2011年4月24日 (日)

吉村昭著『三陸海岸大津波』を読んで思う記録することの大切さ、天災は忘れた頃にやって来る

知人がTwitterで読んだと書いていた吉村昭の『三陸海岸大津波』という本が、ずっと気になってきたが、先週、職場の近くの書店で見つけたので、さっそく購入した。

三陸海岸大津波 (文春文庫)
三陸海岸大津波 (文春文庫

吉村昭の作品はペリー来航時の主席通詞を勤め、その後、日本で初の本格的な英和辞典の編纂にあたった掘達之助という人物を主人公に描いた『黒船』という小説と、エッセイを読んだ程度なので、わずかな作品を読んだだけの感想だが、『黒船』を読む限り、事実を丹念に調べ、淡々と書き綴っていくその姿勢には共感するものがあった。尊敬する作家のひとりだ。

『三陸海岸大津波』は、その吉村昭が三陸海岸沿岸を丹念に取材して歩き、今から40年以上前の1970年に『海の壁-三陸沿岸大津波-』とのタイトルで中公新書としてから刊行され、その後1984年に中公文庫となり、さらに20年後の2004年に文春文庫にも入った。そして、今回の東日本大震災で再び書店の店頭に平積みされるようになった。
私は最初、この本を探す時、中公文庫の棚ばかり見ていて、文春文庫で再刊されていることにまったく気がつかなかった。

この本では、明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)に三陸地方を襲った地震と津波の被害、さらに昭和35年(1960年)に発生した南米チリの地震に伴う津波の被害について語るととも、それ以前も含め、この地域がたびたび津波に襲われた歴史にも簡単に触れており、今回の大震災でも話題になった平安時代の貞観津波にも言及している。

読んでみると、明治29年、昭和8年の津波の被害の描写が、今回の大震災の被害とそっくりなことに驚く。
また、明治・昭和の津波も地震によるものであり、地震の前兆として、どちらもしばらく前から漁業が豊漁となったことと、井戸水が濁ったとの共通点があったことが指摘されている。
今回の震災前はどうだったのだろうかと気になってしまう。

また、津波のことを、当時は、地元の人たちが「ヨダ」と呼んでおそれていたことも、津波が意志をもった怪物のように思えて、興味深かった。

「天災は忘れた頃にやって来る」という言葉があるが、今回の震災は我々にその言葉を思い起こさせることになった。災害についてこのような記録が残されることは、将来に向け備えるためには、大切なことだと思った。

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2010年8月 9日 (月)

安彦良和著『虹色のトロツキー』愛蔵版全4冊を一気に読み上げる

先週、ようやくこの半年くらい絶え間なく続いていた仕事が一段落したのと、先週が土曜日まで飲み会が続き、とても昨日1日で回復できそうになく、今日は一日休暇をとった。

せっかくの休みなので、先月買ったままで、ほとんど手つかずのままおいていた安彦良和著『虹色のトロツキー』愛蔵版全4冊(双葉社)を、1日かけて読み上げた。

虹色のトロツキー愛蔵版1
虹色のトロツキー愛蔵版1

虹色のトロツキー愛蔵版2
虹色のトロツキー愛蔵版2

虹色のトロツキー愛蔵版3
虹色のトロツキー愛蔵版3

虹色のトロツキー愛蔵版4
虹色のトロツキー愛蔵版4

『虹色のトロツキー』は建国まもない満州国を舞台に、日本人の父とモンゴル人に母を持つ青年ウムボルトが時代に翻弄されながら生き、戦う姿を描いた作品だ。

作者の安彦良和はアニメーターとして「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザインを担当したことでも知られるが、今回の『虹色のトロツキー』愛蔵版4の巻末に収録されているインタビューでは、

「昭和天皇が死んだ年にアニメを辞めました。(中略)今度は、多少売れなくても、自分の好きなことをやっていこうと踏ん切りもついていました」(『虹色のトロツキー』愛蔵版第4巻526ページ)

と語る通り、1990年代に入ってからは、漫画家として多くの作品を発表しており、この『虹色のトロツキー』も1990年11月から1996年11月まで6年に渡り『月刊コミックトム』に連載されたものである。

