2010年11月 7日 (日)

柏にある児童書専門店「ハックルベリーブックス」へ行った

2010年10月に柏にオープンしたばかりの児童書の専門店「ハックルベリーブックス」へ行ってきた。歌人の松村由利子さんのブログ「そらいろ短歌通信」で先週紹介されていた。

我が家からだと最寄り駅から池袋に出て、山手線で日暮里に行き、そこで常磐線快速に乗り換えて5駅。日暮里で待ち時間なしで乗り換えられたので、電車に乗っている時間は1時間ほどだった。

まだ、真新しい2階建て。児童書と絵本を中心に、身の回りの雑貨など。

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児童書には知らない本も数多くあったが、ナルニア国シリーズ、ゲド戦記シリーズ、上橋菜穂子の「守り人」シリーズと「獣の奏者」のシリーズなども置かれており、さすがに定番は外していないなという感じである。岩波少年文庫から改訳版が出たばかりのアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』上・下、トーベ・ヤンソンのムーミン谷シリーズは、ハードカバーの『楽しいムーミン一家』『ムーミン谷の十一月』があった。うれしかったのは、このブログでもずいぶん宣伝した佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』も講談社文庫版が置かれていた。

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店長推薦の『十一月の扉』(高楼方子作)を一冊買ってきた。

十一月の扉
十一月の扉

一緒に行った妻は、『イギリスのお話はおいしい』というイギリスの絵本や児童文学に登場するお菓子のレシピ本を買っていた。

イギリスのお話はおいしい。―すてきなティータイム (MOE BOOKS)
イギリスのお話はおいしい。―すてきなティータイム (MOE BOOKS)

雑貨も気のきいた小物が多く、鍋敷きやブックエンド、特製のトートバッグなども合わせて購入した。

びっくりしたのは、店の中に本物のフクロウがいたこと。最初は、精巧にできた作り物かと思っていたら、実は生きている本当のフクロウだった。店のマスコットということらしい。(写真は店に来ていた女の子の手に乗ったフクロウ)

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店番の男性にフクロウのことを聞こうと声をかけたら、店長である奥山恵さんのご主人で、ウイークデイは小学校の先生、土日は店番を手伝っているとのことだった。

先週(2010/10/29)の松村さんのブログ「そらいろ短歌通信」では、「本と子ども」というタイトルで

   子どもらと何話したか君が手に赤いインクのらくがきありて  
                       
という奥山さんの短歌が紹介されていたが、ひょっとするとこの店番をしていたご主人が、手に赤いインクのらくがきをされていた「君」だったのかもしれない。こどもたちに慕われそうな優しそうな方だった。

歌人でもある店長は、2階のイベントギャラリーで短歌の会。しかし、途中、我々が本以外にもあれこれ買うので、店番のご主人が在庫の有り場所を訪ねに上がり、一緒に下りて来られたので、店長にも一言ご挨拶。

本好きには、居心地のいい空間だった。我が家からもう少し近ければ、1ヵ月に1回ぐらいは立ち寄って、新しくどんな本を仕入れたのかチェックしたいところだが、ドア・ツウ・ドアでは、約1時間半かかるのが、難点。それでも、半年に1回くらいは行ってみようか。

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2010年10月 2日 (土)

『ぼく、牧水!』と『文・堺雅人』を続けて読んだ

この1週間で、『ぼく、牧水!』(伊藤一彦・堺雅人著、角川oneテーマ21)と『文・堺雅人』(堺雅人著、産経新聞出版)を続けて読んだ。

ぼく、牧水!  歌人に学ぶ「まろび」の美学 (角川oneテーマ21)
ぼく、牧水! 歌人に学ぶ「まろび」の美学 (角川oneテーマ21)

『ぼく、牧水!』は、宮崎出身の歌人若山牧水について、現在、若山牧水記念文学館の館長も務める歌人の伊藤一彦と俳優・堺雅人の3日に渡っての対談をまとめた本。
歌人と俳優という一見縁のなさそうな二人を繋ぐのは、宮崎県立宮崎南高校の教室だ。1989年に入学した堺雅人は、当時、同校の社会科教諭だった伊藤一彦から「現代社会」の授業を受ける。さらに、演劇部に在籍した堺は、スクールカウンセラーでもあった伊藤をたびたび訪ね、話したという。
対談とはいうものの、3日間、牧水の故郷の山あいの町坪谷、そこから海へ向かった日向市、宮崎市の3ヵ所での酒を酌み交わしながらの恩師と教え子の語りあいである。

