2008年9月28日 (日)

信じられない杜撰な社会保険庁の名寄せ、妻の「ねんきん特別便」を見て…。

先週金曜日(2008年9月26日)に、私の妻のところにこれまでの年金掛け金の記録「ねんきん特別便」が届いた。

開けて「びっくり」である。見事に記載漏れがあった。

たまたま、職場の上司や同僚との会話の中で、それぞれ最近になって奥さんあてに「ねんきん特別便」が届いたという話題が出たばかりだった。
私の上司の奥さんは、数年間、現在の合併会社のうちの1社に勤務した後、上司と結婚するために退職。数ヶ月後に結婚したとのこと。結婚後の3号被保険者(専業主婦)としての掛け金の記録は記載されていたが、結婚前に勤めていた時期の厚生年金の納付記録が一切記載されていなかったという。一応、上場企業で、人事部門が社会保険料の納付を忘れることは考えられないので、会社を辞めて厚生年金から国民年金に移った時の、引き継ぎ・名寄せがきちんと行われていなかったのだろう。

我が家の妻にも、まったく同じ事が起きていた。 我が家の職場結婚なのだが、妻が退職後、1年半ほどして結婚した。私の妻の場合は、退職日から結婚までが国民年金の1号被保険者、結婚後は国民年金3号被保険者としての納付が記録されているが、退職前の会社勤めの間の厚生年金の掛け金の記録がすっぽりと抜け落ちていた。
学校を卒業して就職してから転職もしておらず、1つの会社に勤め、退職後は国民年金の1号被保険者への変更手続きも行っている。離婚したり、途中、再就職して再び厚生年金に移ったわけでもない。また、妻の旧姓は、決して多い苗字ではないので、まともに名寄せをすれば分からないはずはない。
私から見れば、我が家の妻のケースは、昭和50年代から60年代に働き、結婚した女性のきわめて一般的なケースで、事務作業として最も簡単なケースとしか思えない。

その簡単なケースでさえ、社会保険庁の管理作業に中で、厚生年金から国民年金への切り替え・引き継ぎが行われていなかったとすれば、5000万件と言われた未統合の記録の中には、私の妻と同じようなかつて会社勤めをしていて、結婚して国民年金3号被保険者となった人の記録が多くあるのではないだろうか。
そんな「当たり前」のことさえ、できていない社会保険庁とは一体どんな事務処理体制なのだろうか。あんな内容の「ねんきん特別便」を見たら、まじめに働いてきた女性たちの怒りは収まらないだろう。

麻生内閣が誕生し、年内にも総選挙が行われると言われているが、あんな杜撰な「ねんきん特別便」を見たら、誰も戦後これまでほとんどの期間を政権党として日本の政治を担ってきた自民党には誰も投票しないだろう。決して、民主党が素晴らしい政党とも思わないが、年金問題の存在を明らかににした民主党政権で、社会保険庁改革を徹底的に行って欲しいという選挙民が増えてくるのではないかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月12日 (金)

何とかしてほしい「歩きたばこ」と「夜の無灯火自転車」

あまり愚痴めいたことをブログに書くのは、気が進まないのだが、私が書いたことで、一人の人でも考えを改めてくれる人がいればと思い、書いてみることにする。

私は出勤・帰宅時に最寄の私鉄の駅まで、自転車に乗っている。駅までの間に2つある横断歩道での信号待ち次第ではあるが、歩けば15分弱、自転車にのればその半分ほどの時間である。減量のためには、歩けばいいのだが、朝は1分でも節約したいので、やはり自転車に乗ることになる。

自転車での行き帰りで、毎日必ずと言っていいほど、遭遇するのが、「歩きたばこ」と「無灯火自転車」である。
私はたばこを吸わない。若い頃は、さほど気にならなかった回りのたばこの煙も、社会全体で分煙化が進むにつれ、やはり気になるようになった。しかし、朝の出勤時、時には帰宅時にも、男性の「歩きたばこ」に行きあうことは多い。中には、自転車に乗りながらくわえたばこの猛者もいる。

帰宅途上では、毎日必ず数台の「無灯火自転車」にすれ違う。無灯火自転車の乗り手は、老若男女さまざまである。今日は、信号待ちをしている時、目の前を若い女性が携帯電話をかけながら無灯火自転車が横切っていった。まったく気がついていなかったので、もう少し前に出ていたら、あやうくぶつかるところだった。「無灯火自転車」を運転する人たちにとって、自転車のライトは、自らの足元を照らすだけのものであって、回りの自動車・自転車・歩行者に自らの存在を知らしめるものという発想はないのだろう。自分と同年代の分別もありそうに見えるおじさんやおばさんたちが、平気な顔で無灯火自転車に乗っているのを見ると、怒りを通り越して、情けなく悲しくなってしまう。

