2008年1月 3日 (木)

BS年末年始スペシャルで「朱蒙(チュモン)」を見る

年末年始の帰省で帰った実家のテレビが液晶テレビに変わり、BSが見られるようになっていた。何気なくチャンネルを回していると韓国歴史ドラマ「朱蒙(チュモン)」が放送されていた。
年末年始スペシャルということで、これまでにDVDがレンタルされている35話までを一気に放送しているとのことだった。
私が見始めたのは20話からなので、その前を埋めることになる。実家で見ることができたのが15話から。

15話から20話までの大きなテーマは朱蒙(チュモン)の国「扶余(プヨ)」の塩の確保である。

内陸国の扶余は、自国では塩を作れない。塩の確保を仮想敵国である漢との交易に依存せざるを得ない。
扶余の糧道を握る漢は、塩を材料に扶余に外交面の揺さぶりをかける。
それを潔しとしない扶余の王は、塩の確保のため、沿岸国への外征さえ検討する。
その扶余国の塩の悩みを朱蒙が解決しよとするところが15話から19話までのメインストーリーである。
その後の話でテーマとなる鉄製武器の製法と合わせ、塩と鉄が古代において、国の運命を左右する重要事項ということだろう。
現代に置き換えれば、軍事と食料の確保だろう。
「朱蒙(チュモン)」は、歴史ドラマだが、現代に通じる様々なテーマを考えさせてくれる現代ドラマでもあると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月21日 (金)

平凡社の『韓国歴史地図』を買い、朝鮮半島の古代史を学ぶ

韓国歴史ドラマの『朱蒙(チュモン)』にすっかりはまってしまった一方で、昨日記事に書いた『加耶と倭』を読んで日本の古墳時代の日韓交流についてもう少し知りたくなったりと、朝鮮半島の古代史をもう少し詳しく勉強してみようかと思っているのだが、なかなかふさわしい参考書がない。

高校の世界史の教材は、アジアでは中国史が中心で、朝鮮半島の歴史は中国との関連で語られることが多い。たしかに、朝鮮半島の歴史は、朱蒙(チュモン)の時代であれ、加耶の時代であれ、中国抜きには語れないが、中国から見た姿だけでは一方的過ぎる。
朝鮮半島の側から、中国や日本を見た時、どう見えるかも忘れてはならない視点だろう。

そんなことを思いながら、書店の東洋史、朝鮮史・韓国史のコーナーを見ていたら、各時代のカラーの地図と歴史解説がセットになった『韓国歴史地図』(平凡社)が見つかった。韓国で国立教員大学の教授陣が執筆した『アトラス韓国史』を日本語訳したものである。少々値がはるのが難点だが、古朝鮮滅亡から高句麗設立までの朱蒙(チュモン)の時代も、加耶の時代もカバーできる。

韓国歴史地図
韓国歴史地図

歴史ドラマ『朱蒙(チュモン)』では、いろいろな地名が出てくるのだが、日本の話とは違い、すぐに頭に中に地図が浮かぶわけでもないので、臨場感という点では今ひとつになってしまう。
さらに『加耶と倭』になると、韓国のどこそこの古墳からの出土物といった説明があるのだが、朝鮮半島南部にある古墳の地図はついているものの、そもそも韓国南部の現在の地名がわかっていないし、さらに古代の百済、新羅、加耶の小国諸国がどのあたりに位置していたかの基礎知識が足りないので、これも臨場感がいまひとつ。そのあたりのことがわかる地図があればいいのにと思って読んでいたところだった。

この『韓国歴史地図』を隣に置いて、改めて韓国の歴史を勉強しようと思う。

加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学 (講談社選書メチエ 398)
加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学 (講談社選書メチエ 398)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月20日 (木)

講談社選書メチエ『加耶と倭』を読む

韓国の慶北大学朴天秀(パク・チョンス)副教授が講談社選書メチエから古代の日韓関係をテーマにした『加耶(かや)と倭』という本を出版した。2ヵ月ほど前から書店で並んでいるのが気になっていたが、10日ほど前に買い込んで、少しずつ読み、一部斜め読みしたものの読み終えた。

加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学 (講談社選書メチエ 398)
加耶と倭 韓半島と日本列島の考古学 (講談社選書メチエ 398)