文・堺雅人
文・堺雅人

『文・堺雅人』は、『月刊TVnavi』に50回にわたり連載された堺雅人のエッセイをまとめた本である。毎回のエッセイは400字詰原稿用紙4枚の1600字。2004年12月から2009年1月までの4年2ヵ月、彼が出演している映画、ドラマ、舞台などを題材に、その時々で彼が考えたことを、楽しみながら綴っている。2009年9月刊行で、1年で11刷。売れているようだ。よく考えてしなやかに語る文章で、最後は、恩師伊藤一彦と若山牧水の話で締めくくられている。
この本の中のエッセイのいくつかは、『ぼく、牧水!』の中で、恩師の伊藤一彦も取り上げている。(そもそも、『ぼく、牧水!』の企画も、『文・堺雅人』の最終エッセイを読んだ編集者が思いついた企画かもしれない)。

『ぼく、牧水!』の主題は当然、地元出身の歌人若山牧水であり、若山牧水の名前は知っているけど、短歌は「幾山河越えさりゆかば寂しさの終なむ国ぞ今日も旅ゆく」ぐらいしか聞いたことがないという私のような読者には、第一夜、第二夜で紹介される若山牧水に失恋、旅、酒という生き様や、その時々で詠まれた短歌鑑賞も非常にためになった。
しかし、さらに興味をひいたのは、伊藤一彦、堺雅人のそれぞれが、自らの姿を若山牧水に重ねていることで、おもに二人と牧水の関わりがテーマになった第三夜「牧水→伊藤一彦→堺雅人へのDNA」が、読んでいて一番面白かった。

堺雅人に言葉で、ぜひ紹介しておきたいのは、短歌についての彼の思いの部分だ。

「短歌って読むのにエネルギーが必要で、作者によっぽど愛着がないと読めないものですよね。(中略)なんだかとっつきにくい。歌集のページにずらっと歌がならんでいるとめまいがするんです。(中略)短歌を詠むって、その人の生きざまややむにやまれぬなにかを結晶化する作業だと思うんです。(中略)ひとりで文章を磨きあげる時って、僕なんかには想像もつかないくらい、きびしく神聖な作業をしているような気がするんですね。昇華というか、浄化というかそんな作業。(中略)こうやって伊藤先生に一首一首説明を受け(中略)丁寧に読んでいくと豊かな世界だな、と思います。これって、いわば、伊藤先生が僕のために、結晶を解凍してくれたんですよ。」(『ぼく、牧水!』205~207ページ)

この堺雅人の短歌についてのコメントは、素人にとっての短歌の敷居の高さのようなものをうまく表現していると思う。(堺雅人が書いた『ぼく、牧水!』のまえがきにも、ほど同じ趣旨のことが書かれている)

以前、このブログで『初めての課長の教科書』の中で著者の酒井穣が、「文章を書くということは情報を圧縮することで、その圧縮された情報を解凍し再生する能力が想像力」という一文を紹介したことがあるが、短歌はさらに57577の31文字の中に歌人が生きざまや語らずにはいられない思いをぎゅっと圧縮して閉じこめている。そこには、同音異義語を使う、本歌取りなど、様々な省略も行われているだろう。また、作者である歌人の人となりについての深く知れば知るほど、多様な読み方ができるにちがいない。

はじめての課長の教科書
はじめての課長の教科書

31文字の短歌一作でも、様々な思いが詰め込まれて作られているのに、それが何首も並んだ歌集となると「めまいがする」という堺雅人の感想は、シロウトの素朴な実感である。そこに、伊藤先生のような詳しい先達の導きがあれば、高い敷居を乗り越えてその豊かな世界に触れることができるのということあろう。

そんな中で作られた『ぼく、牧水!』は若山牧水の短歌を多くに人びとに伝えようとする短歌対談であり、短歌界での新たな試みといえるのではないだろうか。
以前紹介した『物語のはじまり』(松村由利子著、中央公論新社)も、歌人でもある著者が他の歌人の短歌を解凍して読み解いてみせた本といえるだろう。こんな試みが、もっと増えてくれば、素人ももっと短歌に親しめるのにと思う。

物語のはじまり―短歌でつづる日常
物語のはじまり―短歌でつづる日常

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2009年12月28日 (月)

