2008年10月 8日 (水)

脳学者茂木健一郎の悩みに河合隼雄さんがヒントを与える河合隼雄・茂木健一郎対談集『こころと脳の対話』

一昨日、河合隼雄さんの1周忌を弔うように出版された対談集として『こども力がいっぱい』(光村図書出版)を取り上げ、その中から河合さんと宇宙飛行士の毛利衛さんの対談の内容の一部を紹介したが、同じように1周忌前後に出版された対談集がもう1冊あった。河合さんと脳科学者の茂木健一郎さんとの3回の対談をまとめた『こころと脳の対話』(潮出版社)である。

対談そのものは、初回が2005年11月に東京のホテルの一室で、2回目が2006年2月に京都にある河合さんの研究室で、第3回は2006年4月に茂木さんが講師を務めるカルチャースクールの連続講座に河合さんが特別ゲストとして招かれるという形で行われている。
普段は、聞き手に回る河合隼雄さんが、この茂木さんとの対談では全体を通して、喋る側に回っているのが印象的である。それは、第3回の対談の締めくくりの2人の会話に端的に表れている。

<河合>しかしね、考えたら 、いつも僕、茂木さんにうまいことやられて、しゃべりまくっているんだけれど、本当は脳の話をもうちょっとしてもいいんです。
<茂木>いえいえ、ちゃんと脳の話につながっていますんで。
(『こころと脳の対話』203ページ)

そこは、NHKの「プロフェッショナル-仕事の流儀」で、数多くのプロフェッショナルな人たちのインタビュアーを務める茂木さんの面目躍如というべきであろうか。
むしろ、対談時に43歳(1962年10月生まれ)だった茂木さん、自ら抱える悩みを、臨床心理士である河合さんにカウンセリングしてもらっているようにも読める。対談に中では、脳学者として「クオリア」(感覚の持つ質感)というものを研究テーマにし、脳と心の関係(心脳問題)を研究している茂木さんならではの悩みが披瀝される。ものすごく簡単に要約してしまえば、「心の問題は科学で扱えるのか?」という問題だと私は思う。読み終わってから改めて考えると、それは40代前半の茂木さんにとって、ある種の「中年クライシス」(中年期の危機)だったのかも知れないと思う。茂木さんが自ら見た夢を語り、京都の河合研究室で箱庭を作り、その夢や箱庭に現れたものを河合さんが河合流に説明していく。
それは、茂木さん個人の夢や箱庭に現れた茂木さん個人が直面している問題を2人で考えるという形にはなっているのだけれど、どこかで普遍的なものに繋がっていて、読む者を納得させる。

第1回では、茂木さんの見た夢「イギリスでバスで旅行をしていて、そのバスの中に赤い服を着た5~6歳の小さな女の子が乗っていて、それが誰だかわからない」との問いに、の河合さんがいくつかの見方を説明し、それをヒントに茂木さんが自らの考えを深めていく。
また、第2回の対談の際に、茂木さんが作った箱庭では、箱庭作りで使ったニワトリやゴリラの人形が心を読み解くヒントになる。
この時、茂木さんが作った箱庭は、河合さんの訃報に接した際の茂木さん自身のブログの記事に写真が載っている(茂木健一郎:クオリア日記、2007年7月21日河合隼雄先生のこと

「こころ」と脳について、関心のある方は、一読されるとよいと思う。

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2008年10月 6日 (月)

季刊誌「飛ぶ教室」での河合隼雄さんの対談をまとめた『子ども力がいっぱい』から毛利衛さんの「受け入れる力」

元文化庁長官で心理学者の河合隼雄さんが2007年7月16日に亡くなって1年余。一周忌を弔うように、河合さんゆかりの本が何冊か出版された。
2008年8月に出版されたのが、しばらく前にこのブログで紹介した『河合隼雄のスクールカウンセリング講演録』(村山正治・滝口俊子編、創元社)と作家の小川洋子さんとの対談をまとめた『生きるとは、自分の物語をつくること』(新潮社)。