テーマは4世紀から6世紀頃までの朝鮮半島(韓半島)と日本の関係を、日韓の古墳など遺跡の発掘物を中心とした考古学の成果から再考するというものである。

中国大陸では、後漢が滅び、魏・呉・蜀の三国分立から魏の後を継いだ晋(西晋)による統一もつかの間、そ北方民族の侵入により南北朝時代が到来していた。隋による統一は6世紀末である。
朝鮮半島では、北部に高句麗、朝鮮半島南部の東に新羅、西に百済、その間に挟まれて日本ではかつて「任那(みまな)」と呼ばれていた「加耶」諸国がある。

一方、「倭」と呼ばれた当時の日本は、卑弥呼の邪馬台国の後、巨大古墳が造営された時代で古墳時代である。日本書紀によれば、応神天皇、仁徳天皇、雄略天皇などが登場した時代であり「宋書」に登場する「倭の五王」の時代でもある。その後、5世紀後半には吉備地方の反乱、5世紀末から6世紀初めにかけ、武烈天皇の時代に大伴金村による平群氏掃討など、権力闘争が続き、さらに武烈天皇には皇子がなかったことから皇統断絶の危機となり、北陸から継体天皇が迎えられる。継体即位の後には、九州で筑紫国造磐井の乱が起きる。

私が高校時代に使った日本史の教科書(山川出版社『詳説日本史』)では、大和朝廷が朝鮮半島で勢力下に置き、拠点としていたのが任那(みまな)であり、6世紀初めに大伴金村が百済へ任那の四県割譲を認めたことが物部氏にとがめられ、失脚したと書かれていた。

この時期の日本の歴史は、日本書紀に書かれているだけのものについては、神話・伝説の扱いで歴史の教科書でキチンと教えられることはない。
個々の事件は、それぞれドラマがあるのだが、この2世紀ほどの期間を通して見たとき、歴史の大きな枠組みや個々の事件が起きる必然性を感じられず、納得感が得られないというのが、私の偽らざる思いであった。

その思いに多少なりとも、回答を与えてくれたのが、納得できる仮説を提示してくれたのが朴副教授の『加耶と倭』である。
朴副教授は、この時期の韓国と日本の古墳・遺跡での出土品を丹念に検証し、当時の韓国と日本の政治勢力の間に文物の交流がかなりの範囲にわたり行われていたことを示している。韓国側から日本に移入れたものは、馬具や鉄器類、日本から韓国側へ移出されたものは、ヒスイの勾玉(まがたま)などである。
韓国側から移出物は時期により、加耶諸国(当初は金官加耶、後に大加耶)、百済、新羅と主役が交代する。これは、「倭」(日本)への交通路を誰が抑えたかによって変化しているのではないかと予測する。

当時の朝鮮半島南部は、百済、新羅に挟まれなんとか生き残りを図ろうとする加耶(主要6カ国の連合体ではあったものの統一には至らなかった)と加耶諸国の併呑を東西から狙う、百済・新羅という構図だったであろう。
一方、日本は、ヤマト政権による日本列島の統一は道半ばであり、吉備や九州にはヤマト政権としても侮れない地方勢力が存在した。

現在でこそ、国境線が引かれ、日本と韓国という別の国になっているが、当時の九州北部と朝鮮半島南部の勢力間に現在のような国家意識はなかっただろう。各地方勢力の首長たちにとっては、誰と組めば自分たちのムラやクニにとって有利かということが最も重要な判断軸であったろう。

加耶諸国は生き残りのため、九州勢力と連合した可能性は十分にあるし、たとえば、日本の側が軍事支援をした見かえりに、貴重な文物を贈られるこもあったに違いない。
また、日本書紀に見える平群氏や大伴氏の失脚のように、ヤマト政権内部でも、主要豪族による権力争いが続いていただろう。たとえば、その一方が新羅と組み、他方は百済と組むということもあったろう。

また、朴副教授は、九州勢力は百済とヤマト政権に両属していたのではないかともいう。百済が加耶を攻める際に九州勢力の力を借りたのではないかとも言う。

いずれも、それらの仮説を裏付ける出土物があり、当時の政治情勢とあわせて考えると、自分なりの時代の枠組みが組み立てられるような気がする。
週末にでも、ポイントを整理して、もう少し、イメージを固められればと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 3日 (火)