安彦作品には、歴史を題材に取り上げたものが多くあり、一時期、特に古代史に凝っていた頃、日本の古代史・古事記に取材しで古事記巻之一『ナムジ』(大国主命が主役)、古事記巻之二『神武』(神武天皇が主役)、古事記巻之三『蚤の王』(野見宿禰が主役)のシリーズを中公文庫コミック版で読んだ。

ナムジ―大国主 (1) (中公文庫―コミック版)
ナムジ―大国主 (1) (中公文庫―コミック版)

神武―古事記巻之二 (1) (中公文庫―コミック版)
神武 (1) (中公文庫―コミック版)

蚤の王―野見宿禰 (中公文庫―コミック版)
蚤の王―野見宿禰 (中公文庫―コミック版)

記紀神話と満州国については、本人の中で一つの共通軸で意識されていたことが、『虹色のトロツキー』愛蔵版4の巻末インタビューでは語られている。

「戦後民主主義にとっての二つのタブーとして、古代神話と満州があってどちらもナショナリズムと結びついているんです。そのタブーを全面否定でない形で扱おうとすると、民主的でないから触れるべきではないとされてしまう。(中略)『ナムジ』と『虹色のトロツキー』は、はじめて書きたいものを書いた作品だったんです。」(『虹色のトロツキー』愛蔵版第4巻526ページ)

古代記紀神話は、忌むべき皇国史観の裏付けであり、満州国はその実践であるということで、戦後民主主義にとっては思い出したくない過去の遺物といことになるのだろう。しかし、何も知らせない、教えないということが本当によいのかとつい考えてしまう。
古事記が語る古代史の中にもひとかけらの真実は隠されていると思うし、満州国のありようについても、本来、きちんと総括する必要があるはずである。

『虹色のトロツキー』は、主人公ウムボルトこそ作者の創作の産物であるが、主人公を巡る人びとの中には、石原完爾、辻正信、甘粕正彦、川島芳子、尾崎秀実など多くに実在の人物が登場する。
作者はインタビューの最後に次のように語る。

「明らかに問題ある人物を除いては、皆なにがしかずつ正しくなにがしかずつ間違っていたというわけです。その人が好むと好まざるとにかかわらず立たざるをえなかった立場や、自己形成の過程で引きずってきてしまっている観点というものがあって、そういう人たちの寄り集まりが、この世の中なんです。ある立場の人たちの陣営と、違う人生の人たちの集まりがあって、どちらが正しいか間違っているかといことを判断することは、所詮できないのです。」(『虹色のトロツキー』愛蔵版第4巻528ページ)

真珠湾攻撃で日本が日米開戦の泥沼に入りこむ前の歴史とて、すべてが必然ということではないだろう。

知の巨人・超人と言われる松岡正剛が現在、丸の内丸善本店4階に松丸本舗という松岡書店ともいうべきコーナーを設けていて、それをテーマに『松岡正剛の書棚』という解説本が出され、その中で松丸本舗に収められている古今東西のお勧め本が紹介されている。
本書『虹色のトロツキー』はその中(115ページ)でも「安彦良和の傑作中の傑作」として紹介され、さらに「半藤一利の『昭和史』を読んで面白いと思った読者はぜひ読んでもらたい」と書かれている。
『虹色のトロツキー』から『昭和史』へ遡ってみるのも面白いのではないかと考えている。

松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦
松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)
昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー)

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2010年8月 4日 (水)

橋本治著・文庫版『双調平家物語』全16巻をとうとう読み終わる

昨日の朝の通勤電車の中で、中公文庫版『双調平家物語』の最終第16巻をとうとう読み終わった。

双調平家物語〈16〉落日の巻(承前)潅頂の巻 (中公文庫)
双調平家物語〈16〉落日の巻(承前)潅頂の巻 (中公文庫)

中央公論新社による単行本の最終巻第15巻が刊行されシリーズが完結したのが2007年10月。文庫版の刊行開始が2009年4月。毎月1巻が刊行されるペースで、先月(2010年7月)、文庫版の最終第16巻が出て、文庫版も完結した。

私自身は、2009年8月に、著者橋本治自身が『双調平家物語』のスピンオフと語る『日本の女帝の物語』(2009年8月刊)をまず読み、これが格好の入門書となった。同書の後書きで著者が語った以下のコメントは、そのまま『双調平家物語』のあらすじになっている。