松村由利子さん『与謝野晶子』(中公叢書)で第5回平塚らいてう賞受賞

最近、このブログも書くペースが落ちてしまったが、それでも1日200件ぐらいのアクセスはある。多くは、グーグルなどの検索サイトでのキーワード検索を経由してのアクセスである。検索では、過去の記事も、最近の記事も関係なく対象になる。いい加減な記事は書けないと改めて思う。

時々、自分のブログへのアクセス記録を見て、新しい情報を知ることがある。今日もそうだった。何気なく、アクセス記録を見ていると、「平塚らいてう賞」「松村由利子」のキーワードで、私が今年(2009年)2月17日に書いた「松村由利子著『与謝野晶子』を読み終わる」へアクセスされていた。

松村由利子さんは、歌人としても今年「短歌研究賞」を受賞しているが、「平塚らいてう賞」のことは知らなかった。急いで、「平塚らいてう賞」をグーグルで検索してみた。

「平塚らいてう賞」は、日本女子大学が主催している賞のようで、平塚らいてうが日本女子大の卒業生であり、その大学卒業(1906年)100年を記念して2005年創設されている。
その目的は、「男女共同参画社会の実現および女性解放を通じた世界平和に関する研究や活動に光を当てること、ならびに若い世代に対して平塚らいてう氏の遺志を継承していくこと」と書かれている。 

2009年が第5回となる「平塚らいてう賞」は、12月10日にプレスリリースされたばかりで、松村さんは「母性保護論争についての新たな視点と究明」というテーマで受賞していた。
「平塚らいてう賞」ホームページ記載の受賞理由は以下の通り。

「本年度の「平塚らいてう賞」の顕彰部門は松村由利子氏の『与謝野晶子』(中公叢書 2009年2月刊)を主とする業績に対して贈呈することとなった。
近代日本の歴史研究のなかで、とかく軽んじられている女性史なのであるが、与謝野晶子は数少ない必ずとりあげられる人物の一人である。晶子の残した仕事は和歌・詩・小説・歌論・評論(社会批評を含む)・随筆・童話・童謡など多岐にわたる分野に膨大なものがあり、さらに与謝野源氏といわれる源氏物語の現代語訳など古典の紹介も有名である。したがって、与謝野晶子に関する研究も著作の基礎資料の再検討から夫鉄幹の関わりなどを含めて、様々な角度から進められてきているが、未だ課題は多いといえるであろう。
松村氏はこれまでの歌人そして平塚らいてうとの母性保護論争に注目があつまってきた晶子研究に対して、一分野にとらわれず晶子の全体をみようとした。科学への関心、十三人の子を産み育てたその思い、そしてその間にあふれ出た童話や童謡の創作、聖書への関心など、新しい晶子像をつけ加えた。男子優先の近代日本社会の中で、とらわれない女性自身の肯定や自立の活動を晶子の生き方によりそって明らかにしようとした。それは松村氏の記者生活や歌人としての活動を背景に、現代に訴えるものを、晶子に見出したからである。」

この受賞理由を読むと、2月に出版した著書『与謝野晶子』で、従来にない多面的・総合的な与謝野晶子研究を披瀝し、与謝野晶子の生き方の中に、現代にも通じる女性のあり方を読み取ろうとした点が評価されたといえるだろう。
贈賞式は来年(2010年)2月13日に東京・目白の日本女子大学、新泉山舘で行われるそうである。

2009年12月10日:プレスリリース「第五回平塚らいてう賞」受賞者決定

松村 由利子
中央公論新社
発売日:2009-02

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2009年8月13日 (木)

「ふみの日」の切手の題材が「百人一首」だった

今日、たまたま家の近くの郵便局に立ち寄ったら、最近発行された記念切手や特殊切手が並んでいる中に、7月23日に発行された「ふみの日」の切手があった。この間、競技かるたをテーマにした漫画「ちはやふる」について書いたが、今年の「ふみの日」の切手は百人一首が題材だった。百首の中から五首を選び、江戸時代の金色の光琳かるたのデザインを基に切手化し、はがき用の50円切手と封書用の80円切手が作られていた。

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7月23日は、文月(ふみつき)の23(ふみ)の日ということで、昭和54年(1979年)に旧郵政省は手紙離れに歯止めをかけようと考えたのか、「ふみの日」の機会の手紙を書くように毎年キャンペーンを始めた。そして毎年、ふみの日時点のはがき料金と封書料金の「ふみの日」切手を発行してきた。