NHKテレビのハングル講座に挑戦してみる

カレンダーが4月に代わり、NHKテレビやラジオの語学講座も、新年度の番組に衣替え。中学に入学したばかりの頃、NHKラジオの基礎英語を聞いたのを思い出す。(結局、長くは続かなかったが…)

韓国ドラマの『私の名前はキム・サムスン』を見てから、せめて韓国語の基礎ぐらい勉強して、韓国のドラマに出てくる街中の看板のハングルがどんな意味かぐらいはわかるようになりたいと気がしていた。

NHK テレビハングル講座アンニョンハシムニカ 2007年 04月号 [雑誌]

今日(4月3日)から、NHK テレビの新年度のハングル講座(半年)がスタートするので、午後11時30分に教育テレビにチャンネルを合わせる。
講師は長友英子さん、韓国人の出演者は、男性が俳優のパク・トンハさんと女性が「じゅよん」さんという韓国で子役として活躍し現在日本に留学中の高校生。日本人で学ぶ側の2人は、男性が朝の連続ドラマ「ちゅらさん」で沖縄料理屋の主人役で好評だった藤木勇人さんとモデルの樋場早紀さんという組み合わせ。藤木さんの軽妙な舞台回しで、番組は進み、見ている人を飽きさせない。これなら、半年間続けられるかもしれないと思う。

ハングルは李氏朝鮮の第4代国王世宗が、「訓民正音」として朝鮮語(韓国語)を表記するための表音文字の体系として1443年に公布したもの。講座でも10の母音と14の子音の組み合わせで全ての文字を表現すると説明していた。母音が5つしかない日本人にとって、10の母音をどう理解し、発音していくのかがポイントだろう。
講師の長友先生は6ヵ月めには、旅行に行ったとき、自分の言いたいことが伝えられるようになると話していた。とりあえず、テキスト片手にしばらく見てみることにしたい。

(注)4月3日が、ココログのメンテナンスで、記事の投稿が出来なかったでの、この記事は4月3日の日付で4月4日に投稿しました。

*韓国に関連する記事
2月13日:
韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』を見る
2月14日:韓国について考える
2月19日:韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』に関する本を読む
4月3日:NHKテレビのハングル講座に挑戦してみる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月19日 (月)

韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』に関する本を読む

2月の3連休に見た韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』が面白かったので、3冊ほど、このドラマに関する本を読んだ。

ドラマの原作本『私の名前はキム・サムスン』(チ・スヒョン著、ブックマン社)上下2冊と、『キム・ソナが案内する「私の名前はキム・サムスン」』(朝日新聞社)である。

後者は、ドラマの主演女優であるキム・ソナが長時間インタビューを受けて、全16話の撮影のエピソードなどを、1話ごとに語ったものだ。ドラマを見たものには、あの場面でそなエピソードがあったのかというような話が、ちりばめられていて、読んでいて飽きない。

また、後半は、この作品の出演を機に一気に人気がブレイクした共演者のヒョンビンのインタビュー、さらにキム・ユンチョル監督とキム・ソナ同席でのインタビュー、脚本家キム・ドウのインタビュー、最後に主演のキム・ソナが自らについて語る。

ここでは、監督と脚本家がこのドラマで何を描こうとしたのかについて、語ったところを紹介しておきたい。

・キム・ユンチョル監督(1966年生まれ)

韓国ドラマによくある”過剰さ”、とくに過剰なセンチメンタリズムというのは、たまにはいいと思います。しかし、個人的には大嫌いです。悲しみ、笑い、楽しさというものは強要されるものではなく、観客が自然に感じるべきものだと思います。だから、演出でも、俳優がわざとらしく飾るのはよくない、と。そういう意味では、このドラマは「センチメンタリズムの罠」にかからないように気をつけました。ドラマを通じて、そういう罠にかからないように頑張り、そのように表現できたと思います。
(『キム・ソナが案内する「私の名前はキム・サムスン」』152ページ)

簡単に言うと、この10年で社会情勢に大きな変化が起きたと思います。とくに、このドラマはいまの自由な社会を反映していると思います。俳優、監督、作家が望む望まないにかかわらず、ドラマというものは情勢と社会に影響されます、「サムスン」を例にあげると、これまでこんな女性を主人公にしたドラマはほとんどなかったのです。ということは、社会がそういう情勢を願っている、求めているのだと思います。
(『キム・ソナが案内する「私の名前はキム・サムスン」』153ページ)