ちょうど一周忌にあたる2008年7月に出版されたのが、今日紹介する『子ども力がいっぱい』(光村図書出版)である。

児童文学をテーマにした光村図書の季刊誌『飛ぶ教室』での「あなたがこどもだったころ」と題した著名人の子ども時代をテーマにした対談をまとめたものである。「飛ぶ教室」は、河合さん自らが編集委員に名を連ねていたこともあり、様々な形で積極的に関わっていたようだ(「飛ぶ教室」2008年冬号での今江祥智氏と山中康裕氏の対談から)。「飛ぶ教室」は1981年12月に創刊され1995年にいったん休刊、2005年に復刊している。河合さんは休刊前の旧「飛ぶ教室」でも「あなたがこどもだったころ」という対談を行っており、現在『あなたがこどもだったころ』として講談社+α文庫に収録されている。

今回の『子ども力がいっぱい』にまとめられた対談は、2005年の「飛ぶ教室」の復刊第1号から第6号まで連載され、最後の対談となった女優三林京子さんとの対談は2006年5月に行われていたが、河合さんがその直後に脳梗塞で倒れたこともあり、河合隼雄追悼号となった2008年冬号に掲載された。今回復刊1号から6号までの対談と併せて7人との対談が本にまとめられた。対談相手は、どういう基準で選ばれたのかはわからないが、よくこれだけのメンバーが集まったものだと思えるほどそうそうたる顔ぶれである。

第1号山本容子(銅版画家)
第2号鶴見俊輔(哲学者・評論家)
第3号筒井康隆(作家)
第4号佐渡裕(指揮者)
第5号毛利衛(宇宙飛行士・理学博士)
第6号安藤忠雄(建築家)
第12号三林京子(女優)

どの対談相手も個性的な人物ばかりで、味のある対談になっているが、これまであまりこのような場に登場することがなかった日本初の宇宙飛行士の毛利衛さんの素顔がのぞけたのは興味深かった。

宇宙飛行士になったことについて次のようなやりとりがある。

<毛利>たまたま運が良かったんじゃないですか、本当に。同時に子ども時代からの自分を見てくると、何かすごく期待されているわけでも、またそういう巡り合わせではないけれども、いろいろなものがちょっとしたぎりぎりのところでうまくかみ合ってきた。それで宇宙に行けたというのがわかりますね。ちょっとしたところをうまく生き延びてこられたのが影響していると思いますね。
<河合>自分から、これをやろう、あれをやろうというんじゃなくて、ちょっと待っているときに、うまく来て、来たのにすうっと乗ってという感じはありますね。(一部略)
<毛利>それは、確かにありますね。
(中略)
<河合>でも、大事なことは、それに応える力があったということですね。そういうのに応えられて、また次に応えられる。来たものをうまく受け止めてやれる力、環境をうまく受け入れる力と言ってもいいでしょうね。それがあったわけですよ。
<毛利>その性格がどこから来たかはわかりませんけれども、八人兄弟の末っ子ということもあったかもしれませんね。
(『子ども力がいっぱい』140~141ページ)

このあたりのやりとりが、この毛利さんの特長をもっともよく表していると思われたのだろう対談のタイトルは「環境をうまく受け入れる力」となっている。

インタビューを終えた後のコメントの中で、河合さんは
「このように与えられた条件を最大限に生かす毛利さん力がよくわかって感心した。これも本人に言わせれば「たまたま運がよかったんじゃないか」ということになるが、その「運」も受け止め方によって悪運になるかもしれない、ということをわれわれは知っておかなくてはならない」(『子ども力がいっぱい』144~145ページ)

「運」も力のない人にとっては、悪運になるかもしれないというひと言は、我が身を振り返っても思い当って耳が痛い。常に、自分の力を蓄え、磨いておかなければならないということだろう。

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2008年9月21日 (日)

プロとは「研究者」と「芸術家」と「勝負師」のバランスよく併せ持つ人-河合隼雄さんと谷川浩司九段の対談(PHP文庫『「あるがまま」を受け入れる技術』と『河合隼雄のスクールカウンセリング講演録』)から

河合隼雄さんが亡くなって1年が過ぎたが、亡くなった今でも、河合隼雄さんを偲ぶように、新たな本の出版や文庫化が続いている。

その中に、河合さんが毎年の学校臨床心理士全国研修会で行った講演をまとめた『河合隼雄のスクールカウンセリング講演録』(創元社)、将棋の谷川浩司九段との対談をまとめた『無為の力』(PHP)に加筆・改題して文庫化した『「あるがまま」を受け入れる技術』(PHP文庫)がある。