「歩きたばこ」と「無灯火自転車」は、個々人の意識次第で増えもすれば、減りもするものだろう。「歩きたばこ」も「無灯火自転車」なくなる世の中になってほしいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月13日 (木)

河合隼雄著『心にある癒す力治る力』を読み終わる

先日読み終わった河合隼雄著『閉ざされた心との対話』に続く「心理療法の現場から(下)」とサブタイトルのついた『心にある癒す力治る力』(講談社)を読み終わった。

下巻でも河合隼雄さんと8人の臨床心理士、精神科医、家庭裁判所の調査員など、心を病んだ人たちと対峙している人たちの対談である。
上巻にあたる『閉ざされた心との対話』が主に、小学生から大学生と向き合っているカウンセラー、臨床心理士が中心だったの対し、下巻では、カウンセリングの手法(夢分析、箱庭療法等)の特色のあるカウンセラー、家庭裁判所で少年少女事件の調査を行うなかでカウンセリングに近い仕事をしている調査員、企業の社員相手にカウンセリングを行う産業臨床心理士など、切り口が多彩だ。

どれも興味深い話が多いが、自分が企業で働くサラリーマンということもあり、第六章「働きざかりの心の病」で登場する箕輪尚子さんの話は、とりわけ興味深く読んだ。

箕輪さんは、インタビュー時(1999年)に時点で、電気機器メーカーA社、通信事業会社B社、化学メーカーC社の3社に産業臨床心理士としてかかわっているが、3社の企業風土・文化が全く違い、カウンセリングの対象になる患者の病気の種類、発症の契機が全く違うのだという。

A社は個性が大事にされていて、一人一人が社会的使命感をもって働いているようなところがあります。新規の患者数は年に20人くらいです。
一方、B社は個人よりも組織が優先している感じ。これはこれで、利益が安定しているとか、簡単に解雇されないとか、それなりにいい面もあるんですが、人間的な面では抑えられているところがありますから、自分の感情を体験できず徐々に無気力になっていく。症状としては、遁走とか、会社に来られなくなるというのが多く、年7、80人は患者が出てきます。
C社では上と下の信頼関係がしっかりしていて、下が上に猜疑心がなくて言いたいことが言える。だからほとんど患者さんが出ず、年にせいぜい3人くらいです。
(『心にある癒す力治る力』141~142ページ)

A社の場合、会社に入ったときから、自分で考えるとか、創造するということのトレーニングをされてくるんですが、B社の場合は、そうしないことがいいことで、自分で発想したらいかん、上から言われたとおりにやることがいいことだと言われてきましたから、いまさら自分で考えろといわれても困るんです。
(『心にある癒す力治る力』142ページ)

会社別の症状の違いについての河合さんの問いにには、次のように答えている。

A社の場合ですと、自分の仕事が上司に認められないのではないか、自分の存在が会社に大事に思われていないのではないかという感じで出てくるんです。
B社の場合は、本人たちもよくわからない。だから、上司に連れられてくることが多い。会社に来ない、どうしたのかと聴いても、「よくわからんないけど調子が悪い」という感じです。自分というものがしっかりしていない。
C社の場合、みんな自由気ままに振る舞っていますからすごく気楽ですが、若いときにしっかりしたしつけがないので、自分勝手に振る舞ってきた人は、中高年になったとき、誰も言うことを聞いてくれなくなって浮いてしまう。
このように、企業の組織の風土と文化というものと、その人のパーソナリティとの関連で、病気が発症してくる傾向があると思います。
(『心にある癒す力治る力』143ページ)

終身雇用制が崩れつつある日本の企業社会だが、とはいえ、一生の間に、いくつもの企業を渡り歩くわけにもいかない。
たった3つの会社の比較でも、これだけ風土・文化に違いがあるのだから、就職の時に、いかに自分にあった職場を見つけるかが大切かということを改めて感じる。
一生懸命探してて、意中の会社・職場に巡り会い、めでたく採用となっても、その会社が別の会社に買収されたりすることも、珍しいことではなくなったので、意中の職場に採用されただけで、安心できないところが、つらいところではある。
それでも、社会人としての最初の訓練を受ける場が、どこになるかは、その後の人生に大きく影響を与えるだろう。

現在は、この対談からすでに8年が過ぎ、サラリーマンを巡る状況は厳しくなる一方だ。B社のような会社で、考える訓練をされなかった社員も、いやおうなく考えなければならなくなってきている。そういった時代の変化が、「メンタルヘルス・マネジメント検定」という資格を生み出すことになったのだと思う。生きにくい時代になったものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 7日 (日)

「昭和の日」を知っていますか?「みどりの日」はいつですか?