小学生時代に切手収集を趣味にし、手紙を書くことも嫌いではなかった私は、趣味としての切手収集をやめたあとも、手紙を出すときは、いつでもどこでも手に入る味気ない普通切手よりも、少し大きめでデザインも凝っている記念切手を貼るようにしていた。「ふみの日」の切手のデザインも毎年気をつけてみていたが、この10年ほどは、電子メール中心の世の中になって、年賀状と懸賞応募以外、手紙やはがきを書くことがほとんどなくなってしまったこと、旧郵政省・総務省、郵政公社、郵便事業会社との変革の中で、切手作りのスタンスも切手という媒体を通じて日本の文化や自然を紹介するといった方向から、売れれば何でもいいと方向へ変化したように思え、あまり切手に関心もなくなっていた。

そんな中で、郵便局で見た「百人一首」をテーマにした「ふみの日」の切手は、「ちはやふる」を読んだあとでもあり、妙に新鮮な感じがした。

よく調べると、「ふみの日」の切手で「百人一首」を取り上げたのは、2006年からで今年で4年目になるようだ。毎年、春・夏・秋・冬・恋の5首をを取り上げ切手にするということのようだが、「源氏物語1000年」の昨年は源氏物語にちなむ5人の歌を取り上げたとのこと。

郵政公社・郵便事業会社もなかなか気の利いたことをすると思ったが、とはいえ、この「ふみの日」の切手を見て、手紙を書こうという人が増えるかと言えば、それのは難しいだろう。単純計算すれば、毎年5首ずつ切手にしても、20年間「百人一首」で「ふみの日」の切手を出し続けることができることのなるが、「ふみの日」の企画そのものが2025年まで続くかどうかは別問題かもしれない。

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2009年8月 9日 (日)

競技かるたを題材にした青春マンガ『ちはやふる』(末次由紀著)1巻~5巻を読了

歌人の松村由利子さんのブログの8月7日の記事で紹介されていた競技かるたを題材にしたマンガ『ちはやふる』が面白そうだったので、現在刊行されている5巻までの5冊を記事を読んだ昨日(8月8日)、すぐにアマゾンで注文したら、なんと今日(8月9日)の昼過ぎには我が家に届いた。(さすが、アマゾンである)

さっそく、1巻から読み出し、5巻まであっという間に読み終わってしまった。東京の小学校6年生の綾瀬千早(ちはや)が、同じクラスの転校生綿谷新(あらた)から、百人一首で行う競技かるたの楽しさを教わるところから物語は始まる。
それまで、ミスコンテストで上位入賞する美人の姉千歳だけが自慢だった千早は、「お姉ちゃんがいつか日本一になるのがあたしの夢なんだ!」と新に語るが、新から「ほんなのは、夢とはいわんとよ。自分のことでないと夢にしたらあかん」と一蹴され、彼が、競技かるたで日本一を目指していることを聞く。そこに千早にほのかに思いを寄せている(と思われる)クラス一の秀才真島太一が絡み、物語は進む。3人で競技かるたを始め、かるたのおもしろさに目覚めた千早は3人でずっとかるたをやりたいと願うが、超難関の私立中学に合格した太一はかるたをやめると言い、新は祖父の介護のため故郷福井に戻ることになって、千早は「一人になるんならかるたなんか楽しくない」と、3人で出場するはずだったかるた大会に出ないと言い出す。新と太一の気遣いで、大会会場に千早が姿を見せたところで、1巻が終わる。
その後、2巻では、高校生となった千早が、かるた部を作ろうと、仲間集めに奔走し、太一と再会、さらに太一を含め5人の個性あるメンバーと都大会を目指すところなどは、スポーツマンガの趣である。

ちはやふる (1)

ちはやふる (2)

ちはやふる (3)

読んでいて、先月文庫化された、高校の陸上部での400mリレーに青春を賭ける物語、佐藤多佳子著の『一瞬の風になれ』を思い出した。
『一瞬の風になれ』では、主人公新二はサッカー少年だが、Jリーグからスカウトされる兄の前には、才能の差は明らか。両親も兄の活躍に一喜一憂する。そこ新二を高校で、陸上部に誘ったのが、幼なじみの連(れん)である。物語は、個性的な先生、先輩、後輩、他校のライバル選手などの中で、新二と連がスプリンターとして、成長していく。
『ちはやふる』でも千早の両親は、姉の千歳中心の生活で、千早はおまけのような存在。そこに「新」という触媒のような存在が登場し、「千早」の人生がすこしずつ変わっていく。