河合隼雄のスクールカウンセリング講演録

『河合隼雄のスクールカウンセリング講演録』は、臨床心理士が学校現場にカウンセラーとして派遣されるようになって、すでに10年以上が過ぎるが、そのスクールカウンセラーが全国から集まって開催される「学校臨床心理士全国研修会」で河合さんは、1996年7月の第1回から倒れる直前の2006年8月の第11回まで、計11回、毎年講演を行っている。この講演録では、そのうち専門誌等に掲載されたもの、講演テープが入手できたもの、計7回分が掲載されている。講演現場で日々臨床に携わるカウンセラーへのエールを送り、励ます講演内容になっている。

「あるがまま」を受け入れる技術  (PHP文庫)

そして、そのスクールカウンセラーの講演でも話題になったのが、『「あるがまま」を受け入れる技術』で詳しく紹介されている将棋の谷川浩司九段との対談である。この対談の中で、谷川九段は棋士に必要な素養として「勝負師」と「芸術家」と「研究者」の三つの素質を三分の一ずつバランスよく持っていることが必要と述べている。

「あまりにも芸術家の部分が強すぎると、ちょと自分が悪い手を指した時に嫌気がさしてしまって、勝負に対して淡泊になってしまうことがあります。これでは、勝てる将棋も諦めて投げ出してしまうことになりがちです。
逆に勝負師の部分があまりにも強すぎると、その一局だけ勝てばいいということで、見ていて面白い、価値ある将棋が指せないということになってしまう。それはそれでプロ棋士としてはどうかと思います。
もうひとつ、研究者の素質というのは、最近になって必要とされるようになってきたんですね。(中略)今は本当に情報化社会で、お互いの対局の棋譜がすべてパソコンで検索できるような時代です。ですから事前に情報を調べておいて研究をするということに比率が非常に高い。
(中略)研究だけに偏ってしまうと、どうしても前例のない局面に入った時に自分の力で切り拓いていくような逞しさに欠けてきますし、自分の発想でまったく新しい手を打ち出していくような創造性に欠けるように思います。やはり自分の力で考えて、自分だけの手を指すというのが将棋の一番の醍醐味だと思いますので。」(『「あるがまま」を受け入れる技術』90~92ページ)

河合隼雄さんは2005年の「学校臨床心理士全国研修会」で谷川九段と対談したことに触れ、棋士の3つの素養について紹介した上で、次のように語る。

「みなさん、カウンセラーも同じだと思いませんか。やはり、われわれは研究者でないといけない。(中略)いろいろなものを読んで、こんな考え方もある。あんな考え方もあると知っている必要があります。しかし、実際にクライエントが「今から死にます」となったときに、「ちょっと待ってな!」とか言って調べているひまはありません。そこで「やめとけ!」というか、「そうか、死ぬか」と言うのか、選択肢はいろいろあります。そのとっさに判断、これは芸術的判断に近いのではないでしょうか。
でも、それだけでは足りません。「絶対に役に立つのだ。私の前に来たこの人の人生に、意味ある役に立つことをする。そのために自分はここにいるのだ」という強い信念を持つ。これが「勝負師」です。」(『河合隼雄のスクールカウンセリング講演録』204~205ページ)

将棋の頂点を極めた谷川九段が語り、臨床心理学の大家河合隼雄さんが紹介した<「研究者」と「芸術家」と「勝負師」>の三つの素質は、これから、あらゆる分野でプロフェッショナルを目指す者に求められることのような気がする。

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2008年4月28日 (月)

河合隼雄著『河合隼雄の”こころ”』で語られる「指導力」

4月の半ばに、このブログで紹介した河合隼雄さんの『河合隼雄の"こころ"』(小学館)を2、3日前から読み始め、今朝の通勤電車で読み終わった。

教師向けの月刊雑誌に「子どもの心、教師のこころ」というタイトルで連載された30編のコラムをまとめたものである。
この中で、「教師の指導力」について書かれた部分を紹介しておきたい。