「みどりの日」は以前の昭和天皇の天皇誕生日だった4月29日だけど、「昭和の日」っていつ?と思った人も多いのではないだろうか。

家の中にある真新しい2007年のカレンダーを見ると、4月29日が「昭和の日」、5月4日が「みどりの日」と表示されている。

今年(2007年)から変わったらしい。私は、今朝、あるソフトウェア会社から送られてくるメールで知った。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみると、2005年の第162回国会で、「国民の祝日に関する法律(祝日法)」の改正案が成立、2007年1月1日から施行されたとのこと。

改正法案の中で、4月29日を「昭和の日」とし、「みどりの日」が5月4日に移されたとのこと。4月29日を「昭和の日」とする改正法案は、147回国会(2000年)、154回国会(2002年)で、上程されたされたものの、廃案となり、159回国会(2004年)に改めて提出され、継続審議を経て、162回国会(2005年)でようやく成立したとのことである。(参考:『ウィキペディア(Wikipedia)』の「昭和の日」の項)

それだけ難産の法案だった割には、マスコミで伝えられたことは、あまりないような気がするのだが、私がぼんやりしていて、ニュースを見逃してしまったのだろうか。
家にあるカレンダーを改めてめくってみても、当然ながらすべて4月29日が「昭和の日」、5月4日が「みどりの日」となっている。

情報過多の現代でも、マスコミによって伝えられないこともあるということかもしれない。国民にとって大切なことで、伝えられないまま、進んでいることがないか、我々一人ひとりも気をつけておかなければならないということだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年9月 8日 (金)

90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

河合隼雄著『縦糸横糸』(新潮文庫)を読み終わる。1996年5月から2003年5月まで、月1回産経新聞大阪版に連載されたコラム72回分をまとめて本のしたもので、単行本は2003年7月に発行され、この9月に新潮文庫に加わった。

縦糸横糸 (新潮文庫)

その時々の世間での出来事をテーマに河合隼雄が持論を語っている。振り返って見れば、90年代後半からこの本がまとめられた2003年までは、日本経済の長引く不振で、日本社会全体が暗くすさんでいた時期でもあり、バブル崩壊後の失われた10年(15年)の社会史にもなっている。72話の多くが、小学生や中学生といった少年・少女が起こした事件をテーマにしている。

しかし、河合氏は常に、事件の背景にある真の原因を探ろうとする。それは、子供を暴発に追い詰める、家庭であり、社会であり、それらの構成員である大人一人ひとりである。大人自身が、自分十分見つめておらず、自分に自信がもてていない。信頼できる人間関係が築けない。家庭が、憩いの場とならない。それが、子供を追い詰めている。

そんな大人の姿を描いた一節がある。『「今、ここ」の自分への不満』とサブタイトルがついたコラムで、関西の私鉄で混雑時の社内での携帯電話の電源を切るように呼びかけ始めたことを取りあげたものだ。

いつどこから電波という風が吹いてくるかわからないのを、いつも待ち受けている姿勢で、何かにほんとうに集中できるはずがない。というよりは、何かに集中するのが怖いので、それを避けるために常に外からのはたらきかけを気にしている、というのが現代人の姿ではないだろうか。
 外からのはたらきかけを待つというと何かに心を配っているようだがさにあらず、ひとたび携帯のベルが鳴ると周囲を全く無視して話しはじめる。他人の迷惑などお構いなしである。そこには極端な自己中心性が認められる。
◆空しい枝の絡み合い
 常に外とのつながりを求め自己中心的である姿は、自己に深く沈潜することによって他とのつながりを見出してゆく姿とはまったくの対極をなしている。現代人の特徴としての人間関係の希薄さ、まずさは、その根本に自分の内面とのつながりの無さということにある。(中略)自分の内界と切れてしまっているので、何とかして外とのつながりによってそれを補償しようとするのである。
 このような姿は、たとえてみると、根から切れた沢山の木が、お互いに枝を絡み合わせることによって、やっと立っているのに似ている。辛うじて倒れずに居るが、やがてはかれてしまうことだろう。この空しい枝の絡み合いをネットワークなどと呼んでいるのである。
 (中略)携帯電話禁止週間などというものがあったりすると、もう少し人間が自分の内面もこめて、互いに向き合うことをするようになるだろう。
(河合隼雄著『縦糸横糸』新潮文庫、243~244ページ)

