りができるようになる。「PASMO」は「Suica」同様電子マネーとしても利用可能で、電子マネーとしても「Suica」と相互乗り入れをするとのことで、「PASMO」=私鉄版「Suica」といえる。

これまでは、鉄道での移動の際には、財布に「Suica」とパスネットを両方入れ、乗る線によって使い分けをしていたが、その手間が省けるようになる。

すでに、「Suica」とクレジットカード、銀行のキャシュカードが一体化した物もあり、そのうちプラスチックカード1枚あれば、大概の用事は片付くようになるだろう。あるいは、それがカードでなく携帯電話になる可能性もあり、しばらくはこの小口決済マーケットから目が離せない。

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2006年12月 9日 (土)

「金融内部監査士」認定書届く

10月に受験していた「金融内部監査士」試験。今日の午後、「金融内部監査士」の認定書が届いた。

今年の10月までは、通信教育を修了し、登録料(5250円)を払い申請を行うと「金融内部監査士補」に認定され、さらに「金融内部監査士」試験の受験資格を取得。4科目の「金融内部監査士」試験を受験して合格すると「金融内部監査士」資格を得て、登録料(7350円)を払って申請すると、「金融内部監査士」に認定されるという段取りであり、最後ステップの認定書が届いたということになる。

11月以降は、金融関係の監査の国際資格として、米国の「公認金融監査人(CFSA)」の試験が、日本でも日本語で受験できるようになり、それに合わせて、「金融内部監査士補」資格は廃止、「通信教育」修了者には国内資格として新「金融内部監査士」の資格が与えられ、その上位資格として「公認金融内部監査人(CFSA)」が位置づけられることになった。

経過措置として、旧制度での「金融内部監査士補」認定者は新「金融内部監査士」に横滑り、旧制度の試験に合格して「金融内部監査士」の資格保有者は、申請すれば国際資格の「公認金融監査人(CFSA)」として認定される。

受験時にも書いたが、私が10月に受験した「金融内部監査士」試験は、旧制度最後の試験で、これに合格できれば、旧「金融内部監査士」として認められ、「公認金融監査人(CFSA)」資格も得られるということで、3月から結構、真面目に勉強してきた。なんとか合格できて、旧「金融内部監査士」としての認定手続も無事終了したことになる。

次は、国際資格の「公認金融監査人(CFSA)」の認定書だが、こちらの方は、制度上は11月に、「公認内部監査人(CIA)」試験と同じ日に実施された日本での第1回の「公認金融監査人(CFSA)」試験の見なし合格者という扱いになるとのことで、来年の1月下旬に合格通知が来て、3月に認定書が来るということらしい。

当面の最終目標であった「公認内部監査人(CIA)」と今回の「公認金融監査人(CFSA)」の合格通知が1月下旬に合わせて届けられ、3月に2つの国際資格の認定書がもらえることになれば、2006年度の有終の美が飾れるのだが、CIAの方はどうなることだろう。あと、1ヵ月半、再び「人事を尽くして、天命を待つ」しかない。 

(お詫びと訂正)当初、米国のCFSA(=Certified Financial Services Auditor)につき、「金融内部監査人」と表記していましたが、日本での呼称は「公認金融監査人」でした。お詫びして、訂正します。(2006年12月11日記)

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2006年11月19日 (日)

「中年クライシス」を魂の意思で乗り越えた片岡鶴太郎

『鶴太郎流墨彩画入門』(片岡鶴太郎著、角川oneテーマ21)を読んだ。11月の新刊で、CIA試験の前日に仕事の帰りに寄った書店で、目についたので、すぐ購入。試験中は、我慢をして試験が終わったあと一気に読み終わった。

鶴太郎流 墨彩画入門 (角川oneテーマ21)

しばらく前の日本テレビの「いつみても波瀾万丈」のゲストで出ていた時の話が印象的で、それ以来気になっていた。(今回、調べてみると放送は2006年2月5日だった)

その時の印象的に残った話は、
(1)中学3年の時、成績がとても悪くて、今の成績では公立高校進学は無理と言われ、家庭の経済的事情で公立しか行けないことから、夏休みに独学で徹底して勉強し、夏休み明けには成績がトップクラスになり、無事公立(都立)高校に入学したこと。
(2)お笑い芸人として人気の絶頂にあるとき、このままではいけないとボクシングを始めたこと。
(3)今では画家としても、たくさんの作品を残していること
などである。見たときは、もっといろいろなことを鮮明に覚えていたと思うが、1年近くたっているので記憶もおぼろげである。
ただ、その時、軽薄なお笑い芸人から個性派俳優に転身して成功したタレントといった程度の印象しかなかった片岡鶴太郎が、ただならぬ人であることを感じた。

とはいえ、その後、それ以上詳しく調べるわけでもなく過ごしていたが、今回、新刊書として並んでいるのをみて、すぐに手に取った。体裁は「墨彩画のすすめ」的な形になっているが、内容は彼が40歳にして出会った墨彩画を通じて、彼自身の生き様を語るものになっている。

何かを「やりたい」と思う気持ちは、その人の魂が語りかけてきた言葉だとわたしは思っています。思いたったが吉日、すぐ始めてみることです。(中略)
わたしもそうでした。もうすぐ四十歳になろうというとき、ふと絵に呼ばれたのです。(中略)突然、無性に絵を描きたくなった。椿を見ても何の花かわからなかった人間が、その美しい花を描いてみてたまらなくなったのです。
理屈では説明できない衝動のようなものに駆られて、本当に自由気ままに自己流で始めてみた。そうしたら、もう面白くてすっかりのめり込み、いまでは自分は絵に生かされていると思うまでになっています。絵を描きたいという「魂の意思」に素直に応えたからいまの自分があるのだと思うと、そのことに気づいた自分は何とも幸せな人間だと思います。
社会的な地位や権勢を勝ち取ることや、金銭的な満足を得ること、それも私たちに何かしらの喜びを与えてくれるでしょうが、魂というものはそれだけでは満足しないような気がします。魂の意思というのは、頭で考えて判断するものではなくて、そうせざるをえないような心の動きみたいなものです。
それは、おそらく誰の中にもあります。それに気がついて、その感覚を目覚めさせて生きるのか、それとも眠らせたままで自分の人生を終わらせていくのか。本当に後悔のない有意義な人生とは、魂の意思に導かれる道なのではないでしょうか。それが、人間の本来的な姿のように私は思います。(『鶴太郎流墨彩画入門』4~5ページ)

私が下手に解説めいた事を書いたり、書き足すことは何もない。放送があったのが、今年の2月5日、自分で意識したことはなかったが、私もTVの画面から伝わってきた鶴太郎さんのオーラに影響され、このブログを始める(2月26日)ことになったのかも知れないと思った。

片岡鶴太郎公式ホームページはこちら

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2006年11月18日 (土)

郷田真隆九段の揮毫「晩成」

昨日11月17日は「将棋の日」とのこと。江戸時代、8代将軍徳川吉宗の時代に、この日を「お城将棋の日」として御前対局を行うようになったという故事にちなんで、1975年に日本将棋連盟が定めたそうだ。

以前から、一度は行ってみようと思っていた千駄ヶ谷にある将棋会館に、CIA試験の2日めの帰りに寄ってみた。誰か、顔を知っているようなプロ棋士を見かけたりするだろうかと期待したが、そんな気配もなく、 将棋教室を終えたと思われる小学生数人を見かけただけだった。1階には売店があり、将棋盤や将棋の駒、棋士が書いた将棋の解説書が並べられている。一角には、タイトルホルダーや名人位への挑戦者リーグでもあるA級に在籍する棋士たちの揮毫の入った扇子も置いてある。気に入ったものがあれば、いずれ1本持ちたいと思っていた。

私が選んだのは、郷田真隆九段の「晩成」と書かれた扇子だ。郷田九段は1971年生まれの35歳。現在、将棋界のトップを占める羽生3冠・森内名人は同学年、佐藤棋聖とは1つ違いである。「晩成」とは大器晩成という言葉もあるように「他より遅れて完成すること。また、晩年になって成功すること。」(小学館『現代国語例解辞典第二版』より)である。

彼自身の経歴を見ると、プロ入りこそ、羽生ら3人に少し遅れたものの、プロ入り3年目の1992年には22歳の若さで「王位」のタイトルを獲得しており、むしろ早咲きである。その後、98年には2度目のタイトル「棋聖」を獲得、さらに名人挑戦者を争うA級順位戦への昇級を決め、99年にはA級棋士となり名実ともにトップ棋士の仲間入りをした。しかし、A級は1期で陥落、2002年に再びA級に昇級するがこの時も1期で降級するという苦杯をなめた。しかしあきらめることなく、昨年は三度めのA級昇級を果たし、勝ち越し。A級4期めの今期は、期初から連勝し、現在4勝1敗で、名人挑戦者争いのトップを走っている。

「晩成」という言葉に「今は、羽生・森内・佐藤の3強の後塵を拝しているが、いずれは追いつき追い抜いてみせる」という気概を感じるのは私だけだろうか。また、一方で「将棋の世界は奥深く、どこまで行っても完成することがない」という求道者の一面も読み取れるようにも思う。

それは、また、私自身が自分に言いきかせるべき言葉のような気もして、扇子を手元において、時折開いては「晩成」の文字を眺めて、思いを巡らしている。永年、現在の将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖のファンだったが、既に現役を引退しており、これからは郷田九段の戦いを応援したいと思っている。

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

*上記記事を含め、このブログの将棋に関する記事の一覧はこちら→アーカイブ:将棋

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2006年11月16日 (木)

公認内部監査人(CIA)試験終了

公認内部監査人(CIA)試験の2日目が終了し、2006年11月の4科目全ての試験が終わった。
今日の2科目は、午前(PartⅢ)が財務・会計とIT・システム関連、午後(PartⅣ)が経営理論やチーム・マネジメントだった。

午後の科目は、先月合格した金融内部監査士からスライドで認定が受けられる公認金融監査人(CFSA)資格登録が完了すれば、免除になるのだが、申込時点(9月)では金融内部監査士試験もまだ受けておらずCFSA資格が取れるかどうかもわからなかったし、免除されるとはいっても、次回(2007年5月)の試験で免除申請して初めて認められるものなので、(おまけに、1科目の受験料と同額の免除手数料を払わなくてはならない)、今回、合格できるにこした事はない。

昨日の2科目は、いわば監査理論と監査実務で、日常の仕事とも関係が深いし、今日の午後の経営理論は、もし今回ダメでも次回は免除してもらえるということもあり、今回の試験準備では、午前に受けた会計とシステムに分野にいちばん時間をかけた。特に、システム関係は知らないと解けない専門用語も多いので、限られた準備しかできなかった中では、それなりに注力した。会計関係は、計算問題も多く、計算はそれなりに答えがでることもあり、会計・システムの分野が、4科目の中では最も手応えがあった。午後の経営理論の方も、昨日の2科目よりはできたのではないかという実感はあるのだが、問題も持ち帰れないし、模範解答が示されるわけでもないので、昨日の2科目と合わせ、「なんとなく」の域を出ない。

とにかく、やることはやって、もう試験も終わってしまったので、昨日の2科目と合わせ、前回の金融内部監査士の時と同じく「人事を尽くして天命を待つ」しかない。自分にCIAを名乗るにふさわしい実力があれば合格するだろうし、まだ実力不足なら、そのような答えが出るだろう。その時は、その結果を受け止めて、足りないところを勉強するしかない。

3月の下旬に思い立って、通信教育を2週間で仕上げて以降、今回の試験を最終ターゲットに据えて、いろいろなスケジュールを組んできたし、仕事の方も、それに重なるように夏休み明けからこの10月までかなり密度が濃かったので、ここでひと区切りである。

ひと休みしたら、佳境を迎えつつある次女の高校受験のフォローに力を入れなくてはならない。11月に入って、書けない日の多かったブログも復活させなくては…。

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2006年11月15日 (水)

公認内部監査人(CIA)試験初日終わる

今日は、公認内部監査人(CIA)試験の初日。明日と合わせ、2日間、仕事を休んでの受験だ。
とはいえ、試験は今日2科目、明日2科目。それぞれ、試験時間は3時間半で、4択問題が125問。午前の科目は朝の9時開始(試験の説明は15分前から開始)で、場所は浜松町から羽田空港へのアクセスである東京モノレールの途中にある「流通センター」。仕事に行くときより、朝早く家を出て、いつもと変わらぬ通勤ラッシュにもまれて、8時半少し前に会場に着いた。
1ヵ月ほど前に受けた金融内部監査士試験は、70名ほどの受験だったが、今回は、いわば全業種に共通ということと、日本でも、米国の影響を受け、内部統制整備が課題ということもあり、流通センター会場だけでも受験者はざっと600~700名ほど。ほとんどは、中年男性であるが、10人に1人くらいは女性の姿もあった。

試験の形式は、前回の金融内部監査士と同様(というよりは、金融内部監査士試験の方がCIA試験の形式に合わせる形で作られたのだと思うが)で、ひたすら4択の中から答えを考えて、マークシートを黒く塗りつぶしていく。前回は80問3時間だったが、今回は125問で3時間半ということで、さらに集中力が求められるものだった。
今日の2科目は、監査の原理原則に照らして、最も正しい答えを選ぶというもので、暗記の部分は少なく、その場での判断が求められる。今日は2科目とも30分で50問というペースで進み、2時間半で一応全問答えをマークしたが、消去法で2つは消えても、残りの2つはどちらも正解に思えるような問題も多く、自信のほどは「?」である。長く考えて何かを思い出すというものでもないので、全部書き終えたあと、30分かけて、マークの塗り忘れがないかだけを確認して、2科目とも3時間ほどで退出してきた。

絶対ダメだという感じもしない代わりに、大丈夫だろうという確信も持てない。来年の1月末までには、結果が来るとのことなので、済んでしまった今日のことは忘れ、明日までの限られた時間は、残った2科目の最後の復習をするだけだ。

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2006年11月10日 (金)

セルフ・エフィカシー(自己効力感)

『好きにやっても評価される人、我慢しても評価されない人』(小杉俊哉著、PHP研究所発行)を読んだ。

サラリーマン稼業を長くやっていると、「評価」というようなタイトルの本があると、つい気になってしまう。著者は、1958年生まれで、NEC入社後、米国でMBAを取得、その後、コンサルティングファームを経て、数社で人事部長などを経験したのち、現在は人事関係のコンサルタントをしている。
本の内容自体は、「会社にどう評価されるかばかり気にしていないで、自分で自分を評価して、自分が満足できる人生にしよう」というメッセージが、著者自らの体験も織り交ぜ書かれているものだ。何回か、一緒に働いている人を上司という立場で、評価をしたこともあるので、上司はどういう人を評価するのかといった点は、そうだろうなと思う点は多々あった。まだ、上司に仕える立場で、評価される経験しかない人は、読んでみるといいかもしれない。

この本の中で、私にとって、目新しかった言葉が、今日ののタイトルにも上げたセルフ・エフィカシーという言葉である。英語で、Self-Efficacy、自己効力感と訳されるようだ。