教師の「指導力」の中核にあるのは「授業」である。自分の教える学科についてよく知っていることはもちろんだが、それを「教える」ことについてもよく知っていなくてはならない。つまり、知識があるというだけでなく、それをどのように教えると子どもたちが理解しやすいのか、子どもたちはどのような誤りとか、誤解とかをしがちであり、それをどう説明するとよいのか、などということをよく知っていなくてはならない。(中略)
教えるべき内容、その教え方に、教師が興味をもっていることがまず大切である。教師の興味が子どもに伝授されてゆく。興味あることにともに向かっている中で、教師の指導力が自然に発揮されてくる。(『河合隼雄の"こころ"』36~37ページ)

最近、現在の職場での在籍が長くなったこともあって、新任者への研修の講師役をやったり、これまで自分が比較的詳しく調べてきたことを同僚に説明をしたりと、「教える」ことが増えてきている。
そんな立場で読むと、教えることの内容を詳しく知っていることと、「教え方」を知っているということは、別の話だという点は、実にその通りだと思う。
どう説明すれば、その分野に詳しくない人にわかってもらえるのか。それを考えることが、「教育」の一番重要なことなのだろう。

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2008年4月16日 (水)

河合隼雄著『河合隼雄の"こころ"』

故河合隼雄文化庁長官を追悼する雑誌の特集号は、以前紹介したが、その後、月刊『教育総合技術』という専門雑誌に2004年4月号から2006年9月号まで連載されていた記事をまとめた『河合隼雄の"こころ"』(小学館)が出版された。

『教育総合技術』という雑誌は、学校の先生向けの専門誌のようで、連載記事「子どもの心、教師のこころ」というタイトルで、先生を対象に子どもと大人、学校、社会などとのの関わりをテーマにしたものになっている。

また、この本には、河合隼雄さんが選んだ「親子で読みたい本」のリストが、児童書と絵本に分かれて載せられている。編集部によるまえがきだと、いずれ、河合さんが文化庁長官退官後に全作品につき解説を執筆してもらう予定で、とりあえずリストアップだけがされていたが、亡くなられたためリストだけが残ったというもの。河合さんは、児童書も多く読まれ、何冊も児童書について語った著作があり、解説書が実現していれば、よき児童書、絵本の手引きになっていたに違いないと思われるので残念である。

おそらくは、この本が、河合隼雄さんが書かれたものの最後になるのであろう。今年に入ってから、20代の若者が、無差別に衝動的に他人を殺傷する事件が続いていて、単に表面的な動機の分析だけではなく、社会全体に蔓延する病理のような物を考えていかなければならない時に、それにもっともふさわしい河合さんがすでにこの世にいないことは、残念である。

この本の帯には「不世出の臨床心理学者が最期の綴った"おとなのこころと子どものこころ"」とあるのだが、「不世出」という言葉がまさにその通りだなという気がした。
本当は、河合さんの書物から薫陶を受けた、我々のような後の世代の者が、河合さんの深い洞察からヒントを得て、実践し、少しでも社会を変えていかなければならないのだろうけれど、現実には、自らの子育で精一杯であり、なおさら失った河合隼雄さんの存在の大きさを感じる。

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2008年3月21日 (金)

亡くなるまでの河合隼雄さんの1年間の眠りの意味を思う-『考える人』2008年冬号のよしもとばななさんの追悼文から

一昨日買った河合隼雄追悼特集の載った雑誌『飛ぶ教室』と『考える人』を昨日、今日と読む。

飛ぶ教室〈2008 winter no.12〉追悼・河合隼雄 河合さんと子どもの本の森へ―児童文学の冒険
飛ぶ教室〈2008 winter no.12〉追悼・河合隼雄 河合さんと子どもの本の森へ―児童文学の冒険

河合隼雄さんは、文化庁長官在任中の2006年8月17日の奈良の自宅で倒れ、入院。2007年7月19日に亡くなるまで、1年弱昏睡状態が続いた。

その間、私も含め日本全国で何百人、何千人もの人が河合さんが再び起き出し、昏睡中の見た夢の話を語ってくれることを願っていたに違いない。(私も「気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態・その2」でそれを書いた)
しかし、その願いは叶えられず、河合さんはあの世に旅立たれ、帰らぬ人となった。「やはりだめだったか…」おそらく回復の可能性は限りなく小さいとは分かっていながら、しかしそれを願わずにはいられない1年だった。