「私にしてみれば、日本の古代というのは、「女帝の時代」があり、「摂関政治の后の時代」となり、「男の欲望全開の院政の時代」となって、そして「争乱の時代」が訪れるという、三段あるいは四段構えになっているのですが、「平家の壇の浦で滅亡するまでの平家の物語」ということになると、このすべてが一まとめになって、ひたすら「長い長い物語」にしかなりません。それで、こういう『日本の女帝の物語』を書いたのです。」(『日本の女帝の物語』214~215ページ)

その後、2009年10月に本編といえる文庫版『双調平家物語』を読み始めた。その時点では、6冊ほど既刊があったが、ほどなく既刊は読み終え、毎月下旬に刊行される中公文庫版の新刊が出ると買い求め、1週間ほどで読み終え、次の新刊を待つということを繰り返した。とうとうその長い道のりも終った。

橋本治の凄いところは、歴史上の出来事を書くにあたって、常にその時代に身をおいてその時代の視点で時代を眺め、考えて、書いている点である。後世の我々は日本の歴史を学び、平安時代の末期の朝廷で平家一門が隆盛し、壇ノ浦で滅びたことも、源頼朝が征夷大将軍に任じられ鎌倉幕府を開いたことも知っていて、あたかもそれらを歴史上の必然、避けがたい出来事のように思いがちだが、それは結果がわかっているからそう思うだけで、その時代を生きた人びとは、自分たちの行動の結果が、どのような結末に繋がるか知るよしもない。

常に、その時代を生きた人びとの視点で描いていくと、結果的にその時代の空気、雰囲気のようなものが、醸し出されることになる。読んでいて、目から鱗が落ちるような思いを何回もした。
例えば、最終16巻では、平家との戦いに勝利した源頼朝が鎌倉に在って、朝廷に対し征夷大将軍の地位を望むものの、時の最高権力者「後白河法皇」は、決してそれを認めない。頼朝が征夷大将軍に任ぜられるのは、後白河法皇の死後のことである。日本史の教科書で、「1185年に壇ノ浦戦いで平家が滅び、1192年の源頼朝が征夷大将軍に任じられ鎌倉幕府を開いた」ということを学んだだけでは、わからない部分である。
そこには、時としてその地位を脅かされながらも、結局は最高権力者として君臨し、配下の貴族や武家の誰かが突出した権力を握ることを良しとせず、常に「夷を以て夷を制す」を実戦してきた後白河法皇の姿が垣間見える。
摂関家藤原氏に専横には、平清盛を筆頭に平家を重用し牽制する。平家一門がその分を忘れ法皇を疎かに扱えば、源氏を牽制に使う。木曽義仲が都入りし、横暴と思えば、源頼朝を用いる。頼朝が強大になりすぎたと思えば、弟の義経に頼朝を討たせようとするという具合である。

平清盛の哀れは、藤原氏への当て馬として後白河法皇に登用されたに過ぎないのに、法皇の寵愛を疑うことなく、それに踊らされたことと作者橋本治は解釈している。平安時代末期の争乱の時代の影には、つねに後白河法皇の姿があり、貴族、武士の多くがその手の踊らされていたに過ぎないのだ。

しかし、その後白河法皇も永遠ではない。後白河法皇が66歳で薨去ののち、孫に当たる後鳥羽天皇が即位する。
平家滅亡の壇ノ浦では、幼少の安徳天皇を抱え清盛の妻二位の尼が海の身を投げる。三種の神器の一つ「草薙の剣」とともに。それは、二度と見つかることはない。
三種の神器のうち鏡は「知」、勾玉は「仁」、剣は「勇」とも言われるそうだ。剣が象徴する「勇」の裏付けは「力」。

『双調平家物語』は次のように締めくくられる。

「平家西走後、御位に即かれた後鳥羽院は、三種の神器のうち、宝剣を欠かれた帝だった。であればこそ、太刀作りにご執心でもあられた。「武は鎌倉に持ち去られた」と思し召された院は、そのお力を取り戻されたく思し召されて、「兵を挙げよ」と仰せ出だされたのである。
仰されるばかりで、院のおわしまされる都に、「力」と申し上げるべきものは、すでになかった。
二位の尼は、なにを思って、宝剣を腰に差したのか。お譲りのこともないまま、御位を失い給われた幼い帝を、なぜに抱き奉って、壇ノ浦の水へ飛んだのか。
清盛の妻はなにも語らない。清盛の妻が海に飛んだ時、王朝の一切は終っていたのである。」(中公文庫版『双調平家物語』339ページ)

