2009年10月14日 (水)

時代の変化、社会の変化をどうとらえるのか

最近、ブログを書く回数がめっきり減っているし、書いている内容も10回連続で将棋の話題。将棋のブログと誤解かれるかもしれない。
常々書いているように、自分ひとりの頭脳だけで勝負し、その結果責任を一人で背負うプロ棋士の生き方は、究極の自己責任の世界であり、その生き様から我々が学ぶものは多いと思っている。

しかし、将棋だけに関心を持っているわけではなく、他にもいろいろな事に関心はある。特に、この半年ほど考えていることは、昨年(2008年)夏のリーマン・ショック以降、時代が変化したことは、誰もが認めるところだろう。

しかし、これまでの時代を支えてきたもののうち、何が変わったのか、一方、変わらないものは何なのか。変わりつつあるものがおぼろげであってもつかめれば、これからの自らの生き方を考える上で、何かのヒントになるかもしれない。そんなことを考えながら、あさるように本を見繕いながら読みあさっているのが、正直なところだ、

時代が変わっているというのは、多くの人が感じていることのようで、硬軟取り混ぜて、現在をどうとらえ、未来へどう活かしていくかをテーマにしている本が増えたように思う。

すでに、このブログで紹介した本以外にも

橋本治著『大不況には本を読む』(中公新書クラレ)
堤清二、三浦展著『無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉』(中公新書)
上野千鶴子、辻元清美著『世代間連帯』(岩波新書)<紹介済み>
高原基彰著『現代日本の転機―「自由」と「安定」のジレンマ 』(NHKブックス)
藤原和博著『35歳の教科書―今から始める戦略的人生計画』(幻冬舎メディアコンサルティング)
五十嵐 敬喜、小川 明雄著『道路をどうするか』(岩波新書)
村上龍著『無趣味のすすめ』(幻冬舎)

まだ、今のところ、ブログの記事として取り上げるには至っていないが、いずれ、書く機会が来ればと思っている。変化の大きさを考えれば、まだまだ多くの本を読んで、自分の考えをまとめていくことが必要なのだろう。当面は、インプットの時期である。

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2009年9月 7日 (月)

団塊世代の社会学者上野千鶴子と1960年生まれの政治家辻元清美が現在の日本が抱える問題を語る岩波新書『世代間連帯』

民主党が308議席を獲得して圧勝した2009年8月31日の第45回衆議院選挙。選挙の前に読んだのが、岩波新書の2009年7月の新刊『世代間連帯』。
1948年生まれの社会学者上野千鶴子と1960年生まれの社会民主党の衆議院議員辻元清美の2人の現在の日本社会が抱える問題について語っている。

世代間連帯 (岩波新書)

最初にこの本を見たときは、「ああこの2人で書いたのか」と思った程度だったが、先週末、改めて書店で手にした時、上野氏が団塊世代の1948年生まれ、辻元氏が私と同じ1960年生まれという経歴を読んで、これは読んでみようという気になった。
私は、以前、自分たちの世代は、いつも団塊の世代の後始末ばかりやらされて、割を食っているという思いが強くあったからだ。団塊の世代の女性社会学者と私と同い年の論各の女性政治家。どういうやりとりが行われるのか、興味をひかれた。

語られるのは順に「仕事、住まい」、「家族、子ども、教育」、「医療、介護、年金」、「税金、経済、社会連帯」と続き、最後が「世代間連帯」。詳細は、本書に譲るが、私が最も印象に残った部分を1ヵ所だけ紹介しておきたい。

第2章の「家族、子ども、教育」の中で、上野千鶴子が次のように述べる。

戦後、日本は「教育の社会化」「医療の社会化」、そして「介護の社会化」を実現してきた。次は「子育ての社会化」の実現が社会の優先課題。(『世代間連帯』98ページ)

今回の選挙で有権者は民主党に圧倒的多数を与えたことで、何を選んだのか。何を実現することを託したのか。

ここで言われる社会全体で子育てを支援していく「子育ての社会化」は文字通り最優先課題だろう。

また、この本の中で二人が語ることを読んで思うのは、自民党の長期政権の中で社会の枠組みとなっていた企業を通じた間接的な社会政策の行き詰まったということである。
健康保険も、年金も、税制も、企業に勤めるサラリーマン世帯を中心に設計されているし、企業が富むことで、その余録がそこで働く従業員とその家族にも給与・賞与として行き渡った。企業の従業員と家族は同時に消費者でもあり、給与・賞与の増加は、可処分所得の増加、消費の増加、企業にとっての需要増加として好循環していた。
1990年代以降の経済の国際化、競争の激化により、企業には従業員に回す余録はなくなり、従業員もコストとしてしか扱われなくなった。給料は上がらず、いわゆる労働分配率は低下した。

一方、女性の社会進出に伴い、男性サラリーマン世帯中心の制度設計は、実態に合わなくなってきている。

企業を通じた間接的な世帯中心の社会政策よりも、企業を介さず、男女にかかわらず個人に対して直接政策な働きかけをしていく方が、個人ひいては社会の活性化に繋がるということなのだろう。小泉政権が推し進めようとした新資本主義的施策はあくまで企業を富ませるというアプローチでは、かつての枠組みになんら変化はなく、むしろ自己責任という名の下に、社会福祉施策の切り捨てを行ったということだったのだろう。

有権者が、高度成長時代でこそ成り立っていた制度の枠組みに組み替えを求めたのが、今回の選挙結果なのだろう。「子育ての社会化」という問題も、かつては、企業に下にある世帯・家庭に任されていたが、いまや、世帯や家庭だけでそれを引き受けるには荷が重すぎるということなのだと思う。

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2009年4月14日 (火)

定額給付金申請書が届いた

我が家にも先週末、住んでいる市から「定額給付金給付のお知らせ」と「定額給付金申請書」が送られてきた。

お知らせには、世帯の全員の性別・生年月日・年齢と給付予定額が書かれている。5人家族なので、まとめるとそれなりの金額になり、家計の足しにはなる。
申請書には、給付を希望しない人がいる場合には、申請書のチェック欄に×印をつけるということになっている。世帯主が申請の記名捺印をし、振り込み先の銀行口座を明記して、専用封筒に入れて返信する。
申請時期は4月13日~10月13日までの半年間。申請があったものから、順次、審査の上、給付の決定通知書が送られてきて、口座に振り込まれるようだ。早ければ、4月下旬から振り込みが始まるようである。

とりあえず、我が家は給付を返上するほど、余裕はないので、ありがたく給付を受けることにして申請書を送った。

昨年の後半の政治のテーマの一つだった定額給付金の是非。当時の予想を上回る消費の落ち込みが鮮明になっている中、消費の押し上げ策として効果を現してくれればよいが、結果はどうだろうか。
せっかく、大金を投じるのだから、相応の効果が出てほしいものである。

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2008年11月 3日 (月)

誰も自分の「ものさし」持たず、本当に評価することができない時代を生き抜くにはどうすればよいのか?