『考える人』2008年冬号では、河合隼雄さんと『なるほどの対話』という対談集を出したこともある作家のよしもとばななさんも「河合先生ありがとう」という自らも河合さんに癒された個人的な思い出を交えた追悼文を寄せている。

なるほどの対話 (新潮文庫)
なるほどの対話 (新潮文庫)

この追悼文の結びが、河合隼雄さんを慕う全ての人の気持ちを代弁するような言葉になっている。

とうとうこんな日が来てしまったか、と思って必死で回復をお祈りした。河合先生が「よしもとさん、やあ、大変でした」と笑いながら戻って来る日を夢見たけれど、かなわなかった。(中略)
そして、私たちがみんな河合先生を当てにして、手放したくなくて、地団駄をふみたいような気持ちだったから、きっと河合先生はあのときに直接旅立つことをしなかったんだなと私は思う。みんなに時間をかけてゆっくりあきらめてほしかったじゃないかな。男として攻撃的に仕事に向かっていく以外の時間はいつもいつも自分よりも人のことを考えていらした、ひっそりと野に咲く花のような人だった。  
(新潮社『考える人』2008年冬号102ページ)

「みんなに時間をかけてあきらめてほしかったじゃないか」という一文は泣かせる文章だ。
あの世に旅立つ時まで、河合隼雄さんは、自分を慕う人たちに、別れを惜しむ気持ちを、あきらめきれない気持ちを昇華させる時間を残していたとは。
もちろん、ご本人がそう考えていたか知る由もないが、昏睡されていた1年をそのようにとらえることで、自分の気持ちに整理をつけるのが、河合さんを私淑する者にふさわしい心の有り様のように思う。

河合さんの最後の作品である自伝物語の『泣き虫ハァちゃん』(新潮社)は、まるで河合さんの遺書のように思え、読んでしまうと河合さんの死を認めなければならないような気がして、ずっと遠ざけていたのだが、今日覚悟を決めて買ってきた。

泣き虫ハァちゃん
泣き虫ハァちゃん

自分も、人生の師であった河合さんの死を受け入れて、次のステップへ進まなくてはならないのだと思う。

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2008年3月20日 (木)

河合隼雄さんの追悼特集を組む『飛ぶ教室』2008年冬号と『考える人』2008年冬号を買う

臨床心理学者で数々の著作を残された河合隼雄さんが脳梗塞で倒れ、1年近い入院闘病ののち、亡くなられたのが昨年(2007年)の7月19日。もう半年以上になる。

このブログでたまたま書いた闘病中の河合隼雄さんの容態を心配する記事(2006年8月24日「気がかりな河合隼雄文化庁長官の容態」)が、グーグルなどの検索サイトで長らくトップ10に表示されたこともあって、倒れられてから亡くなってまでのほぼ1年の間、毎日必ず10~20件程度アクセスがあり、多くの方に読んだいただいていたが、さすがに、最近ではほとんどアクセスされることはなくなっていた。
最近になって、朝日新聞社から出ていた『大人の友情』が文庫化されたのを見て、「やはり河合隼雄さんも時間の経過とともに過去の人になっていくのだろうか?」と妙に感傷的な気分になったりもしていた。

昨日、仕事の帰りにいきつけの書店に寄るると、河合隼雄追悼特集を組んでいる雑誌が2冊並べられていた。
光村図書発行の『飛ぶ教室』の2008年冬号と新潮社の『考える人』の2008年冬号。もちろん2冊とも買う。

飛ぶ教室〈2008 winter no.12〉追悼・河合隼雄 河合さんと子どもの本の森へ―児童文学の冒険
飛ぶ教室〈2008 winter no.12〉追悼・河合隼雄 河合さんと子どもの本の森へ―児童文学の冒険

『飛ぶ教室』の方は、河合隼雄さんとともに『飛ぶ教室』を創刊した児童文学作家の今江祥智さんと臨床心理学者で京都大学で河合さんの後輩にあたる山中康裕さんが「河合さんと子どもの本の話をしよう」というタイトルで対談しているほか、河合さんにゆかりのある人たちがそれぞれに河合さんの思い出の一文を寄せているほか、兄で動物学者の河合雅雄さんが隼雄さんが書いた自伝物語『泣き虫ハァちゃん』にまつわるエピソードを「泣き虫ハァちゃん異文」として寄せている。