セルフ・エフィカシーとは自己効力感ともいいます。よくこれを「自信」のことだと思っている人がいますが、セルフ・エフィカシーは自信ではありません。やったことのない課題を前にして、たとえ自信はなくても「まあ、なんとかできるだろう」と思える心の状態のことです。自分に対する信頼感といってもいいでしょう。(中略)いまのような、過去のやり方が通用しない、何が正解かわからない時代には、経験があることはうまくできるけど、未知の状態に置かれると手も足も出ないという人の価値は限りなく低くなるのは仕方のないことです。一方で、想定外のことが起こって、上司が頭を抱えているとき、臆せずその状況に立ち向かえる部下がいれば、必然的にその人のところに仕事が集中するようになるでしょう。
(『好きにやっても評価される人、我慢しても評価されない人』204ページ)

たしかに、これまでの自分の経験を振り返っても、「これは難しくてもうダメだ」とあきらめた途端に、思考停止状態になり、何もできなくなってしまう。自ら、可能性の扉を閉ざしていたのだろう。
先の道筋が見えなくても、「まあ、なんとかなるさ」と思ってあきらめずに考えていると、ふとひらめくことがあって、それがきっかけとなって、先に進む糸口が見つかることが多かったように思う。

来週は、いよいよ、公認内部監査人(CIA)の試験。過去の問題もほとんど公開されておらず、まさに、未知の状態で、まったく自信はなく、ただ「なんとかなるだろう」と思いながら、準備をしている状況だ。セルフ・エフィカシーだけを拠り所に、試験本番に臨むしかない。「最後まで、あきらめない」

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2006年10月28日 (土)

金融内部監査士試験の結果通知届く

先週、土日に受験した金融内部監査士試験の結果が届いた。

実は、昨日の昼に配達に来ていたようなのだが、結果通知ということで配達記録郵便で送られてきていたので、妻もパートに出ていて家に誰もいなかった昨日は、受け取れず、「郵便物お預かりのお知らせ」だけが置かれていた。昨日の再配達可能な時間中には、郵便局とうまく連絡が取れず、結局、今朝9時の配達だった。

ハサミで封筒の端を切り、中身を取り出すと、A4で三つ折りの紙が5枚。結果通知と思われる少し厚め紙を取り出す。用紙の一番下に【合格結果・履歴】との表示があり、枠が4つ。<Part1>合格、<Part2>合格、<Part3>合格、そして最も自信のなかった<Part4>はと見ると合格。
「やったー!」と思わずガッツ・ポーズをしてしまった。

途中まで、それなりに準備はしていたものの、9月半ば以降は仕事の方が忙しく、試験のための勉強はほとんどできていなかったし、試験本番でもPart4の金融論・経営管理のところは、相当怪しかっただけに、とにかく「よかった」のひと言である。

次は、内部監査関連資格の本丸「公認内部監査人(CIA)」の試験が、11月の15日(水)、16日(木)の2日間にわたってある。こちらも、4科目あるのだが、金融内部監査士試験よりさらに長く、1科目3時間半。前回以上に、体力と集中力が求められることになる。なんとか、この勢いで、一気に乗り越えたい。

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2006年10月22日 (日)

金融内部監査士試験終了、人事を尽くして天命を待つ

金融内部監査士の2日間、計4科目12時間にわたる試験が終了した。試験内容は、監査に関することが中心だが、最後の4科目めは、金融論・経営管理とのタイトルで、金融論、ミクロ・マクロ経済学、経営学、会計学等の試験。いわば、監査の背景にある企業経営についての常識とも言える問題。
事前の準備では、会計学関連が、昔税理士試験を受けた時に「財務諸表論」を1年間勉強したのであまり悩まずにすんだものの、ミクロ・マクロの経済学などは、ほとんど心得がなく苦労した。

他の3科目は、実務の問題が中心なので、基本の考え方をベースに判断する問題だが、これだけは、ある程度覚えておかなくては解けない問題が80問のうちの半分以上だった。全く予想外の出題もあったり、予想していてもうろ覚えだったりしたものも多く、他の3科目は途中退室できたが、最後だけは3時間フルに使った。4択の文章の論理矛盾から正解が導き出せないかと、無い知恵を絞ったが、結局、自信を持てない答えが25問くらいはあった。

問題用紙も回収されるので、受験票の裏に走り書きしてきた答えで、自己採点してみると、そのうち8問は明らかに間違い、一方7~8問は正解。残り10問程度は判然としない。正解と思っている中にも、間違いがある可能性を考えれば、合格できたとしても誤答の許容範囲20問ギリギリの線というところだ。

マークシートの試験ということもあってか、結果は10月中にわかるとのこと。これまでは、科目合格の場合、次回(半年後)の試験で、不足の科目を再受験して合格すればよかった。しかし、この11月から金融内部監査士に代わる資格として公認金融監査人(CFSA)という国際資格試験が開始されるため、今回の全科目合格者も含め従来の金融内部監査士は申請すればCFSAにスライド認定されるものの、今回1科目でも落とせば、試験内容が変わるため、科目合格はCFSA試験には引き継がれない(唯一のメリットは、CFSA試験を割安で受験できるのみ)。

一発勝負のラストチャンスに賭けたわけだが、こうなったのも自分の勉強不足によるものだからしかたない。あとは「人事を尽くして天命を待つ」の心境で待つしかない。何とか、全科目合格していますように…。

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2006年10月21日 (土)

金融内部監査士試験初日、求められるのは体力と集中力

今の部署に転勤して最もハードな仕事が2週間続き、昨日ようやく終了。期間中は、自分の仕事と周りのメンバーの世話役の二足のわらじで、一日の仕事が終わるとぐったり。家に帰って、食事をすると、急にまぶたが重くなり、ブログを書く間もなく、眠ってしまう日が続いた。

この土日くらいゆっくり休みたいところだが、今日と明日は、以前から申し込んでいた金融内部監査士の試験。試験は4科目あり、今日と明日の午前と午後にそれぞれ1科目ずつ行われる。

試験は、各科目とも全て四択で80問、時間は1科目3時間(180分)。1問2分で解いて、20分余る計算だ。この試験は以前受けた通信教育の理解度を試す試験なのだが、過去の試験問題は全く公開されておらず、モデル問題と言われるものが、4科目で40問公開されているだけだ。ほとんど出題傾向がつかめないまま、本番に臨まざるを得ない。

実際に受けてみると、ほとんどの問題は4つの文章があり、4つの中から正しいものを選ぶもの、誤っているものを選ぶもの、4つを組み合わせたものから正しいものを組み合わせたものを選ぶもの、誤っているものの組み合わせを選ぶもの等、問題の指示が都度、異なっており、そこを読み間違えないようにしなくてはならない。知識として覚えていれば解けるという問題は、全体の20%程度で、大部分は、原理・原則、基本の考え方をベースに、それぞれ書かれていることが正しいか誤っているか判断を求めるものだった。

いざ問題を解いてみると1問2分まではかからずに進められたが、読み間違いや漏れのないようにと、神経を集中して文章を読まなければならないので、1時間もすると頭がぼーっとしてくる。80問とにかく答えを記入し終わると、見直しもする気がしないほどだった。どことなく、朦朧とした頭をなんとか、叩き起こし、見直しをし、それでも3時間は席に着いている気力はなく、1科目めは2科目めの準備もあり、2時間で、2科目めも2時間半で解答用紙を提出し、試験会場から退席した。

合格レベルは正答率75%と言われている。80問中60問が、ボーダーライン。2科目とも、2、3問は全くお手上げも問題があったが、なんとか、正解60問は確保できているのではないかと思うのだが、どうだろうか。

明日も、残り2科目。80問×2科目が待っている。この試験は、次回から制度が変わる関係で、今回4科目全てに合格しなくては意味がない。求められるものは、原理・原則の理解はもちろんだが、それ以上に体力と集中力という気がする。なんとか、朦朧としてしまう頭に鞭打って明日も、頑張らねば…。

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2006年10月15日 (日)

札幌の思い出(2)-単身赴任の食生活

札幌での1年間は、初めての単身赴任生活だった。

最大の問題は食事。定番メニュー程度であれば料理もできないわけではないので、基本的に毎晩自炊するつもりで、単身生活をスタートした。週末に、まとめてご飯を炊き、余ったものは、1食分ずつ専用の容器に入れて冷蔵庫で冷凍し、平日の夕食の際に解凍するようにしていた。

朝も、最初はベーコンと目玉焼き、コーヒーにトーストといった食事をして出勤していた。
夕食も最初は、食材を選んで調理していたが、だんだん面倒になる。1人分の量ぴったり作るのはなかなか難しい。たとえ、食事の量がうまく作れても、食材の方は余ってしまい、数日すると腐ってしまうので、食べる分より捨てる分の方が多くなることもあった。
そのうち、ご飯は冷凍食品の炒飯やピラフになり、おかずも冷凍食品、スープや味噌汁もお湯をかければ飲める袋入りのものに変わっていった。また、加工済みの袋入りのスパゲッティソースを狩ってきて麺だけ茹でることも多かった。
最後には、それも面倒になり、通勤の帰り道にあるセブンイレブンの弁当を買って帰ることも多くなった。朝も、カップ入りのヨーグルトに、ロールパンに牛乳程度の粗食になっていった。また、土日の朝は、雪が消えた初夏以降は、歩いて5分のところにマクドナルドにあったので、7時前には、朝マックを食べに行っていた。

最後は、随分粗食になってしまった感があるが、時には外食もしていた。徒歩圏に、マクドナルドの他に、ロイヤルホストと味の民藝、豚丼の店があり、たまに利用した。また、土日の昼は車で足を伸ばし、びっくりドンキーやヴィクトリアなどいうハンバーグレストランで、食事をしていた。今思えば、決して健康に良い食生活とはいえない。

料理をするプロセスを趣味として楽しめる人を除いては、単身赴任生活で自炊を続けるのは難しいというのが、私の1年間を総括した結論である。

情報として書いておくと、札幌でおいしかったのは寿司である。回転寿司でも、ネタが良いのでおいしい。家族が東京から来ると、寿司を食べに行きたがった。特に、子どもたちは、富山で5年すごしたため、やはりネタの良い富山の回転寿司を食べ慣れたせいで、東京の回転寿司はまずくて食べられないと言っており、富山にひけをとらない札幌の回転寿司に行きたがった。
また、札幌ならではのご当地料理がスープカレーである。さらさらのカレースープの中に、茹でたジャガイモやニンジン、チキン、ゆで卵などが、丸のままあるいは半切り程度の大きさで、添えてある。熱いカレースープを飲みながら、丸ごと野菜をかじりながら、ライスと一緒に食べる。寒冷地札幌だからこそ広まった、体を温める料理だと思った。

乱れた食生活をしていたせいもあり、雪が積もり始めると行動範囲が制約され運動不足になりがちなことも重なり、63kgで札幌に赴任した私は、半年で65kgまで太ってしまった。

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2006年10月14日 (土)

札幌の思い出(1)-長くて終わらない冬

2年前の今日、私は高校時代の同級生数人から送別会をしてもらっていた。仕事で、札幌への転勤が決まり、東京最後の夜だった。翌朝の羽田空港から飛行機で千歳に向かった。

その1年後の昨年の今日は、東京に戻ることがすでに決まっており、後任者との引き継ぎも終え、借り上げマンションに戻り、東京から手伝いに来てくれた妻と一緒に、1年間暮らした部屋を引き払うため、荷造りを始めたところであった。たった1年でも、荷物はそれなりにあり、家財道具のほとんどは、東京に持って帰っても置く場所もないので、後任者や職場の若手など、もらい手を探し、引き取ってもらうことした。15日は荷造りと掃除に明け暮れ、16日に千歳から東京に戻って来た。早いもので、あれから1年たってしまった。

札幌で、まず驚いたのは早く来て終わらない冬である。赴任後、取引先に挨拶回りをすると、異口同音に、これから寒くなるばかりで、悪い時に転勤してきたと言われる。まだ、秋も半ばではないかと思っていたが、10月末には札幌市内にも雪が降った。最初の雪は、数日で消えたが、11月半ばに降った雪は融けることなく根雪になり、長い冬が始まった。それからは、身の回りに常に雪のある生活である。雪が降らない日も、気温が低いので雪は融けない。

私が札幌にいた1年間で冬休み(年末・年始)、春休み、夏休みの3回家族を札幌に呼んだ。冬休みが雪の中なのは当然と思っていたが、春休みには春の気配が感じられるのだろうと考えていた。しかし、現実は全く違っていた。
札幌発で支笏湖、苫小牧、登別、洞爺湖・有珠山・昭和新山、羊蹄山麓の真狩(まっかり)村、余市のニッカ工場、小樽から札幌へ戻る2泊3日の小旅行をしたが、太平洋岸の苫小牧から登別にかけての海沿いこそ雪を見ずに走れたものの、ロープウェイで登った有珠山の上は雪に覆われていたし、内陸になる真狩は、まだ数十㎝から1m近い雪が残っていた。北海道の3月下旬から4月上旬はまだ冬なのだ。

結局、札幌の街中から完全に雪が融けてなくなったのは、ゴールデンウイークの頃だった。半年の冬があり、残る半年を、短い春と夏と短い秋で分け合っているのが、札幌の1年だった。

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2006年10月 6日 (金)

年齢の法則

10月に入って、ひとつ年をとり、46歳になった。

このブログでも、何回か紹介している『こころを癒すと、カラダが癒される』(チャック・スペザーノ&ジェニー・ティスハースト著、伊藤由紀子訳、株式会社ヴォイス)の中に「年齢の法則」という章がある。

チャック・スペザーノ博士のこころを癒すと、カラダが癒される

年齢の意味
 来るべき年に、あなたはどんなチャレンジに直面するのでしょうか。その年のあなたのプロセス全般に流れている力学的な法則は何でしょう。ある年齢で起きた出来事にはどんな意味があったのでしょうか。
 年齢は、その年の個人的なプロセスの手がかりを与えると同時に、過去に起きた出来事についても何らかの洞察を与えてくれます。あなたが、今人生のどの辺にいるのか、またその1年で癒さなければならない事柄は何なのかを示してくれる指標なのです。
(『こころを癒すと、カラダが癒される』146ページ)

年齢を表す数字にはそれぞれ、意味があるという。例えば、今の自分の年齢に関わるところを見てみると

[4]
4は慢性的な問題を癒しながら、人生に新しい土台を築く時という意味です。この年のチャレンジは障害を突き抜ける道を探し、人生を築く礎石としてそれを使うということです。
[5]
5は変容のシンボルです。人生に変容をもたらすチャンスがあり、新しい生き方を始める年です。この年のチャレンジは、変化に伴う独特の居心地の悪さにあります。変容とは、一度受け止めさえすれば、底抜けの楽しさとユーモアをもたらしてくれます。
[6]