16巻に渡る長い物語は、歴史に関心のなく、似たような多くの人名を読み分けるのが面倒と思う人には退屈な物語かもしれない。しかし、そこには、歴史のその時々と自らの夢という名の欲望を果たそうとして、生きた多くの人の生き様が詰まっている。読む価値のある物語だと思う。

ちなみに、『双調平家物語』は2008年11月に第62回毎日出版文化賞(文学・芸術部門)を受賞している。

<関連記事>
2010年2月12日:『双調平家物語』は橋本治が語る日本古代史論だと思う
2010年7月28日:中公文庫版『双調平家物語』(橋本治著)ついに完結

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2010年2月12日 (金)

『双調平家物語』は橋本治が語る日本古代史論だと思う

半年くらい前に橋本治の『日本の女帝の物語』を読んだことを書いた(2009年8月25日:「著者橋本治が『双調平家物語』のダイジェストでスピンオフと語る『日本の女帝の物語』(集英社新書)を読み終わる」)。
そこで、私は『日本の女帝の物語』のあとがきに相当する「おわりに」から著者橋本治の書いた
「私にしてみれば、日本の古代というのは、「女帝の時代」があり、「摂関政治の后の時代」となり、「男の欲望全開の院政の時代」となって、そして「争乱の時代」が訪れるという、三段あるいは四段構えになっているのですが、「平家の壇の浦で滅亡するまでの平家の物語」ということになると、このすべてが一まとめになって、ひたすら「長い長い物語」にしかなりません。それで、こういう『日本の女帝の物語』を書いたのです。」(『日本の女帝の物語』214~215ページ)

日本の女帝の物語―あまりにも現代的な古代の六人の女帝達 (集英社新書 506B)
日本の女帝の物語―あまりにも現代的な古代の六人の女帝達 (集英社新書 506B)

この『日本の女帝の物語』を読み終わった時から、いずれは本家である『双調平家物語』を読まなくてはいけないと思っていたが、なにせ単行本でも15冊に及ぶ大作。版元の中央公論新社が2009年春から文庫化を始めたところで、読み始めるタイミングを図っていたが、結局、昨年の10月下旬ぐらいから読み始めた(結局、文庫は全16冊になるようである)。

双調 平家物語〈1〉序の巻 飛鳥の巻 (中公文庫)
双調 平家物語〈1〉序の巻 飛鳥の巻 (中公文庫)

読み出すと、面白い。文庫は「序の巻」から始まり、「飛鳥の巻」「近江の巻」「奈良の巻」「女帝の巻」「院の巻」「保元の巻」「平治の巻」「平家の巻」まで10冊が現在文庫化されている。
「序の巻」は、日本が範とした中国の漢や唐の時代が語られる。漢を簒奪した新の王莽、唐の則天武后、安史の乱の安禄山、史思明なども登場する。
「飛鳥の巻」から、日本に舞台を移し、蘇我氏、大化の改新、斉明女帝、天智帝、壬申の乱、天武帝、持統女帝と続く。「奈良の巻」では、聖武帝に光明子が嫁ぎ、藤原氏の台頭が本格化する。そして、天武帝の血統を皇位に就けるため、つなぎの役目で元明、元正という女帝が登場し、最後には称徳帝と光明子の娘阿倍内親王が皇太子となり、孝謙女帝さらに重祚して称徳天皇となった。
「女帝の巻」は、この孝謙・称徳女帝の時代を詳しく語り、その後の平安京遷都後平安時代前期を足早に語る。「女帝の巻」の最後は、いきなり藤原道長の栄華へ飛び、道長が娘4人を天皇に嫁がせたことを語る。しかし、藤原氏の娘たちからは、何故か男子が生まれず、藤原氏が外戚として権力を振るう時代が終り、藤原氏を外戚としない後三条帝、白河帝と続き、白河帝が堀河帝の譲位して院政が始まる。院政が始まるまでの5冊が、いわば『双調平家物語』の第一部である。