【誰も自分の「ものさし」を持っていなかったサブプライム投融資】
サブプライムローンの延滞率上昇に端を発し、世界各国を震撼し続けている世界同時金融危機。あわせて10冊近く関連書籍を読んだが、その中で痛感したことが一つ。誰も自分たちが融資・投資の対象とするものについて、「自分たちのものさしでまともに評価をしていない」ということである。
サブプライムローンの最初の貸し手である米国の住宅ローン会社では、ローンの借り手である低所得者や信用リスクの高い人たちが30年にも及ぶローンを返済できるか、きちんと評価していない。証券化を行う、投資銀行などにローン債権を売却してしまえば、資金が回収できるからだ。(まとも評価していれば、貸せないだろう)
投資銀行などによって組成された証券化商品を購入する投資家も、おそらくその大部分はS&Pやムーディーズという格付会社が運用商品である証券化商品に付す「AAA(トリプルA)」や「AA(ダブルA)」という格付を鵜呑みして、どのようなリスクが生じた場合、どの程度の償還リスクがあるか、まとも評価していなかったに違いない。
そのため、今回の一連の騒動に中では、格付会社は証券化商品の組成の際に、投資銀行から格付の手数料を収受するという立場が、投資家の投資の際のリスク判断のための適切な指標を提供するという格付会社本来の役割と利益相反を起こしているとう批判がされている。いろいろなトラブル・騒動が起きると必ず対処療法的な規制強化が行われるが、今回の一連の金融危機の結果、格付会社の規制が強化されるのは必然だし、すでにそのような動きになっている。

しかし、悪いのは格付会社だけだろうか?と思う。そもそも、金融、銀行という仕事は、借り手である事業会社や個人に貸した資金の利払いと元金の返済が期日通り行われ、全額返済が行われて完結するものであり、そのために借り手に返済能力があるかを調査して、その是非を判断しなければならない。そこには、自分たちなり「ものさし(基準)」に基づいた評価が求められる。

金融や投資といった仕事が、自分たちなりの評価を放棄した途端、それは、プロフェッショナルな仕事ではなくなってしまう。誰にでもできる「バクチ」と変わらない。

【自分の「ものさし」を持たない時代】
よくよく考えてみれば、それは、金融や投資の世界に限った話ではなく、私たちの身の回りにあふれている。
会社組織では、人事評価がつきものだが、どれだけの上司が、人事セクションが、社員一人ひとりの強み弱み、潜在能力をきちんと評価して、正しい人事考課を行い、適材適所の配置ができているだろうか。結局、どれだけの営業成績を上げたかといった目に見えるもの、数字に表せるようなものしか評価対象にできない。
一方、自分が親として評価する側に回ることになる自分の子どもに対し、どれだけ本人の個性をみてやれているか?自分に自信が持てない親ほど、各教科のテストの点数、模擬試験での偏差値などに頼ってしまうのではないか。自分の「ものさし」で、子どもをみるのではなく、世間一般の「ものさし」で子どもを見てしまう。
世間一般の「ものさし」でなく、ひとりひとりが自分の「ものさし」を持って、世の中と向き合っていくことが、今回の世界同時金融危機のような世間一般の「ものさし」が役に立たなくなった時に生き残るために必要なことだろう。それのためのには、王道はなく地道に勉強し、自分でおかしいと思ったことは納得できるまで調べ確かめるということを繰り返していくしかない。
それは、手間がかかって面倒臭い。投資家が格付会社に投資先の評価をアウトソースしてしまったように、日常の価値判断を世間一般の「ものさし」に任せる人の方が、大勢を占めている。
そうなるとは、いくら自分も「ものさし」を持っていると言って叫んでみたところで、世間一般の「ものさし」で評価されることがなくては、そもそも現実の世界で生き残っていけず、負け犬の遠吠えで終わってしまう。
いずれ時代は変わるかもしれないが、現在を生き残らなければ、意味がない。

【生き残るためには】
結論はまったく陳腐な答えなのだが、自分の「ものさし」を身につけつつ、世間一般の「ものさし」でも評価される生き方をしなくてはならないということだと思う。
現在の世間一般の「ものさし」が、目に見えるもの、形として残るものしか評価できないなら、それをクリアしていくしかない。
私は、この数年、仕事に関わるいろいろな資格取得にチャレンジしてきたが、結局、世間一般の「ものさし」の中で、何とか生き残るためだったのだと改めて思う。
「資格」を持っていることが、仕事ができることの証明にならないことは、現場では誰もがわかっている。だから、無理して資格を取ったところで、何の役にも立たないというのが大半の人の思いである。しかし、現場で誰もがそう思っていても、資格のような目に見えるものに代わる世間一般の「ものさし」は何もないのだ。
「資格」を取ることは、生き残るために最低限必要なことで、その上で、何が残せるのかが本当の勝負だろう。「資格」というパスポートで何とか、生き残りを賭けた勝負をする土俵に上がり、そこで勝ち残ることで、世間一般の「ものさし」を、自分に「ものさし」に取り替えることができるのだと思う。

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2008年9月13日 (土)

ユニクロのリサイクルに古着を持ち込む

この週末は、今年の夏の暑さが戻って来た感じだが、9月も半ばを迎え、朝晩は涼しくなってきた。9月に入ったらやろうと思いながら、なかなか手が着いていなかったのが、夏の衣類の整理。
秋が本格到来すれば衣替えだが、その前に、この夏を最後にもう着そうにない夏物の衣類の整理にようやく手を着けた。

私の日常の衣類の80%はユニクロで買っているので、ユニクロが行っている「全商品リサイクル活動」に持ち込める。これは、ユニクロが2006年9月から毎年3月と9月の各1ヶ月間「サンキューリサイクル」として、自社で販売した全ての商品を対象に回収・リサイクルを行っているものだ。集められた衣類のうち、汚れていないものは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)との協力により、世界各地の難民キャンプに届けられているようだ。すでに、タイ・ネパール、ウガンダ、タンザニア、エリトリア、ソマリアなどに届けられているようだ。
2008 年9月の第5回「サンキューリサイクル」のプレスリリース
ユニクロホームページ:「全商品リサイクル活動」の詳細

私はこのリサイクル活動を今年の春まで知らなくて、今年の3月の末に店内のポスターを見て初めて気がついた。それまでは、衣替えの時、整理した衣類は、ユニクロの製品も含めゴミに出していた。

札幌に単身赴任していた2004年の秋から2005年の夏まで、特によくユニクロを利用したように思う。その頃買ったTシャツなど、今年で4シーズン目。さすがに、色もくすみ、全体的に繊維も疲れている感じで、まとめて出した。どれだけのものが、リユースに回されるかわからないが、何かの役に立つのなら、ただゴミ回収に出すよりはいいかなと思う。

日本もかつては、衣類を簡単に処分することなどできない貧しい国だった。終戦直後に限らず、私たちが子どもだった、昭和30年代から40年代初めは、ズボンの膝が擦り切れた時に膝当てをするのは、当たり前だったように思う。
着古した衣類を、難民キャンプに寄付するという行為自体、「日本人の傲慢」のような気もしないではないが、現実問題として、それがなにがしか世界の役に立っているなら、衣類はなるだけユニクロで買い、汚さないように大切に数年間着て、自分が着なくなったところでユニクロに再び持ち込み、何かの役にたててもらうというのが、一個人ができるささやかな、社会貢献かも知れないと思う。

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2008年7月21日 (月)

国民の祝日「海の日」の由来を調べてみる

今日は、国民の祝日「海の日」。夏休みの始まりと重なる三連休となって、高速道路も渋滞だとニュースで流れていた。そう言われれば、3連休初日の一昨日(19日)、映画館に行ったが、いつもはさほど待たないのに、入場券売り場に長蛇の列ができていて、15分ほど待たされた。

「海の日」が祝日になってから、まだ10年ほどしか経っていないと思う。しかし、当初の「海の日」だった7月20日が、なぜ「海の日」として祝日となったのかについては、あまり詳しく知らないので、ネットで検索して調べてみた。

海の安全を管理する海上保安庁を傘下に持つ国土交通省のホームページの「報道・広報」-「イベント・シンポジウム」の中に、「海の日・海の週間」との項目があり、「由来」として次のように書かれている。

私たちの国は、四面を海に囲まれた海洋国で、はるか昔から外国からの文化の伝来をはじめ、人の往来や物の輸送、産業、生活な どの各分野にわたって、海に深くかかわってきました。昨今、ウォーターフロントが開発・整備され、マリンレジャーが広く普及するなど、海を利用する機会が多様化しましたが、一方で地球環境の保全という観点から特に海の役割が一層高まっており、海洋汚染防止などの必要性が一層高まっています。 
このような海の重要性にかんがみ、国民の祝日「海の日」を設けようと国民運動が大いに盛り上がり、その結果、平成8(1996)年から「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」として7月20日が国民の祝日「海の日」として制定され、さらに平成13(2001)年6月、「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」が成立したことにより、「海の日」は平成15(2003)年から7月の第三月曜日となり、三連休化されております。