6は成熟、ハート、そして感情的な勇気を表します。この年には、人々に自分自身を与えることに専念することが求められます。また、家族のダイナミックスや深い感情を扱う年であるかもしれません。この年のチャレンジは、深い感情や家族のテーマにはまってしまい、成熟することに対し消極的になることです。

40代は、いわば「人生の新たな土台を築く10年」ということになろう。「4」が重なる44歳では、自分の場合、単身赴任先で転倒して肩を骨折し、3週間入院するという大きな事件があった。
昨年10月、45歳で、東京に戻り新しい職場となり、まさに新しいチャレンジの1年だった。

そして46歳。たしかに、この1年で家族の境遇は大きく変化する。計算したわけではないのだが、3人の子供が3年毎に生まれたこともあり、今高3(長女)、中3(次女)、小6(長男)のそれぞれが、今の学校を卒業し、次のステップへ進むことになる。これから1年は、3人がなんとか自分なりの次のステージを見つけて、一歩踏み出し、その新しい環境に慣れてもらわなくてはならない。その過程で、父親の役目も求められると言うことだろう。

『こころを癒すと、カラダが癒される』という本は、特に根拠が示されず結論だけが書かれているので、時に「まゆつば」もののように感じることもあるのだが、不思議と自分のことについては、当たっていることも多く、何かあると開いて見ている。

「人々に自分自身を与えることに専念する」というほど大げさではないが、明日は、次女が志望する高校の説明会に付き合うことになっている。

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2006年9月21日 (木)

テンプレート秋バージョン、世界遺産「五箇山の合掌造り」

19971102b_1 今日から、テンプレートを自作の秋バージョンに変更した。写真は、富山県の上平村(かみたいらむら)菅沼(すがぬま)集落の「合掌造り」である。お隣、岐阜県の白川郷、同じ富山県の平村(たいらむら)相倉(あいのくら)集落の三地区の合掌造り集落が、1995年12月に「白川郷、五箇山(ごかやま)の合掌造り集落」として世界遺産に登録された。(なお、五箇山の由来は、赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷というの5つの谷に集落があり、それを「五箇谷間」と言ったことから「五箇山」と変じたらしい。上平、平という地名が示す通り、平家の落人伝説もある)

私が転勤で、富山で暮らし始めたのが、ちょうど1995年の12月。写真は2年後の1997年の秋に、妻の母が富山を訪ねてきた際に、家族で五箇山を案内した時のもので、9年前ということになる。その後、近くに高速道路(東海北陸自動車道)が開通したので、周りはずいぶん変化しているかも知れない。

富山は四季折々に変化が、五感で感じられるところだった。2週間毎に、季節が変わっていく様が、自然の変化として目に見えたし、気温の変化として肌で感じられた。富山湾で取れる「ブリ」を筆頭にした季節の魚介類、加賀百万石を支えた砺波平野の米(コシヒカリ)、呉羽の梨などが「食」として、季節を感じさせてくれた。

合掌造りは、雪に埋もれる冬が絵になるが、山あいの紅葉を背景にした姿も、なかなか、美しいものである。富山を未体験の方は、ぜひ一度訪ねられることを、お勧めしたい。

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2006年9月19日 (火)

『図解!売れる色の法則』で知るヒット商品のカラー戦略

高坂美紀著『図解!売れる色の法則』(秀和システム発行)を読んでいる。カラーコンサルタントの高坂美紀女史が食品、薬、文具等ヒット商品45点につき、「色」の使い方という点から、解説した本である。

図解!売れる色の法則―思わず手に取ってしまう人気商品のカラー戦略

売れる商品の色使いにはどのような意味がこめられ、消費者はどこに反応して、その商品を手に取り買ってしまうのか。見開き2ページに商品が一つ取り上げられ、商品の写真と基本となる配色について解説されている。
いくつか例として見出しだけ並べると

法則01:「緑色」は「白」と「赤」と「黒」で強化するとロングヒットする(ハイネケンジャパン[ハイネケン330mlボトル])
法則15:「黄色」を入れると、手に取りやすくなる(ライオン[バファリン])
法則16:ピンクを多くすると、若々しくきれいになりたい人が買いやすくなる(花王[ブローネ シャイニングヘアカラー])

いつも身近で、目にする商品ばかりなので、なるほどと思わされることが多い。

私は、昔から「色」が人に与える印象や効果といったものに興味があって、服やインテリアのカラーコーディネートの本やカラーセラピーに関する本などを読んできた。
数年前には、東京商工会議所が主催する「カラーコーディネート検定」3級試験に合格したので「アシスタント・カラーコーディネーター」を名乗ってもよいことになっている(中途半端な勉強で1回目は不合格、2回目の挑戦でなんとか合格したのだが)。

そのような、「色」好きの私にとって、この本は興味が尽きない本である。先々週、一度、吉祥寺のパルコの地下の書店で見かけ、買おうかどうしようか悩んだあげく、その日は他にも沢山本を買ったこともあって買うのをやめて、他の書店で会社の帰りにでも買おうと思っていたら、書名もうろ覚えで、よその書店では上手く見つけられなかったので、昨日、長男を連れて吉祥寺に行った際に、再度、パルコに行って買ってきた。

このブログも、近いうちに秋バージョンの配色に変えたいと思っているが、その際にも参考にしたいと思っている。

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2006年9月13日 (水)

3度目の正直?今度こその減量宣言

このブログで、何回か減量宣言をしたものの、体重が減るどころか増える一方なのは、先日も書いたばかりだ。しかし、体重が増えて、健康にマイナスはあれ、プラスになることなどない。

先週の日曜日、小6の長男と一緒に、久しぶりに市のスポーツセンターのプールに泳ぎに行った時のことだ。
肩のリハビリと減量のため、今回も500m泳いだ。休憩時間にプールサイドに座り、柔軟体操と思い、中学・高校の陸上部時代からいつもやっているように、プールサイドに座り足を伸ばし、上体を倒して手を伸ばし、つま先を触ろうとしたが、その時、衝撃的な事実に直面した。お腹に溜まった脂肪の塊がじゃまをして、つま先まで手の指先が届かないのだ。未だ、かつて経験したことのない屈辱。これは、ただの中年太りでなないか。

月曜日の夜は、昔の上司と飲み会があり、更に体重は増加。71kgを突き抜け、72kgに届く勢いだ。このままでは、ピークの73kgどころか、ピークを更新し、75kg→80kgと増える一方である。身長170cmに足りない自分の体重80kgの姿など想像するだけでおぞましい。

減量できるかどうかは極めて簡単な算数だ。「摂取カロリー」-「消費カロリー」=プラスであれば体重増。マイナスであれば体重減である。現状、摂取カロリーを極端に調節することは、食べ物に対して以前より意志薄弱になっているので、全く期待できない。ならば、消費カロリーを増やすしかない。

日中デスクワークで、外出することも少ないので、あとは通勤で工夫するしかない。8月14日の首都圏大停電のあと、8月31日にも通勤に使っている地下鉄東西線が停電でストップし、いつも「日本橋」で降りるところを、電車が停車した2駅前の「竹橋」で降りて職場まで歩いた。その時、思ったほど時間がかからなかったこともあり、昨日、思い立って、帰り道「竹橋」まで歩いてみた。

職場から日本橋まで歩くと7分程度、日本橋-竹橋間が地下鉄で4分。計10分程度。職場から竹橋まで歩くと、地下鉄ルートよりのショートカットする形になることもあって、所用時間25分前後だ。15分余計に時間がかかる程度なら、大した負担にもならない。歩く経路には、日本橋三越、日本銀行、大手町のオフィス街と目先も変わり、気象庁が締めくくりだ。

今朝はその甲斐あってか、1kg近く体重が落ちていたので、いい気になって、今日も小雨の中、竹橋まで歩いた。さて、思惑通り、減量が進むかどうか。上手くいけば、節目節目で、このブログでも報告したい。もし、なしのつぶてであれば、次なる4度目の減量宣言が出たときに、思い出して大笑いしていただければと思う。

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2006年9月 9日 (土)

森内俊之名人から見た羽生善治3冠

今日は、また将棋の話を少し。将棋の名人戦の主催を毎日新聞社から朝日新聞社に移すという騒動が持ち上がってから、再び将棋界のことを関心を持って見るようになった。将棋連盟の月刊誌『将棋世界』も9月号、10月号と買って読んでいる。(米長会長によれば、販売部数の低下に歯止めをかけるべく、編集部も意欲的な編集をしているようだ)

将棋盤と駒を持ち出して、棋譜を並べるほど熱心ではないが、毎月掲載されるタイトルホルダーのインタビューは、トップを極めた棋士たちの人間性を垣間見ることができて、面白い。9月号は、最近、タイトル戦の常連である佐藤康光棋聖(36)、そして直近の10月号は森内俊之名人(35)である。

森内名人のインタビューの中で、ライバルである羽生善治3冠(王位・王座・王将)(35)について語ったところがある。(森内と羽生は同い年、小学生名人戦でも戦っている)

「羽生さんは別格の存在ですね。将棋界の枠を超えているという意味でもそうですし、学んだことは数多いです。」

「子供のころは確かに対抗心がありましたけれど、途中から差が開きすぎて後ろ姿が見えなくなってしまいましたので、そういう気持ちはなくなりました。自分が一つ上のステップに上がったと思えたとき『彼はこうしてクリアしてきたのか』とすごさがわかる。棋士の中では一番尊敬しています。そういう感情を持つことは勝負師としては問題なのかも知れませんけれど…」

「羽生さんのすごいところは周りを引き上げてながら、自分も上がっていくところだと思います。勝負の世界では仲間がそのままの場所にいてくれれば自分が上がったとき差が開く分けで、勝ち負けだけを考えればその方が得になるわけですが、かれの場合はそう考えずにもっと大きな視点で見ています」
(日本将棋連盟発行『将棋世界』2006年10月号、18~19ページ)

同年齢で将棋界の一方の雄である森内名人から「周りを引き上げて、自分も上がっていく」と評される羽生3冠というのも偉大だ。かつて、羽生3冠が、将棋界のタイトル7つを全て手中に納めたことがあったが、その後、ライバルの成長もあって、まさに群雄割拠。

しかし、トップが周りを伸ばし、自分もその追い上げに脅威を感じつつも成長していく。追う者と追われる者が、しのぎを削りギリギリの勝負を繰り広げる。こんな前向きの回転をしている組織は、どんどん強くなると思う。

一方で、将棋というものが、厳しい勝負の世界でありつつも、以前書いたメディア・イベントの一つに過ぎないことをよく認識しているのが、将棋連盟会長になった米長邦雄永世棋聖だろう。人々に注目され、関心を持たれてこそ、成り立つ仕事・組織であることをわかっているはずだ。注目され、関心も持たれても、その重圧や好奇心に耐え、またそれにふさわしい内容を備えた後輩達だと信頼しているからこそ、いろいろな形で、話題作りをしているのではないかと思う。

これからも、毎月の『将棋世界』の購読者となって、将棋界の動きに注目していきたい。

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる

*上記記事を含め、このブログの将棋に関する記事の一覧はこちら→アーカイブ:将棋

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2006年9月 8日 (金)

90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

河合隼雄著『縦糸横糸』(新潮文庫)を読み終わる。1996年5月から2003年5月まで、月1回産経新聞大阪版に連載されたコラム72回分をまとめて本のしたもので、単行本は2003年7月に発行され、この9月に新潮文庫に加わった。

縦糸横糸 (新潮文庫)

その時々の世間での出来事をテーマに河合隼雄が持論を語っている。振り返って見れば、90年代後半からこの本がまとめられた2003年までは、日本経済の長引く不振で、日本社会全体が暗くすさんでいた時期でもあり、バブル崩壊後の失われた10年(15年)の社会史にもなっている。72話の多くが、小学生や中学生といった少年・少女が起こした事件をテーマにしている。

しかし、河合氏は常に、事件の背景にある真の原因を探ろうとする。それは、子供を暴発に追い詰める、家庭であり、社会であり、それらの構成員である大人一人ひとりである。大人自身が、自分十分見つめておらず、自分に自信がもてていない。信頼できる人間関係が築けない。家庭が、憩いの場とならない。それが、子供を追い詰めている。

そんな大人の姿を描いた一節がある。『「今、ここ」の自分への不満』とサブタイトルがついたコラムで、関西の私鉄で混雑時の社内での携帯電話の電源を切るように呼びかけ始めたことを取りあげたものだ。

いつどこから電波という風が吹いてくるかわからないのを、いつも待ち受けている姿勢で、何かにほんとうに集中できるはずがない。というよりは、何かに集中するのが怖いので、それを避けるために常に外からのはたらきかけを気にしている、というのが現代人の姿ではないだろうか。
 外からのはたらきかけを待つというと何かに心を配っているようだがさにあらず、ひとたび携帯のベルが鳴ると周囲を全く無視して話しはじめる。他人の迷惑などお構いなしである。そこには極端な自己中心性が認められる。
◆空しい枝の絡み合い
 常に外とのつながりを求め自己中心的である姿は、自己に深く沈潜することによって他とのつながりを見出してゆく姿とはまったくの対極をなしている。現代人の特徴としての人間関係の希薄さ、まずさは、その根本に自分の内面とのつながりの無さということにある。(中略)自分の内界と切れてしまっているので、何とかして外とのつながりによってそれを補償しようとするのである。
 このような姿は、たとえてみると、根から切れた沢山の木が、お互いに枝を絡み合わせることによって、やっと立っているのに似ている。辛うじて倒れずに居るが、やがてはかれてしまうことだろう。この空しい枝の絡み合いをネットワークなどと呼んでいるのである。
 (中略)携帯電話禁止週間などというものがあったりすると、もう少し人間が自分の内面もこめて、互いに向き合うことをするようになるだろう。
(河合隼雄著『縦糸横糸』新潮文庫、243~244ページ)

時々、こうしてブログを書いていると、妻から「ブログばかり書いて、私や子供たちのことはほったらかし」と怒られる。根のない木にはなっていないつもりだけれど、そう言われれば、ブログに向かう時間が増えた分、家族と向き合う時間は減っているかも知れない。うまくバランスを取ることを考えなくてはいけないと少々反省している。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 7日 (木)

『明恵 夢を生きる』を読み終わる

昨日、『明恵 夢を生きる』(河合隼雄著、講談社+α文庫)を読み終わった。明恵という僧侶の精神性の高さに驚嘆するばかりである。

明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)

私は、昔から歴史好きだったこともあって、大学受験の際の共通1次試験も、日本史・世界史という組み合わせで臨んだ。大学時代、社会人のなってからも、歴史関係の新書はずいぶん読んできた方だが、正直なところ、20年間積ん読になっていた京都松柏社版の『明恵 夢を生きる』でしか、「明恵」の名前を見ることはなかった。

試しに、高校時代に使った日本史教科書の定番である山川出版社の赤い表紙の「詳説日本史新版」開いてみる。「鎌倉新仏教の誕生」のサブタイトルで法然、親鸞、日蓮、一遍らが語れたあと最後に、次のように書かれている。