『ちはやふる』4・5巻では、これから千早の目標となりライバルとなるであろう高校生クィーン若宮詩暢が登場、千早との初対戦も見られる。故郷に戻った後、一度は、かるたから離れた新がどのような形でかるたの世界に復帰するのかも、気になるところ。
さらに、高校生になり姉をも上回る長身の美女となった千早と多感な年頃の太一や新がどう絡んでいくのかという恋愛マンガ的な展開もありそうである。
まだまだ、読者を引きつけるストーリー展開になりそうで楽しみである。

ちはやふる (4)

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この『ちはやふる』は、2009年3月に第2回マンガ大賞に選ばれた作品である。授賞式の様子を伝える「コミックナタリー」というウェブサイトの記事によれば、作者(末次由紀氏)は出席を辞退し、代理として講談社の担当編集者坪田絵美氏がトロフィーを受け取ったという。さらに、記事は次のように伝えている。 

坪田氏自身がA級のかるた競技者で、大学2年生のときに全国2位の成績を残していること、講談社の面接試験では「かるたマンガを作りたい」と回答して入社したことを明かした。
また、かるたマンガのアイデアを持ちかけられた末次は、すぐさま単語帳を用意して1週間後には百人一首を暗記しており、1カ月後には畳敷きの部屋を借りてかるたを実践していたという。坪田氏いわく「いまは相当取れるんじゃないかな」。
末次の取材熱心さにも触れ、連載当初は毎週のようにかるた大会に出かけたこと、昨年の夏には近江神宮での全国高校かるた選手権を取材し、名人戦・クイーン戦もすでに取材済みであることを明かした。現場での末次は、多彩なアングルで写真を撮りたいと思うあまり、会場内のあちこちで立ったりしゃがんだり、やや浮き気味なほどの熱意と愛着だという。
記者から作者の授賞式欠席について質問されると、末次の言葉として「過去に犯した間違いというものがあり、自分はまだこういう場に出て行けるような人間ではない。一生懸命マンガを描いていくことでしか恩返しはできない」という考えを伝えた。タブー視されるかと思われた過去のトレース事件に自ら触れた真摯な姿勢に、会場からは感嘆の声が漏れた。
(コミックナタリー:2009年3月24日記事:マンガ大賞2009発表!大賞は末次「ちはやふる」)

ここで触れられている過去のトレース事件とは、2005年10月に末次氏の作品『エデンの花』などで、井上雄彦氏の『スラムダンク』『リアル』などから、描写を盗用したのではないかとネット等で読者からの指摘があり、本人もその事実を求め、当時の連載は中止、1992年のデビュー以来の既刊の全作品が回収、絶版とされた事件である。以来、漫画家活動を休止していたが、2007年に活動を再開。いくつかの短編を発表後、『ちはやふる』は本格的な連載作品への復帰第1号であった。

「ちはやふる」第1巻のカバーには

「ちはやふる」は連載作品です。連載でまんがを描けることがどれくらい楽しくて幸せなことか、文章ではうまく伝えられそうにありません。まんがで伝わることを願っています。さあ、スタートです。

この作品から伝わってくる何とも表現しがたい情熱のようなものは、競技かるたのすばらしさを伝えたいという編集者の熱い思いと、過去の過ちを償う連載復活のチャンスを何としても活かしたいという作者の思いが結実した作品なのであろう。
その思いが、「まんが大賞」の選者に伝わった結果の大賞受賞だったのだろう。

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2009年7月29日 (水)

歌人の松村由利子さん、第45回「短歌研究賞」(平成21年度)受賞決定

このブログでもたびたび取り上げてきた歌人の松村由利子さんが、第45回の短歌研究賞を受賞することが決まった。

賞を主催する短歌研究社のホームページによれば、賞の位置づけは、「実力ある作家を顕彰することを目的とするもの」とあり、選考の対象は「前年度(1月号~12月号)に総合誌に発表された20首以上の作品を中心とし、その作品の完成度が高いこととあわせて、その歌人のそれまでの作歌活動の実績が評価され、選ばれます」となっている。

松村さんの受賞対象となった作品は、短歌研究社が発行する月刊「短歌研究」平成20年6月号に掲載された「遠き鯨影」30首となっている。松村さんは、昨年の「短歌研究」3月号、6月号、9月号、今年の1月号と4回の30首連載を行い、その2回目の作品がこの「遠き鯨影」である。(2008年6月3日の記事「『短歌研究』2008年6月号、松村由利子さんの連載第2回「遠き鯨影」から」は→こちら