島国日本にとって「海」は大切なので、海に関する祝日ができたということだろう。では、なぜ7月20日なのかは、これではわからない。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(2008年7月21日現在)

祝日化される前は海の記念日という記念日であった。海の記念日は、1876(明治9)年、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことに因み、1941(昭和16)年(に逓信大臣村田省蔵の提唱により制定された。

とある。

軍艦でなく灯台巡視船で巡幸したというところが、ポイントなのだろう。なぜ、明治9年の出来事をもとに、太平洋戦争開戦直前の昭和16年7月(開戦は同年12月)に村田省蔵逓信大臣がそのようなことを提唱し、「海の記念日」が制定されることになったのかまではわからない。

ネット検索をしていたら、「海の記念日」の切手を見つけた。1965年に、第25回海の記念日を記念して出されたものである。
小学生の頃、切手収集を趣味にしていたことがあり、コレクションの中の1枚である。その頃はそんな由来など考えたこともなかった。
昨日に引き続き、世の中には知らないことが多いことを実感する。

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2008年6月15日 (日)

大澤真幸著『不可能性の時代』をヒントに戦後の時代区分を考える・その2

不可能性の時代 (岩波新書)

前回分(その1)は→こちら

「虚構の時代」の後に到来した時代の特徴を、著者は二つあげる。
従来の理想・夢・虚構というキーワードが語るものは、常に「現実」とは別のところにあるものであった。

しかし、「虚構の時代」の後に見られる特徴の一つは、ニューヨークへの世界貿易センタービルへ旅客機で体当たりし、破壊してみせるというテロ行為に象徴される「現実」への回帰、それも暴力的な形での現実への回帰である。
一方、従来の「虚構の時代」をさらに進めたような形で、「現実に現実らしさを与える暴力性・危険性を徹底的に抜き取り、現実の総体的な虚構化を推し進めるような力学が強烈に作用している」(『不可能性の時代』157ページ)と著者は指摘する。湾岸戦争などで見られたように、戦争もまるでTVゲームのような形で、画面の中だけ進行しているように見える。

「虚構の時代」は、そのような二つの要素に分化したことによって終わりを告げたが、残ったものは、互いに相容れない二つの動きである。著者は「虚構の時代」の後に到来した時代を「不可能性の時代」と名付けた。
昨日の私の議論をこれにつなげるとすると、「現実」の綻びや矛盾から目をそらし、バブルという「虚構」の現実を信じようとした我々は、「失われた10年(15年)」に直面した。バブルの後遺症として残った山のような不良債権は現実であった。その処理には、莫大な費用がかかり、社会全体が沈滞を余儀なくされた。しかし、それでも「虚構」の現実を信じたい我々は、先送りという弥縫策をとることで、「いつかはよくなるのではないか、回復するのではないか」という形で「現実の総体的な虚構化」を進めたのだろう。
しかし、結果的に待っていたのもは、綻びや矛盾が行き着くところまで行きとうとう「破綻」したのであり、その解決のために、我々は「自民党をぶっ壊す」と宣言した、小泉政権の暴力的とも言える改革を、なぜか熱狂的に指示したのだ。
私は「不可能性の時代」=「破綻の時代」と考えるとわかりやすいのではないかと思う。そして「虚構の時代」を1975年~1990年と考えれば、「不可能性の時代」=「破綻の時代」は1991年~2005年と考えるべきではないか。それは、まさに「失われた10年(15年)」とぴったりと重なるように思われる。

15年サイクルでの時代の変化という仮説が正しいとするのなら、時代はすでに「不可能性の時代」(=「破綻の時代」)を終え、次の時代の入り口にくぐったあたりに来ているではないのか。「不可能性の時代」の次の時代は、どういう時代か。ここからは、『不可能性の時代』から離れて、私なりに考えたことをまとめておきたい。
おそらく、これまで目をそむけてきた現実の綻びや矛盾が明らかになり、破綻を来してしまった以上、現実を直視せざるを得なくなるのではないか。そして、その現実の最たるものは「自分自身」なのではないか。社会が、人間の集団、組織として成り立っている以上、一人一人が、まず、自分自身をキチンと見つめ直し、自分自身を知り、個人個人がよりよく強くなることからしか、社会の変化、再建はないのではないかと思う。

そして、そのことを、これから社会を背負わなくてはならない若者の一部は敏感に感じ、変わり始めているような気がする。
例えば、このブログでも紹介した16年ぶりのオリンピック出場を決めた男子のバレーボール全日本チーム。この躍進を支えたのは、越川優、石島雄介という1984年生まれでまだ20代前半の2人のアタッカーである。2人の共通点はバレーが好きで、自分でとことん考え、監督やコーチが相手であっても、言うべきは言い、納得すれば従うという姿勢である。
そこで、見られるのは「一芸に秀でる」プロフェッショナルであるということではないだろうか。自分の好きなことについて、とことん極め、努力もして専門性を身につけたプロになる。一人一人がそれぞれ、個性を持った一芸に秀でた専門家・プロとして自立し、その専門家たちが、お互いを信頼してチームを作って、問題解決に当たる。そうでなければ、解決できないほど、現実の綻びや矛盾は深刻なのではないだろうか。男子バレーボールチームがオリンピックを逃がし続けた16年というのも「不可能性の時代」と奇妙に符合している気がする。

NHKの人気番組だった「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」。主に、高度成長時代に、各企業や組織で、危急存亡の危機や、緊急事態をどうやって個人やチームが乗り切ったかとうことを取材したドキュメンタリーだった。しかし、あくまでそこで見ていたものは「過去の栄光」だったように思う。2000年3月から始まったこの番組は、奇しくも2005年12月に放送を終了している。
そして、そのあとを引き継ぐ形で2006年1月から新たに始まった番組が「プロフェッショナル 仕事の流儀」。「プロジェクトX」と違い、現在、各分野で活躍しているプロフェッショナルな人々を取材している。

「不可能性の時代」の後に来る時代は、「プロフェッショナルの時代」なのではないかと考えている。

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2007年9月 9日 (日)

変わる秋葉原電気街

昨日(9月8日)、久しぶりに秋葉原に行った。去年の3月に「つくばエクスプレス(TX)」に乗るために行って以来である。
その時も、それまで狭くていつも人であふれていた印象しかなかったJRの秋葉原駅が、つくばエクスプレスの乗り入れに合わせて大がかりに改装され、かつてのごちゃごちゃとした雰囲気はまったくなくなっていたのに驚いた。

昨日は改めて街中を歩き回ったが、店の移り変わりがいっそう顕著になっている。駅の東側にヨドバシカメラが店を構えたほか、駅の西側には「秋葉原UDX」と名づけられたオフィスビルとまず駅の回りの風景が一変した。

パソコンの自作を趣味の一つにしているので、秋葉原に行く特にあてもなく目に着いた店に入り、パソコンの部品や、一世代か二世代前のソフトを格安でたたき売っている店を探すのが楽しみだった。
以前はそんな店は、秋葉原のメインストリートである中央通りに面した、いわゆる「表通り」にも、表通りから一本ないし二本奥まった裏通りにもあったが、いまや、「表通り」はアニメ、ゲーム、フィギアなど、いわゆる「オタク」系の店の進出に取って代わらつつ、パソコンの部品やソフトを扱う店は裏通りが中心になりつつある(もちろん、まだ「表通り」で頑張っている店もあるが…)。

昨日も秋葉原を拠点にしてきた老舗の家電販売店2社が、一方は改装のための閉店セール、一方は「コンピューター館」のこちらは本当の店じまい売り尽くしセールをやっていた。

私の昨日の収穫は、裏通りの店の一つで、いまや記憶媒体ではマイナーになりつつある「MO」(私にとっては、デジカメの画像を記録するための貴重な媒体である)の640MBの5枚組を1000円(普通安くても1枚500円くらい)で手に入れたことと、店じまい売り尽くしセール、比較的新しい「将棋」にソフトを30%オフで買えたことだろうか。