・脚本家キム・ドウ

原作の前提枠(”契約恋愛”や”平凡な女性がお金持ちの御曹司とロマンスを作っていく”)があったので、そこから完全に離れることはできませんでした。でも、その枠を維持しながらも、その中で自由になろうと努力しました。それぞれのキャラクターや、キャラクターの関係、エピソードなど常にひねりを入れながら考えました。そして、”日常性”をもっと加えました。
私は、”日常性”があるキャラクターとエピソードが好きです。”日常性”は小さな話でも大きな効果を得られるという長所があり、それを描くのは私の得意分野でもあります。そんな小さなリアリティが具現化し、そして視聴者の共感を呼び起こしたと思います。
(『キム・ソナが案内する「私の名前はキム・サムスン」』160ページ)

女性が持っているあたたかさ、親密さ、思いやりの気持ち。そんなものが好きです。そして私自身、30代後半の平凡な女です。サムスンみたいなコンプレックスも持っています。
そういうわけで、この作品を通じ、何らかのメッセージを伝えようとしたというよりは(意図した部分もありますが)、ただ私の話、私のまわりの女性の話を書こうとしただけです。私が生きて感じることはほかの人々においてもかわらないと信じています。”普遍性”と表現したほうがいいでしょう。30代女性の”普遍性”が通じたのです。
(『キム・ソナが案内する「私の名前はキム・サムスン」』162ページ)

最後にインタビュアーから、このドラマの大人気の理由を問われた脚本家のキム・ドウさんは、「ただ、半歩先を行っていたこと!」というコメントで締めくくっている。

私は、韓国ドラマは、この『私の名前はキム・サムスン』以外は、『冬のソナタ』(札幌単身赴任中の全話見た)しか知らないので、韓国ドラマ全体を語る資格などないが、あれだけヒットし、確かに見る者の心を揺さぶる何かを秘めた『冬のソナタ』でさえ、そもそもの設定の不自然さ=リアリティのなさ、全編に流れるお涙頂戴式の情緒過剰なところは、気になるところであった。

監督と脚本家は、いわばそう言った従来の韓国ドラマのアンチテーゼとして、『私の名前はキム・サムスン』の脚本を書き、演出したようにも見える。

そして、主演女優のキム・ソナは、役作りのため8kgも体重を増やし、点滴を打ちながら演じたという。一方で、監督、脚本家から絶大な信頼を得た彼女は、劇中のいたるところで、アドリブを披露し、それが一層ドラマにリアリティを加えている。

時代の半歩先をいくことは、ドラマに限らず、仕事でも、自分自身の人生でも必要とされる事だろう。疲れた時は、ドラマ『私の名前はキム・サムスン』を見て笑い、時代の半歩先を見つめていきたい。

*韓国に関連する記事
2月13日:
韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』を見る
2月14日:韓国について考える
2月19日:韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』に関する本を読む
4月3日:NHKテレビのハングル講座に挑戦してみる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月14日 (水)

韓国について考える

昨日、韓国のラブ・コメディ・ドラマ『私の名前はキム・サムスン』こついて書いた。この作品は、現代韓国社会の姿を教えてくれるのぞき窓としても、大変、面白かった。

携帯電話を常に身につけ、メールを頻繁にやりとりする主人公たち。かかってきた電話に敢えて出ないといった恋の駆け引きもある。街の風景も、ホテルや空港の雰囲気も、ハングルの看板や表示がなければ、日本が舞台だと言われても、分からないだろう。

私が韓国に興味を持ったきっかけは、私が大学1年だった1979(昭和54)年10月に起きた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の暗殺事件である。しかし、当時の新聞やテレビニュースでの、事件の解説を読んだり、聞いたりしても、さっぱり分からない。暗殺事件を、韓国の歴史の中で、あるいは日韓の歴史の中で、正確に理解し、位置づけることができなかった。
隣国韓国について、驚くほど何も知らないことを、その時に実感し、特に、明治維新以後、日韓併合までのの日韓の近代史については、自分なりに勉強した。
在学した経済学部のゼミで日本経済史を選び、明治日本の朝鮮半島進出の一翼をになった、日本の資本による京城(ソウル)-釜山(プサン)間の鉄道建設をテーマにゼミの論文を書いた。