院政以後の「院の巻」からが第二部。白河院、鳥羽院、後白河院と続く院政の時代に、摂関家が衰退し、武士が台頭する。
この三人の院政の時代が、「院の巻」「保元の巻」「平治の巻」と続く。歴史の教科書では、院政も、保元の乱、平治の乱も1ページほどで語られてしまうが、多くの人びとの思惑が絡み合い、時代が変わっていったことが語られる。

現在、文庫の第10巻まで刊行されていて、昨日、読み終わったところだ。第10巻で「平治の巻」が終わり、「平家の巻」が始まった。
「平家の巻」からが、平家の栄華と衰退の物語が始まる。「平家の巻」「治承の巻」「源氏の巻」「落日の巻」「灌頂の巻」が、これから刊行される第11巻から第16巻で語られる。

私は歴史が好きで古代史を中心に多くの新書や小説を読んできたが、これまでの『双調平家物語』文庫10冊を読んで、目から鱗が落ちる思いを何回もした。
著者橋本治の日本古代史の見方は、それだけ斬新だが、でも説得力がある。これから、毎月刊行される残る6冊を読み進めるとともに、『双調平家物語』執筆時に、文芸誌『群像』に連載されたものをまとめた『権力の日本人』『院政の日本人』も併せて読み進めていこうと思う。

権力の日本人(双調平家物語 ノートI)
権力の日本人 (双調平家物語 ノートI)

院政の日本人(双調平家物語ノートⅡ)
院政の日本人(双調平家物語ノートⅡ)

<関連記事>

2010年7月28日:中公文庫版『双調平家物語』(橋本治著)ついに完結

2010年8月 4日:橋本治著・文庫版『双調平家物語』全16巻をとうとう読み終わる

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2009年8月25日 (火)

著者橋本治が『双調平家物語』のダイジェストでスピンオフと語る『日本の女帝の物語』(集英社新書)を読み終わる

作家の橋本治は、『窯変源氏物語』(1991年~93年)、『双調平家物語』(1998年~2007年)と日本の古典を題材にした長編小説を書いている。『双調平家物語』は2008年に第62回毎日出版文化賞(文学・芸術部門)を受賞している。

日本の女帝の物語―あまりにも現代的な古代の六人の女帝達 (集英社新書 506B)

『双調平家物語』は、平家物語と銘打つものの、飛鳥の時代から説き起こす。いわば、日本の飛鳥、奈良、平安の時代を俯瞰する物語になっている。本書『日本の女帝の物語』は、著者によるあとがき「おわりに」によれば、
「この本は、私の「長い長い小説」である『双調平家物語』の副産物です。ただの『平家物語』の上に「双調」の二文字がくっついたがために、「平家の物語の前段」がやたら長くなったのですが、長くなった「前段」の中核をなすのが、ここに書いた「女帝の時代」の物語です」(『日本の女帝の物語』214ページ)
「私にしてみれば、日本の古代というのは、「女帝の時代」があり、「摂関政治の后の時代」となり、「男の欲望全開の院政の時代」となって、そして「争乱の時代」が訪れるという、三段あるいは四段構えになっているのですが、「平家の壇の浦で滅亡するまでの平家の物語」ということになると、このすべてが一まとめになって、ひたすら「長い長い物語」にしかなりません。それで、こういう『日本の女帝の物語』を書いたのです。」(『日本の女帝の物語』214~215ページ)

私は、日本の歴史の中でも、飛鳥・奈良の時代には興味があって、黒岩重吾の小説(『北風に起つー継体戦争と蘇我稲目』、『磐舟の光芒』、『中大兄皇子伝』、『弓削道鏡』など)から始まって、学者(主に遠山美都男氏)の書いた新書(『大化改新』、『壬申の乱』、『白村江』など)、池田理代子や里中満智子(『天上の虹』、『長屋王残照記』、『女帝の手記-孝謙・称徳天皇物語』など)やのコミックなどこの時代を題材にしたものを読んできた。

飛鳥、奈良時代は、推古、皇極・斉明、元明、元正、孝謙・称徳という五人七代の女帝の存在と、一方、皇位継承に関わる血で血を洗うような多くの陰謀やクーデタが特徴なのだが、女帝を生み出す時代の行動原理について納得いく解釈をしてくれているものは、少なかった。