帰りは、中央通りを北に向かってJR上野駅まで15分ほど歩き、上野駅から電車にのった。上野駅の南側も大々的に地下工事が行われていた。
さらに、上野駅もまったく改装で雰囲気がまったく変わっていて、東京の住人でありながら、東京の街の変化をまったく知らないことを思い知った一日だった。

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2007年2月23日 (金)

品川駅の変貌

今日は、夜、友人と飲む約束があり、品川へ行った。店の予約が午後7時だったので、職場に近い人形町駅で都営地下鉄浅草線から京浜急行に乗り入れる列車に乗り、、6時40分頃品川に着いた。

店は、港南口にあるビルの1階。京浜急行の出入り口とは反対側なので、JRの線路を跨いで架かる通路を反対側へと歩く。港南口から、こちらに向かって来る人の多さには驚くばかりだ。まるで、どこかの神社に初詣に行ったよう。人、人、人…人の波が押し寄せてくる。

もう10年以上前、1994~95年頃、仕事で、品川の港南口に来ていたが、その頃は、品川といえば京浜急行の出入口がある高輪口(西口)がメインで、港南口は殺風景で何もなかった。
駅自体も、新幹線の停車駅となって大きくなり、港南口には高層ビルが建ち並び、駅との間は長くて広い屋根付きペデストリアンデッキがつないでいる。
屏風のように立ち並ぶ、高層ビル群は、海風を遮り、東京のヒートアイランド現象に拍車をかけたとも言われる。

わずか10年余でこの変貌ぶりだ。これから10年先、品川だけでなく、東京という街がどこでどう変わっていくか、想像を絶する事ばかりであろう。
目の前にある現実だけを所与のものとして考えるのではなく、その先にある未来をどう予測しながら生きていくのか、東京で生活する限り、常に考えていくことが求められていると思う。

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2006年12月23日 (土)

第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠

おととい(2006年12月21日)、現在、将棋界の最高の棋戦と位置づけられている竜王戦(主催・読売新聞社)が幕を閉じた。一作年、現在の森内俊之名人から竜王位を奪取し弱冠22才の渡辺明竜王。挑戦者は、名人戦を除く、今年度のこれまでのタイトル戦にことごとく登場している佐藤康光棋聖(35才)。残る棋王戦、王将戦も挑戦者決定戦に駒を進めており、年間対局数の多さは群を抜いている。

しかし、自らタイトルホルダーである棋聖位こそ3連勝で挑戦者鈴木大介八段を退けたものの、王位戦はフルセットの末、王座戦では3タテで羽生善治3冠に敗れ、今回の竜王戦を迎えた。佐藤棋聖としては、竜王位を奪い2冠を持つことで、同世代の羽生3冠、森内名人・棋王と並び、名実ともに3強の一角を占めることを示す絶好のチャンスであった。10月10・11日のサンフランシスコでの初戦、10月31日・11月1日の富山・宇奈月での第2戦と連勝し、4連勝で渡辺竜王を一蹴するかに見えたが、他棋戦でも勝ち進むハードスケジュールが応えたのか、その後渡辺の逆襲にあい3連敗。6戦目のカド番を注文を付けた勝負でものにして、3勝3敗で12月20日からの最終戦に持ち込んだものの、最後は力尽きたのか、タイトル奪還には一歩及ばなかった。

一方、受けて立った渡辺明竜王は、竜王戦開始直前の『将棋世界』11月号でのインタビューで、その時点で、挑戦者決定戦に名乗りを上げていた、佐藤棋聖、丸山忠久九段(元名人)のどちらが挑戦者になったとしても、「世論(中立なファンの9割)は、挑戦者が勝つと思っているでしょう。でも、そうはならないと思います。」という趣旨のコメントし、将棋世界の編集者はそれをとらえ、このインタビュー記事に「私は下馬評を裏切るだろう」という刺激的なタイトルを付けた。結果的に、その自らの予言通りタイトル防衛を果たしたのだから、大したものである。

渡辺竜王は3強のうち、森内現名人から竜王位を奪取し、佐藤棋聖の挑戦を退けた。残るは、将棋界のスパースター羽生善治三冠である。羽生三冠には2003年に王座戦で一度挑戦し、3勝2敗で退けられている。タイトル戦で、羽生三冠に一矢を報いることができてこそ、羽生三冠の後継者、将棋界の次代のリーダーといえるだろう。これからの、羽生対渡辺の激闘が楽しみである。(個人的には、贔屓にしている郷田真隆九段にも、再度タイトルホルダーとなって、渡辺竜王を撃破してもらいたい。)

お詫び:当初、本ブログのタイトルを「第18期竜王戦」としていましたが、正しくは「第19期」でした。お詫びして訂正します。ご指摘下さったエバグリンさんありがとうございました。(2007年1月6日記)

*将棋に関する記事(2006年)
4月26日:
『将棋世界』5月号
6月19日:第64期将棋名人戦
8月2日 :将棋名人戦、朝日新聞に
8月27日:米長邦雄将棋連盟会長の『不運のすすめ』
9月9日 :森内俊之名人から見た羽生善治3冠
9月20日:将棋名人戦、朝日・毎日の共催へ協議開始
11月18日:郷田真隆九段の揮毫「晩成」
12月23日:第19期(2006年)竜王戦-佐藤康光棋聖及ばず、渡辺竜王に立ちふさがる最後の壁は羽生3冠
12月30日:将棋名人戦、毎日・朝日両新聞社の共催の詳細固まる

*上記記事を含め、このブログの将棋に関する記事の一覧はこちら→アーカイブ:将棋

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2006年11月23日 (木)

新・亭主関白宣言?

福岡県の久留米市に「全国亭主関白協会」(天野周一会長)という組織があるらしい。(協会のホームページはこちら

関白とは、天皇に次ぐナンバー2の地位であり、協会は天皇(=妻)を敬愛し奉る亭主たちの集団とのこと。団塊世代が大量定年となる一方、離婚の際の夫婦の年金分割制度が2007年から始まるのを控え、熟年離婚を回避すべく会員が急増しているそうだ。

協会が定めた「新!亭主関白道段位認定基準」があり次のようになっている。

初段:3年以上たっても「妻を愛している」
二段:家事手伝いが上手
三段:浮気をしたことがないか、ばれていない
四段:レディーファーストを実践している
五段:愛妻と手をつないで散歩ができる
六段:愛妻の話を真剣に聞くことができる
七段:嫁姑問題を一夜で解決できる
八段:「ありがとう」をためらわずに言える
九段:「ごめんなさい」を恐れずに言える
十段:「愛してる」を照れずに言える

以前、このブログで書いた、妻の側の「夫在宅ストレス」とどう折り合いをつけるかということも大切だと思うのだが、そのあたりをどう考えているのかよくわからない。十段まで、全て実行できれば、在宅ストレスということにはならないかも知れないが…。

個人的には、二段、六段、八段あたりはクリアしていると思うが、そもそも夫婦の問題は、それぞれの夫婦によって様々なので、自分で考えるべき問題ではないかという気もする。

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2006年9月 8日 (金)

90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

河合隼雄著『縦糸横糸』(新潮文庫)を読み終わる。1996年5月から2003年5月まで、月1回産経新聞大阪版に連載されたコラム72回分をまとめて本のしたもので、単行本は2003年7月に発行され、この9月に新潮文庫に加わった。

縦糸横糸 (新潮文庫)

その時々の世間での出来事をテーマに河合隼雄が持論を語っている。振り返って見れば、90年代後半からこの本がまとめられた2003年までは、日本経済の長引く不振で、日本社会全体が暗くすさんでいた時期でもあり、バブル崩壊後の失われた10年(15年)の社会史にもなっている。72話の多くが、小学生や中学生といった少年・少女が起こした事件をテーマにしている。

しかし、河合氏は常に、事件の背景にある真の原因を探ろうとする。それは、子供を暴発に追い詰める、家庭であり、社会であり、それらの構成員である大人一人ひとりである。大人自身が、自分十分見つめておらず、自分に自信がもてていない。信頼できる人間関係が築けない。家庭が、憩いの場とならない。それが、子供を追い詰めている。