それらを通じて、思ったのは、日本の学校教育では、隣国である韓国及び朝鮮半島の歴史について、細切れにしか教えられておらず、ほとんど何も知らないのも同然でということであった。
日本の中にある妙な優越意識と歴史についての無知、韓国の側での反日教育、当時は、韓国も軍事独裁体制にあったこともあり、お互いを正しく理解し、接していくには、とてつもなく大きな壁があるような気がした。

その後、私自身も社会人になってからは、長女の幼稚園の同級生に、仕事で日本に来ていた韓国人一家の男の子がいたというのが、数少ない韓国との接点であり、特段、日韓関係を意識することなく過ぎてしまった。

転機が訪れたのは、『冬のソナタ』の日本での大ヒットだろう。これをきっかけに、2003年あたりからいわゆる韓流ブームが起きた。いまや韓国ドラマや映画は、レンタルショップでも、一定のスペースを確保し、完全に日本にもとけ込んでいる。『私の名前はキム・サムスン』も、そのような流れの中で、日本にも紹介されたものである。

文化交流という言葉がよく使われるが、例えば日本と韓国の違いについて、いくら小難しい本を読んでも、なかなか、ぴんと来ない。むしろ。ドラマや映画を通じて、生活習慣や日常を知ることの方が、百聞は一見にしかずで、理解が早い。
大きな壁に、小さいけれど少し風穴が開いたのではないかという気がする。

ささやかな個人ベースの文化交流として、これからも、韓国ドラマ・映画の良質なものについて、選んで見ていこうと思っている。また、いつか機会を見つけて、韓国を訪ねてみたいとも考えている。

*韓国に関連する記事
2月13日:
韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』を見る
2月14日:韓国について考える
2月19日:韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』に関する本を読む
4月3日:NHKテレビのハングル講座に挑戦してみる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月13日 (火)

韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』を見る

昨日までの3連休、韓国のドラマを見ていた。タイトルは、『私の名前はキム・サムスン』。2005年夏に韓国で放映され、最高視聴率50.5%を記録したという。日本でも、昨年、WOWOWで放送されたとのこと。

DVDのレンタルショップで、「最高視聴率50.5%を記録した話題作」とのキャッチコピーが前から、気になっていて、この3連休にDVD8枚全16話(1話約1時間)を借りて見た。

ヒロインのキム・サムスンは30歳独身、少し太めのパティシエ。サムスンという名前も、韓国では女性の名前としては「ダサイ」名前らしい。クリスマス・イブに彼氏の浮気を発見してしまい、失恋。失意にくれ、泣き崩れている時に、ホテルやレストランを経営する3歳年下の財閥の御曹司ジノンに出会う。失業中で、職探しの最中にジノンと再会。ひょんなことから、パティシエを探していたジノンが社長を務めるレストランで働くことになる。
生意気でわがままなジノンと、歯に衣着せずズケズケと物を言うサムスンは、喧嘩をしながらも、お互い惹かれ合っていくというラブ・コメディだ。
サムスンとジノンのそれぞれの家族、2人の職場であるレストランで働くの人々、それぞれの昔の恋人なども登場し、毎回、笑いあり涙ありの展開であり、飽きさせない。50%を超える視聴率を記録したことも、うなずける。

視聴率が高かっただけでなく、ドラマの中で登場したブタのぬいぐるみが売れ、サムスンが話題にした児童文学『モモ』(ミヒャエル・エンデ作)が売れ、パティシエに憧れパン教室に通う人が増えるなど、ある種のサムスンブームを巻き起こしたらしい。

ドラマの面白さもある事ながら、何が韓国の人たちをそれほど熱中させたのかにも、すごく興味があった。
キム・ソナ演じるキム・サムスンは、30代の働く女性が思っていても、なかなか口に出して言えない本音を、ストレートの口にする。それは、見ているものには、爽快であり、その本音の語りこそが、同世代の女性の圧倒的支持を受けた理由であろう。

最近、日本のドラマは面白くないと思っている人には、お勧めである。現代の韓国の日常が透けて見える。

このドラマのことについては、機会があれば、稿を改めて、もう少し書きたいと思っている。

*韓国に関連する記事
2月13日:
韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』を見る
2月14日:韓国について考える
2月19日:韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン』に関する本を読む
4月3日:NHKテレビのハングル講座に挑戦してみる

| | コメント (0) | トラックバック (1)