白ワイン合うか合わぬかさらしくじら冷酒と共に食う走り梅雨(第1首)

の1首から始まる30首は、

六月の鯨うつくし墨色の大きなる背を雨にけぶらせ(第5首)

など、鯨をテーマに紡がれ綴られる。

残り6首となったところで、

わが胸に雨降りやまぬ湿地あり地衣類暑く木々を覆えり(第24首)

と作者の内面をうかがわせる歌が登場し、、最後の3首になって、詠み手である作者自身(だと私は思う)の存在にフォーカスが絞り込まれる。

モーニングセット一人で食べている老後美し薄化粧して(第28首)
身ほとりにとどまる淡き柑橘の香のあるかぎりわれは装う(第29首)
人のかたち解かれるときにあおあおとわが魂は深呼吸せん(第30首)

1年前にこのブログで取り上げた時は、この3首の印象が強く、あえて最後の3首だけを紹介したが、改めて30首を読み返すと、遠く大海原で泳ぐ鯨の姿と、それを思い描き歌を詠んでいる老いを控える詠み手の姿のコントラストが、30首の構成として「完成度が高い」と評価されたのかもしれない。

あわせて「それまでの作歌活動の実績」が評価対象となると点は、平成6(1994)年に第37回短歌研究新人賞を「白木蓮(はくれん)の卵」で受賞、平成18(2006)年に第二歌集「鳥女(とりおんな)」で第7回現代短歌新人賞を受賞と申し分ないことに加え、直接の作歌活動ではないものの『物語のはじまり』(2007年1月)、『語りだすオブジェ』(2008年6月)という2冊の短歌エッセイを出版、自ら歌作りに加え、多くの歌人の短歌を幅広く紹介した点も、評価の対象になっに違いないと、勝手に考えている。

選評等を踏むめ、詳細は8月下旬に発行される月刊「短歌研究」9月号で発表されるようである。

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2009年2月17日 (火)

松村由利子著『与謝野晶子』を読み終わる

以前、このブログでも紹介した歌人の松村由利子さんが書いた『与謝野晶子』が2009年2月10日に中央公論新社から発刊された。

明治11年に生まれ、大正、戦前の昭和を生き、昭和17年にその生涯を終えた与謝野晶子を、松村さんはどう読み解いたのか。
与謝野晶子は、歌人として最も有名で、松村さん自身も2冊の歌集をまとめ、2冊の短歌エッセイを出版しているので、歌人としての与謝野晶子の紹介が中心なのかと思って読むと、そうではない。もちろん、与謝野晶子が折々に詠んだ膨大な短歌の読みと理解は背景にあるのだが、この著作の中では、短歌とその分析・解説は、それを詠んだ時々の与謝野晶子の心情に迫るものとして効果的に配されるにとどまっている。

たまたま『与謝野晶子』の次に読んでいるちくま新書の2009年2月の新刊『越境の古代史』(田中史生著)の中に

「ほとんどの学問に言えることであろうが、無限に拡がる事実の中から何を選び出し分析するかは、分析対象そのものの重要性というよりも、そのものを重要と認識して分析を行おうとする研究者の“目”の問題である」(『越境の古代史』18ページ)

という一文がああった。

松村さんの書いた「まえがき」の中に、松村さんがどのような“目”で与謝野晶子という存在を捉えたかのヒントがある。

「与謝野晶子は美しいものが大好きだった。詩歌や童話、男女の愛、自立した生き方―そのどれもが大切だった。だから歌を詠み、童話をつくり、社会評論を書いた。
晶子の残した仕事は驚くほど多い。出版された歌集が合著を含め二十四冊、評論やエッセイをまとめた本は十五冊に上る。童話は百篇、詩や童謡は六百篇を超え、小説や歌論集も著した。また「源氏物語」をはじめとする古典の現代語訳にも取り組んだ。これほどさまざまな分野で活躍した晶子の全体像に迫るのはなかなか難しい。(中略)
私は長い間、ワーキングマザーとしての晶子にひかれてきた。たくさんの子どもを育てながら、晶子は常に新しいテーマ、新しい分野にチャレンジし続けた。(中略)晶子はずっと、男女が同じように家事や育児にかかわる大切さ、女性が働いて自立する誇らしさについて書き続けた。その文章は、つい昨日書かれたもののように瑞々しく、自由な発想に満ちている。(中略)
優れた詩人は未来を見晴るかす力をもつ。与謝野晶子もその一人だ。(中略)先の見えない時代、私たちは閉塞した思いにとらわれがちだ。しかし、晶子の言葉を読むとき、胸の中を風が気持ちよく通ってゆく。明るく力強い晶子の言葉の数々を、多くの人と分かち合いたい。」(『与謝野晶子』1~3ページ)