飛鳥から平安の時代を、『日本書紀』や『続日本紀』など当時の書物を読み込み、10年の長きにわたって『双調平家物語』として書き続け、作者なりになぜこの時代に多くの女帝が生まれたのかについての謎解きをしてみせたのが、本書といえる。そこには、天皇になるにふさわしい血統や人材に対する時代の考え方、同じく、天皇の后になるにふさわしい血統や人材に対する時代の考え方、があり、それが少しずつ変化していく。
また、その天皇家の周辺で、朝廷の重鎮・官僚として天皇を支える存在である有力豪族や貴族たち、大伴氏から物部氏、蘇我氏から藤原氏へ続く彼らの立ち位置の変化なども、変わっていく。
それを「『双調平家物語』のダイジェストでスピンオフ」(『日本の女帝の物語』「終わりに」より)として語ったのが本書である。

女帝の多くは、自らの血を引く子や孫を皇位に就かせるべく、他の有力な皇位継承者の即位を避けるため中継ぎの意味で即位したケースが中心であるが、しかし単なる飾りでも傀儡でもなく、多くのことを自ら行っている。また彼女たちが皇位に就いたことで、皇位継承が可能な血統・人材の位置づけが変わってしまう。
私の貧しい要約力では、とてもうまくまとめきれないので、興味ある方は、本書を読んでほしいとしか書けないが、何かいままで見えていなかった、飛鳥から平安の時代の天皇や摂関クラスの人びとの行動原理が、霧のむこうに少し垣間見えた気がする。

おそらく、もっとハッキリみようとすれば、『双調平家物語』15巻を読破する必要があるのだと思う。現在、5巻まで文庫化されているので、自分の日本古代の歴史観をまとめ、一本筋を通すためにも、一度読んでみようと思っている。

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2008年3月27日 (木)

薬師寺展を見る

2007年度もあと残すところわずか。制度上、消化しなければならない休暇が2日あり、今日と明日の2日、仕事を休むことになった。

せっかくの平日の休みを活用しないのは、もったいないので、先日、NHKの朝のニュースでも取り上げられた「薬師寺展」を見るため、上野の国立博物館に行くことにした。さらに、昨日の夜も堪能したが、東京は今週末には桜が本番。上野の帰りに、明るい時間の千鳥ヶ淵の桜を見ることにする。

薬師寺展は、今週の25日(火)から始まったばかり。しかし、国立博物館でのビッグな展覧会は、休みは相当混雑するので、できれば平日に行きたい。しかし、平日でも混んでいるのではないかと心配したが、入館券の販売窓口では、ほぼ待たされることなく、買うことができた。

今回の薬師寺展は、京都遷都1300年の記念してのイベントで6月8日まで開かれている。展示の目玉は、薬師寺金堂の「日光菩薩」、「月光菩薩」の二体と麻布に描かれた「吉祥天女」画像だろう。(昔、切手のデザインに採用されたこともある)

会場の平成館まで行ってみると、それなりに人はいて、各展示物のまわりに人だかりができている。平日でこれだと、週末の土日は渋滞状態のノロノロ歩きが恒常化するかも知れないと思う。
一番の目玉の「日光菩薩」、「月光菩薩」は仏像自体が3mを超える大きな像なので、全く見えないということはないだろう。

どちらも顔は端正で、三曲法と呼ばれる技法で、腰を少しくねらせた姿は、色っぽくもある。これまで、1300年の長きに渡って日本の社会の変遷を見続けてきた仏像であり、またこれから先も、千年の単位で歴史の変遷を眺めていくのだろう。

昼の千鳥が淵の桜の様子については、明日改めて書くことにしたい。

<追記2008.3.28>会場の国立博物館・平成館2階からガラス越しに眺める桜は、まるで一幅の日本画の屏風を見るようだった。

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2008年1月 3日 (木)

BS年末年始スペシャルで「朱蒙(チュモン)」を見る

年末年始の帰省で帰った実家のテレビが液晶テレビに変わり、BSが見られるようになっていた。何気なくチャンネルを回していると韓国歴史ドラマ「朱蒙(チュモン)」が放送されていた。
年末年始スペシャルということで、これまでにDVDがレンタルされている35話までを一気に放送しているとのことだった。
私が見始めたのは20話からなので、その前を埋めることになる。実家で見ることができたのが15話から。