考える人 2008年 02月号 [雑誌]
考える人 2008年 02月号 [雑誌]

『考える人』の方は、当初単行本化する予定で連続対談が組まれる予定だった作家の小川洋子さんと河合隼雄さんの対談、小林秀雄賞の選考委員として河合さんとともに選考にあたった加藤典洋・関川夏央・堀江俊幸・養老孟司4氏の対談、立花隆さんと河合さんの対談の再録、そして河合さんと関わりのあった人たちへのインタビューや、思い出を綴った文章という内容である。また、河合さんの著作をジャンル別に分けた「たましいの森をあるく」と題した河合隼雄ブックガイドもある。

どちらもそれぞれ趣向をこらした編集となっている。春分の日の今日、東京はあいにくの雨模様なので2冊を手に「雨読」に専念しようと思う。

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2007年9月13日 (木)

河合隼雄著『心にある癒す力治る力』を読み終わる

先日読み終わった河合隼雄著『閉ざされた心との対話』に続く「心理療法の現場から(下)」とサブタイトルのついた『心にある癒す力治る力』(講談社)を読み終わった。

心にある癒す力治る力―心理療法の現場から〈下〉 (心理療法の現場から (下))
心にある癒す力治る力―心理療法の現場から〈下〉 (心理療法の現場から (下))

下巻でも河合隼雄さんと8人の臨床心理士、精神科医、家庭裁判所の調査員など、心を病んだ人たちと対峙している人たちの対談である。
上巻にあたる『閉ざされた心との対話』が主に、小学生から大学生と向き合っているカウンセラー、臨床心理士が中心だったの対し、下巻では、カウンセリングの手法(夢分析、箱庭療法等)の特色のあるカウンセラー、家庭裁判所で少年少女事件の調査を行うなかでカウンセリングに近い仕事をしている調査員、企業の社員相手にカウンセリングを行う産業臨床心理士など、切り口が多彩だ。

どれも興味深い話が多いが、自分が企業で働くサラリーマンということもあり、第六章「働きざかりの心の病」で登場する箕輪尚子さんの話は、とりわけ興味深く読んだ。

箕輪さんは、インタビュー時(1999年)に時点で、電気機器メーカーA社、通信事業会社B社、化学メーカーC社の3社に産業臨床心理士としてかかわっているが、3社の企業風土・文化が全く違い、カウンセリングの対象になる患者の病気の種類、発症の契機が全く違うのだという。

A社は個性が大事にされていて、一人一人が社会的使命感をもって働いているようなところがあります。新規の患者数は年に20人くらいです。
一方、B社は個人よりも組織が優先している感じ。これはこれで、利益が安定しているとか、簡単に解雇されないとか、それなりにいい面もあるんですが、人間的な面では抑えられているところがありますから、自分の感情を体験できず徐々に無気力になっていく。症状としては、遁走とか、会社に来られなくなるというのが多く、年7、80人は患者が出てきます。
C社では上と下の信頼関係がしっかりしていて、下が上に猜疑心がなくて言いたいことが言える。だからほとんど患者さんが出ず、年にせいぜい3人くらいです。
(『心にある癒す力治る力』141~142ページ)

A社の場合、会社に入ったときから、自分で考えるとか、創造するということのトレーニングをされてくるんですが、B社の場合は、そうしないことがいいことで、自分で発想したらいかん、上から言われたとおりにやることがいいことだと言われてきましたから、いまさら自分で考えろといわれても困るんです。
(『心にある癒す力治る力』142ページ)

会社別の症状の違いについての河合さんの問いにには、次のように答えている。

A社の場合ですと、自分の仕事が上司に認められないのではないか、自分の存在が会社に大事に思われていないのではないかという感じで出てくるんです。
B社の場合は、本人たちもよくわからない。だから、上司に連れられてくることが多い。会社に来ない、どうしたのかと聴いても、「よくわからんないけど調子が悪い」という感じです。自分というものがしっかりしていない。
C社の場合、みんな自由気ままに振る舞っていますからすごく気楽ですが、若いときにしっかりしたしつけがないので、自分勝手に振る舞ってきた人は、中高年になったとき、誰も言うことを聞いてくれなくなって浮いてしまう。
このように、企業の組織の風土と文化というものと、その人のパーソナリティとの関連で、病気が発症してくる傾向があると思います。
(『心にある癒す力治る力』143ページ)