そんな大人の姿を描いた一節がある。『「今、ここ」の自分への不満』とサブタイトルがついたコラムで、関西の私鉄で混雑時の社内での携帯電話の電源を切るように呼びかけ始めたことを取りあげたものだ。

いつどこから電波という風が吹いてくるかわからないのを、いつも待ち受けている姿勢で、何かにほんとうに集中できるはずがない。というよりは、何かに集中するのが怖いので、それを避けるために常に外からのはたらきかけを気にしている、というのが現代人の姿ではないだろうか。
 外からのはたらきかけを待つというと何かに心を配っているようだがさにあらず、ひとたび携帯のベルが鳴ると周囲を全く無視して話しはじめる。他人の迷惑などお構いなしである。そこには極端な自己中心性が認められる。
◆空しい枝の絡み合い
 常に外とのつながりを求め自己中心的である姿は、自己に深く沈潜することによって他とのつながりを見出してゆく姿とはまったくの対極をなしている。現代人の特徴としての人間関係の希薄さ、まずさは、その根本に自分の内面とのつながりの無さということにある。(中略)自分の内界と切れてしまっているので、何とかして外とのつながりによってそれを補償しようとするのである。
 このような姿は、たとえてみると、根から切れた沢山の木が、お互いに枝を絡み合わせることによって、やっと立っているのに似ている。辛うじて倒れずに居るが、やがてはかれてしまうことだろう。この空しい枝の絡み合いをネットワークなどと呼んでいるのである。
 (中略)携帯電話禁止週間などというものがあったりすると、もう少し人間が自分の内面もこめて、互いに向き合うことをするようになるだろう。
(河合隼雄著『縦糸横糸』新潮文庫、243~244ページ)

時々、こうしてブログを書いていると、妻から「ブログばかり書いて、私や子供たちのことはほったらかし」と怒られる。根のない木にはなっていないつもりだけれど、そう言われれば、ブログに向かう時間が増えた分、家族と向き合う時間は減っているかも知れない。うまくバランスを取ることを考えなくてはいけないと少々反省している。

*河合隼雄関連の記事
3月7日:『中年クライシス』
8月24日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態
9月1日:『明恵 夢を生きる』を読み始める
9月5日:気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2
9月7日:『明恵 夢を生きる』を読み終わる
9月8日:90年代後半の世相を語る『縦糸横糸』を読む

11月1日:河合隼雄文化庁長官、休職

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2006年8月22日 (火)

車の名義変更手続き完了までの顛末

しばらく前から、いろいろと準備を進めてきた、車の名義変更・住所変更手続きに行ってきた。

エンジントラブルで修理に出していた車は、おととい20日(日)に修理完了。やはり、エンジンに雨水が溜まっていたらしい。パッキングを交換し、水が入らないようにして、さらに、水をエンジンの上まで運ぶ役目を果たしていたワイパーを動かすワイヤーを交換した。もう、「エンジンに水は入らないはず」とディラーの人からは言われた。

車が戻ってきたので、昨日、出勤した際に上司に、今日、休むことの了解を取って、ようやく準備が整った。

すでにインターネットの乗用車の名義変更について説明したサイトで、必要種類なども確認し、手続きを行う立川駅に近い多摩自動車検査事務所の場所も確認済み。今朝、出発前にもう一度、書類を確認した。調べたサイトでは、必要書類に自賠責保険の証明書と書かれてあった。車検証と一緒に保管していると思っていたので、確認もしていなかった。しかし、いざ探すと見つからない。困った。

まず、自動車保険の取り次ぎをしている会社の系列の保険代理店に電話をして聞いてみる。「車検の時に、自賠責を付保していなければ、車検に通らないので、付けていないはずはない。証明書がなければ、再発行してもらうしかない。ただ、名義変更に自賠責証明書は必要ないはずだ」との趣旨のことを言われる。

次に、1年半前、北海道で車を車検に出した新日本石油のスタンドに電話をして、念のため渡し忘れではないか確認してもらう。車検証を渡す前に、別途、車検費用の明細と自賠責の証明書を、緑色のファイルに挟んで渡しているはずだと言われる。(そう言えば、少し厚紙の紙ファイルをもらった気がするが、もう捨てたかもしれない。)

今日、手続ができなければ、会社を休んだ意味がない。一応、自動車検査事務所のヘルプデスクにも電話をする。録音したメッセージが流れる。名義変更の必要書類に、自賠責の証明書は入っていない。オペレーターに個別相談できるというので、そちらにつながるように番号を押す。女性のオペレーターが出てきて応対してくれる。「名義変更に自賠責の証明書は必要ありません。」

ならば、「自賠責の証明書は再発行してもらうことにして、とにかく今日は名義変更を終わらせるしかない」と、自動車検査事務所に向かうことにした。車を家の駐車スペースから出す前に、「ひょっとしたら?」と助手席の後ろ側にある、地図など入れているポケットを確認すると、一番下に、新日本石油の「Dr.drive」の緑色の紙ファイルがあった。ファイルを開くと、自賠責の証明書も、そこに収まっていた。

自作自演の大騒ぎで、9時半までには家を出るつもりが、もう11時近い。検査事務所のある立川までは、車で小1時間かかるはずなので、午前の受付時間の11時45分には、間に合わないかもしれないが、仕方ない。とにかく、行くだけ行って、申請書類だけでも入手して、昼休みに書類を仕上げ、午後1時一番で受け付けてもらおうと家を出た。

検査事務所に着いたのは、11時50分頃。お役所仕事だろうと期待していなかったが、申請書の交付と手数料支払の窓口では受け付けてくれて、申請書の用紙をくれ、隣の建物で申請書を記入して提出するように言われる。隣の建物が、実際の名義変更・住所変更の事務を行う所のようだ。

ここでも、とりあえず、名義変更として書類に書くのか、住所変更で書くのかだけでも教えてもらおうと、嫌な顔をされるのを覚悟で、窓口に行くと、私の前の人を手際よく教えていた中年の女性が、そのまま、親切に書類の書き方を教えてくれて、12時5分前くらいに受け付けが終わってしまった。「隣の窓口の前で待っていてください」と言われ、待っているとすぐと呼ばれて、車検証と何枚か書類を渡され、もう一つの建物にある税務事務所に行くように言われる。この時、既に12時直前。

国土交通省の管轄から今度は財務省(あとからよく考えると東京都が正しい)かと思いつつ、おっかなビックリで、次の建物に入る。受付の若い女性に書類を出すと、数ヵ所、自分の住所・名前と前の持ち主のリース会社の住所・名前を書くように言われ、その通りすると、車から古いナンバープレートを外して、最初に申請書をもらった建物に書類と一緒に出すように言われた。もうすでに12時を回っている。

車に戻り、後ろからナンバープレートを外す。後ろは、左側が金属のキャップで封印してあるので、封印を外すのに時間がかかる。外したナンバープレート2枚と、新しい車検証などの書類を最初の建物のナンバープレートの受付に持っていき、プレート代と一緒に出すとすぐに新しいナンバープレートを渡された。「ナンバープレートの取り付けが終わったら、担当者が封印に行きますので、わかるようにボンネットを開けて待っていて下さい。」と言われ、今度は、新しいナンバープレートをドライバーで取り付ける。付け終わった頃、おもむろに、中年の男性担当者が近寄ってきて、ボンネットを開けて、車体番号を確認し、後ろに回り、ナンバープレートが付け方が緩くないか確認した上で、左のネジの上に封印の「東」(東京の意味だろう)キャップをすると、何も言わずに車から離れていった。

てっきり、次の指示があると構えていた私は、「これで終わりですか?」と歩き去る担当者に声をかけると「全て完了です。」との答えが返ってきた。何やら、拍子抜けである。時計を見ると12時半を少し回ったところ。1時からの受付のつもりで覚悟していただけに、意外だった。

おそらく、構内の案内表示板やホームページ等には午前の受付は11時45分までと書いてはいるものの、実際の運用では12時までは受付けてくれ、いったん受付けたものは、途中で昼休みになっても最後まで、作業してくれることになっているのだろう。