目次から本書の章立てを紹介すると、
Ⅰ 科学へのまなざし
Ⅱ 里子に出された娘たち
Ⅲ 「母性保護論争」の勝者は誰か
Ⅳ 童話作家として
Ⅴ 聖書への親しみ
となっている。

この中で、松村さんが最も読者に知らしめたかったのは「Ⅲ「母性保護論争」の勝者は誰か」の章だと思う。
「母性保護論争」とは大正7年から8年にかけて女性解放を訴えた平塚らいてう、山川菊栄らと与謝野晶子の間で繰り広げられた、女性の働き方を巡る論争である.。この必ずしも論点がかみ合わなかった論争のでの、晶子の主張の中に、松村さんが「まえがき」で書いた「男女が同じように家事や育児にかかわる大切さ女性が働いて自立する誇らしさ」が説かれている。松村さんの文書を読む限り、平塚らいてう、山川菊栄の議論は戦前の日本という時代の枠組みという制約にとらわれた議論であり、晶子の語るものは、時代にかかわらず女性が働いて自立することの誇らしさ・素晴らしさの普遍的な意義を語っているように思える。
また、それは、男女が等しく同じようにということを信条にしていた与謝野晶子にとっては、男女がお互い依存するのではなく、人として働いて自立し、信頼しあって生きることの誇らしさ・素晴らしさを語っていることと同義でもあったろう。

300ページ近い、本書が企画され、本として世に出るまでには1年以上の時間がかけられたはずである。昨年9月以降、本格化した世界金融危機、その後の世界同時不況の中で、これまでにくらべ働くこと自体が難しくなった時代に、本書が世に出ることになったのも何かの巡りあわせではないかと思う。

先に紹介した『越境の古代史』では先ほどの一文に続いて、

「また、社会がある研究を重要なものとして受けとめるとき、その評価は単にその研究の分析力が高いことだけが理由ではない。そこにある視座が、研究者の一身体を超えて広く学会、さらには学を超えたある一定範囲の社会に共有されうるものだからである。」(『越境の古代史』18ページ)

と書かれている。

本書で松村さんが紹介している与謝野晶子が語る、女性が働いて自立することの意義や、それを実現することによって到来するであろう社会のイメージは、まさに一定範囲の社会で共有されうる可能性を持つものであろう。
本書を通じて、少しでも多くの人が、晶子の考え方に触れ、自らの働き方や社会や家庭でのあり方を考える機会になればと思う。

<参考>

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2009年1月30日 (金)

中公叢書から松村由利子さんの新刊『与謝野晶子』が2009年2月10日発売

確かな筋から、近々、中央公論新社から歌人の松村由利子さんの新刊が出るとの情報があったので、中央公論新社のホームページの「これから出る本」という欄にアクセスしてみた。

中公叢書2009年2月10日刊『与謝野晶子』松村由利子著とある。

「情熱の歌人などと一面的に描かれることの多い与謝野晶子。短歌から評論、童話にわたる幅広い活動を紹介するとともに、科学や教育に関心を持ち、多くの子を育てた等身大の姿を描く。」

との説明が付されている。

これまで、私個人の与謝野晶子のイメージといえば、歌集「乱れ髪」が有名な歌人で、日露戦争の時に『君死にたまふことなかれ』という反戦の歌を詠んだこと、源氏物語の現代語訳をしたこと、与謝野鉄幹の妻であったこと、等断片的なものでしかなく、与謝野晶子自身が女性としてどのような生き方をしたかは、あまりよく知らないというのが正直なところだ。

作者の松村さんは、短歌を詠むだけでなく、亡くなった石井桃子さんの追悼記事を書くなど児童文学にも親しんでおり、新聞記者時代には科学関係の取材をする部署に所属した経歴を持つ。おそらくは、与謝野晶子の生き方に大いに共感するところがあったに違いない。