終身雇用制が崩れつつある日本の企業社会だが、とはいえ、一生の間に、いくつもの企業を渡り歩くわけにもいかない。
たった3つの会社の比較でも、これだけ風土・文化に違いがあるのだから、就職の時に、いかに自分にあった職場を見つけるかが大切かということを改めて感じる。
一生懸命探してて、意中の会社・職場に巡り会い、めでたく採用となっても、その会社が別の会社に買収されたりすることも、珍しいことではなくなったので、意中の職場に採用されただけで、安心できないところが、つらいところではある。
それでも、社会人としての最初の訓練を受ける場が、どこになるかは、その後の人生に大きく影響を与えるだろう。

現在は、この対談からすでに8年が過ぎ、サラリーマンを巡る状況は厳しくなる一方だ。B社のような会社で、考える訓練をされなかった社員も、いやおうなく考えなければならなくなってきている。そういった時代の変化が、「メンタルヘルス・マネジメント検定」という資格を生み出すことになったのだと思う。生きにくい時代になったものである。

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2007年9月10日 (月)

河合隼雄著『閉ざされた心との対話』を読み終わる

今年(2007年)の7月に亡くなった河合隼雄さんの著書で最近買い込んだ3冊の内の1冊、『閉ざされた心との対話』(講談社)を読み終わった。

閉ざされた心との対話―心理療法の現場から〈上〉 (心理療法の現場から (上))
閉ざされた心との対話―心理療法の現場から〈上〉

サブタイトルに「心理療法の現場から(上)」とあるように、『心にある癒す力治る力』と題した下巻がある。

内容は河合隼雄さんと各地でカウンセリングの仕事をしている臨床心理士の人との対談で、河合さんが聞き手になって、それぞれのカウンセラーの経験を語ってもらうというものだ。初版が発行されたのが1999年5月。対談自体は1998年4月から翌1999年1月にかけて行われ、講談社の月刊誌「本」にそのダイジェストが連載されていたという。

上巻にあたる『閉ざされた心との対話』には9人のカウンセラーとの対談が収められていて、そのうちスクールカウンセラーとして小中高生やや大学での学生相談などを行っている。(9人の中には、以前このブログで紹介した『思春期をめぐる冒険 心理療法と村上春樹の世界』(新潮文庫)の著者である岩宮恵子さんも含まれている)

9人それぞれに、感動的な話、なるほどそうかと思わせる話があるが、そのうちの一つを紹介しておきたい。

9人のカウンセラーの最後の登場する大学の学生相談室のカウンセラーをしている高石恭子さんという方のコメントである。高石さんは、たまたま私と同じ1960年生まれである。

学生相談室なので、相談の内容は必ずしもメンタルなことと限定しているわけではないようだ。高石さんのカウンセリングの際のモットーは「間口は広く奥行きは深く」ということ語っているが、中には”「顔を洗って出直しておいで」と言いたくなるような学生もときどき来ます”とのことなのだが、最後に

ただ、気をつけているのは、どんな切りだし方であっても、それが相談室にもちこまれる限り、背後には彼らの成長したい欲求が動いていると思うんです。人の悩みには軽重はない、という姿勢を忘れないように、いつも肝に銘じています。
(『閉ざされた心との対話』224~225ページ)

という言葉で、締めくくられていた。

親として、自分の子供の話に耳を傾ける時に、このような真摯な姿勢で聞こうとしているだろうかと、少し反省した締めくくりの言葉だった。

心にある癒す力治る力―心理療法の現場から〈下〉 (心理療法の現場から (下))
心にある癒す力治る力―心理療法の現場から〈下〉

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2007年9月 3日 (月)

報道から再現する河合隼雄さん追悼式の様子

昨年(2006年)8月に脳梗塞で倒れ、今年7月に亡くなった河合隼雄・元文化庁長官の追悼式が、昨日(2007年9月2日)午後1時から京都市の国立京都国際会館で行われた。
各報道機関によれば、小泉純一郎前首相をはじめ約2000人が参列したという。

追悼式の式次第は以下の通り(京都大学ホームページより)