もう一つ、いい意味であてが外れたことがあった。自動車税である。自動車税は、都道府県税で、登録をした富山県にずっと払っており、今年も、もう支払っている。従来は、年度途中で、住所が変更になると、月割りで返納、新しい自治体に残りを納めるという手続きがあったようだが、今年(2006年)4月からその制度が廃止になったと、ホームページ等には書かれていた。私は、てっきり、その結果、住所変更した年は、前の住所と現住所の自治体の両方に2重で払うことになるのだと思っていたので、封印の後に自動車税を払うと思っていたのだ。

必要書類の準備はけっこう大変で、今朝は今朝で大騒ぎをしたが、名義変更そのものは、1時間もかからずに終わってしまった。経験者からは半日くらい覚悟した方がいいとも言われていたこともあって、なんだか得した気分で、多摩自動車検査事務所を後にした。

家に帰って、車の所有者だったリース会社に名義変更を終えた新しい車検証をファックスで送り、永年の先送りのツケをようやく払い終えた。
前のナンバーとともに暮らした6年半、思えば、それは、以前紹介した『ライフサイクルの心理学』でいう”人生半ばの過渡期”とほぼ重なる。新しいナンバープレートとともに、新しいライフステージを始めたいと思っている。

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2006年8月19日 (土)

ヨロンとセロン

積ん読になっていた『メディア社会』(佐藤卓己著、岩波新書)を読んだ。

メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

著者は1960年生まれで、メディア史・大衆文化論を教える京大の大学院の助教授だ。サブタイトルに「現代を読み解く視点」とあり、帯には「<歴史>から問うニュースの読み方、50のテーマで考える実践的メディア論!」とある。自分と同じ1960年生まれということと、これまでの歴史をふまえた新聞、テレビ、各種ネットビジネス等のメディアのあり方の議論がおもしろそうで、購入した。

第1話が”「メディア」は広告媒体である”という当たり前であるが、ふだん、意識することが少なくなっているメディアの本質論から始まり、第14話の”メディア・イベントの誕生”では、夏の全国高校野球大会について

そもそも、全国高等学校野球大会(戦前の正式名称は全国中等学校優勝野球大会)は、第一次大戦中の1915年、大阪朝日新聞社主催で開始された。(中略)
今では伝統ある夏の風物詩だが、そもそもは新聞社が夏休みの「記事枯れ」に対応して紙面を維持するために企画されたメディア・イベントである。自ら主催し、観客を動員し、取材し、それを批評する。関連記事はいくらでも量産することができる。甲子園大会はそうしたニュース製造機であった。(佐藤卓己著『メディア社会』岩波新書、63~64ページ)

と、原点を辿る議論がされていて興味深い。我々が、目にし、耳にするニュースも、本来、広告媒体であるメディアによって時には作られ、取捨選択された結果のものであるということだろう。しかし、そのメディアが、それを読み、見る人に大きな影響を与える。時として、人々が欲するであろうものを、先回りして用意し、世の中の流れを作っていく。

この本で、最も興味深かったのは、第25話の”憲法をめぐる「ヨロン」と「セロン」”の中で取り上げられている、ヨロンとセロンの違いである。漢字で書けば、どちらも「世論」であり、恥ずかしながら、この年(現在45歳)になるまで、「世論」と書いて、なぜ、「ヨロン」と読んだり「セロン」と読んだりするのか、その違いについて深く考えたことはなかった。本書によれば、「ヨロン」は正しくは「輿論」と書き、「セロン」は「世論」と書く。

今日ではほとんど忘却されているが、輿論(よろん)と世論(せろん)は戦前までは別の言葉だった。輿論とは「五箇条の御誓文」(1868年)の「広く会議を興し、万機公論に決すべし」にも連なる尊重すべき公論であり、世論とは「軍人勅諭(1882年)の「世論に惑わず、政治に拘わらず」にある通りその暴走を阻止すべき私情であった。戦後、当用漢字公布によって「輿」の字が新聞で使えなくなったため、苦肉に策として「世論」と書いて「ヨロン」と読む慣行が生まれた。『「毎日」の三世紀 別巻』(2002年)は、次のように説明している。

「世論を「よろん」と読むようになったのは、戦後民主主義が背景にある。従来、「世論」は戦時中、「世論(せろん)に惑わず」などと流言飛語か俗論のような言葉とし使われていた。これに対して、「輿論」は「輿論に基づく民主政治」など建設的なニュアンスがあった。」
(佐藤卓己著『メディア社会』岩波新書、119ページ)

「毎日の三世紀 別巻」の説明は、戦後民主主義の下、民衆の言葉「世論」が「輿論(ヨロン)」の意味をも吸収し、見識を備えた公論を成すようになったと読める。しかし、「輿論」という漢字が当用漢字から消え使われなくなって60余年、「世論」は戦前の流言飛語・俗論に逆戻りし、「輿論(よろん)」という言葉は、その概念さえ忘れられている。

メディア・イベントに惑わされず、自分の頭で考えることを、一人一人が心がけないと、「世論(せろん)に惑わされる」時代が続く事になるだろう。せめて、自分の子供にだけは、そのことをキチンと教えたいと思う。

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2006年7月30日 (日)

人生の四季 、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

先日から読んでいた『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)の原題は”THE SEASONS OF MEN`S LIFE”で、日本で最初に出版された時は、「人生の四季」というタイトルだったそうだ。文庫化する際、改題したそうだ。前のタイトルだと、老人の回顧録のようにも聞こえる。

その『ライフサイクルの心理学』の下巻を、昨日ようやく読み終わった。1970年前後の米国の4つの職業(生物学者、小説家、企業の管理職、労働者)の40代の男性10人ずつ計40人のそれまでの人生を丹念に面接調査で聞き出し、そこに共通にサイクルを見いだし、仮説を提示している。

本書の本来のテーマ自体は、まさに、このブログのテーマそのもので、じっくり、数回に分けて書きたいと思うが、この本の最後の方で書かれていた事が、印象的だったので、まずそれを書きたい。

「原始の時代からの長い人類の歴史の中で見れば、家庭というものは、狩猟が中心の時代に、次の世代が自ら狩猟に出て獲物を得て、自活できるようになるまで期間、最も効率的に次の世代を育てるためのシステムであった。20才前後に成人し、自ら生活できるようになるまでが、子育ての期間である。原始の時代には、病気、飢え等で、成人までに亡くなるものもいる。親の世代も、子供が巣立っていく40才の頃には既に衰え、死んでいく者も多かった。
40才以降の中年の時期を、人間が生きるようになったのは、歴史的に見れば、ごく最近の事なので、中年以降のうまい過ごし方は、まだ確立されていないし、それは、更に1000年~2000年という単位でしか、根付いていかないのではないか。」というような趣旨の事が書いてあった。
河合隼雄氏の『対話する人間』にも、似たような話があったが、あの時は、日本の戦国時代が人生50年という話であった。今回は、一気に遡って何十万年という単位の話である。

そう考えれば、我々個々人が悩むのも当然だし、ここで考えた何がしかが、次世代へ引き継がれ、1000年~2000年先の人間の生き方に多少でも役に立てば、それも悪くないかなと思ったりした。

*追記(2006年11月23日)
タイトルを当初の「人生の四季」から「人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月22日 (土)

サマータイム実験に思う

朝日新聞の夕刊に、札幌を中心に行われているサマータイムへの取り組みの記事が出ていた。

札幌商工会議所が呼びかけて始まったようで今年で3年めとのこと。夏場の始業時刻、終業時刻を1時間ずつ早めるものだ。昨年、私が札幌にいた時は、高橋北海道知事も参加したということで、話題になっていた。

札幌の夏の夜明けは早い。早いときには、3時半くらいから明るくなる。出勤前に、ハーフラウンドならゴルフもできると聞いたことがある。かといって、日暮れが早い訳ではない。高緯度なので、夏は昼間が長くなるのだ。1時間始業時刻を早めても、地域で完結している仕事なら、おそらく全然問題は起きないだろう。
その代わりに、冬は早く日が暮れる。午後4時頃から暗くなり出し、4時半には真っ暗になる。