これにたいし、旧仏教諸宗は、いぜんとして大きな力をもっていたので、新仏教を弾圧して、自己の宗勢をまもろうとし、その反面では反省と改革をすすめた。法相宗の貞慶(解脱)、華厳宗の高弁(明恵)、律宗の叡尊らは戒律の尊重を説き、奈良仏教の復興に努力した。叡尊の弟子忍性(良観)は貧民救済・施療などの社会事業につくした。
(井上光貞・笠原一男・児玉幸多『詳説日本史新版』昭和53年、106~107ページ)

その後も、書店等で新しい山川の『詳説日本史』の教科書を見つけるたびに買いたして、他にも、1991年版、1999年版、2003年版が手元にあるが、旧仏教側が新仏教を弾圧したという記述がなくなっている程度で、明恵が奈良仏教(南都仏教)の復興に尽くしたということ以外は書かれていない。

しかし、現実の明恵は、自分の夢を丹念に記録して自分なりの解釈も加えている。年齢を加え経験が増すとともに、夢の内容が変化していく。最後は、自分の中に菩薩が入ってくるという夢を見る。一人の人間の生き方として見ると実に潔いし、年々成長し、その思想の深まりが、如実に夢に反映される様子は「すごい」というしかない。

おそらく、約20年の間、この本を開いても読み進めなかったのは、本の中から、明恵がおまえにはまだ早いと囁いていたのだろう。今の自分でも、十分読みこなせたとは思えないが、なんとか読み通すことができた。

機会があれば、戦前、広く日本人に読まれたと言われる『明恵上人伝記』にも挑戦してみたい。

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9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
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11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年9月 5日 (火)

気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2

今朝の日本経済新聞に脳梗塞で倒れ入院中の河合隼雄文化庁長官の主治医が4日(昨日)、河合長官の容態につき発表したとの記事が出ていた。
「小康状態を保ち、生命の危機的状況はほぼ脱した」とのコメントの一方、依然として「意識は回復しておらず重篤な状態」とある。

昨日は、小坂憲次文部科学大臣が高松塚古墳の視察し、河合長官の家族に面会したこともあり、容態の発表があっったのかも知れない。

まだ、意識不明ということだ。この世とあの世との境で、さまよっているということだろうか。

河合長官の最近の本に『大人の友情』(朝日新聞社、2005年)がある。

大人の友情

その中に、白洲正子さんから聞いた話がのっている。

 白洲さんが晩年病気で瀕死の状態になられた。親族一同が危篤と思って見守る中で、白洲さんは「大丈夫、大丈夫」と言われたらしい。一同、変な気がしたが、幸いにも奇跡的に治って元気になった。
 その後、お会いしたら、「私、死にかけたのよ」と話をして下さった。ふと気がつくと自分は一人で山道を歩いていた。ところが、桜の花が満開で、それが散りはじめ、その花吹雪のなかを、これなら一人でゆける、というので「大丈夫、大丈夫」と言ったらしい。そのとき、このようにして一人でちゃんとあちらにゆけるのだから大丈夫という気があったようだ。このような話であった。
 この話に私は深く心を打たれたし、さすがに白洲さんらしいなと感じた。
(河合隼雄著『大人の友情』朝日新聞社、85~86ページ)

ぜひ、ここで語られている白洲正子さんのように意識を回復し、あの世の入り口の話でも、我々に笑い飛ばすように語ってほしいものだ。

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11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年8月31日 (木)

停電と地震

先日、東京では大停電があったばかりだが、今日また、通勤途中で停電に遭遇した。地下鉄で職場の最寄り駅まであと2駅というところで、停電で停車とのアナウンス。時計を見ると8時10分。待っていても、いつ動き出すかわからないので、その駅でおり、まだ暑さの残る夏の朝、残りの距離を職場まで歩いた。25分ほど歩き、今回は始業5分前に着いた。

やれやれと思っていると、夕方になって今度は地震。最初、ゆらゆらと来て、次にグラッと来た。東京は震度3とのことらしい。

明日9月1日は、防災の日。1923(大正12)年には関東大震災が起きている。大震災など二度と起きて欲しくないが、まさかの時に備えて、一度、休日を使って、職場から自宅まで歩いてどれくらいかかるのか、シミュレーションをしておく必要があるかも知れない。

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2006年8月27日 (日)

米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』

先週になるが、日本将棋連盟の米長邦雄会長が書いた『不運のすすめ』(角川書店、角川oneテーマ21)を読んだ。これも、1ヵ月ほど前から、読もうと思って「積ん読」になっていたものだ。

不運のすすめ (角川oneテーマ21)

以前も書いたように、私は30年来の米長ファンである。中学時代、私が将棋を勉強していた頃、米長八段は新進気鋭のA級棋士として、タイトル戦に登場し始め、1973(昭和48)年には初タイトル「棋聖」(産経新聞社主催)を獲得した。私は、彼の解説本(『将棋中級入門』というタイトルだった)で、将棋の定跡を学んだ。
その後、1978(昭和53)年に「棋王」(共同通信社主催)、1979(昭和54)年に「王位」(中日新聞社・北海道新聞社・西日本新聞社の3社連合主催)のタイトル取り、九段に昇進。40代を目前にした1982(昭和57)年、自らの半生と勝負哲学を書いた『人間における勝負の研究』(祥伝社NONBOOK)を出版した。この本は、当時ベストセラーになり、私の蔵書の奥書を見ると、「昭和57年6月1日初版第1刷発行、昭和57年7月30日第8刷発行」となっている。わずか2ヵ月で8回の増刷である。大学4年だった私は、この本を何度も繰り返して読み、「相手の一生がかかったような勝負には、自分の昇級・昇格などが関係なくても、真剣に懸命に戦う」という「さわやか流」とも呼ばれる勝負哲学に心酔していた。
米長九段は、その勝負哲学を実践し、1984(昭和59)年には、十段・棋聖・棋王・王将の4タイトルの保持者となり、4冠王として80年代前半の将棋界をリードする存在となった。年齢にして40~42歳ぐらいである。
80年代後半になると全てのタイトルを失うが、1989(平成元)年には再び「王将」のタイトルを奪取。翌年自宅に米長道場を開き、当時の若手棋士から新戦法や新感覚を吸収し、、1993(平成4)年には、49歳11ヵ月で念願の「名人」位タイトルを獲得、マスコミでも話題になった。

この本に何を見いだすかは、人それぞれだれだろう。40代以降、四冠王の絶頂から転落したあとの40代半ばでの「米長版中年クライシス」をどう乗り越え、再びタイトルを取り「名人」にまで登り詰めたかは、読みどころの一つである。
しかし、私にとって一番、印象に残ったのは、将棋界で「名人位」も極め「功なり名を遂げた」身でありながら、「60歳からが本当の人生だ」と書いているところである。

●定年後は余生ではない
 私はかねが、60歳を過ぎてからの生き方が非常に大事だと思っていた。
 世の中では、「60歳からの余生をいかにして楽しむか」などと言われるが、そんなバカなことはない。60を過ぎてからの人生は「余りの人生」などではなく、むしろそこからが本物の人生なのである。それまでは、人生修行の時期でしかない。
 私自身は、60歳まで将棋を通して修行してきた。(中略)そして60歳で現役を引退し、本当の人生を歩み始めたわけである。
 サラリーマンであれば、入社してから定年までが、人生修行であり、その先に本物の人生がある。定年退職ですべてが終わったと錯覚している人は、私に言わせれば、本当の人生を生きることを自ら放棄してしまっていることになる。
(米長邦雄著『不運のすすめ』角川oneテーマ21、165ページ)

こう宣言する米長邦雄氏は、現役引退後の2005年、日本将棋連盟会長となり、赤字に悩む組織としての将棋連盟の長として組織改革に乗り出すともに、連盟の収支不振の遠因である将棋人口の減少に歯止めをかけ、将棋の普及のために動き出した。
最強のアマチュア棋士瀬川さんのプロ入りを認めたことも一つだし、今回の名人戦の主催を巡る騒動もそのひとつである。

現在の将棋界の第一線には、1970年生まれの羽生善治(王位・王座・王将)、森内俊之(名人・棋王)、1969年生まれの佐藤康光(棋聖)という30代半ばのタイトル保持者が名を連ね、さらに次を狙う1984年生まれの渡辺明(竜王)、1962年生まれで健在ぶりを示す元名人谷川浩司九段と多士済々で、かつての「大山-升田」対決、「中原-米長」対決に匹敵するドラマがそのひとつひとつにあるように思う。
それを、赤裸々に世間のアピールしていくだけで、まだまだ関心を呼ぶと思うし、人気も回復していくと思う。

米長会長を応援しているし、その手腕に期待している。「ガンバレ!米長会長」

*将棋に関する記事
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる 

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2006年8月22日 (火)

車の名義変更手続き完了までの顛末

しばらく前から、いろいろと準備を進めてきた、車の名義変更・住所変更手続きに行ってきた。

エンジントラブルで修理に出していた車は、おととい20日(日)に修理完了。やはり、エンジンに雨水が溜まっていたらしい。パッキングを交換し、水が入らないようにして、さらに、水をエンジンの上まで運ぶ役目を果たしていたワイパーを動かすワイヤーを交換した。もう、「エンジンに水は入らないはず」とディラーの人からは言われた。

車が戻ってきたので、昨日、出勤した際に上司に、今日、休むことの了解を取って、ようやく準備が整った。

すでにインターネットの乗用車の名義変更について説明したサイトで、必要種類なども確認し、手続きを行う立川駅に近い多摩自動車検査事務所の場所も確認済み。今朝、出発前にもう一度、書類を確認した。調べたサイトでは、必要書類に自賠責保険の証明書と書かれてあった。車検証と一緒に保管していると思っていたので、確認もしていなかった。しかし、いざ探すと見つからない。困った。

まず、自動車保険の取り次ぎをしている会社の系列の保険代理店に電話をして聞いてみる。「車検の時に、自賠責を付保していなければ、車検に通らないので、付けていないはずはない。証明書がなければ、再発行してもらうしかない。ただ、名義変更に自賠責証明書は必要ないはずだ」との趣旨のことを言われる。

次に、1年半前、北海道で車を車検に出した新日本石油のスタンドに電話をして、念のため渡し忘れではないか確認してもらう。車検証を渡す前に、別途、車検費用の明細と自賠責の証明書を、緑色のファイルに挟んで渡しているはずだと言われる。(そう言えば、少し厚紙の紙ファイルをもらった気がするが、もう捨てたかもしれない。)

今日、手続ができなければ、会社を休んだ意味がない。一応、自動車検査事務所のヘルプデスクにも電話をする。録音したメッセージが流れる。名義変更の必要書類に、自賠責の証明書は入っていない。オペレーターに個別相談できるというので、そちらにつながるように番号を押す。女性のオペレーターが出てきて応対してくれる。「名義変更に自賠責の証明書は必要ありません。」

ならば、「自賠責の証明書は再発行してもらうことにして、とにかく今日は名義変更を終わらせるしかない」と、自動車検査事務所に向かうことにした。車を家の駐車スペースから出す前に、「ひょっとしたら?」と助手席の後ろ側にある、地図など入れているポケットを確認すると、一番下に、新日本石油の「Dr.drive」の緑色の紙ファイルがあった。ファイルを開くと、自賠責の証明書も、そこに収まっていた。

自作自演の大騒ぎで、9時半までには家を出るつもりが、もう11時近い。検査事務所のある立川までは、車で小1時間かかるはずなので、午前の受付時間の11時45分には、間に合わないかもしれないが、仕方ない。とにかく、行くだけ行って、申請書類だけでも入手して、昼休みに書類を仕上げ、午後1時一番で受け付けてもらおうと家を出た。

検査事務所に着いたのは、11時50分頃。お役所仕事だろうと期待していなかったが、申請書の交付と手数料支払の窓口では受け付けてくれて、申請書の用紙をくれ、隣の建物で申請書を記入して提出するように言われる。隣の建物が、実際の名義変更・住所変更の事務を行う所のようだ。

ここでも、とりあえず、名義変更として書類に書くのか、住所変更で書くのかだけでも教えてもらおうと、嫌な顔をされるのを覚悟で、窓口に行くと、私の前の人を手際よく教えていた中年の女性が、そのまま、親切に書類の書き方を教えてくれて、12時5分前くらいに受け付けが終わってしまった。「隣の窓口の前で待っていてください」と言われ、待っているとすぐと呼ばれて、車検証と何枚か書類を渡され、もう一つの建物にある税務事務所に行くように言われる。この時、既に12時直前。

国土交通省の管轄から今度は財務省(あとからよく考えると東京都が正しい)かと思いつつ、おっかなビックリで、次の建物に入る。受付の若い女性に書類を出すと、数ヵ所、自分の住所・名前と前の持ち主のリース会社の住所・名前を書くように言われ、その通りすると、車から古いナンバープレートを外して、最初に申請書をもらった建物に書類と一緒に出すように言われた。もうすでに12時を回っている。

車に戻り、後ろからナンバープレートを外す。後ろは、左側が金属のキャップで封印してあるので、封印を外すのに時間がかかる。外したナンバープレート2枚と、新しい車検証などの書類を最初の建物のナンバープレートの受付に持っていき、プレート代と一緒に出すとすぐに新しいナンバープレートを渡された。「ナンバープレートの取り付けが終わったら、担当者が封印に行きますので、わかるようにボンネットを開けて待っていて下さい。」と言われ、今度は、新しいナンバープレートをドライバーで取り付ける。付け終わった頃、おもむろに、中年の男性担当者が近寄ってきて、ボンネットを開けて、車体番号を確認し、後ろに回り、ナンバープレートが付け方が緩くないか確認した上で、左のネジの上に封印の「東」(東京の意味だろう)キャップをすると、何も言わずに車から離れていった。

てっきり、次の指示があると構えていた私は、「これで終わりですか?」と歩き去る担当者に声をかけると「全て完了です。」との答えが返ってきた。何やら、拍子抜けである。時計を見ると12時半を少し回ったところ。1時からの受付のつもりで覚悟していただけに、意外だった。

おそらく、構内の案内表示板やホームページ等には午前の受付は11時45分までと書いてはいるものの、実際の運用では12時までは受付けてくれ、いったん受付けたものは、途中で昼休みになっても最後まで、作業してくれることになっているのだろう。

もう一つ、いい意味であてが外れたことがあった。自動車税である。自動車税は、都道府県税で、登録をした富山県にずっと払っており、今年も、もう支払っている。従来は、年度途中で、住所が変更になると、月割りで返納、新しい自治体に残りを納めるという手続きがあったようだが、今年(2006年)4月からその制度が廃止になったと、ホームページ等には書かれていた。私は、てっきり、その結果、住所変更した年は、前の住所と現住所の自治体の両方に2重で払うことになるのだと思っていたので、封印の後に自動車税を払うと思っていたのだ。