15話から20話までの大きなテーマは朱蒙(チュモン)の国「扶余(プヨ)」の塩の確保である。

内陸国の扶余は、自国では塩を作れない。塩の確保を仮想敵国である漢との交易に依存せざるを得ない。
扶余の糧道を握る漢は、塩を材料に扶余に外交面の揺さぶりをかける。
それを潔しとしない扶余の王は、塩の確保のため、沿岸国への外征さえ検討する。
その扶余国の塩の悩みを朱蒙が解決しよとするところが15話から19話までのメインストーリーである。
その後の話でテーマとなる鉄製武器の製法と合わせ、塩と鉄が古代において、国の運命を左右する重要事項ということだろう。
現代に置き換えれば、軍事と食料の確保だろう。
「朱蒙(チュモン)」は、歴史ドラマだが、現代に通じる様々なテーマを考えさせてくれる現代ドラマでもあると思う。

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2007年2月15日 (木)

『血涙 新楊家将(下)』(北方謙三著)を読み終わる

先週読み終わった『血涙 新楊家将(上)』に続き、『血涙 新楊家将(下)』を読み終わった。

宋の楊家軍と遼の耶律休哥軍、お互いに騎兵を中心にした軍編成で、自軍の中では異色の存在となっており、ともに戦うための集団である。
一方で、時代は刻々と変化する。宋は2代太宗の下で、着実に国力を充実させる。一方、遊牧民の国である遼は、中国北部の燕雲十六州を有するとはいえ、宋との国力の差は如何ともしがたく、度重なる戦争で、民は疲弊している。

時代は、戦いよりも和平壇淵の盟)へと向かっている。そういった時代の中で、楊家の兄弟達、宋から遼に帰順した石幻果はどう生きるのか。少々、哀しい結末である。

次は、北方謙三の大作で文庫化も始まった『水滸伝』に挑戦するつもりだ。

*関連記事 
2006年11月25日:
宋と遼との戦いを語る『楊家将』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月9日:『血涙 新楊家将(上)』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月15日:『血涙 新楊家将(下)』(北方謙三著)を読み終わる

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2007年2月 9日 (金)

『血涙 新楊家将(上)』(北方謙三著)を読み終わる

以前、このブログでも取り上げた『楊家将』(北方謙三著)の続編にあたる『血涙 新楊家将』が昨年の年末に単行本として発売された。
『楊家将』は、吉川英治文学賞まで受賞した読み応えのある作品で、すっかり、北方『楊家将』の虜となった私は、『血涙』も、年末年始の休み中に読むつもりで購入。『強い風が吹いている』と一緒に、しばらく「積ん読」になっていた。

前作の主人公は、宋に帰順した軍閥の頭領「楊業(ようぎょう)」。彼には7人の息子がいて、それぞれ鍛えられ成長し、父を支える。楊業は、変幻自在の用兵で、遼軍を悩ませ、怖れさせる。一方、遼にも、本隊から離れ独立行動を認められた「白い狼」と呼ばれる耶律休哥(やりつきゅうか)がいた。楊業と耶律休哥というお互い認めあったライバルの死力を尽くした戦いが、前作『楊家将』の見所である。

前作後半で、宋の太宗は、先代からの悲願である「燕雲十六州の奪回」を目指して、大軍を率いて、遼に親征する。しかし、遼内に攻め込んだ宋は、大軍ではあるもののまとまりを欠き、太宗の一隊が遼軍に包囲される。楊一族は、太宗を救うため、一族が、あるものは太宗の身代わりとなり、またあるものは戦いの中で次々と最期を遂げる。さらに、楊業自身も、味方の裏切りにあい、命を落とす。楊一族が、命がけで、宋主・太宗を守ったところで、前作は終わる。

『血涙』は、楊一族の男子7人の中で生き残った楊六郎、楊七郎と、宋の軍人で宋主の親政の際、耶律休哥との戦いに敗れ、死にかけて記憶を亡くし、その力量を惜しまれて耶律休哥のもとで、遼の将軍として成長する石幻果を軸に語られる。
父亡き後、散り散りになった楊家軍を再興しようと奔走する楊兄弟。父とも慕う耶律休哥のもとで、一戦毎に力をつけ、ついには耶律休哥に劣らぬ用兵術を身につける石幻果。
そして、楊六郎と石幻果が戦場で相見える。斬り合った楊六郎の剣が石幻果の兜をとばした時、石幻果は、宋の軍人であった時の自分の姿を鮮明に思い出す。そして、そこから石幻果の苦悩が始まる。