おそらく、いくら書かれたものを読んだり、TVのニュースを聞いても、そこで生活してみなければ、それを実感することは難しい。記事には、東京ではまったく関心がないこともあわせて書かれている。東京でしか生活したことがなければ、北海道の夏の昼の長さも、冬の昼の短さも、理解できない。
かくいう私も、東京・九州・北陸で生活したことがあるが、北海道の気候・風土は理解の範囲を超えていた。以前にもこのブログで書いたと思うが、1年の北海道暮らしでの自分なりの理解は「北海道は日本の一部だが、気候・風土は別の国と考えるべきだ」ということである。

同じ日本の中の北海道でさえ、暮らしてみて初めて実感することばかりであるとすれば、まして、イスラエル・レバノン紛争をはじめ、外国の国々の事情などそう簡単に理解できるものではないのだろうと、当たり前のことをふと思った。

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2006年7月19日 (水)

本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』

5月の初めに、このブログで、『働くひとのためのキャリア・デザイン』(金井壽宏著、PHP新書)の紹介をしたが、その中で、取り上げられ、大きく影響を与えたと思われる著作が『ライフサイクルの心理学』(ダニエル・レビンソン著、南博訳、講談社学術文庫)である。

読みたいと思っていろいろな書店に行くたびに探していたのだが、ほとんど書店に在庫がなく、唯一、新宿の紀伊国屋本店だけ、上下2冊組の上巻だけ置いてあった。しかし、新刊コーナーにあるものの本自体が汚かったし、上下揃わなければ意味がないと、その時は買わずじまいだった。

その後も、見つからないので、半ばあきらめていたところ、6月下旬に掘り出し物が見つかる白金高輪の古書店に寄った時に、ひょっとしたらと探したところ、若干、ページが折られたりしているところはあるものの、新刊並に状態の良い上下2冊組を発見。価格も新刊で買えば上下2冊で2100円のところ、1102円とほぼ半額の値付けに、文句はなく、即購入した。
その時点で、少し読みかけたが、その後「ゲド戦記」シリーズを買って読み始めたので、「ゲド戦記」が終わるまで、小休止していたが、ほぼ1ヵ月ぶりに読み始めた。

読み物というよりは、心理学の報告書のような内容で、1968年から1971年にかけて米国エール大学で、当時40代の男性40人への面接調査をもとにして書かれたもので、人の成長は、少年期から青年期で終わるのではなく、成人して以降も、いくつかの節目を経ながら、成長が続いているという仮説を提示したものだ。
中でも、17才から45才までを大きく成人前期、40才から65才までを中年期とし、両方が重なる40才から45才までを中年期への過渡期ととらえ、17才から22才までの成人への過渡期と並んで、人生の転換期ととらえている。
現在では、生涯発達心理学という分野として研究が進められおり、本書自身は既に、この分野の古典とも呼べる存在のようだ。

久々に、ブログのテーマに沿った本格的な著作に挑戦だ。聞きかじり、読みかじりの自分にどこまで、解き明かせるかわからないが、自ら生きて来た45年とも照らしあわせながら読み、良い表現やフレーズがあれば、おいおい紹介していきたい。

年齢的には、そろそろ、中年期への過渡期が終わり、安定した中年期を迎えてもいい頃なのだが、相変わらず、のたうち回っているような気がする。著者レビンソンによれば、各期の始まりや終わりは、標準で示されたものに対して、前後2年程度の違いはあるようなので、まだ、しばらくのたうち回るのかもしれない。

*追記(2006年8月30日)
タイトルを当初の「本格派に挑戦」から「本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』」に変更しました。

*『ライフサイクルの心理学』関連記事
7月19日:本格派に挑戦『ライフサイクルの心理学』
7月30日:人生の四季、『ライフサイクルの心理学』を読み終わる

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2006年7月 6日 (木)

ココログ不調は、ブログブームの反映?

ここ1週間ほど、また、ココログが不調だ。夜9時を過ぎると、ココログの管理ページにアクセスするのに異様に時間がかかるようになった。自分の管理ページに入った後も、新規記事作成ページやアクセス解析ページへ移るのにまた時間がかかり、時間切れで接続が切れてしまう事もある。ココログを管理しているニフティでは、11日(火)から13日(火)まで丸2日間かけてメンテナンスを行うらしい。その間、全く新規の記事更新等はできないようだ。(従来の記事を見ることは可能らしい)。おそらく、2日間も更新を止めたら、再開後のアクセスが集中して、おそらくその後も、アクセスしづらい状況が続くのではないかと思う。ニフティ側は、これまでの数々の不具合を一気に解消するような、根本的な荒療治をするようだ。少々心配だが、やむを得ない。このような不満は、ココログだけに限らないようだし…。

自分もその一人だが、ここに来てブログを始める人が急速に増えているのではないだろうか。NHKの教育テレビで6月から「中高年のパソコン講座 ブログに挑戦してみよう!」という番組が始まっているし、書店のパソコンコーナーでは、この半年ほどで、各出版社から「無料で、簡単に始められるブログ」という類の解説書が新たに出版されたように思う。一方で、以前取り上げた『ウェブ進化論』(梅田望夫著、ちくま新書)の中でも、ブログは新しいメディアとして肯定されており、普及期に入ってきたのだろう。

一方、ブログのサービスは、ニフティのようなプロバイダー、ヤフーや楽天のようなポータルサイトなど、様々な企業から提供されており、それも大半が無料で提供され、無料で利用できる容量も各社の競争で拡大する一方だ。始める際の垣根は、低い。
従来、会員向けにしかサービスしていなかったニフティのココログも昨年暮れから無料サービスを始めたので、利用者の増加に、サービス提供のためのインフラ整備が追いついていないのだろう。

私自身が4ヵ月余続けてみた感想・印象は、まず第一は「始めるのは簡単、でも書き続けることは難しい。さらに、読み続けてもらうのはもっと難しい。」ということだ。毎日、書き続けるとまで決めているわけではないが、6月半ばから今日までは、とりあえず続けているので、続く限りは続けてみたい。(メンテ期間中は無理かもしれないが)

第二は単純だが「反応があるとうれしい」ということだ。コメントやトラックバックがあるとワクワクするし、自分のブログへのアクセス数が増えると、今日も何か話題を考えて書こうという気になってくる。

「人に勧めるか?」と聞かれたら、「書くことが好きな人は、ぜひ始めたらいい」と勧めたい。毎日書けば1年で365件、3日に1回でも1年で120件以上記事が残っていく。それは、また、その時々の自分の記録になる。結局、これが自分にとってのブログをやることによる一番の財産になるのではないかという気がしている。

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2006年4月23日 (日)

『下流社会』を読んで②~男女雇用機会均等法の影響

ブログやネット上の書評を見ると『下流社会』に厳しい評価のものが多い。参考にした統計データが少ないということだろう。私は、あくまでこの本は、マーケッティングを生業としている著者の一つの仮説だと考えるべきだと思う。いくつかのデータから、あるカテゴリーの顧客層を想定し、そこに向けた商品・サービスを企画しをセールスしていく。仮説である顧客層の想定が、正しいかどうかは、商品・サービスが売れたかどうかで、検証される。

前回、書けなかった『下流社会』を読んで、視点としてなるほどと思った点のもう一つは、1985年(昭和60年)6月に公布された『男女雇用機会均等法』の影響である。この法律を受けて、翌1986年(昭和61年)から、いわゆる女性の総合職の採用が始まったと思う。すでに、それから20年。均等法直後に、男子に混じって採用された女性総合職の中には、その実力を発揮して、サラリーウーマンとして成功し、管理職として活躍している人も出てきている。著者は、そのような女性達が上流社会の一端を担っていると分析する。高学歴の女性達は、企業社会の中で、自分と同じような高学歴の男性と結婚する。当然、2人で働けば収入も高く、高学歴の女性が子供を産めば、自分の子供に高学歴を求めるのは自然な流れになる。