必要書類の準備はけっこう大変で、今朝は今朝で大騒ぎをしたが、名義変更そのものは、1時間もかからずに終わってしまった。経験者からは半日くらい覚悟した方がいいとも言われていたこともあって、なんだか得した気分で、多摩自動車検査事務所を後にした。

家に帰って、車の所有者だったリース会社に名義変更を終えた新しい車検証をファックスで送り、永年の先送りのツケをようやく払い終えた。
前のナンバーとともに暮らした6年半、思えば、それは、以前紹介した『ライフサイクルの心理学』でいう”人生半ばの過渡期”とほぼ重なる。新しいナンバープレートとともに、新しいライフステージを始めたいと思っている。

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2006年8月18日 (金)

「しなやか×しぶとさ=したたか」

今日のタイトル「しなやか×しぶとさ=したたか」というフレーズは、岩波ジュニア新書の『働くって何だ 30のアドバイス 』(森清著)の冒頭にある作者の言葉だ。

若い人たちには、どのような時代にあっても細い竹のようにしなやかに、踏みつけられても頭をもたげる雑草のようにしぶとく働き、生きていってほしい。私は、普通に暮らす生活者として「しなやか×しぶとさ=したたか」であることをひとつの大切な生き方とひそかに考えている。(『働くって何だ』より)

6月末から7月初めにかけて、以前紹介した『光武帝』など10冊近いの本をまとめて買って積ん読になっていたものを、順次、読んでいる。この本も、その時、冒頭にこのフレーズを読んで、即、買ったような気がする。

本の内容は、すでに70歳を超える著者が、中学・高校生向けに、働くことの意味や、働き方を自分の経験を交えた30の話で説明するもので、中学・高校に通う2人の娘に読ませたい内容だ。

「したたか」という言葉は、私もひそかに自分の生活の信条にしてきた。ブログのタイトルの一つに栄枯盛衰を持ってきたように、長い人生「いいこと」づくめという訳にはいかない。どこかで、必ず失敗やつまづきがある。でも、それにおめおめと負けたくはない。転んでもただでは起きるものか、必ず何か自分にプラスになるものをつかんで、起き上がろうと思ってきた。それをひと言でいえば、「したたか」という言葉だった。

一方、妻は、「不幸は弱いところを狙ってやって来る。だから、うまく行かない、調子が悪いといって弱気になっていると、ますます不幸の神様に狙われて、不幸が続くことになるから、そんな時こそ、元気を出さなくてはいけない」という意味のことをよく口にする。これなど、「しぶとさ」の典型のような気がする。

「しなやかさ」とはあまり縁がない気がするが、なんとか「しぶとさ」と「したたかさ」をモットーに3人の子供の子育てに、悪戦苦闘している毎日である。

働くって何だ―30のアドバイス (岩波ジュニア新書)

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2006年8月15日 (火)

首都圏大規模停電その後

昨日の首都圏の大規模停電の真相や、どこで何が起きたのかなど、新聞やテレビでいろいろ語られている。

直接の原因は、旧江戸川の浚渫工事を請け負った茨城の建設会社の浚渫船のクレーンが、東京電力の高圧電線に接触したことで間違いないようだ。建設会社の会長と社長が謝罪の記者会見をしていた。以前も、クレーン船が電線と接触したことがあり、川を航行する時には、クレーンを上げないという内規があったのに、事故を起こしたクレーン船は、その内規を守っていなかったということだから、クレーン船の作業責任者はもちろん、ルールを徹底できていない経営陣も当然責任を問われるだろう。

しかし、この作業自体は、大手ゼネコンが受注し、事故を起こした会社は孫請けということだから、元請けのゼネコン、さらに元請けと孫請けの間の会社も、管理責任を問われるのではないだろうか?

一方、電力会社に全く責任はなかったのか?そもそも、クレーン船が引っかかるようなところに、電線を張っていることのリスク管理は十分できていたのか?(新聞には、海上保安庁と協議してあの高さに決めたという報道があった。)そのあたりも議論になるのでは、ないかと思う。

また、停電の被害を受けた企業等の側も、まさかの時の備えが従来のもので良かったのかという議論も出てくるだろう。十分な電力供給を受けられなかった時に備えた、自家発電装置の整備・増強なども議論になってくるだろう。

大した被害が出なかったことを不幸中の幸いと思い、今回の期せずして経験することになった大規模災害の予行演習を、今後に役立ててもらいたいものだ。

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2006年8月14日 (月)

早朝の大規模停電

1週間の夏休みが明け、今日から出勤。いつもの通り、家の最寄りの私鉄の駅から、7時半少し前の準急に乗る。私の乗る準急は隣の駅が始発なのだが、いつもは、つり革と鞄を置く網棚を確保するのが精一杯。しかし、今日は、お盆休みの人が多いのだろう。座ることができた。

しかし、10分ほど走ったところで、前の電車が停電で止まったという。私の乗った準急も止まってしまった。10分ほど停車して、再び動き始める。「やれやれ、10分の遅れなら遅刻しないで済む」とほっとしたのもつかの間、私の乗る私鉄とJRの山手線、地下鉄の乗り換え駅に着き、職場の最寄り駅まで行く地下鉄に乗り換えようとすると、こちらも停電の区間があり、運転見合わせとアナウンスしている。私の乗る線だけではなく、東京メトロでかなり広範囲に影響が出ている模様だ。

天気は良く、数日前に山手線が止まった時のようにどこかに雷が落ちたとは思えない。東京電力の想定以上に朝の電力需要が急増し、一時的に電力の供給不足に陥って停電したのだろうか?しかし、今朝の暑さが、この時期の想定される暑さを大幅に上回っているとも思えない。イギリスでの航空機爆破計画摘発の直後でもあり、まさか、テロ?しかし、限られた情報しかない中で、次の行動を決めなければならない。

地下鉄は当てにできそうにないので、山手線で神田駅か東京駅まで行き、歩くしかない。中央線周りは混むだろうから、山手線を外回りで上野経由で移動することにした。遠回りする時間ロスと降りた駅からいつもより余計歩く時間ロスで、さらに15分くらい遅れそうだが、仕方がない。
幸い、山手線の外回りでも座れた。しかし、ここでも社内放送で、新交通システム「ゆりかもめ」と京葉線が止まっていると言っている。JRは専用の発電所を持っているはずなので、そちらがやられなければ電車は止まらないはずなのだが、どうしたのだろう?(京葉線は、乗っている間に復旧したと放送があった)
結局、神田で降りて職場まで歩く。8時40分が始業時刻だが、5分ほど遅刻してしまった。

職場に着いてから調べると、最初は原因不明と言われていたが、江戸川をまたいで張られていた高圧電線に、江戸川の上流に浚渫作業に向かっていたクレーン船のクレーンが、接触し、電線を傷つけたため、周辺の変電所で安全装置が働いて電流が止まり、広範囲に停電したらしい。
私が遭遇した被害は、電車の遅れと運転見合わせだったが、新聞やTVのニュースなどを見ると、信号が消えたり、エレベーターが止まって閉じこめられたりというトラブルもいくつかあったようだ。

今回は、過失によるトラブルだが、それでもこれだけの騒動になった。通常、電力会社が想定している電線のトラブルは、落雷によるものだろう。テロなどの警戒をするのは、場所としての発電所や変電所だろう。しかし、発電所や変電所が完全にガードされていても、同時多発で故意に広範囲に広がる電線を狙われたら、今回以上の停電が起きることになる。今回の事態を見せつけられて、東京電力はもちろん、各地の電力会社は、対策に頭をかかえているのではないだろうか。

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2006年8月 4日 (金)

車の名義変更のための夏休み

今週も、週末を迎えた。来週1週間は、私も夏期休暇で、ひと休みである。とはいえ、前半は家族を連れ、北軽井沢のキャンプ場のキャビンに2泊の小旅行。あとは、我が家で、資格試験の勉強と、日頃、出来ない雑用をかたづけなくてはならない。

今の車は、もう7年めになる。新車購入の時、5年のカーリースを組み、リース期間満了とともに残価を精算し、買い取った。個人の月々のキャシュフローからすれば、オートローンも、割賦も、カーリースも大差はないのだが、権利関係はそれぞれだ。カーリースだと、車の所有者はあくまでも、リース会社。買い取ったところで、自分の名義に変更しなくてはならない。

今の車は、買ったのは富山勤務時代。その後、東京に戻り、リース期間が満了したものだ。本来は、東京に戻ったところで住所の変更を行い(ナンバープレートが変わる)、買い取り時点で名義変更をしなくてはならないのだが、手間がかかりそうで先延ばしにしているうちに、北海道に単身赴任となった。住民票を移さない単身赴任で、車もそのまま持って行ったので、何もできなくなってしまった。

リース会社からも何回か催促され、北海道にいた時は、やりたくてもやれなかったが、先日、再度催促があり、さすがにきちんとしないわけにはいかなくなった。

よくよく調べると、①現在の住所の所轄の警察署で車庫証明をもらい、②購入時からの住所変更の履歴がわかる住民票等を揃えて、③管轄の運輸支局に車を持って行き、住所変更と名義変更の手続きをやるということらしい。

今まで無精をしていたツケを払わざるを得なくなった訳だ。私の場合、更に面倒なのは、富山から東京に戻った時に、一度、豊島区の社宅に入り、その後、1年弱で今の家を買い移ったので、今の住所の住民票だけでは、富山からの履歴がたどれない。豊島区か、富
山市からも書類を取る必要がある。

どうも、1週間の休みの後半の数日間で、全部すませるのは無理なようで、①と②を終え、③の運輸支局での住所変更、名義変更には、別途、もう1日休みを取る必要がありそうだ。

たびたび住所が変わりそうな時に、車を買なら、カーリースはやめた方がいいというのが、ささやかな教訓ということになろうか。

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2006年7月30日 (日)

人生の四季 、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

先日から読んでいた『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)の原題は”THE SEASONS OF MEN`S LIFE”で、日本で最初に出版された時は、「人生の四季」というタイトルだったそうだ。文庫化する際、改題したそうだ。前のタイトルだと、老人の回顧録のようにも聞こえる。

その『ライフサイクルの心理学』の下巻を、昨日ようやく読み終わった。1970年前後の米国の4つの職業(生物学者、小説家、企業の管理職、労働者)の40代の男性10人ずつ計40人のそれまでの人生を丹念に面接調査で聞き出し、そこに共通にサイクルを見いだし、仮説を提示している。

本書の本来のテーマ自体は、まさに、このブログのテーマそのもので、じっくり、数回に分けて書きたいと思うが、この本の最後の方で書かれていた事が、印象的だったので、まずそれを書きたい。

「原始の時代からの長い人類の歴史の中で見れば、家庭というものは、狩猟が中心の時代に、次の世代が自ら狩猟に出て獲物を得て、自活できるようになるまで期間、最も効率的に次の世代を育てるためのシステムであった。20才前後に成人し、自ら生活できるようになるまでが、子育ての期間である。原始の時代には、病気、飢え等で、成人までに亡くなるものもいる。親の世代も、子供が巣立っていく40才の頃には既に衰え、死んでいく者も多かった。
40才以降の中年の時期を、人間が生きるようになったのは、歴史的に見れば、ごく最近の事なので、中年以降のうまい過ごし方は、まだ確立されていないし、それは、更に1000年~2000年という単位でしか、根付いていかないのではないか。」というような趣旨の事が書いてあった。
河合隼雄氏の『対話する人間』にも、似たような話があったが、あの時は、日本の戦国時代が人生50年という話であった。今回は、一気に遡って何十万年という単位の話である。

そう考えれば、我々個々人が悩むのも当然だし、ここで考えた何がしかが、次世代へ引き継がれ、1000年~2000年先の人間の生き方に多少でも役に立てば、それも悪くないかなと思ったりした。

*追記(2006年11月23日)
タイトルを当初の「人生の四季」から「人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月25日 (火)

Edyを使う

仕事で、非接触型ICチップを調べたせいもあって、最近、電子マネーに関心がある。

Suicaは、以前からJRに乗る時に使っていたが、ライバルのEdyについては、コンビニなどで、わざわざ現金を払ってチャージしてもらうのも、おかしな気がして、Edyがセットされたクレジットカードは持っていたものの、使ったことがなかった。

しかし、調べてみると、「プロント」にはEdyにチャージできる機械があるということで、出勤途上にあるプロントにより、とりあえず1000円チャージしてみた。

あとは、コンビニなどで買い物をする時、レジでEdyマークのところに、カードをかざせば、チャリンという電子音(作られた音という点では、デジカメの電子シャッター音と同じだ)がして代金が引かれる。財布から小銭を出さなくていいのは、便利だ。

次の関心は、「おサイフケータイ」である。携帯電話に非接触ICチップを搭載し、SuicaやEdyのアプリケーションをダウンロードして使う。ドコモは、ほとんどの新型端末が「おサイフケータイ」対応なのだが、私の使っているauは「おサイフケータイ」対応機種が少ない。もうしばらく、今の端末を使い、auで対応端末の品揃えが増えたら、「おサイフケータイ」に機種変更しようと考えている。

プラスチックカードからケータイ端末へ、決済ビジネスのツールも本当に移り変わっていくのか、興味津々というところだ。

関連記事:7月2日「カード」から「ケータイ」へ

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2006年7月24日 (月)

「うつ」の話

NHKで「女性のうつ」についての番組があった。

育児による「うつ」、働き過ぎのよる「うつ」、妻の「うつ」を何とか支えようとするうち夫も「うつ」になってしまったケースも取り上げられていた。

今、読んでいる『ライフサイクルの心理学』では、年齢に応じて、それぞれの時期に解決しなければならない課題、身につけておかなければならない課題があって、それがタイミングに応じて、上手くクリアされていかないと、一見、順調に行っているように見えても、数年後には破綻をきたし、結局は、未解決の課題を解決することを迫られた例がいくつも出てくる。そのためには、自分の行動や考え方を修正し、生き方を変えていかなければならないが、簡単ではない。

「うつ」の場合も、「性格が几帳面で真面目な人がなりやすい」という一般論よりも、それぞれの個々人が、その時期に解決すべき課題をクリアしないままに、それに気がつかずに、次に進もうとしたことで、「潜在意識」の方が、それに対して「NO」という答えを突きつけたのが、「うつ」と考えることもできるのではないかという気がした。

『ライフサイクルの心理学』はようやく、上巻が読み終わったところで、下巻がいよいよ本論の40~45才の「中年への過渡期」「人生半ばの過渡期」の解説である。読み終わったところで、エッセンスだけでも紹介したい。

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2006年7月22日 (土)

サマータイム実験に思う

朝日新聞の夕刊に、札幌を中心に行われているサマータイムへの取り組みの記事が出ていた。

札幌商工会議所が呼びかけて始まったようで今年で3年めとのこと。夏場の始業時刻、終業時刻を1時間ずつ早めるものだ。昨年、私が札幌にいた時は、高橋北海道知事も参加したということで、話題になっていた。