『血涙』とのネーミングは、内容を物語る。かつての自分を思い出した石幻果は、その苦悩をどう決着させていくのか。下巻では、『血涙』の名にふさわしい結末が待っていそうである。

*関連記事 
2006年11月25日:
宋と遼との戦いを語る『楊家将』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月9日:『血涙 新楊家将(上)』(北方謙三著)を読み終わる
2007年2月15日:『血涙 新楊家将(下)』(北方謙三著)を読み終わる

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2006年12月17日 (日)

畠中恵の『しゃばけ』ワールド第5作『うそうそ』を読み、シリーズ全体のテーマを考える

畠中恵の『しゃばけ』シリーズの第4作『おまけのこ』に続き、第5作の『うそうそ』(新潮社)を読み終わった。

タイトルとなっている「うそうそ」は「嘘々」のことだろうと思っていたら、さにあらず、本書の物語の前に「江戸語辞典」(東京堂出版)による語釈として

【うそうそ】
たずねまわるさま。きょろきょろ。うろうろ。(畠中恵『うそうそ』2ページ)

という解説が付されている。なるほど、と思ったところで、読者はすでに江戸日本橋の廻船問屋長崎屋を舞台にした『しゃばけ』ワールドに足を踏み入れている。

今回はタイトルの「うそうそ」に象徴されるように、主人公である若だんな一太郎が、江戸から離れ、箱根に湯治に行くという話である。第1作の『しゃばけ』の後の3作は、『しゃばけ』の世界に奥行きと広がりを持たせる数々の短編を綴った短編集だったが、今回は、日本橋を離れてからの道中と目的地の箱根で巻き起こる数々の出来事・事件を綴った長編である。

長旅で、若だんなのそばを離れることなど考えられない佐助・仁吉の二人の手代が旅の最初からいなくなり、読者は、道中で起こる不可思議な出来事に、一太郎とともに、わけもわからず旅をすることになる。やがて少しずつ、事件の意外な真相が明らかになっていくが、それは読んでのお楽しみということで、本の帯にあるキャッチコピーのみ記しておく。

若だんな、旅に出る!初めての旅に張り切る若だんなだったが、誘拐事件、天狗の襲撃、謎の少女出現と旅の雲行きはどんどん怪しくなっていき……。

締めくくりに、シリーズ5作を読み通してみての感想を少々。

『しゃばけ』シリーズは、江戸時代を舞台にしているが、きわめて現代的なテーマを扱っているように思う。主人公の若だんな一太郎は病弱で、生まれてからこの方、病で床にふせっている時間の方が長いのではないかと思われるほどである。両親は、近所でも評判になるほど、息子に対して大甘だし、お守り役の佐助・仁吉の二人の手代も、何をさしおいても、若だんなが一番大事ということで、一太郎は世間の荒波から二重・三重に守られた箱入り息子である。

しかし、彼自身は、その境遇に安住しているわけではなく、なんとか人の役に立つ自分でありたいと願っている。しかし、店の手伝いをしようとしても、風邪をひく、怪我をするといって2人の手代が何もさせてくれない。その中で、どうやって独り立ちし、一人前になっていくのか。一太郎に悩みは深い。今回、第5作で、日本橋の長崎屋の世界から飛び出して、お守り役の二人の手代もいない中(兄の松之助は一緒だったが)、旅に出たことは、彼の独り立ちへ向けた転機になるのではないだろうか。

そういった一太郎のけなげな姿が、結果として過保護に育てられ、親離れ仕切れない現代の若者(中年も含めて)の共感を呼び、シリーズ100万部を超えるヒットになっているのではないかと思う。 

*『しゃばけ』関連の記事
2006年12月8日:畠中恵の『しゃばけ』『ぬしさまへ』『ねこのばば』を読む
2006年12月13日:畠中恵の『しゃばけ』ワールド第4作『おまけのこ』
2006年12月17日:畠中恵の『しゃばけ』ワールド第5作『うそうそ』を読み、シリーズ全体のテーマを考える

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