時々、こうしてブログを書いていると、妻から「ブログばかり書いて、私や子供たちのことはほったらかし」と怒られる。根のない木にはなっていないつもりだけれど、そう言われれば、ブログに向かう時間が増えた分、家族と向き合う時間は減っているかも知れない。うまくバランスを取ることを考えなくてはいけないと少々反省している。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年8月15日 (火)

首都圏大規模停電その後

昨日の首都圏の大規模停電の真相や、どこで何が起きたのかなど、新聞やテレビでいろいろ語られている。

直接の原因は、旧江戸川の浚渫工事を請け負った茨城の建設会社の浚渫船のクレーンが、東京電力の高圧電線に接触したことで間違いないようだ。建設会社の会長と社長が謝罪の記者会見をしていた。以前も、クレーン船が電線と接触したことがあり、川を航行する時には、クレーンを上げないという内規があったのに、事故を起こしたクレーン船は、その内規を守っていなかったということだから、クレーン船の作業責任者はもちろん、ルールを徹底できていない経営陣も当然責任を問われるだろう。

しかし、この作業自体は、大手ゼネコンが受注し、事故を起こした会社は孫請けということだから、元請けのゼネコン、さらに元請けと孫請けの間の会社も、管理責任を問われるのではないだろうか?

一方、電力会社に全く責任はなかったのか?そもそも、クレーン船が引っかかるようなところに、電線を張っていることのリスク管理は十分できていたのか?(新聞には、海上保安庁と協議してあの高さに決めたという報道があった。)そのあたりも議論になるのでは、ないかと思う。

また、停電の被害を受けた企業等の側も、まさかの時の備えが従来のもので良かったのかという議論も出てくるだろう。十分な電力供給を受けられなかった時に備えた、自家発電装置の整備・増強なども議論になってくるだろう。

大した被害が出なかったことを不幸中の幸いと思い、今回の期せずして経験することになった大規模災害の予行演習を、今後に役立ててもらいたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月14日 (月)

早朝の大規模停電

1週間の夏休みが明け、今日から出勤。いつもの通り、家の最寄りの私鉄の駅から、7時半少し前の準急に乗る。私の乗る準急は隣の駅が始発なのだが、いつもは、つり革と鞄を置く網棚を確保するのが精一杯。しかし、今日は、お盆休みの人が多いのだろう。座ることができた。

しかし、10分ほど走ったところで、前の電車が停電で止まったという。私の乗った準急も止まってしまった。10分ほど停車して、再び動き始める。「やれやれ、10分の遅れなら遅刻しないで済む」とほっとしたのもつかの間、私の乗る私鉄とJRの山手線、地下鉄の乗り換え駅に着き、職場の最寄り駅まで行く地下鉄に乗り換えようとすると、こちらも停電の区間があり、運転見合わせとアナウンスしている。私の乗る線だけではなく、東京メトロでかなり広範囲に影響が出ている模様だ。

天気は良く、数日前に山手線が止まった時のようにどこかに雷が落ちたとは思えない。東京電力の想定以上に朝の電力需要が急増し、一時的に電力の供給不足に陥って停電したのだろうか?しかし、今朝の暑さが、この時期の想定される暑さを大幅に上回っているとも思えない。イギリスでの航空機爆破計画摘発の直後でもあり、まさか、テロ?しかし、限られた情報しかない中で、次の行動を決めなければならない。

地下鉄は当てにできそうにないので、山手線で神田駅か東京駅まで行き、歩くしかない。中央線周りは混むだろうから、山手線を外回りで上野経由で移動することにした。遠回りする時間ロスと降りた駅からいつもより余計歩く時間ロスで、さらに15分くらい遅れそうだが、仕方がない。
幸い、山手線の外回りでも座れた。しかし、ここでも社内放送で、新交通システム「ゆりかもめ」と京葉線が止まっていると言っている。JRは専用の発電所を持っているはずなので、そちらがやられなければ電車は止まらないはずなのだが、どうしたのだろう?(京葉線は、乗っている間に復旧したと放送があった)
結局、神田で降りて職場まで歩く。8時40分が始業時刻だが、5分ほど遅刻してしまった。