札幌の夏の夜明けは早い。早いときには、3時半くらいから明るくなる。出勤前に、ハーフラウンドならゴルフもできると聞いたことがある。かといって、日暮れが早い訳ではない。高緯度なので、夏は昼間が長くなるのだ。1時間始業時刻を早めても、地域で完結している仕事なら、おそらく全然問題は起きないだろう。
その代わりに、冬は早く日が暮れる。午後4時頃から暗くなり出し、4時半には真っ暗になる。

おそらく、いくら書かれたものを読んだり、TVのニュースを聞いても、そこで生活してみなければ、それを実感することは難しい。記事には、東京ではまったく関心がないこともあわせて書かれている。東京でしか生活したことがなければ、北海道の夏の昼の長さも、冬の昼の短さも、理解できない。
かくいう私も、東京・九州・北陸で生活したことがあるが、北海道の気候・風土は理解の範囲を超えていた。以前にもこのブログで書いたと思うが、1年の北海道暮らしでの自分なりの理解は「北海道は日本の一部だが、気候・風土は別の国と考えるべきだ」ということである。

同じ日本の中の北海道でさえ、暮らしてみて初めて実感することばかりであるとすれば、まして、イスラエル・レバノン紛争をはじめ、外国の国々の事情などそう簡単に理解できるものではないのだろうと、当たり前のことをふと思った。

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2006年7月19日 (水)

本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』

5月の初めに、このブログで、『働くひとのためのキャリア・デザイン』(金井壽宏著、PHP新書)の紹介をしたが、その中で、取り上げられ、大きく影響を与えたと思われる著作が『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)である。

読みたいと思っていろいろな書店に行くたびに探していたのだが、ほとんど書店に在庫がなく、唯一、新宿の紀伊国屋本店だけ、上下2冊組の上巻だけ置いてあった。しかし、新刊コーナーにあるものの本自体が汚かったし、上下揃わなければ意味がないと、その時は買わずじまいだった。

その後も、見つからないので、半ばあきらめていたところ、6月下旬に掘り出し物が見つかる白金高輪の古書店に寄った時に、ひょっとしたらと探したところ、若干、ページが折られたりしているところはあるものの、新刊並に状態の良い上下2冊組を発見。価格も新刊で買えば上下2冊で2100円のところ、1102円とほぼ半額の値付けに、文句はなく、即購入した。
その時点で、少し読みかけたが、その後「ゲド戦記」シリーズを買って読み始めたので、「ゲド戦記」が終わるまで、小休止していたが、ほぼ1ヵ月ぶりに読み始めた。

読み物というよりは、心理学の報告書のような内容で、1968年から1971年にかけて米国エール大学で、当時40代の男性40人への面接調査をもとにして書かれたもので、人の成長は、少年期から青年期で終わるのではなく、成人して以降も、いくつかの節目を経ながら、成長が続いているという仮説を提示したものだ。
中でも、17才から45才までを大きく成人前期、40才から65才までを中年期とし、両方が重なる40才から45才までを中年期への過渡期ととらえ、17才から22才までの成人への過渡期と並んで、人生の転換期ととらえている。
現在では、生涯発達心理学という分野として研究が進められおり、本書自身は既に、この分野の古典とも呼べる存在のようだ。

久々に、ブログのテーマに沿った本格的な著作に挑戦だ。聞きかじり、読みかじりの自分にどこまで、解き明かせるかわからないが、自ら生きて来た45年とも照らしあわせながら読み、良い表現やフレーズがあれば、おいおい紹介していきたい。

年齢的には、そろそろ、中年期への過渡期が終わり、安定した中年期を迎えてもいい頃なのだが、相変わらず、のたうち回っているような気がする。著者レビンソンによれば、各期の始まりや終わりは、標準で示されたものに対して、前後2年程度の違いはあるようなので、まだ、しばらくのたうち回るのかもしれない。

*追記(2006年8月30日)
タイトルを当初の「本格派に挑戦」から「本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月 2日 (日)

「カード」から「ケータイ」へ

最近のクレジットカードやキャッシュカードを見ると、カードに金色の金属チップが埋め込んである。ICチップだ。ICチップが埋め込まれたカードがICカードである。
最近、必要に迫られて、この世界の技術について勉強したが、数年前まで、開発段階だったものが、ここ1、2年で一気に実用段階に入り、我々の身の回りに登場してきている。

カードに埋め込まれている金色のICチップは接触型ICチップ。非接触型ICチップというのもあって、これは、電子マネーのJRのSuicaカードやEdyなどに使われていて、表面からは見えない。接触型も、非接触型も基本的な構造は同じで、計算処理等を行うCPU(演算装置)とデータやアプリケーションソフトを搭載するメモリー部分に分かれていている。電源はATMやカードリーダーなど外部から供給を受け、ATMやカードリーダーとの間で情報をやりとりし、いわば小さなコンピューターとして働く。(参考記事:知っておきたいICカードのタイプと使われ方

接触型の金色のICチップが搭載されたカードは、従来のキャッシュカードやクレジットカードの磁気ストライプ部分に記録されていた暗唱番号のデータをICチップのメモリー部分に記憶し、さらに自ら持つCPUと残ったメモリーをどう活用するかという課題はあるものの、基本的には従来のカードの延長線上にある商品・サービスだと思う。
現在、カードの世界では、ICチップの登場により多機能化が一気に進み始めている。銀行のキャッシュカードとクレジットカード機能の一体化、クレジットカードと電子マネー機能の一体化、ひいてはキャッシュカード・クレジットカード・電子マネー機能が一枚のカードに納められたカードも登場している。まさしく、カードにおける「all-in-one」である。

一方、非接触型ICチップが登場したことにより、これまでプラスチックカードの存在を前提にしていた商品・サービスが、カードというインフラから離れることが可能になった。その代表が、携帯電話を利用した「おさいふケータイ」である。SuicaやEdyのアプリケーションソフトが携帯電話の非接触ICチップにダウンロードされれば、そのまま使える。さらに、NTTドコモでは、DCMXという独自のクレジットブランドを立ち上げた。携帯電話がクレジットカードの機能も兼ね備えることになる。(DCMXは、カードも発行するようではあるが…)

これまでは、サラリーマンが、必ず持ち歩くものといえば、通勤電車の定期券、銀行のキャッシュカード、この10年ほどで、そこに携帯電話が加わった。(クレジットカードは、持ち歩いてはいるが、なくても何とかなる)

そして、ICチップの登場により、それらの日常携行品が様々なサービスを加えてきたが、金融と交通は融合し、1枚のいずれカードで用が足りるようになるだろう。さらに、その複合カードの機能を携帯電話が全て吸収することになるのか、しばらくは企業間の合従連衡、陣取り合戦が繰り広げられるだろう。

今のところ、非接触ICチップのメモリー容量の問題で、全てのサービスを携帯電話に取り込むことは難しいようだが、技術的には解決可能な問題だろう。

キャッシュカード、クレジットカード、電子マネー、定期券の全ての機能を取り込んだ携帯電話ができれば、持ち歩くものが減って便利にはなると思うが、携帯を忘れたり、なくしたりすると何もできなくなるリスクも抱えることになる。最後は、何を選ぶかは利用者次第になるとは思うが、しばらくはこの世界から目が離せない。

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2006年6月25日 (日)

ステップ・アップ

先週の金曜日に郵便が届いた。待っていた資格の認定書だ。資格は「金融内部監査士補」。
4月の7日13日のこのブログの記事にも書いたが、本来、9月末が最終提出期限だった7回分の通信教育の添削課題を第1回を3月末に提出してから、集中してやって、4月半ばには、7回分を出し終わった。ゴールデン・ウィーク明けには、最終回の添削課題の採点結果が返却され、5月下旬に通信教育の修了証が届いた。そこから、改めて、日本内部監査協会というところに、5250円を支払って資格申請を行い、協会から認定書が届いた。通信教育を実施している会社と、資格認定の協会が別ということもあり、時間がかかってしまった。
「監査士補」の資格を取ると、「金融内部監査士」試験の受験資格が得られる。次は10月にある「監査士」試験の申込だ。さらにその勢いで、国際資格の試験も受験するつもりでいる。

米国でのエンロンやワールドコムの会計不正事件が頻発したこと、日本でもカネボウやライブドアの不正事件、それをチェックできなかった監査法人と、なるべく多くのい利益を上げ、株価を上げ、株主価値を極大化するということも、行きすぎると一線を踏み越え、ルール違反、不正、犯罪に繋がる。なんとか、組織の中にあって、それをチェックするのが、内部監査の役目。これまでは、あまり重んじられていなかったが、米国でも法規制が強化され、日本でも同様の規制強化が議論されている。日本の法整備が実現する数年後には、さらに重要度が増すと思うので、いまのうちに勉強して、とれる資格は取っておこうと思う。その第一歩が、ようやく終了。次に向けてステップ・アップだ。ブログで、合格報告ができるよう頑張らなくては…。

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2006年6月14日 (水)

桜島の噴火

桜島が噴火しているらしい。12日(月)に福岡管区気象台と鹿児島地方気象台の連名で2000年10月以来の臨時火山情報が次の通り発表された(見出し部分のみ)。

桜島の昭和火口付近の噴火活動が活発化しており、今後、従来の南岳山頂火 口で発生していた噴火と同じような噴火が発生する可能性が高くなっていま す。 南岳山頂火口に加え、昭和火口付近での新たな火口の噴火活動に注意してく ださい。 <火山活動度レベルを2から3に引き上げました。>

鹿児島を訪ねれば、市内の至るところから錦江湾に浮かぶ桜島の雄姿を、眺めることができ、貴重な観光資源になっている一方で、地元の人達にとっては、厄介ものでもある。
私が就職直後の勤務は、地元でもある福岡にある支店。九州一円を担当する支店だった。3年目に、熊本・鹿児島を担当することになった。月に2回ほど出張がある。
私は、通常の場合は、1泊2日の行程を組んでいた。初日早朝、博多駅からJR九州の特急に乗車、朝9時に熊本に入り、1日熊本市内を回る。夕方5時過ぎに再びJRの特急に乗り、8時過ぎに鹿児島に入り、宿泊。翌朝一番から鹿児島市内を回り、1日取引先を回った後、今度は、市内から高速バスで1時間ほどかけて鹿児島空港に向かい、飛行機で福岡空港に戻るという行程だった。

鹿児島で、今ぐらいの時期から夏場にかけて悩まされたのが、桜島の灰(=火山灰)だった。桜島にも、活動が活発な時期と穏やかな時期があり、一定の周期でそれを繰り返している。私が中学2年の修学旅行で鹿児島を訪ねた時は、灰など全然降っていなかったのに、仕事で通った1985年~86年の頃は、活動期だったらしい。

ある時など、桜島の火口から噴煙が上がったと思うと、みるみるうちに、鹿児島市内の方に噴煙が流れてきて、10分もしないうちに、バラバラと灰が降ってきた。普段、身の回りで目にする灰というよりは、褐色の砂という感じである。激しい時は、それが、雨のように頭の上から降ってくるのだ。砂場の砂よりも、少し油っぽい感触で、髪の毛や顔につくと、べとついて気持ちが悪い。厄介なことに、雪とは違って溶けないので、溜まる一方である。勿論、灰を吸い上げる清掃車が掃除をして回るのだが、全部の灰を吸い取ることは不可能で、残った灰は、建物や道路の隅や角の凹んだところに溜まっていく。風が強いと、頭の上から今噴火している灰が降ってきて、下から街中のあちこちに溜まっていた灰が、風で巻き上げられるという上と下からの灰攻撃を受ける時もある。

活動の周期のほか、風向きもにも影響されていて、夏場に鹿児島市内に灰が降るのは、東の大隅半島側から薩摩半島側の鹿児島方面に向けて風が吹くかららしい。冬場になると、今度は風が西から東へと吹くので、鹿児島市内は灰の被害から免れるらしい(その分、冬は大隅半島側の人々が苦労されているのだろう。)

臨時火山情報まで出されたということは、これからしばらくは活動期に入ると言うことだろう。夏場に、鹿児島に行く予定のある方は、念のため、灰よけとして、折りたたみ傘を1本鞄にいれておくことをお勧めする。

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2006年6月 1日 (木)

リーダーとマネージャー(2)

前回、『最高のリーダー、マネージャーがいつも考えているたったひとつのこと』(マーカス・バッキンガム著、日本経済新聞社)で書かれたリーダーシップとマネージメントについて書いたが、その後に読み始めた『人が育つ会社をつくる』(高橋俊介著、日本経済新聞社)の中で、著者の次のような言葉に出くわした。

私はマネジメントというのは、部下を使って課題を達成する能力であり、これに対しリーダーシップというのは、部下ではない、つまり命令権限がない人を説得し、納得させ、協力を仰がなければ絶対に実現できない課題を達成する能力であると定義している。(同書、202ページ)

その前後の説明の中で、「日本の大手企業のマネージャークラスのマネジメント能力は高いが、自分の部下でない人を動かすことは不得意なことが多く、そういう人が部門長などのポストに就くと、部下を使って解決できることしかやらず、他部門と関わるような問題は権限がないとできないと放置してしまい、部門最適のタコツボ型組織、ムラ組織になってしまう。そのような事態を避けるためには、若いうちから、部門横断的な仕事をする場を与え、他部門の仕事を理解し、新たなネットワーク(人のつながり)を構築し、課題を乗り越えることで、個人として成長し、リーダーシップ能力を身につけることにつながる」という主旨のことを述べている。

個人的には、前回書いたマーカス・バッキンガムのリーダーシップ論の方が好きだが、実際の組織の中で、リーダーの立場で成果を上げるとなると、上に引用したように、自分の部下でない人をいかに動かせるかにかかってくるのだと思う。

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2006年5月30日 (火)

リーダーとマネージャー

昨日、紹介した『これが答えだ!』は、マネージャー論としては、よくできていると思うし、より多くの管理職の人々に読んで欲しい内容だと思うのだけれど、あまりにもネーミングが直截過ぎて、却って何の本か伝わらなかったのか、あまり売れていないようだ。

今年に入って、このギャラップ社のスタッフのシリーズに連なる著作として、『最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと』(マーカス・バッキンガム著、日本経済新聞社)が出版された。著者は、以前紹介した『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』の共著者のひとりで、その後ギャラップ社から独立し、現在はフリーのコンサルタント兼作家と紹介されている。こちらは、そのタイトルにリーダーやマネージャーの人たちがつい手を伸ばしたくなってしまうこと、黄色い表紙に紺色の文字という目立つ色合いも手伝ってか、版を重ねているようだ。

著者はこれまで、主にマネージャーに焦点をあてて論じてきたが、今回はマネージャーとリーダーと区別して論じたところに新鮮さがあると思う。日本でも、マネージメントとリーダーシップは、意識して区別して論じられることは少なく、私自身あまり深く考えたこともなかった。

以下、本のカバーの折り返しに書かれているエッセンスだけ紹介すると以下の通りだ。

すぐれたマネージャーは「部下一人ひとりの個性」に注目する。
部下を型にはめて作りかえようとするのではなく、それぞれの個性が活かせるように、彼らの役割や責任の方を作りかえる。

すぐれたリーダーは「部下たちに共通する不安」に注目する。
いまどこに向かっているのかを明確にすることで、皆が抱く未来への不安を取り除く。顧客は誰か、強みは何か、尺度は何か、今すぐとれる行動は何かを明らかにすることだけに専念する。

マネージャーについては著者やギャラップ社のスタッフがこれまで語ってきたことだが、リーダーについては、確かに「なるほど、そうだな」と納得する部分が多い。特に、混沌として将来が不透明な不安な時代だからこそ、トップに立つリーダーには、自分たちは、かくかくしかじかの理由で、こちらの方向へ向かって進むのだという方向性を示して欲しいと思う。トップが、不安げでは、ついていく多くの部下も不安になってしまう。

さらに、本書では、日本版のタイトルからは省かれてしまったが、継続的な成功を手にするために個人が考えるべき「たったひとつのこと」も語られている。(長くなるので、この記事では割愛する)

「厄年とは役年だ」とも言われるように、リーダーシップやマネージメントは、社会に出て中年世代になれば、いやでも意識せざるを得ない。そのような悩み多き時期に、多少の光明を示してくれる本だと思う。

関連記事:リーダーとマネージャー(2)

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2006年5月29日 (月)

働きやすい職場とは?