開式
挨拶 
 京都大学副学長 東山紘久
黙祷
追悼の詞
 京都大学総長 尾池和也
 文部科学省事務次官 銭谷眞美
 国際日本文化研究センター所長 片倉ともこ
 日本臨床心理士会会長代行 乾吉佑
故人追憶
 哲学者 梅原猛
 哲学者 鶴見俊輔
 人類学者 中沢新一
献奏
 ブラームス『弦楽六重奏曲 第1番変ロ長調』
 第一楽章、第二楽章
遺族挨拶
 河合俊雄
献花
閉式

各社のニュース報道から、可能な範囲で各参列者の挨拶を再現してみる。

まず、最初の「挨拶」に立ったのが追悼式の代表発起人であり、河合さんの弟子の1人であり臨床心理学者として著作も多い東山紘久京都大学副学長。

「一人の心理学者として最後までカウンセリングを続けた。冗談が好きな人で、失った悲しみは大きい」(共同)
「『あの世もなかなかおつなものや』と言いながら、起きあがると期待していたが、かなわなかった。迷える人々のために、あの世でもカウンセリングをしておられるだろう」(読売)

「追悼の詞」
最初に「追悼の詞」を述べたのは同じ京都大学の尾池総長。

「私はホラを吹くだけと違(ちご)て、フルートも吹く」と言われたというエピソードを紹介。(毎日)

さらに、梅原猛さんが初代、河合隼雄が2代め所長を務めた京都の国際日本文化研究センターの片倉ともこ所長。

「『夢の話は向こうでするわ。あんたもはよ来なはれ』と言わんばかりに早く逝ってしまわれた」(読売)

「故人追憶」
哲学者梅原猛さんの言葉は、様々な表現で各社で取り上げられている。

「友情の厚さに、涙を流さんばかりでした。学者としても優れていたが、実践家としても素晴らしかった」(朝日)
「学生紛争の時、学生と話をするのを楽しんでいた」(毎日)
「天皇が権力、武力を持たない特異な構造が日本の特徴とする『中空の理論』はぐれた着想」(日経)
「私が別れの言葉を言うのに驚いている。35年前にエレベーターの中で夢について研究したらと話し、そのことを忘れずに著書を出された。知的好奇心の素晴らしさにびっくりした」(京都新聞)
「私が死んだ時の葬儀委員長は河合さんに、と思っていたのに、私がお別れの言葉を言わなければならないとは。人の百生分、千生分も働いた。ゆっくりとお休みください」(読売)
「ユングの学説と東洋の文化を結び付け、河合心理学を発展させた業績は大きい。普通の人の百生分、千生分(の人生を)働いたので、ゆっくりお休みください」(共同)

続いて、哲学者の鶴見俊輔さん

「米大陸先住民と笛でうち解け合う魂の自由さが、学問をたぐいまれなものにしている」(日経)
「魂の自由な動きが、この人の学問をたぐいまれなものにした」(毎日)
「この人に会うことができて京都に来てよかったと思った」(読売)
「あなたに会うことができてよかった」(朝日)

3人めは人類学者の中沢新一さん

「神様の前で度の過ぎた冗談を言って、この世に差し戻されたのか、今でも先生の笑い声が自分のなかで響いている」(日経)
河合さんが倒れた昨年8月17日に対談する約束だったことを明かし、「夢の中で対話を繰り返している。今でも先生の笑い声を感じる」(読売)

フルートを自ら奏でるなど音楽好きの故人の要望もあって、ブラームスの弦楽六重奏の献奏が行われたのち、最後に遺族代表として、ご長男で京都大学教授の河合俊雄さんが挨拶。

「父にとっても、(倒れる)予兆を感じていた様子はなかった。意識が戻らず、誠に無念。河合はみなさんにとって父であり、河合隼雄という物語の中で生き続けている」(読売)
「庶民的な父だったが、華やかな式を喜んでいると思う」(日経、共同)

冒頭の東山京大副学長の言葉のように、もう一度、夢から覚めたように、垣間見たあの世のことを語ってくれるのではないかと、願っていたが、叶わぬこととなってしまった。

私個人としては、買い込んだ未読の河合隼雄さんの著作を、じっくり読んで、冥福を祈ることにしたい。

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