職場に着いてから調べると、最初は原因不明と言われていたが、江戸川をまたいで張られていた高圧電線に、江戸川の上流に浚渫作業に向かっていたクレーン船のクレーンが、接触し、電線を傷つけたため、周辺の変電所で安全装置が働いて電流が止まり、広範囲に停電したらしい。
私が遭遇した被害は、電車の遅れと運転見合わせだったが、新聞やTVのニュースなどを見ると、信号が消えたり、エレベーターが止まって閉じこめられたりというトラブルもいくつかあったようだ。

今回は、過失によるトラブルだが、それでもこれだけの騒動になった。通常、電力会社が想定している電線のトラブルは、落雷によるものだろう。テロなどの警戒をするのは、場所としての発電所や変電所だろう。しかし、発電所や変電所が完全にガードされていても、同時多発で故意に広範囲に広がる電線を狙われたら、今回以上の停電が起きることになる。今回の事態を見せつけられて、東京電力はもちろん、各地の電力会社は、対策に頭をかかえているのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年8月11日 (金)

住民基本台帳カード

個人情報の安全は確保できるのかという議論を巻き起こした「住民基本台帳ネットーワーク」。このネットワークを利用するための住民基本台帳カード」を、昨日市役所に住民票と印鑑証明を取りに行ったついでに作ってきた。

クレジットカードやキャシュカードと同じ大きさのプラスティックカードに、金色の接触型ICチップが埋め込まれている。顔写真が入らず、名前だけがカードに印字されているAタイプと顔写真に住所、名前、生年月日が記入されたBタイプの2つがあり、私はBタイプの発行を申請した。申請書を書いて提出すると、本人確認書類の提示を求められ、運転免許証を見せて、待つこと15分ほど、役所の事務フロアの中でデジカメで写真を撮られて、それから10分ほどでできあがった。私の住んでいる市では発行手数料500円。

電子政府「e-Japan」計画の施策の一つとして進められている。このカードがあれば、ネットワーク上で本人と認められ、住民票の写しが他の自治体で入手できたり、転出転入の手続きが簡素化されるようになるようだ。
また、住民票・印鑑証明などの自動交付用の認証カードに使ったり、各種申請書の自動作成、公共施設の利用券等、ICチップの容量の空きスペースを利用してどのような住民サービスを行うかは各自治体に任されているようだが、私の住んでいる市では、住民票と印鑑証明については、すでに磁気ストライプを使った専用カードがあるので、当面、すぐに役に立つわけではない。

個人情報保護の動きと裏腹に、各種の契約に際して、本人確認ということがうるさく言われるようになっている。これまでであれば、公的なもので本人確認に最も信用力が高いのは顔写真が入っている運転免許証とパスポートだった。
マネーロンダリングや振り込め詐欺等犯罪に悪用されないよう、金融機関で預金口座の新設する際には、本人確認が求められる。私が作った顔写真入りのBタイプの住民基本台帳カードは、運転免許証とパスポートと並ぶ公的な身分証明として扱われる。
これまでは、車を免許を持っていなくて、パスポートも持たない人にとっては、写真入りの身分証明書は持ちようがなかったので、その点では、誰でも希望すれば、写真入りの公的な身分証明書がもてるようになったことになる。

しかし、今のところ、住民基本台帳カードの交付枚数は、2006年3月末現在で、全国で91.4万枚余、人口比で0.72%、世帯数比でも1.82%にとどまっている。最も交付枚数が多い東京都が13.7万人、人口比1.13%、世帯数比2.35%である。一部、普及に熱心な自治体を抱える県(富山県-南砺市、宮崎県-宮崎市)では、普及率が高いところもあるが、日本全体で見れば、100人に1人も保有していないというお寒い状況である。

私のような、必要もないのに新しいものにすぐ関心を示す「もの好き」はそう多くないと思うので、各自治体が、どうやれば交付が進むか知恵を絞らなければ、普及は難しいだろう。そもそも、役所に行けば簡単に交付されるということを多くの人は知らないと思うし、それを保有することで、何ができるのかということになると、ますます知られていない。
一方、何か新しいことをやるとなれば、なにがしかのシステム投資は必至であり、キチンとした投資採算計画の検討なくして、踏み切れないという自治体側の事情もあるだろう。

小泉首相の後の、新政権がどのような舵取りをしていくのか、しばらく注視してみたい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)