『男女雇用機会均等法』は、能力ある女性に実力を発揮するチャンスを与えたという点では大きな変化だった。もちろん、現実には、男中心の会社組織の中で、数々の辛酸をなめ、挫折した女性もたくさんいる。それでも、そこに一つの流れが始まったのは、間違いない。

私が社会に出た1983年(昭和58年)は、いわば『均等法』前夜、夜明け前という時期だが、その時点でも、女性にとっては、短大や高校を良い成績で卒業し、一流企業に就職し、社内結婚でいい相手を見つける方が、有利という風潮があったように思う。

同級生の中の優秀な女性達は、大学を出ても総合職として就職できた人は少なかった。彼女達には実力に見合った企業は門戸を開いておらず、実力に見合った処遇を受けられなかった。『均等法』前までは、女性の世界は実力主義にはなっていなかったのだ。

逆の見方をすれば、当時は、結婚という手段を通じて、女性の中では階層の流動化が起こりえる機会があった。今や、『均等法』後の社会では、男性も女性もその実力・それまでの努力の結果によって、社会に迎えられるようになり、当然、社会に出た彼ら・彼女らは、自分と話のあう相手を求め、同じような学歴のカップルが生まれる。

それが、階層化の始まりの一つだということを、枠組みとして示されたことが、自分にとっては新しかった。

『下流社会』関連記事
4月16日:『下流社会』を読んで(本編)
4月23日:『下流社会』を読んで②~男女雇用機会均等法の影響

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2006年4月16日 (日)

『下流社会』を読んで

三浦展(1958年生まれ)という人の書いた本『下流社会』(光文社新書)を読んだ。80万部も売れており、タイトルからして受け狙いのような気がして、今ひとつ読む気になれずにいたが、最近気になっている世代論を考える上で、避けて通れないと思い、手に取った。
これまで、香山リカ(1960年生まれ)の『貧乏クジ世代』のほかに、島田裕巳(1953年生まれ)著『宗教としてのバブル』(ソフトバンク新書)山口文憲(1947年生まれ)著『団塊ひとりぼっち』(文春新書)などを続けて読んだが、得るところがあったのは、『貧乏クジ世代』とこの『下流社会』である。

『団塊ひとりぼっち』は団塊世代のアウトローである著者が、団塊世代を同時代人でありながら、やや距離もおいたところから第三者的に語ったもの。『宗教としてのバブル』は、宗教学者であり、団塊直後の世代である著者がバブルを一種の宗教ととらえ、その熱気を経験したことがある世代全体をバブル世代としてくくり、その経験のない現在の10代はそれを知らないこともあり、浮ついたところがなく極めて堅実と分析する。しかし、あまりあっと驚くような新しい知見を得るといったほどでもなかった。

一方、三浦氏の『下流社会』は、世代をひとまとまりの集団として分析しているわけではない。まず、世代を大きく①昭和ヒトケタ世代、②団塊世代、③新人類世代、④団塊ジュニア世代に分け、各種のアンケートで、自分の現在の暮らしを上流・中流・下流のどれと考えるかとの回答を軸に、さらにそれを世代別・男女別にブレークダウンして分析し、世代の特徴を分析しようとしている。
あくまで数少ないアンケートによる仮説としてではあるが、団塊ジュニア世代で自らを下流と評価する人の特徴は、自分らしさを求め、ひとりでいることを好む、人とコミュニケーションをとることが不得、などとしている。このような層にフリーター、ニートといわれる層も多く、所得も少なく、結婚もしていない(あるいはできない)。やや、乱暴にまとめるとこういったところだろうか。

かつての日本は、下流・下層の人でも、努力して勉強すれば、中流・上流へとステップアップするチャンスもあり、またそれを目指して、下層・下流の人にやる気と意欲もあったが、今の自分を下流と考える人たちには、将来の上昇に向けた意欲ややる気もなく、自分らしい生き方という言葉が、現状に甘んじる言い訳になってしまって、もし親になっても、子供にも「同じような生き方をすればいい」と育てることで、階層社会が固定化してしまい、日本全体の活力が低下することを著者は懸念している。

一方で、高学歴、高収入の自らを上流と考える人達は、子供にも、高いレベルの教育を受けさせ、自らの生活水準を維持しようとする。同じ生活水準・知識水準でないと、話が合わないので、結婚相手も自然と同じようなレベルの人を求めるので、ますます階層の固定化が進むのだ。

この議論では、どの階層であれ、それぞれの個々人が、それで本当に内面的に充実しているのか、満足しているのかという、心の問題には触れていない。

とはいえ、これまでの自分の親としての教育を振り返った時に、個性的であれと強調するあまり、より良い人生を送るため、しっかり勉強するということ・いい成績をとるということについて、こだわること、貪欲になれということは、あまりうるさくは言わずに来たのではないかということに気がついた。果たして、子供たちのためには、それで本当に良かったのか?考えさせられた一冊だった。(それで良かったと言える人生を、子供たちが送れるようサポートするしかないのだが…)

もう一つ、これまで気がつかなかった、視点があったが、それは次の機会に書くことにしたい。

『下流社会』関連記事
4月16日:『下流社会』を読んで(本編)
4月23日:『下流社会』を読んで②~男女雇用機会均等法の影響

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2006年4月11日 (火)

厄落とし

今日、職場からの帰り、情けない話があった。

自宅最寄り駅で降りて、駅前の自転車置き場から自転車に乗り、家路に着く。途中、閉店間際のドラッグストア前を通ると、トイレット・ペーパー12個パックが168円という表示に目に入った。これは安い!間違いなく安い!そう言えば、そろそろ我が家のトイレット・ペーパーがなくる頃だと思い出し、小雨の中だったが、4個だけ残っていた特売のパックのうち、2個を買った。

道路を渡って、家族に頼まれていた玉子を買いにスーパーへ。トイレットペーパーのパックを持って店内を歩くわけにもいかないので、一個は自転車の前カゴに、一個は荷台に付けている後ろのカゴに入れて店に入った。何となく嫌な予感がしたのだが、10分も経たずに戻ってみると、見事に後ろのカゴに入れたパックがなくなっていた。

いかにも取って下さいと言わんばかりに、無防備に置いていた自分も悪いが、いったいどんな人が、たかだか200円程度のトイレット・ペーパーのパックを盗んでいったのだろうかと思うと、悲しいやら情けないやら。日本人もここまで堕ちたのかと怒る気にも、なれなかった。

4~5年前、仕事で福岡に出張した。ちょうど12月で、冬のボーナスが出たばかり。天神で4万円ほど下ろして、財布にいれ、会社の人と取引先に向かいプレゼンをした。終わったあと、取引先の社長と私を呼んでくれた会社の人と一緒に、中洲のスナックに誘われて飲みに行った。背広を脱いで、店のクローゼットに預ける。財布を入れたままにしておいたのが、いけなかった。帰ってみると、どうもお金が抜かれている。店には、片言の日本語でしゃべるアジア系の女性もいたので、彼女にやられたのかもしれない。その店は、取引先の社長の行きつけだったので、ケチをつけるようなことを言うのも、はばかられ、そのままにしておくしかなかった。以来、財布を背広に入れたまま預けることはしなくなったが…。

前置きが長くなったが、中洲で現金を抜かれ不愉快ではあったが、その取引先へのプレゼンは社長にそれなりに評価してもらい、その後の自分の仕事の柱の一つになったので、4万円を抜かれたことを我慢した分くらいの見返りは十分あった。4万円の見返りに運をもらったと思うことにした。多分、その時、私の財布からお金を抜いた主は、きっといい目にはあっていないのではないだろうか。

今日の話も、盗んでいった犯人が私の厄も一緒に貰っていってくれて、厄落としになったと考えようと思う。4万円に比べると、あまりにせこい話なので、御利益(ごりやく)も小さいかも知れないけれど。(今頃、犯人はくしゃみでもしているだろう…)

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