私の妻は、1年半ほど前からパートに出ている。職場は福祉関係だが、話を聞いているとどうも、上司とうまくいっていないらしい。上司と部下の間に、信頼関係は全くなさそうだ。

これまで、何度か転勤し、官庁へも出向し、会社が合併し職場の人間関係も大きくかわった。リーダーとか、課長という名の管理職の仕事もした。「マネージメント」ってどうやればうまくいくのか、どうすれば配下の人たちが生き生きと働いてくれるのか?自問自答、試行錯誤の毎日だった。そんな目から見ると、妻の職場の上司は、まったく、真面目に「マネージメント」について考えたことがあるのかと言いたくなる。

以前、米国の世論調査会社ギャラップ社の「ストレングス・ファインダー」の話を書いたが、そのギャラップ社のスタッフが書いたマネージャー論に『これが答えだ!(原題:FOLLOW THIS PATH)』(カート・コフマン&ゲイブリエル・ゴンザレス=モリーナ著、日本経済新聞社)という本がある。サブタイトルには「部下の潜在力を引き出す12の質問」とある。

これが答えだ!-部下の潜在力を引き出す12の質問

本のカバーの折り返しには「1000万人の顧客、300万人の従業員、20万人のマネージャーを対象とした調査から、生産性の高い組織とそうでない組織のちがいが明らかになった。それが<Q12>と呼ばれる12の質問だ。これら12の条件が満たされれば、マネージャーは必ず生産的な職場を生み出すことができる!」とまで書かれている。

その12の質問は以下の通りだ。

1.職場で自分が何を期待されているのかを知っている
2.仕事をうまくおこなうための必要な材料や道具を与えられている
3.職場でもっとも得意なことをする機会を毎日与えられている
4.この7日間のうちに、よい仕事をしたと認められたり、褒められたりした
5.上司または職場の誰かが、自分をひとりの人間として気にかけてくれているようだ
6.職場の誰かが自分の成長を促してくれる
7.職場で自分の意見が尊重されるようだ
8.会社の使命や目的が、自分の仕事は重要だと感じさせてくれる
9.職場の同僚が真剣に質の高い仕事をしようとしている
10.職場には親友がいる
11.この6ヵ月のうちに、職場の誰かが自分の進歩について話してくれた
12.この1年のうちに、仕事について学び、成長する機会があった

この12の質問は、「ストレングス・ファインダー」とも密接に関連しており、「ストレングス・ファインダー」で明らかになった個々人の強みを認識した上で、メンバーそれぞれに得意なことをやってもらおうということだ。

マネージャーは、ひとりひとりのメンバーに関心を持ち、その成長・気づきのためには何ができるのか、常に考え行動することが求められているのだと思う。

私は、今はマネージャーの立場ではないが、職場では、周囲の人たちには、それとなく声をかけるようにはしている。信頼関係が築かれたチームの中で、それぞれのメンバーが真剣に質の高い仕事をしようとすれば、それは自然とチーム内に適度な緊張感を生み、1人ひとりが孤立無援で仕事をしている時より、数倍のエネルギーを発揮すると思う。もし、また、マネージャーの立場にことがあれば、この12の質問を活かして、メンバーと関わっていきたい。

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2006年5月25日 (木)

恩師の背中

一昨日の夜、この1ヵ月ほど準備を続けてきた、高校の同窓会が無事終わった。今回の会の趣旨は、我々が入学した時、教員2年目で、我々の学年を初めて担任として受け持ち、また数学の担当教諭として3年間、教壇から我が学年450人の生徒を見守り、送り出してくれた兄貴分のようだったN先生が、昨年春の地元のとある県立高校の校長に就任、さらに今春には、県下一と言われる進学校の校長に就任したことをお祝いをしようと、先生が上京する機会を捉え企画したものだ。

東京近郊を中心に生徒23名が集まり、先生も含め24名の盛会だった。地元の同級生の中では、「母校の校長になったわけでもないのに、どうして東京では、そんなに騒ぐの?」という声もあったらしい。

確かに言われてみればそうかも知れないが、訪ねて行けばいつでも会える地元の人達とは違い、故郷を離れて都会暮らしをしている身にとっては、先生は、自分たちの故郷・自分たちの青春を象徴する存在なのではないか。だから、まず、先生に会う・会えるということが、自分の原点に立ち返る貴重な機会なのだと思う。

もう一つ、今回思ったのは、この混沌とした先の見えない時代の中で、自分の信念を揺るがすことなく教員という仕事を地道に真面目に続け「功なり名を遂げた」だけでなく、家庭にあっては、夫として3人の子の親として暖かい家庭を築き、立派に子育てをされているその姿は、ほぼ10歳年下の我々にとって、仕事でも家庭でも、いつもその背中を追いかける存在なのではないかということである。私のブログのテーマからすれば、中年クライシスを乗り越えた存在と言えるかも知れない。

かつては、職場にも部下に背中で語る上司がいた。将来、こういう風になりたい、なれたらいいなと思わせる、目標とする尊敬できる上司や先輩がいた。しかし、この失われた10年・15年の間に、そういう上司や先輩はほとんどいなくなってしまった。

そんな中「人は何のために生きるのか?」と問いかけ、自分自身では「自分自身の生き甲斐」「社会への貢献」そして「次の世代への継承」と答えるという先生の存在は、我々にとっては、恩師であるとともに、身近にいて背中を追いかけることが出来る(でも多分簡単には追いつけない)数少ない人生の先輩なのだと思う。
N先生、これからもよろしくお願いします。

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2006年5月20日 (土)

「今日も生涯の一日なり」

最近出版されたばかりの『通勤電車で寝てはいけない!』(久恒啓一著、三笠書房)を読み終わった。

著者は、かつては日本航空(JAL)に勤め、その後新設の宮城大学に転じ、2002年に出版した、図解で考えることのノウハウを公開した『図で考える人は仕事ができる』(日本経済新聞社)がベストセラーになった。九州は大分・中津の出身だ。
私も、高校の頃、世界史の地域や国の歴史の流れをつかむのに、過去から現在までの王朝や支配者の変遷をフローチャートにしてみたり、調査関係の仕事をしていた時は、調べたことの因果関係を明らかにしようと図解を利用していたので、同書で紹介されていたセコムの飯田会長の、方眼紙を使って自分の考えを整理する手法は、さっそくマネさせてもらって今日に至っている。

今回の『通勤電車で寝てはいけない!』に書かれた内容は、従来から著者がいろいろなところで書いていた、早朝の活用、目標を持って計画的に人生を送るといったことを改めて整理して、再編集したという内容だ。

今回読んで、今の自分に最もぴったりきた部分は、「目標を常に「意識」する」、「先を見ながら「いま」行動」というところだ。目の前のことでなく、10年後、15年後の目標を見据えて、一日一日を過ごす。今の自分は過去の結果であり、今の自分の行動の積み重ねが将来に繋がっていく。その中で、取り上げられているのが、今日のブログのタイトルに掲げた「今日も生涯の一日なり」という福沢諭吉の言葉である。

生涯とは「人の人生」のことだが、「生涯」の”涯”とは”果て”、”断崖”のことである。いまこの日まで生きてきたが、明日はわからない。今日の先は、”断崖絶壁 ”である。人の命には限りがあり、落ちていく日まで、つねに崖っぷちで生き続けていく。それが「生涯」なのである。そう考えると、「今日も生涯の一日なり」に込められた意味がより理解できるはずだ。(『通勤電車で寝てはいけない!』104ページ)

この一日を、生涯の一日と考えながら大切に過ごしつつ、将来の目標に向け、一日一日を積み重ねていく。そして、目標に一歩ずつ近づいていく。それが、いまの自分に必要なことだろう。さっそく、自分の座右の銘に加えさせてもらった。

ちなみに、この言葉は、著者のブログのタイトルとしても使われている。

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2006年5月13日 (土)

周防監督が書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」

先週6日の土曜日、本家『shall we ダンス?』を見た後、翌日7日の日曜日にはさっそくハリウッド・リメイク版の『shall we dance?』を見て、このブログの新規投稿ページで、日米版の違いをテーマにいろいろ書いてほぼ完成、念のため、ハリウッド版を解説しているホーム・ページで、役名を確認してとうっかり検索したら、ページが替わってしまい、「しまった」と思った時にはすでに遅く、保存していなかったため、1時間近くかけて書いた文章は、きれいさっぱり消えてなくなっていた。仕事でもたまにあるが、気合いを入れて書いていただけに虚脱感も大きく、夜も遅かったので、そのまま寝てしまった。

一度、興味を持つと納得するまで、追究したい癖があり、月曜日には、書店で周防正行監督が日本版の米国での公開のため米国全土をキャンペーンで回った時のことを書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」(文春文庫)を見つけ、3日ほどで読んだ。

私は、この映画を中年クライシスをテーマにした映画ということで見たが、監督自身は最初から中年クライシスという視点で描いた訳ではなく、それは世代に関わらず、自分の現状に不安や不満があって、ふっと立ち止まって考える人の象徴として、その頃日本で一番元気のなかった中年を取り上げ、彼らを元気づけたいということだったようだ。中年クライシス(ミドル・エイジ・クライシス)を描いた映画という評価は、米国に行って初めて言われたらしい。

この本は、米国各地でのキャンペーンの記録のために書かれたものだが、最初にそもそも、何故、米国で日本版を公開することになったのか?米国での公開のため、上映時間を2時間以内にすることが求められ、不本意ながら日本での公開版から約20分をカットすることになり、どの場面をカットしたのかなどが、詳細に書かれている。

そこには、映画全体への監督の思い、個々の場面作りでの監督の意図が語られていて、「そうだよね、自分もそう感じた」という部分と「そこまで考えていたのか、気がつかなかった」という部分、また時には「あの場面で、これを感じろというのはちょっと難しいのでは」ところもあり、映画を思い出しながら、一方、同じ場面がリメイク版でどう表現されていたかということも考えながら読むと、なかなかおもしろかった。

1回書きかけて消えてしまった、本家とリメイク版の比較は、また稿を改めて書くことにする。

「Shall we ダンス?」関連の記事はこちら
5月6日:「Shall we ダンス?」を見る
5月13日:周防監督が書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」(本編)
6月5日:ハリウッド・リメイク版「shall we dance?」と日本の「shall we ダンス?」の違い
6月6日:リメイク版「Shall we dance?」が描こうとしたもの

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2006年5月 6日 (土)

「Shall we ダンス?」を見る

中年クライシスを、自分のブログのテーマに掲げていることもあり、「中年クライシス」をグーグルで検索したことがあった。その時、前原政之さんというフリーライターの方が書かれている「mm(ミリメートル)」というタイトルのブログの中の「『アメリカン・ビューティー』と中年クライシス」という記事に出会った。

その中で、「Shall we ダンス?」について

『Shall we ダンス?』の主人公(役所広司)は、ダンス教室の美しい教師に好意を抱き、社交ダンスに熱中することを通じて、中年クライシスを乗り越え蘇生する。

と書かれていたので、前から関心はある映画だったが、改めて見てみようという気になって、先週、レンタルビデオ店でDVDを借りてきて、今日ようやく見た。

たしかに、これは、中年サラリーマンの停滞と蘇生の物語だ。役所広司演じる主人公杉山は、ボタンメーカーの経理課長。28歳で結婚し、娘が1人。40代になって、郊外に念願のマイホームを手に入れた。しかし、マイホームのローンを返すために、更に頑張ろうという気になかなかなれない毎日の中、帰りの電車の中から見た、ダンス教室の窓に映る寂しげな美女に惹かれ、ダンス教室の門を叩く。窓の外を、寂しげに眺めていたダンス教室の講師舞先生(草刈民代)も、競技ダンスでのある事件が原因で傷つき、癒しと再生が必要だった。

物語は2人を軸に進んで行くが、いわくありげなダンス教室の生徒仲間たち(渡辺えり子、竹中直人等)のダンスへの思い、主人公杉山の妻(原日出子)や娘の夫・父を見るまなざし、そして、少し離れたところからこの人間模様を眺めていたダンス教室の年配のたま子先生の絶妙の舞台回し。

軽妙にコメディタッチに描かれており、一般的な映画の解説では、この映画はラブコメディに分類されるようだ。しかし、描かれた主題は深淵である。社交ダンスは、男女がペアで踊るものだ。映画の終盤、舞先生は杉山に当てた手紙の中で、自分に欠けていたものはパートーナーに対する「信頼」だったと語る。

周防正行監督が、ダンスという素材を通して本当に描こうとしたものは、夫婦のあり方だったのではないのか?という気がした。(さらに、場外の話題として、周防監督と主演女優の草刈民代が、この撮影終了後に結婚したというオチがついている)

1996年の公開で、その年の日本アカデミー賞を総なめにした名作だ。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の解説はここ

当時、まさに中年を迎えて、転機にあった団塊の世代の心をつかんだことが、大ヒットの要因だろう。この作品は海外でも、高く評価され、ハリウッドで、リチャード・ギア主演でリメイクされた。おそらく、中年の危機(ミドル・エイジ・クライシス)は、世界にも通じる課題なのだろう。極めて典型的な日本のサラリーマンを描いたローカルな作品が、普遍的なテーマを描き切ったと言えるだろう。

「Shall we ダンス?」関連の記事はこちら
5月6日:「Shall we ダンス?」を見る(本編)
5月13日:周防監督が書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」
6月5日:ハリウッド・リメイク版「shall we dance?」と日本の「shall we ダンス?」の違い
6月6日:リメイク版「Shall we dance?」が描こうとしたもの

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2006年5月 2日 (火)