この明治生まれの才媛を、昭和生まれの才媛がどのように描くのだろうか。与謝野晶子の生き様にも興味があるし、それを松村さんがどう解釈しどう描いているのか、その両面で読んだみたい。

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2009年1月 1日 (木)

2009年元旦の計と、積まれゆく本と年賀状、収拾つかぬ中年の時間

2009年を迎えた。昨年(2008年)9月15日の米国大手投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻以来、全く世界が変わってしまったと以前にも書いたが、身近なことで、それを実感したのが、ガソリンの値段。車の燃料計の表示がかなり減っていたので、年末にガソリンを入れた。値段は1リットル93円。同じスタンドで、2~3ヵ月前に給油したときには、1リットル160円ぐらい払った記憶があるので、驚くべき値下がりだ。石油の値上がりが取り沙汰される前の水準に戻ったことになる。日本にガソリンの小売価格には、相当程度がガソリン税が含まれているので、ガソリン税を除いたガソリン本来の価格は暴落ともいっていい水準だろう。投機マネーの流入で石油価格が高騰を続けたため、我が世の春を謳歌していた産油国も急に懐がさびしくなったに違いない。オイル・バブルも崩壊したのだ。

世界が激動している中で、我が家も一人暮らしをしていた母を、しばらく面倒をみることになって、家の大掃除と模様替えを迫られ、年末・年始関係ない混乱はまだ続いている。私と妻が使うことになった部屋に、家中の私の蔵書が持ち込まれ、うずたかく積まれていく。自分でも、何冊本があるのかわからない。これを、これから家に残す本、年末に借りたトランクルームに移す本、ブックオフに売りに行く本、捨てる本の4種類に選別しなければならないが、正直途方に暮れている。

歌人の松村由利子さんが『短歌研究』2009年1月号に4回目の30首連載を発表しているが、その中に
「畳の上にどんどん本積まれゆく収拾つかぬ中年の時間」
という一首があり、まるで自分のことを詠まれているようで、思わず苦笑してしまった。

途方に暮れていても何も始まらないので、時間をかけて収拾していくしかないのだが、こちらは1枚も出していないのに、数百枚の年賀状をいただいた。積まれゆく本より先に、この年賀状の返事を書かなければならない。混沌とした本の収拾は、もうしばらく先になりそうである。

そんな中で、家族の宣言した「1年の計」は、社会保険労務士試験の勉強を始めることと、将棋のアマチュア二段を取ること。とりあえずこの公私の2つの目標を軸に、2009年の中年の時間をスタートさせることにしたい。

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2008年10月26日 (日)

27回忌に短歌で知る亡き祖父の思い

今日は、母方の祖父の27回忌と祖母の7回忌の法事だった。祖父が亡くなったのは、私が大学4年の年の秋。就職が内定し、ほっとしていた時だった。祖父は、明治生まれで、80歳を超えても元気で、特にこれといった持病もなく、最期は老衰だった。孫から見る祖父はいつもにこにこした優しい「おじいちゃん」であった。

母の家族は亡くなった祖父母に三姉妹。母は次女。三姉妹はそれぞれ結婚し、それぞれに3人、3人、2人と子どもが生まれたため、祖父母の孫は8人になった。

今日の法事には、三姉妹と2人の夫(私の父は亡くなっている)、8人の孫のうち5人、その子(曽孫)が7人、孫の夫と妻が1人ずつ、祖母の妹、三姉妹の従姉妹2人の計22人が集まった。

高尾にある都の霊園で読経のあと、八王子の和風レストランで会食。その場で、祖父母と一緒に暮らしていた叔母が二冊の糸綴じの冊子を披露してくれた。タイトルが「雑詠草」。悠々自適の暮らしとなった祖父が日々の思いを、短歌や俳句に詠んだものだった。

その中に、母が3人目の子(私の弟)を妊娠し、私が小学校に入学することを詠んだ短歌があった。

三たび目の出産近し母子(ぼし)ともに 安かれと祈る筑紫路の空

うましまごすくすくのびて此の春は 学びの庭に入(い)るぞ嬉しき

このとき、学びの庭に入ることを祖父によろこんでもらった私も今年4回目の年男を迎えた。このような短歌が残っているとは思いもしなかったので、驚いたし、嬉しくもあった。
私の就職が決まった直後に祖父が亡くなったと知った時、自分の中で、もう子どもではいられないのだと思ったものだ。
今の私の姿を、祖父はどう見ているのだろうか。恥ずかしくない生き方をしなければと、改めて思った一日だった。

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