自分のためのキャリア・デザインを考える

昨日、5月1日は、夏のような陽気と思ったら、今日2日は一気に気温が10度ほど下がり、体の方がついて行けない。明日からのGWの5連休で、体調を整えたい。

昨日、『働くひとのためのキャリア・デザイン』(金井壽広著、PHP新書)という本を読み終わった。最近の新刊というわけでもなく、2002年1月の発行で、もう4年以上経っている。
今週、仕事帰りに、書店に立ち寄った時、別の本を選んだ後、見るとはなしの新書のコーナーをふらふらしていたら、表紙を表に平積みしてあったタイトルが目に入り手にとった。

いつも思うが、本との巡り会いは不思議なもので、発行されてから、多分何度かタイトルくらいどこかの書店で見かけたと思うし、行きつけの書店の新書のコーナーも、何回も見ているのに、今週、初めて、そのタイトルを意識したのだ。
人生や仕事について、この1年くらい、自分がずっと考えてきたことが、すでに学問としてそれなりに研究されていたことを知った。

自分なりの解釈で、この本の内容をまとめれば、人生や仕事には、何年かに一度『節目』があること。特に、その中でも、キャリアという点では学生から社会人となる『就職』の時期と40代の『ミドル』の時期が、大きな節目であること。節目の時期には、一つ時期の『終焉』と一つの時期の『開始』があるが、その間に『中立圏』と呼ばれる混乱・苦悩の時期があり、その『中立圏』での終焉から開始へのつなぎがうまくいかないと、開始された次の時期が安定しないこと。

例えば、『就職』は、学生時代の終焉であり、社会人の開始であるが、その間の中立圏で、自分は何がしたいのか、どんな仕事が向いているのか、よく考えるということだ。

著者は、常時、自分が何がしたいのか、何が向いているのかを考えている必要はないが、『節目』の時期には、これまでの人生や仕事を振り返り、今後の人生や仕事の大まかな方向性や方針を立てて、次の時期に臨むべきだと言っている。そうしないと、ただ、流されるだけに終わってしまう。一方、節目で考えて、方向性が出されていれば、次の節目が来るまでは、むしろ、偶然や新たな出会いも、受け入れる余裕を持った方が、キャリアが豊かになるとも言っている。

ミドルの時期も、人生や仕事の上で、大きな転機・節目である。自分を振り返っても、40歳になって以降のこの5年間が、まさに中立圏の時期だったような気がする。個人としての節目に加え、長引く不況という時代の節目、時代の流れに翻弄された形での合併という職場の枠組みの変化という組織の節目という3つの節目が同時に重なり、時代の混乱、組織の混乱が個人の混乱に輪をかけていた。

最近、自分なりに将来に向けた目標もでき、ようやく、混乱状態からの脱出が見えてきた気がする。個人としての、そうした時期に、この本に巡り会ったことも、単なる偶然とは思えない。今後も、常に座右に置き、行き詰まった時、壁にぶちあった時、開いて読み返したい。

関連記事
7月19日:
本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年4月 9日 (日)

我らの世代論~すべては努力と実力次第?

最近、世代論について考えている。
団塊の世代の人々の定年退職を間近に控えていること、バブル経済崩壊後の長い不況にも、そろそろ終わりが見えてきたこともあって、団塊世代とバブル経済を座標軸に、世代論が語られることが多いようだ。

1960(昭和35)年に生まれ、1983(昭和58)年に社会人となった自分は、どういう世代に属すると考えるべきなのか、団塊の世代と、団塊ジュニア世代の狭間にあって、どんな特徴があるのか、いつも考えているがなかなかうまく整理しきれていない。

先日、読んだ70年代生まれの団塊ジュニア世代について書かれた『貧乏クジ世代』の中で、著者の精神科医の香山リカ女史(1960年生まれ)は、自分たちの世代について、次のように書いている。

私たちの世代では、偏差値が成績評価に導入されたり、大学入試センター試験の前身である共通一次試験が始まったり、徹底的に「すべてはあなたの努力と実力次第」という価値観を植えつけられた。「勝っても負けても自分のせい」だ。

この本では、団塊の世代は「勝てば自分の実力、負ければ社会のせい」と自己肯定感が強く、私たちの世代より少し下の世代は、バブルの盛りに社会に出たので「なんでもうまくいく」という根拠のない自己肯定感をもち、分析対象の70年代生まれの団塊ジュニアは「勝てばまぐれ、負ければ自分のせい」と自信が持てないと分析している。

自分の上下の世代のあり方、行動パターンについては、もう少し考えて整理してみようと思っているが、我らの世代についての「すべて、努力と実力次第。勝っても、負けても自分のせい」という主張には、同じ時代・同じ時間を生きてきた者として、『なるほど、そう言われればそうかも知れない』とものすごく納得してしまった。

私は、世代の特徴を形成する要素は、①親が子供に対してどういう教育をしたか、②本人が社会人になった後の数年間がどういう経済状況であり、そこで何を学んだかの2つだと考えている。①の親の教育の影響は言うまでもないが、②は言わば、新人時代にどういう社会人教育を受けたかということである。おそらく、入社後3年間くらいで、その人の社会人としての思考パターンの基礎は固まり、その後の行動に影響を与えると考えている。

不景気な時代に社会人生活をスタートさせた世代は、若い時から、厳しい現実を見聞きして、自ずと堅実な行動パターンになると思うし、逆に好景気からスタートすると、一番、考えなくてはいけない時期に、深く考えなくても物事がうまくいってしまうので、よく言えば楽天的、悪く言えば脇が甘い社会人になってしまう。ここでも、「三つ子の魂百まで」ということ言えるのではないだろうか。

我らの世代が社会人になったのは、大学卒であれば昭和58年、59年が中心であり、日本経済はオイルショック後の総需要抑制策による不況からようやく立ち直りの兆しが見え始めた頃だった。バブル景気が始まるまでには、まだ数年かかった。可もなく、不可もないニュートラルな時期だったと思う。
結果として、社会人になったからといって、従来の価値観が大きく変わることはなかった。「すべては、努力と実力次第。勝っても、負けても自分のせい」という学生時代からの価値観で、その後の社会人生活も過ごしてきたような気がする。

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2006年4月 7日 (金)

通信教育

4月1日に、受験の季節を迎える2人の娘に、その自覚をもってもらうという思いもあり、原宿まで連れ出して、食事をし、それなりの話もしたのだが、私も思うところあって、仕事の関係で始めた通信教育を真面目にやることにした。

今、受けている通信教育は、一応7回分教材があって、3月からの受講開始で、月1回提出のスケジュールなので、そのスケジュール通りやれば、9月末が最終期限だ。幸か不幸か、7回分の教材が最初にまとめて送られてきているので、その気になれば、どんどん進められる。
3月末に、1回めを提出した後、残り6回分を4月半ばまでに終えると目標を立て、今週、はじめに第2回を提出。昨晩、第3回を仕上げ、第4回に取りかかった。第4回は、今日中に仕上げ、土日はなんとか1日で1回分を仕上げ、来週前半に第7回まで終えてしまおうと考えている。勉強に時間を取られる分、ブログを書く時間が減っているが、仕方ない。

今受けている通信教育は、7回分を締め切りまでに提出し、60%以上の正答率だと、「○○士補」という資格が認定される。さらに、これを主催する協会の試験を受けて合格すると補が取れて「○○士」という資格になるようだ。
その上には世界共通の上位資格があって、こちらは4科目の試験が、年2回、5月と11月にある。現在の最終目標は、11月の試験に合格し、国際資格まで取得することだ。

娘たちにも、父も、今年は受験生だと宣言した。今年は、家族で勉強する1年にしたい。

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2006年3月27日 (月)

人事評価の季節、自分の強みって何?

私の勤める会社では、3月は人事評価の季節だ。期初の10月にたてた下半期の目標の達成度合いを申告するのに加え、人事評価シートなるものに、自分の強みとそれを活かして実現した成果を書いて提出し、上司が、コメントを加え、人事部に提出し、それをもとに、7月に今後1年の昇格・昇給が決まる。どこの会社も多分似たようなものだろう。今の会社の評価シートは、合併前の会社のものよりは、個人の能力・強みとふさわしい仕事・業務の関係がうまく整理されていて、様式としては優れていると思う。あとは、運用の問題だろう。

米国に世論調査で有名な会社でギャラップという会社がある。ギャラップでは、世論調査の他に、コンサルティングもやっていて、長年にわたるコンサルティング業務の過程で、200万人にインタビューを行い、そこから人の才能・資質を34の行動パターンに分類している。ギャラップの考え方は、「三つ子の魂、百まで」に近く、人は生まれ育った生活環境などで15歳くらいまでにほぼ行動パターンは固まって、以後あまり変化しない。だから、企業が社員の短所を矯正するために研修等でいくら時間をかけても無駄で、長所・強みを理解し、それを活かし、より伸ばすことに注力した方が、効果があるとしている。

ギャラップでは、34の才能・資質のうち、それぞれの人の強み上位5つを提示する ストレングス・ファインダー>という手法を開発した。インターネット上の質問サイトで、30分ほど次々と示される質問にYES、NOで答えていくと、質問終了後に5つの強みを提示してくれる。関心のある方は、いずれも日本経済新聞社から出版されている『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』『あなたのなかにあるセールスの才能』 のどちらかを買われると、表紙カバーの裏に、1冊づつ別々のアクセスIDが付いていて、ギャラップのホーム・ページからストレングス・ファインダーにアクセスできる。(だたし、一つのIDで1回だけだ)

本を買い、私も試してみたが、原点思考、最上志向、運命思考、収集心、内省(それぞれの意味はプロフィールページに詳述)というのが5つの強みだった。なかなか、よく自分の強みをとらえていると思ったので、もう1冊買って、妻にもやってもらった。彼女の強みは全く違っていて、適応性、共感性、回復志向、ポジティブ、成長促進だった。
私もこれを知ってからは、改めて自分が分かった気がして、よくも悪くも、自分は自分と思えるようになったし、妻も、あらためて自分について考えるようになったようだ。この春から、高3になる長女にも、そろそろやらせてみてもいい頃かなとも考えている。

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2006年3月26日 (日)

ブログ1ヶ月、ブログは信用創造装置

2月26日にブログを始めて、ちょうど1ヶ月がたった。その間に、書いた記事が27本。ほぼ、1日に1本のペースだ。自分には、毎日書くことを課しているが、やはり、うまく話がまとめられずに書かずじまいの日もあるし、書いても自分でも文章の切れが悪いという日もある。始めるのは、簡単だが、続けるのは難しいと改めて感じる。

アクセス解析といって、何時頃、どういう経路で自分のブログにアクセスがあったかということも分かるようになっていて、自分が記事の確認で、アクセスした以外にも、1日10件から20件程度のアクセスをしていただいているようなので、読んでもらっているということを意識しながら、これからも書いていきたい。

読む側からすると、どれくらいの長さが一番読みやすいのだろうと考えて、自分の書いたものを読み直すと、おそらく800字ぐらいではないかと思っている。1行に40字表示されるので、20行というところだろうか。原稿用紙にして2枚、字数にして800字だ。その800字の中で、起承転結を考えて、まとめるのは、簡単ではない。

しばらく前に取り上げた 『ウェブ進化論』(梅田望夫著、ちくま新書)の中で、ブログについて取り上げていて、そこで著者はブログを個人の信用創造装置と位置づけている。
個人で仕事をする人にとって、誰かに初めて会う時に、検索エンジンで相手のことを調べ、ネット上の情報を読んでおくということは、当たり前のことになっているという。
その中で、ブログというものは、自己表現の場であるとともに、そこにと書かれた記事を通じて、そのブログの管理者の人となりのようなものが、自然に浮かび上がり、信頼に足る人物かどうかが分かるということのようだ。名刺や履歴書以上に、明確にその人物の姿を表すブログ、いずれはビジネスのあり方、仕事の仕方も変えていくのかもしれない。

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2006年3月24日 (金)

つくばエクスプレス

08_ph01_s 今日は、1日休暇を取って、3学期が終わったばかりの小5の長男と開業して間もない「つくばエクスプレス(TX)」に乗った。TXの運行会社である首都圏新都市鉄道(株)に知り合いがいて、1度乗って欲しいと頼まれていて、ようやく約束を果たした格好だ。
(左の写真は、つくばエクスプレスのホームページよりダウンロード)

秋葉原からつくばまで、最速の快速で45分。午後から出かけたので、TXの秋葉原駅に着いたのが、3時過ぎで、3時発の快速が出た直後だったので、 各駅停車で途中の守谷まで行き、そこで、少し待って、つくば行きに乗り継いだ。秋葉原を出て、ほぼ1時間で、つくばに着いた。長男が、秋葉原探索をしたいと言っていたこともあって、駅前のショッピングゾーンで、ちょっとぶらぶらして、ハンバーガーを食べ、30分ほどで、帰りの列車に乗った。帰りは、区間快速で、つくばから秋葉原まで52分である。
秋葉原に戻ったのは、6時近く。それから、1時間ほど、長男のゲームセンター巡りにつきあって、戻ってきた。

つくばエクスプレスが、まだ常磐新線と呼ばれ、首都圏の大型鉄道プロジェクトとして騒がれていたのが、つい昨日のことのようだ。計画当時は、バブルの盛りで、鉄道新設により沿線の地価が上昇するので、その値上がり益を「開発利益」と称し、それをどのようにして、多額の投資をした鉄道会社が享受できるようにするかと言った議論がされていたように思う。当時と比較して、秋葉原の駅と駅周辺の変貌はすさまじく、時の流れを感じずには、いられなかった。

どちらかといえば、私の用事に、長男をつきあわせた形になったが、これから思春期を迎え難しい年頃になり始めることもあり、家族5人の中で、男どうし2人だけで行動する時間を作っていくことも必要だろうと考えている。

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2006年3月15日 (水)

転職した人、しない人

今日は、北海道に転勤する前、同じ職場で働いていた同僚に誘われ、飲みに行った。

彼は、私が北海道から東京に戻るのが決まった、昨年の9月末に、自分の価値を正当に評価してくれない今の職場に見切りをつけ、誘ってくれる人もあり、新たな職場に転職した。辞める時、わざわざ、北海道まで電話をくれた。私が東京に戻ったら、一度会いましょうと言っていて、なかなか果たせず、今日、やっと実現した。

彼は、これまでの仕事とは全く畑の違う仕事に身を投じて、かなり忙しいそうだが、充実しているように見えた。

「何のために働いているの?」これは、働いている限り、永遠のテーマだろう。崇高な理想を言えば「自己実現のため」、卑近な現実を言えば「生活し、家族を養うため」。
その時々の職場の環境次第で、その間を針は振れ、答えも変わる。職場環境の中で、大きな要素を占めるのが、その場での人間関係だと思う。お互いに認めあえるような、上司や同僚に恵まれるかどうかで、やる気にもなればくさりもする。

私にとって、彼はそういう恵まれた同僚のひとりだった。今の私の働きメーターは、「生活し、家族を養うため」にかなり振れているが、その中でも、なんとか「自己実現」の機会をうかがって、もう少し頑張ろうと思っている。

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